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jijidarumaさんのクチコミ(16ページ)全662件

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  • セピア色の思い出:コンデ公代々の居城、シャンティイ宮殿は水城である。

    投稿日 2021年05月12日

    シャンティイ城 シャンティイ

    総合評価:4.5

    ≪セピア色の思い出:1984年の復活祭はフランスのパリ、ロワール渓谷に小旅行≫

    1984年は復活祭の休みが4月20日(金)~23日(月)だったので、40歳の私共は、この3泊4日の予定でデュッセルドルフからフランスに小旅行をした。(総走行距離1,781km)

    ③1984年4月22(日) 晴、568km (尚、2泊3日で帰宅した)

    古城ホテル ショーモンテル城 =>D1016 9km Chantillyシャンティイ宮殿=>A1・A2 331 km  Grottes de Hanベルギーのアンの洞窟=>(アーヘン経由)=>E40・A44 228 kmデュッセルドルフに戻った。

    <シャンティイ宮殿>
    パリから北に約40kmの郊外にあるシャンティイ市(人口1万人)に見事なChateau de Chantillyシャンティイ宮殿が立っている。
    ショーモンテル城を出発、シャンティイ宮殿を訪れた。シャンティイ宮殿はショーモンテル城から9kmと近いから、ドイツに戻る日に立寄ることにしていた。ただ外観のみだったが・・・。

    元々は中世の14世紀に要塞として建てられ、ルネサンス時代に大規模な改築がなされた。400年の歴史を持ち、ルイ13世やブルボン公が代々城主でもあった。
    32万坪の敷地を持つ宮殿は大きく分けて「グラン・シャトー」と「プチ・シャトー」の2つから成る。
    「グラン・シャトー」はフランス革命期に最初の建物が破壊された後、1870年代に国王ルイ・フィリップの5男オマール公アンリ・ドルレアンにより再建された。
    「プチ・シャトー」は1560年頃、Anne de Montmorencyアンヌ・ド・モンモランシー(ヴァロワ朝時代のフランスの元帥)のために建てられたものである。

    1772年から1774年にかけて、第8代コンデ公ルイ5世ジョゼフ(1736年~1818年、ルイ4世アンリの子。また、付け加えれば、ショーモンテル城を再建したのは第7代コンデ公である)が城内に造らせた「Le hameau de Chantillyル・アモー・ドゥ・シャンティイ」はイギリス式庭園である。

    城内にはコンデ美術館、そして世界的に知られたシャンティイ競馬場がある。

    旅行時期
    1984年04月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • セピア色の思い出:パリはやっぱりカオスだ。その中心にコンコルド広場がある。

    投稿日 2021年05月09日

    コンコルド広場 パリ

    総合評価:4.0

    ≪セピア色の思い出:1984年の復活祭はフランスのパリ、ロワール渓谷に小旅行≫

    1984年は復活祭の休みが4月20日(金)~23日(月)だったので、40歳の私共は、この3泊4日の予定でデュッセルドルフからフランスに小旅行をした。(総走行距離1,781km)

    パリの北、約25kmの近距離にある、人口2300人と云う小さな村に古城ホテルがあり、以前から泊まってみたい気持ちがあった。
    【Chateau de Chaumontelショーモンテル城】
    1984年4月20日(金)~22日(日)2泊朝・夕食込み、全20室。
    (宿泊料などはFRF仏フラン1,435@2.88=DM498、凡そ5万円でした)
    ショーモンテル城(別名Herrenhaus von Preslayプレスレイの館とも呼ぶ)。
    城を囲む水堀や池、橋、4ヘクタールの広い、ロマンチックな美しい庭園に囲まれた古城は現在もホテルとレストランとなっている。

    この古城ホテルを起点にして、パリ市内やロワールの古城巡りをした。

    ①1984年4月20日(金) 晴、475km+(30kmX2=60km)=535km

    <パリ見物>
    ショーモンテル城で小休止の後、ショーモンテルからパリに向かう。
    30km弱の距離である。
    N16の道を走り、パリを訪れると、パリ北東のPortede la Chapelleラシャペルの門から入る。久しぶりにパリ市内を走った。
    だがパリはやっぱり*カオスだった!

    (*ヨーロッパ各国を車で凡そ20万km走った経験では、やはりドイツ系の国・ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタインが一番安心して走る事ができる。つまり運転技術やマナーがベストと言える。次にドイツ語をしゃべる地域をもったオランダ、ルクセンブルグ、ベルギーで、ドイツ系の人たちの影響があるのだろうか。3番手にイギリス。4番手はイタリアで、最後はフランスがくる。
    私もパリには数回訪れているが、パリ市内などはドイツ人に言わせると“Chaosカオス(混乱、無秩序)”だそうだ。ドイツ人の表現に私も同意・納得する)

    最初は何度も訪れたパリの中心・Concordeコンコルド(調和の意味)広場だ。東西南北の市内の主要な通りを広場で十字に交わらせるパリの要がこの広場、周辺には相変わらず各国の観光バスが待機中だ。訪れる日本人観光客もさすがに多い。
    オベリクス(エジプトのルクソール神殿のものを王から贈られた)の立つコンコルド広場をバックに、この旅最初のパリに写真を撮った。

    コンコルド広場(1755年にルイ15世の命によって造られました)の中央に「川の噴水」・「海の噴水」というふたつの大きな噴水が高々と水を噴き上げ、大きくなった娘たちを迎えてくれている。
    コンコルド広場から見るエトワール凱旋門が、シャンゼリゼ通りの遠くに見え、その姿と家族達を写真におさめたが、かすかに凱旋門を認識出来る程度だった。

    1984年当時の写真は、1970年代の写真に比べ、セピア色になっていない。

    パリ見物の目玉のPalais du Louvreルーブル宮・ルーブル美術館、それから順不同なのだが、コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを歩き、ナポレオンが建てたエトワール凱旋門(1836年)まで行く。
    次はローマ・カトリック教会の大聖堂であるCathedrale Notre-Dameノートルダム寺院、シャイヨ宮の中央テラスから望んだLa tour Eiffelエッフェル塔など。

    何度目かのパリ見物はこんなもので終了して、ショーモンテル城に戻った。

    ・・・・・・・

    旅行時期
    1984年04月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 青梅宿・甘味処の代表は道味(どうみ)である。

    投稿日 2021年04月29日

    道味 青梅

    総合評価:5.0

    2019.09.13.~14.
    母7回忌の法事で、かんぽの宿青梅に1泊して、法事の後、土産を買いに立寄った。

    26歳の結婚まで、私共夫婦が育った町であるから、友人も、思い出も多い。

    青梅駅のロータリーの先の大通りを左手に行くと、丘の上に祀られた住吉神社がある。徒歩約4分と近いが、その住吉神社前に創業160年以上という青梅でも老舗の道味和菓子店がある。
    ここには私共のお気に入りの御菓子がある。

    ≪道味和菓子店(どうみわがしてん)≫

    住所:東京都青梅市住江町68
    電話:0428-22-3201
    最寄り駅:青梅駅から徒歩約4分、住吉神社前
    月曜定休。和菓子専門店:最中、青梅せんべいなど。9―18時営業。
    尚、河辺店は河辺駅北口徒歩3分にある。

    創業弘化3年(1846年)頃、当初は薬種商を営んでいたが、いつからか菓子を造って売るようになり、現在に至っている。
    「道味」と書いて「どうみ」と読ませるが、この店名の由来はご先祖様の俳号だそうだ。

    道味(どうみ)の名物は店の看板と同じ梅の花をかたどった手焼せんべいである「青梅せんべい」で、材料は小麦粉、卵、砂糖、胡麻油を練って焼き、さく、さくとした歯応えとさっぱりした甘みが好ましい。

    「最中(もなか)」も名物である。
    青梅せんべいとならんで創業当初から変わらない味を伝えている。
    道味の名前を入れた皮に甘さを抑え小豆の旨味を出したつぶし餡を入れた香ばしい最中である。
    (最中の賞味期限は7日~10日。夏季は冷凍しても美味しい)
    私共は、どっしりとした餡が詰まった最中が格別に美味しく、青梅を訪れると必ず購入する。亡くなった両親も良く好んで食べて、ひいきにしていた。

    江戸後期から、ここでお店を開いていて、 当時は目薬も製造していた。
    その証のように<一子相伝(いっしそうでん:学問や技芸などの師が、その奥義、秘法、本質を自分の子どもの中のひとりにだけ伝えて、他の者には秘密にすること)>を謳った「目薬」の古い看板が置いてある。

    戦後も薬事法改定後、菓子専門店となった。

    店の中: 店舗と奥の部屋とのしきりの戸板も漢字。
    蔵の整理をした時に出てきた板を戸に嵌めこんでいると云う。


    XXX

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    利用形態
    その他
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    5.0
    雰囲気:
    4.5
    料理・味:
    5.0

  • ネルトリンゲン旧市街:14世紀の市城壁が、5つの市門、11の塔と共に、今もほぼ完全に保存され、この城塞都市をぐるりと囲んでいる。

    投稿日 2021年04月03日

    ネルトリンゲン旧市街 ネルトリンゲン

    総合評価:5.0

    <Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅>

    期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間

    Noerdlingenネルトリンゲン観光:  12:20~14:25 
    Oettingen-Wallersteinエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家のヴァラーシュタインの町から南に6kmにあるネルトリンゲンの町は“生きている完全な中世都市”と称される、かつての新教派の帝国都市ネルトリンゲンは見事なほどに、中世の景観を残した町である。人口は21千人。

    <ネルトリンゲン旧市街>
    中世城塞都市の環状のStadtmauer市城壁が14世紀に建てられ、5つの市門、11の塔と共に、今もほぼ完全に保存され、この町をぐるりと囲んでいる。

    5つの市門の内、一番大きな楼門は南の①Berger Torベルガー門である。ここから時計回りに西の②Baldinger Torバルディンガー門、市壁博物館としても使われている北の③Loepsinger Torレプジンガー門、北東のDeininger Torダイニンガー門、東のReimlinger Torライムリンガー門が連なる。

    11の市塔は、北西から時計回りに①Feilturmファイル塔、②Loewenturmレーヴェン塔、③Oberer Wasserturmオベーラー・ヴァッサー塔、④⑤⑥⑦⑧Backofentuerme (5)バックオーフェン塔(5基)、⑨Spitzturmシュピッツ塔、⑩Unterer Wasserturmウンテラー・ヴァッサー塔、⑪Reissturmライス塔がある。

    この町でもいまだに城壁を夜警が見回るのだと云う。しかも城壁の回廊を歩いて一周できる町は広いドイツでもネルトリンゲンだけなのだ。

    ネルトリンゲンの旧市街には、5つの市門の一つBaldinger Torバルディンガー門から入り、Egerエーガー川を渡ると、左手にStadtmuseum町の郷土博物館があり、その傍にあったパークハウスに車を入れて、徒歩でヘレン横丁から右回りに歩み始めた。
    市城壁のある外周の中に、それを少し小さくしたぐるりと回る内周がある。木組み建築の家並みが続く、ヘレン横丁、ワインマルクト、ノイバウ横丁、ドレーハー横丁だ。ノイバウ横丁から左折し、更にマルクト広場に繋がるライムリンガー通りを行く。
    そこは町の中心でホテル、店舗、カフェ、広場の戦争の噴水、町庁舎、聖ゲオルク教会、穀物市場などがある。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ネルトリンゲン:「パン屋とタンツハウス(舞踏館)」という名の美しい、大きな木組みの館がある。

    投稿日 2021年04月02日

    タンツハウス ネルトリンゲン

    総合評価:4.0

    <Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅>

    期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間

    Noerdlingenネルトリンゲン観光:  12:20~14:25 

    “生きている完全な中世都市”と称される、かつての新教派の帝国都市ネルトリンゲンは見事なほどに、中世の景観を残した町である。人口は21千人。

    この町のマルクト広場には二つの名がくっついた、珍しい名の建物Brot- und Tanzhausブロート&タンツハウス、白い壁に赤い彩色も美しい、大きな木組みの館がある。

    Brot- und Tanzhausパン屋とタンツハウス(舞踏館);
    町が繁栄していた1442~1444年に現在のような建物が建築された。
    当時、一階に小さなパン屋が入っていて、人々の集会場、ダンス場、商館や倉庫も兼ねたものだったと云う。
    1829~30年、 大きな改築が行われ、1830年から学校の校舎として使用された。
    1920年代以来、町庁舎の傍ということで、庁舎の行政の一部に貸与されている。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • マルクト広場に立つ、この町の庁舎は”ネルトリンゲンの石の家"と称される。

    投稿日 2021年04月01日

    市庁舎 (ラートハウス) ネルトリンゲン

    総合評価:4.0

    <Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅>

    期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間

    Noerdlingenネルトリンゲン観光:  12:20~14:25 
    ヴァラーシュタインから南に6kmにあるネルトリンゲンの町も1500万年前に直径1000mの隕石が落下・衝突によって形成されたと云われる、25kmのリース盆地にある。
    “生きている完全な中世都市”と称される、かつての新教派の帝国都市ネルトリンゲンは見事なほどに、中世の景観を残した町である。

    <Rathaus町庁舎>

    ロマンチック街道でも知られたローテンブルクにはがっちりした立派な市庁舎が建ち、
    ディンケルスビュールの庁舎はなんと1733年に建てられたものだが、「新町庁舎」と呼ばれる、町に相応しいこぢんまりした庁舎がある。

    マルクト広場に立つ、この町の庁舎は"Steinhaus zu Noerdlingenネルトリンゲンの石の家"と称され、其々の町の特徴を見せている。
    Grafen von Oettingenエッティンゲン伯の領地の中心に“石の家”が出来たのは1307年のことである。
    1618年に庁舎の横に、取って付けた様な大変珍しい「屋根付きのFreitreppe戸外階段】が作られ、美しい彫刻で飾られている。

    この日、町庁舎周辺は“蚤の市”のような、手工業品を並べた店が軒を連ね、近在の人などで賑わっていた。ぐるりと回ってみたが、木工作品が目に付いた程度だった。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ネルトリンゲンの教会塔は"ダニエル”と愛称で呼ばれ、塔守の伝説や隕石から作った石段がたいへん興味深い。

    投稿日 2021年03月31日

    聖ゲオルク教会 (ネルトリンゲン) ネルトリンゲン

    総合評価:5.0

    <Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅>

    期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間

    ロマンチック街道を行くと、見事な中世以来の城塞都市があり、市城門、塔、それを繋ぐ城壁が大変魅力的だ。
    中でも、旧市街に目立つのは高い塔だ。例えば、ローテンブルク市庁舎、その横に立つ高さ40mの鐘塔(1250~1400年)、またディンケルスビュールのSt.GeorgeKirche聖ゲオルク教会(1448~1499年)の塔の高さは62mと云う。

    こちらのネルトリンゲンの聖ゲオルク教会はとりわけ90mと高い。 
    ディンケルスビュールの聖ゲオルク教会と同じ頃、15世紀に建てられた後期ゴシックの教会の塔は90mの高さがあり、搭上からの眺望は中世の景観を残した円形都市が眼下に見え、素晴らしいようだ。上を見上げると搭上にも人の姿が小さく見える。
    だが、私共には350段を上るほどの気力はない。(開館:9時~18時)

    ディンケルスビュールの教会と同じ名前だが、ネルトリンゲンの教会塔は"Daniel"ダニエル(旧約聖書に登場する予言者ダニエルの事)と愛称で呼ばれる。
    それだけの見事な威容を示す塔で、町に残る<Turmwaechterトゥルムヴェヒター塔守の伝説>も興味深い。

    聖ゲオルク教会内部には隕石の衝突跡の岩石があると、観光本に書いてあったが、良く分からないので、74歳の老女に聞いてみると、“こっちだ!”と、説教壇の柱傍の、見た目は普通の石段を指して、“これが隕石から作った石段だよ。”と教えてくれた。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • セピア色の思い出:イギリスのキングストン・アポン・ハル港から大型フェリー船に1泊しながら、オランダのロッテルダムに向かった。

    投稿日 2021年03月25日

    その他の都市

    総合評価:4.0

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    1978年8月の休暇で初めて、ドーバー海峡を越え、Edinburghエディンバラ城のMilitary Tattooミリタリー・タトゥーの祭りを見るのが目的でしたが、ロンドン観光の大英博物館など、女王の居城ウィンザー城、Oxfordオックスフォード、湖水地方、ハドリアヌスの防御線、ネス湖、エディンバラ城なども見て、Kingston on Hullキングストン・アポン・ハルの港から、Rotterdamロッテルダムに抜けて、オランダ駐在の後輩一家に会ってから、ドイツに戻りました。

    <イギリスのキングストン・アポン・ハル港から大型フェリー船に1泊しながら、オランダのロッテルダム(ユーロポート)港に向かって出航する>

    この日はイギリスの最終日になる。

    14日目の8月18日(金)、晴れ
    エディンバラのホテルを午前9時15分に出発し、A1を南下する。Newcastleニューカッスル経由でハルまで凡そ280kmを走った。

    尚、キングストン・アポン・ハル*(通称Hullハル)は、イギリス・イングランド東海岸に位置するシティであり、北海に注ぐハル川の川畔の北に発展した人口257千人の中核都市で、国際航路を行く大型貨客船も寄港する港町である。


    ≪North Sea Ferries北海フェリー:Norwindノースウインド号≫
    北海フェリーは1965年~1996年まで、キングストン・アポン・ハルからロッテルダム(ユーロポート)、及びZeebruggeジーブルック間を就航していた。
    http://www.simplonpc.co.uk/NorthSeaFerries.html
    乗船したのは写真のノースウインド号 (North Sea Ferries:1965~1987年就航)で Hull-Rotterdam(Europoort) 間を運行した。
    4,306頓、船の長さ108m、235名の乗客と200台の車両を収容した。

    イギリスの中央部の東端にあるキングストン・アポン・ハル港から、北海フェリーの船ノースウインド号に、旅の間良く走ってくれた愛車のオペルを乗せ、翌朝オランダのロッテルダム港に上陸した。

    初めて大型フェリー船の夜行便に乗ったが、北海の夕日が美しく、波も穏やかなもので、船旅は快適だった。
    皆食欲も旺盛で船内のレストランで夕食を食べ、ノースウインド号は4,306頓と大きい所為か揺れた覚えもなく、ぐっすりと寝ている間にオランダに着いた。
    船室はスペシャルキャビンと称したBデッキの1024号室、中央部にある海が見えない部屋だったから、安い部類の部屋だったのでしょう。
    4人部屋の左右に2段ベッド2組が備えられ、2段ベッドの上に娘たちが面白そうに寝て、私共は下の昼間はソファーになるベッドに寝た。
    寝心地も良かったのだろう。長距離を走った車の移動からの緊張も解け、旅の疲れから、皆直ぐに寝てしまった。

    北海フェリーの料金はHull=>Rotterdam(Europoort)間で乗用車1台と大人2、子供2人分 片道食事代込みでDM800でした。所要時間は11時間です。
    (現在の北海フェリーの料金は乗用車1台と大人2人分、片道22,774円)

    ・・・・・

    15日目の8月19日(土)、晴れ、オランダは暑かった。
    ユーロポートはオランダのロッテルダム付近にある欧州共同市場の主要港として発展していた。この為、各商社はロッテルダムに支店などを設けて対応していた。
    当社のロッテルダム支店には、2年後輩のU君が家族と共に住んでいた。ロッテルダムとデュッセルドルフ間はアウトバーンで走れば近いこともあって、何度か双方が行き来していた。
    そのU家3人と、短い再会をした後、凡そ230km先のドイツ・デュッセルドルフにたくさんのお土産と共に戻った。

    総走行距離は3,400km(スタート時81,790km、完走時85,190km)と、15日間の旅としては良く走った思いが残る。
    天気に恵まれたこの旅は良く日焼けしたものでした。

    当時の写真を見てみると、いまだに色合いを保った写真もあるが、多くが写真屋の焼きが悪かったらしく、黄ばんだものになっている。

    思いきって夏の休暇に、ドーバー海峡を渡った「生涯一度のイギリス旅行」も、43年近い古い旅、セピア色の思い出の旅となってしまった。

    ・・・・・・・・・・・・
    (2021年03月24日Wiki参考、編集・追記)

    旅行時期
    1978年08月
    利用目的
    中・長遠距離
    コストパフォーマンス:
    4.0
    利便性:
    4.0

  • セピア色の思い出:エディンバラ市内観光をして、お土産にゴルフ道具と銀器などの買物をした。

    投稿日 2021年03月06日

    Edinburgh Information Centre エジンバラ

    総合評価:5.0

    ≪エディンバラ市内観光をして、お土産にゴルフ道具と銀器などの買物をした。≫

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    12日目の8月16日(水)晴れ
    昨日も城好きには嬉しい日で、岩山に築かれた巨大なスターリング城とスコットランド王の居城エディンバラ城を見て一日を過ごした。

    今日はスコットランドの首府エディンバラ市内を観光予定になっている。
    そろそろ旅も終盤を迎え、明日はこの旅第一の目的でもあるエディンバラ城のMilitary Tattooミリタリー・タトゥーを見る予定だから、その前に市内を巡りながらお土産探しをしてみた。

    <エディンバラ市内の観光とお土産>
    エディンバラ城以外の観光地はパーラメント(議会)スクエアからスタートし、以下(抜粋)のようなものになった。

    John Knox's Houseノックスの家:(入場料£0.55)
    43-45 High St., Edinburgh EH1 1SR
    ジョン・ノックス(1510~1572年)は聖ジャイルズ大聖堂の牧師であり、スコットランドの宗教改革の指導者(プロテンスタント急進派)で、この家に住んでいた。元々は16世紀、メアリー女王の鍛治屋が建てた家で、エディンバラでは最古の家屋と云われている。

    Museum of Childhood子供史博物館:(入場料£0.7)
    42 High St., Edinburgh, EH1 1TG
    エディンバラ城から東に歩いていく、ロイヤル・マイルに子供史博物館とジョン・ノックスの家がちょうど向かいあう辺りに建っている。
    1986年、子供嫌いの市議会議員が大人のために設立したという、ユニークな博物館と云う。1978年に訪れた際、子供史博物館は既にあったと思うのだが、よく分からない。
    但し、アルバムには子供史博物館の看板(現在の看板とは違うデザインだが)を撮った写真や、とても楽しかったとの感想が残る。
    現在は、世界中から集められた膨大な数の玩具や雑貨など子供にまつわる物が展示してある博物館で、子供の博物館には主におもちゃが収集されている。

    The Royal Mile ロイヤル・マイル:
    ロイヤル・マイルはエディンバラ城とホーリィーロードハウス宮殿を結ぶエディンバラ旧市街の通り、全長1.6kmほどの通りである。美しい石畳が敷かれ、周囲には古い民家、カフェ、レストラン、ギフトショップなどが並んでいる。
    中世には王族が馬車で往来していた通りであったから、歴史的建造物も多く残り、ブラブラしながら見ていく観光・買物には便利な一帯だ。

    Old and New Towns of Edinburghエディンバラの旧市街と新市街:
    スコットランドの首府エディンバラは石造りの町で、新市街といっても18世紀に造られた。旧市街には中世の古い石畳の道や路地が続いており、歴史的建造物が集まっている。近接した二つの旧市街と新市街が美しく調和した町並みを誇り、後に(1995年)ユネスコの世界遺産に登録されている。 

    Palace of Holyroodhouseホーリィーロードハウス宮殿:(入場料・ガイド£1.5)
    ロイヤル・マイルの東端に位置する宮殿だが、12世紀にはホーリィーロード教会のゲストハウスであった。1501年、宮殿に改装され、スコットランド女王メアリー1世も1561年~1567年までここに暮らしており、宮殿内にはメアリーの部屋が残されている。
    イギリス王室のスコットランドにおける宮殿で、現在もエリザベス女王がスコットランド滞在で使用する公邸として知られている。王室や国賓が来訪の時以外は見学可能で、歴代王の肖像画が飾られたグレートギャラリーや、廃墟になったホーリィーロード修道院も見学できる。

    Calton Hillカールトン・ヒル:
    Calton Hill, Edinburgh EH1 3BJ
    エディンバラの新市街地の東部にある海抜110mの小高い丘で、市街や海が一望できる眺めの良い所だ。
    古代は火山だった丘の上には「ナポレオン戦争の戦没者記念碑=ナショナル・モニュメント」(戦没者記念碑として建てられたが、1829年予算が尽き未完成となったギリシア神殿風の建物)や「海軍提督ネルソンの記念塔=ネルソン・モニュメント」(1815年、32m)、旧天文台などが残る丘です。

    夕暮れの海岸:
    カールトン・ヒルから丘を下がって、エディンバラの北部に先ほどまで見えたLeithリースの海岸まで行ってみた。子供たちは貝殻を拾って楽しんだ。

    <エディンバラで購入したお土産>
    その①は銀食器である。=£95。

    その②はゴルフ道具となった。=£317。
    ビギナー用と言って購入したが、ビギナーのまゝ会社生活をこの道具と終えてしまった。
    尚、ビギナー故、道具の事は店員任せだったが、ゴルフ道具アイアンセットは英国の偉大なプロゴルファーとして知られるSir Henry Cottonヘンリー・コットン卿(1907~1987年)のブランド名が付いたアイアンセットでした。
    ヘンリー・コットン卿はThe Open Championship全英オープン選手権に1934、 1939、1948年の3度のチャンピオンになっているが、そのほか欧州各地のトーナメントでチャンピオンに34度も優勝した。
    George NicollジョージニコルのウッドセットNo.1、3、5番はHickory shaftヒッコリーシャフト(クルミ科の木)でした。

    その③は子供のズボン=£20、ロイヤル・アルベルトのティーポット£6.6、マフラー5枚=£8.15などでした。

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    (2泊)B & B Tankard Guest Houseタンカード・ゲストハウス
    40 East Claremont Street, Leith, Edinburgh EH7 4JR

    B&Bタンカードはロイヤル マイルから北に約5kmの距離、夕暮れの海岸を見てきたリース地区にあった。このB&Bの写真も残っておらず、オーナー夫婦の大変親切であったことが印象に残っている。それで当初は1泊の予定だったが、結果的に2泊をお願いしたのだ。(2泊代は£17X2=34)

    (住所と名前からホテルを調べてみたら、この写真を見つけた。
    その昔のイメージにピッタリかと言えば、もう何とも断言できないのだが。

    この時は観光案内所の紹介だったかもう忘れたが、市内にB&Bの宿を見つけられて、ホッとしたというのが当時の気分だった。
    2泊目は実は事前に小切手で1泊分£14を支払い済みだった個人宅のB&Bがあったのだ。日程が1日ずれてしまい、その旨の手紙を出発前に送ってあったので、当然宿泊はOKと思って訪ねたら、B&Bも既に予約がうまっていたため、変更が出来ず、結局返金もなしとなった。慣れないことをやった為だが、それで慌てて、B&Bタンカードに戻り、もう1泊お願いする事となった)

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    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    2日以上

  • 昭和レトロ商品博物館はレトロ大好き人間には実に楽しく、興味深い場所だ。

    投稿日 2021年02月23日

    昭和レトロ商品博物館 青梅

    総合評価:4.0

    ≪青梅宿・昭和レトロの旅:②昭和レトロ商品博物館、③赤塚不二夫記念館を訪ねた≫ 
    (2012年12月8日~9日)

    青梅駅のロータリーの先の大通り(いわゆる“脇往還・「甲州裏街道」である)を左手に行くと、丘の上に祀られた住吉神社(大祭で賑わう青梅の鎮守様は創建は応安2(1369)年)の近辺に三つの昭和レトロの記念館がある。

    先日掲載の①昭和幻灯館と、②昭和レトロ商品博物館(かつての谷村家具店)、
    ③赤塚不二夫記念館(かつては外科の医院だったような記憶がある・・・小学生の頃、薪割りの手伝いをしていて、誤って左手の親指の先を爪と肉を削いでしまった事があったが、軍医上がりの医者が手当てをしてくれた)である。

    青梅のさびれた商店街活性化事業として、平成11年、15年、17年と、
    其々開館されたと云う。
    かつての繁栄を今一度と、町の知恵者が平成3年(1991)から「青梅宿アートフェスティバル」を開催するようになった。平成6年には「振り向けば青梅宿」と題して映画看板を街中に掲げ、平成13年には「妖怪たちの青梅宿」と題して調布橋のたもとに「小泉八雲 雪おんな縁の碑」を建立するなどが、その結果としてある。

    <②昭和レトロ商品博物館>
    〒198-0084  東京都青梅市住江町65
    開館:10:00~17:00 、休館:月 祝日の場合は翌平日、年末年始
    青梅線青梅駅から徒歩で5分。
    昭和時代のノスタルジックな生活雑貨(駄菓子、飲料、雑貨、文具、くすりなどのパッケージ)を展示している博物館。
    https://www.omekanko.gr.jp/spot/01901/

    館内の所々に皆さんが見たであろう邦画・洋画の看板が架かっている。
    この看板の描き手は青梅在住だった故久保板観(くぼ・ばんかん)という方だと、先日掲載の①昭和幻灯館の編で書いた。
    かつての谷村家具店さんだったという建物は印象が大きく変わって、館内は昭和の生活を彩った様々な商品のパッケージの収集が所狭しと展示されていた。

    ここはレトロ大好き人間には実に楽しく、興味深い場所だ。

    昭和レトロ商品博物館の内部は見れば見るほど、子供のころの思い出に直結しますから、とても面白かった。

    尚、博物館の2階は「雪おんなの部屋」という展示が見られる。

    ・・・・・・・・



    旅行時期
    2012年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • 青梅・宗建寺には「義賊 裏宿七兵衛」の墓があるのを御存じか?

    投稿日 2021年02月17日

    宗建寺 青梅

    総合評価:4.5

    ≪故郷青梅の菩提寺・宗建寺には義賊 裏宿七兵衛の墓がある。≫

    私共の故郷は東京都青梅市である。
    「東京の西多摩・西の果て、東京のチベット」と口さがない連中に言われたのも大昔の事になるが、今でも時々、法事や墓参りで青梅を訪れる事がある。

    偶々、青梅の観光スポット ランキングを見る機会があって、その口コミ95件の内、第60位にランクされていたのが、我が家や分家・姻族の菩提寺である宗建寺でした。
    そんなものかと思ったが、口コミを読んでみると殆ど簡単である。
    それで書かれていない「義賊 裏宿七兵衛」の事などを旅行記に書いてみたくなった。

    <宗建寺(そうけんじ)>
    山号・・・仙桃山、 寺号・・・宗建禅寺、
    本尊(ほんぞん)=毘沙門天王(びしゃもんてんのう)
    本山(ほんざん)=鎌倉の巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)
    宗派(しゅうは)・・・臨済宗建長寺派(りんざいしゅうけんちょうじは)

    開山は浄土宗の一蓮社尭誉宗公上人(宝徳二年、1450年寂)で、二世より臨済宗に改宗した。慶安二年(1649年)、一石七斗の朱印状を寄せられている。
    また山門にかかっている山号額は当山十二世大祐和尚(だいゆうおしょう)の時、元文元年(げんぶんがんねん)(1736年)に書かれたもの。
    明和年間(1764~1771年)大祐和尚により現在の堂宇が再建された。
    仙桃山の扁額の懸かる山門を潜ると右手は客殿、庫裡、本堂とつづき、左手は鐘楼、さらに左は広い墓所となっている。境内の奥、本堂前は整備された美しい庭園となっている。
    また、庭園左奥の一段高い所に、我が家にも縁のある弁財天を祀る「妙音殿」が立っている。本堂には多摩青梅七福神の毘沙門天が安置され、当寺の本尊である。

    本堂の斜め前にある実に見事な槙(マキ)は樹齢400年以上もある巨木「夫婦槙」というらしい。白木蓮も春先には見事な花を咲かせる。

    <義賊 裏宿七兵衛の墓>
    宗建寺境内、ここには中里介山(なかざと かいざん)の長編小説『大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』で知られている裏宿七兵衛(うらじゅく しちべえ)の墓がある。
    小説『大菩薩峠』では義賊として描かれていますが、元文7年(1739年)に七兵衛なるものを首領とする盗賊団が捕えられ、処刑された記録が昭和26年(1951年)になって発見されて、実在人物であったことが分かった。
    (青梅の昔話;奥多摩民話の会編・第一集「奥多摩の昔話」にくわしく、詳細は関連旅行記をご参照下さい)

    何時の頃からか、我が家の菩提寺の宗建寺に、義賊 裏宿七兵衛の墓が出来て、一種の観光名所になった。

    多分、世の中の人々は「鼠小僧」の事は知っているでしょう。
    私ももちろん映画で「鼠小僧」は知っていましたが、我が家の菩提寺に「裏宿七兵衛の墓」がある事は長い間、知りませんでした。
    歌舞伎、落語や小説、映画・TVに出て来る「義賊 鼠小僧次郎吉(ねずみこぞう じろきち)はメジャーな義賊!?といえるのでしょう。
    二人は七兵衛が江戸時代中期、次郎吉が後期に活躍?した実在人物、西の果てと大江戸で捕縛された二人の差が、後者がメジャーになった理由なのかも知れない。

    ・・・・・

    御時間があれば、多摩青梅七福神の毘沙門天だけでなく、「裏宿七兵衛の墓」などをご覧ください。

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.5

  • 黒い森のグルメレストラン シュロスベルクのディナーを楽しみにしていたが、大いに満足した。

    投稿日 2021年02月09日

    Romantik Hotel Sackmann その他の都市

    総合評価:5.0

    今年最初に思い出したのは、ドイツの料理の水準の高さに目をみはり、印象深かった黒い森のレストランです。
    そのグルメレストランの事から始めようと思います。

    ≪ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅≫           
    :黒い森・バーデンワイン街道・高-上ライン川とボーデン湖・
    シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:
    期間:2007年4月19日(木)~5月3日(木)15日間

    4月22日(日) 快晴 25℃ 、 168km

    < 黒い森とシュヴァルツヴァルト山岳街道 >
    Schwarzwaldシュヴァルツヴァルト・黒い森はLand Baden-Wuerttembergバーデン・ヴュルテンベルク州バーデン地方に属し、北はBaden-Badenバーデン・バーデン、東はStuttgartシュトゥットガルト、南はFreiburg im Breisgauフライブルク・イム・ブライスガウ、西はライン川の流れを挟んでフランス中東部のAlsaceアルザス地方(Alsace-Lorraineアルザス・ロレーヌ)との国境にある。 
    森の国・ドイツを代表する、最も緑豊かなシュヴァルツヴァルト・黒い森はモミとドイツトウヒを主とした針葉樹の森である。この為、森が暗く(黒く)見えることから、“黒い森“と呼ばれるようになったと云う。その他、低地においてはオークやブナも生育している。
    標高は全体に低いが、実際は“山”のイメージに近い。第二次世界大戦後、酸性雨の被害によって、近年、多くのシュヴァルツヴァルトの木々が枯死したので環境問題が生じている。

    広大な総面積は約5180㎢、南北160km、東西20~60kmの幅で広がっている。一番高い箇所はFeldbergフェルトベルクの山頂で、海抜1493mである。ドナウ川、ネッカー川など多くの川が、シュヴァルツヴァルトに水源を有している。
    緑深い谷間には新鮮な空気、多くのミネラルを含んだ温泉・・・病気療養・保養する温泉保養地や数多くの一流レストランがあり、森林浴好きのドイツ人のメッカとなっている。

    その広大な黒い森には・・・
    「Schwarzwald-Hochstrasse山岳街道」:
    Baden-Badenから、Freudenstadt フロイデンシュタットまでの高地を通る55kmの本街道。
    「Schwarzwald -Baederstrasse温泉街道」:
    Nagoldナゴルト川とEnzエンツ川が合流する近く、金の街Pforzheimプフォルツハイムから、Bad Wildbad、Freudenstadt近郊の高原を通り、Altensteig、Nagold、Calwを経由し、再びPforzheimに戻る一周270kmコース。
    「Schwarzwald -Taelerstrasse峡谷街道」:
    Murgムルグ川とKinzigキンツィヒ川の谷間に沿った街道で、バーデンの北・Rastattから、Baiersbronn、Freudenstadtを通り、Alpirsbachに至る76kmのルート。
    ・・・などが広大な森を縦横に巡っている。

    しかも、ドイツ観光街道の一つとして名高い・・・北のHeidelbergハイデルベルクから、南のBodenseeボーデン湖に至る「Fantastische Strasseファンタスティック街道」も走り、そしてライン川沿いにはドイツワインの13産地域の一つである、「Badische Weinstrasseバーデンワイン街道」があり、街道に点在するワイン産地の町々を訪ねる事ができる。
    更には郭公鳥や鳩時計で有名な「Deutsche Uhrenstrasseドイツ時計街道」や木組み建築がよく保存されたドイツ南西部の町々・Calwカルフ、Meersburgメーアスブルク、Mosbachモスバッハ、Miltenbergミルテンベルクなどの町が点在する「Deutsche Fachwerkstrasseドイツ木組み建築街道」を巡る旅もあって、黒い森を旅することの楽しみは倍加する。

    黒い森の小さな村々を繋いで走る、国道B296/294はアップダウンの激しい道である。See-Resenfeldゼー・レーゼンフェルトからBaiersbronn-Schwarzenbergバイヤーズブロン・シュヴァルツェンベルクに向かうL?の下り坂は10%の傾斜で3.5kmをずっと下りていく。平地を走るB462に至ってホッとする。カルフからホテルまでちょうど54kmの道のりです。Schwarzwald -Taelerstrasse峡谷街道を数キロでバイヤーズブロン・シュヴァルツェンベルクに入る。
    入ると直ぐ、道路際にいきなりホテルの看板が目に入った。
    Murgムルグ川の川畔に立つ、黒い森の典型的な建物をイメージして建てられたと思われる、5階建てのHotel Sackmannホテル・ザックマンには早めの16:15に到着した。 

    ホテルのレセプションのこぼれんばかりの笑顔に迎えられて、二階の102号室に案内される。ベッド、家具、バスルームはモダーンであるが、全体の印象は落ち着いた洗練されたもの。壁には絵画も飾られている。立派な長椅子の前にあるテーブルには、オーナーからの私共を歓迎すると言うメッセージが置かれ、果物、チョコレート、バラの花篭(造花!)が用意されていたのは大変嬉しいものだ。窓の外にはムルグ川が見える。

    ≪Hotel Sackmann のRestaurant Schlossbergシュロスベルク≫
    グルメレストラン シュロスベルクは24席に対し、10人の従業員の配置とか:メニューはEuro85~105でミシュラン1星(16点)、ゴー・ミョー18点、全独ランク21位である。

    同地域のミシュラン2星のHotel Bareissホテル バライスのメインレストランRestaurant Bareissバライスは30席に対し、16人の従業員の配置とさすがに手厚い。ゴー・ミョーは18点と同じである。Sackmannはミシュランも限りなく2星に近いのか?!
    バイヤーズブロンの地区にはミシュラン3星、ゴー・ミョー20点、全独第1位に格付けされているSchwarzwaldstubeシュヴァルツヴァルトシュトゥーベ Traube Tonbachトラウベ・トーンバッハ、そしてミシュラン2星、ゴー・ミョー18点、全独第7位のHotel Bareissホテル バライスMitteltalミッテルタルがあり、黒い森地域の水準の高さは目をみはるものだ。
    因みにドイツにおける、2006年版ではミシュラン3星は7店で全て20点の最高得点、2星は15店(19点)、1星は168店(16点)、ゴー・ミョー最高の19.5点は3店、19点は6店、18点は21店、ミシュランの1星に相当する17点は79店となっている。

    *レストランの格付け:2004年~2007年Volkenborn Hitlisten;

    ドイツランク     レストラン名・場所     ミシュラン星付き 
    4    Residenz Heinz Winkler ・Aschau *** 
    13    Zur Traube ・ Grevenbroich **
    21   Schlossberg・Hotel Sackmann・Baiersbronn   *
    27     Wald&Schlosshotel Friedrichsruhe *
    35   Endtenfang Hotel Fuerstenhof Celle *
    58   St.Peter Walporzheim・Bad Neuer-Ahrweiler  *
    101   Schwarzer-Adler Franz Keller ・Vogtburg *
    175   Graf Leopold Schlosshotel K・Amtshaus・Eifel *
    219   Schwabenstube Hotel  Adler・Asperg   *
    421   Nesselrode Schlosshotel Hugenpoet・Essen  *

    当時、上からミシュラン3星、2星、以下の店は1星であった。
    * 因みに2007年のヨーロッパランク・トップ101の内、国別にはフランス39店でさすがに多く、イタリア15店、ドイツ14店がそれに次ぐ。ベルギー7店、スペイン6店、オーストリア5店、イギリス4店、スイス、オランダは各3店を数える。
    トップ10に限るとスペインは3店(No.2、3、9)、ドイツ2店(No.4、8)となり、フランス1店(ランクNo.1)を凌駕する。ベルギー、オランダ、スイス、イギリスが其々、1店である。

    <夕食:Restaurant Schlossbergレストラン シュロスベルクで>
    18:50~22:00
    早めのホテル到着で、夕食までゆっくりできたのでお腹も空き、夕食が楽しみである。宿泊客の為のレストラン“Silberbergジルバーベルク”や軽食やコーヒータイムに利用する“Anita-Stubeアニータ・シュトゥーベ”もいずれも素晴らしいレストランだが、やはり飛び切りはグルメレストランのシュロスベルクである。黄色を基調としたカーテン、チェアーは贅沢な空間になっている。
    案内されたのはテラス・レストランの見える奥の席でした。もう、9割の席はうまっている。
    テーブルには白いテーブルクロスを敷き、その上には白いカスミソウの花を入れたラッパ状の花瓶と、紫のリボンを横に伸ばして飾りとするなど、レストランの上品さを演出している。白を基調にした皿に色合いも鮮やかな料理がアレンジされて、さすがに素晴らしい。

    早速、給仕長が注文を聞きにやって来る。
    まず、アペリティーフをSandemannサンデマンのドライシェリーをお願いする。そして、いつものように炭酸ガス抜きのドイツの名水、Apollinarisアポリナリス 0.75Lを一本お願いする。
    メニュー料理は“Fuer Geniesser(料理好き(美食家)方の為に)”が4品コースで85Euro、“Entdeckungsreise(探検旅行・シェフお任せ)”は特別コースで125Euro、“Schlossberg(シュロスベルク)”が6品で105Euroの三つが旨い名前で提示されている。
    給仕長に料理の量や、ア・ラ・カルトの事も聞いてみると、『量はそれほど多くありませんし、メニューの方がお値段的にも宜しいかと、思います』とアドバイスがあり、二人とも美食を楽しむという意味の“Fuer Geniesserフュアー ゲニーサー”にする。

    次はワインのオーダーです。給仕長が持ってきたワインリストは縦40cm、横30cm、幅は数cmもあるものでした!!こんなものを見るのは初めての経験で驚きました。ワインリストは記念に写真を撮った程です。
    分厚いリストから選んだのはバーデンワイン最高の赤、“Dr.Hegerへーガー博士” 2004年 Ihringer Winklerberg Spaetburgunder 、Kaiserstuhlイリンガー・ヴィンクラーベルク・シュペートブルクンダー・カイザーシュトゥールでした。(事前学習!で、バーデンワインではDr.Hegerがトップワイナリーと知っていたので、リストから選びました。紫色を帯びた赤、まろやかさ、心地よい、独特の香りと風味を感じた。 お値段もリーズナブルな51Euro=8.5千円。)

    食事に入る前にはオーナーシェフ・Joerg Sackmannヨルグ・ザックマン氏がテーブルに来て、挨拶をした。勿論全てのテーブルに!

    <“Fuer Geniesser料理好き(美食家)方の為に”は>

    シェフの御挨拶(待ち時間にお客を飽きさせぬ目的で、調理場から出される小品。勿論、メニューにも掲載されず、お値段には加算されない)が2品、いっせいに厨房が忙しくなった様で、食事の間を取る為に適時、運ばれてくる。
    その一つ目は『ガラスの皿にのせた小さなカップに卵のスープ(?)』です。
    二つめは『煮込んだ小さな玉葱(?)に茸添え。』
    いずれも小ぶりな、上品な味だ。

    前菜は実に面白い事に日本的なアレンジで、『貝の海苔巻天ぷらにキャヴィアのせ。ハマチの両面焼き、ワサビゼリーを添え。ライスペーパーにパッションフルーツのせ』さすがに給仕長も「この料理は日本の方に説明は不要ですね」と言っていた。

    2品目は魚を主にした料理;『鯛にグレープフルーツ添え、豚腹肉のマリネにクルミ・ジャガイモのクリーム添え』
    メインの肉料理は『子牛肉に玉ねぎ、葱を添え。赤ワインソースで味付け』 

    更にシェフから3つ目の御挨拶が。説明を受けたがもう記憶に残っていない。

    写真はあるのだが、白いカップにムース状のものが入っていて、ポテトを網状にしてパリッと揚げたものがのっていた。美味しかっただけが記憶に残る。
    (通常の料理はメニューを頂いてくるので後からでも写真とメニューで分かるのですが、シェフの御挨拶はその時の状況に応じて、厨房より出てくるので、当然メニューには載っていない。給仕の説明を都度、ノートしておくのも、なかなか難しいのだ)

    デザートは『ラヴァーヴァにバニラアイス、ヨーグルト-ジンジャークリーム、バナナとチョコレート』でした。

    ここの従業員は珍しいことに、料理をさげる際に儀礼的な口上「お味はお気に召したでしょうか?!」とは聞かない。美味しくて当然と思うのでしょう!!あるいは日本人には聞きにくかったのか?

    食後のコーヒーを頼むと、杯の上にチョコレートが一杯のって出てきた。
    もう充分。

    シェフとして、アジア的、地中海的、且つフランス的な要素を一つにした、洗練されたスタイルを確立してきた事が評価されているそうです。先程の前菜に見た如く、大変意欲的で、味も上品な美味しさで、充分その魅力を楽しませてもらった。2006年に楽しんだ“Zur Traube葡萄亭”(ミシュラン2星)にも十分匹敵する思いがしました。
    今夜のディナーは3時間を越えましたが、お値段合計Euro247=4万円でした。

    <(1泊)Hotel Sackmannホテル・ザックマン>
    D-72270 Baiersbronn-Schwarzenberg、
    Romantik Hotel ;4星S、全49室、102号室(2F)Euro 118=2万円
    レストラン Schlossbergはミシュラン1星、ゴー・ミョー18点
    http://www.hotel-sackmann.de

    Romantik Hotelロマンチックホテルの案内本に紹介されている黒い森のムルグ谷にある滞在型ホテルである。黒い森にふさわしく、がっちりした木の梁の天井や力強い色調のエレガントなレストランは印象深い。
    グルメレストランのSchlossbergは評価も高く、Feinschmeckerファインシュメッカーの月刊雑誌で紹介されたシェフ・Joerg Sackmannヨルグ・ザックマン氏は42歳。1988年より両親の経営するこのホテルにシェフとして入り、以後、伝統と革新をテーマに、アジア的、地中海的、且つフランス的な要素を一つにした洗練されたスタイルを確立してきたと云う。
    ヨルグ・ザックマン氏は修行時代に前述の二つの名店トラウベ・トーンバッハ、バライス・ミッテルタルの超一流のシェフ達に学んだそうである。

    尚、2018年の評価を見ると、Schlossberg・Hotel Sackmann Baiersbronn(黒い森)はこの年・2007年に初めて2星に昇格し、その後また1星になっていたが、2014年に2星に復活し、現在まで維持している。

    これ等のレストランは保養地にある滞在型ホテルとして、黒い森の豊かな食材に恵まれていることもあって、発展したものなのでしょう。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2007年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    5.0
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.5

  • カルフ:ヘルマン・ヘッセの故郷の中心はマルクト広場。広場を囲む木組み建築の家並みが美しい。

    投稿日 2021年02月04日

    マルクト広場 (カルフ) カルフ

    総合評価:4.0

    ≪ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅≫           
    :黒い森・バーデンワイン街道・高-上ライン川とボーデン湖・
    シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:
    期間:2007年4月19日(木)~5月3日(木)15日間

    4月22日(日) 快晴 25℃ 、 168km

    広大な黒い森を走る温泉街道は通常B28をNagoldナゴルト、Wildbergヴィルトベルクを通るが、Altensteigアルテンシュタイクに寄ってからは、県道を真直ぐ北のCalwカルフに向う。―>L?B463 25km、Nagoldナゴルト川に沿って出来たCalwカルフの町も人口2万人の保養地である。

    ドイツ木組み建築街道はドイツ各地を9つのコースに分けている。其の一つがバーデン-ヴュルテンベルグ州ルートで、赤のルート:全長 560kmでは、ネッカー川のモスバッハから、ネッカー沿いに南に下り、バート・ウラッハから二手に分かれ、西ルートはCalwカルフを経由し、黒い森を抜ける。

    この町はノーベル賞(1946年)作家Hermann・Hesseヘルマン・ヘッセの故郷として有名である。
    カルフ駅の駐車場に車をいれて、街に行って見る。町の人達や近郊からの見物人などで、街中は混雑している。どうも、車のメーカーが小さな車の展示場を設けているらしい。何故か、カントリーミュージックのバンドが音楽を奏で、アメ車のごっつい古いフォード車がその前に展示されていた。

    ニコラウス橋の上にはヘッセ像、ニコラウス礼拝堂(1400年)があるが、観光客にはともかくも地元の通行人には興味の対象ではないらしい。

    市庁舎前のマルクト広場では大道芸人が活躍している。その軽業や口上に群集が群がり、笑い声が上がっている。今日は祭りなのだ。広場を囲む木組み建築の家並み(町には200の家が良く保存されている)はどこも美しい。

    ヘッセの博物館には人もいない。
    ヘルマン・ヘッセの作品“Unterm Rad車輪の下”、“Schoen ist die Jugend青春はうるわし”など昔々に読んだが、内容はもう覚えていない。多分、本箱の片隅にまだ置いてあるのだろうが、昨年の旅で行ったWetzlarヴェッツラーでの、ゲーテの“Die Leiden des jungen Werthers若きウエルテルの悩み”ほどには私の中に残っていないのだ。

    ヘッセは85年の人生を殆ど他郷(1927年、スイスに帰化)に過ごしたせいか、『私の知っている町の中で最も美しいのは、シュヴァーベン地方の黒い森の小さな歴史ある町、ナゴルト川沿いのカルフである』と故郷を称えている。
    ところが、故郷の人達には若い時の印象が残っていて、一種の困り者として見られていた。当時はヘッセを“町の誇り”として歓迎する人は少なかったそうだ。ヘッセの愛したナゴルト川は深い緑色した清流で、町の真中を流れている。
    ニコラウス橋から眺める風情は昔のままのように思われた。 (13:50~14:35)

    ・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    景観:
    5.0

  • ディンケルスビュール:キンダーツェッヒェの祭り用倉庫、祭りの歴史的な経緯は次のようなものだ。

    投稿日 2021年02月01日

    キンダーツェッヒェ ディンケルスビュール

    総合評価:5.0

    2012年5月19日(土); 晴、22℃、98km(この日まで5日間で505kmとなった。)
    Dinkelsbuehlディンケルスビュール観光: 14:30~17:00

    ディンケルスビュールの町はWoernitzヴェルニッツ川(全長132.5km、バイエルン州に流れるドナウ川の支流)沿いに発展した中世都市がそのままに遺されている。人口は12千人と小規模だが、そのため中世の面影は一層、色濃く残っていると云われている。

    ディンケルスビュールの旧市街には、780軒の家屋があり、そのうち77%が約350年以上の古い歴史を有していると云うから大変なものだ。
    ・・・・

    ローテンブルガー門の立つ北から南に歩く。
    たまたまガイド付きのドイツ人観光客も同じ道を行くので、耳を傾けて歩く。
    Faulturm(怠け者=債務未払い者を収容した囚人塔)、16世紀の穀物倉庫だった大きく、立派な木組み建築のKinderzech-Zeughausキンダーツェッヒェの祭り用倉庫、その近くには小さな家と称した木組みの家があって可笑しい。

    <Kinderzech-Zeughausキンダーツェッヒェの祭り用倉庫>
    Bauhofstrasse 43

    16世紀初めに、町の穀物倉庫として建てられた。
    2007年に昔のまゝに改装されて以来、この大きく、立派な木組み建築の建物はKinderzech-Zeughausキンダーツェッヒェの祭り用倉庫として利用されている。

    キンダーツェッヒェの祭り用倉庫内には祭り用のKostueme衣装、Schuhe靴、Waffen武器、Requisiten小道具などが置かれ、中世のディンケルスビュールとその市民の祭りを知る事が出来る。

    キンダーツェッヒェの祭りの歴史的な経緯は次のようなものだ。

    元々、郷土の祭りに帝国都市ディンケルスビュールのカトリック教徒の子弟が学んでいたLateinschuelerラテン語の生徒たちの祭り(各学期末に行われていたと云う)で、「Schulzecheシュールツェッヒェ」と呼ばれていた。この祭りの費用は市とカトリック教会によって支払われたが、祭りは生徒たちが行ったAusflug小旅行でした。
    最初の記録は1629年にさかのぼるものだが、30年戦争後には新教派の「Kinderzecheキンダーツェッヒェ」と旧教派の「Schulzecheシュールンツェッヒェ」が一緒になった。
    更に1897年、「古い」子供祭を改変し、全市民が共同で支援した「新しい子供と郷土の祭り」に生まれ変わった。

    現在、ディンケルスビュールの歴史祭りとなったキンダーツェッヒェの祭りである。
    https://www.kinderzeche.de/start/

    ・・・・・

    尚、番外編として:伝説・Die Kinderzecheキンダーツェッヒェの祭りをご参照下さい。
    https://4travel.jp/travelogue/10941332

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ディンケルスビュール:ヴェルニッツ門の市外側の壁に「鷲の紋章」と「町の紋章」が誇り高く並んでいる。

    投稿日 2021年01月29日

    ヴェルニッツ門 ディンケルスビュール

    総合評価:4.0

    2012年5月19日(土); 晴、22℃、98km(この日まで5日間で505kmとなった。)
    Dinkelsbuehlディンケルスビュール観光: 14:30~17:00

    Dinkelsbuehlディンケルスビュールの町はWoernitzヴェルニッツ川(全長132.5km、バイエルン州に流れるドナウ川の支流)沿いに発展した中世都市がそのままに遺されている。人口は12千人と小規模だが、そのため中世の面影は一層、色濃く残っていると云われている。

    ディンケルスビュールの旧市街には、780軒の家屋があり、そのうち77%が約350年以上の古い歴史を有していると云うから大変なものだ。
    美しい旧市街には多くの市門・塔(数えてみると、他の町では見られないほど多い19の塔)が残り、旧市街を囲む市壁は塔と共に中世からのものである。

    ・・・・・

    <Woernitz Torヴェルニッツ門(14世紀末、東の市門)>
    ヴェルニッツ門はヴェルニッツ川に面し、その名前を採ったようだ。14世紀末に建設されたもので、東西南北に位置する4つの市門の中で最も古いと云われているとか。尚、時計がある切妻塔はルネサンス様式で16世紀のものだそうだ。

    特筆すべきものは、ヴェルニッツ門の外側の壁に、向かって右にWappen der Reichsstadt Dinkelsbuehl ディンケルスビュールが帝国都市であることを示す「鷲の紋章」があり、左にWappen von Dinkelsbuehlディンケルスビュールの紋章が誇り高く並んでいるのを見ることができることだろう。
    町の紋章は「赤地に銀色のDreiberg3つの丘、その3つの頂から黄金の Aehre穂が育っている様子が描かれている。其々、ディンケルスビュールの名前を示していて、穂Aehre=Dinkelディンケル、(Drei)丘bergとBuehlビュールと、同一の意味があるそうだ。13世紀の市の紋章に既に使われていた。

    南東のネルトリンガー門から入ると、真っすぐ北に向かい、聖ゲオルク教会を中心とした一帯にマルクト広場、ワインンマルクトに至る。
    教会近くのAltes Rathaus旧町庁舎(14世紀 Steinernes Haus石作りの市庁舎;今は歴史博物館)から、ヴェルニッツ門を出ると、ミュールグラベン(水堀)とヴェルニッツ川に挟まれた中島になっている。市城壁外である。
    中島を左折しNikolaus Eselerニコラウス・エゼラー通りを行く。この通りからをローテンブルガー門(北の市門)に向かうあたりは市城壁が続き、ヴェルニッツ川の水を引きこんだ絵になる光景の水濠の一帯になっている。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ディンケルスビュール:ネルトリンガー門と一体化したシュタットミューレ(町の製粉工場)が都市要塞を形作った。

    投稿日 2021年01月28日

    ネルトリンガー門 ディンケルスビュール

    総合評価:4.0

    2012年5月19日(土); 晴、22℃、98km(この日まで5日間で505kmとなった。)
    Dinkelsbuehlディンケルスビュール観光: 14:30~17:00

    Dinkelsbuehlディンケルスビュールの町はWoernitzヴェルニッツ川(全長132.5km、バイエルン州に流れるドナウ川の支流)沿いに発展した中世都市がそのままに遺されている。

    ディンケルスビュールの旧市街には、780軒の家屋があり、そのうち77%が約350年以上の古い歴史を有していると云うから大変なものだ。
    美しい旧市街には多くの市門・塔(数えてみると、他の町では見られないほど多い19の塔)が残り、旧市街を囲む市壁は塔と共に中世からのものである。
    4つの市門が町と外との出入口になった。ローテンブルガー門(北)、ゼークリンガー門(西)、ヴェルニッツ門(東)、ネルトリンガー門(南東)の順に建てられたと云う。

    ・・・・・

    <Noerdlinger Torネルトリンガー門(1400年頃、南東の市門)>
    Noerdlinger Strasse 62

    ディンケルスビュールの町と同じように、ロマンチック街道を彩る、中世の景観を残した円形都市であるネルトリンゲンに向かう街道口に立っている門である。
    今日はこのネルトリンガー門から、ディンケルスビュールの町に入った。
    ネルトリンガー門から入ると、真っすぐ北に向かい、聖ゲオルク教会に至る。教会を中心とした一帯には旧庁舎(歴史博物館)やマルクト広場、ワインンマルクトがあり、文字通り町の中心をなしている。

    ネルトリンガー門と一体化したStadtmuehleシュタットミューレ(町の製粉工場)は、Wehrgangベールガング(城壁上の銃眼を持つ通路)と共に都市要塞(1378年から1600年に)を形作った。製粉工場は現在第3次元博物館になっている。

    シュタットミューレ町の製粉工場:

    帝国都市ディンケルスビュールが1378年にKaiser Karls IV皇帝カール4世から都市特権を与えられ、この製粉工場が建てられた。この特権は町が望む場所に2つの粉ひき機(水車の)工場を「建設及び設置」する権限である。
    Muehlhaus粉ひき場は両側に水堀を備え、16mの切妻(壁)幅と22mの奥行を持つ大きなものでした。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ディンケルスビュール:かつての西の市門・ゼークリンガー門周辺の景観は画家たちの制作意欲をかきたてたと云う。

    投稿日 2021年01月27日

    セグリンガー門 ディンケルスビュール

    総合評価:4.0

    2012年5月19日(土); 晴、22℃、98km(この日まで5日間で505kmとなった。)
    Dinkelsbuehlディンケルスビュール観光: 14:30~17:00

    Dinkelsbuehlディンケルスビュールの町はWoernitzヴェルニッツ川(全長132.5km、バイエルン州に流れるドナウ川の支流)沿いに発展した中世都市がそのままに遺されている。人口は12千人と小規模だが、そのため中世の面影は一層、色濃く残っていると云われている。

    ディンケルスビュールの旧市街には、780軒の家屋があり、そのうち77%が約350年以上の古い歴史を有していると云うから大変なものだ。
    美しい旧市街には多くの市門・塔(数えてみると、他の町では見られないほど多い19の塔)が残り、旧市街を囲む市壁は塔と共に中世からのものである。
    4つの市門が町と外との出入口になった。ローテンブルガー門(北)、ゼークリンガー門(西)、ヴェルニッツ門(東)、ネルトリンガー門(南東)の順に建てられたと云う。

    ・・・・・

    幟が掲げられたNeues Rathaus新町庁舎(1733年)から西は坂道ゼークリンガー通りになり、Dreikoenigskapelle三人の王礼拝堂(1378年)、Segringer Torゼークリンガー門まで上がって行く。

    <かつての西の市門:Segringer Torゼークリンガー門>

    1648年、30年戦争の終盤、新教派(プロテスタント)のスウェーデン軍によるBelagerung包囲戦でゼークリンガー門は崩壊し、1655年にBarockstilバロック様式で再建された。ゼークリンガー門から連なる市城壁は、多数の防衛塔と共に町の南西側を防ぐ形になっている。
    広いゼークリンガー通りからは、旧市街の家並み、聖ゲオルク教会の素晴らしい景観が見られる。

    1890年頃、この町のロマンチックな佇まいがMaler画家たちの制作意欲をかきたて、ディンケルスビュールはミュンヘンやベルリンといった大都市の芸術家たちが訪れる、夏のリゾート地になったそうです。 

    空堀に架かる橋を渡ると、門の外は北にノイエ・プロムナーデ、南にアルテ・プロムナーデが其々北のGruener Turm緑の塔、南のSalwartenturmザルバルテン塔まで出来ている。

    ノイエ・プロムナーデと並行する、かつての水堀が今は水も無く、ゼークリンガー門から階段で空堀に通じ、白い遊歩道が伸びていて、その先にDreikoenigsturm三人の王塔や緑の塔が見え、美しい景観なのだ。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ディンケルスビュール:「新町庁舎」と言うが、なんと1733年に建てられたものだから驚く。

    投稿日 2021年01月26日

    市庁舎 (ディンケルスビュール) ディンケルスビュール

    総合評価:4.0

    2012年5月19日(土); 晴、22℃、98km(この日まで5日間で505kmとなった。)
    Dinkelsbuehlディンケルスビュール観光: 14:30~17:00

    Dinkelsbuehlディンケルスビュールの町はWoernitzヴェルニッツ川(全長132.5km、バイエルン州に流れるドナウ川の支流)沿いに発展した中世都市がそのままに遺されている。人口は12千人と小規模だが、そのため中世の面影は一層、色濃く残っていると云われている。

    ディンケルスビュールの旧市街には、780軒の家屋があり、そのうち77%が約350年以上の古い歴史を有していると云うから大変なものだ。

    ・・・・・


    ローテンブルガー門の立つ北から南に歩く。
    たまたまガイド付きのドイツ人観光客も同じ道を行くので、耳を傾けて歩く。
    Faulturm(怠け者=債務未払い者を収容した囚人塔)、16世紀の穀物倉庫だった大きく、立派な木組み建築のKinderzech-Zeughausキンダーツェッヒェの祭り用倉庫、その近くには小さな家と称した木組みの家があって可笑しい。
    今はユースホステルになっているKornspeicher (1508年・Jugendherberge)穀物倉庫の横を歩く。

    <Neues Rathaus新町庁舎(1733年)>
    Bauhofstrasse 1バウホーフ通り1番地

    1733年に建てられた建物は元々、郵便馬車仕立て人の個人住居であった。
    後に市長Bauerバウアーのものとなり、1855年以来、新町庁舎となった。

    建物上部に帝国自由都市であったことを示す鷲の紋章、共同体の紋章が並び、
    壁画が描かれ、正面玄関の上の格言(銘帯)には、市政の政見(1387年のいわゆる「方針書」から引用したと云う)を書いたものだとか。

    幟が掲げられ、左からEU、ドイツ、バイエルン州、そしてディンケルスビュールだ。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ディンケルスビュール:この町でもっとも絵になる光景はローテンブルガー門と門傍の水濠と夜景小屋である。

    投稿日 2021年01月24日

    ローテンブルグ門 ディンケルスビュール

    総合評価:4.0

    2012年5月19日(土); 晴、22℃、98km(この日まで5日間で505kmとなった。)

    Dinkelsbuehlディンケルスビュール観光: 14:30~17:00

    Dinkelsbuehlディンケルスビュールの町はWoernitzヴェルニッツ川(全長132.5km、バイエルン州に流れるドナウ川の支流)沿いに発展した中世都市がそのままに遺されている。人口は12千人と小規模だが、そのため中世の面影は一層、色濃く残っていると云われている。
    ・・・・・

    ②Rothenburger Torローテンブルガー門(1390年頃);

    聖ゲオルク教会から、Altes Rathaus旧町庁舎(14世紀 Steinernes Haus石作りの市庁舎;今は歴史博物館)、Woernitz Torヴェルニッツ門(14世紀末・東)経由で、ミュールグラベン(水堀)とヴェルニッツ川に挟まれた中島に出る。
    中島を左折しNikolaus Eselerニコラウス・エゼラー通りを行く。
    ニコラウス・エゼラー通りからをローテンブルガー門(北)に向かうあたりは市城壁が続き、ヴェルニッツ川の水を引きこんだ絵になる光景の水濠の一帯になっている。

    Noerdlinger Torネルトリンガー門(1400年頃・南東)から、この町に入ったわけだが、もっとも絵になる光景はローテンブルガー門と門傍の水濠と夜景小屋(21時に夜警ツアーもある)である。

    美しい旧市街には多くの市門・塔(数えてみると、他の町では見られないほど多い19の塔)が残り、旧市街を囲む市壁は塔と共に中世からのものである。
    4つの市門が町と外との出入口になった。ローテンブルガー門(北)、ゼークリンガー門(西)、ヴェルニッツ門(東)、ネルトリンガー門(南東)の順に建てられたと云う。

    ・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ディンケルスビュール:聖ゲオルク教会にある聖母マリア像はリーメンシュナイダー作品とか!

    投稿日 2021年01月23日

    聖ゲオルク教会 (ディンケルスビュール) ディンケルスビュール

    総合評価:4.0

    2012年5月19日(土); 晴、22℃、98km(この日まで5日間で505kmとなった。)

    Dinkelsbuehlディンケルスビュール観光: 14:30~17:00

    Dinkelsbuehlディンケルスビュールの町はWoernitzヴェルニッツ川(全長132.5km、バイエルン州に流れるドナウ川の支流)沿いに発展した中世都市がそのままに遺されている。
    人口は12千人と小規模だが、そのため中世の面影は一層、色濃く残っていると云われている。

    この町で最初に見るのは、やはりリーメンシュナイダー作品があると聞く
    聖ゲオルク教会になる。

    ①St.GeorgeKirche聖ゲオルク教会(1448~1499年);Kirchhoeflein 6

    宿泊先のドイチェスハウスの反対側にCafe am Muensterがあり、Die Kinderzecheキンダーツェッヒェの祭りの元になる伝説の絵が壁面に描かれている。
    その横に聖ゲオルク教会がある。
    1499年に完成したカトリックの大聖堂で、後期ゴシック様式の教会としてはミュンヘンの聖母教会にも匹敵する美しさと云われている。
    見所は教会内の聖櫃(聖アウレリウスの遺骨)であり、堂内に飾られた聖母マリア像はリーメンシュナイダー作品だろうか。

    町で最も高い教会塔の高さは62mもあり、展望台からは旧市街全体を見渡せるが、登る元気は無い。

    尚、次に行く町ネルトリンゲンのSt.-Georgs-Kirche聖ゲオルク教会(1490年)は90mの高さがあり、搭上からの眺望は中世の景観を残した円形都市が眼下に見え、素晴らしいそうだ。ここでも私共には350段を上るほどの気力はない。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

jijidarumaさん

jijidarumaさん 写真

33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎ82歳になりましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2026.02.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2026年を迎えている。

(2026.02.11.)

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