万歩計さんのクチコミ(11ページ)全1,032件
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投稿日 2023年08月18日
総合評価:4.5
温泉津温泉の発祥となった開湯1300年の歴史を誇る古湯。泉質はナトリウム-塩化物泉で源泉温度48.1℃、毎分42リットルと湧出量も豊富。源泉はすぐ裏にあり薬師如来が祀られ、源泉が湧出する音を聞くことが出来る。
浴槽や床には薬師湯同様に茶色の温泉成分が結晶している。湯船は源泉が直接注がれる「熱い湯」と少し冷ました「ぬるい湯」の2つ。ぬるい湯と言っても43℃あるので、最初に温度調節したこの小さな湯船で体を慣らすとよい。飲泉が可能で、浴室の蒸気を吸い込むのも効果があるという。
早朝6時から20時までの営業で、特に早朝は地元の人が良く利用している。毎日朝風呂に来るという地元の先客と温泉談義して、最後は和気あいあいと背中の流しあいをした。- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 泉質:
- 4.5
- 雰囲気:
- 4.5
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投稿日 2023年08月18日
総合評価:3.5
沖泊は石見銀山柵から西に直線距離で8.8km。毛利家が銀山を支配していた時代に、銀の積み出しと銀山への物資補給が行われた港で、銀を運んだ山越えの街道共々世界遺産の構成要素になっている。船着き場前の小さな広場には航海安全を祈願した恵比寿神社と、舟に必要な水を汲んだと思われる古井戸が残っている。リアス式海岸のため港は静かで、船を係留する綱を通すために海岸の岩に穴を開けた「鼻ぐり岩」が今も残っている。
温泉津湾の海岸沿いの道路からトンネルを越えた隔絶した場所にあり、現在は10軒足らずの民家が残っている。入り江に山が迫っているため周囲に田畑がなく、住民は漁業で生計を立てていると思われる。- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年08月18日
総合評価:4.5
温泉津温泉は世界遺産石見銀山の構成要素のひとつで、温泉街としては唯一重伝建の指定を受けている。温泉街の細い道の両側には江戸時代から昭和にかけての建物が並んでいるが、現役で営業していると思われる温泉旅館は数える程度で、小さな温泉宿や商店の多くは廃業している。一方で古民家をリノベーションしてゲストハウスにする等、新しい試みも徐々に行われている。
住民は各々軒先に思い思いの言葉を書いた提灯を掲げ、温泉客を呼び込む努力をしている。日本の歴史ある温泉街が次々に寂れて消えていく現状を見ると、素晴らしい温泉と街並みが残る温泉津は是非このままの姿で生き残って欲しい。- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 泉質:
- 5.0
- 雰囲気:
- 4.5
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投稿日 2023年08月18日
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投稿日 2023年08月18日
総合評価:5.0
温泉津温泉には元湯と薬師湯の2つの共同浴場がある。元湯が1300年の歴史を誇る古湯であるのに対し、薬師湯は1872年の浜田地震にて自然湧出した新しい温泉。源泉はナトリウム・カルシウム一塩化物温泉(低張性中性高温泉)で46℃の自然湧出。源泉かけ流しでそのまま湯船に供給され、湯の流れていく跡が湯の華としてそのまま残っている。HPによると2005年9月付けで日本温泉協会の新基準による審査で、全国でも珍しい全項目最高評価の「オール5」を取得したという。
泉質と並んで素晴らしいのが建物。大正モダンの湯屋で2階は円形ガラス張りの休憩所になっており、眺めのいいオープンテラスには椅子やテーブルが置かれている。湯屋に隣接した木造洋館は大正8年築の薬師湯の旧館「震湯」で、現在はカフェになっている。屋根には当時流行したと思われる小さな塔がある。古き良き日本の温泉街の中でこの洋館は違和感なく馴染み、温泉街随一のフォトスポットである。- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 泉質:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
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投稿日 2023年08月18日
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投稿日 2023年08月18日
総合評価:4.0
「湯るり」は温泉津温泉街のほぼ中央にある築145年の古民家を使ったゲストハウス。東京から移住した女性の方が古民家を宿泊施設に再生したもので、部屋数は1,2階で合計6室。古民家の良さを残しながら使いやすくリノベーションされており、随所に女性らしいセンスの良さが見られる。外国人の利用も多いようでHPには英語の併記がある。
共有施設は玄関ロビーと洗面所とキッチン。風呂が付いてないので2つある共同浴場を利用する。食事なしだがキッチンには一通りの設備があり自炊も可能。少し離れた場所には同様に古民家をリノベーションした「燈/Tomoru」がある。こちらは家族やグループ対象の一棟貸し。- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 客室:
- 4.0
- 接客対応:
- 4.0
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投稿日 2023年08月18日
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投稿日 2023年08月18日
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投稿日 2023年08月17日
総合評価:3.5
JR山陰本線仁万駅から徒歩10分にあるお魚処。列車の待ち合わせ時間を利用して昼食を頂いた。特に目立たない地元の小料理屋といった感じだが、店主自ら地元の漁港でセリ落とした地魚を食べさせてくれる。「かめや定食」を注文したが、付け出し、地魚の盛り合わせ、本日の旬の魚(この時はサヨリの塩焼き)、最後にサラダ、赤だし、ご飯がついて1600円は超お得。魚も新鮮でコリコリして美味しかった。他に煮魚とビール2杯を追加注文して5000円からお釣りがきた。他にもいろんなセットメニューがあり、どれもリーズナブルな値段設定だった。
- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 3.5
- 観光客向け度:
- 3.0
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投稿日 2023年08月17日
総合評価:3.5
大森代官所があった場所に明治 35 年築の旧迩摩郡役所の建物を移築し、石見銀山資料館として公開されている。内部は廊下を挟んで両側に展示室が並びまるで学校のよう。銀山のジオラマや、石見銀山開発の中心人物大久保長安、「いも代官」こと井戸平左衛門など、銀山ゆかりの人物が紹介されている。
石見銀山の大森代官だった井戸平左衛門は、農民を餓死から救うために薩摩から取りよせた甘藷(サツマイモ)を普及させた功績から「いも代官」と呼ばれるようになり、中国地方一帯に供養塔や顕彰碑が建てられているそうである。- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2023年08月17日
総合評価:3.0
大森集落の入口近くに豪壮な白壁造りの熊谷家住宅がる。建物は大森の大火後の享和元年(1801年)に建築され、増改築を重ねて現在の姿になり重要文化財に指定されている。熊谷家は徳川幕府の銀山支配が始まった時から力があり、後に「掛屋」 と呼ばれ銀の重量を量り、純度を測定し、粗悪品が見つかった採掘者から集金を行う役目を負っていた。土蔵や手入れの行き届いた庭園が今も残っており、石見銀山が栄えた時代の富裕な商家の暮らしぶりを今も伝えている。
館内の見学(有料)の他にも、「薪割りから後片付けまで、昔のごはんごしらえ」を体験できるようである。- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年08月17日
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投稿日 2023年08月17日
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投稿日 2023年08月17日
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投稿日 2023年08月12日
総合評価:3.5
重伝建大森集落のほぼ中間にある石見銀山公園駐車場から銀山川を渡った先に羅漢寺がある。羅漢寺は昔銀山で働いて亡くなった人々の霊を供養するために建立された寺で、世界遺産の構成要素の一つになっている。
羅漢寺から銀山川の支流に架かる反り橋を渡った対岸に五百羅漢がある。柔和な表情の石仏がぎっしり並んでいるが、銀山で過酷な労働の末に亡くなった人々が、せめてあの世では安らかに、との願いが込められていると思うと悲しくなる。銀山で働く労働者の大半は罪人だったと思われる。室町から戦国時代にかけては一般庶民は盗みでもしないと生きていけない過酷な時代だったはずだ。- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年08月12日
総合評価:3.0
銀山街道から銀山川を渡って山側を少し歩くと清水谷製錬所跡がある。明治19年に既に休眠状態だった石見銀山を、大阪の藤田組が再開発に着手した。多額の投資を行いダイナマイトを使用するなど近代的な採掘設備と製錬方法を導入して、明治28年に清水谷に新しい製錬所を開設した。しかし銀鉱床はすでに枯渇しており、清水谷製錬所はわずか1年半の操業で閉鎖。その後は放置され、今では草木の中に僅かに基礎部分が残っている。黒々と口を開けた基礎部分は砲塁跡のようで、苔むした姿に哀れを感じる。
- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年08月12日
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投稿日 2023年08月12日
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投稿日 2023年08月11日
総合評価:4.0
日本には重要文化財に指定された駅舎がいくつかある。東京駅や門司港駅が洋風(一部に和洋折衷)建築なのに対し、旧大社駅は黒い屋根瓦に漆喰の白壁という純和風の木造建築である。訪れた時は2021年2月から始まった5年計画の保存修理中で覆いが掛かり見学できなかったが、国の重要文化財、近代化産業遺産、日本の建築200選にも指定された駅舎の修理完成が待たれる。
50年前に現役時代の駅舎を見たことがある。広々とした三等待合室、天井や壁に設えた和風のシャンデリア、中央には木製の「出札室(切符売り場)」と、和洋折衷の内装は大正ロマンに溢れ、大いに感動した。かっては東京発の直通急行列車「出雲」を始め多くの列車が運行されたため、ホームはかなり長い。現在SLデゴイチが静態保存されている。
出雲大社から徒歩20分だが、出雲大社とJR出雲市駅を結ぶ路線バスも利用できる。- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0


































































































