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jijidarumaさんのクチコミ(16ページ)全587件

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  • ツェレ:美しい木組建築のホテル ボルシャースは観光に便利な場所にある。

    投稿日 2020年05月10日

    ホテル ボルシャース ツェレ

    総合評価:4.0

    2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月25日(水) 124km、 雨上がり曇りのち晴れ、13℃~18℃

    ツェレはニーダーザクセン州に属する中都市、人口は約7万人。ヴェーザー川の支流Allerアラー川(全長263km)が町を流れる。
    「北ドイツの真珠」と呼ばれ、ルネサンスとバロック様式のツェレ宮殿と、絵のように美しい旧市街に400もの木組みの家並みが残り、その景観は素晴らしい。

    *9月25日(水)~9月27日(金)Celleツェレ(2泊3日)
    Hotel Borchersホテル ボルシャース:
    D-29221 Celle  、Schuhstrasse 52
    Tel:+49 (0) 5141 91192-0 、Fax: - 44
    http://www.hotelborchers.com/

    3星(朝食のみ)・全19室。2階の15号室DZ・Euro190(166+朝食込み2x2x6)+駐車料12x2合計214。町の旅行案内所で購入した絵葉書6枚を日本あてに郵送してもらう郵便費Euro5.7込みでEuro219.7=26,580円を支払った。
    Booking.Comで2泊予約した木組建築のホテルですが、特徴のあるものではなく、モダンな部屋で窓を開けると2階に作った中庭が見え、朝食用レストランに最も近い部屋でした。チェックイン15時、チェックアウト11時。

    Hotel Borchersホテル ボルシャースはドイツでも有数の最も美しい中世の町、ツェレの歴史のある中心部にある居心地の良い、美しい木組建築のホテルである。
    ツェレ独特の木組建築が軒を連ね、カラフルな歩行者地区に囲まれ、中心地から150m、駐車場はホテル裏手の地下駐車場(リフト利用、1日Euro12:予約依頼済み)がある。

    徒歩わずか15分先のFuerstenhofフュルステンホフのウェルネスセンターを無料利用できる。又、ホテル フュルステンホフ内のイタリア料理Taverna & Trattoria Palioタベルナ・トラットリア・パリオは北部一のイタリア料理の評判があり、お勧めである。
    ハノーファー通りに面し、17世紀のバロック様式の宮廷であったAlthoff Hotel Fuerstenhofアルトホフ ホテル フュルステンホフ(Hannoversche Strasse 55/56)は5星ホテルで、特にグルメレストランEndtenfangエンテンファンはミシュランの1星付きで知られている。エンテンファンには2005年4月25~27日に2泊して、エンテンファンの名物「鴨料理」を楽しんだことがある。

    Booking.Comへの評価:7.1 、良い
    旧市街の便利な場所にあり、ツェレらしい木組み建築のホテルは好ましい。
    1) 旧市街を徒歩で歩ける便利な場所にある木組み建築のホテルなのが良かった。 2階の朝食用レストランの前に小さな中庭があって、良い感じだった。

    2) 敷地内に有料専用駐車場があるということだったが、確かにあったものの、裏手から入る地下駐車場(Tiefgarageである旨はホテルよりメールで伝達あったが、てっきり簡単に正面から入れるものと思ってしまい、分かりにくく、具体性が無いものだ)と言うべきが、正しいと思う。 それも車ごとリフトで乗降するタイプで初めて使用するには抵抗があった。
    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    3.5
    バスルーム:
    3.5
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    4.0

  • ハノーファー訪問の目的の一つはこのヴィルヘルム様式の宮殿(新市庁舎)

    投稿日 2020年05月09日

    市庁舎 (ハノーファー) ハノーバー

    総合評価:4.0

    2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月25日(水) 124km、 雨上がり曇りのち晴れ、13℃~18℃
    今回はツェレに向かう途中にあるハノーファーを再訪することにした。

    <Neues Rathaus新市庁舎>

    旧市街のLeine Schlossライネ宮殿(城)から徒歩で10分の距離。
    2013年に100周年を迎えた、20世紀の宮殿である。皇帝ヴィルヘルム2世の為に、ヴィルヘルム様式の宮殿のような壮大な建物が建てらた。美しい佇まいの市庁舎は広大なMaschpark マッシュ公園(10ha)と旧市街の間に1901~1913年の間に建てられたものだ。
    巨大なHaupthalleエントランスホールは30mの高さ、横の長さ30m、奥行き幅21mもあり、1689年、1939年、1945年戦争(米軍の空爆)で破壊された後と今日の4つの姿のハノーファーを模型で見ることができる。
    中央の丸屋根は高さ100m(エレベーターで上る。高い所から下の風景を見るのを好む方には最適)、庁舎の横の長さ129m、奥行き幅67mだとか、確かに巨大だが、中身は薄い。
    見学時間:8~18時 (土日は10時から)

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    2.5

  • ハノーファー:煉瓦造りのゴシック様式のマルクト教会と、傍にルターの大きな銅像が立つ。

    投稿日 2020年05月08日

    マルクト教会 (ハノーファー) ハノーバー

    総合評価:4.0

    2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    それで今回はツェレに向かう途中にあるハノーファーを再訪することにした。
    旧市庁舎から次に、並びにあるマルクト教会を見る。

    <Marktkircheマルクト教会>

    14世紀に建てられた煉瓦造りのゴシック様式の教会は塔の高さは97m、長さ61m、幅26mの大きなもので、遠くからも目印になる。
    内部で目立つ、美しいHochaltar大聖壇は翼が開くと、菩提樹で彫られたイエスのPassion受難(生涯)の21場面が見られる。

    <Lutherdenkmalルターの記念像>

    また、教会南側にLutherdenkmalルターの記念像が立つのに気が付いた。多くの町で見るルターの像はいずれも大きいが、ここのルター像も3mほどの大きさだ。

    1900年当時の古い写真には3つの像が残っている。
    宗教改革者ルター像は3m以上の高さのSockel台座の真ん中に立ち、彼の両側に低い姿勢で、*エリザベート宗教改革公爵夫人が左に、右には*エルンスト1世・告白公が椅子に座っているものだ。いずれもルターの宗教改革に大いに尽くした者だ。

    今の像はどういう経緯か、ルターだけの像になってしまっている。
    調べてみると、第二次大戦中(1939年~1945年)の1941年、3つの銅像は兵器製造の目的で溶かされる予定だったと云う。それを何とかルター像だけはハンブルクに移送し、戦後ハノーファーに戻したそうだ。
    マー、どうせなら3つの銅像を再建しても良かったように思えるが。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ハノーファー:旧市街の入口にもなる黒ずんだレンガ色した旧市庁舎

    投稿日 2020年05月07日

    オールドタウンホール ハノーバー

    総合評価:4.0

    2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    ハノーファーはドイツ駐在時も、定年後の旅でもじっくりと観光に訪れた事が無い。
    近年、訪れたのは2014年5月、「北方二州を巡る旅」でハノーファーを訪れたが、これもGrosser Garten Herrenhausenヘレンハウゼン王宮庭園を主に訪れただけだった。
    それで今回はツェレに向かう途中にあるハノーファーを再訪することにした。
    ハノーファーで最初に訪れたのは、駐車場近くの旧市庁舎です。

    <Altes Rathaus旧市庁舎>
    旧市街の入口にもなる黒ずんだレンガ色した旧市庁舎はマルクト広場1にある。
    1943年空爆で庁舎の一部は罹災し、戦後再建された。最も古い分は1410年、1455年に完成したもので、4階建ての庁舎の上の飾り、切妻作りは他の町でよく見るが、さすがに王家の首都であっただけに大きく、貫禄のある佇まいをしている。

    裏手のケーベリンガー通りに面したファサードは1453~55年に建てられたもので、1490年建築の裁判所が付属した形になった建物で、1964年に再建されている。
    Marktbrunnenマルクトの泉(1881年)が裏手にある。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • アルスフェルト:二つの小さな塔が屋根にアクセントを付けた「木組みの市庁舎(1512年)」が有名だ。

    投稿日 2020年04月30日

    市庁舎 (アルスフェルト) アルスフェルト

    総合評価:4.0

    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツ周遊です。
    目的地: 1989年の来日以来、16年ぶりに旧交を温めるべく、ブレーメンのSさん御夫妻を訪問し、ドイツの誇る世界遺産の町々(ブレーメン、リューベック、ヴィスマール、ヒルデスハイム、更にクウェートリンブルグ、ゴスラー)や、ハンザ諸都市・エリカ街道(塩の道)・ハルツ山地(魔女伝説)・メルヘン街道を巡る、盛りだくさんの旅。 

    <使用レンタカー>
    Renaut Espace R157-ディーゼル2200cc Automatic、


    5/03 (火)晴れ 14℃ 191km
    Schwalmstadtシュヴァルムシュタットは“赤頭巾ちゃんの故郷”から、B254を25km走ると、Alsfeldアルスフェルトに25分で着く。この町も木組みの家並みで有名である。人口1万7千人はシュヴァルムシュタットと似たようなものだが、旧市街の中心は五月柱も立つMarktplatzマルクト広場にあって、はっきりした町だ。

    二つの小さな塔が屋根にアクセントを付けた「木組みの市庁舎(1512年)」は石作りの1階が独特でアーケードのように空間になっていて、昔は此処で商品が取引されたという。 
    Weinhausワインの家は1538年フランクフルト出身のハンスがワインを商っていた家、Hochzeithausホッホツァイトトハウスはルネサンス様式の結婚式の家(1571年:珍しい石作り)、Walpurgiskircheヴァルプルギス教会、Stumpfhausシュタンプフハウス(1609年築---昔、市長の家であった)など、マルクト広場を囲んだ家々の雰囲気はまさに中世だ。
    木組みの家並みは何度見ても其々が個性的で、飽きることがない。

    ・・・・・

    旅行時期
    2005年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ゲッティンゲン:町のシンボルは「ガチョウ番の娘リーゼルの像」

    投稿日 2020年05月01日

    がちょう姫リーゼル ゲッティンゲン

    総合評価:4.0

    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツ周遊です。
    目的地:1989年の来日以来、16年ぶりに旧交を温めるべく、ブレーメンのSさん御夫妻を訪問し、ドイツの誇る世界遺産の町々(ブレーメン、リューベック、ヴィスマール、ヒルデスハイム、更にクウェートリンブルグ、ゴスラー)や、ハンザ諸都市・エリカ街道(塩の道)・ハルツ山地(魔女伝説)・メルヘン街道を巡る、盛りだくさんの旅。 

    <使用レンタカー>
    Renaut Espace R157-ディーゼル2200cc Automatic、

    <メルヘン街道>②
    5/02 (月)快晴 26℃ 157km
    春の訪れと共に、朝から気温が26℃と上がり、暑いくらいだ。ハルツ山地から抜け出て、今日からはメルヘン街道の後半を走る。12日目、実質2日半の旅を残すのみだ。
    ニーダーザクセン州の『風光明媚観光都市9選』には、今まで旅行してきたゴスラー、ブラウンシュヴァイク、ハーメルン、ヒルデスハイム、リューネブルグ、ツェレ、の6都市と、今回の旅の対象ではない2都市ハノーファー、ヴォルフェンビュッテルと、今日これから行くゲッティンゲンが選ばれている。

    Goettigenゲッティンゲンはメルヘン街道のほぼ中央に位置する、古くからのこの町はグリム兄弟が教鞭をとり、この100年の間に40人以上のノーベル賞受賞者が此処で生まれたという、ドイツ屈指の大学町である。Leineライネ川---ハノーファーを経由し、ブレーメンの近くでヴェーザー川に注ぐ---の川畔に出来たレンガ色に彩られた旧市街には、中心にマルクト広場があり、そこにはレンガ色のAltes Rathaus旧市庁舎(13~15世紀)が立ち、内部の大広間にはハンザ同盟都市の紋章の壁画があり、当時の町の繁栄を物語っている。

    町のシンボル“Gaenselieselガチョウ番の娘リーゼルの像”(ドイツ人彫刻家Friedrich Paul Nisseフリードリヒ・パウル・ニッセ(1869~1949年)の1901年制作)が、ガチョウの像と共に、今日も花に囲まれて噴水台に立っている。博士試験に合格した学生が、彼女にキスをして祝うのが、この大学町らしい伝統だそうですが、インフォーメーションで頂いたパンフレットの表紙にも黒い帽子、マントの学生が花束を捧げ、リーゼルにキスをしている写真が載っている。

    緑豊かな、落ち着いた良い町です。ゴシック様式の傑作、聖ヤコブ教会、素晴らしい彩りの木組みの家Junkernschaenkeユンカーシェンケ、近くのWilhelmsplatzヴィルヘルム広場のAulaアウラ大学講堂---最上階に学生牢がある---などを見て周り、リーゼルの像まで戻る。Cafeでコーヒータイムをとる。リーゼルの像の横なので、観光客や学生が噴水際に、のんびりと腰掛けているのが見える。

    ・・・・・

    旅行時期
    2005年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • アルスフェルト:この町には“ガチョウ番の娘リーゼル”がいて、「赤頭巾ちゃん」はいない。

    投稿日 2020年04月30日

    観光案内所 (アルスフェルト) アルスフェルト

    総合評価:3.0

    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツ周遊です。
    目的地:1989年の来日以来、16年ぶりに旧交を温めるべく、ブレーメンのSさん御夫妻を訪問し、ドイツの誇る世界遺産の町々(ブレーメン、リューベック、ヴィスマール、ヒルデスハイム、更にクウェートリンブルグ、ゴスラー)や、ハンザ諸都市・エリカ街道(塩の道)・ハルツ山地(魔女伝説)・メルヘン街道を巡る、盛りだくさんの旅。 

    <使用レンタカー>
    Renaut Espace R157-ディーゼル2200cc Automatic、

    5/03 (火)晴れ 14℃ 191km

    アルスフェルトの町にもヴァルプルギス教会の裏手に「Schwaelmer Brunnenシュヴァルムの泉」がある。日本の観光書では赤頭巾ちゃんの噴水としていたが、現地のパンフレットでは、なんと“ガチョウ番の娘リーゼルの噴水”となっていた。

    この地方独特の民族衣装で装った女の子の像は「赤頭巾ちゃん」ではなく、ガチョウを世話する少女だ。
    「Schwaelmer-BrunnenーGaenselieselシュヴァルムの泉・ガチョウ番の娘リーゼル」の名が付いている。1958年に建てられたようで、この地方独特の白い(黒い)スカートにエプロンをつけ、頭にケプフェレと呼ばれる赤い円筒状の髪飾りが付いた格好(いわゆる赤頭巾)をしている。

    ちなみに追記すると、≪Rotkaeppchenland赤頭巾ちゃんの故郷≫とは、
    Breitenbach a.H.、Frielendorf、 Gilserberg、 Homberg(Efze)、Kirchheim/Hessen、Knuellwald、Neuenstein、Neukirchen、 Neustadt(Hessen)、 Niederaula、 Oberaula、 Ottrau、 Schrecksbach、 Schwalmstadt シュヴァルムシュタット、Schwarzenborn und Willingshausenといった町々を指すようで、
    Alsfeldアルスフェルトは入っていない。

    ドイツのAral観光書によると、『アルスフェルトはFachwerkstadt木組み建築の町と称し、印象深い木組みの家に囲まれた旧市街が昔のままに残る。』
    また、『Tor zum Rotkaeppchenland赤頭巾ちゃんの故郷への玄関口』とも表現している。
    しかも、『赤頭巾ちゃんの故郷・シュヴァルム地方ではチャーミングな赤頭巾ちゃんに現在も出会う幸運に恵まれるでしょう。』と書かれていて、この町の赤頭巾ちゃんについては何も記載がない。

    アルスフェルトにMaerchenhausメルヘンハウス(メルヘン博物館)もあって、“赤頭巾ちゃんと狼”の物語などの展示があるから、観光面で便乗した形?!をとっているのだろう。

    ・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2005年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ジクマリンゲン城はドナウ川を見下ろす高台に重々しく、聳え立つ

    投稿日 2015年06月16日

    ジークマリンゲン城 その他の都市

    総合評価:5.0

    <シュヴァーベン地方の城巡り>

    レンタカーで周遊した名城は以下の三つ(口コミ済み)。
    Schloss Sigmaringenジクマリンゲン城、
    Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城、
    Burg Hohenzollernホーエンツォレルン城(プロイセン王家)。

    シュヴァーベン地方の素晴らしい名城群巡りでSchloss Sigmaringenジクマリンゲン城、Burg Hohenzollernホーエンツォレルン城(プロイセン王家)と共に、Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城を訪れた。

    “ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”         
    :黒い森・バーデンワイン街道・高及び上ライン川とボーデン湖・
    シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:

    2007年4月28日(土) 快晴  27℃  、 182km

    Salemザレムを出発し、山道の連続になる一日となる。今日はシュヴァーベン地方の城巡りである。

    ≪Schloss Sigmaringenジクマリンゲン城≫

    ジクマリンゲン城はドナウ川を見下ろす高台に重々しく、聳え立つといった表現がぴったりである。この城もホーエンツォレルン家・侯爵の居城だ。
    城の歴史は1077年に遡り、後にプロイセン王家・ドイツ皇帝にもなったホーエンツォレルン家が1535年から所有した。その後、城は1633年の宗教戦争・三十年戦争で新教徒側に立つスウェーデン軍により破壊されるが、1903年には修復、再建された。

    城の歴史には何も書かれていないのはナチスドイツの後遺症があるからなのでしょうか?第二次大戦では、フランスの親独政権を率いたペタン将軍以下のヴィシー政権が、1944年ナチスのフランスからの退却と共に、ここSigmaringen城に亡命政権を樹立したとされている。

    現在もこの城はホーエンツォレルン侯爵家の私有である。
    ジクマリンゲン城の城門までは徒歩数分である。門をくぐり、城内の通路をあがると切符売り場がある。10:30からガイドつきの案内があると言う。
    ここもガイド無しでは入れないし、カメラも不可になっていた。(キオスクで是非写真集などをお買物してく下さいということなのでしょう。!)

    町側からは今は掘割も無く簡単に来ることができるが、ドナウ川に面した側は切り立った崖になっている。以前来た時に、ドナウ川の向かい側にある公園から城を眺めた事があった。その記憶は鮮明で城は見事な立ち姿でした。ホーエンツォレルン家がこの城を現在も所有しているのも分かる気がする。

    ガイドさんの案内:
    10人ほどのドイツ人観光客と一緒に、若い女性のガイドでスタートする。案内の順番は記憶が鮮明でないが、最も素晴らしかったのは”先祖の間”にある、歴代の伯爵、侯爵の等身大の肖像画です。隅々まで豪華に装飾されたバロック様式の長方形の部屋にはずらっと両側に絵が掛けられていて壮観である。

    レジデンス・豪華の間には由緒ある家具、フランドル製ゴブラン織りのタペストリー、マイセンのシャンデリア、絵画、時計、陶磁器が置かれ、当時の侯爵家の生活を見ることもできる。

    馬屋には狩り、旅行用、パレード用に盛装した馬車が、橇、椅子籠、当時の旅行道具などと一緒にみられる。
    武器庫には攻撃・防御の其々の武器が陳列されている。ここはヨーロッパ最大の私有収集品と云われ、凡そ数3000、14=>20世紀の槍、弓、盾、銃、甲冑などを見ることができる。日本の貧弱な鎧があったのには、ちょっとがっかりでしたが---。

    案内の最後の部屋・Hubertushalleフーベルトゥスハレはフリードリッヒ侯爵(1965年)の狩りの獲物を展示したもので、大きな熊の毛皮を中心にして、数々の鷲や鹿の角と頭部の剥製が壁に掛けられている。すごいのはルーマニアのカルパチア山系で狩られた茶褐色の大きな熊の剥製があったことだ。今にも立ち上がりそうな迫力である。

    部屋の真中には大木の切断面が立てかけてあり、その木の年輪にジクマリンゲン城主であるホーエンツォレルン侯爵家の歴史500年を書き込んだ札が付けてあった。
    (10:30=>11:30 ガイド1時間 Euro12)

    城の外に出ると、盛装した人々が集まっていた。結婚式である。付属の教会で挙式するのだろうか?!駐車時間を10分オーバーしていたので、走りながら駐車場に行く。
    幸い、何事も無く、セーフでした。  (10:00=>11:50)

    ・・・・・

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    5.0

  • 中世の趣むきをもったロマンチックな騎士の城Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城

    投稿日 2015年06月29日

    その他の観光地

    総合評価:4.5

    <シュヴァーベン地方の城巡り>

    レンタカーで周遊した名城は以下の三つ(口コミ済み)。
    Schloss Sigmaringenジクマリンゲン城、
    Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城、
    Burg Hohenzollernホーエンツォレルン城(プロイセン王家)。

    シュヴァーベン地方の素晴らしい名城群巡りでSchloss Sigmaringenジクマリンゲン城、Burg Hohenzollernホーエンツォレルン城(プロイセン王家)と共に、Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城を訪れた。


    “ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”

    :黒い森・バーデンワイン街道・高及び上ライン川とボーデン湖・
    シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:

    期間 : 2007年4月19日(木)=>5月3日(木)15日間の旅

    4.28(土) 快晴  27℃  、 182km

    ホーエンツォレルン城はノイシュバンシュタイン、ハイデルベルクと並ぶドイツ3大名城の一つと称されているそうだが、何をもって名城というのかは、意見が分かれるところだろう。因みに「ヨーロッパ100名城」(日本城郭協会の選定)にはハイデルベルク城(城址が正しい)が選ばれているが、上記の2城の名はない。

    (今年2015年もリヒテンシュタイン城から15kmの近距離に滞在予定であり、立ち寄ってみたい。尚、「ジクマリンゲン城」はボイロン僧院見物の帰途、時間のないまま、ジクマリンゲンの町を通過予定。「ホーエンツォレルン城」は今回の旅でも近くを走るが2度訪れたこともあり、今回は見送った。)

    山中を走ると、リヒテンシュタイン城の駐車場に至る。

    <Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城>
    D-72805 Lichtenstein
    http://www.schloss-lichtenstein.de/
    https://www.youtube.com/watch?v=2zhxj06jo-4

    開館;4月=>10月毎日、9時=>17時半

    リヒテンシュタイン城は817m高さの崖上に1840-42年にかけて築城された。
    相当な山奥にこんな小さな、かわいい城をもつ意味はあまり無かったと思われる。趣味的とも言え、南ドイツのバイエルンにある新白鳥城のイメージに近いと言える城である。

    第一の門をくぐると、円筒の白い塔が左手に付随した、深い堀で隔てた城郭が見える。木造の短い橋を渡ると、そこには小さな城門がある。小さな飾りの塔も幾つか見え、緑の谷から垂直な、自然の岩山にかわいい城が建っている。岩の平場の広さは凡そ10m四方程度の狭い場所で、その上に建った城はとても絵になる立ち姿である。
    ここもガイド付きの見学30分、カメラ不可です。

    ガイドの案内で、城との短い橋を渡って小さな中庭に至る。1階にはまず、武器の間があり、中世の甲冑、銃などの武器類が陳列されている。規模は勿論小さいけれども。城の礼拝堂には15?6世紀のステンドグラスが目を引く。聖母マリアの死、聖母マリアのお告げ、キリスト誕生が描かれている。Trinkstubeトリンクシュツーベは食事や宴会が行われた場。狩りの絵が壁に描かれ、飲酒についての格言が書かれている。

    2階に上がると、王の間、紋章の間(様々な絵画が掛けられて)、突出した部屋(張り出し窓のように)には中世の家具、そして、城一番に美しい大きな騎士の間は木の壁、天井、窓枠のアーチと美しく描かれている。当時の有名肖像画家Stirnbrandシュツルンブランドの作品・築城者Wilhelmヴィルヘルム公の等身大の絵がかかっていた。
    部屋の窓からの眺めは、遠くの町、遥か下のEchazエシャッツ川(ネッカーの支流で全長23km)や道路も見える。ここで案内は終了となった。
    城には塔の部屋、3、4階の部屋もあるが、観光客の総重量に問題ある為か、事前の許可が必要だと言う。

    リヒテンシュタイン城の歴史:
    リヒテンシュタイン城は1100年頃に騎士領主により、最初の城が現在の城の建つ場所に建てられたと云う。途中をはしょると、1687年オスマントルコ軍との戦いで落城し、その後の長い間はほったらかしになってしまう。
    1837年、肖像画家に描かれたWilhelmヴィルヘルム・ヴュルテンベルグ伯は父王から譲られたこの地に、簡単な狩りの為の、且つ森林監督官の館を建てた。
    その後、夭逝した作家Wilhelm Hauffヴィルヘルム・ハウフの長編小説『Lichtensteinリヒテンシュタイン』(1826年)に憧れを抱き、1840?42年にかけて、中世の趣むきをもったロマンチックなドイツの騎士の城を築城した。
    戦災から免れたリヒテンシュタイン城はヴィルヘルム公の家系に繋がるUrachウラッハ公爵が現在も私有している。

    リヒテンシュタイン城にハウフの記念碑がある。

    この城を好んで、似たような建物を建てた人がいる。(写真参照)
    一つはバルト海に浮かぶドイツ最大の島・Ruegenリューゲン島のLietzowリーツツオウという村(人口246人)に立つSchloesschen Lichtensteinリヒテンシュタイン小城である。1892=>93年にかけて建て替えた3階建ての小城には切妻屋根と階段破風が見られ、6階建て円形の塔が付いている。
    もう一つはラインラント・プファルツ州Alzey-Wormsアルツァイ・ヴォルムス郡のOsthofenオストホーフェン村(人口8700人)にあるWeinbergshausヴァインベルクスハウス(もしくはMiniaturburgミニアチュアブルク)で、Leckzapfen レックザップフェンのブドウ畑の高台に立っている。

    XXX

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0

  • プロイセンの城にふさわしく、“無骨な”とも言える城・ホーエンツォレルン城

    投稿日 2015年06月25日

    ホーエンツォレルン城 その他の都市

    総合評価:4.5

    <シュヴァーベン地方の城巡り>

    レンタカーで周遊した名城は以下の三つ(口コミ済み)。
    Schloss Sigmaringenジクマリンゲン城、
    Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城、
    Burg Hohenzollernホーエンツォレルン城(プロイセン王家)。

    シュヴァーベン地方の素晴らしい名城群巡りでSchloss Sigmaringenジクマリンゲン城、Burg Hohenzollernホーエンツォレルン城(プロイセン王家)と共に、Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城を訪れた。


    “ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”

    :黒い森・バーデンワイン街道・高及び上ライン川とボーデン湖・
    シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:

    期間 : 2007年4月19日(木)=>5月3日(木)15日間の旅

    4.28(土) 快晴  27℃  、 182km


    最後に訪ねたホーエンツォレルン城は緑の平野の中に広い裾野をもった全山新緑におおわれた山上(855m)にあります。
    このシュヴァーベン地方に覇をとなえたホーエンツォレルン家の居城はドイツ統一を成し遂げたPreussenプロイセン王家 且つ、ドイツ皇帝(所謂・ドイツ第二帝国の・・・神聖ローマ帝国を第一帝国、ヒットラーのナチスドイツを第三帝国と称する。)の発祥の地である。
    駐車場(14:55=>16:40 Euro2)は山の中腹にある。ここからは徒歩か、シャトルバス(片道のみでも可:往復でEuro5.2)を利用する。

    ホーエンツォレルン城の歴史は11世紀に遡り、後代に全壊したが、1867年フリードリヒ・ヴィルヘルム4世により、現在の姿・・・あくまでもプロイセンの城にふさわしく、頑丈な城壁をめぐらせ、幾つもの城館が其々塔を持つ、“無骨な”とも言える城郭・・・に再建された。(因みに同時期の1869年に建設が開始された南バイエルンのノイシュヴァンシュタイン城のメルヘンチックな姿と比較すると良く理解し易い。)
    ホーエンツォレルン侯爵家が代々住んだ城である。

    ヨーロッパでも最も美しい城の一つとして、多くの観光客が訪れているが、城の上から見る景観は実に素晴らしく、1886年にベルリンより訪れたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世も絶賛したと伝えられている。

    ガイドに案内されて、城内の家系図の間に。大きな暖炉のある部屋の壁にはホーエンツォレルン家の長い歴史を示す、家系を木の枝が伸びるように血統図が描かれていて、その枝は船底方の天井に向かって大きく広がりを見せている。過去にも家系図を何度か見ているが、此れほど巨大な家系図はさすがに見たことが無い。
    特に歴史に名を留めているのはプロイセン王フリードリヒ2世大王(ポツダムにある夏の宮殿・サンスーシー宮殿を建てた。)、ドイツ統一を成した、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世、そして最後のドイツ皇帝となったヴィルヘルム2世でしょうか。

    伯爵の間は白と黒の大理石を床に敷き締め、数々の金ぴかのシャンデリアに飾れた大広間である。大変豪華な部屋で、現在もパーティーなどの催しに利用しているらしい。重厚な王の間、美しい王妃の間、王女の間とホーエンツォレルン家のコレクションは実に見事なものばかりだ。

    聖ミカエルの礼拝堂、カトリックの礼拝堂、そして、宝物館にはプロイセン王の王冠(8粒の大きな真珠、大きなサファイヤ、そして140ものダイヤで飾られた。)や、王妃ルイーゼの裾長の見事なドレス、フリードリヒ大王やホーエンツォレルン家と縁の深い人達の遺品が数多く展示されている。  
    (ガイド1時間 15:20=>16:20 Euro8)

    見物を終えて大砲の置かれた中庭に戻ると、珍しい事に日本人のツアー客を見かけた。
    城の塔の上にはホーエンツォレルン侯爵家の旗が風に翻り、城壁の回廊には歴史をいろどった王や皇帝の銅像が立ち、シュヴァーベンの緑の平野・わが領地を睥睨している。私共もこれに倣って、遥かな、素晴らしい眺望を楽しんだ。

    XXX

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    5.0

  • ブリュールの世界遺産:アウグストゥスブルグ宮殿のノイマン作大階段、ファルケンルスト館を訪れた若きモーツアルトが驚嘆したという。

    投稿日 2020年03月26日

    ブリュールのアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルスト その他の都市

    総合評価:4.0

    【Bruehlブリュールの世界遺産】

    “ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
    期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間
    目的地: 今回の旅の目的地は二度目のドイツ駐在を終え、1985年5月31日に帰国して以来、21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”が第一です。

    2006年5月10日 (水)  快晴 26℃ 、 195km

    <Bruehlブリュールの世界遺産>
    Schloss Augustusburg &Falkenlustアウグストゥスブルグ宮殿・狩りの館ファルケンルスト館・・・1984年世界遺産登録。いずれも内部の撮影禁止が残念。

    30年前に一度家族で来た事が有りましたが、記憶が余り残っておりません。もちろん、当時は世界遺産でもなく、あまり知られた存在ではなかったと思う。
    むしろ、子供達とここの近くにあるPhantasialandファンタージーランド(24万qmの広さ、当時、ドイツ最大の遊園地)に行った事が記憶は鮮明である。   

    1)アウグストゥスブルグ宮殿は18世紀の中頃、ケルン大司教アウグスト選帝候の為に建てられたロココ様式の傑作で、元々あった中世の城址の上に建てたと云う。
    1949年から長い間、西ドイツの大統領官邸として使用され、現在はノルドライン・ヴェストファーレン州の所有になり、博物館として公開されている。
    宮殿内はガイドツアーのみで、内部の見所にはピンクの間の天井画が、そこには色鮮やかな絵を描く女神、エンジェル達が描かれ、また、オランダ・デルフト焼きで覆われた、ブルーの間などがあります。
    最後の見所であるバルタザール・ノイマン作の大階段は、それはもう見事なもので、一見大理石製に見えますが、エレガント、且つダイナミックに装飾された木製品なのです。この大階段を利用して、コンサートが催されているそうです。ロココの素晴らしい色使いには驚きでした。(10:30~12時: Euro8)
    宮殿には74haもの広大な美しいバロック様式の庭園があり、自由に散策が出来る。

    2)狩りの館ファルケンルスト館は広い庭園の外れにある。ファルケンルストは歩くには遠く、一度駐車場から出て、道路を大きく迂回していく。
    二階建ての建物は青を基調にした色使いが独特です。鷹狩に活躍した鷹匠の部屋、貝殻、鉱物、クリスタルで飾った美しいチャペルは行者の洞窟をイメージしているとか。1763年、若きモーツアルトがここを訪れ、これらの部屋の素晴らしさに驚嘆したと伝えられている。 (12:05~12時半: Euro6)

    ・・・・・・・

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    2.5
    展示内容:
    4.0

  • ニンフェンブルグ宮殿の美人画ギャラリー、お気に入りは“美しいミュンヘンッ娘”

    投稿日 2020年03月25日

    ニンフェンブルク城 ミュンヘン

    総合評価:4.5

    <南ドイツとオーストリア周遊の旅>
    (2004年4月21日-5月4日:2週間)

    5月01日(土)85km、 曇り時にシャワー

    シュタルンベルガーゼー・Golfhotel Kaiserin Elisabethゴルフホテル
     エリザベート皇妃 (4星:3泊) を9:20スタート=>BST?/ATB952・95・
    E533 =>ミュンヘン10:00= 30km、市内観光:フラウエン教会、
    市庁舎---仕掛け時計11:00、レジデンス(宝物館)、昼食“Spatenhaus”
    13:30-15:00、ニンフェンブルグ宮殿見学:美人画ギャラリーなど 
    15:30-16:40 城内庭園カフェ 17:00-17:40、 Hofbraeuhaus
    夕食”ホーフブロイハウス”18:10~ 、ホテルに戻る 21:00。

    *今日から、ドイツの詩人達が好んで詠う「ドイツの春」のスタートです。
    麗し、美わし、ウルワシの5月です。1日はメーデーで町のお店はお休みです。
    700年余り、バイエルンを支配したヴィッテルスバッハ家の家紋からとった、
    バイエルン州の旗---白と水色の市松模様----はどこの町、村でも、庁舎に
    掲げられている。面白いのは街道沿いのレストラン、飲み屋でも、この旗が、
    ビールメーカーの旗と共に、店先に高々とあるのが良い。

    昼食の後、少し離れたニンフェンブルグ宮殿へ、美人画ギャラリーを見に
    行く事となる。1758年完成のバロック様式の宮殿で、1918年まで、
    バイエルン王の夏の離宮として、利用されたものです。

    中でもルードヴィヒ1世が描かせた美人画のギャラリーは素晴らしい。
    ヘレーネ・ゼドルマイヤーという画はその際立った美しさを
    “美しいミュンヘンッ娘”と言う呼び名でミュンヘン市民に愛されて
    いるそうです。

    宮殿前のライラックの群落がとてもきれいです。宮殿の裏側には
    広大な庭園が広がり、そこかしこに植物園、狩猟のロッジ、屋内プール
    等が点在している。              

    カフェ・レストランもあり、家内の友人母子Iさん達はアイスカフェー、
    我々はチーズ・ケーキ、アップルパイと紅茶・コーヒーで休憩にする。

    夜はHofbraeuhausホーフブロイハウスで乾杯だ。
    “Ein Prosit、Ein Prosit、der Gemuetlichkeit・・アイン・プロジット、
    アイン・プロジット、デア・ゲミュートリヒカイト・・さあ乾杯、さあ乾杯、
    みんなで愉快に乾杯だ!!“

    ・・・・・

    旅行時期
    2004年05月
    利用した際の同行者
    友人
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.5

  • ナウムブルクは“石の奇蹟の町”と称され、大聖堂にはマイスター達が創った作品群がみられる。

    投稿日 2020年03月07日

    大聖堂 (ナウムブルク) ナウムブルク

    総合評価:4.5

    <かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅>
    2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間の旅
    5月24日(火);快晴、26℃、257km

    エルベ川沿いに走って、ピルマの町を出た。最初の目的地Naumburgナウムブルク
    に向かった。
    <Naumburgナウムブルク>  13:15~15:10
    ザーレ川沿いに中世より発展した町である。交易の要路であり、南西のイエナ、南東にゲラ、北のハレ、北東のライプツィヒなどの中心に位置する。人口34千人。
    1012年に町の歴史は遡り、ナウムブルクはおよそ1000年の都市である。
    1042年、大聖堂の建設が開始されている。15世紀にはハンザ同盟の加盟都市となった。
    町の見所はマルクト広場を中心とした、Rathaus市庁舎、Schloesschenシュレスヒェンと称される歴史的な建物、Stadtkirche St. Wenzel ヴェンツェル教会、Dom St. Peter und St. Paul mit Marienkirche und Klausur聖ペーター・パウル大聖堂 、Stadtmuseum "Hohe Lilie"郷土博物館、Marientorマリエン塔、Nietzsche-Haus哲学者ニーチェの家など。

    【Dom St. Peter und St. Paul 聖ペーター・パウル=ナウムブルク大聖堂】
    入場券Euro8、  13:40~14:15
    この町は“大聖堂の町”とか“石の奇蹟の町”といった異名で称される事が多い。
    この町の象徴でもあるのがこの大聖堂なのだ。13~4世紀の後期ロマネスクと前ゴシック様式の複合した建物は、とりわけ西の内陣にある寄進者の等身大の石像彫刻(12体)が有名である。
    名前も残っていない“Naumburger Meisterナウムブルクのマイスター”達が創った作品群である。

    マイセン辺境伯・Ekkehardエッケハルト二世・Utaウタ夫妻とReglindisレグリンディスとHermannヘルマン夫妻像が見事な出来栄えだと云われ、中でも笑い顔のUtaウタ像は大聖堂の宝として、美人の誉れも高い。
    今回初めてのお目見えであったが、残念なことに改修中で、そこにはなんと夫妻像の写真!が立ててあった。
    現在も残る古い部分は1170~80年頃の地下祭室で、地下宝物殿には貴重な手書き本や壮麗な両開き祭壇、絵画、彫刻などある。

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.5

  • ニュルンベルクでベストの評価を持つミシュラン2星レストラン エッシィッヒブレートラインは予約が電話かファックスと時代離れ!

    投稿日 2014年06月06日

    Essigbratlein ニュルンベルク

    総合評価:5.0

    2009年12月11日(金)
    Restaurant Essigbraetlein レストラン・エッシィッヒブレートラインにて;

    ミシュラン2星・・2008年より、Gault Millauゴー・ミヨは18点と評価も上昇中。
    全独82位(2010年)。  席数:30、従業員:9人 
      メニュー;?品Euro42、6品Euro79、7品Euro96  ワイン;150種
      シェフ;Andree Koethe 

    *ニュルンベルクでベストの評価を持つレストランは、町でも最も古い1550年からの歴史をもったもので、当時はワイン商人の集会所としての役割を担っていたと云う。Gewuerz(香料・薬味)Kraeuterkueche(薬草料理)、有機農産物を使用していて、ここの料理を食べる為に、この町を訪ねる価値があると言われている。

    二人のシェフ;Andree Koethe、Yves Ollechs Buch は “Die Kunst des Wuerzens香料の芸術” を表現していると云う。スパイスキッチンの巨匠との評価が高い。
    この店の得意料理はRochen mit Pfifferlingenスケート(エイ)あんず茸添えと、 Steinbutt auf Fenchelフェンネルにのったカレイ、 Reh mit Liebstoeckel und Essigkirschen鹿肉にラビッジ(セリ科)とサクランボ酢を利用したものだそうだ。

    【1550年から続いている、レストランEssigbraetleinで夕食を楽しむ。この店の創作料理は近年、世評も高く、店内の席数も限られている為、席を確保できたことは大変運が良いのだと云う。店内はさすがに満席です。

     この日のメニューは6品メニューのみです。量的には多すぎると思い、給仕に聞いてみるとこの中から適宜、選択しうると言う。そこで二人とも4品を選んでみた。
    4品のお値段と言っても、Euro79X2=178と、なかなかのもの・・・。

    飲み物:ハウスアペリティーフ(プラムのSektゼクト・・シャンパン)、お水、そしてワインは2004年Pinot Noir Reserveピノ・ノワール レゼルヴ
    ;醸造所Weingut Holger Kochはバーデンワイン街道の最も優良な産地Kaiserstuhl 皇帝の椅子の中心地にあたるVogtsburg-Bickensohlにある。
    http://www.weingut-holger-koch.de/weingut.php   

    飲み物合計はゼクトEuro27+水6.8+ワイン89 =122.8

    シェフのご挨拶:南瓜のクリーム煮、ライスペーパー巻き、シナモンかけ。
            肉の角切りに赤い甘みの香辛料かけ。
            鰻の甘酢ソースかけ。

    パン・バター:自家製パン、豆色のバター。
    前菜:湖のマスにトマトソースかけ、薄切のカリフラワー添え。

    メイン:(魚料理)カレイにクルミの甘酢ソースかけ、大根の千切り載せ。
        (肉料理)鹿肉にアカデミアンナッツ入り、イチジクのサラダ。
    イタリアンパセリ、ライスペーパー添え。

    デザート:暖かいマンゴ、ミルクチョコレートアイス、カラメルの飾り。
    コーヒー:5種類のチョコレート;ミルクチョコレートにラズベリー載せ、葡萄載せ、オレンジペースト載せ、白チョコレートなど。

    19:00~21:45  
    拘ってなんとか食事のチャンスが持てたが、内容に驚き、かつ、大変満足した料理とサービスでした。その代金はEuro320(43千円)でした。】

    尚、2009年当時、このレストランは珍しい事にメールがなく、予約は電話かファックスなので、ファックスで数度のやり取りをしました。
    12月11、12日の金土はさすがにもう一杯で、Wartelisteウェイティングリストに載せてもらったものの、出発まで決まりません。仕方なく、旅程に沿ったホテル名と電話・ファックス番号を送っておいた。
    結局、最初のホテルSchloss Steinburg(Wuerzburg)に電話があり、幸いこの夜の予約がOKとなった。

    久しぶりに時差を考えずに返事をしてくるので、夜中に起こされることもあり、時代離れと言うのか、手書きの返事でしたので、読むのも一苦労でした。
    ただ、対応は都度きちんと返事が来るのはさすがでしたが・・・。

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    10,000円以上
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    5.0
    Nuernbergニュルンベルクの旧市街にある、聖ゼーバルト教会に近い。
    コストパフォーマンス:
    5.0
    二人とも4品を選んでみた。 4品のお値段と言っても、Euro79X2=178だが満足からすれば、十分に納得する。
    サービス:
    5.0
    大変満足したサービスでした。
    雰囲気:
    5.0
    外観も内装も素晴らしい。
    料理・味:
    5.0
    香料・薬味?Kraeuterkueche(薬草料理)、有機農産物を使用していて、ここの料理を食べる為に、この町を訪ねる価値がある言う。

  • オスナブリュック:創業325年以上となるドイツ伝統の古い木組み建築のホテル ヴァルハラ

    投稿日 2020年02月22日

    Romantik Hotel Walhalla その他の都市

    総合評価:5.0

    2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    <9月22日(日)~9月23日(月)>(1泊2日)
    Romantik Hotel Walhallaロマンチック ホテル ヴァルハラ
    D-49074 Osnabrueck 、Bierstrasse 24
    Tel:+49(0)541 3491-0 、Fax:- 144
    https://www.hotel-walhalla.de/

    4星・全69室、2階のNo.111号室は通りに面した角部屋で窓からのぞくと、
    一方はホテル正面のレストラン入口を見下し、もう一方の窓からは
    隣の市庁舎の壁が見えた。
    料金はEuro114+駐車料14=128(朝食込み:15,534円)ですが、町一番
    の美しい木組みの建物で、モダンな浴室、上質な家具備品、ミニバーが
    備わる機能的な施設、マルクト広場に近接する所にある事からも、
    室料金は値段的にたいへん安いと思う。
    チェックイン15時、チェックアウト12時。

    このホテルは市庁舎側の入口はレストランの入口にしていて、裏手が
    ホテルの入口になる。敷地内に事前予約不要の有料の専用駐車場あり
    (Euro 14/日)。
    各種スパ施設、サマーテラスのあるレストランWalhallaヴァルハラは
    郷土料理を主とする。

    ホテルの歴史は1690年にワイン酒房ができ、1820年にはガストホフの営業
    を始め、宿泊も可能となった。創業325年以上となる、
    ドイツ伝統の古い木組み建築のホテルという事で、チベット仏教の高僧
    Dalai Lamaダライ・ラマや、5人の王侯、9人の大統領、それにWilhelm Lyra
    ヴィルヘルム・ライラ( Der Mai ist gekommen!5月がやって来た!)の
    作曲家がこのホテルに滞在されたと云う。

    ホテルはオスナブリュックの旧市街の中心に位置し、長い商人たちの家並み
    が続く通りでも最も古い歴史を誇る。オスナブリュック劇場まで250mの距離、
    オスナブリュック城に徒歩10 分、市街地北部のヘーガー門や聖ペーター聖堂
    まで徒歩5分と便利だ。

    歴史的も三十年戦争の終結となったヴェストファーレン条約が締結された市庁舎、
    聖マリエン教会、シュタットヴァーゲ(市計量所)、レマルク平和センター、
    マルクト広場と旧市街が広がり、1813年~1814年に建設されたテンゲ邸を
    はじめとする古典主義様式の建物が多くある。
    旧市街にはロココ様式の建物や、ホテル ヴァルハラを含む多くの木組み建築が
    遺っている。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    5.0
    サービス:
    5.0
    バスルーム:
    5.0
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    5.0

  • シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(黒い森の さくらんぼケーキ)の考案諸説

    投稿日 2015年10月12日

    シュヴァルツヴァルト

    総合評価:4.5

    ≪Schwarzwaelder Kirschtorte≫
    シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(黒い森の さくらんぼケーキ)

    1930年代頃から、ドイツの各地で作られるようになり、ドイツを代表するトルテとして世界に知られている。所謂、チョコレートケーキの一種で、シュヴァルツヴァルト地方の黒い森と特産品であるKirschキルシュ(サクランボ=桜桃)をイメージして作られたトルテ=ケーキとされる。フランスでも作られるが、ガトー・ド・フォレノワールと称する。

    チョコレート味のスポンジ生地にKirschwasserキルシュヴァッサー(サクランボから造った蒸留酒・度数40%と高い)を香り付けにしみこませ、サクランボ入りザーネクレームと桜桃を組み合わせたトルテである。トルテの周りには森に積もった雪を見立てたサクランボ入りザーネクレームを塗り、雪の上の落ち葉に見立てて削ったチョコレートやサクランボでトルテの上を飾っている。

    だが、このトルテが何処で最初に生まれたのかは諸説があり、

    一つはノルトライン・ヴェストファーレン州のBad Godesbergバート・ゴーデスベルク(Bonnボンの近郊)の菓子職人Josef Kellerヨセフ・ケラーが最初に考案した“Erfinder発明者・考案者”という説であり、

    これに反論するのがテュービンゲン起源の黒い森説である。
    こちらはTuebingenテュービンゲンの菓子職人Erwin Hildenbrandエルヴィン・ヒルデンブラントが“Erfinder発明者・考案者”であるという説である。

    Kombination Kirschen、Sahne und Kirschwasserサクランボ、ザーネクレーム、サクランボの蒸留酒という三つの組み合わせが可能であることは、19世紀の頃に黒い森の南部地域において、既に良く知られていたと云う。
    それはトルテの形になっていたのではないそうで、単に煮込んでジャム状にしたサクランボにザーネクリームを加え、サクランボの蒸留酒をかけたデザートといったものであったようです。

    どちらにせよ、トルテの名前からして、黒い森説を採りたいところである。

    シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテの名前の由来についても諸説(Wiki)あるとのことで、

    1)このトルテに欠かせないキルシュヴァッサー(サクランボの蒸留酒)がシュヴァルツヴァルトの特産品であることに由来する。

    2)あるいは、削ってトルテ上にのせたチョコレートの色が、黒い森を連想させることに由来する。

    3)昔からあったとされるSchwarzwaldtorte(シュヴァルツヴァルト・トルテ)が進化したことに由来する。
    このトルテはスポンジ生地、サクランボ、クルミ、ザーネクレームで作り、サクランボの蒸留酒はまだ使用されていなかったと云う。

    4)Trachten im Schwarzwald黒い森の民族衣装、つまり、黒いスカート、白いブラウス、赤いボンボンがのった帽子(Bollenhutボレンフート=ボレン帽)の様子がトルテの形に似ていることに由来する。

    話としては、見栄えのある黒い森の民族衣装・ボレン帽説に賛成したい。

    旅行時期
    2015年07月

  • 世界遺産の西安・兵馬俑(へいばよう)を偶々!発見した楊志発さんは一躍時の人となった。

    投稿日 2020年02月10日

    秦始皇帝陵博物院 (兵馬俑) 西安

    総合評価:5.0

    <西安・兵馬俑の発見者・楊志発(ヤン・シファ)のこと>
    1996.10.20.~10.28.友好訪中団(8泊9日の招待旅行)の一員として参加し、北京・西安・杭州・上海・蘇州の各都市を巡った。

    北京:万里の長城、明十三稜、天安門広場、故宮博物館、
    西安:兵馬俑、華清池、大雁塔、碑林博物館、陝西歴史博物館、
    杭州:西湖十景・花港観魚、六和塔、霊隠寺、玉泉、双峰茶園、
    上海:玉仏寺、豫園・豫園商城、外灘、楊浦大橋、南浦大橋、、
    蘇州:寒山寺、拙政園、江南(同里)古鎮、

    とりわけ、すごいと印象が強かったのは西安・兵馬俑であり、その発見者・楊志発さんから購入した兵馬俑の説明本にサインを頂いた。

    始皇帝(紀元前259年~前210年)陵は中国北西部、陝西(せんせい)省西安市(かつての長安)から30km離れた臨潼区に位置する。兵士や馬をかたどった素焼きの像、約8000体が埋葬されていると見られており、今までに1500体が発掘されたそうだ。兵士像は、将官、歩兵、鎧を着た下級兵士、弓矢で武装した歩兵など、いくつかの種類に分かれている。
    1987年、兵馬俑は始皇帝陵と共にユネスコ世界遺産に登録された。

    1974年3月29日、臨潼県西揚村の住民6人が村の南に井戸を掘ろうとして土を掘っていた際に、住民のひとり「楊志発」によって兵馬俑の最初の破片が発見された。彼の話によれば、「最初、鍬で土を掘り返していたところ、何か硬いものに当たったという。きっとなにか壺でも有って、昔ここに竈でもあったのだろうと何気なく掘り返していると、人間大の人形が出てきたという。
    その人形は、左足はかけていたが、胴体は無傷で、その人形の脇には青銅の矢が置いてあった」とのことである。(Wiki抜粋)
    ・・・・・

    兵馬俑の発見者とされた楊志発さんは一躍時の人となり、1984年には湖北省の村の党書記となり、1997年には湖北省の第9回人民代表大会代表の一人にも選ばれた。
    楊さんに訪れた最も輝かしい栄光の時は、1998年、当時のビル・クリントン米大統領夫妻が兵馬俑を訪れ、購入した本に兵馬俑発見者として楊さんにサインを求めた時だろう。
    その他に、メキシコ、ギリシャ、ノルウェーなどの大統領や首相と出会う機会もあった。
    楊さんは、出会った要人たちの名前はもう思い出せないが、彼らと撮った写真は自宅に大事に飾ってあるという。

    旅行時期
    1996年10月
    利用した際の同行者
    その他
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    5.0

  • エスリンゲン(ネッカー川畔)の中世クリスマス市は思っていた以上に楽しい。

    投稿日 2020年02月13日

    エスリンゲン シュツットガルト

    総合評価:5.0

    ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)

    12月9日(水);快晴、7.5℃、139km

    二つ目の町Esslingen am Neckarエスリンゲン(ネッカー川畔)(人口91千人)は過去に訪れた事が無い。Canstatter Volksfestカンシュタット祭り(150年の歴史のあるビール祭り)の広大な会場そばも通る。

    ≪Esslingen am Neckarエスリンゲン(ネッカー川畔)のクリスマス市≫
    13:10~15:10
    http://www.esslingen.de/  
      
    中世の色濃い町エスリンゲンは、町の周辺をブドウ畑の丘が囲み、なだらかな丘陵の麓にある。Schwaebische Weinstrasseシュヴァーベンワイン街道の町であり、町の中心を流れるNeckarネッカー川沿いに発展した町である。
    ネッカー川の利便を利用して、イタリアとドイツを結んだ商業路の中継点として繁栄し、帝国自由都市(1219年)でもあった。

    旧市街の中心に立つ聖ディオニソス教会(8世紀の創建)の周りに新旧の市庁舎があり、マルクト広場、Hafenmarktハーフェンマルクトまでが、冬のメルヘン・クリスマスマーケットに大変身している。ここには様々な180余りの屋台が並ぶ。
    この町はエスリンゲンの中世クリスマスマーケットと称するように、歴史的な木組み建築の家々を背景に、曲芸師や職人、芸術家、大道芸人などが中世の衣装を着て、彼らが演ずる中世を楽しめる。
    あまり日本の観光書にも書かれていなかったほど、通常の観光ルートから外れていて、幸いな事に中世の雰囲気がいまだに残っている。
    Ludwigsburgルートヴィヒスブルグ、Stuttgartシュトゥットガルトの関係と同じで、ここも近年、クリスマスマーケットの素晴らしさから、観光地として見直されているのも面白い。

    雲ひとつない晴天をバックに塔や教会、そして葡萄畑が望まれる美しい景観である。
    聖ディオニソス教会の二つの塔の先には、丘の上に”太った塔”呼ばれる城と武器庫(ヴェアガング)が見える。

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.5

  • 私共はブレーメンの音楽隊像と一緒に写真に納まる事を習わしにしている。

    投稿日 2020年02月01日

    ブレーメンの音楽隊像 ブレーメン

    総合評価:4.0

    2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月19日(木)Bremenブレーメンから近郊観光、晴れ・17℃

    *Rathaus市庁舎(1405年の創建、今年で614年)、中世の面影がしのばれるロマンチックなブレーメンの殆どの歴史的遺産・見所はこの広場近くにある。
    そして、ラーツケラーの入口傍に有名なブレーメンの音楽隊像(上から鶏、猫、犬、ロバ)がある。
    私共は音楽隊像と一緒に写真に納まる事を習わしにしている。

    グリム童話の中では、結局ブレーメンに行かなかった彼らですが、ブレーメンの繁栄の象徴として、今は市庁舎傍に立っているのだ
    音楽隊の像はいつも人気が高くで、写真を一緒に撮る人が順番待ちだが、この日の銅像前には殆ど人がいない。

    ・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0

  • ブレーメン:名物店カフェ クニッゲの店がある豚通り(ゼーゲ通り)って何なの?

    投稿日 2020年01月28日

    ゼーゲ通り ブレーメン

    総合評価:4.0

    <ブレーメン:Soegestrasseゼーゲ通りの由来と名物店カフェ クニッゲ>

    ブレーメンの最も古い通りのうちの1つ、この通りは珍しい名前『Soegeゼーゲ』
    が付いている。13世紀、中世時代に『豚』を意味する言葉として使われた。
    その名の元はおそらく一帯に多くの豚小屋があった事に由来すると思われる。
    当時、豚飼いたちはブレーメン市城壁の家畜門を通って、旧市街の前にある
    共用エリアである牧草地まで豚の群れを連れて行ったのだろう。

    だから、【Soegestrasseゼーゲ通り(豚通り)】の名前は歴史的な意味がある。
    今はブレーメン中央駅と旧市街を結ぶ道で、記念碑彫刻「豚飼いと豚の群れ」
    から先は歩行者天国になっている。

    Sculpture "Schweinehirt und seine Herde", von Peter Lehmannブレーメン
    の彫刻家ペーター・レーマン(1921~1995年)の彫刻「豚飼いと豚の群れ」は、
    豚飼いと彼の狩猟犬、豚5匹、子豚4匹の群れからなるブロンズ製記念碑で
    1974年に完成したものだ。
    ゼーゲ通りの途中にある豚飼いや豚たちの銅像に旅の安全を祈って(豚は幸運
    のシンボルなので)いつものように触ってみた。
    名物店クニッゲはここから近い。

    尚、豚通りの半ば右手にCafe Konditorei Kniggeカフェ コンディトライ 
    クニッゲの店があり、2階は食事のできるレストラン、1階は1889年創業の
    カフェで名物Bremer Klabenブレーマー・クラーベンを販売している。
    (D-28195 Bremen 、Soegestrasseゼーゲ通り42/44番)

    レーズンがたっぷり入ったブレーマー・クラーベンはシュトレンに似ている。
    これは密度の詰まったシュトレンと言っても良く、「クラーベン」という語
    は「切れ目の入った形」をいう。多くは12月の初めに、復活祭まで保つほど
    の量が焼かれるのだが、9月の今も普通に販売している。
    クラーベンはシュトレンとは異なり、バターを塗ったり砂糖を入れたりしない
    と云うが、実に美味いのだ。

    通りの近くに、かつて町を守ったStadtgrabenシュタットグラーベン(掘割)
    沿いの風車があって、美しい花々と一緒に立っている。

    (2020年1月28日訳・編集・加筆)

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5

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33国・地域渡航

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、ロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、結局2023年もドイツの旅を見送ってきました。2024年はどんな年になるのだろう。
(2023.11.28.変更)

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