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jijidarumaさんのクチコミ全369件

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  • ツヴィンゲンベルグ城はネッカー川畔から眺めるのが一番だ。

    投稿日 2020年10月23日

    ツヴィンゲンベルク城 古城街道周辺

    総合評価:4.0

    ≪Burgenstrasseブルゲンシュトラッセ・古城街道≫ 

    ドイツの観光街道の一つ、古城街道は創設以来の58周年が過ぎた。
    中世からの歴史あふれる城は、それぞれの古城・館がその魅力的な風景を現在も保っている。ネッカー渓谷には多くの中世からの魅力的な城や館がある。
    ハイデルベルクの城、ホルンベルク城やグッテンベルク城がとりわけネッカー川沿いの城として知られている。其の他にもエーベルバッハ城、ヒルシュホルン城、ツヴィンゲンブルク城、エスリンガー城、シュトルツェネック城、ミンネブルク城、レムゼック城、ヴァイラー城、ディルスベルク城、ノイブルク城、ハインスハイム城、ホークハイム城、リーベンシュタイン城と数々の城が流域にはあり、興趣ある古城街道が整備されている。

    ①ドイツ16年ぶりの再訪:ゲーテ街道・ドレスデン・マイセン・古城街道を巡る
    期間 :2001年5月3日~5月14日 :12日間
    使用レンタカー:Volvo S80 2400CC  Diesel  Automatic
    5月12日(土)   快晴  214km

    ②2012年のドイツの旅:ロマンチック街道、シュヴェービッシュ・アルプ街道、古城街道の旅
    期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
    使用レンタカー:Renault Scenicルノー・セニック・2000cc・ ガソリン車・黒 5T 
    5月26日(土); 快晴で気持ち良い一日、26℃、140km 

    5月は“麗わしの春”の季節。
    今日のように真っ青な青空を言うのでしょう。本日も快晴。
    このネッカー川沿いにはライン川流域に負けないほど古城が多い。
    Mosbachモースバッハを経由して、B37を行く。Minneburgミンネブルク城址が山中に見える。

    <Burg Zwingenbergツヴィンゲンベルグ城>
    この旅43番目の城  17:00
    D-69439 Zwingenberg 、Schlossstrtasse 1
    http://www.schloss-zwingenberg.de

    ツヴィンゲンベルグ城は14世紀初期の城郭。緑濃い山腹に中世風の塔(40m)が高々と立っていて、ネッカー川畔から見る城全体が最も良い景観である。古城街道の名城と言われるだけの素晴しさがある。
    現在もバーデン大公の個人所有で、一般公開は行っていない。
    但し、作曲家ウエバーがこの地に来て、“魔弾の射手”を作曲したことから、毎年8月、城内でコンサートが開かれると云う。
    宿泊も可能とか。川に沿った横長の村民は680人。

    尚、「ツヴァイ~城ではないと思います」と口コミを書かれたはなはなさんのトップに出ている写真はヒルシュホルン城(古城ホテル)でしょう。

    ツヴィンゲンベルグ城から距離19kmにあるのはSchloss Hirschhorn ヒルシュホルン城(古城ホテル)D-69434 Hirschhorn am Neckarである。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0

  • “鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男≫が生まれた城・古城ホテル ゲッツェンブルク城

    投稿日 2015年05月07日

    古城街道周辺

    総合評価:4.5

    “鉄腕ゲッツ”と呼ばれた男≫鉄の義手を付けて戦った騎士Goetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン

    ≪??Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城≫ この旅32番目の城
    D-74249 Jagsthausen  、Schlossstrasse 20  
    Weisslingenヴァイスリンゲンの部屋(1階) 、Euro110x2=220(22,425円)
    Tel:+49 (0) 7943 9436-0 、Fax:?9436200
    http://www.die-goetzenburg.de/ 

    古城ホテルは全28室(本館17室+以前は無かった宿泊棟Vorburg一の丸11室)がある。レストランはシュヴァーベンの郷土料理を中心としたドイツ料理を提供する。

    ゲッツェンブルク城はJagstヤークスト川に沿ったヤークストハウゼンにある。
    ドイツ騎士団の城館がある保養地バート・メルゲントハイムや、ネッカー川沿いの古城群にも車で30分の距離と近い。

    また、ヤークスト川の上流4kmには鉄腕ゲッツの墓碑もある美しいKloster Schoentalシェーンタール修道院が見られる。
    かつてはBurg Jagsthausen ヤークストハウゼン城と呼ばれていたが、現在はゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”で全国的に知られた為、Die Goetzenburgゲッツェンブルク城、つまりゲッツの城と称されるようになった。
    毎年、6月中旬から8月初旬まで、ゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”の野外劇が城内の内庭で催されて、チケットが入手しにくいほど、人気も高いそうだ。
    ホテル・レストランはKriegerクリーガー夫妻が経営を任されているようだが。

    旅行時期
    2012年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    5.0
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    5.0

  • “ネッカーの真珠”と称する古城ホテル ヒルシュホルン城

    投稿日 2015年02月19日

    古城街道周辺

    総合評価:4.5

    Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅

    期間 : 2012年05月15日(火)?05月29日(火)15日間の旅

    5月26日(土); 快晴で気持ち良い一日、26℃、140km

    ハイルブロンからハイデルベルク間を流れるネッカー川沿い、ヒルシュホルン・アム・ネッカーの町とネッカー川を見下ろす高台に立つヒルシュホルン城(現在は人気の古城ホテル)がある。

    ≪Schloss Hirschhorn古城ホテル ヒルシュホルン(鹿の角)城≫

    4号室(2階・本城館Suite;Kategorie HZZI ) Euro164(16,717円)
    D-69434 Hirschhorn am Neckar 、Schlossstr. 39-45 
    Tel:+49 (0) 6272?92090 、Fax:?3267

    http://www.schlosshotel-hirschhorn.de

    全25室(本城館8室+別棟17室)、本城館(Kategorie HZZI )DZ=Euro164。

    ハイルブロンからハイデルベルク(人気のハイデルベルクにはここから車で20分の距離)間を流れるネッカー川沿い、町とネッカー川を見下ろす高台に立つ古城ホテルである。

    “ネッカー渓谷の真珠”と云われる中世の町は好ましい。
    古城街道を何度か旅してきたが、この古城ホテルには街道を巡る途中に訪れて、昼食をとっただけで、宿泊は初めてである。

    それも最初に予定していたSchloss Neckarbischofsheim古城ホテル ネッカービショップスハイム城が、当日は結婚式が入っていて、部屋の空きが無かった所為である。

    川沿いの道から、山道を登ると小さな城門がある。その門を入ると、古城ホテル ヒルシュホルン城がある。
    ヒルシュホルンとは鹿の角、鹿の角笛の意。

    快晴の日は眺めの良いテラスレストランから、ネッカー川を運行する貨物船や観光船、カヌー遊びの人も見える。その絵になる景観から、今では古城街道沿いの古城の中でも、人気の高い古城ホテルとなっている。
    この城はオーデンの森を後背地にもっているので、野鳥獣の料理を得意としている。

    城の歴史:

    城の起源は13世紀に遡ると云う。ネッカー川を眼下に見るオーデンの森の山の尾根に最初は物見の塔が建てられ、後に城館や第一・第二の城壁が築かれた。13?17世紀初めまでの400年という長い間をヒルシュホルンの騎士と呼ばれる領主が居城としていた。

    中世のヒルシュホルン城は城壁とBergfried天守閣(Der Hexenturm魔女の塔と呼ばれる主塔)、本館、厩舎の他、多くの門や附属建造物が遺されている。

    本館は16世紀のゴシック様式をベースにルネサンス様式に建てられたもので、1803年から町の所有となり、営林署として利用されてきた。
    1959年、古城ホテルに改造された。人気も高かったが、2010年10月30日に廃業した。

    その後、経営者が変わって、2011年7月、古城ホテルは再オープンした。
     
    (2012.08.21.訳・編集)

    旅行時期
    2012年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    5.0
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    5.0

  • セピア色の思い出:ロンドンを象徴し、英国史を語る、人気のロンドン塔を見物

    投稿日 2020年10月15日

    ロンドン塔 ロンドン

    総合評価:5.0

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。その旅の第一の目的はScotlandスコットランドのエディンバラ城で行われるEdinburghエディンバラの祭り・「Military Tattooミリタリー・タトゥー」を見に行くことだった。
    ロンドン観光は初めてで、ロンドン4泊5日の間、観光書に載っている主だった所を見て回った。

    <Tower of Londonロンドン塔見物>

    8月7日9時10分出発、午前中はロンドン塔に行く(駐車料£0.85)。
    ロンドン観光の2日目のメインであるロンドン塔は首都ロンドンを流れるテームズ川畔(全長346km)に面して立つ、見た目には小規模に見える中世の城塞である。
    世界遺産登録は1988年なので、私共が見物した10年後になる。

    予想以上にロンドン塔は人気が高いようで、観光客が多いのに驚いた。
    とりあえず見物前に城壁前で家内と長女を撮った。それからまずは入場券購入(4人分が£4)と、なかなか進まぬ長い列に並んだ。
    漸く、敷地内に入り、周辺の木組みの家(Tudor styleチューダー様式と思われる)が気に入り、家内と娘たちの写真を撮る。これらがロンドン塔最初の写真だ。

    ロンドン塔の入口は娘たちに愛想よく日本語で今日は、サヨナラと話しかけてくれたBeefeaterビーフィーター(牛食い)が衛兵として守っている。彼は胸に赤い王冠が刺繍され、紺色の地に赤い線の入った制帽・制服を身にまとっている。彼は正式には「The Yeomen Wardersヨーマン・ウォーダーズ(通称Beefeaterビーフィーター:牛食い)」と呼ばれる。彼らの歴史は15世紀、国王の命により国民義勇軍の役割として、国王の財産の守護やロンドン塔に収監される囚人たちの監視役などを務めていた。
    また、現役の英陸軍の近衛兵も警護に当たる。
    丁度、この近衛兵たちの交代式にも出会った。熊毛の高々とした黒い帽子をかぶり、赤の上衣、紺のズボンという格好はなかなか良い。

    陰惨とも思われるロンドン塔の歴史は11世紀に遡る、1066年に即位したWilliam Iウィリアム1世(1027年~1087年:ノルマン王朝初代・征服王と称される)が、ロンドンを守るための要塞の建設を命じたことに始まった。

    1241年、中世のロンドン城塞にノルマンスタイルの天守閣(32m)にあたる最初の塔が完成した。
    その後、歴代の王によって増改築が繰り返され、最初の塔は5階建てで「White Towerホワイト・タワー」と呼ばれるようになり、「ロンドン塔」は塔や館、St John's Chapel聖ジョンズ礼拝堂(1080年ロマネスク様式)などが建ち並ぶ城塞全体を指す名前となった。
    ロンドン塔は正式には「女王陛下のロンドン塔の宮殿および要塞と呼ばれ、現在も儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されている。
    中でも世界最大級のダイヤモンド「アフリカの星」がはめ込まれた王笏をはじめ豪華な宝物を展示する「ジュエル・ハウス」(入場料£1.4)が見所だ。

    <Waterloo Blockウォータールー館:Jewel Houseジュエル・ハウス(宝物館)>

    特筆されるのは宝物館で保管されている世界最大級のカット・ダイヤモンド「The Cullinanカリナン」である。1905年に南アフリカのカリナン鉱山で発見されたダイヤモンド原石は3106カラット(621.2g)もあり、鉱山の所有者サー・トーマス・カリナンの名前で命名された。
    この原石から9つの大きな石と96個の小さな石が切り出された。9つの石にはそれぞれカリナンIからIXの名が与えられ、全てイギリス王室若しくは王族個人が所有している。
    それらは宝物館で展示されていたのだが、実は内部が撮影禁止で、写真はないから、もう記憶に残っていない。

    <Royal Armouriesロイヤル・アーマリーズ(国立武器防具博物館)>
    イギリス最古の博物館ロイヤル・アーマリーズはイギリスの国立武器防具博物館である。世界的に見ても最も古い博物館の一つである。また、銃火器、武器防具、火砲で構成されたコレクションは世界でも最大規模とされている。

    <ロンドン塔には、英国の歴史が垣間見える>

    最後に居住した王はステュアート王朝のJames Iジェームズ1世(1566年~1625年)とされる。
    1282年からは、身分の高い政治犯を収監、処刑する監獄としても使用されはじめ、14世紀以降は、政敵や反逆者を処刑する死刑場となり、城塞や王宮というよりも、これらの方で有名となった。
    1471年:ヘンリー6世、ランカスター朝最後の王。
    1536年:アン・ブーリン、ヘンリー8世の2番目の王妃。
    1540年:トマス・クロムウェル、ヘンリー8世を支えた宰相。
    1542年:キャサリン・ハワード、ヘンリー8世の5番目の王妃。
    1554年:*レディ・ジェーン・グレイジェーン・グレイ、ヘンリー7世の曾孫。
    1601年:エセックス伯ロバート・デヴルー、エリザベス1世の寵臣。

    *ここにはイングランド史上初の女王(テューダー王朝第4代)異名に「九日間の女王」というLady Jane Greyレディ・ジェーン・グレイ(1537年~1554年)が収監されていた。
    数奇な縁で女王として即位したが、在位わずか九日間で女王Mary Iメアリー1世(1516年~1558年、血まみれのメアリーと呼ばれた)により廃位され、その7か月後に大逆罪で斬首刑に処された。この事もあって女王と呼ばれていないが、現英国王室は公式に歴代君主の一人に数えていると云う。
    ・・・・・

    尚、ナチス副総統・親衛隊大将Rudolf Hessルドルフ・ヘスも収監されていた。
    ヘスは1941年5月10日午後6時10分、ヒトラーには事後承諾のつもりで、対英和平交渉を結ぶべくドイツからMesserschmittメッサーシュミット Bf110で飛来し、イギリス時間午後8時30分頃、スコットランドのグラスゴー郊外の農場に不時着した。ヘスは右足首を捻挫したものの無事であった。捕虜となり、1941年から1944年まで勾留され、最後のロンドン塔の収監者となった。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    4.5

  • ニュルンベルク:旧市庁舎にある旧牢獄(Lochgefaengnisse穴の牢獄)は初めての訪れだ。

    投稿日 2020年10月10日

    旧市庁舎 (ニュルンベルク) ニュルンベルク

    総合評価:4.0

    <北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅>        
    :フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る:

    期間:2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅

    4月26日(日) 朝方はやや曇り空、その後は快晴。20℃。 87km

    ニュルンベルクは昨日に続く二日目の観光である。
    旧市街地の中心にある中央広場から、Die Burg・Kaiserburgカイザーブルク(帝国城)に向かうブルク通りに入る手前右手にあるどっしりした建物が旧市庁舎である。

    Altes Rathaus Nurnberg
    D-90403 Nurnberg Rathauspl. 2

    ここは市庁舎広場(同時に通り道でもある)であるが、その左手には聖セバルドゥス教会が見られる。

    昨日の観光で見られなかった旧市庁舎には旧牢獄(Lochgefaengnisse穴の牢獄)があるというので、今日の目的にした。ここは初めての訪れだ。

    ニュルンベルク全盛期の14世紀に建てられた旧市庁舎の地下室に、穴の牢獄がある。
    ガイドの先導で、十数人の見学者と共に暗い地下牢に降りる。

    中世の拘置する為の獄と拷問道具を揃えた天井が高い部屋がある。
    トイレはもちろん常備し、2mの長さの牢獄が12、その部屋の鎖でつなぐ設備を見ると、2人以上が同室であった様子が分かる。
    床や天井、壁は厚板が張られて、部屋の中には板のベッドか、ベンチになるような板が置かれている。

    町や古城の見学ではこうした牢獄を見る事も多いが、ニュルンベルクの牢獄は良くできたもので、また保存も良い。

    (12:30~13:00  チップとパンフレット代Euro1.5 ;シニアは無料でした)

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    3.5

  • アッシャウ:ドイツ料理界の天才ミシュラン3星シェフ ハインツ・ヴィンクラーの5品料理を楽しむ。

    投稿日 2020年09月28日

    レジデンツ ハインツ ウィンクラー プリーン

    総合評価:5.0

    ≪2008年春:ミシュラン3星レストランHeinz Winklerハインツ・ヴィンクラーで、人生初の贅沢な夕食を楽しむ≫

    <夕食:レジデンツ・ハインツ・ヴィンクラーのグルメレストランの「Venezianishe Restaurantヴェネチアニッシェ レストラン」 にて>

    食事時間18:30~21:50、5品料理と飲み物費用合計Euro 440=73,257円

    レストランの”Venezianishe Restaurantヴェネチアニッシェ レストラン” の評価はMichelinミシュラン3星・Gault Millauゴー・ミヨ19点(全独ランク4位)。
    80席に対し、従業員40名とたいへん手厚いスタッフ数。
    昼食コース;3品Euro89、5品130。
    夕食コース;5品Euro 135、8品158。
    ワイン950銘柄(1星レストランの倍の数である)。

    オーナーシェフHeinz Winklerハインツ・ヴィンクラーは31歳で初めてミシュラン3星を獲得しているが、このAschauアッシャウの地では3星を11年もの間継続し、また、独立前のレストランMuenchner Kult-Lokals Tantrisタントリス(現在ミシュラン2星:ミュンヘンで最もお高いレストランと言われているそうだ)などの取得期間を加算すると、3星は合計21年と言われる。
    バイエルン州で唯一のミシュラン3星を継続中である。

    ・・・・・

    Heinz Winkler empfiehlt heute Abend・・・ハインツ ヴィンクラー 今夕のお勧めをお願いした。お勧めの5品コース(Euro 135x2)。

    飲み物:
    アペリティーフ:シェリー酒エミリオ・ルスタウ・フィノ・ハラーナ(へレス産のフィノ)

    シェフからの贈り物(厨房からのご挨拶):
    料理の注文や飲み物の注文、料理の出来上がりまでの時間調整にシェフからの贈り物として、二つ出てきました。
    ①白アスパラのクリームスープ 
    ②3品・・・長方形のガラスの皿に3品がのって出てきました。
    左手から、キャビアがのったサーモンの小片。ガラスコップに入ったグリーンピースをすり潰し泡立てたスープ。ハーブ入りマヨネーズソースの上にトマト風味の小エビをのせ。


    飲み物:
    ワイン:リースリングの白辛口・2005 年ラインガウ・リューデスハイマーベルク・シュロスベルク、Leitzライツ。

    ①前菜:スズキのカルパッチョ

    ②スープ;2007年バイエルン料理大賞の品

    ③魚料理;アンコウのメダリオン

    ④肉料理;Bresseブレス産鳩の胸肉

    ⑤デザート;イチゴのスフレ

    コーヒー:コーヒーにチョコレート菓子

    ・・・・・

    いずれの料理も美味しく、美しい出来栄えで、日本人の私共にも適当な料理の量でした。満席のお客にも拘わらず、適度の待ち時間で料理が運ばれてくるのもさすがでした。

    『ミシュランの星は味、サービスをはじめ、全てに一流である証である』・・・納得です。


    XXXXX

    旅行時期
    2008年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    5.0
    サービス:
    5.0
    ロケーション:
    3.5

  • アイゼナハ・ヴァルトブルグ城にはドイツの歴史が詰まっている。

    投稿日 2017年03月24日

    ヴァルトブルク城 アイゼナッハ

    総合評価:4.5

    ドイツ16年ぶりの再訪
    ( 2001年5月3日-5月14日 :12日間 )
    *ゲーテ街道・ドレスデン・マイセン・古城街道を巡る旅*
    使用レンタカー:Volvo S80 2400CC  Diesel  Automatic

    5・05(土) 曇り後雨、肌寒し 59km
    Eisenachアイゼナッハの町(人口4万5千人)に至る。このドイツ文化の源流とも言われる町の観光はまずWartburgヴァルトブルグ城である。山上の城までボルボは軽快に上がる。狭い山道は山間をぐるぐる回るような感じで上がって行く。城の真下に設けられた駐車場に導かれて停める.

    ヴァルトブルグ城内に入ると1階にRittersaal騎士の間がある。十字に木組みされた丸天井、石造りの部屋は12世紀以来の中世の雰囲気で、質素な空間だ。
    次はSpeisesaal食事の間が続き、領主と領主婦人が日常使用したもの。漆黒の樫の木の太い梁が目立つ天井、中央には古びた暖炉がある。石造りの回廊を通り、次の間に。そこは元来、騎士の間と対に作られたものという。

    Elisabeth-Kemenate聖女エリザベートの間は天井や壁がモザイク(ガラス製1902-6)で彩られ、見事な美しさを今に残している。部屋の壁面をぐるりと飾るモザイクは聖女の一生を描いていると云う。(尚、聖女エリザベートの奇跡の伝説が残る)2階への階段を上がると、そこには城の礼拝堂があった。13世紀の壁画(キリストの6人の使者像)がかろうじて残っている。
    この階にはElisabeth-Galerie聖女エリザベートの回廊がある。6つの大きなフラスコ画が回廊を埋めていて、その一代記を表現している。
    ①4歳の時にヴァルトブルグ城に到着した場面
    ②バラの奇跡③十字軍遠征に参加する夫との別れ
    ④夫の戦死後、城を追われるエリザベート
    ⑤Marburgで死の床に伏す
    ⑥死後4年で聖女に列せられたエリザベートを顕彰し、聖体を担ぐセレモニー・列聖式のシーン。(1236年以後Marburgに壮大な聖エリザベート教会が建設される。)

    リヒャルト・ワーグナーの歌劇 “タンホイザー” の舞台としてこの城は有名である。その昔、有名な詩人、歌人などがヨーロッパ各地より参集し、文化の中心ともなったという。吟遊詩人(Minnesaengerミンネジンガー:12世紀の頃、最盛となった。主に宮廷をめぐり、中世の騎士的恋愛が主題の詩を吟じた。宮廷恋愛歌人とも訳す)達が美しい歌声で、テューリンゲン伯の前で、死を賭して歌合戦を繰り広げた大広間はSaengersaalジンガーザール・歌手の間と呼ばれている。(1206年)壁面には“タンホイザー”の歌合戦のシーンがフレスコ画で描かれている。

    次はLandgrafenzimmer方伯の間で、領主が政務を行った場所。その権力を誇示するライオン(方伯の紋章になった)などの強い動物が壁に描かれている。また、方伯の伝説から、築城の伝説など7つの欄間壁画が見られる。3階への階段を上ると大きな広間に出た。

    Festsaal祝典の間がそれである。長方形の大広間にはシャンデリアがさがり、木彫りの装飾も美しく飾られ、正面には鷲の紋章が威厳を示している。大広間は近年、コンサート等に利用しているようで、何百の椅子が整然と並んでいた。
    ここには二つの話がある。

    一つは“メルヘン王” ルードヴィッヒ二世バイエルン王がここを真似た広間を新白鳥城に作ったと云う。
    二つには1817年10月18日、ドイツ学生同盟(1815年)の学生たち凡そ500名が参集し、ヴァルトブルグ集会を催したこと。
    テーマは1813年ライプチッヒの戦いに勝利したことの祝いであり、ルター宗教改革300年を記念したもの。この集会で宣言されたのはドイツ連邦成立への民族統一、民主主義の基本権の確立であり、当時のドイツ地域での市民階級(中間層)が始めて大衆行動を起こしたという歴史的なものだった。
    その際に使用された学生同盟旗は後年、ドイツの国旗の“黒・赤・黄”の三色旗の基となったそうだ。
    (*ライプチッヒの戦い:諸国民戦争とも言い、1813年10月プロイセン、オーストリア、ロシアの同盟軍がこの地で、ナポレオン軍に大勝し、ナポレオンの退位の契機になった。)

    ここでガイドは終了し、階段を下りて、ゲーテが提唱して作られた博物館に。
    聖物、デューラーの書棚、クラナハの作品などの展示あり。博物館横のお土産ショップ。その後、梁がむき出しになった、狭く、頭がぶつかりそうな通路をルターの小部屋に向かう。真に古城の趣むきたっぷりな木造の渡り廊下である。

    Lutherstubeルターの小部屋は質素な、木張りの部屋であった。帝国追放例を受けていたルターがザクセン侯の守護の下で、この部屋で誰にも分かるように易しい言葉で、ギリシャ語の新約聖書をドイツ語に翻訳した。(1521~22年の凡そ10ヶ月の短い間に翻訳した。;旧約聖書はこの後、Coburgコーブルク城でドイツ語訳を完成。)ルターは聖書を万人のものとした。‐‐‐歴史的なことを成し遂げたわけだ。
    ゲーテもワイマールの大臣となって、アイゼナッハには20回近く訪れたという。城の補修・保存を命じたというが、これもルターの弟子を自任していたゲーテだからだと・・・。

    XXX

    旅行時期
    2001年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0

  • セピア色の思い出:ロンドン市内ショッピング・英国土産はバーバリーのコートや銀食器など

    投稿日 2020年10月04日

    リージェント ストリート ロンドン

    総合評価:4.5

    ≪ロンドン市内ショッピング:英国土産はバーバリーのコートや銀食器など≫

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    この時は駅観光案内所で紹介されたロンドン市内のホテルに4泊した。
    ロンドン観光は初めてで、4泊5日の間、観光書に載っている主だった所を自分の車で市内を見て回った。若いから怖さ知らずで行けたようだ。

    名前をあげれば、8月6日にLondonロンドンのウェストミンスター寺院、国会議事堂とビック・ベン、バッキンガム宮殿と衛兵交代式、テームズ川とタワーブリッジ、トラファルガー広場とライオン像、大英博物館、
    8月7日は、ロンドン塔、Madame Tussaudsマダム・タッソー館(蝋人形館)、動物園(パンダ見物)、ギルドハウス、イングランド銀行、
    ・・・・・

    8月8日はロンドン最後の日なので、市内のショッピング街を見て、気に入ったものがあれば、英国土産を購入しようと思っていた。
    そこでRegentリージェント通り、Oxfordオックフォード通り、Bondボンド通り、Piccadillyピカデリー通りと、案内書に出て来る一帯を巡った。

    この日のショッピングの主たるものは、ママのBurberryバーバリーコート(£70ポンド)、カシミヤのセーターとマフラー(£156)、銀器一式(£130)、キルトのスカート(£23)など合計£405でした。

    ショッピング街は東京のように人の波で歩くのも大変、子供たちとはぐれぬように用心。ピカデリー・サーカスのキューピットの銅像、噴水に来た時はもう夕暮れ時、買物には時間がかかる。噴水周辺は観光客、若者たちで混雑していた。
    最後にバッキンガム宮殿による。正門前でドイツのEssenエッセンから来た大学生に会う。久しぶりのドイツ語が妙に嬉しい。

    (2020年10月03日:編集・加筆)

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.5
    景観:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.0

  • セピア色の思い出:ロンドン動物園のパンダ見物では見物人がいないのに驚いた!

    投稿日 2020年09月27日

    ロンドン動物園 ロンドン

    総合評価:3.0

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。
    ロンドン観光は初めてで、4泊5日の間、観光書に載っている主だった所を見て回った。

    8月7日(月)は午前中にロンドン塔、ホワイトタワーを見て、Madame Tussaudsマダム・タッソー館(蝋人形館)、動物園(パンダ見物)、ギルドハウス、イングランド銀行を見て回った。

    ②次のLondon Zooロンドン動物園(1828年開設、1847年公開。Outer Circle, Regent's Park, London)はリージェンツ公園の北にある。
    南端にあるマダム・タッソー館から動物園は近いし、子供たちにとってもパンダは初めてだから行ってみたのだ。

    前掲の写真ではパンダ、いわゆるジャイアントパンダの姿は柱や金網などで見難いが、中央部の木の上にどっしり座って動かない姿を撮っている。

    ともあれ、月曜日の所為か、パンダ舎の周りには誰もいない。イギリスでは珍しくもなく、人気がないのだろうか?

    かつてロンドン動物園にはChi Chiチチというジャイアントパンダがいて、1972年に亡くなったという記録が残っているが、この時に見たジャイアントパンダの事はよく分からない。現在、ロンドン動物園には1頭もいない。
    但し、スコットランドのエディンバラ動物園に2011年12月から、Tian Tian(F)とYang Guang(M)の2頭がいるようだ。この差が何だろうか?

    尚、「中国のパンダ外交」で西側諸国にパンダが贈呈されたのは、1972年、アメリカに贈られたリンリンとシンシンが最初で、それ以降、日本・フランス・イギリスなどに贈呈されていった。

    日本の上野動物園には1972年10月、2頭のカンカン、ランランがやって来た。
    当時の日本人の歓迎ぶりはすごいもので、パンダ人気がたいへん盛り上がった。この頃、私に海外駐在の話が出始めていたから、上野動物園に家族で訪れたか、ジャイアントパンダを見たのか、さて、もうすっかり忘れてしまった。

    ・・・・・

    薄汚れたジャイアントパンダに家族も少々ガッカリしてしまったのだが、それからシティという(日本的には丸の内のような)地区に戻った。
    ここに日本の商社、銀行の店が殆ど集まっている。

    ③Guildhallギルドホールは、シティ・オブ・ロンドンの市庁舎である。

    12世紀に商人達のギルド(同業組合)が自治権を獲得後、1185年に初代市長(ロード・メイヤー)が誕生し、1319年にはギルドに選挙権と行政権が認められた。
    このギルドホールは15世紀に統治の中心として建設されて以降、シティの市庁舎、シンボルとして機能してきた。現在も市長の晩餐会や講演会、定例の市議会が開催され、シティのホールつまり議事堂なのだ。

    夕暮れ時に訪れたから、外観だけを写真におさめたが、内部にはチャーチル首相、ネルソン提督、政治家ピット首相(親子:大ピット、小ピット)の著名な方々の肖像画や記念碑があると云う。時間があれば、見て見たかったが、現在は1999年に再建されたGuildhall Art Galleryギルドホール・アート・ギャラリー(美術館)という隣の建物に展示されているようだ。

    ④Bank of Englandイングランド銀行はギルドホールから近い。

    1694年の創立、コリント風の列柱が独特の建物は古色然としているが大きな建物である。かつて世界の金融を支配した英国中央銀行である。

    一つ不思議なことに、イングランド銀行前で写真に撮った正義の女神像が現在の銀行前には見当たらず、イングランド銀行(旧王立取引所)前のウェリントン公爵(ワーテルローの戦いでナポレオン皇帝に勝利した)騎馬像だけが見える。

    面白いことに、シティでは軍人を崇拝するような像を公衆の面前に建てることが禁止されているらしく、軍服ではなく平服の騎馬像になっているそうだ。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    明日8日はロンドン最後の日、リージェント通りでお買物の予定になっている。

    (2020年9月25日:編集・加筆)

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    施設の快適度:
    3.0

  • セピア色の思い出:ロンドンのマダム・タッソー館(蝋人形館)は実に面白い。

    投稿日 2020年09月26日

    マダム タッソーろう人形館 ロンドン

    総合評価:4.0

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。その旅の第一の目的はScotlandスコットランドのエディンバラ城で行われるEdinburghエディンバラの祭り・「Military Tattooミリタリー・タトゥー」を見に行くことだった。

    この時は駅観光案内所で紹介されたロンドン市内のホテルに4泊した。
    ロンドン観光は初めてで、4泊5日の間、観光書に載っている主だった所を見て回った。名前をあげれば、8月6日にLondonロンドンのウェストミンスター寺院、国会議事堂とビック・ベン、バッキンガム宮殿と衛兵交代式、テームズ川とタワーブリッジ、トラファルガー広場とライオン像、大英博物館、
    8月7日は、ロンドン塔、Madame Tussaudsマダム・タッソー館(蝋人形館)、動物園(パンダ見物)、ギルドハウス、イングランド銀行、
    8月8日には市内でショッピング(銀器、Burberryバーバリーコート)、ピカデリー・サーカスなどなど。

    8月7日(月)は午前中にロンドン塔、ホワイトタワーを見て、Madame Tussaudsマダム・タッソー館(蝋人形館)、動物園(パンダ見物)、ギルドハウス、イングランド銀行を見て回った。

    ①Madame Tussaudsマダム・タッソー館はロンドンにある蝋人形館である。
    (現在は欧州、アメリカ、アジアの各国に分館が出来ている)

    今もロンドンの観光名所のひとつであるが、当時でも人気が高く、並ぶ人も多くてなかなか入場できなかった。子供たちには少し刺激の強いものも有ったし、顔と名前が一致して分かるわけでもないが、内部に入ると、人形なのか?蝋人形なのか?迷ってしまうほど精巧な、見事な人形が並んでいた。

    名前をあげれば、皆納得の人達である。日本人では吉田茂首相の和服姿、史上有数・昭和最後の大横綱である千代の富士関の力士姿が、
    英国ではエリザベス2世一家を筆頭に、ヘンリー8世と6人の王妃、エリザベス1世、イングランド・スコットランド・アイルランド3王国「共同統治」のウィリアム3世とメアリー2世、同君連合=ハノーヴァー王朝ジョージ3世、ウィリアム4世、ジョージ4世、ヴィクトリア女王、映画監督アルフレッド・ヒッチコック、女優オードリー・ヘプバーン、俳優リチャード・バートン、女優(政治家)グレンダ・ジャクソン、「ミステリーの女王」アガサ・クリスティ、チャーチル首相、ビートルズなどが見られ、

    アメリカからはケネディ大統領、女優のマリリン・モンロー、アメリカの石油王ポール・ゲティ、『カサブランカ (映画)』の男優ハンフリー・ボガート、『刑事コジャック(TV)』の男優テリー・サバラス、

    その他の国ではドイツのシュミット首相、ヨハネ23世 (ローマ教皇)、グスタフ6世アドルフ(スウェーデン国王)、童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン、スペインの画家ピカソ、イラン皇帝レザー・シャー・パフラヴィーなど。

    (時代が変わるに応じて、ここに陳列される蝋人形たちも変わる。それを比較するのも面白事だろう。長寿の女王エリザベス2世だけでも見る価値がある)

    地下のホラーの部屋には処刑場の場面が作られていて、フランスのギロチンの模型が、不気味で恐ろしい様で立っていた。加えて音楽まで不協和音を奏で、恐々といった感じだった。その横にはギロチンで処刑された王妃マリー・アントワネットの頭部が獄門台(首台)に載せられていたから、ぎょっとする。
    とても子供には見せられないものだったから、私だけが見たのだけれども。

    マダム・タッソー館は1835年、フランス生まれの蝋人形彫刻家Marie Tussaudマリー・タッソー(1761~1850年)がロンドンのベイカー・ストリートに創立し、1884年にメリルボン・ロードに移転した。
    ここでは歴史上の人物、各国の政治家、エンターテイナーからスポーツ選手などを等身大の大きさで精巧に再現して展示している。

    (2020年9月25日:編集・加筆)

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    施設の快適度:
    4.0

  • ニュルンベルク:カイザーブルク(帝国城)傍にあるレストラン ブルグヴェヒターでお茶にした。

    投稿日 2020年09月23日

    ブルクヴェヒター ニュルンベルク

    総合評価:3.5

    <北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅>        
    :フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの
    古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る:
    期間:2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅

    4月26日(日) 朝方はやや曇り空、その後は快晴。20℃。 87km

    ニュルンベルクは昨日に続く二日目の観光である。
    市博物館の横の道Burgenstrasse古城街道をDie Burg・Kaiserburgカイザーブルク(帝国城)に向かって上がる。
    薄紫のライラックが満開の様子を楽しみながら、上り坂を上がると、Burgenstrasse古城街道の標識が出てきた。確かにカイザーブルクはこの街道上にある。

    登りきってみるとお腹が空いているのに気が付いた。

    <お茶:Burgwaechterブルグヴェヒターのレストランにて>
    D-90403 Nuernberg 、Am Oelberg 10
    (13:20~14:00 Euro 20)

    Kaiserburgカイザーブルク(帝国城)傍のレストランでお茶にした。

    レストランの内部は私共だけで、ドイツ人は花々で飾られたテラスで、
    日差しの下でお茶や軽食を楽しんでいる。太陽の少ない冬を過ごすと、
    こうしてみたいのか!
    レストラン内部は暖炉の間があり、洒落た装いである。

    メニュー:リンゴのケーキにコーヒー。ドイツのコーヒーは美味い。

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    2,000円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    3.5
    雰囲気:
    4.0
    料理・味:
    3.5

  • 懐かしのプリーン:キームゼー湖の男島に見事なルードヴィヒ二世の宮殿がある。

    投稿日 2020年09月16日

    ヘレンキームゼー城 プリーン

    総合評価:5.0

    ≪ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊≫
    :アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
    期間:2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅

    4.23 (水) 曇り時々小雨 12℃、

    2008年の春、バイエルンのプリーンを久しぶりに訪問した。
    市内にあった語学学校Goethe-Institutゲーテ・インスティトゥートや、2ヶ月の間、学校に通った時に下宿した家、そしてFahrschuleファーシューレ自動車学校(ドイツはどの町にも先生一人の小さな学校がある)などを見て回ったが、34年前の記憶は不鮮明で、どれ一つ特定できなかった。
                 
    XXXXX

    Prien-Stock10:30発の観光船・Rudorf号でHerreninsel男島に向かう。
    (Prien ->Herreninsel・15分、往復Euro12.6 )

    男島の北東に位置する桟橋に着くと、大勢の観光客が桟橋そばの切符売場の前に参集している。様々な国の言葉が聞こえてきて、世界的に名高い観光地であることを再認識した。

    十分時間のある一日となったので、切符売場ではルードヴィヒ二世の宮殿:ガイド付き見学 、併設のルードヴィヒ二世博物館、Altes Schloss博物館の特別展の通し切符を購入した。

    尚、ルードヴィヒ二世の宮殿など見学内容は別途、関連旅行記に詳細を書いた。
    ご参照下さい。

    ≪南独、オーストリア巡り≫
    2004年4月21日~5月4日の2週間

    南ドイツとオーストリアをドイツ・バイエルン国王ルードヴィヒ2世とオーストリア皇妃エリザベート・・・愛称 “シシー”を巡る旅と称して、レンタカー(メルセデス・ベンツ2000CC)の旅をしたことがある。
    珍しく、家内の友人親子が御一緒した、4人の旅でした。

    快晴に恵まれ、男島への20分程の船旅も心地よく、新緑の中をヘレンキムゼー宮殿へ向かう道も弾むような気持ちだ。

    ≪南独、オーストリア、スイス巡り≫

    1975年8月9日~8月19日 10泊11日 
    夏の休暇旅行で

    さて、駐在二年目に入ると、車にも少し自信が出てきて、夏の休暇は初めて大きな旅行をしました。
    当時、私共は31歳、娘たちは5歳と3歳でした。

    赴任して、家族を連れて最初に行きたかったのはロマンチック街道であり、更に東に走りバイエルンの州都ミュンヘン、私が学んだゲーテ・ドイツ語学校のあったキームゼー湖畔のプリーンでした。ヘレンキームゼー城建学。

    ≪Prienプリーンの思い出 ; 1974.2.2.~3.29.≫

    プリーンは観光地である。
    世に名高いバイエルン王ルードヴィヒ二世の建てた新宮殿(第三番目の宮殿)Schloss Herrenchiemseeヘレンキームゼー城があるHerreninselヘレンインゼル(男島)への観光船が発着する所だ。

    旅行時期
    2008年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0

  • セピア色の思い出:ウィンザー城でも衛兵交代式が楽しめる。

    投稿日 2020年09月09日

    ウィンザー城 ウィンザー

    総合評価:4.0

    <英国王室の離宮:ウィンザー城と衛兵交代式を見る>

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。
    その旅の第一の目的はScotlandスコットランドのエディンバラ城で行われるEdinburghエディンバラの祭り・「Military Tattooミリタリー・タトゥー」を見に行くことだった。
    この時は駅観光案内所で紹介されたロンドン市内のホテルに3泊し、名前をあげれば、8月6日にLondonロンドンのウェストミンスター寺院、国会議事堂とビック・ベン、バッキンガム宮殿と衛兵交代式、テームズ川とタワーブリッジ、トラファルガー広場とライオン像、大英博物館、
    8月7日は、ロンドン塔、Madame Tussaudsマダム・タッソー館(蝋人形館)、動物園(パンダ見物)、ギルドハウス、イングランド銀行、
    8月8日には市内でショッピング(銀器、Burberryバーバリーコート)、ピカデリー・サーカス、

    4泊5日のロンドン観光は初めてで、観光書に載っている主だった所を見て回った。5日目の8月9日にロンドンを出発、西34kmの近郊にあるWindsor Castleウィンザー城と衛兵交代式、ロンドンから90 kmのOxfordオックスフォード、文豪シェークスピアの故郷Stratford-upon-Avonストラトフォード・アポン・エイヴォンを見物する。

    <英国王室の離宮:ウィンザー城と衛兵交代式を見る>

    8月6日にロンドンのバッキンガム宮殿に行き、大勢の観光客と共に衛兵交代式を見物したが、5日目の9日(水)には、もうロンドンを離れて北に向かう。
    スコットランドに向かう途中あちこちを訪ねるのだが、その第一は英国王室の離宮であるウィンザー城を訪ねる事だ。

    この日、女王様がお出でになっていたかは、記録に無いので不明だが、ウィンザー城内には入った写真が無いから、多分、外観を眺め、観光客と共に衛兵交代式を見たのだろう。ここではバッキンガム宮殿の時よりも見物人は少なく、身近に衛兵たちの交代式や行進が見えたから、娘たちも大いに喜んだものだ。
    先頭には大きな犬(軍用犬)が真紅の上衣をまとい、兵と共に歩む。その後を少数の軍楽隊が指揮官の指揮で軍楽を奏でながら行進し、更に高々とした黒の熊毛の帽子をかぶり、鮮やかな真紅の上衣の制服を着て、整然と行進する衛兵たちの姿はとても格好良く、その事に満足したのだろう。

    ウィンザー城は女王エリザベス2世が週末に過ごす場所である。テームズ川畔に立ち、凡そ45千㎡の床面積を持ち、住居者がいるものとしては世界最大の城と云われ、ヨーロッパでもっとも長く使われている王宮である。
    築城の歴史はNorman dynastyノルマン王朝(1066年、フランスのノルマンディ公William Iウィリアムのイングランド征服によって成立した王朝)の初代イギリス王ウィリアム1世(1027年~1087年)が、この地に木造の砦を築いたのが始まりで、その砦は現在のウィンザー城のMiddle Wardミドル・ウォード、円形の塔の部分に建てられたものであったと云う。

    因みにウィンザー城内はLowerロウァー、ミドル、Upperアッパーの3つのWardウォードと呼ばれる部分に分かれている。上の城郭アッパー・ウォードには、庭園を囲むように王室の建物が配置されており、賓客の間、儀式の間、国王・女王の居間や寝室がある。
    公式諸間(State Apartmentsステート・アパートメント)は、1824年から1866年の間に、ドイツとの*同君連合・ハノーヴァー王朝のイギリス王ジョージ4世(ドイツ名はGeorg IVゲオルク4世:1820年~1830年)、ウィリアム4世(ドイツ名はWilhelm IVヴィルヘルム4世:1830年~1837年)と、Queen Victoria ヴィクトリア女王(1837年~1901年)の為に建てられたそうだ。

    訪問当時は「同君連合・ハノーヴァー王朝」といったことの詳細を知らなかったが、以下の事を知っていれば、英国王室の見方も変わっていただろう。

    ≪英国ヴィクトリア女王はドイツ人だった!≫
    https://4travel.jp/travelogue/10875676

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • セピア色の思い出:陰鬱な印象を見せたネッシー伝説のネス湖とアーカート城址

    投稿日 2020年08月30日

    アーカート城 インバネス

    総合評価:4.0

    ≪1978年夏の休暇・イギリス旅行:ネッシー伝説のネス湖とアーカート城址≫
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。

    <ネッシー伝説のネス湖とアーカート城址を訪れた>

    8日目の8月12日(土)小雨、
    ハドリアヌスの長城を見て、その後、14時近くスコットランド最大の都市Glasgowグラスゴーに着き、市内観光をし、さらに北西23kmにあるLoch Lomondロック・ローモンド(湖)、Inverarayインヴァレリー(Inveraray Castleインヴァレリー城)、16km 先のCladichクラディックとLoch Aweアヴェ湖、更にA82沿いのLoch Linnhe リニ湾(湖)と湖の島上に立つ、絵のように美しい(カレンダーに常時掲載されるらしい)Castle Stalkerストーカー城を遠望していく。
    スコットランド最長の入り江であるリニ湾の奥、ネビス川とロッキー川の河口に位置する町Fort Williamフォート・ウィリアムでは遠泳大会があり大勢の人が出ていた。キルト姿の女子鼓笛隊が彩を添え、娘たちと一緒に写真を撮ってくれた。もうこの町はスコットランドの北方になり、ロンドンから824 km、エディンバラに216kmの距離にある。

    フォート・ウィリアムから北に20km程行った、A87沿いで宿泊ホテルを見つけ、石造りの小さいホテルに2泊することにした。

    <Hotel Invergarryホテル インヴァーガリー>
    Invergarry Scottish Highlands PH35 4HJ
    https://www.invergarryhotel.co.uk/

    現在のホテルは4星・全13室。きれいに改装されているが、当時は古めかしい典型的な石造りの小さいホテルでした。River Garryガリー川(全長5.6kmと短い)に望む、静かな場所にあるCounty Innカントリーインで、スコットランド高地観光(フォート・ウィリアム、ネス湖、インヴァネス、西海岸、スカイ島など)に適した場所にある。
    元々は古くから続く*マクドナルド一族の歴史的な家屋だったと云う。1885年築の古い駅馬車宿を改装したホテルで、改装前まではスポーツや狩猟用のロッジとして使われていた。宿泊した2階の部屋もきれいで、1階にあったスコットランド料理を提供したレストランの味も好ましく、満足した。
    ・・・・・

    8月13日(日)ホテルを出発し、そこから5kmにガリー川が流れ込むLoch Garryガリー湖(長さ4km、幅250m、最深15mという小さな湖) 、12km北には有名なLoch Nessネス湖が続いてあり、ネス湖畔にはスコットランド独立戦争の舞台となったUrquhart Castleアーカート城址が残る。
    城址はA82の道路沿いだが、この道は狭く、路肩に駐車するにも苦労した。
    (今は駐車場が出来ているようだが)

    ハイランド地方の首都と云われるInvernessインヴァネス(ネス川の河口を意味する)の町から南西約10kmにある中世初期の要塞の上に、Urquhart Castleアーカート城は13世紀から16世紀にかけて建造されたが、現在は廃墟となっている。
    14世紀に起こった*Wars of Scottish Independenceスコットランド独立戦争(13世紀から14世紀にかけてスコットランド王国で起こった、イングランド王国に対する戦争である)では、歴史の舞台となった。

    アーカート城の存在が最初に歴史書に記録されるのはスコットランド独立戦争の当事者であるEdward I of Englandエドワード1世イングランド王により占領された1296年の時だ。エドワード王のスコットランド侵略をきっかけに起こったスコットランド独立戦争は1357年まで断続的に続いた。
    そうした争いの後、アーカート城はイングランド王家のもの(王城)となった。
    王城となった後もアーカート城はスコットランドの有力氏族Clan MacDonald/Mcdonaldマクドナルド氏族のEarl of Rossアール・ロスには何度も攻撃された。 1509年、アーカート城はスコットランドの別の氏族Clan Grantクラン・グラントに下付されたが、マクドナルド氏族との争いは続いた。
    その後もアーカート城は幾度か急襲を受けて補修、増強されたが、17世紀の中頃には打ち捨てられた。アーカート城は1692年、*Jacobiteジャコバイト軍の手に落ちるのを阻止するため、門楼を爆破し、荒廃していった。

    天気も悪く、陰鬱な印象を見せた17世紀以来のアーカート城址は、スコットランドでも大きい湖であるネス湖(長さが約35km、幅約2kmの細長い湖で、水深は最大で約230m)を見下ろす岬の突端に位置していた。

    アーカート城はスコットランドでも特に大きな面積を持つ城の1つである。
    西側に入口を持ち、堀と跳ね橋で守られている城には、北に門番小屋など現存する建物の殆どが集中し、目立つのは北端に立つ5階建てのGrant Tower天守閣(縦12mX横11m、壁の厚みは最高3m)である。南はより高い位置にあり、築城当時の残骸が少し残っている。

    見物人も夏季の日曜日にしては少なく、十数人だった(今は年30万人以上を数える)。
    当時からネッシー(未確認動物)伝説もあって、神秘な湖を背景にして立つアーカート城址は、それなりに興味を引き、スコットランドでエディンバラ城とスターリング城に次いで観光客が多い城となっていると云う。

    ・・・・・

    参考:
    *スコットランドの独立のために戦った実在の人物にSir William Wallace サー・ウィリアム・ウォレスがいる。
    1995年のメル・ギブソンが主演・監督をした米映画『Braveheartブレイブハート』はサー・ウィリアム・ウォレス(1270年頃~1305年、スコットランドの愛国者、騎士、スコットランド王国の守護者及び王国軍指揮官)の生涯を描いた歴史映画である。

    *Jacobiteジャコバイトは、1688年イングランドで起こった名誉革命の反革命勢力の通称である。彼らは追放されたステュアート朝のジェームズ2世およびその直系男子を正統な国王であるとして、その復位を支持し、政権を動揺させた。ジャコバイトの語源はジェームズのラテン語名(Jacobus)である。

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • セピア色の思い出:生憎の小雨の中、2000年の歴史遺跡・ハドリアヌスの長城を訪ねた。

    投稿日 2020年08月22日

    ハドリアヌスの城壁 (ローマ帝国の国境線) その他の都市

    総合評価:4.0

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。
    その旅の第一の目的はScotlandスコットランドのエディンバラ城で行われるEdinburghエディンバラの祭り・「Military Tattooミリタリー・タトゥー」を見に行くことだった。
    フランスのCalaisカレー港から愛車オペル車をホーバークラフトに載せ、Strait of Doverドーバー海峡(仏側からするとPas de Calaisカレー海峡)を越え、イギリスのRamsgateラムズゲートに到着しました。
    イギリスとフランスを隔てるイギリス海峡の最狭部距離はたった34km、凡そ40分の乗船でした。約42年前の事です。

    今はドーバー海峡にもChannel Tunnel英仏海峡トンネル(全長50km)が通じている。1994年11月14日、ロンドンと欧州大陸を結ぶ高速鉄道ユーロスターが開業した。便利になったようで、旅の情緒に欠けるかもしれない。

    この時はその他に、Londonロンドンの大英博物館など、Oxfordオックスフォード、湖水地方、ネス湖、ハドリアヌスの防御線(長城)なども見て、Kingston on Hullキングストン・アポン・ハル*の港から、Rotterdamロッテルダムに抜けて、ドイツ・デュッセルドルフに戻りました。

    *Kingston on Hullキングストン・アポン・ハル(通称ハル、Hull)は、イギリス・イングランド東海岸に位置する、国際航路を行く大型貨客船も寄港する港町であり、北海に注ぐハル川の川畔の北に発展した人口257千人の中核都市である。

    総行程2,750kmと15日間としては良く走った思いが残ります。

    ・・・・・

    8月12日(土)小雨

    この日、湖水地方の町KeswickケズイックからA66を東のPenrithペンリスを出て、M6を北に約30km走った。Cumberlandカンバーラントの中心Carlisleカーライルまで来ると、いわゆるイングランドも終わりだ。カーライルから東にA69で29 km先の Gilslandギルスランドに向かい、少し手前に、今はBirdoswaldバアードスワルドのRoman Fort(カストラ・・・ローマ軍団の砦)と称する地(42年前も、こうした呼び方をしていたか、覚えていないが)があった。

    有名な2000年の歴史遺跡「Hadrian's Wallハドリアヌスの長城」に至ったのだ。
    生憎の雨で、湿地帯のようになった小高い丘を登った。長く長く続く城壁はかつての世界の覇者ローマ帝国が軍団を派遣し、この地まで支配した証しとして、今に残っている。
    高さ5m前後、幅2m半の石造りの防塁である。勿論、今に残る中国の長城のすごさはローマ軍団の長城をはるかに超えている。
    この城壁は防衛上、城壁の下はやや攻めにくい傾斜を見せている。この長城を越えれば、スコットランドの地だ。
    雨の中も羊たちが草を食みながら、城壁の低い所からスコットランドに入って行く。

    カーライルの町にはローマ軍団が駐屯し、国境線を守備したと云う。
    その後、スコットランドとの戦いではこの長城は重要な役割を果たした。

    さて、世界遺産「ローマ帝国の国境線」は後にイギリスとドイツのものを一括登録している。

    有名な「Hadrian's Wallハドリアヌスの長城」は1987年世界遺産登録された。
    (1978年にドイツのアーヘン大聖堂など12件が最初の世界遺産リストに登録されたが、当時は世界遺産ではなかったのだ)
    10年をかけて西暦132年に建設された。イングランド北部、スコットランドとの境界線近くにある。
    全長118kmの長城の間に、東のNewcastle upon Tyneニューカッスル・アポン・タイン、そこから90km西にあるCarlisleカーライル(カーライルはスコットランド国境最前の町)がある。

    及び「Antonine Wallアントニヌスの長城」がある。
    こちらは2008年世界遺産登録された。
    西暦144年にスコットランドの中央部に石と土で作られたローマ時代の防塁である。西暦164年、ローマ軍はハドリアヌスの長城へ撤退し、アントニヌスの長城は建設後わずか20年で放棄された。
    ハドリアヌスの長城に比べて凡そ半分の全長60km。

    また、ドイツ最長の文化記念物として、「Deutsche Limes-Strasseドイツ・リーメス街道」(2005年登録)が世界遺産に一括登録されている。

    ドイツのリーメスはライン川畔のコブレンツ近くの町Bad Hoenningenバート・ヘンニンゲンからドナウ川畔のRegensburgレーゲンスブルクに至るものである。
    全長770kmの防衛線上には監視塔拠点900以上と、大小のKastell砦120を数えると云う。
    各地には様々な規模の出城や防壁、防御柵、広い温泉施設、居住用建築物が見られる。
    イギリスの長城に比べ、規模も大きい。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • 古城ホテル ヴォルフスブルンネン城は娘の結婚プレゼント!!!に建てた城。

    投稿日 2020年08月03日

    シュロッス ホテル ウォルフスブルネン その他の都市

    総合評価:4.0

    <「狼の泉」の異名が付いた古城ホテル ヴォルフスブルンネン城>
    2005年春“北ドイツ周遊の旅”2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間

    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。Kasselカッセルの大企業の社長が娘の結婚プレゼント!!!に、1904~07年に建てた城だそうだ。
    王が王妃や愛妾に城を贈る事はよく聞く話だが、大企業の社長とはいえ、驚いた話だ。
    第二次大戦後はユダヤ人の孤児収容所、ルールの鉱山労働者の保養所、独大企業Preussagプロイサーグへの賃貸等を経て、1988年からホテルに生まれ変わった。

    ドイツで中学生までいた長女夫婦も、2000年12月の新婚旅行で、此処に宿泊した事があり、その事を聞いていたから、我々も是非宿泊したいと思っていた古城ホテルです。

    17:00にチェックイン。予約は3階のSchlosszimmerシュロスツィマー(スイート)213号室は正面左手の塔の下、張り出した丸窓のある大きな部屋です。
    ピンク系でトーンが統一され、天蓋つきのベッドがあり、その素敵な部屋からの眺望は、前面の森、丘の下の田園風景、走ってきた道路の先に見えるヴェラ川一帯の山河と、とても素晴らしいものだ。

    <Meinhard :Hotel Schloss Wolfsbrunnen
    古城ホテル ヴォルフスブルンネン城>
    D-37276 Meinhard-Schwebda bei Eschwege 、Am Berg 1
    https://www.wolfsbrunnen.de/
    4星・全65室、1泊した3階のSchlosszimmerシュロスツィマー(スイート)213号室はEuro 115でした。 

    ヴォルフスブルネン城はエシュヴェーゲの北東4km、海抜211mに立っている。
    そこはシュウェーブダ地区の北北東約800mに位置し、ヘッセン州Werra-Meissner-Kreisヴェラ・マイスナー郡のDachsbergダックスベルクのふもとにあるマインハルトの森林地帯にあります。

    この城はドイツ帝国皇帝の侍従長であるAlexander von Keudellアレクザンドル・フォン・キュデル(1861~1939年)が1904年から07年にかけてネオ・ルネサンス様式で建てた近代的な城です。
    1886年6月、アレクザンドルは25歳の時、21歳のLouise Henschelルイーズ・ヘンシェル(1865~1951年)と結婚した。彼は1904年から1907年までかけてヴォルフスブルネン城を建て、妻に贈ったと云う。実際はこの結婚を祝って、妻の父から建設資金が出たのだが。
    ルイーズの父Carl Anton Oscar Henschelカール・アントン・オスカー・ヘンシェルは、カッセルの機械メーカーの社主であり、カッセル商工会議所の会頭であった大実業家でした。
    1939年に夫アレクザンドルが死去したあとも、ルイーズ未亡人は家族と共にこの城の一角に住んでいたそうです。
    1943年から45年にかけてドイツ国防軍の病院だった。
    1980年から85年までアシュラム・サンヤシン(ヒンドゥー教のお坊さん)が所有者だった。
    1988年以降は古城ホテルとなっている。

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    さて、15年も経った現在(2020年)、古城ホテル ヴォルフスブルネン城の
    HPをあらためて見ると、新資本が入り、ホテル経営も変わったようで、新しく、さらに豪華な古城ホテルになっていました。

    旅行時期
    2005年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    3.5
    客室:
    5.0

  • リンブルクの大酒豪Hattstein-Brunnenハットシュタインの泉

    投稿日 2020年07月17日

    観光案内所(リンブルク) リンブルク

    総合評価:4.0

    <リンブルクの大酒豪Hattstein-Brunnenハットシュタインの泉>
    Ploetze、D-65549 Limburg an der Lahn

    2006年5月、二度目のドイツ駐在を終え、1985年5月31日に帰国して以来、21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”を第一に、ライン、モーゼル、ザール、アール、ラーン川の周遊をした。

    旅の最終ルート「Lahn-Ferienstrasseラーン休暇街道巡り」は文字通り“Die Lahnラーン川”に沿って走る。ラーン川は、ラーンコプフという標高612mの斜面に水源地から、まず東に、グラーデンバッハ山地北部をカルデルンまで至り(上部ラーン渓谷)、マールブルグ(城、エリザベート教会、大学都市)の上流で南に下り、ギーセン(城、大学都市)の辺りで、ギーセン・ラーン渓谷の地域を切り開いて、西に向きを変えて流れる。
    さらにWetzler,Weilburg,Limburgの町々を経由し、幾つかの小さな川がラーンに合流し、全長242kmをゆったりと穏やかに流れ、やがて標高61mの地点、Lahnstein、コブレンツでラインの大河に注ぎ込む。

    ≪Lahn-Ferienstrasseラーン休暇街道巡り:Limburgリンブルク≫
    ライン川の右岸Rheingauer-Riesling-Routeラインガウ・リースリング・ルート”を走る国道B42からBurg Lahneckラーンエック城を横に眺めながら、ラーン渓谷沿いに走るB260に入る。ラーン休暇街道を即ち、ラーン渓谷沿いの古城、城址、木組みの家々の旧市街、庭園など美しい町々を訪れる計画である。
    DiezディーツからLimburgリンブルクは2kmと近い。Dom大聖堂近くの駐車場に到着。

    Limburgリンブルクは木組みの家々が軒を連ねる旧市街があり、ラーン川に沿った人口3万5千の古都は、千年の歴史ある大聖堂を中心に、その風景は素晴らしいものがある。
    13世紀前半に、ロマネスク様式で建てられた大聖堂はまるで美しい王冠を頂いたような姿である。ただ、大聖堂の内部は19世紀に改造された為、大変シンプルなものでちょっと物足りなかったが。
    美しい、歴史的な旧市街に足を運び、大聖堂から石畳みの坂道を左右の木組みの家並み・・・13~19世紀・・・を楽しみながら、下りていく。
    最も見栄えの良い、撮影ポイントの石造りのラーン橋で写真を撮っていると、ダックスフントを連れた親切な小母さんが我々を『写しましょうか!』と言ってくれた。
    写真は残念ながら、期待した大聖堂が家内に隠れてしまっていた。
    でも、これだけで、この町が気に入る。  

    その昔、確かに旧市街の通りを歩き、広場の中央にあったハットシュタインの泉を見たが、もう記憶も定かでない。

    「Saeuferbrunnen大酒豪の泉=Hattsteinbrunnen in Limburgハットシュタインブルンネン(泉)」は頭上に持ちあげた酒樽からワイン(泉の水!)を飲んでいる姿がとても珍しい。この像は14世紀、リンブルクの町の指導者だったFriedrich von Hattsteinフリードリヒ・フォン・ハットシュタインだ。
    「大酒豪の泉」と親しみを込めて名前が付けられたと思われる「ハットシュタインの泉」はリンブルクの広場に面して立っている。
    遠路から来た観光客には丁度良い目印だ。

    ・・・・・

    さて、Friedrich von Hattsteinフリードリヒ・フォン・ハットシュタインはStadthauptmann von Limburg an der Lahnリンブルク・アン・デア・ラーン市長で、1363年に死去した、と簡単な説明がある。
    ハットシュタイン家の一族はフランクフルト・アム・マインにも近いTaunusタウヌス山地にあるハットシュタイン城を居城とした騎士領主であった。

    Raubritter Friedrich von Hattstein強盗(もしくは盗賊)騎士と云う形容が付いたフリードリヒ・フォン・ハットシュタインであるが、この記念碑である泉(噴水)は、彼に敬意を表して建てられたと云う。
    フリードリヒは外向的で人好きの良い性格であったが、反面、退廃的な生活をしていた事で知られている。しかし、1353年、フリードリヒの良い所を知るリンブルクの市民たちは彼をまともな男になるように説得したと云う。
    その説得に反省し、まともな男になったフリードリヒは1357年から1363年までリンブルク市長になり、市政に尽くしたと伝えられている。

    大酒飲みでもあったフリードリヒは今もワイン樽から流れ出るワイン(水だが)を飲み干すような姿で広場に立っている。

    ・・・・・

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • バウムクーヘンの元祖はザルツヴェーデルのカフェ・クルーゼだよ!

    投稿日 2020年07月05日

    エアステ ザルツヴェーデラー バウムクーヘン その他の都市

    総合評価:4.5

    2014年ドイツ:北方二州を巡る・(北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
    メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅)
    (2014年05月09日~23日  15日間)

    05月18日(日) 185km、曇り時々シャワー、15℃
    起床6:30、朝食8:00~9:00、庭園散策、ヴェンドルフ城10:11 =>L?・(Crivitz)L? 32km  Jagdschloss Friedrichsmoor フリードリヒスモール狩猟用離宮 10:55~11:15 =>L?・B106・B5 20km Ludwigslustルートヴィヒスルスト宮殿 11:40~12:50 =>B191  34km Festung Doemitzデーミッツ要塞13:30~14:30 =>B191(Danneberg)・B248 43km Salzwerdelザルツヴェーデル15:20~16:30 (お茶)SalzwedelザルツヴェーデルCafe Kruseカフェ・クルーゼ 15:30~16:20

    *デーミッツ要塞からは国道191でDannebergダンネベルクに、ここからは国道248を南下し、アルトマルク地方に入る。合計43kmを走ると、元祖バウムクーヘンで有名なSalzwerdelザルツヴェーデルに着いた(15:20)。街中のLorenzkircheローレンツ教会からちょっと歩くと、目的のCafe Kruseカフェ・クルーゼのバウムクーヘンの看板が目に付いた。
    この町も木組み建築の家並みが多い。

    <(お茶)ザルツヴェーデルのCafe Kruseカフェ・クルーゼ>
    15:30~16:20 Euro12(1,587円) 

    元祖バウムクーヘンのレストランでは運良く、バウムクーヘン作成の実演をしていた。
    ドイツ人のツアーの人たち向けの実演だったのでしょうが、ツアー担当者が気を利かして、私共を見える場所に招じてくれた。
    (1842年創業で、昔のままのレシピ通りに行われる実演は日曜日及び毎月の第一水曜日14:00に行われるという。私共が入った時間はすでにこの対象時間ではなく、実演は予約済みのグループの為であったから、有難いものだったのです)

    暖炉のような場で黄金色した炎が燃え、女性の担当者が昔通りのレシピでローラーに巻き付けながらバウムクーヘンをクルリクルリと回転させて、“ケーキの王”バウムクーヘンを形作っていく。

    見学の後は当然、カフェで3片のバウムクーヘンを注文し、ダージリンの紅茶で楽しんだ。そして、やはり娘家族にお土産もと、同じ3種を購入した(Euro21.83)。帰国して3種類のバウムクーヘンを私共と娘家族で其々3等分して食べた。娘たちにも好評だった。

    <Salzwerdelザルツヴェーデル>
    15:20~16:30
    http://www.salzwedel.de/

    ザクセン・アンハルト州の最北部・アルトマルク地方にあるザルツヴェーデルという25千人の町はかつてのハンザ都市であり、Magdeburgマグデブルク、Luebeckリューベック、Hamburgハンブルク、Braunschweigブラウンシュヴァイクといった都市との交易路が交差する町であった。州都マグデブルクからハンブルク方面に走って凡そ100kmの距離にある。
    ザルツヴェーデルはBaumkuchenバウムクーヘンの発祥の地として知られている。
    今もってこの町では当時のレシピを使った、直火で焼くバウムクーヘンを食べられる。
    その製法は少なくとも1682年からのもので、直火の上をじんわりと回転するローラーの上にバウムクーヘンが徐々に層をなすように作っていく。

    1841年5月26日、プロイセン王Friedrich Wilhelm IVフリードリヒ・ヴィルヘルム四世(在位:1840年 - 1861年)は、選帝侯ヨアヒム二世(1535-1571)(Kurfuerst JoachimⅡ)以来の王侯貴族として、ザルツヴェーデルの町を訪ねた。
    それだけに 町は王に敬意を表して、歓迎の宴を催した。その際、"Adler Horst"のLuise Lentzルイーズ・レンツのバウムクーヘンが、初めて王の食後のデザートに出されました。
    ヴィルヘルム四世はそれをたいそう気に入り、愛する王妃のために残りを持って帰ったそうです。 また、ヴィルヘルム四世はルイーゼ・レンツにバウムクーヘンをベルリンの宮廷に定期的に送付するように命じたと云う。
    その後、ベルリンはもとより、ウィーン、サンクトペテルブルクなど、各地の王宮からも注文があり、この味は王宮から民衆に広がり、各地の人々に好まれるようになったと云われている。
    今日もなお、王が食べた当時のように、直火による手作業で焼かれたバウムクーヘンは古くから伝えられたレシピに従い、保存料を使わず、一番良い自然の素材とバターだけが使用されているのだそうだ。

    現在、ドイツで有名なバウムクーヘンの町はザルツヴェーデル、Cottbusコットブス、Dresdenドレスデンがある。
    其々はアラック(蒸留酒)を使う、挽いたアーモンドにラム酒を入れる、挽いたアーモンドやマジパンを入れシンプルに作るやり方である。
    この内、発祥の地ザルツヴェーデルの3店にその製法が受け継がれていると云う。

    ①Cafe Kruseカフェ・クルーゼ; 
    D-29410 Salzwedel 、Holzmarktstrasse 4 - 6
    http://www.kruse-baumkuchen.de/

    ②Salzwedeler Baumkuchen GmbH ザルツヴェーデラー・バウムクーヘン有限会社;
    D-29410 Salzwedel 、Am Gueterbahnhof 19
    http://www.baumkuchen-saw.de/
    Cafe "Treff im Adler * Horst"カフェ“トレフ・イム・アドラー・ホルスト”。


    ③Erste Salzwedeler Baumkuchenfabrikエアステ・ザルツヴェーデラー・バウムクーヘン・ファブリーク ;
    D-29410 Salzwedel 、St.-Georg-Strasse 87
    http://www.baumkuchen-salzwedel.de/

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    1,000円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    雰囲気:
    4.5
    料理・味:
    4.5

  • カッセルの丘陵公園:壮大な「水の芸術」大噴水ショーを一度は見たいもの。

    投稿日 2020年06月30日

    ヴィルヘルムスヘーエ丘陵公園 カッセル

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月29日(日) 79km 、 晴れ時々曇り、14℃~18℃
    Caldenカルデン11:45出発 =>L3217・L3298・K5  10 km Kasselカッセル・Bergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエで大噴水を見る12:00~16:20 

    *Caldenカルデンを11:45に出発し、凡そ10 km でKasselカッセルのBergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエの駐車場に12時到着した。
    駐車料金はEuro7。但し、駐車券の半券で噴水のスタート時点の山上Herkulesヘラクレスの像(Grosse Kaskaden大きな人工の階段状の滝)までバスNo.23に無料乗車が出来る。なお、自力で途中まで登ったので使用せず。

    <ヴィルヘルムスヘーエ城公園>

    ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ山岳公園はヨーロッパ一の山地公園で、標高527m、敷地は総面積240haと広大なものとなっている。2013年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
    この山岳公園は1700年頃、ヘッセン・カッセル方伯カールの下でバロック庭園として設けられた。その後、18世紀から19世紀に一部がイギリス式の風景庭園に造り替えられた。

    カッセル観光の目玉、見応えのあるカッセルの噴水ショーは、この山岳公園内で、夏期(2019年5月1日~10月3日)に週の水、日の2回と祭日(開始14時半~16時頃終了)に行われる。
    庭園は水の高さが50mを超える大噴水や、渓流、滝、池、水路など、水を利用してデザインされた造形が特徴で、そのユニークさは他に例がないそうだ。

    今日は高低差231mを利用した水の流れと見事な大噴水を見にここにやって来た。


    (「水の芸術」大噴水ショーの時間的経緯)

    12時、駐車場からともかく登り出す。
    海抜289mのGrosse Fontaene(グローセフォンテーネ)大噴水の池から12時半に右手の道を上がる。
    12時45分、Plutogrotte(プルートグロッテ)冥王(冥府を司る神)の洞窟に至り、たかだか70mを上がった。
    12時50分、Teufelsbruecke(トイフェルスブルッケ)悪魔の橋(海抜357m)を写真に撮る。
    13時05分にNeptunbassin(ネプチューンバーシン)海神ネプチューンの池にようやくたどり着いた。駐車場から1時間弱かかった。海神ネプチューンの池は海抜420mの地点で、ヘラクレスの像まで標高差100mを上がるだけになった。・・・がここで、十分と思った。
    (昼食13:15~14:15)

    14時半、ヘラクレスの像の下部から水が少しずつ吹き出て、流れ出し、幾つもの階段を水が両脇まで浸しつつ下ってくる。(海抜520m)
    14時39分、海神ネプチューンの池に滝のようになって池に水が落ちだすのだ。
    (ヘラクレスの像から100m下となる海抜420mの地点)
    15時20分、悪魔の橋(海抜357m)に到達。
    15時30分、Aquaedukt(アクアエドゥクト)に至る。1792年、ローマの水道橋の遺跡を模したもので30mの高さ。(海抜320m)
    15時45分、大噴水の池に達して、水圧のかかった水は吹き上がり始めた。(海抜289m)
    (噴水ショーは1時間半をかけて、16時ころに終了する)

    ヘラクレス像から大噴水池まで2.3kmを下り、丘の高低差による水圧を利用することによって高さ52mまで水を噴き上げる姿を「水の芸術」と呼んでいる。

    「水の芸術」のクライマックスでは、ヴィルヘルムスヘーエ城を背景に大噴水を撮る人、大噴水とヘラクレスの像をバックに撮る人と様々で、私共もカメラ片手にこの一瞬の為に待っていたから、皆さん同様にシャッターを切ったものです。

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    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    3.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • カッセル:大噴水ショーで知られた山岳公園内にあるヴィルヘルムスヘーエ城は18世紀後期の歴史的建造物である。

    投稿日 2020年06月29日

    ヴィルヘルムスヘーエ城 カッセル

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月29日(日) 79km 、 晴れ時々曇り、14℃~18℃

    Caldenカルデン11:45出発 =>L3217・L3298・K5  10 km Kasselカッセル・Bergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエで大噴水を見る12:00~16:20 

    *ヴィルヘルムスタール宮殿の駐車場で15分ほど休憩し、Caldenカルデンを11:45に出発し、次の目的地に向かう。
    凡そ10 km でKasselカッセルのSchloss Wilhelmshoeheヴィルヘルムスヘーエ城近くの駐車場に12時到着した。ここは海抜280mぐらいになる。

    <Kasselカッセル>
    カッセルはヘッセン州の北部の大学都市で、フランクフルト・アム・マイン、ヴィースバーデン(州都)に次ぐヘッセン州第3位の都市(人口201千人)である。
    カッセルは歴史上、1277年から1866年までヘッセン・カッセル方伯家の首都であったことがある。
    フルダ川の両岸に広がるカッセルはWasserspielekunstヴァッサーシュピールクンスト大噴水芸術が有名である。また、1955年から 4、5年ごとに開催される芸術祭ドクメンタ(現代美術展)で知られている。このためカッセルは1999年3月から「documenta-Stadtドクメンタ・シュタット」と公式に称している。

    「Schloss Wilhelmshoeheヴィルヘルムスヘーエ城」

    カッセルのBergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ(山岳公園の総面積240ha)には、18世紀後期の歴史的建造物であるヴィルヘルムスヘーエ城がある。
    ヴィルヘルムスヘーエ城の中央翼は古代コレクションとアルテ・マイスター絵画館(古の巨匠絵画館)に充てられている。この絵画館は主にフランドルやオランダのバロック絵画を所蔵している。
    たとえば、レンブラントの「ヤコブの祝福」、フランス・ハルス、ルーベンスなどである。その他に古いドイツ絵画(アルブレヒト・アルトドルファー、アルブレヒト・デューラー)、イタリア絵画、スペイン絵画もある。

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    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

jijidarumaさん

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28国・地域渡航

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jijidarumaさんにとって旅行とは

喜寿を過ぎましたが、元気にドイツ旅行を楽しんでいます。
古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳しています。
ここでは、伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテルについても、掲載したいと思っています。


プロフィール写真は2018.05.11.ドイツ・フランケン地方:
Volkach・フォーゲルスブルク(鳥の城)から見るマイン川の蛇行、マリア巡礼教会

(2020.04.30.変更)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走っております。

春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。

行ってみたい場所

ドイツ

現在28の国と地域に訪問しています

現在7都道府県に訪問しています

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