旅好者さんのクチコミ(11ページ)全6,282件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2023年01月15日
-
投稿日 2023年01月15日
-
投稿日 2023年01月15日
-
投稿日 2023年01月15日
総合評価:4.0
小茂田浜神社の境内に、元寇750年を記念した68歳の宗助国の騎馬像や元寇古戦場の案内が立っていました。元寇の遺跡は福岡に多く残っていて、山口にもありますね。対馬(や壱岐)は海路上にあり、朝鮮から近いので船団もバラけていなく、また、兵士の船酔いなどによる体力低下もなかったでしょうから、元軍の戦力は100%だったでしょう。正に多勢に無勢ですから、まともな戦いにはならなかったでしょうね。奮戦して亡くなった人々の冥福を祈っておきましょう。なお、現在の小茂田浜は海浜公園としてきれいに整備されていました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2023年01月15日
総合評価:5.0
対馬だけに見られる石屋根をみるために、下島の西海岸にある集落・椎根を訪れました。石屋根は対馬でも椎根やこの近隣の集落にしか見られないそうです。現在、この椎根に5、6棟の石屋根が残っていて、全体でも50棟があるかどうかだそうです。これは見ておかないと何時なくなってしまうかわかりませんねぇ。石屋根に使われている石板は頁岩(けつがん)というものだそうです。対馬には泥岩(でいがん)の地層が多く、この泥岩の地層は、地層に沿って板状に剥がし易いのだそうです。特に剥離性が強いものが頁岩とのことです。年々、石屋根も傷みが進むようで、瓦屋根に葺き替えられた小屋もたくさんありました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2023年01月15日
総合評価:5.0
対馬の南部で大きく口を開けた豆酘(つつ)湾の西側を形成するのが豆酘崎です。地図上では対馬の最南端ではありませんが、車道の通じているところとしては最南端です。(地図上でいえば最南西端となります)豆酘崎の先には岩礁が続いていて豆酘崎ミョー瀬というとのことです。そこに1909年(明治42年)に初点灯した旧豆酘埼灯台が建っていました。現在は豆酘崎ミョー瀬照射灯と呼ばれ、海上の高さは23mあるとのことです。先端近くの丘上にあるのが現在の豆酘埼灯台で、1987年(昭和62年)に初点灯とのことです。高さは地上19.4mとのことです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
-
投稿日 2023年01月15日
-
投稿日 2023年01月15日
-
投稿日 2023年01月15日
-
投稿日 2023年01月15日
総合評価:3.5
鮎もどし自然公園キャンプ場は駐車場から吊り橋「清流橋」で瀬川を渡った先にありました。管理棟、炊事棟といった施設のほかは、ケビンなどはなく、広場のフリーテントエリヤのみでした。遊具等はありませんから、鮎もどし自然公園の瀬川の河原での水遊びなどをして、キャンプを楽しむところだと思います。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 施設の快適度:
- 3.0
-
投稿日 2023年01月15日
-
投稿日 2023年01月15日
-
町の喧噪からはまったく切り離されたと感じられるところでした。
投稿日 2023年01月15日
-
投稿日 2023年01月15日
総合評価:5.0
厳原の中心から2kmくらい南のところに対馬藩お船江跡がありました。厳原町の漁港のある久田浦の奥といった場所です。現在のものは1663年(寛文3年)に築かれたものだそうです。まったく別の県の何ヶ所かで御用船の船着き場を見ましたが、この対馬藩お船江が1番規模が大きいと思いました。四つの突堤と五つの船渠がありました。(船渠の1つは半分埋められていました)対馬藩は本土側の支配地を現在に佐賀県に持っていたそうですから、ここから出港した御座船はそこに向かったのでしょう。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2023年01月15日
-
投稿日 2023年01月15日
総合評価:4.0
旧金石城庭園の石塀沿いに奥に進んだところに万松院がありました。現在地には1647年(正保4年)に築造されたものです。仁王像が収まる朱色に塗られた両袖部が印象的な山門でした。対馬藩2代藩主(宗家20代)の義成が初代藩主の父義智の冥福を祈って1615年(元和元年)に創建したお寺で、以降、宗家の菩提寺となっています。創建当初の寺号は松音寺は臨済宗のお寺さんでした。1622年に(元和8年)に義智の法号・崇虎石翁万松院に因んで万松院と改称しています。また、1635年((寛永12年)には臨済宗から天台宗に改宗しています。なお、山号は鐘碧山です。
- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2023年01月15日
総合評価:4.0
観光情報館・ふれあい処つしまから万松院に向かう道筋に、あまり目立たない対馬朝鮮通信使歴史館の建物がありました。対馬を訪れるまで朝鮮通信使というのをほとんど知りませんでしたが、想像を遥かに上回る大使節団だったのですね。何百人となれば一大事業だったことが推測されます。なお、館内は原則撮影禁止でした。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2023年01月15日
-
投稿日 2023年01月15日
総合評価:3.5
金石城跡というと大手の櫓門の写真が出てきますが、何とこれは1990年(平成2年)に再建された3代目のもので、江戸時代に焼失してしまった初代に代わって復元された2代目の門は1919年(大正8年)にどこかに売却されてしまったのだそうですね。門の様子は昔通りに復元されているのでしょうかね。ここが島主である宋氏の拠点となったのは1528年(享禄元年)のことで、1678年(延宝6年)に桟原城を築いた後も館の1つとして使われた様ですね。旧金石城庭園の西の外れには復元された搦手門跡がありました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2023年01月14日
















































