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jijidarumaさんへのコメント一覧全363件

jijidarumaさんの掲示板にコメントを書く

  • 甲子

    jijidarumaさん、こんにちは。

    酒々井は、酒に所縁の地だったのですね。
    お酒好きとしては、一度は行ってみたものです。
    『甲子』は、何度か呑んだことがあります。
    酒々井の蔵だったとは。
    北総だと、佐原が酒処ですよね。
    飯沼本家は、色々見所がありそうですね。
    カフェがあるのもいいかも。

    旅猫
    2024年04月22日18時16分返信する 関連旅行記

    RE: 甲子

    旅猫さん、
    今晩は。いつもありがとうございます。

    貴旅行では必ずと言って良いほどお酒が出て来るので、そのシーンを
    拝見していると、酒好きとしてはいつも和むのですよ。

    酒処は水が良いのが一番でしょう。
    千葉の酒蔵は小さいながらも多く見られますね。
    北総の佐原はおっしゃるように、酒処です。
    “お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸優り”と唄われるほど
    だったそうで、今は小江戸・佐原、酒も鰻も良いですが、小野川沿いの
    散策も良し、伊能忠敬の旧跡を巡るのもまた楽しいことでしょう。

    千葉の酒のリストに下記のものがありました。
    ご参考に付記しました。酒々井の飯沼本家が?で出て来るので、納得しました。

    https://chiba-sake.jp/list/

    また、私の故郷・青梅市やあきる野市なども酒処がありますので、
    帰郷の都度、多摩川・御岳渓谷:小澤酒造の澤乃井、あきる野市
    秋川渓谷:中村酒造の千代鶴を買ってきます。

    それではまた。

    jijidaruma
    2024年04月24日00時51分 返信する
  • 酒々井の語源

     jijidarumaさん こんばんは

     酒々井のいわれ、面白く読みました。養老の滝と同じような話ですね。
    わがままな親でも子供には親孝行という親に都合のいい教訓に基づき、いつの世でも
    子どもは苦労します。いつの世でも、は言い過ぎでした、現代ではこんな親は早々に
    捨てられます。
     私は子供や女房に捨てられないよう、今でも働くふりをして毎日をすごしています。働いているうちは大事にされるような気がします。
     今日は疲れた気がして、早く寝たため、さっき起きてきて4トラを見ています。
     では、明日も無事過ごせるよう祈りながら布団に入ります。おやすみなさい。

     pedaru
    2024年04月09日21時24分返信する 関連旅行記

    Re: 酒々井の語源

    pedaruさん、
    今晩は。いつもありがとうございます。
    私も最近、チョッと外出すると、疲れてソファーでうたた寝を
    してしまいます。夜遅くなると、こうして日課のパソコンを
    いじって楽しんでいます。

    さて、酒々井の語源や伝説といったものが、お好きな様子は私と
    同じで、嬉しいことです。何処に行っても、地元の話を拾い上げて
    ご紹介するのが楽しみになっています。
    伝説には<老いた父親と孝行息子>のケースが多いですね。
    ちばTVで放映する時代劇も<老いた父親と孝行娘(それも血が
    繋がっていない)>が度々でてきます。
    pedaruさんも親孝行のお嬢さんとの旅行記をご投稿されています。
    それを拝見すると、働かなくても、いえ働く「ふり」をしなくても
    良さそうな!?

    私などは、<老いた父親>の権利、力を行使している方で、
    娘達には嫌がられているかもしれません。
    マー育て上げたのは私の甲斐性とうそぶいています。

    以前、市営墓地の墓所を確保しましたが、家内も元気で、何時に
    なったら使用する事になるのか?無駄に権利維持の使用料を支払い
    続けています。娘二人とも3人兄弟の長男と結婚し、私共と同年輩
    である義父母の関係を見聞きしていると、何やら先の事は無理が
    ありそうに思えてきます。
    孫娘を手なずけて、養女にしようかなどと、愚考しています。
    (我が家の家系を調べたことがありますが、母が祖母の実家に
    養子に入り、父を婿にとっていました。親族の家系も遡ると、
    養子が多い事に気付いたものです)

    それではまた。
    jijidaruma
    2024年04月10日01時07分 返信する
  • レッタースホーフ城

    初めてコメントさせていただきます。
    10年近く前のまさにこの日、レッタースホーフ城に宿泊しておりまして、jijidaruma様にお会いしたかもしれないと思いましてコメントさせていただきました。
    この日、私達がフロントでチェックアウトする時にお声掛けいただき、駐在で昔ドイツにいらしたことや、毎年ドイツを旅されてること、この日は奥様が朝食に来られなかったことなどを伺いました。ハチに刺されていたとは存じ上げませんでしたが大変だったのですね…
    当時、私は日本からの旅行でしたが、その後の夫の駐在にて現在はデュッセルドルフに住んでおります。ドイツ国内のことを検索する機会が増える中でjijidaruma様の旅行記をよく拝見するようになり、あの時いらした方かしら、とは思っていたのですが、本日こちらの記事に気づいて確信が深まり、大変嬉しくなりました。
    この日、朝食会場でもお見かけし、日本のかたのようにお見受けしたものの、とても慣れていらして言語も堪能なご様子だったため、大変印象的でした。その後フロント前で「日本からの方ですか。この辺りで珍しいですね。」とお声がけくださり、少しお話する機会をいただいたので更に印象的な思い出となっております。
    有り難くも私自身まだまだドイツ生活が続きますので、今後ともjiiidaruma様の旅行記を楽しく拝見させていただきます。
    昔の記事へのコメントに、一方的に思い出を綴ってしまい、大変失礼致しました。
    2024年03月19日09時57分返信する 関連旅行記

    RE: レッタースホーフ城

    Norikoroさん、
    今晩は。ドイツもそろそろ春めいてくる頃ですね。
    私はドイツの春が好きで、この時期に車を走らせるのが楽しみでした。
    ドイツ生活は私共にとって、いろいろと学び、その後の人生でも大いに影響を受けた国でしたから、言わば第二の故郷のようなデュッセルドルフです。
    デュッセルドルフの春景色に今思いをはせています。

    さて、お立ち寄りとコメントを頂き、拝読してエッと驚きました。
    あの日の日本人はハイ私です!!!・・・このような事があるのかと思いましたよ。
    わざわざコメントをして頂くとは、実に嬉しく、又感謝です。
    もうあれから9年弱でしょうか?!記憶の断片を辿って、あの日の場面を思い出しました。お二方の写真を撮っていたら、場面も明快なのですが、新婚旅行のような雰囲気のNorikoroさんたちを邪魔してはと思ったようで、多分、「ドイツ感傷旅行」や古城ホテルのことなどを含めて、簡単なドイツ駐在時の御話しをしたようですね。
    その時の事も家内に話しておりましたから、お昼を食べながら、実は・・・と説明した所、家内もたいへん驚いておりました。
    (以前日本で庭木に巣を作ったスズメバチに2度刺され、ドイツの古城ホテルで今回キツイひと刺しを受けた家内ですが、幸い大事に至らず、いまだ元気です!)

    一期一会という言葉がありますが、旅の機会の出会いは心に残るもので、旅行記にまで記述してしまったものです。名乗りあったわけではないので、御名前も知らないままに、失礼なコメントをしてしまったかと、慌てて当時の旅行記を読み返しました。失礼になっていましたらご容赦ください。
    ドイツ各地を十数回走って、古城ホテルに泊まっていると、日本の方にたまにお会いする事がありました。多くは旦那様がドイツ人、奥様は日本人のカップルでした。それでNorikoroさんたちが珍しかったのです。
    古城ホテル好きでしたから、若い同好の方が居られたと、嬉しかったのでしょう。

    それにしても、その後、御主人共々、長いドイツ駐在生活を順調に過ごされているとの事、素晴らしいことです。
    私共は30代、40代の初めに2度の駐在で9年弱を体験し、定年の60歳と共に「ドイツ感傷旅行」と称して、ドイツ各地をレンタカーで巡ってきました。
    2019年を最後にコロナ禍でドイツの旅は計画(南ドイツ、Salzkammergutオーストリアのザルツカンマーグートあたり)のままとなっています。その後はロシアのウクライナ侵略もあって、行きそびれてしまい、二人とももう<80歳>となってしまいました。

    2013年11月10日に4Traに登録して、今は御読み頂いたような旅日記・口コミ(伝説、旅日記、駐在時代のセピア色の思い出、失敗談など)を書き連ねております。
    その内の一文がお目にとまったのは、ほんとに確率からしたら大変なものになるのでしょう。嬉しいですね。 
    4Traのそちらにお伺いしましたら、まだ登録して間もなく、投稿も無いようですね。今回のやり取りが初めての記録となるわけです。<ドイツ国内のことを検索する機会が増える>とのこと、伝説好き、古城好き、古城ホテルやグルメ探訪好きと少々変わり者!?ですが、御読み頂ければ、古い情報ながら少しはお役に立つこともあるかと思います。

    フォローさせて頂きますので、ドイツの春の写真でも投稿して頂ければ嬉しいです。
    ご主人様にも宜しくお伝え下さい。

    嬉しさにツイ、長文となりました。
    それではまた。
    jijidaruma
    2024年03月19日23時49分 返信する

    Re: レッタースホーフ城

    お返事ありがとうございます。やはりjijidaruma様だったんですね!ご記憶くださってきたこと、またこうしてご縁が繋がることが出来てとても嬉しく思います。
    奥様も大事に至らなかったとのことで、本当に良かったです。
    4トラベルに登録したのは、jojidaruma様の記事を見てどうしてもコメントしたくなったためです。故にごく最近の登録となっておりました。

    お返事をいただくまで、私達が記事に登場してることに気づいておりませんでした。改めて見直して発見しました!光栄です。
    少しだけ訂正すると当時はまだ付き合ってるだけでした(^^)私は日本からドイツに向かい、ドイツ駐在中だった彼と空港で待ち合わせ、夏休みの旅行が始まったところでした。
    その2年後に結婚し、同時に東南アジアへ異動となったので、そこから私も合流してしばらく2人でアジアに住んでおりましたが、先一昨年に夫にとっては2回目のドイツ駐在となったため、デュッセルドルフに引越して参りました。
    引越してからドイツを調べるようになり、その中でjijidaruma様の記事に辿り着くことが多々あり、その頃からぼんやり「もしかして…」とは思ってたのですが、2人ともホテル名を忘れておりそれ以上調べませんでした。
    しかし今回、一時帰国で自宅の片付けをしておりましたら、2015年の旅行時の日程表が出てきて、具体的な日程と宿泊していた古城ホテルの名前を思い出したので、あらためて記事を確認したところ、確信が深まりコメントさせていただくに至った次第です。

    ヨーロッパは車で旅が出来るのでいろいろ訪れることが出来ますね。地域ごと特徴を持ちながらも、歴史や文化を共有・影響しあっている箇所を発見しながら旅をすることで旅が深まると感じております。
    jijidaruma様はドイツ語も堪能でいらっしゃるんですよね。記事は全て目を通せているわけではないのですが、日本語だけでは知り得ないと思われる情報も豊富で、歴史や背景に対する造詣が大変深くとても勉強になっております。
    私達はドイツ語が出来ないので、訪れた場所であっても、ここまでの知識を得られずjijidaruma様の記事頼りです。
    今後とも勉強させていただきながら、楽しく拝読致します。

    私もついつい長文になってしまい、大変失礼致しました。
    2024年03月20日18時49分 返信する

    RE: Re: レッタースホーフ城

    Norikoroさん、
    今晩は。再度のコメントありがとうございました。

    当時の事から、現在のご事情まで詳しくお伝え頂き有り難うございます。
    ご主人様は海外要員として優秀なのでしょうね。2回目のドイツ駐在ゆえ、業務上も新人として勤務した最初の時と違って、多分余裕をもって公私ともご活躍されておられることでしょう。

    私のjijidarumaジジダルマという名前は、大学時代の格闘技の部で主将(4年時)を務めた時、後輩達から陰で呼ばれていた名前を使用しています(苦笑)。若い頃から爺むさい=年寄りっぽい(正論ばかりの)言動をしたようで、また厳しかったからこんな名前を付けられたようです。本人としては妙に気に入っていますけどね。

    何処かで書いているかもしれませんが、
    ドイツ語を第二外国語でとりましたが、出席を強要される教養課程2年間のドイツ語成績は可、可でした。社内の海外要員試験では、英検2級を辛うじて取り、常識・業務上科目の数字が良かったので、合わせた点数で要員に合格し、ドイツ勤務になりました。
    3ヶ月間、南ドイツのプリーンにあるゲーテ語学校に入り、どうせ難しいからと一番下のクラスに入って学んだ次第です。研修が終わって、会社で実際の業務に入ると、まず電話恐怖症になったものです。何しろ電話では会社名、氏名が何を言っているか分からない。要件の内容など とてもとても・・・でした。従って、夫婦そろってドイツ生活をするうえで、デユッセルドルフ大学の学生を家庭教師に頼んでドイツ語を学ぶこととなりました。
    それで世間がちょっと広くなったようです。駐在中はいろいろ(daruma外伝!)ありましたが、幸いドイツを嫌いになることなく、定年後、ドイツ感傷旅行までするようになった次第です。因みにもう50代となった娘達2人とも新婚旅行はドイツでした。長女はデュッセルドルフ日本人学校の同期生と結婚しています。
    尚、ドイツ駐在とは別に50代で香港に単身で3年3ヶ月駐在しました。香港は近いのでいろいろと助かりましたね。

    4トラベルの投稿分は結構量もありますゆえ、ごゆっくりお暇な節にお立ち寄りください。そしてドイツ生活を充実されるようにご利用ください。
    私には新しい読者が増えるのは、とても嬉しいことです。
    デュッセルドルフ近郊にもドライブを兼ねて、立ち寄る素敵な古城ホテル、レストラン、観光地もあります。
    是非、駐在生活を楽しまれますように祈っています。
    jijidaruma
    2024年03月21日01時50分 返信する

    RE: RE: Re: レッタースホーフ城

    いろいろお聞かせ下さいましてありがとうございます。
    jijidaruma様のお名前は、時事通信社などにお勤めだったのかなと勝手に想像しておりましたが、全く違っていましたね。学生時代からでしたか。知ることができてなんだかすっきりしました。

    ドイツ語は、ご努力、ご苦労、ご経験を通じて取得されたんですね。頭が下がります。それをお聞きすると、日々コミュニケーションに四苦八苦してはおりますが、それでもドイツ語をきちんと学ばないまま生活できてしまっているのは、jijidaruma様がいらした頃より甘えられる環境になっているということかもしれません。Duolingoですが細々と学ぶことは続けたいと思います。

    ご家族の皆様もふくめて帰国されてからもドイツにご縁が深いようで、特別な場所ですね。
    今は物価高騰や賃上げなどなど大きな課題を抱えているドイツですが、堅実でプラクティカルなこの国はきっと、苦しみ試行錯誤しつつも、着実に活路を見出し解決していくものと思います。そんな現代の空気も注視しつつ、jijidaruma様の思いが込められた記事の数々を大事に少しずつ読ませていただき、ドイツへの理解を深められればと思っています。
    2024年03月21日11時01分 返信する
  • 地名だけでも楽しめる

     jijidarumaさん おはようございます。

     バイロイトといえばバイロイト音楽祭、懐かしいです。? まだドイツにいったことのないpedaruが何を言うのですかと言われてしまいます。
     昔のことですが、仕事をしながら一日中クラシック音楽を聴いていた時期がありました。NHKのFM放送ではよくバイロイト音楽祭の様子を放送していましt、そんなわけで懐かしかったのです。フランケン、これはあれを想像させますね、このことを語らないのがjijidarumaさんが通のしょうこですね。
     妻のドイツ旅行が近づいてきて、jijidarumaさんの旅行記を参考に、あれをみるといい、とかこれもいいね、なんて知ったかぶりでドイツの見どころを教えています。こんなだと私が娘に馬鹿にされそうです。

     pedaru
    2024年03月16日06時48分返信する 関連旅行記

    Re: 地名だけでも楽しめる

    pedaruさん、
    今日は。いつもありがとうございます。

    ドイツの旅、そろそろですか!羨ましいですね。
    私の好きなドイツの古城ホテルに御滞在が出来たらと思いますね(笑)。
    そしてお嬢さんが御一緒ゆえ、予定に入れておられるかもしれませんが、ドイツの春の旬・シュパーゲル(白アスパラ)料理をお勧めください。

    さて、旅の目的はいつも古城群見物、古城ホテルばかりが気になるから、バイロイトの「ワーグナーの祝祭歌劇場」も「辺境伯オペラハウス」も殆ど外観のみになりました。
    かつて30代の頃、何でも見て聞いてという精神で、ワーグナーの4部作『ニーベルングの指環』を初めて観劇に、デュッセルドルフのオペラハウスに4日間連続で通い、娘達と4人で天井桟敷から鑑賞した事を思い出しました。
    襲い掛かる眠気を我慢しながら(苦笑)。
    何しろオペラハウスの会員にまでなっていたのですから、いま思えばビックリです。運動部出身の親は駄目でしたが、娘たちは大学時代に合唱団でアルト、管弦楽団でチェロを弾くようになりました。

    辛口のフランケンワインが好まれるフランケン地方はその昔の「東フランク王国からフランケン大公国」に遡ると、現在のバイエルン州フランケン地方にくわえて、ヘッセン州、テューリンゲン州、ザクセン州、バーデン・ヴュルテンベルク州などの一部まで支配したそうです。
    それでも今のフランケン地方も広く、とりわけ私のような古城好きにとっては、古城群も多く一種「聖地」のようなものですが、日本人的には個々の都市名だけで認識され、地方としてはあまり知られていないようです。
    むしろ東西を通る古城街道や南北に走るロマンチック街道に連なる町々として知られていますね。

    それではまた。コメントありがとうございました。
    jijidaruma
    2024年03月16日14時24分 返信する
  • 坂田城跡

     jijidarumaさん おはようございます。

     派手さで桜に及びませんが、風情は梅派、桜派に分かれますね。
    観梅、観桜、観草花の旅行記は多いですが、花を見ながら戦国の世の
    歴史を語る展開は見事です。
     花よりも、坂田城の歴史を読んでいると、梅なくとも訪れたくなる城跡です。
    古城の鳥瞰図も想像を掻き立てます。わずかな土地の高低が当時の城の存在を知る
    縁となり、当時の人の生き方まで想像されてロマンチックですね。

     水上から眺める古城を見て、ドイツの要塞を想起するとはさすがjijidarumaさんならではの感想ですね。梅以外のお花も紹介され、居ながらにして楽しむことができました。
     pedaru
    2024年03月02日05時56分返信する 関連旅行記

    Re: 坂田城跡

    pedaruさん、
    今晩は。いつもありがとうございます。

    私はどちらかと言うと梅派です。家を作ったとき、梅の木を庭に植えました。
    居間から正面に見えて、良い形でしたが、その梅もある年の台風来襲に真ん中から折られてれてしまい、ガッカリしました。
    梅は切るものゆえ、残った太い幹はまだ元気で、その後も毎年伸びた枝から花が咲いて、老体の私共を喜ばせます。
    今年は我が家の紅梅の咲き方は坂田城跡の紅梅と違って、元気が無かったのですが、幸い白梅は元気に咲きました。

    さて、昨年、千葉の北端の関宿城を見物した事がありますが、城跡だけではない、形だけでも城が立っているのも良いものだと思ったものです。
    私はどうも古城好き、歴史好きなので、ドイツでも日本でも同じように、ツイ、花より古城の歴史が気になります。千葉県の中世城郭は1,000をこえるとの事ですが、地元である千葉を知らない所為で、坂田城跡に驚きました。
    確かに梅林が無くても、ちょっと足を延ばしてみたい城跡です。

    それにしても、要害の地である故、小田原征伐後から廃城になってしまったのはもったいないなと思ったものです。

    それではまた。
    jijidaruma
    2024年03月03日01時45分 返信する
  • jjidaruma特化辞典

     jijidarumaさん おはようございます。

     2001年に訪れたのですね。詳細な記録をよくぞご披露くださいました。
     私の場合、一日中歩き回り、疲労困憊、ホテルに着くとシャワーを浴びたら少しのビールを飲んで、あとはバタンキュー。したがって夜の町など全くしりません。
    もちろん旅の記録など書いてる余裕はありません。
     jijidarumaさんの旅行記には乗車時間や訪問先、人との出会い、走行距離などあらゆる記録が整っています。これは一日の記録をノートに残しているのでしょうね。私のようなルーズな人間には驚異的です。
     ドイツを旅行先に選ぶ人には必携の旅行記です。四月には娘が母を(私の妻)ドイツ旅行に連れて行ってくれることになりました。私も連れて行ってもらいたいのですが、先日、広島に連れて行ってもらったばかりですので、今度は妻の番です。
    ドイツと広島ではかなり差があると思うのですが・・・(笑)。
     ドイツに何年か住んでいた娘ですので、不完全ながらドイツ語もできるので、安心して任せられます。
     ドイツのことは知りませんがマイセンの焼き物は分かります。私の家にも中国製のマイセンがあります(笑)。中国製でもかなり繊細なつくりです。持ち帰るには品物の形の空洞の発砲スチロールに包装されていました。マイセンは素晴らしいですが、値段も素晴らしいと思います。円安につき買うのはスルーですね。
     旅行記を読んでドイツが身近に感じられました。

     pedaru
    2024年02月23日06時28分返信する 関連旅行記

    Re: jjidaruma特化辞典

    pedaruさん、
    今日は。いつもありがとうございます。

    実は2001年の旅は4Traでは口コミで2編書いたぐらいで、旅日記を書いていませんでした。(尚、2009年の春の旅まで、4Traでは各年1件から5件の投稿になっています。勿論、旅日記は既に出来上がって、自分なりの旅行集としてファイルされていますし、パソコンにも保存しています)

    最近、ちょっと気になっていたグルメレストランのシリーズを書き出して、そういえば2001年にワイマールのホテル エレファントで食べたなと、思い出した次第です。
    「ドイツ感傷旅行」と称して始まった、定年後のドイツの旅の第1回はゲーテ街道から古城街道で、エレファントの日記を書いてから、それなら、最初から書き出して、旅日記を載せようかと纏めてみたのです。

    当時はデジカメが無く、普通の小型カメラで撮った写真をアルバムに貼っていましたので、それを剥がしながら、改めて写真をスキャンし、それを中心に投稿し、足らないものは手持ちの資料をスキャンしたり、参考写真を収集して、体裁を整えました。
    20年も経ってしまった、古い、まだちょっと若い私共の写真を見ながら、旅日記を創るのは楽しいもので、暇な年金老人の特権でしょう(笑)。

    思い立ってから、行先、飛行機、ホテルを確保して、出発前にそれぞれの地域の情報を書き出しながら、行程を作り、ホテル情報、観光情報を入れながら、ザックリした旅日記(素案!)を作ってしまいます。そのコピーを持参し、時間、料理内容、観光、エピソードを簡単にコピーに追記していくのです。
    帰国してから、持ち帰った様々な資料を利用し、時には訳しながら、(よく似た夫婦で家内もメモ魔!なので)家内がメモした簡単な日記も参考にして旅行記を仕上げています。
    詳細な記録の元々は上述したものですよ(^¥^)。

    さて、親孝行のお嬢さんと奥様のドイツ旅行、楽しいでしょうね。4月、良い時期だし、多分楽しまれるのだろうシュパーゲル(アスパラガス)料理の季節だし、大兄も御一緒出来たら最高なのでしょうが・・・。
    それにしても、お嬢さんが(私が勝手に思っているのですけど)ドイツ党であること、ドイツ好きな老ドイツ党員にとって実に嬉しいことです。
    お嬢さんと奥様のドイツの旅が、無事に楽しい旅となります様に祈ります。
    ドイツを身近に感じられたpedaruさん!4Traにて是非、奥様方のドイツの旅の投稿をお願いしたいですね。

    長文!失礼しました。
    それではまた。
    jijidaruma
    2024年02月23日14時54分 返信する
  • 羨ましい墓参のあり方

     jijidaruma さん、おはようございます。
     jijidaruma さんは青梅のご出身でしたか。 高校時代、奥多摩に遊びに行くときに青梅を通り、初めて「青海」を「おうめ」と読むことを知りました。 今回のご旅行記を拝読すると、「千ケ瀬」「河辺下」など、にわかには読めない地名が出てきて、昔の人々が永年の地名にあとから漢字を充てたのか、あるいは意味を伴った漢字を無理に読んでそれが地名になったのか、などと、ご旅行記の本筋には関係のない興味を持ちました。
     さて、ご旅行の主目的はお墓参りだったそうですが、読み進むにつれてjijidaruma さんのご家系が並々ならぬ名家の流れを形作っておられることを知りました。 私のように、俺の墓に花を持ってくるのはせいぜい孫までで、その先は俺がこの世に存在したことすら知らない世代になるんだと思っている凡俗とは世界が違うのですね。
     そしてさらに読めば読むほど、曾祖父様、雄太郎様はじめご一統様の存在感に満ちた人生が今もなおjijidaruma さんに受け継がれているご様子に崇敬と羨望を覚えました。
     私も今や老境に入り、医師からもそれなりのことを言われている身で、自分の人生は何だったのかと考えることが多くなりましたが、何をどう捉えてもそよ風に翻弄されて消えてゆく木の葉ほどの意味もない存在だったと、思い返しております。
     今回のjijidaruma さんの丹念な調べで、曾祖父理平様、そのご長男雄太郎様、さらにご家族様方の有意な人生がまた鮮やかに蘇り、今後も永く人々の道しるべとなることを確信いたしました。
     jijidaruma さんの精緻なご研究と実踏に敬意を表します。

    ねんきん老人
    2024年01月25日09時05分返信する 関連旅行記

    Re: 羨ましい墓参のあり方

    ねんきん老人さん、
    今晩は。いつもご興味を持って頂き有り難うございます。
    また、過分なお褒めを頂き、恐縮しております。

    東京は西の果て・・・とよく故郷を書くと、この言葉から始めます。今住んでいる千葉の某地からちょうど100km(50+50)の距離ですが、昔はあまり思わなかったのですが、近年は故郷がいやに遠く感じるようになりました。
    ねんきんさんの高校時代も奥多摩に遊ぶと言っても、交通は不便で、結構大変だったことでしょう。
    実家は弟が継ぎましたが、両親が亡くなると、墓参りぐらいが主になりました。ただ、私共は二人とも青梅市に合併した、かつて調布村と称した多摩川の両岸に実家がありました。だから一度に両家の墓参りが出来るのです。
    多摩川の両岸地域と云う事で千ヶ瀬、河辺下(文中に書いた)、あるいは長淵といった名前が残ったのでしょう。

    以前実家の蔵を壊す時に中から取り出した古文書、大きな享保雛や押し入れにあった亡母の写真アルバム、日記を見つけました。兄弟姉妹5人が居りますが、一番次男の私が歴史や亡母の日記などに興味をもっていたので、それらを持ち帰り、段ボールの中に入れたままにしておりました。
    漸く70代に入ってから、急にその事が気になり、調べ始めたのが最初です。
    1枚の大叔父の写真を見つけた事をきっかけで、数年の間、読めぬ字に苦労しつつも、何とか形を作りました。ご先祖さまや両親、親族にちょっとした貢献ができたようです。

    本編の千ヶ瀬村の鎮守様、千ヶ瀬神社は勿論子供のころから知っていたし、その祭りも楽しんだものですが、ご先祖様が石灯籠を奉納した謂れを全く知らずに育ったことは、何とも残念なものでした。
    弟からの情報で調べてみれば、靖国神社にも祀られているけど、こうした地元の神社にその痕跡を残したかった親子の思いを家族史の1章として作れたことは良かったと思っています。
    親族史も戸籍から調べてみると、様々に家の存続のために、養子・養女をとった様子が見て取れて、家系を大事にしてきたことが伺われます。

    <墓に花を持ってくるのはせいぜい孫まで>・・・これは私も納得です。
    娘2人と孫たち5人には、本編を含めて、書き留めた資料を各1セットを残しましたが、さてどうなりますか?

    偏に風の前の塵に同じ(平家物語)

    それではまた。
    jijidaruma
    2024年01月26日02時43分 返信する
  • Externsteine!

    エクステルシュタイネの記事まで読ませていただけて嬉しいです!
    長らく思い出すこともありませんでしたが、学生の時、泊ったユース(Osnabrück)の同室だった人に、翌日連れて行ってもらったのを思い出しました。
    当時はフィルムカメラで、あまり写真にも残っていず、でも記憶にはしっかり刻まれています。妙に印象に残る不思議な場所ですよね、いわゆるパワースポットなのでしょうか。その時に贈ってもらったガイドブック、探し出して読みたくなりました。
    2023年12月07日08時43分返信する 関連旅行記

    Re: Externsteine!

    sisiyさん、
    今晩は。いつもありがとうございます。

    結構伝説がお好きのようですね。
    【トイトブルグの森;Die Externsteineエクステルシュタイネと“イルミンの柱”】
    の如く、パワースポットとなっている巨岩の凄さもさることながら、“イルミンの柱”というゲルマンとキリスト教との関係がすごく面白かったのです。
    デジカメの無い頃でしたから、私も写真が少ないので残念ですね。

    ≪ゲルマンの英雄へルマンの記念碑:トイトブルグの森≫は姉妹編ですが、
    私的にはこちらがメインなんです(笑)。

    それではまた。
    jijidaruma
    2023年12月08日01時38分 返信する
  • 興味深いお城ですね。

    jijidarumaさん、こんにちは。
    大変魅力的なお城ですね。パッサウやドナウエッシンゲンの辺りは行ったことがあるのですが、ここは初めて知りました。33年前にオーストリア国内にあるナチスの強制収容所マウトハウゼンを見学してからパッサウに行きました。南ドイツは案外歩いているようで見ていないお城がいくつもあります。ここには是非行ってみたいと思いますが、果たして機会があるかどうか。それにしても、流石にお城ならjijidarumaさんというほどの博識にはいつも敬服しています。お城でも町でも、奇麗だねと言うだけの見学では
    もったいないので、こうしたお城に行くときには歴史も含めて十分な事前勉強が不可欠ですね。私も中世のお城に興味がわいて、『中世ヨーロッパの城塞』という本を入手しましたが、ドイツの城は詳述されておらず少しガッカリしました。お城の構造は大体似ているので、ドイツで入手出来る本があればその方がいいかもしれませんね。
    またゆっくり拝見します。
    Rolleiguy
    2023年12月01日22時07分返信する 関連旅行記

    Re: 興味深いお城ですね。

    Rolleiguyさん、
    今晩は。いつもありがとうございます。

    この旅はミュンヘン空港入りと出を行いました。
    そして古都Landshutランツフートの第一日にSchloss Schoenbrunn、ドイツ最終日にRomantik Hotel Fuerstenhof という、二つの古城ホテルに泊まる計画を立てました。
    ランツフート、シュタルンベルク湖、Zugspitze、ベネディクトボイエルン、Wasserburg am Inn、Chiemsee、ベルヒテスガーデン、ブルクハウゼン、パッサウ、レーゲンスブルク、ランツフートとバイエルンをぐるりを廻りました。
    行程を検討すると、ブルクハウゼンの特徴ある城を外せなかったですね。
    それにしても6つのHofの仕組みが面白いうえに、オーストリア側からの眺望が捨てがたかったです。もう少し写真も上手く撮れたら良かったのですが。
    城の縄張り図が見つかったので、理解しやすかったのです。

    2008年の旅は大変様々で、本来なら旅に沿って投稿していくのが良かったのですが、この年はトピック的に漸く3篇を投稿できました。
    2001、2005、2006、2007年の時期は皆似たようなものですけど。

    寒くなりましたが、段々私は外出が億劫になりました。
    Rolleiguyさん、日々ご自愛の上、お過ごしください。
    またお立ちより下さい。
    jijidaruma
    2023年12月02日00時47分 返信する
  • シール!

    jijidarumaさんこんにちは

    EIN HERZ FÜR KINDERのハートのシール、
    私も持ってます!(家のどこかに)
    辞書のカバーに貼っていたような気もします。
    懐かしいなと思って思わずコメント入れてしまいました。
    2023年11月16日12時41分返信する 関連旅行記

    Re: シール!

    sisiyさん、
    今日は。いつもありがとうございます。

    EIN HERZ FÜR KINDERのハートのシール:子供に愛を!

    お目にとまって良かったです。
    ドイツ駐在時代1974年~1985年の観光・宣伝用シールを31枚
    何かで入手して、アルバムなどに貼っておりました。
    今思えば、たいへん楽しく、面白いシールで、この旅行記の写真が
    少なかったので、シールの幾つかを掲載したものでした。

    EIN HERZ FÜR DIE FAMILIE(Novotel)
    といったシールもありますよ(笑)。
    それではまた。
    jijidaruma
    2023年11月16日14時56分 返信する

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、ロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、結局2023年もドイツの旅を見送ってきました。2024年はどんな年になるのだろう。
(2023.11.28.変更)

行ってみたい場所

ドイツ

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