島司の氏寺を転用しました。
- 3.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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by 旅好者さん(男性)
壱岐 クチコミ:63件
県道174号線(県道172号線との合流点)沿いにある壱岐七社のうちの1社・國片主神社の西隣に壱岐国分寺跡がありました。国分寺は、聖武天皇が741年(天平13年)に発した勅令によって、日本の各国に建立されたものですね。当時の壱岐は対馬とともに国ではなく島(とう)でしたから、国分寺ではなく島分寺が建立されたことになります。しかも、新規の建立ではなく、島司(しまつかさ=国主相当)であった壱岐直(いきのあたい)の氏寺を島分寺として改修したのだそうです。もっとも、発掘調査では平城宮と同じ文様の瓦が見つかっているそうなので、単なる寺号の変更だけではなく、また、中央のヤマト政権との関係の深さが偲ばれます。国分寺というと七重塔を思い浮べますが、こちらの島分寺では三重塔が建立されたと推測されるそうです。なお、ここの地名は国分ですが、寺は関係なく、壱岐島の2郡の境だったからだそうです。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2023/02/12
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