beanbagさんのクチコミ(22ページ)全595件
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- 基本情報
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投稿日 2018年09月27日
総合評価:4.5
プラハで駐車場付きのホテルを探したらここが見つかりました。
旧市街の狭い路地にありますが、立地は最高、観光にも食事にも便利です。銀行や両替商も近く、人通りの絶えない地区にありますが、一本中に入っているので静かです。向かいは警察署なので治安も最高。
客室は質素でシンプルですが、とても清潔で快適、バスタブも付いています。リビングのついたスイートにアップグレードしてくれました。
間口が狭いので小さなホテルかと思ったら、中庭をぐるっと取り囲む建物のほとんどを占める意外に大きなホテルです。
スタッフは少人数ですが、親切でホスピタリティも申し分ありません。
朝食レストランは7時から、立体的で見事なプレゼンテーション。期待が高まりますが味も裏切られません。
プラハに来たらここで決まりです。オススメです。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 12,500円 未満
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 5.0
- バスルーム:
- 4.5
- ロケーション:
- 4.0
- 客室:
- 5.0
-
投稿日 2018年06月26日
総合評価:4.0
ポロンナルワは1017年から1225年までスリランカの首都であり、遺跡地区全体が世界遺産に指定されています。
しかし、プラッティプラ(現ポロンナルワ)を都とした最初の王は、それよりずっと昔のアッガボーディ4世/シリサンガボディ王(667~683)です。密教を一掃したアッガボーディ7世(772~777)やセーナ1世(833~853)、セーナ2世(853~887)も居城をプラッティに置いています。チューラヴァンサに具体的な記述はありませんがカッサパ4世(898~914)もプラッティに依拠、以降セーナ5世(972~983)までプラッティに依拠しています。
名君カッサパ5世(914~923)は、インド・パンドゥ王国のマーラヴァルマンラージャシンハ2世を支援し、チョーラ朝バラーンタカ1世との戦いに息子のサッカセーナーパティを将軍として援軍を送りますが、パンドゥ軍はチョーラ軍に敗れ、スリランカ軍は撤退、サッカセーナーパティも伝染病で客死します。このことを契機としてスリランカとチョーラ朝の関係は悪化します。
その後、スリランカは何度もチョーラ軍の侵略を受け、マヒンダ5世(982~1029)の時代にアヌラーダプラは陥落、マヒンダ5世は捕虜となり、その後12年間をチョーラ国で過ごし亡くなります。こうしてランカー島はチョーラ朝の支配下におかれます。
その後、6代の王は何度もチョーラ人に反攻を試みるも全て敗退、ランカー島の王統は乱れ、一時ローハナ地方の将軍や髪舎利官が政権を握る事態となります。
そのような状況の中、カッサパ2世王(650~659)の息子マーナヴァンマの子孫である王子モッガーラーナとダートパティッサ王(643~650)の系譜の王女ロキターの間にキッティ王子(後のヴィジャヤバーフ1世)が生まれます。
キッティ王子は、まずカッサパ7世王(1054~1055、ローハナ地方の髪舎利官の長出身)を打ち破り、ヴィジャヤバーフ1世王(1055~1110)として即位。そして、ヴィジャヤバーフはチョーラ人征服に乗り出しますが、チョーラ王ヴィーラ・ラージェーンドラ(1063~1069)は激怒し、以前にも増した大軍をランカー島に派遣します。ヴィジャヤバーフは苦戦の末、チョーラ軍を打ち破り、ついにランカー島におけるシンハラ王権を回復します。
ヴィジャヤバーフ1世はプラッティナガラを本格的に整備し、正式に遷都します。当時、南インドのチョーラ国との戦いによって疲弊し、受戒の儀式に必要な5人の長老比丘がランカー島内にいなくなったので、仏教の存続を願う王は、ラーマンニャ国(下ビルマ)のアヌルッダ王(1044~1077)の許に使節を派遣して、三蔵に精通し、自戒堅固で徳の高い長老をランカー国に招聘します。さらに王はプラッティの都に美しい多くの精舎を建立し、三宗派の比丘たちをそこに住まわせ、仏教の再興を推進します。その後、王は莫大な費用を投じ美しい歯舎利堂(現アタダーゲ)を建て、継続的に大きな祭礼を行います。
しかし、ヴィジャヤバーフ1世が死去すると、王位継承をめぐる争いでランカー島は再び乱れ、南インドからの侵略者やヒンドゥー教徒のヴィッカマバーフ1世(1111~1132)による僧院財産の没収などにより国土と人心は荒廃します。
その窮地を救ったのがスリランカ史上最高の英傑で王中の王、パラッカマバーフ1世(1153~1186)です。歴史書「チューラヴァンサ」の3分の1はパラッカマバーフの興隆や事績に関する記述で、舞台はこのポロンナルワが中心です。
ポロンナルワ遺跡群は、南端のポトグル・ヴィハーラから北端のティワンカ・ピリマゲ寺院(北院)まで、南北7kmほどの広い範囲に点在しています。域内はよく整備されているものの、自転車や徒歩では厳しいものがあり、見学にはやはり車かトゥクトゥク(スリーウィラー)が必要でしょう。アヌラーダプラより遺跡感が強い反面、現役の宗教施設として機能しているものは少ないので、来訪者は観光客の方が多いと思います。
また、クワドラングルに代表されるように歴代の王の建造物が混在し、域内全体も重層的な歴史背景を持っているので、漫然と見学すると頭の中が混乱するかもしれません。現存する遺跡はヴィジャヤバーフ1世以降のものが中心ですが、ヒンドゥ遺跡なども残っています。上記時代背景を頭に入れて見学すると、遺跡巡りもまた趣深いものとなると思います。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 3.5
- シギリヤから車で1時間です。
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 遺跡地区全体の入場料はUS$25です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見学の支障となるほど多くはありません。
- 展示内容:
- 4.0
- 大きくはありませんが遺跡マニアも満足できる遺跡群です。
-
投稿日 2018年06月26日
総合評価:3.5
ゴールからコロンボに向かう途中、高速道路のコッタワ出口からコロンボ方面に行く道沿いにあります。
国会議事堂は美しい人造湖の中の島に建っていますが、周りには何もありません。1985年にコロンボから遷都しましたが、国会議事堂などが移転しただけで、多くの政府機関はコロンボに残ったままです。
しかし、スリージャヤワルダナプラ・コーッテ自体は古くからシンハラ王朝の都が置かれた場所です。
ヴィッカマバーフ3世(あるいは4世)の時代(1357~1374)にニッサンカ・アラガッコナーラと呼ばれる威厳と判断力の具わった有能な大臣がいました(後のヴィジャヤバーフ6世(1397~1411)だと言われていますが、チューラヴァンサに記述がありません)。彼はカリャーニーの町の南方、広々としたダール村からほど近い大きな湖のほとりに囲い壁を連ね、楼門と稜堡などで荘厳したジャヤヴァッダナプラ(勝利をもたらす都)コーッテと呼ばれる都を建設します。善業を願いとするアラガッコナーラはこの都城に住み、仏法の発展、その他多くの善根を行います。
プヴァネーカバーフ5世(1372~1391/1408、ヴィッカマバーフ3世の在位と2年間重複)は、1372年に王都を高地のガンポラからコーッテに遷都します。
その後、名君パラッカマバーフ6世やジャヤバーフ2世以降の歴代の王もコーッテを都とし、プヴァネーカバーフ7世(1521~1550)の治世までコーッテ王国は続きます。しかし、その先代のヴィジャヤバーフ7世(1509~1521)の治世、1517年にポルトガルは侵略を意図して700~1000人の兵力をコロンボに送り、要塞を建設、植民地支配が始まっています。
一方、パラッカマバーフ6世の晩年にウダラタ(高地)で反乱が起こり、この反乱を鎮圧した王はウダタラの統治をガンポラに残った王族に委ねます。その王族の一人セナーサムマタ・ウィクラマバーフ(1469~1511)は1474年、ウダラタの自治を宣言し、同時に都をガンポラからキャンディに移します(プレ・キャンディ王国の成立)。
シリヴァッダナ(現キャンディ)に住まいしていたヴィーラヴィッカマ王(1542~?)の即位とともにコーッテ王国は姿を消すことになります。
スリランカは1948年に独立、首都をコロンボにおいていましたが、1977年、コロンボから首都機能をコーッテへ移転する計画が示され、1983年に国会議事堂が完成、1985年に遷都しました。当時のジャヤワルダナ大統領(1978~1989)が、かつての都の名称と自分の名前が同じだったため、旧名を復活させ、街の正式名称が「スリー・ジャヤワルダナプラ・コーッテ」(聖なる・勝利をもたらす都市・コッテ)とされました。
国会議事堂は直線を多用した威厳のある美しい建物です。日本の建設会社が建てたのでどこか日本的な感じもします。人造湖(ディヤワナ湖)の周りは「日本・スリランカ友好道路」が設置され、美しく整備されて市民のジョギング道路になっています。また、湖の北岸には国立ラナヴィル記念塔のある公園があります。この記念公園の広い駐車場のトイレは清潔です。コロンボ見物の前に立ち寄っておくと良いでしょう。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 高速道路コッタワ出口からコロンボに向かう道路沿いにあります。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 見るだけですがタダです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- わざわざ見学に来る人はいません。
- 展示内容:
- 3.0
- 建物を遠くから見るだけです。
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投稿日 2018年06月26日
総合評価:4.0
マータレーはタミル人の多い街です。女性の服装で分かるそうです。ダンブッラからキャンディに向かうキャンディロードの左側にあります。
正式名はムスマリアマン寺院。「ムス」は真珠、「マリ」は雨、「アンマン」は母の意味、寺院は雨と肥沃の女神に捧げられているそうです。
高さ55メートルのゴープラ(塔門)はスリランカ最大、1008体のヒンドゥー神で飾られています。
ヒンドゥー寺院の中に入るのは初めてですが、堂内は広く、いたるところがカラフルな柱や神像、廟で彩られ、小ぶりなゴープラもあります。その様子は意外にカトリック教会に似ています。また、色彩感覚はミャンマー・バガンのポッパ山にある精霊ナッ神の装飾に似ている感じです。
堂の中心に小さな祠があり、そこが本尊のようです。男女別々に左右に分かれ、信者が参拝しています。
通りがかりに珍しいヒンドゥー教寺院を見学でき、得した気分でした。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- キャンディロード沿いにあります。
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 入場料250Rs.(180円)かかります。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 参拝者もそれほど多くありません。
- 展示内容:
- 4.0
- カラフルな装飾は一見の価値ありです。
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投稿日 2018年06月26日
総合評価:4.0
パラークラマ・サムドラ(パラッカマの海)はその名の通りパラッカマバーフ1世が築造した貯水池です。パラッカマバーフ1世は、スリランカ史上最高の英傑、王中の王と呼ばれる偉大な存在。歴史書「チューラヴァンサ」の3分の1は彼の興隆とその事績を詳しく記述しています(第62章~第79章)。
ポロンナルワに都を移したヴィジャヤバーフ1世が死去して以降、4愚王が割拠し、王位継承をめぐる争いや南インドからの侵略者などでランカー島は再び乱れ、国土と人心は荒廃します。数々の苦難の末、こうした状況を打開しランカー島を平定したのがパラッカマバーフ1世です。彼はランカー島のみならず下ビルマ・ラーマンニャ国バガンに侵攻したり、南インド・パンドゥ国の混乱を平定し、パンドゥ国の宗主国となるなど、南アジア一帯に存在感を示します。
パラッカマバーフ1世の事績は、三宗派の統一、プラッティの都にジェータヴァナヴィハーラ(祇園精舎)の造営、ティヴァンカ堂の建立、歯舎利堂(現ワタダーゲ)の建立、ウッタラ精舎(北院)/三窟院(現ガルヴィハーラ)の造営など数限りなくありますが、その偉業に比べ現在確認できる遺跡はポロンナルワにおいてさえそれほど多くありません。
高邁な大志を抱き、王位についたパラッカマバーフは、短期間のうちに自国を他国に勝る強大な王国にしなければならないと思い、「第一に行うべきは、あらゆる方法で穀物を増産、集積することである」と考え、「私の領有する国土においては、今だに川や大貯水池から導いた水を利用して耕作する稲田は稀である。(中略)このような国では、雨によってもたらされた少量の水でさえも、そのまま利用せずに海に流してしまうことは、あってはならないことである」と言って、貯水事業、灌漑システムの整備に取り組みます。パラッカマバーフが築いた貯水池は数多くあり、また既存の貯水池、導水路、水門も修築します。
パラークラマ・サムドラ(パラッカマの海)もそのようにして造られた貯水池の一つです。丘と丘の間に大きな石の堤防を造ってカーラ川を堰き止め、その豊富な水をアーカーサ川と呼ばれる大導水路に導きました。その貯水池の中には見事な宮殿がキラキラと輝き、まるで第二の海のようであったと、チューラヴァンサは伝えています。
実際、この貯水池は現代のダム湖にも匹敵する(あるいはそれを上回る)巨大な湖で、今なお周辺の田畑に水を供給しています。崩壊寸前の遺跡を見るより、この貯水池を見るほうがパラッカマバーフ1世の偉大さをよく知ることができると思います。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- チケットオフィスのすぐ前です。
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 遺跡地区全体の入場料はUS$25です。
- 景観:
- 4.0
- 貯水池とは考えられない広大さです。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 景色の一部なので、じっくり見物する人はまずいません。
-
投稿日 2018年06月25日
総合評価:4.0
スリー・マハー菩提樹の来歴は、歴史書「マハーワンサ」の重要な一部です。第18章「大菩提樹の受納」、第19章「大菩提樹の渡来」に生き生きと描写されています。
般涅槃の床に横になられた釈尊は5つの大きな決意をします。
①大菩提樹の南枝はアショーカ王が採ろうとすると、自ら枝から離れ、花瓶に入ること
②その枝は諸方を輝かしながら、果実と葉から6種の輝かしい光を放つこと
③その枝は黄金の花瓶とともに虚空に昇り、7日の間、雪雲の中に入って見えなくなること
④我が右鎖骨がトゥーパーラーマ(塔園)に安置されるならば、虚空に上がって一対の神変を行うこと
⑤我が清浄なる1ドーナ量の舎利がランカー島の荘厳なるヘーママーリカ塔(マハートゥーパ)に安置されるならば、その舎利は私(釈尊)の姿となって、虚空に昇って留まり、一対の神変を示すこと
デヴァーナンピヤティッサ王(BC307~267)は、ランカー島に仏教をもたらした長老マヒンダが「大菩提樹とともに長老尼を島に招聘する」と言ったことを思い出し、甥のアリッタ大臣を呼び出し、マウリヤ朝の首都「華子の都(パータリプッタ)」に遣わします。
アリッタはアショーカ王に会い、比丘尼サンガミッタ(アショーカ王の娘、マヒンダの妹)とともに、大菩提樹の南枝を遣わすよう申し出ます。
その方法を思い悩むアショーカ王に、長老モッガリブッタは釈尊が涅槃の床でなした五大決意を語り、「その地に送らねければなりませぬ」と説得します。その後の展開は予言通りとなり、アショーカ王は高貴な大菩提樹の南枝を刃物で傷つけることなく黄金の花瓶の中に得ることが出来ました。
アショーカ王は大菩提樹をガンジス川の川船に運び、11人の比丘尼とともに長老尼サンガミッタを乗せ、大使アリッタも同じ船に乗せて河口のターマリッティー海港まで運びます。そこから大菩提樹は、数々の奇跡、神変を起こしながらランカー島北部のジャンブコーラ港を経て、アヌラーダの都に運ばれ、デヴァーナンピヤティッサ王と王の装身具をつけた16人の良家の者たちの手で定植されます。王の手から大菩提樹が離れるや、大菩提樹は80肘(ラタナ、1ラタナ≒40cm)の空中に昇って止まり、美しい6色の光明を放ちます。その美しい光明は全島に広がり、上は梵天界に達し、それは日没まで続きます。この神変に歓喜した1万の人々は、精神的な啓発を受け、この場で阿羅漢の域に達し、出家したと言うことです。
この神変に驚いている大群衆の目の前で、菩提樹はたちまち東の枝を伸ばし、熟した完璧な1個の果実が生じます。王がその果実を黄金の瓶に植えると、見る間に8本の芽が出てそこに立ち、高さ4肘(1.5m)の若い菩提樹となりました。このように生じた8株の若木を王はジャンブコーラの港とティヴァッカ婆羅門の村、トゥーパラーマ、イッサラサマナーラーマ(現イスルムニヤ)、第一塔の広場、支提那山園およびカージャラ村(現カタラガマ)とチャンダナ村に植えさせました。残りの4個の果実からもそれぞれ8本の若枝が生じ、合計32本の菩提樹の若木は周囲1由旬(ヨージャナ、1ヨージャナ≒11.3~14.5km)内にあるここかしこの精舎に植えつけたと言うことです。
植樹は紀元前288年、人間の手により植樹された樹木では最古のものです。スリランカで最も重要な宗教的遺物の一つで、世界中の仏教徒から崇拝されています。
大菩提樹は高い塀に囲まれ、近づくことはできません。四方に大きく枝を伸ばした姿から遠い昔に思いを馳せることにしましょう。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- ルワンウェリセーヤの南にあります。
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- アヌラーダプラ遺跡地区全体の入場料はUS$25です。
- 景観:
- 4.0
- 歴史を知ると厳かに見えます。
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 敬虔な信者が数多く訪れます。
-
投稿日 2018年06月25日
総合評価:4.0
スリランカに仏教がもたらされた経緯は、歴史書「マーハーワンサ」に詳しく述べられています。第13章「長老マヒンダの来島」、第14章「長老マヒンダの入都」です。
アショーカ王の息子で大賢者である大長老マヒンダは、彼の親教師・長老モッガリブッタティッサと僧団の命を受け、ランカー島を教化する適時を待っていました。彼は、老齢のムタシーヴァ王に代わりその息子のデヴァーナンピヤティッサが王になった時点をその時機と考えてました。
そして大王デヴァーナンピヤティッサが即位の儀式を挙げると、ジェッタ月の布薩日に眉沙迦山(現ミヒンタレー)に登るはずだと考え、その日に合わせてランカー島に行こうと決意します。こうして長老マヒンダは4人の長老たちと妹サンガミッタの子(甥)スマナ(須摩那)と在俗のバンドゥカを連れて精舎から空中に昇り、ランカー島のミッサカ(眉沙迦)山のシーラ峰の下の台地、けがれのないアンバッタラに降り立ちました。
一方、デヴァーナンピヤティッサ王(BC247~207)は、狩を楽しもうと4万の人々を伴い、徒歩でミッサカ(眉沙迦)山に赴きます。山の神(帝釈天)は、王を長老たちに会わせようと強く望み、1頭の大鹿の姿になって王を待ち受け、王が弓の弦を引いて音を立てると山の奥に逃げ込みます。王はその後を追い、長老マヒンダの許にたどり着きます。
長老を夜叉だと直感した王は警戒しますが、長老は「大王よ、私たちは法の王(釈尊)の弟子の沙門です。王への愛懍の情けからここに参りました」と言います。王は友(アショーカ王)の書信を思い出して納得し、弓と矢を脇に置き、賢人に近づき、親しく挨拶して彼の隣に座りました。
賢者マヒンダは王の知恵を探ろうと巧みに質問すると、王は問われるままに一つ一つその質問に答えます。王が機知に富む賢者であると知ったマヒンダは王のために小象跡喩経を説きます。説法が終わったときに、王は4万の人々とともに三宝に帰依します。このようにしてランカー島の教化が始まります。
長老マヒンダとデヴァーナンピヤティッサ王が出会ったアンバッタラには小さな仏塔が建立されています。あたり一帯は仏教の聖地として近年整備が進んでいます。まだ観光客の姿は多くありませんが、敬虔な仏教徒が巡礼に訪れています。広い台地の全てが聖域とされ靴を脱がなければなりません。境内にはマハー・サーヤ大塔や大仏、マヒンダの洞窟など見所が多いのですが、区域を歩き回ると足の裏が痛くなり、観光客の多くが閉口しています。この辺りが改善されるともっと人気の出る観光地になるのではないでしょうか。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- アヌラーダプラから車で30分です。
- 景観:
- 4.0
- インビテーションロックの麓に仏塔や大仏があります。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- まだ観光客は多くありません。
-
投稿日 2018年06月25日
総合評価:4.5
ルワンウェリセーヤは言うまでもなくスリランカ仏教の中心です。その来歴は数多くのエピソードで彩られています。
ルワンウェリセーヤの建つマハーヴィハーラは、大王デヴァーナンピヤティッサ(BC247~207)の治世、インド・マウリヤ朝アショーカ王の息子でスリランカに仏教をもたらした長老マヒンダが来島日後1日目(来島当日を含めると2日目)に都城(アヌラーダプラ)を訪れ、最初の夜を過ごして気に入ったマハーメーガ林園が寄進されたものです。長老は大王に「この場所は生類の安楽のために、過去四仏(カクサンダ(拘留孫)仏、コーナーガマナ(拘那含牟尼)仏、カッサパ(迦葉)仏、ゴータマ(釈尊))が訪れた場所で、大塔を建てるのにふさわしい場所でございます」と答えました。
王はすぐさまマハーヴィハーラの結界設定作業をし、その後マヒンダは結界内に32の聖区画(マーラカ)とトゥーパーラーマ(塔園)のための結界を割り当てました。
王はまず初めに建築用レンガを用意させ、長老のために殿楼(パーサーダ)を建てさせ、その後、大菩提樹のための堂、青銅殿(ローハパーサーダ)、配食堂、食堂、多くの坊舎、沐浴池、休憩堂などを建設、マハーヴィハーラが形作られていきます。
デヴァーナンピヤティッサ王の死後、5人の王が王国を統治、うち2人はタミル人王です。その2代目のタミル人王エラーラ(公明公正な王と伝わっています)を倒して王位についたのが、デヴァーナンピヤティッサの血筋を受け継ぐドゥッタガマーニ王(BC161~137)です。
王はマリチャヴァッティ精舎や青銅殿(ローハパーサーダ)を竣工させ奉献祭を催します。さらに大塔建立の場所にある、かつて大王デヴァーナンピヤティッサが目印としておいた石柱を取り去ることを命じ、大塔(ルワンウェリセーヤ)建立に着手します。盛大な地鎮祭には国の内外から9億6千万人の比丘たちが集まったと伝えられます。
ブッダ入滅後、遺体は荼毘に付され遺骨(舎利)は8分されます。その内コーリヤ族(釈迦族の分族)に分け与えられた舎利がさまざまな因縁を経てランカー島にもたらされ、大塔の舎利室に奉安されていると伝わっています。
塔の上に傘をおく作業とレンガの上への漆喰塗り作業がまだ終わらないうちに、ドゥッタガマーニ王は危篤となり、兜率天の都に赴き(死去し)ます。大塔の建設はドゥッタガマーニ王の弟、サッダーティッサ王(BC137~119)に受継がれ、その治世に完成することになります。
このようにルワンウェリセーヤはスリランカの歴史のごく初期から、常にその中心に位置する存在です。とりわけ1165年、パラッカマバーフ1世(1153~1186)による三宗派統一以降は、上座部仏教の拠点として確固たる地位を占めることになります。今なお数多くの信者たちが連日参拝に訪れるのも得心が行きます。
アヌラーダプラはスリランカで一番行きたかったところ、そしてこのルワンウェリセーヤを見ることが一番の目的でした。私はツーリストカーで回ったので駐車場から一番近い門から入場しました。そのため、スリーマハー菩提樹から続く長い参道を通らなかったので、青銅殿(ローハパーサーダ)の遺構を見られなかったのが心残りです。
ルワンウェリセーヤ境内は靴を脱いで裸足になる必要があります。礎石は太陽で熱せられてとても熱く、私は足の裏を火傷しました。靴下を履いて参拝することをお勧めします。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- アヌラーダプラ遺跡地区の中心です。
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 遺跡地区全体の入場料は25US$です。
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- スリランカ仏教の中心。多くの参拝者が訪れます。
- 展示内容:
- 5.0
- スリランカ観光は、ここに始まりここで終わります。
-
投稿日 2018年06月24日
総合評価:4.0
スリランカ第7代デヴァーナンピヤティッサ王(BC247~207)により建立された最初のダーガバ(仏塔)です。
デヴァーナンピヤティッサ在位40年の治世は、マハーワンサ第11~20章に詳しく述べられています。インド・マウリヤ朝アショーカ王への進貢使節派遣、長老マヒンダの来島、マハーヴィハーラの受納、チェーティヤパッバタ精舎の受納、舎利(右鎖骨)の招来、大菩提樹の渡来、イスルムニヤ精舎の建立など、スリランカ初期の重要事が全てこのデヴァーナンピヤティッサ王の治世に実現しています。
「舎利の招来」は第17章です。
スリランカに仏教をもたらした長老マヒンダの提案に従い、デヴァーナンピヤティッサ王は沙弥スマナ(マヒンダの甥)をアショーカ王の許に遣わし、釈尊の右鎖骨を得ました。
到来した舎利は様々な不可思議、神変を引き起こしたので人々は釈尊に信心を起こし、王弟のマッターバヤも1000人の従者とともに出家、5つの村からは各々500人の青年たちが出家、このようにして都城の内外からやってきた全ての人々が出家したので比丘の数は3万人に達したそうです。
王はそこに美しい塔を竣工させ、さまざまな宝石などの供物で常に供養しました。この場所は、はじめにトゥーパ(塔)ができ、その後に精舎(アーラーマ)を建立したので、塔園(トゥパーラーマ)の名で知られるようになりました。
スリランカ仏教初期に重要な役割を果たした仏塔です。
ダーガバはその後何度も破壊されたので、現在見られるのは1842年に再建されたものです。ロンリー・プラネットの表紙にも使われる美しい仏塔、必見です。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- マハーヴィハーラとアバヤギリ精舎の中間にあります。
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 遺跡全体の入場料は25US$です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 多くはありません。
- 展示内容:
- 4.0
- 美しいダーガバです。
-
投稿日 2018年06月24日
総合評価:4.0
アヌラーダプラの北端にあるアバヤギリ精舎(無毘山寺)は最も重要な史跡の一つです。
その来歴はマハーワンサ第33章「十王章」に述べられています。
サッダーティッサ王の息子ヴァッタガーマニアバヤ王(BC43~17、新説BC89~77)は、彼の兄弟トゥーラタナ王(治世1ヶ月と10日)、ランジャティッサ王(9年半)、カッラータナーガ王(6年)の後に即位します。
彼が王位に就いた5ヶ月目に、ローハナ地方のティッサという名の若いバラモンが愚かにも反逆者となり、多数の配下を得ます。ちょうどその時、7名のタミル人が軍を率いランカー島に上陸します。そして、バラモンティッサと7名のタミル人は結託して、ヴァッタガーマニに王位の禅譲を求める書状を送ります。怜悧な王ヴァッタガーマニはバラモンティッサにタミル人を討って王位につくようそそのかす書状を書き送ります。しかし、ティッサは逆にタミル人たちに捕らえられ、ヴァッタガーマニもタミル人たちに敗れ、外道寺院ティッターラーマの門前付近から車に乗って敗走します。その姿を見てギリという名のジャイナ教の裸形修行者が「身体のでかい色黒のシンハラ人が逃げて行く」と大声で叫びました。この声を聞いてヴァッタガーマニは「もし、余の願いが成就したら、余はここに精舎を建立するであろう」と心に決めます。
ヴァッタガーマニの隠遁生活は14年に及びます。その間、5人のタミル人王がランカー島を統治し、通算在位年数は14年7ヶ月となりました。
しかし、ヴァッタガーマニは反攻の機会を伺い、身近に従者たちを集め、8人の有名な勇士を大臣に据えるなど準備を整え、ついにタミル人王ダーティカを殺して、王国を取り戻します。そして例のジャイナ教の寺院ティッターラーマを破壊し、そこに12の坊舎を持つ精舎を建立します。デヴァーナンピヤティッサ王のマハーヴィハーラ建立以来、217年10ヶ月と10日を経た時、敬虔な王ヴァッタガーマニはアバヤギリ精舎を建立しました。
さて、マハーヴィハーラにマハーティッサの名で知られた1人の長老がいました。彼は在家の人々とたびたび交わったため、その過ちにより僧団によって精舎から追放されました。彼の弟子のバハラマッスティッサ長老は怒って、マハーヴィハーラを出てアバヤギリ精舎に赴き、そこで別の一派を立てて住みます。こうして彼らアバヤギリ精舎の比丘たちは上座部仏教から分離します。その後、さらにアバヤギリ精舎派の僧たちからダッキナ精舎派が分離、上座部から二派の僧団が生まれました。
こうしてアバヤギリ精舎はスリランカにおける大乗仏教の総本山となります。
アバヤギリ精舎にはサマーディ仏像、クッタム・ポクナ(ツイン・ポンズ)、クイーンズ・パビリオンやラトゥナ・プラサーダなど数多くの遺構があります。2000年の歴史に思いを馳せてゆっくり見学するのが良いと思います。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- アヌラーダプラ遺跡地区の北端にあります。
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 遺跡地区全体の入場料は25US$です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 広いので混み合っていません。
- 展示内容:
- 4.0
- アバヤギリ精舎全体はアヌラーダプラで必見です。
-
投稿日 2018年06月24日
総合評価:4.0
アヌラーダプラ3大仏塔の一つで一番最後に創建されました。チケットオフィスのすぐ裏にあります。
スリランカの古事記とも言われるマハーワンサ最終章に登場するマハーセーナ王(334~361、新説276~303、諸説あり)が建立しました。
高さ122メートルで世界一高い仏塔、古代建造物としても世界一高いものの一つです。
兄王ジェッタティッサ1世(323~333)の死後、王位を継承したマハーセーナは、大乗仏教の長老サンガミッタ(マハーワンサでは「邪智の長老」)の進言に従い、マハーヴィハーラを拠点とする上座部仏教を粛清し、ローハーパーサーダ(青銅殿)を破壊してアバヤギリ精舎の建築資材とするなど悪事を重ねました。
また、マハーセーナは邪悪の友であり、偽善者であり、陰謀者であり、不法でもある長老ティッサを気に入り、その進言に従いマハーヴィハーラの結界内にあるジョーティ(光明)と呼ばれる庭に、ジェータワナ・ヴィハーラ(精舎)を創設しました。その時建立されたのがこのジェータワナ・ラーマヤです。ジェータワナ・ヴィハーラは、約5.6ヘクタールの広さを持ち、結界内には10,000人の比丘たちが暮らしたとされています。
王の虐待により食糧不足に陥ったマハーヴィハーラ在住の比丘たちは、マラヤ地方やローハナ地方へと赴きます。こうしてマハーヴィハーラは9年間、打ち棄てられ荒廃します。
このような状況で、王務に関する全ての雑務を行い、王の支持者であったメーガヴァンナーバヤと呼ばれる大臣は、王がマハーヴィハーラを破壊することに激怒し、反旗を翻します。そこで王は忠勤の大臣に陳謝し、和解したのでマハーヴィハーラ派の比丘たちは再びマハーヴィハーラに戻り、移り住みました。悪徳の長老サンガミッタは殺害されます。
その後、ジェータワナ・ヴィハーラはスリランカにおける密教(Sagalika sect)の拠点となり、1165年、パラッカマバーフ1世(1153~1186)による三宗派統一まで確固たる地位を保持することになります。
ジェータワナ・ラーマヤは1909年まで低木のジャングルで覆われ放置されていましたが、占有権をめぐる係争が起き、その後は保護活動の対象となり現在に至っています。
巨大な仏塔を回りながら、複雑な歴史に思いを馳せるのも楽しみの一つです。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- アヌラーダプラのチケットオフィスのすぐ裏にあります。
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 遺跡地区全体の入場料はUS$25です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 季節にもよりますが、広いので混み合うことはないと思います。
- 展示内容:
- 4.0
- 巨大な仏塔は一見の価値があります。
-
投稿日 2018年06月22日
総合評価:4.5
スリランカ旅行2日目、ダンブッラを訪れた後、時間があったので登りました。シギリヤにホテルを取りましたので、そこから30分です。
中腹の涅槃像あたりまではハイキング感覚で気軽に登れます。そこから先は短いですが岩場の連続、頂上直下はボルダリング状態、ロッククライミングが楽しめます。と言っても断崖絶壁ではなく、高度感はないので安心です。
体が硬くなって若い頃のような柔軟性がないので、目指すホールドまで足が届きません。肘や膝など全身を使ってよじ登ります。腕に擦り傷1カ所、切り傷1カ所を負いました。欧米の若者にはビーサンで登るツワモノもいましたが、スニーカーを履いたほうが無難です。
この難所を通り抜ければシギリヤ・ロックは目の前、頂上からは360度の展望が広がります。頂上はだだっ広い一枚岩のなだらかな斜面、思う存分眺めを楽しめます。平原を吹き抜ける風が気持ち良いです。
個人的にはシギリヤロックより楽しめました。もちろんシギリヤロック側からもよく見えますが、見る山ではなく登る山だと思います。逆に、シギリヤロックは登るより、ピドゥランガラ側から眺めたほうが昔の栄華を思い浮かべて感慨深いかもしれません。
ゆっくり滞在してアクティビティを楽しむ、欧米バックパッカー型の楽しみ方です。お勧めです。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- シギリヤ・ロックの隣です。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 500ルピー(360円)
- 景観:
- 5.0
- 360度の展望。シギリヤ・ロックもよく見えます。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- ほとんどが若い欧米観光客。ゆっくり滞在型、アクティビティを好む旅のスタイルに向いています。
-
投稿日 2018年06月21日
総合評価:3.0
昭和天皇も泊まられたコロンボの名門ホテルです。コロニアル建築の建物は風格があり、インテリアも歴史を感じさせます。インド洋の荒波が打ち寄せる海岸沿いにあり、南西モンスーン期には湿気を含んだ潮風が吹き付けます。プールは塩水だということです。
高級ホテルや銀行、大統領官邸、アメリカンセンターなどが並ぶ道路沿いにあり、立地は悪くありません。
しかし、客室は広さが十分とは言えず、デザインも素っ気なく、いかにも古めかしい。設備も旧式です。長く勤務する従業員が多いのでしょうか、ホスピタリティは今ひとつでスレている感じです。ハード、ソフトともに不満足です。
周辺に中国資本の新しいホテルが続々と建設中なので、将来的に勝ち残れるのか他人事ながら心配です。
夕食、朝食とも隣のシナモン・グランド・コロンボのレストランに行きました。こちらの方がおしゃれで宿泊客も多くいました。直近価格は下がっていたのでシナモン・グランドにすべきでした。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 20,000円 未満
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- サービス:
- 3.0
- バスルーム:
- 2.5
- ロケーション:
- 4.0
- 客室:
- 2.5
-
ジェフリー・バワの最高傑作、ハードもソフトも充実したホテルでお勧めです。
投稿日 2018年06月19日
ジェットウィング ライトハウス ア ラグジュアリー リザーブ ゴール
総合評価:4.5
あまり期待していなかったけど、泊まって正解でした。ジェフリー・バワ後期の建築です。
海沿いで荒波と強風が吹きつける厳しい環境にありながら、ホテル内部はそれを感じさせない静けさ。バワの真髄をそこここに見ることができます。
こういう自然環境だとメンテも大変だと思いますが、しっかりと管理されています。訪問時は南西モンスーン期で風と湿度がひどい状況でしたが、快適に過ごすことができました。
朝食メニューもとても充実しています。
インド洋の荒波を眺めながら、何もしないでボーッと過ごすのも悪くないと思います。
予約時は、Booking.comやHotels.comの取り扱いがなく、AMOMAというよく知らないサイトだけ、それも全額前払い、キャンセル不可という条件で心配でしたが、問題ありませんでした。
ゴールに行かれるならお勧めです。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 20,000円 未満
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 5.0
- バスルーム:
- 4.0
- ロケーション:
- 4.0
- 客室:
- 4.0
-
近代的で設備も整っていますが、リゾートらしいホスピタリティはありません。
投稿日 2018年06月18日
総合評価:3.0
キャンディで1泊しました。タイ資本で設備が新しく、清潔だと聞いて選びました。
キャンディ湖を望む丘の中腹にあります。評判通りホテルはモダンで明るく清潔です。欧米観光客が多く宿泊しています。
客室も機能的にできています。バスタブ、スリッパ、バスローブはありません。のんびりホテルステイを楽しむというより、観光の拠点として使う感じです。
接客も実務的でリゾートホテルというより、シティホテルの雰囲気です。割り切れば特に不満はありませんが、今回、スリランカで泊まったホテルの中では、やや楽しさに欠けるホテルでした。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 12,500円 未満
- コストパフォーマンス:
- 2.5
- サービス:
- 2.5
- バスルーム:
- 2.5
- ロケーション:
- 3.5
- 客室:
- 3.0
-
投稿日 2018年06月13日
アリヤ リゾート & スパ - テーマ コレクション シギリヤ
総合評価:4.5
シギリヤで3泊、ここを起点に文化三角地帯を巡りました。
アヌラーダプラ、ミヒンタレー、ポロンナルワ、ダンブッラ、ピドゥランガラ、シギリヤロック、ハバラナなどどこに行くにも便利な立地です。
広い敷地内にコテージ風の客室が展開、独立性が高く、静かで快適です。フロント、レストラン、ラウンジなどはオープンエアのメイン棟にあり、シギリヤロック、ピドゥランガラの展望が見事です。
プールやアーユルヴェーダ棟もあり、長期間滞在してのんびり過ごすにも最適。プールの対応も申し分ありませんでした。
そこそこ大きなホテルですが、団体客は見かけず、落ち着いた雰囲気を維持しています。
客室も新しくて清潔、広さも十分すぎるくらいあり寛げます。空調は適温、静かで快適でした。
バスタブとシャワールーム、トイレはそれぞれ独立して使いやすく、湯温・湯量も問題ありません。ただバスタブの排水に問題があり、少し床に溢れました(実害はありません)。
リビングとバスルームの段差が気になります。
従業員は多すぎるくらいですが、訓練が行き届いていない人も見受けられます。一方でレストランでの食事は初日に部屋番号を尋ねられた以降は全くフリー、しっかり顔を覚えてくれているようでした。
リゾートホテルとしてレベルは高いと思います。シギリヤならここで決まりと言って間違いありません。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 10,000円 未満
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 3.5
- バスルーム:
- 3.5
- ロケーション:
- 5.0
- 客室:
- 4.0
-
投稿日 2018年06月12日
総合評価:3.5
スリランカの建築家ジェフリー・バワが基礎設計を担当し、その後愛弟子の改修によって完成したホテルです。バワの思想の一端を感じることができます。
直線を多用し、アースカラーで統一された内装は清々しささえ感じます。
空港から30分足らずで到着するビーチリゾート、接客や食事など5つ星ホテルにふさわしいホスピタリティです。プールやビーチチェア、プールサイドバーなども完備されていて、ハワイより立地的に優れている面もあります。
ただ、南西モンスーンが吹き付ける6月は異常に湿度が高く、快適とは言えません。カメラのレンズがすぐ曇ってしまうくらいです。ホテルのメンテナンスも大変だと思われます。
ベッドシーツや枕は気のせいかジトッと湿り気を感じ、また旧式のエアコンの音がうるさく、熟睡することができませんでした。
乾季(12~3月)なら長期間滞在して、ビーチリゾートを楽しめる場所ではないかと思います。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 12,500円 未満
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- サービス:
- 4.0
- バスルーム:
- 3.5
- ロケーション:
- 4.0
- 客室:
- 3.5
-
投稿日 2018年03月16日
総合評価:5.0
言わずと知れた由緒ある祇園の「お茶屋」、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にも登場する歴史的なお茶屋さんです。
一見さんお断り。京都・関西財界重鎮の接待所としてもっぱら利用されています。縁あってとある会合で二度ほどお邪魔しました。
舞妓さんの入り待ち出待ちでカメラを構える多くの観光客を尻目に暖簾をくぐる優越感は、はしたないとわかりつつも抑えることができません。
室内は豪奢ではありませんが、隅々にまで手入れが行き届き、気品を感じます。食事は他のお茶屋さんと同様に仕出し料理ですが、京料理の素晴らしさを心ゆくまで堪能できる美味しさです。
舞妓さんや芸妓さんとの会話を楽しみつつ食事を終えた後は、メインイベントの京舞の鑑賞です。「都をどり」で見られるような舞妓さん・芸妓さんによる華やかな舞を間近で、本来の姿で味わうことができます。いくつかの舞が披露されますが、踊りの名手と謳われる芸妓さんの舞は素人目にもはっきりわかる優雅なものです。
滅多に体験できない非日常の世界、未来永劫残して欲しい日本文化の精華です。- 旅行時期
- 2008年11月
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- アクセス:
- 5.0
- 四条通りの角にあります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 一見さんお断り
- 見ごたえ:
- 5.0
- 他所では味わえない非日常体験です。
-
投稿日 2018年04月05日
総合評価:4.0
名古屋は私の第二の故郷です。私が大学生の頃、両親は仕事の関係で名古屋に転居、その後数十年過ごしました。私自身も社会人になって最初の勤務地は名古屋です。
近年、名古屋はB級グルメの街として脚光を浴びていますが、私が住んだ40年前は味噌カツや手羽先はそれほど一般的ではなかったような‥。ひつまぶしは行ったことはありますが、現在の人気店は名前を聞いたこともありません。当時、名古屋といえばきしめん、大須ういろう、そして味噌煮込みうどんでした。また、「パチンコの街」と言われた名古屋の交差点の四つ角には必ず焼肉店があったように記憶しています。
私にとって名古屋と言えばこの山本屋総本家とコンパルです。転勤後、名古屋を訪れる機会は多くありませんが、名古屋に行ったら必ず訪れるのがこれらの店です。コンパルのサンドイッチとコーヒーは朝食ですので宿泊しない限り行く機会はありませんが、山本屋は名駅近くにあるので名古屋乗り換えの折でも時間があれば必ず立ち寄ります。
注文はいつも決まって親子煮込みうどん。生煮えかと思うような芯の残った麺と八丁味噌ベースのスープが堪りません。名古屋コーチンと卵のマッチングも絶妙です。熱々で供されるので鍋の蓋に取り分けて食します。このため蓋には蒸気穴がありません。太い竹筒の薬味入れ(一味と七味)も個性的です。日本のどこを探しても見つからないオンリーワンのうどんです。
この独特なうどんに根強いファンは多く、また有名店ではありますが、最近は他のB級グルメやひつまぶしに押され(たまたまかもしれませんが)来店客が少ないのが気がかりです。いつまでも頑張ってもらいたいと思います。- 旅行時期
- 2017年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- 名駅至近の名鉄百貨店にあります。
- コストパフォーマンス:
- 2.0
- うどんにしてはやや高い。
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 4.0
- 八丁味噌が病みつきになります。
- バリアフリー:
- 4.0
- そばアレルギーへの配慮十分。
- 観光客向け度:
- 4.0
- これぞ名古屋の味。
-
投稿日 2018年02月28日
総合評価:3.5
宿泊したグランド・ホテル・エト・デ・ミランの隣なので朝食に立ち寄りました。
ホテル、ブティック、ブックショップなどもあるアルマーニ・マンションの一角です。一瞬入るのをためらうくらいファッショナブルな佇まい、インテリアもアルマーニらしくお洒落ですが、入ってみると普通のカフェです。地下鉄3号線モンテナポレオーネ駅出口にあるので、通勤客がひっきりなしに訪れます。
カウンターにはクロワッサンなど様々なパンやケーキが並びます。常連客は立食やカフェだけであっという間に立ち去ります。
私たちはせっかくなので着席でクロワッサンとカプチーノをいただきました。黒人のウェイターが気持ち良い笑顔で接客してくれます。チョコとクッキーはサービスです。それでいて値段は全部で12ユーロ(1,700円)、普通のカフェとさほど変わりません。
街歩きに疲れたら気軽に立ち寄って、アルマーニらしいお洒落な空間で一休みするのはお勧めです。ただ残念なことに、トイレの設備は立派ですが汚れていました。イタリアらしいといえばそれまでですが、誰も気にならないのでしょうか?- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- 朝食
- アクセス:
- 5.0
- モンテナポレオーネ駅の真上
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 普通のカフェ並
- サービス:
- 4.0
- 着席すると丁寧にサービスしてくれます。
- 雰囲気:
- 3.5
- 駅出口なので通勤客がひっきりなしに訪れますが、お洒落な雰囲気は変わりません。
- 料理・味:
- 3.5
- 普通に美味しい












































































































































































