旅好者さんのクチコミ(8ページ)全6,282件
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:4.0
住吉神社の一ノ鳥居は国道382号線際にありますが、車では少し北のところから社殿のある低地へ下って行きました。社伝によれば、住吉大神(底筒男神、中筒男神、表筒男神)の守護によって無事に海を渡り、三韓征伐をなし遂げた神功皇后が、その帰途、郷ノ浦・大浦触に上陸して、住吉大神を祀ったのに始まるという歴史のたいへん古い神社です。(神託により、後に現在地に遷座)壱岐七社のうちの1社です。社殿の正面にある二ノ鳥居は平戸藩主の寄進とのことです。境内にある古木「夫婦クスノキ」は、根元の直径は6.9mもあり、根本近くで2つに分かれています。男性は左回り、女性は右回りに回ると良縁に恵まれるそうです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年02月12日
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投稿日 2023年02月12日
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:5.0
国道382号線沿いで、壱岐風土記の丘の駐車場の横に掛木(かけぎ)古墳がありました。壱岐の大型の古墳は6世紀後半から7世紀初めにかけて、前方後円墳2基、続けて、円墳4基が相次いで造られています。いずれも当時の首長の墳墓と考えられています。この掛木古墳は5番目(鬼の岩屋の前)に築造された円墳です。現在の大きさは南北に22.5m、東西に18m、高さ7mですが、築造当時直径は30mはあったとみられ、高さももっとあったと推定されるとのことです。石室は前室、中室、玄室の三室構造の両袖式の横穴式で、この古墳のもっとも特徴的なことは、くり抜き式家形石棺がそのまま残っていることで、壱岐では唯一のものだそうです。また、この古墳からは、青銅鏡、金銅製環状耳飾、鉄製轡、金環、そして、畿内の古墳で見られる土師器などが多くが出土したとのことです。中央のヤマト政権との深い関係が推察されます。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:5.0
國片主神社から県道174号線を西に600mくらい進んだところに鬼の岩屋(鬼の窟古墳)がありました。壱岐の大型の古墳は6世紀後半から7世紀初めにかけて、前方後円墳2基、続けて、円墳4基が相次いで造られています。いずれも当時の首長の墳墓と考えられています。この鬼の岩屋はその中で最後に築造された円墳です。古墳の規模は直径45mで、高さ13.5mあり、円墳の中では2番目の大きさです。石室は前室、中室、玄室の三室構造の両袖式の横穴式で、全長は16.5mあり、最大の大きさです。覗いて見ることが出来ます。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:4.0
県道172号線と174号線の合流点に國片主(くにかたぬし)神社がありました。創建は811年(弘仁2年)と伝わる古社で、壱岐七社のうちの1社です。ここはなかなか楽しい神社でした。まず、駐車場は「牛馬繋ぎ所」と書かれていてホッコリとします。(横に淡墨桜があります)そして、境内には楽しいものがたくさんありました。道路際の大きな鳥居を潜ると「おもいで石」があり、身長が測れる目盛りが付いています。いろいろな祈願が区分けされた3つの「願掛け鳥居」が並んでいます。同じくいろいろな祈願の出来る「なで恵比寿さま、なで大黒さま」、傷病快気祈願の「なで小ぞう」、そして、1番楽しんだのが、開運祈願の「招福猫」です。願いを唱えながら、男性は時計回りに、女性は反時計回りに招福猫を回すのです。気持ちを込めて回しましたから、きっとご利益があるでしょう。なお、ここは、島分寺が建立された天平時代には、島司(しまつかさ=国主相当)であった壱岐直(いきのあたい)の屋敷があった場所だそうです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:3.0
県道174号線(県道172号線との合流点)沿いにある壱岐七社のうちの1社・國片主神社の西隣に壱岐国分寺跡がありました。国分寺は、聖武天皇が741年(天平13年)に発した勅令によって、日本の各国に建立されたものですね。当時の壱岐は対馬とともに国ではなく島(とう)でしたから、国分寺ではなく島分寺が建立されたことになります。しかも、新規の建立ではなく、島司(しまつかさ=国主相当)であった壱岐直(いきのあたい)の氏寺を島分寺として改修したのだそうです。もっとも、発掘調査では平城宮と同じ文様の瓦が見つかっているそうなので、単なる寺号の変更だけではなく、また、中央のヤマト政権との関係の深さが偲ばれます。国分寺というと七重塔を思い浮べますが、こちらの島分寺では三重塔が建立されたと推測されるそうです。なお、ここの地名は国分ですが、寺は関係なく、壱岐島の2郡の境だったからだそうです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:3.5
月読神社の西方で、県道172号線と174号線の合流点にある國片主神社(壱岐七社の1つ)の並びにへそ石と顎掛け石がありました。大きな黒い石の上に載った白いへそ石は、取って付けた様で、近年そこに置かれた様な違和感のある存在でした。顎掛け石は高く、太いので存在感がありました。その昔、渡良左エ門(わたらざえもん)という大男が海岸でこの石柱を拾い、一人でここまで運び、顎が乗せられる高さに立てたのだそうです。現在、顎掛け石の上に六面十二菩薩の仏塔が乗っていますが、これは後年に乗せられたものだそうです。総高は約3mですから、仏塔が75cmとすると、顎の高さは225cmです。渡良左エ門さんは270cmくらいの身長だったのでしょうね。また、下から150cmくらいのところに人工の刻みがあります。子供が渡良左エ門さんにあやかって、背が伸びてここに顎が掛けられるようにと祈願する風習が広まり、顎掛け石と呼ばれる様になったとか。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:4.0
壱岐島の中程を東西に横切る県道172号線沿いに月読(つきよみ)神社がありました。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二神から最初に生まれたのは天照大御神(あまてらすおおみかみ)で、次に生まれたのが月讀命(つくよみのみこと)で、こちらの月読神社はその月讀命を祀っています。潮の干満など月にまつわるすべてを掌り、航海安全など安全のご利益もあるそうです。70~80段くらいの石段を直登したところに社殿がありましたが、拝殿前の境内は狭いので、団体さんと重なると意外と混雑してしまうことがありました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:4.0
壱岐島の北東端・赤瀬鼻に近く、市道だか町道だかの細い道を辿ったところに男嶽神社がありました。道路から「男嶽大明神大前」と染め抜かれた紫色の幟がずらりと並んだ急坂を登っていきます。男嶽神社の場所は、壱岐島が生れたときの最初の神様である天比登都柱(あめのひとつばしら)や月読命(つくよみのみこと)の降臨の地とされ、明治時代までは山全体が御神体で、一般の人は入山できなかったのだそうです。こちらは道案内の神様である猿田彦命(さるたひこのみこと)が祀られていますが、その御祭神に因んだ石猿が、境内に200体以上の奉納されていました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年02月12日
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:3.0
壱岐イルカパークは勝本港の北方、串山半島にありました。ここは、壱岐を巡った多くの観光スポットの駐車場の中で、1番多くの車が駐まっていました。コロナ下で晩秋というと、訪れる場所が限られるということでしょうかね。こちらは1995年(平成7年)に壱岐市が造った施設ですが、2019年(平成31年)に官民連携の施設としてリニューアルオープンしたとのことです。フロリダにあるドルフィン・リサーチ・センター(DRC)と提携し、イルカの生態を研究し、人間とイルカが会話をする様にコミュニケーションが取れることを目指しているのだそうです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 施設の快適度:
- 3.0
- 動物・展示物の充実度:
- 3.0
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:3.5
河合曽良の墓へは、国道382号線の壱岐市役所勝本支所前の駐車場横から行きました。およそ60mと書かれていました。河合曽良の墓を訪れるのに苦労をしたと書かれたものが散見されたので、1番確実そうに思えたこの入口を選びました。細い小道を歩いて行くと、河合曽良の墓がありました。ここは曽良が亡くなった中藤家の墓地の一画とのことです。墓碑は当時の商家のものとして立派なものなのでしょうが、質素な印象を持ちました。曽良は芭蕉門下10哲に数えられ、奥の細道の旅にも随行しています。後に幕府の巡国使の一員として西国を巡り、壱岐に渡ったところで病を得て、勝本の中藤家で逗留しますが、1710年(宝永7年)になくっています。1649年(慶安2年)の生まれなので、享年は62歳だったのでしょう。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:3.0
現在は城山と呼ばれている、標高約80mの丘の上に築かれた勝本城跡からは、北方向に勝本港が見えました。少し左を見ると、辰ノ島も見えましたが、そのずっと後方の水平線上には対馬が見えました。また、白っぽい大きな船も見えました。九州郵船のフェリーでしょうか。
文禄の役を見据え、その前年の1591年(天正19年)にわずか4ヶ月の工期で完成させたと言われるお城です。名護屋城まで出陣した秀吉は、いずれは渡海する意思があって、この勝本城にも御座所を造営したとか、していないとか両説があるそうですが、記録がなく事実はまったく分らないそうですね。江戸時代になって朝鮮との国交回復に当り、廃城、破棄されたとのことです。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:3.5
勝本港から100mくらい離れたところに、高さは7m、長さは90mもある石塀がありました。土肥家4代目の市兵衛が1767年(明和4年)に建てた別邸「御茶屋屋敷」の塀の一部とのことです。土肥家は捕鯨業で財を成し、当時、鴻ノ池,三井と並ぶ大富豪だったそうです。御茶屋屋敷には中門、大門があり、部屋の彫刻には金銀を散りばめるなど贅沢の限りを尽くしたものだったそうですね。そして、京都から舞妓を呼び寄せるような遊びもしていたそうです。まぁ、一時の夢の跡といったところでしょうか。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:5.0
勝本港を囲む西側集落のほぼ先端の一画に聖母宮がありました。壱岐七社のうちの1社です。神功皇后を祀る神社で、創建から1、300年以上といわれる歴史の長い神社です。神門を潜ると、人魚が出てきそうな大きなシャコガイの手水鉢がありました。パラオから寄進されたものだそうです。神輿庫には立派な御神輿が2基納まっていました。1つには神功皇后、もう1つには仲哀天皇、應神天皇と併記された額が架かっていました。
門前には神功皇后が乗馬した際の足跡が残るとされる「馬蹄石」や「文永の役元軍上陸」の石碑もありました。また、その南側の石垣が積まれたところは、文禄・慶長の役で加藤清正らが物見をした「旗揃舎物見台石垣塀」だとのことです。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2023年02月12日
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投稿日 2023年02月12日
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:5.0
辰の島の外海側は、断崖や奇岩で見どころ一杯と聞いたので、約40分ほどの辰の島遊覧に乗船しました。まずは内海側のオオカミ岩、海の宮殿と廻り、若宮島との間の狭いアブラメ瀬戸を通り抜けました。ここは干潮時は通過出来ないのだそうです。外海に出ると波が大きくなります。まずは、マンモス岩、潮吹き岩があります。西に進み、大屏風、羽奈毛崎、そして、蛇ヶ谷です。この奥が鬼の足跡ですが、牧崎園地にあったのが左足で、ここは右足です。これで見どころの外海は終わりです。おまけの様な目出柱を見た後、島に渡る人を下ろして、勝本港へと戻りました。ほぼ期待通りの景色が見られたと思います。
- 旅行時期
- 2022年11月
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 乗り場へのアクセス:
- 3.0
- 車窓:
- 5.0
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投稿日 2023年02月12日
総合評価:4.0
湯ノ本温泉は歴史の長い温泉場ですが、近年にもホテルがリニューアルされるなど新陳代謝がある様です。そんな中から、リーズナブルな料金で庶民向け旅館の千石荘を選択しました。そして、お得感のある宿泊プランで宿泊しました。食事の時の飲み物もたいへんリーズナブルでした。自家源泉を持っていて、宿泊客対応のほか、公衆浴場としても営業していました。また、狭いですが貸し切り風呂もありました。これは宿泊者専用でした。
- 旅行時期
- 2023年02月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 友人
- 1人1泊予算
- 12,500円未満
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 客室:
- 3.0
- 接客対応:
- 4.0
- 風呂:
- 3.5
- 食事・ドリンク:
- 5.0































































