ゴールからコロンボに向かう途中、高速道路のコッタワ出口からコロンボ方面に行く道沿いにあります。
国会議事堂は美しい人造湖...
続きを読むの中の島に建っていますが、周りには何もありません。1985年にコロンボから遷都しましたが、国会議事堂などが移転しただけで、多くの政府機関はコロンボに残ったままです。
しかし、スリージャヤワルダナプラ・コーッテ自体は古くからシンハラ王朝の都が置かれた場所です。
ヴィッカマバーフ3世(あるいは4世)の時代(1357~1374)にニッサンカ・アラガッコナーラと呼ばれる威厳と判断力の具わった有能な大臣がいました(後のヴィジャヤバーフ6世(1397~1411)だと言われていますが、チューラヴァンサに記述がありません)。彼はカリャーニーの町の南方、広々としたダール村からほど近い大きな湖のほとりに囲い壁を連ね、楼門と稜堡などで荘厳したジャヤヴァッダナプラ(勝利をもたらす都)コーッテと呼ばれる都を建設します。善業を願いとするアラガッコナーラはこの都城に住み、仏法の発展、その他多くの善根を行います。
プヴァネーカバーフ5世(1372~1391/1408、ヴィッカマバーフ3世の在位と2年間重複)は、1372年に王都を高地のガンポラからコーッテに遷都します。
その後、名君パラッカマバーフ6世やジャヤバーフ2世以降の歴代の王もコーッテを都とし、プヴァネーカバーフ7世(1521~1550)の治世までコーッテ王国は続きます。しかし、その先代のヴィジャヤバーフ7世(1509~1521)の治世、1517年にポルトガルは侵略を意図して700~1000人の兵力をコロンボに送り、要塞を建設、植民地支配が始まっています。
一方、パラッカマバーフ6世の晩年にウダラタ(高地)で反乱が起こり、この反乱を鎮圧した王はウダタラの統治をガンポラに残った王族に委ねます。その王族の一人セナーサムマタ・ウィクラマバーフ(1469~1511)は1474年、ウダラタの自治を宣言し、同時に都をガンポラからキャンディに移します(プレ・キャンディ王国の成立)。
シリヴァッダナ(現キャンディ)に住まいしていたヴィーラヴィッカマ王(1542~?)の即位とともにコーッテ王国は姿を消すことになります。
スリランカは1948年に独立、首都をコロンボにおいていましたが、1977年、コロンボから首都機能をコーッテへ移転する計画が示され、1983年に国会議事堂が完成、1985年に遷都しました。当時のジャヤワルダナ大統領(1978~1989)が、かつての都の名称と自分の名前が同じだったため、旧名を復活させ、街の正式名称が「スリー・ジャヤワルダナプラ・コーッテ」(聖なる・勝利をもたらす都市・コッテ)とされました。
国会議事堂は直線を多用した威厳のある美しい建物です。日本の建設会社が建てたのでどこか日本的な感じもします。人造湖(ディヤワナ湖)の周りは「日本・スリランカ友好道路」が設置され、美しく整備されて市民のジョギング道路になっています。また、湖の北岸には国立ラナヴィル記念塔のある公園があります。この記念公園の広い駐車場のトイレは清潔です。コロンボ見物の前に立ち寄っておくと良いでしょう。
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投稿日:2018/06/26