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jijidarumaさんのクチコミ全305件

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  • ボーデン湖・メーアスブルグの旧城でゲーテとも親交のあった女流詩人のアンネッテ・ドロステ・ヒュルスホフは死去している。

    投稿日 2017年09月16日

    旧城 メーアスブルク

    総合評価:4.0

    “ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”
    2007年4月19日(木)~5月3日(木)15日間

    "ボーデン湖”という名はカロリング王家の館ボードマンに由来していると云う。
    英語、仏語ではコンスタンツ湖と呼ばれ、ドイツ文学的には“シュヴァーベンの海”とも言われている。
    ドイツ最大の湖は面積539万平方キロ、周囲263km、最大水深252m、湖にはアルプス山系などから合計236本の河川が流れ込む。その中で一番大きい川はライン川だ。

    Wasserburg am Bodenseeのヴァッサ―ブルク観光局で頂いたパンフレットの表紙には次の言葉が書かれている。“
    休暇に海が必要ですか?!”とある。
    何もかも揃った保養地・ボーデン湖で過ごす事ができれば、なにもわざわざ、海に出かける必要など無いと言いたげに-----。

    4.27(金) 快晴 27℃  、 131km
    Bodenseeボーデン湖周辺巡り;Salemザレム城 ―>Meersburgメーアスブルグ:旧城、新城の庭園と湖の眺望、ドロステの館(Droste-Museum im Fuerstenhausle)、旧市街11:35~15:00

    古くからの城下町Meersburgメーアスブルグ(海の城の意)である。町はボーデン湖の西北端に位置して、コンスタンツは対岸にある。この町はボーデン湖の岸から丘に向かって広がる狭い斜面に、Unterstadt下町とOberstadt上町とで形成されている。
    上町のマルクト広場を中心に木組み建築の建物(この町がドイツ木組み建築街道南ルートの終着点になる)が中世からの歴史的面影を残している。
    町の名の由来となったAltes Schloss旧城をまず見に行く事にした。
    ボーデン湖を見下ろす高台には、7世紀にメロヴィング王朝のダンゴベルト1世によって築城された旧城がドイツ最古の完全な形で保存されている。
    HPでみる古城の姿や下町、上町の旧市街は海のようなボーデン湖側から見ても、丘側のドロステの館から見ても、たいへん趣むきがあって美しい。

    城への跳ね橋傍に女流詩人のアンネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフの胸像が立っている。以前来た時にはこうした胸像があったのか?記憶も鮮明ではない。

    この城は30もの部屋に分かれていて、ドロステの詩作の間や死去した部屋なども見る事が出来る。見学には幾つかのコースが設定されていて、選んだ一番短いコースは騎士の間、紋章の間、武器庫、礼拝堂、深い井戸、内庭を勝手に回れる事が出来た。
    (11:35~12:50 12Euro)

    ・・・・・

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.0

  • ボーデン湖・メーアスブルグ:ドイツの女流詩人ドロステの館はボーデン湖を見下ろす高台にある

    投稿日 2017年09月16日

    観光案内所(メーアスブルク) メーアスブルク

    総合評価:4.0

    観光案内所(メーアスブルク)の項を利用して、メーアスブルグの旧城の項で書けなかったドロステ女史の事、彼女の博物館について以下に書いた。

    ・・・・・

    “ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”
    2007年4月19日(木)~5月3日(木)15日間

    4.27(金) 快晴 27℃  、 131km
    ボーデン湖メーアスブルグの旧城に足跡を残したドイツの女流詩人Annette von Droste-Huelshoffアンネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフには、葡萄畑に囲まれ、ボーデン湖を見下ろす高台に彼女の博物館(Droste-Museum im Fuerstenhausle)がある。

    ドロステ女史(1797~1848)は1841年、妹が城主と結婚していたこともあって、メーアスブルグの旧城に初めて来訪し、その滞在中に有名なバラード(物語詩)『荒野の若者』を完成している。
    この古城とボーデン湖の景色を気に入って、以来、三回もの長期滞在の日々をこの城で過ごした。1848年5月、城の一間で、ひどい肺炎で亡くなったと云う。51歳であった。

    女史はデュッセルドルフが州都であるノルトライン・ヴェストファーレン州の北部、Muensterlandミュンスター地方の典型的な水城“Burg Huelshoffヒュルスホフ城”で城主の娘として生まれ、女流詩人として世に出る。
    19世紀の文豪ゲーテや哲学者ショーペンハウエル、また、グリム童話のグリム兄弟とも親交があったと云う。
    詩人としてのドイツでの評価は高く、旧ドイツマルクの20DM紙幣の図柄に美人であった女史が採用されている。また、1961年発行のドイツ郵便切手でも、1DM切手の図柄になっている。

    <ドロステの館(Droste-Museum im Fuerstenhausle)>

    ドロステの館は19世紀の始めに、女流詩人として活躍したアンネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフの記念館である。

    旧城から旧市街を北に出て、国道33号線に沿って東に行くと、左手にドロステの館が見える。葡萄畑に囲まれたこの高台には、当初はGartenhaus東屋が建てられていた。その後、16世紀になって、コンスタンツの司教の隠れ家として200年もの間使用されたと云う。
    1843年この館が5000本の葡萄畑と共に競売に付された為、ドロステ女史がプライベートの場として購入したと云う。
    二階建ての小さな館には、19世紀前半のドイツ美術様式であるBiedermeierstilビーダーマイヤー様式の家具(簡素と実用を特色とする)が置かれ、〝Schwalbennest燕の巣”と、女史が名付けた詩作の間には自らの作品を納めた書架などが見られた。
    ”Paradezimmerパレードの間”には女史の肖像画、胸像、家族の写真、グリム兄弟の写真、手紙など様々な個人の記念物が飾られいる。23歳の時の肖像画が一番の美人です。

    テラスへの部屋のガラス戸を開けると、町からボーデン湖まで、見事な眺望が開ける。
    女性の案内人は館内の説明をした後、窓辺の旧式なHammer Klavierハンマークラビアー(オルガンのようなピアノ)を弾いて、ドロステ作曲の小品を演奏してくれた。なかなか良い曲です。ドロステが残した作曲作品は四十数曲にのぼると説明があったが、ドロステ女史が多才な詩人であった事が偲ばれる。

    訪問者ノートに日本人の記載が無いので是非にと案内人に勧められて、珍しくも家内がノートに記帳した。
    現在、館はバーデン・ヴュルテンベルグ州が所有している。(14:15~15:00 9.8Euro)

    ・・・・・

    尚、現在(2017年9月)ドロステの館は改装中で、2018年の春まで休館中である。

    Droste-Museum im Fuerstenhausle
    88709 Meersburg Stettener Str. 11
    http://www.fuerstenhaeusle.de/start/

    XXX

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ベルギー:名園で知られたアンヌヴォワ城の秋

    投稿日 2019年07月31日

    アンヌヴォワ城 アンヌヴォワ城周辺

    総合評価:4.0

    <2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
    ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
    期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間

    10月23日(水);83km 、20℃、風あり。薄曇り。

    5:00起床、朝食(8:15 ~8:40)後、庭園を散歩し、9:15にNamur ナミュールの古城ホテル シャトー・ド・ナミュール城をスタート。->L? 2km  Citadelle de Namurナミュール城塞 ->L?・L? 22km Annevoieアンヌヴォワ・Chaeteau d'Annevoieアンヌヴォワ城

    10:30に出発し、ナミュール城塞を下って、ムーズ川の右岸に沿って走り、Chaeteau d'Annevoieアンヌヴォワ城に向かった。

    Annevoieアンヌヴォワ:
    <Chaeteau de Annevoieアンヌヴォワ城>
    この旅27番目の城   
    11:00~14:30
    BE-5537 Annevoieアンヌヴォワ、47, rue des Jardins
    http://www.jardins.dannevoie.be/

    アンヌヴォワ城はナミュールの南南西22km、ディナンの北8kmにある。
    もともと17世紀にアロワ家がここに城を建てたのが始まりだが、1758年にシャルル・アレクシ・ド・モンペリエが城主となった時から、城と庭園の様子はがらりと変わった。
    フランスやイタリアを広く旅して城館や庭園設計の知識を深めたモンペリエは、天才的な創造力と技術を駆使して、機械を一切使用しない噴水庭園をこの地に造成した。
    イタリア式、イギリス式、フランス式などの数々の区画に分かれ、素晴しい庭々が見学者をいつも新鮮な驚きに誘う。随所に滝や噴水(50)を配した48haの広大な庭園である。

    開館時間:4/1~9/15毎日9:30~18:30、9/16~11/1毎日9:30~17:30、
    閉館日:11/2~3/31 泉水庭園入場券・駐車券Euro14.25(1,461円)。

    <アンヌヴォワ城の泉水庭園(ワロン地域の重要史跡)>
    樹齢200年を超す木々があちこちにあり、黄葉された木々の間に幾つもの噴水が水を吹き上げて、滝が流れ、美しい庭園がある。庭を辿って行くと、右手に古城の建物が見える。
    城館は小ぶりで、その前には池があり、水鳥も泳いでいる。

    水のメカニズムは250年前のもので、全長400mの丘の上の大水路から流れ出る水は城館を囲む斜面を流れていく。自然の落差がもたらす流水だけを利用してきたと云う。
    チケット売り場から中に入り、右に進み、回遊した。
    ①大扇形の池、18世紀としては珍しく、“海神ネプトゥーヌス(ネプチューン)の袖飾り”と呼ばれる。
    ②7mの高さまで噴き上がると云う大噴水。
    ③左右対称式の庭園最古のフランス式滝と自然な滝を模倣したイギリス式滝。
    ④1760年以来、機能している水棚。
    ⑤城館。
    ⑥トリトンの噴水。
    ⑦全長168mの小水路。
    ⑧大水路。
    ⑨大花壇など。

    ・・・・・・・・・

    旅行時期
    2013年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    2.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.0

  • ナミュール城塞(Citadelシタデル)跡から望む一番の眺めはムーズ川とサンブル川の合流点と市街地である。

    投稿日 2019年08月01日

    城砦 (シタデル) ナミュール

    総合評価:4.0

    <2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
    ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
    期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間

    10月23日(水);83km 、20℃、風あり。薄曇り。

    5:00起床、朝食(8:15 ~8:40)後、庭園を散歩し、9:15にNamur ナミュールの古城ホテル シャトー・ド・ナミュール城をスタート。->L? 2km  Citadelle de Namurナミュール城塞

    シャトー・ド・ナミュール城から2kmほど丘の下になる城塞(Citadelシタデル)跡に車で向かった。
    大きな駐車場(実はここは4~9の間だけ使用されると後で知った)には殆ど車が無いので、ここで良いのかと思いつつ、とりあえず車を停めた。
    傍の休業中のパノラマレストランからムーズ川の流れる様子を眺めた。
    ここはまだ城塞内ではなく、トンネルに入った。
    そこを通り抜けると、夕立でたたかれ、黄葉した木々の葉が落ちたのだろう、落葉掃除に数人の清掃員が無駄口を叩きながら、作業していた。
    九十九折りの道を案内所に向かって下りる。何だ!案内所にも広い駐車場があった。ここまで歩くとさすがに大汗をかいた。

    要塞の案内書をもらって、ムーズ川とサンブル川の合流点を眺める場所まで更に歩く。要塞跡には兵舎のようなもの、地下道の入口、門や塔、様々な名残があるが、何と言っても一番はここから見る眺望であろう。

    城塞跡には武器博物館、地下道見学などを含む約2時間の見学コースがある。
    開館時間:4~9月は毎日、10月は土日祝のみ11:00~18:00。
    従い、今日は対象外なのだ。

    <Namur ナミュール:Citadelle de Namurナミュール城塞>   
    この旅26番目の城
    BE-5000 Namurナミュール 、8, route Merveilleuse
    http://www.citadelle.namur.be/

    ナミュール市の中心から見上げると、ムーズ川とサンブル川の合流点に位置する広大な敷地(8ha)にナミュール城塞が見える。
    現在、ワロン地方の見事な遺産の1つとして数えられているが、ここからの眺望は素晴らしい。要塞にはカフェテリア・レストランがある。

    ここは元々、ローマ時代に築城されたローマ軍団の砦で、その後、しばしば再建・改造された。最初の城塞は937年に作られたが、現在の城塞の規模のものは1631年、1675年にオランダの支配下で建てられたものである。
    その後、ルイ14世なども所有していた。
    第二次世界大戦ではドイツ軍が近くまで迫ったと云う。

    要塞の先端にまで行くと、左にサンブル川、右にムーズ川が流れてくるのが良く見え、そして川の両岸に発展してきたナミュールの町、見事な眺望なのだ。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2013年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    3.5

  • ドナウエッシンゲン:歌人・斎藤茂吉の歌碑があるドナウの泉(本家)と48km先のドナウの源泉(元祖)の争い

    投稿日 2016年01月17日

    ドナウの泉 ドナウエッシンゲン

    総合評価:3.5

    【フュルステンベルク侯爵家の城として知られるSchloss Donaueschingenドナウエッシンゲン城とドナウの源流、歌人・斎藤茂吉の歌碑について】

    1723年にフュルステンベルク侯に依って建設されたドナウエッシンゲン宮殿の左手にDonauquelleドナウの泉(本家)があって、泉の傍に歌人・斎藤茂吉*(“ドナウ源流行”を著した。)の碑が立っている。

    泉の水はきれいなもので、藻が生えているが、いろんな場所から水を噴出しているのが良く分かる。
    この泉から流れ出る水はBrigachブリガッハ川に注ぎ、町外れで、フルトヴァンゲンから流れ出てくるBregquelleブレーク川と合流し、此処から正式なDonauドナウ川となる。
    地勢的には48km先のブレーク川源泉が正式なドナウ川源泉(元祖)と思うが、どちらの地元とも、自らの正当性を主張して譲らないそうだ。

    従って、全長2840kmなのか、2888kmがドナウ川の距離なのかは、地元では決着のつかない大きな問題なのだと云う。

    *歌人・斎藤茂吉の碑については山形県上山市のHPに下記のように出ていました。

    上山市で生まれ育った歌人・斎藤茂吉は、大正11年から13年までヨーロッパに留学しました。はじめに留学したオーストリアのウィーンで見たドナウ川に、彼がこよなく愛したふるさとの母なる川「最上川」に通じる強い印象を受け、いつかドナウ川の源流を訪ねてみようと心に誓うのでした。

    その後、ドイツのミュンヘン大学へ移った茂吉は大正13年4月、休暇を利用してかねて強く望んでいたドナウ川源流の地を求めて川をさか上りました。
    そして、源流の地「ドナウエッシンゲン市」にたどり着いた茂吉は、同地に滞在して歌を詠み、後日、「ドナウ源流行」を綴ったのでした。

    この斎藤茂吉の紀行を縁として、平成7年(1995年)3月21日、友好都市の盟約を締結しました。さらに、ドナウエッシンゲン市は、ドナウ川源流の地として知られているばかりでなく、世界的な保養地として有名な西ヨーロッパ最大の湖「ボーデン湖」や温泉保養地バーデン・バーデンに近く、数多くの観光客が訪れること。
    さらに、世界的に権威のある国際馬術競技会や国際音楽祭が開催されるなど、スポーツや文化活動が盛んで、古くから温泉観光地としてにぎわってきた上山市と共通点が多いことも理由のひとつとなっています。

    上山市とドナウエッシンゲン市との友好都市盟約締結5周年を記念して、2000年(平成12年)10月6日、ドナウエッシンゲン市内にある大河ドナウの源泉「ドナウの泉」に斎藤茂吉の歌碑が建立されました。

    これは、両市の交流が始まるきっかけとなった斎藤茂吉の業績を顕彰し、両市の末永い友好を誓い、ドナウエッシンゲン市の協力を得て上山日独友好協会と上山市が建立したもので、茂吉の歌碑は日本全国に数多くありますが、海外では初めてのものです。日本人観光客はもちろん、世界中からの観光客が「ドナウの泉」を訪れた際、興味深く歌碑を見ていきます。

    ...............................

    ※歌碑に刻まれている歌(茂吉が大正13年4月にドナウ川源流で詠んだもの)
    「大き河 ドナウの遠きみなもとを 尋(と)めつつぞ来て 谷のゆふぐれ」
    選歌と書体の指定は、ご子息の斎藤茂太氏によるものです。
    なお、歌碑には歌のドイツ語訳と茂吉の業績(左下)、
    盟約締結5周年を記念して建立する旨(右下)の
    ドイツ語が刻まれています

    XXX
    ついでに言えば、
    ドナウ源泉(元祖)のある町Furtwangenフルトヴァンゲンの
    小高い丘の上にある教会から、源泉はさらに3km遡る所だ。

    旅行時期
    2016年01月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.0
    景観:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.5

  • ライプツィヒ:ニコライ教会はベルリンの壁崩壊のきっかけとなった所

    投稿日 2019年07月14日

    ニコライ教会 (ライプツィヒ) ライプチヒ

    総合評価:4.0

    <かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る>
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月19日(木);快晴、ライプツィヒで夕立ち、20℃、 153km
    起床7:00、朝食8:00~8:30、Querfurt/ Schloss Loderslebenを9時に出発 ->L? 7km Querfurt・Burg Querfurtに9:15着 ;市内観光~10:00 ->B180(ザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道)26km Freyburg (Unstrut)・Schloss Neuenburg10:40着 ;城内観光~12:40 ->B176・L? 28km 13:20 Merseburgメルゼブルク;市内観光~14:30 ->B181 36km Leipzigライプツィヒ;市内観光~17:00 ->B2・B95 56km  Kohren-Sahlis/Gnandstein 18:10ホテルに到着。夕食;Burghotel Gnandstein 19:15~20:30。⑦⑧Gnandsteinグナンドシュタインに<2泊>。

    <Nikolaikircheニコライ教会>

    ニコライ教会はライプツィヒで最大最古の教会。
    トーマス教会とともにバッハが主に活動した所で、重要なバッハの作品はここで初演されたと云われている。

    また、この教会は1989年のベルリンの壁崩壊、東西両ドイツの統一の端緒となった“平和的改革“のデモの発端となった所としても、知られている。
    “元祖・月曜デモ”の生みの親となっ たChristian Fuehrerクリスチャン・フューラー牧師(5 March 1943 – 30 June 2014)である。

    教会内に入ると、大きなパイプオルガンや 天井のヤシの木型の文様と柱が目立った。

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ベルギー・ワロン地方で最もすばらしい城と讃えられるモダーヴ城

    投稿日 2019年07月16日

    モダーヴ城 モダーヴ城周辺

    総合評価:4.5

    <2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
    ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
    期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間

    10月22日(火);234km 晴れ。

    ナミュールの東35km、Huyユイの南東10kmにモダーヴ城がある。
    この日一番の収穫、時間をかけて見た甲斐があった。

    Modaveモダーヴ:<Chaeteau de Modaveモダーヴ城>
    この旅24番目の城  

    モダーヴ家、オートペンヌ家、サン・フォンテーヌ家が暮らした13世紀に遡る中世の城郭部分を利用しつつ、1651年、城郭の一部がロレーヌ軍によって破壊された為、1658年にマルシャン伯が全面的にフランス様式に改築した城で、峨々たる懸崖に威容を見せている。
    1941年から、ブリュッセルの市町村間水道会社(Vivaqua)が所有している。
    この一帯は自然保護区(450ha)になっており、首都のブリュッセルまで、ここを源泉とするきれいな水が送られているのだそうだ。
    自然の土地の傾斜を利用した独特の供給システムはいまもって、十分に機能しているのだと云う。

    【モダーヴ城内博物館見学】
    開館時間:4/1~11/16、12/25前後の数日間、1/1の9:00~18:00
    シニア入場料;Euro13+日本語説明書5=18(1,845円)   
    14:35~15:35

    博物館は素晴しいもので、日本語オーディオガイドも分かりやすい説明でありがたかった。地下室を含め、21室を見学した。
    事務の女性も少々日本語をしゃべるから、日本の観光客も多いのだろう。

    ①衛兵の間:
    城の中央扉を押して入った所が大広間になっている。ここを衛兵の間と称している。騎士の浮彫など内装も素晴らしく、なかでもジャン・クリスティアン・アンシュによるマルシャン伯(32貴族)の家系図をあらわした135㎡の天井スタッコ彫刻がすごい。
    これは西欧でも唯一の作例だそうだ。
    暖房器具を隠している大理石の家具は見事な紋章や彫刻が見られる。
    また、大きな黒大理石の暖炉は他では見ない。
    ②青の間:貴賓の宿泊所。18世紀の若い美しい女性の肖像画。
    ③ゴブランの間:大広間。17世紀ブラッセルのタペストリーはシーザーの事歴を描いた。
    ④ヘラクレスの間:英雄ヘラクレスの生涯を描いたスタッコ彫刻が特筆ものだ。
    ⑤小広間:17世紀、天井のスタッコは紋章の装飾。4隅に4頭の一角獣の彫刻がある。
    ⑥家族の間:控えの間。昔の景色を描いた5枚の絵画が飾られている。
    ⑦公爵の間:18世紀の装飾、花輪を持つ天使達が美しい。
    ⑧公爵のテラス:オユー川の谷間を見下ろす、素晴しい眺望のテラス。
    テラスに出てみると、この城が岩盤上に立ち、城の下は60mという深い谷(Hoyouxオユー川)になっているのがよく分かった。
    ⑨絵画の間:18世紀の風景画ばかり。
    ⑩浴室・トイレ付:リエージュ様式の羽目板。
    ⑪女主人の間:かつてはクロークとして利用されていた小さな部屋を19世紀に寝室に改装した。金のスタッコ、花唐草模様が優美である。
    ⑫ルイ15世の間:19世紀の遊戯室兼喫煙室だとか。
    ⑬正面大階段:2階への階段には大きなタペストリーと豪華なクリスタル製シャンデリア。
    ⑭ルイ14世の間:1870年代のエルツのローズウッドのピアノがある。
    ⑮図書室:
    ⑯公爵夫人の部屋:モンモランシー夫人の肖像画がかかる部屋。
    ⑰礼拝堂:19世紀にあたらしく改装した新古典様式の礼拝堂。
    ⑱丸い塔:5階まで続く樫材の螺旋階段がある。
    ⑲地下:台所設備、牢獄、17世紀、城内に谷から水をあげた供給システムの模型など。
    その他、18~9世紀の各種調度・家具やモダーヴ城オリジナルのジアン窯ファイアンス陶器のコレクションも興味深い。

    古城ホテルは全22室、レストラン・カフェテリアが有るそうだが、中には入っていない。

    ・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2013年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.5

  • ベルギー・アメイ:ジュエ城は面白い格子紋様のファサードを持つ水城

    投稿日 2019年07月15日

    ジュエ城 ベルギー

    総合評価:3.5

    <2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
    ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
    期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間

    10月22日(火);234km 、22℃と汗ばむような暖かい一日だった。晴れ。
    *7:00起床、朝食(8:30 ~9:00)後、朝食後、9:35にオランダBerg en Terblijtベルグエンテルブレイトをスタート。 ->L?・N587・N595・L? 16km Wittemヴィッテム ->L?・N595(Aachenアーヘン)・B57・A25(ベルギーのLiegeリエージュ)・L?  137km Amayアメイ・Chaeteau de Jehayジュエ城

    ベルギーはと言うと、道路のアスファルト状態がオランダと比べ更に悪く、所々、ボコボコして、高速で走るには怖い。
    高速の上限が時速120kmで制限されているのも納得です。

    アメイには13時ころに着いたが、ジュエ城の場所が分からず、時間がかかった。
    殆どベルギー語(ワロン語)だけを話すお爺さん、小母さん、青年の3人に聞いた。・・・と言っても旅の行程にChaeteau de Jehay 1, rue du Parcの名前と住所が書いてあるので、それを示して、聞くのだ。
    お互いジェスチャーを交えてだが、これが意外と分かるから不思議だ。

    さて駐車場に着いてみると、オランダナンバーの小父さんが、ここが開いていると自分の駐車場所の隣を指示した。
    それから“折角来たのだけど、残念だね!城門がしまっている。
    2時半から開門だそうだから、1時間はまたなくては・・・”と言い、ご本人は帰ってしまった。

    Amayアメイ:<Chaeteau de Jehayジュエ城>
    この旅23番目の城
    13:30~13:45
    BE-4540 Amay  、1, rue du Parc
    Tel: +32(0)85 31 17 16  、Fax:‐32 84 64

    リエージュの南西20kmにある。
    水濠に格子紋様のファサードを映す姿がロマンチックで印象的な城である。

    現在の城館はヘルマン・ド・サール家が16世紀に建てた。
    18世紀に城を所有したヴァン・デン・ステーン家は内装に大規模な変更をもたらした。
    1860年には中庭をネオゴシック様式に変更し、この中庭にはさらにベルギー王室のお抱え建築家アルフォンス・バラの装飾が加えられている。
    家具、食器、タペストリー、絵画等の豊かなコレクションも興味深く、数々のブロンズ像を配したイタリア庭園も素晴しいと云う。

    開館時間:5~9月の土日11:00~18:00、6月の水14:00~17:00、7~8月の火~金14:00~18:00、9月の火~水14:00~17:00、団体は予約により4~10月可。
    10月の個人客の事を書いていないので、見学可能か不安であったが、結果的に見る事は出来なかった。

    私共もせめて周辺だけでもと、面白い格子紋様のファサードを持つ水城を濠の外から眺めて回った。それから、次の目的地・モダーヴ城に向かった。

    旅行時期
    2013年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • オランダの国家遺産になっている古城ホテル ヴィッテム城

    投稿日 2019年07月16日

    Chateau Wittem マーストリヒト

    総合評価:3.0

    <2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
    ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
    期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間

    10月22日(火);234km 、22℃と汗ばむような暖かい一日だった。晴れ。
    *7:00起床、朝食(8:30 ~9:00)後、朝食後、9:35にオランダBerg en Terblijtベルグエンテルブレイトをスタート。 ->L?・N587・N595・L? 16km Wittemヴィッテム

    旅は今日が9日目で、これからは日が経つのも早い。
    今日最初の城であるヴィッテム城は宿泊ホテルから16kmの距離にあったので、ここで昨日の夕食の機会を得たいと思っていた。
    当日は月曜日、ここのレストランの営業日は火~日(12~20時)と知り、断念していた。
    尤も昨日のように道に迷っていたのでは、近くても夕方からの夜の遠出は難しかっただろう。

    ヴィッテム城を訪ね、城内見学の可否を聞くと、不可だと言う。
    (客のあしらい方が下手だ!)仕方なく、周辺のみの散策に留めた。
    庭には大きなプラタナスの木(スズカケの木)が黄葉していたが、なかなか見栄えのある古城だった。

    <Kasteel Wittem古城ホテル カスティール ヴィッテム城>
    この旅22番目の城
    10:00~10:20
    Nl-6286 AA Wittem 、Wittemer Allee 3

    4星・全12室。
    Maastrichtマーストリヒトの南東にある古城ホテル。

    11世紀築城の城館は歴史を遡ると古く、現在、この城はオランダの国家遺産になっている。かつて一時的にドイツのバート・アロルゼンにあるFuerstentum Waldeck-Pyrmontヴァルデック・ピルモント侯の家族が所有していた時もある。
    この旅の最初の時期に出て来る、あの山上のヴァルテック城主の末裔である。
    この事もあって、訪ねたのだが・・・。

    1968年、ファルケンブルクのPeter Ritzenペーター・リッツツェンが城を購入し、大改装して、ホテル・レストランをオープンした。
    1977~1989年の間、レストランはミシュラン1星の評価を得ていたこともあるが、今はその面影は無く、むしろ近郊のミシュラン星付きのレストランと提携し、グルメ希望のお客をそこに送迎するアレンジメントをしている。

    リッツツェン家は2009年半ばからホテル・レストランの売却を希望し、2011年にRonald ロナルドと Silviaシルビア夫妻が現在の所有者になっている。

    ・・・・・

    旅行時期
    2013年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • ライプツィヒ:ナポレオンに勝利した象徴として建てられた諸国民戦争記念碑の巨大なことに圧倒された。

    投稿日 2019年07月15日

    諸国民戦争記念碑 ライプチヒ

    総合評価:4.0

    <かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る>
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月19日(木);快晴、ライプツィヒで夕立ち、20℃、 153km
    起床7:00、朝食8:00~8:30、Querfurt/ Schloss Loderslebenを9時に出発 ->L? 7km Querfurt・Burg Querfurtに9:15着 ;市内観光~10:00 ->B180(ザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道)26km Freyburg (Unstrut)・Schloss Neuenburg10:40着 ;城内観光~12:40 ->B176・L? 28km 13:20 Merseburgメルゼブルク;市内観光~14:30 ->B181 36km Leipzigライプツィヒ;市内観光~17:00

    Voelkerschlachtdenkmal Leipzigライプツィヒ諸国民戦争記念碑:

    ライプツィヒ市内の地下駐車場から出て、来た道を戻り、南に向かって数kmで、
    突然お目当ての巨大な塔が前に見えてきた。ライプツィヒ諸国民戦争記念碑である。
    山勘で走ったのだが、上手く当たった。
    ちょっと停車して、凄さに圧倒されながら写真を撮った。

    当時のドイツにとって、ナポレオンに勝利した事が如何に大きかったかを
    具現したものだ。
    この諸国民戦争記念碑はライプツィヒの象徴として有名であると同時に
    ドイツで最も大きい国立記念碑である。
    死と自由のための巨大な殿堂は高さ91mで、旧ナポレオン司令塔からそれほど
    遠くない所にある。
    1858年から1913年にかけて建築家ブルーノ・シュミッツによって建設された。

    ヨーロッパ連合軍がナポレオンに勝った1813年の決定的な勝利を記念するもので、
    土台にある像は多くのドイツの戦争の際に守護聖人とされた大天使ミヒャエルです。
    栄誉の殿堂のドーム天井の巨大な面には324個のほとんど実物大の騎士像が
    描かれている。
    www.voelkerschlachtdenkmal.de

    *参考wiki・ライプツィヒの戦い(1813年10月16日 - 10月19日)
    ナポレオン戦争における最大規模の戦闘で“諸国民の戦い”とも呼ばれる。
    ライプツィヒ(当時のザクセン王国領)で、ナポレオン1世麾下のフランス・
    ワルシャワ公国・ライン同盟諸邦軍19万と、プロイセン・ロシア帝国・
    オーストリア帝国・スウェーデンの連合軍36万の間で戦いが行われた。
    3日間の激戦の末、圧倒的な兵力差の前にフランス軍は敗北した。
    フランス軍は4万以上の死傷者を出し、一方の連合軍も5万以上の死傷者を出した。

    この戦いの結果、フランス帝国のライン川以東での覇権は終焉を迎え、
    ナポレオンのドイツ支配が終わった。同時にライン同盟*は崩壊し、
    多くのドイツ諸邦が連合軍に加入することになる。
    この事は皇帝ナポレオンの退位の契機になった。
                      (2011.08.18.編集)

    *ライン同盟は1806~1813年の7年間、ドイツ(当時の神聖ローマ帝国)に
    フランス皇帝ナポレオン1世の圧力により成立した国家連合である。
    ナポレオンは1806年7月25日、神聖ローマ帝国内のドイツ諸侯を神聖ローマ帝国
    から離脱させ、フランスと同盟を組ませました。
    ナポレオンの敗退とともに解体した。
    ライン同盟の主たる構成国にはバイエルン王国、ヴュルテンベルク王国、
    ザクセン王国、ヴェストファーレン王国、バーデン大公国、
    ヘッセン・ダルムシュタット大公国、ヴュルツブルク大公国、
    マインツ大司教領などである。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • “ヒキガエルの水溜り”の異名を持つ古城ホテル フーゲンポエト城に今回で3度目の宿泊をした。

    投稿日 2019年07月03日

    シュロスホテル フーゲンポエト エッセン

    総合評価:4.5

    “ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅” 
    オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。

    期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅
    7月26日(日)   晴時々曇り  18~25.5℃   229km

    フランクフルト近郊のKelkheim (Taunus)ケルクハイム・レッタースホーフ城から、Essen-Kettwigエッセン・ケットヴィッヒ・Hotel Schloss Hugenpoet古城ホテル フーゲンポエト城まで、途中の工事中による渋滞で6時間弱(普通は2時間ほど)かけて走った。
    古城ホテル フーゲンポエト城には2014年05月21日(水)に1泊したから、一年ぶり3度目の宿泊になる。
    私共にとってはドイツ時代の若かった頃の思い出と共にこのホテルがあり、相変わらず、古城ホテル フーゲンポエト城の雰囲気はいまだ十分に好ましく、魅力的なのだ。

    ⑬7月26日(日)(1泊)Hotel Schloss Hugenpoet 古城ホテル フーゲンポエト城:
    5星・全31室。Classic DZ im Schlossは3階のNo.26(30㎡) =>Euro175.5+朝食は私だけ25 =200.50(27,939円)。お値段は一番安いレベルを選んだ。
    無料の水0.5L、浴用ガウン、スリッパあり。

    チェックインをして案内された部屋は3階の右塔内にある2つの部屋の左手26号室・庭園側ビューでした。
    クラシックな色合いの良い部屋、大きなダブル、浴室は2泊したレッタースホーフ城より広く十分なもので、5星らしい時代物の家具、納戸風クロゼットには貸金庫、ミニ冷蔵庫もあり、急な雨用に傘もしっかり用意されている。
    室内のテーブルには再びのご来訪を歓迎すると言うメッセージと共にクッキーが置かれ、テーブルの花が造花だったことを除けば、気分は良し。

    Hugenpoetフーゲンポエトとは“ヒキガエルの水溜り”という意味で、この古城ホテルは大変珍しい名前がついている。美しい公園に囲まれ、堀が周囲をめぐる17世紀の古城はかつてRuhrルール川に沿った沼地に建てられた水城でした。
    部屋の窓は2つで真下にテラスレストランが見え、四方が森に囲まれているのが分かる。

    フーゲンポエト城の歴史としては、前回の口こみに抜けたことを下記する。
    1995年にはFamilie Luebbertリュッベルト家がホテル経営を担ったが、2013年の12月に倒産の危機に面し、同月、新たにMaximilian Freiherr von Fuerstenberg マキシミリアン・フュルステンベルク男爵(当時41歳)が経営に乗り出し、2015年にホテル創業60周年の区切りの年を迎える。

    尚、フュルステンベルク男爵家はヴェストファーレン・Kreis Soestゾースト地方から出た有力貴族であり、2013年10月17日に1泊したBurg Schnellenbergシュネレンブルク城(Sauerland ザワーラント、1594以来所有)やミシュラン1星のレストランがある Schloss Loersfeldレルスフェルト(ケルン近郊Kerpenケルペン、1819年以来所有)など、15余の古城の所有者である。

    ・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2015年07月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    15,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    4.5

  • オランダ・ファルケンブルクにあるホテルのレストランは月曜日でも満席で、人気のお店のようであった。

    投稿日 2019年07月02日

    フレッチャー ホテル レストラン デ ゲウルヴァレイ ファルケンブルグ

    総合評価:3.5

    <2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
    ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
    期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間の旅
    10月21日(月);201km 、18℃、曇り後晴れ。

    この日、宿泊先の古城ホテル カスティール ゲウルティヒト城・
    ハンプシャー  クラシックは朝食のみで、夕食用のレストランが
    無かった為、近くのホテルまで出かけて行った。

    <夕食:Fletcher Hotel-Restaurant De Geulvallei   
    フレッチャー ホテルレストラン ・デ・ ゲウルヴァレイ>
    NL・6301 KC 、Houthem St. Gerlach(Valkenburg)、
    Onderstestraat 66
    17:30~19:30

    3星・全39室。フレッチャーグループの傘下ホテル。
    中に入り、聞いてみるとこちらも6時から食事だそうで、それまで30分、“ビールでも飲んでお待ちなさい。”と、若い給仕が言う。
    メニューはオランダ語のみで、給仕のつたないドイツ語の説明を何とか聞きながら、料理を注文したが、出てきたものはそう違いは無かった。

    2品料理;
    飲み物は地ビールのJupiler0.33LX2。

    ①スープ:私は茸のクリームスープ、家内はトマトスープ。
    ②メイン:私のは仔牛のカスラー風、人参とジャガイモのピューレ添え。
    家内はホウレン草、蕪、ズッキーニ入りクリームパスタ。  
    今夕の御食事代はEuro55(5,638円)です。
    レストランは何時の間にか、満席になっていて、人気のお店のようであった。

    ・・・・・

    旅行時期
    2013年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • かつてジュリアナ女王が度々訪れた由緒あるホテル プリンセス ジュリアナの面影はない

    投稿日 2019年06月30日

    ホテル レストラン ユリアナ ファルケンブルグ

    総合評価:3.5

    2013年秋(10月14日(月)~10月28日(月)15日間)、ドイツとベネルックスの旅はドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡った。

    <10月21日(月);201km 、18℃、曇り後晴れ>
    デーレンブロエック城で30分ほどお茶をして、更に100kmを走り、Valkenburgファルケンブルク(フォルケンブルグ)の町(人口17千人)に入った。
    ファルケンブルクはMaastrichtマーストリヒト(城塞都市)の近郊にあり、Geulゲウル川(全長58km・マース川の支流;ベルギーではムーズ川という)沿いの保養地としても知られている。

    2013年、閉業中のHotel Prinses Julianaホテル プリンセス ジュリアナ(=ユリアナ)を見ることになって、ガッカリした記憶がある。

    この日、A2・A79・N590と少し遠回りだが、この町に思い入れもあり、立ち寄ってみた。街のメイン通りを行くと、懐かしいHotel Prinses Julianaホテル プリンセス ジュリアナ(=ユリアナ)が見えた。3星・全15室と小ぶりだが、オランダ女王ジュリアナが若い頃、度々、このホテルに滞在した由緒あるホテル。
    アレ!つぶれてしまっている!あの瀟洒な館も貸部屋になっている様子だ。
    グルメレストランでの美味しいフレンチ料理、道路の反対側にあった館に宿泊して、ファルケンブルクの洞窟を見学したのはもう30年以上も前の事だ。
    どうしたのか、由緒あるホテルなのに残念な事だと思った。

    今回調べてみると、かつてのホテル プリンセス ジュリアナと同じ場所に復活したホテル(さすがにプリンセスの名を取ったが)があった。
    以下がそれである。

    <Hotel Restaurant Juliana ホテル・レストラン ジュリアナ
    (正式名はJuliana Restaurant Hotel & Garden Club)>
    Broekhem 11, 6301 HD  Valkenburg
    https://www.juliana.nl/en

    3星・全12室(部屋数が減ったのは別館が無いためのようだ)。
    客室は最近改装済みと云う。4500㎡の庭園が素晴らしい。
    ホテルやレストランはモダンな様子に変わっている。
    マーストリヒト市まで12.4km、マーストリヒト・アーヘン空港まで10.4kmと便利な位置にあるのだ。

    ・・・・・

    旅行時期
    2013年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • ミヒェルシュタット:オーデンの森の”真珠”の名にふさわしい景観がある。

    投稿日 2019年06月18日

    マルクト広場(ミッヒェルシュタット) ミッヒェルシュタット

    総合評価:5.0

    Michelミヒェルは“大きい”の意味。昔は大きな町だった?
    この魅力的な町ミヒェルシュタットはオーデンの森の北部にある。
    駐在時に夏の休暇旅行などで寄った町で、定年後のドイツの旅でもまた訪れた。
    オーデンの森の”真珠”の名にふさわしい木組み建築の家並みが町中に見られ、徒歩で回れる小さな、魅力ある町だ。

    市庁舎に面したマルクト広場には、レストランがテーブルを出し、多くの観光客がお茶を楽しみながら談笑している。
    夏の休暇シーズンになると、この広場はこの季節に最もふさわしいゼラニウムの花々で美しく飾られてしまう。

    泉(噴水)もあり、正義の女神が立つ泉の周りにゼラニウム、窓辺がゼラニウムの花で美しいドレスナー銀行(ドイツ三大銀行の一つ)があり、マルクト広場を中心にした小ぢんまりと纏まっていて、見物しやすい。

    ・・・・・

    旅行時期
    2007年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    2.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • デュッセルドルフで見るライン川は源泉から743kmの距離にある。

    投稿日 2019年06月24日

    ライン川 デュッセルドルフ

    総合評価:4.0

    “父なるDer Rheinライン川”は全長1320kmに及び、古くから交通の要所であった。
    「中ライン川」流域の都市コブレンツはラインの源泉から半分近い591km、ドイツ第一の商業都市のデュッセルドルフは743kmの距離にある。オランダの河口までさらに282kmを流れて行く。

    写真は1975年の頃から、2016年の秋の旅で撮ったものを入れた。

    ・・・・・
    因みにライン川についてWikiを参考に簡単に纏めている。
    ライン川はまず、アルプスラインと呼ばれる二つの原流をもち、一つはスイスの標高2344mにあるトーマ湖を源流とする「前ライン川」であり、もう一つは同じスイスのラインヴァルドホルン山(3405m)から流れ出る「後ライン川」である。この二つの源流はライヒェナウで合流し、リヒテンシュタイン公国を横切り、スイスとオーストリーの国境沿いを流れていき、アルテン・ライン近くでボーデン湖(面積539万平方キロ、アルプス山系などから約200の河川が流れ込む。ライン川の水量調整湖)に注ぐ。

    此処からは「高ライン川」と称し、スイス領のシュタイン・アム・ラインでドイツとスイスの国境沿いに流れていく、途中ラインの滝(20mの落差)を過ぎ、コブレンツでアーレ川に合流する。此処からは「上ライン川」と呼ばれ、バーゼルを経由し(この辺りまでで、300km)、独仏国境線沿って流れていく。シュトラースブルグ、ドイツ国内に入って、カールスルーエ、ヴォルムス、そしてマイン川との合流点マインツに至る。「中ライン川」はマインツからローレライ、コブレンツ、ボンと続き、ハイライトたる「ロマンティシャーライン・世界遺産登録(ビンゲンからコブレンツ間60km)」があり、三十近くの城塞、美しいブドウ畑、中世の街並みが最も楽しめる区間である。コブレンツではモーゼル川と合流する。ボンから先の下流370kmはケルン、デュッセルドルフなどの大都市を抜け、エメリッヒでオランダに入る。これを「下ライン川」と称する。
    オランダに入ると、ライン川はワール川、マース川等のいくつもの支流に分かれて、ロッテルダムの先で、通称“オランダの角”で北海に注ぎ込んでいく。

    ・・・・・・・

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • デュッセルドルフ:Schlossturmシュロスの塔は現在、船舶博物館になってしまった。

    投稿日 2019年06月22日

    Schifffahrt-Museum im Schlossturm デュッセルドルフ

    総合評価:3.0

    <デュッセルドルフのSchlossturmシュロスの塔(現在は船舶博物館)>
    D-40213 Duesseldorf 、Burgplatz 30

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    10月27日(木) 23km、今日もすっきりしない曇り、11.5~13.0℃

    デュッセルドルフの旧市街を訪れると、ライン川畔のBurgplatzブルク広場には「シュロスの塔」が、昔のまゝに立っているが、その傍に大きな観覧車が場違いの如く立っている。それさえ無ければ、このあたりは1980年年代の昔と変わらぬ様子なのだが。

    「シュロスの塔」の歴史は、対象が塔だけであるし、それも船舶博物館になってしまったので、かつてもあまり興味を持っていなかった。それで歴史も知らなかったのだが。

    ・・・
    デュッセルドルフの調査によると、1288年に市城壁外にライン川に沿って城塞が築城されていたと云う。
    1400年頃、都市の発展によって、城郭はさらに拡大された。
    16世紀には、Vereinigte Herzogtuemer Juelich-Kleve-Berg ユーリヒ・クレーフェ・ベルク公国(神聖ローマ帝国の北西部の諸邦の連合体として成立した。ノルトライン・ヴェストファーレン州に存在した公爵領、伯爵領の連合体の総称)がデュッセルドルフ城を居城とした。城は市側に2つの強大な塔を持つ代表的な三翼の城郭に拡張された。
    1552年、城の北東に丸い(シュロスの)塔を完成させた。
    17~18世紀には、城内はバロック様式で改装され、特に選帝侯の有名な絵画や彫刻など莫大なコレクションを収容するギャラリーの建物が建てられました。

    1794年、フランス革命軍の攻撃では城は壊滅し、ライン川のほとりに廃墟のまま長い間うち捨てられていた。
    1815年、プロイセン時代に再建されたものの、1872年の大火災は致命的で、城を解体し、広いライン川沿いの道路と造船所を建設することが可能になった。
    ただ、プロイセン王室の命令で、丸い塔(シュロスの塔)だけが残された。
    1943年、第二次大戦中の空爆で「シュロスの塔」が全焼した。

    デュッセルドルフの市民にとっては、大戦前から市民のシンボル的なランドマークであったから、市民たちは戦後直ちにシュロスの塔の修復と改装を行い、現在のような塔(Schifffahrtmuseum Dusseldorf船舶博物館)として蘇らせたのである。
    1984年以来、「シュロスの塔」はライン川の船舶航行に関する特別なコレクションを展示している。

    ・・・・・

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.0

  • デュッセルドルフ:プファルツ選帝候ヨハン・ヴィルヘルム2世の治世と騎馬像

    投稿日 2019年06月23日

    ヨハン ヴィルヘルム2世(通称ヤン ヴェレム)の騎馬像 デュッセルドルフ

    総合評価:4.0

    <デュッセルドルフ:プファルツ選帝候ヨハン・ヴィルヘルム2世の治世と騎馬像>

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    デュッセルドルフの旧市街を訪れると、飲み屋街近くにマルクト広場があり、ルネサンス様式のRathaus市庁舎(1570年)、7選帝侯の一人であったKurfuerst von der Pfalzプファルツ選帝候Johann WilhelmIIヨハン・ヴィルヘルム2世 (通称JanWellemヤン・ヴェレム)の騎馬像が絵になる形で立っている。

    デュッセルドルフ市民に大変人気のあるプファルツ選帝候Johann WilhelmIIヨハン・ヴィルヘルム2世(1658年~1716年)だが、彼の治世(1690年~1716年)のもと、デュッセルドルフの発展は目覚ましいものでした。
    とりわけ北イタリア・トスカーナ大公メディチ家・コジモ3世の娘Anna Maria Luisa de'Mediciアンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチと結婚した影響で、個人的に集めた絵画や彫刻などのコレクションを始め、その美術品を収めるための巨大な美術館をデュッセルドルフ城内に建てた。
    (尚、今はMuseum Kunstpalastクンストパラスト美術館(D-40479 Duesseldorf 、Ehrenhof 4-5)に、このコレクションがあると云う)
    またオペラハウスの設立や街灯の設置、新聞の定期発行など、様々な発展に貢献し、その功績を称えてヨハン・ヴィルヘルム2世の騎馬像が建てられたと云う。

    デュッセルドルフとプファルツ選帝候の関係は、
    1609年にVereinigte Herzogtuemer Juelich-Kleve-Berg ユーリヒ・クレーフェ・ベルク公国(神聖ローマ帝国の北西部の諸邦・公爵領、伯爵領の連合体として成立した)の最後の公爵ヨハン・ヴィルヘルム(1562~1609年)が死去した事に始まる。
    この死去後にプファルツ継承戦争が続き、ユーリヒとベルクはヴィッテルスバッハ家のHerzog von Pfalz-Neuburg プファルツ・ノイブルク公に渡った。
    デュッセルドルフ城はその居城となり、1685年にはプファルツ・ノイブルク公Philipp Wilhelm フィリップ・ヴィルヘルムがプファルツ選帝侯位も獲得している。
    1690年、フィリップ・ヴィルヘルムがプファルツ選帝侯位継承戦争(1688~1697年)のさなかに死去した為、その長子ヨハン・ヴィルヘルム2世がプファルツ選帝侯となる。

    さらに、1716年、子供がないままヨハン・ヴィルヘルム2世が死去すると、弟のKarl III. Philippカール3世フィリップが選帝侯位を継承した。
    カール3世はプファルツ選帝侯の宮廷を、13世紀から500年プファルツ選帝侯領の首都にしていたにHeidelbergハイデルベルクに戻したので、デュッセルドルフの繁栄は徐々にかげりを見せ始めることになった。
    カール3世フィリップの居城、ハイデルベルク城がフランス軍の攻撃で廃城となり、1720年、ハイデルベルクからMannheimマンハイムにその宮廷を移している。

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    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ミュンスターラントの水城の一つに古城ホテル フェーレン城がある。

    投稿日 2019年06月20日

    Hotel SportSchloss Velen その他の都市

    総合評価:4.0

    2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅
    ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅

    期間 :2013年10月14日(月)?10月28日(月)15日間の旅
    10月19日(土);177km 、17℃、晴れ、暖かい一日。

    古城ホテル レンベック城を出発し、この日はHavikbeckハヴィックベックの三つの水城:Burg Huelshoffヒュルスホフ城、Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城、Haus Havixbeck ハウス ハヴィックベックから始める。
    それに加えて、今日の予定の古城群はSchloss Velenフェーレン城、Burg Gemenゲーメン城、Schloss Raesfeldラエスフェルト城である。

    <Sport Schloss Velen古城ホテル フェーレン城>
    D - 46342 Velen 、Schlossplatz 1
    http://www.sportschlossvelen.de/go/home 

    広い敷地で駐車場に行くのに、グルリと廻って行った。橋を渡ると、赤い蔦の葉が建物の壁に這っているのが目に入った。フェーレン城の本丸の右手には一の丸の建物が左右にあり、その先がこの城の城門・・・と言うほどのものでもないが・・・になっている。
    ここまでの周囲は水濠に囲まれているので、水城だとよく分かる。
    濠の先の左右にOrangerieオランジェリー(現在はレストラン)、Remiseレミーゼ(かつての馬車の車庫)と称する建物がある。
    この古城ホテルを訪問するのは初めてだが、1988年に古城ホテルがオープンしているから、それも当然だ。
    土曜日で城の内外に人も多いが、ここは古城ホテルにしてはSport Schlossスポーツの城と名前を付けているだけに、その為の施設も完備し、これに通う人も多いのだろう。

    この日はミュンスターラントの水城の一つとして訪れたから泊まったわけではないが、豪華で明るい色調のレストランでお茶を楽しんだ。

    古城ホテルとその歴史:
    ホテルは4星S・全101室。

    ミュンスター地方の水城の名前は890年ころからある神聖ローマ帝国男爵としての家系フェーレンからきている。
    1240年頃にHermann I ヘルマン1世と息子Konrad コンラットにより現在でも見られる塔を備えたLの形のゴシック様式の小さな騎士の館を建てた。
    16世紀、Hermann VIIヘルマン7世は礼拝堂を改装し、館の増改築を行った。
    18世紀、Anna Theresia von Velenアンナ・テレジア・フェーレンはClemens August von Landsbergクレメンス・アウクスト・ランヅベルクと結婚し、この城の城主はFamilie Landsberg-Velen ランヅベルク・フェーレン家になった。
    1931年4月に城は大火事で完全焼失してしまうが、1933?34年に再建し、庭園、オランジュリー、雉の飼育所などを作り直した。第二次大戦中は野戦病院や老人ホームに使用され、その後、1987年まで税関の学校に利用されていた。
    1988年、改装された古城はホテルとしてオープンした。

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    旅行時期
    2013年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • ミヒェルシュタット:赤いとんがり帽子のドイツ最古の市庁舎は大変愛らしく、美しい。

    投稿日 2019年06月18日

    市庁舎 (ミッヒェルシュタット) ミッヒェルシュタット

    総合評価:5.0

    ミヒェルシュタットはオーデンの森の真中にあって、“マイン川の真珠”と謳われるMiltenberg ミルテンベルグから33kmの距離と近く、中世の雰囲気を色濃く残した町で、現在の人口は17千人、古くから交易都市として栄え、今でも伝統工芸が盛んであり、特にドイツ象牙細工の中心地になっていると云う。

    とりわけ、ドイツ最古の市庁舎として、ドイツの郵便切手(上の記念切手の写真)にもなったほど、ここの旧市庁舎(1484年、後期ゴシック様式の建築)は有名である。
    赤いとんがり帽子の形状をした、二本の尖塔と中心に時計台がある市庁舎は木組み建築の小さな建物で、大変愛らしく、美しい。
    1階がアーケード風になっているのも珍しく、その昔は土間で、各種の交易がなされたと聞く。

    ミルテンベルグとミヒェルシュタットの二つの町はいずれも私にとってはお気に入りの町である。

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    旅行時期
    2007年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • リューデスハイム:つぐみ横丁のワイン酒場は昼間から騒がしいが、ラインガウは見所多し。

    投稿日 2019年06月12日

    つぐみ横丁 リューデスハイム

    総合評価:3.0

    2006.5.:“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
    期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間
    5月16日(火)  曇り後徐々に快晴 18~28℃ 、 100km (ここまで、1711km)

    この時はBurghotel Auf Schoenburg古城ホテル アウフ・シェーンブルグに泊まった(二泊)。
    シェーンブルグ城を9:30出発。B9国道を走り、Pfalz・Kaubプファルツ・カウプでフェリーに乗ってライン川右岸へ渡った。この日はラインガウのKloster Eberbachエーベルバッハ僧院見学、Schloss Johannisbergヨハネスベルグ城でワインの使者像を見て、ライン川の眺望を楽しみながら昼食、それからNiederwaldニーダーヴァルトの展望台に初めて登り、ラインの眺望を楽しむ。1871年のドイツ統一を記念したゲルマニアの女神の像をじっくり見て、森の道を散策し、対岸のフンスリュック地方が見える展望ポイントまで行って、引き返す。さらに上手の森の中を車で少し走ると、初めて訪れるJagtschloss Niederwaldヤーグトシュロス・ニーダーバルト(狩猟城)でお茶をした。

    最後にニーダーヴァルトの丘の下に位置する、Ruedesheimリューデスハイムを訪ねた。
    人口1万人の町は“ラインの真珠”?!と呼ばれている。郵便局の前に駐車スペースがある。此処からDrosselgasseドロッセルガッセ(つぐみ横丁)もほんの一、二分と近い。

    つぐみ横丁のワイン酒場や、土産物屋をのぞきながら、横丁を歩く。昼間からバンドも入って、騒がしい。一番インターナショナルな町かもしれない。
    此処で楽しいのは横丁に軒を連ねるホテルやお店の看板を見る事で、何度も来ているが、不思議と、好みに合わない所為か一度も此処で飲んでいない。
    バイエルン風の“錫製の壁掛け”(Euro23.4)を見つけて、土産に買った。

    ・・・・・ 

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

jijidarumaさん

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27国・地域渡航

6都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

古稀を過ぎましたが、元気にドイツ旅行を楽しんでいます。
古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳しています。
ここでは、伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテルについても、掲載したいと思っています。


プロフィール写真は2018.05.11.ドイツ・フランケン地方:
Volkach・フォーゲルスブルク(鳥の城)から見るマイン川の蛇行、マリア巡礼教会

(2019.03.24.変更)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を走っております。

春が11回、夏1回、秋が3回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう16回となります。

行ってみたい場所

ドイツ

現在27の国と地域に訪問しています

現在6都道府県に訪問しています

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