jijidarumaさんへのコメント一覧全407件
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どれも見たことも聞いたこともありませんでした。
jijidarumaさん、今晩は。お邪魔します。
「蜂の一刺し」「太いもも」「貧乏騎士」、どれも知りませんでした。おもしろい命名ですね。しかしよく見つけたものだと思います。ドイツで生活していたから、だけではこうはいきません。
名前を聞いただけでケーキを思い浮かべる人はいませんよね。写真で見る限り、「蜂の一刺し」が一番おいしそうです。
蜂といえば、蜂は甘いものが好きですね。以前家族でドイツに行ったとき、オレンジジュースを飲んでいたら、蜂が飛んできて、コップのふちにとまり、びっくりしたことがあります。嗅覚が相当発達しているようです。
別のとき、まだ包んである飴に蜂がやってきて驚きました。
(フロイデンベルクの町に行ったことがありませんが。おもしろい町ですね)
場所が違いますが、シェーンブルンのネプチューンの泉のことでご指摘いただきました。
トリトーンについてのご指摘が気になっていて、画像検索をしてみましたら、海馬を取り押さえているように見える人間、あれは人間ではなく、トリトーンでした。
泉の群像を別の角度から撮った写真があり、それを見ると、足が足ではなく、魚の尾でした。両足が魚の尾の形をしているようです。
私には人間が海馬を取り押さえているみえたのですが、人間ではなかったのですね。
ありがとうございます。
偏西風Re: どれも見たことも聞いたこともありませんでした。
偏西風さん、
今晩は。お立ち寄りとコメントありがとうございます。
さて、旅では時に昼を抜いて、パン屋に入って菓子パンを物色したり、好ましいカフェを見つけて、ケーキを食べた事も多いですね。
そしてそんな旅などで、へー、これってなんだ!と思った名前は、いつまでもその驚きが消えないのでしょう。
豚の耳にはじまり、ダンプヌーデル、そして今回の稿の枕になる蜂の一刺しもそうです。いずれも当時の記憶が鮮明で、旅行記や口コミの中にも投稿してきました。
本編は奇妙な名前に拘って纏めた短編ですが、ご興味を持って頂き、嬉しく思います。
「蜂の一刺し」美味しいです。この地方独特の家並みは特色あって、フロイデンベルクの町も一度お訪ねになるもの楽しいことでしょう。
ドイツの蜂はなかなか曲者で、手ごわく、おっしゃるようにビールやジュースにたかってきます。自分でコップの中に入っておぼれてしまう事あって、若い給仕さんが気の毒に思って、代金をタダにしてくれたこともありました。
ある古城ホテルで夜中、布団の中に潜り込んでいた事を知らずに、家内が蜂に刺されました。これはケーキでなくて、本物のスズメ蜂の一刺しでした。
それで家内は体調を崩して、後半の旅では難儀した体験があります。
以下はご参考に:
≪黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅㉖スズメ蜂(Wespeヴェスペ)にタタラレタ!≫
https://4travel.jp/travelogue/11106882
https://4travel.jp/travelogue/11109235
それではまた。
jijidaruma2026年02月17日18時06分 返信する -
jijidaruma magic
jijidarumaさん おはようございます。お寒むうございます。
克明な記憶を頼りに、お菓子一つで書き上げる旅行記、感心いたしました。
前にも書きましたが、記憶力もすごいですが、記録力もすごいです。
せっかく旅行に行ったのだから、これだけは覚えておかないと、というのが私の希望ですが、一年でほとんど忘れてしまいます。脳の容量の問題か?意識の問題か?
2月の下旬に人生最後の海外旅行に行くことになっておりますが、腰の具合が悪くて果たして本当に行けるのか?あのときは腰が痛くて・・・これは記憶に残るかもしれませんね。
pedaruRe: jijidaruma magic
pedaruさん、
今日も、寒いですね。さすがに雪の7日、8日は堪えました。
段々、近所も高齢化して道路の雪かきも無し、私共も高齢を理由に、
怠けまして、午後明るくなって、道が出来た所で投票所に行きました。
80代になり、明らかに衰えたようです。
さて、物事は何かをキッカケにして、始まるようです。
日頃から歯が悪いのに、甘いもの好きでお菓子好き、いまだに
余分に購入しておいたクリスマスのレープクーヘンを食べたり
しています。ダンプヌーデルもそこからの連想ですね。
それにしても、気になって調べれば、ドイツ観光局のフレッケンフェルト
の伝説まで遭遇してしまったのは実にありがたいもので、まず、家内に
読ませ、娘や孫たちに残すものが出来ました。
古い旅行記はたくさん残っていますが、最近は20~30頁くらいの
短編を書いています。旅行記を投稿するには余ほどの覚悟で
やりませんと、もう難しくなりました。
大兄もそろそろ旅の出発に気分ソワソワされておられることでしょう。
人間の体には不思議と修復力があります。腰の痛みも旅の楽しさで
どっかに行ってしまう事でしょう。
海外旅行!羨ましい響きです。
どうぞ良い旅を!
jijidaruma2026年02月10日14時49分 返信する -
メーリアン
jijidarumaさん こんばんは。今頃ですが、お邪魔します。
私は一度ドナウエッシンゲンからジークマリンゲン、ウルム方面へ列車で行ったことがありました。
列車は、まだ小川のような(そんなに細くはない)ドナウ川に沿うようにして走りました。お写真にある、緑の沃野と左手に見える白い岩壁の景観が素晴らしかったです。
ただ、白い岩壁の上に時々建物が垣間見えたりしましたが、風景のごく一部で終わってしまいました。
お車利用とはいえ、実際にヴィルデンシュタイン城等にいらっしゃったのですね。その辺りがちがいます。
城の反対側は平地なのでしょうか。それにしても人の手で岩山を切り分けるとは恐ろしいほどの情熱?です。
ユースホステルとして現役であることまで分かり、知らない城のこととはいえ、うれしかったです。
レーゲンスブルクの景観図ではじめてメーリアンを知りました。メーリアンの行動範囲と絵への意欲はすごいですね。しっかりヴィルデンシュタイン城まで描いているとは。私が驚くようなことではないのですが。
Re: メーリアン
偏西風さん、
今晩は。私はまだ起きております。
コメント頂いたのに、気付かずに口コミに精を出しておりました。
ドナウの細流に沿って、列車が走る景観も又良いでしょうね。
私はドイツで免許を取ったこともあり、年齢制限のないドイツの免許をいまだに利用していました。もう今はアウトバーンは怖くて走れないでしょうが。
ドナウの流れを想うと、源流から流れ出てドナウエッシンゲンからジークマリンゲンは丁度横に線を描くようです。流れは蛇行していますが。
やはり俯瞰写真を拝借してお見せしないと、こうした古城群とその背景は分からないですね。古城に登って行く過程で、立派な農村地帯を見ると、城と農地などの関係が分かりますね。
古城が現役であるのは、ドイツの古城好きとしては嬉しいです。本編でも書いていますが、Burg Bronnenブロネン城は見学不可でした。古城の維持にはお金がかかると聞きますから、何やらもったいないような気もします。
メーリアンの絵は好きなので、古城をテーマにする際は、必ず彼の絵を探して掲載しています。こちらのヴィルデンシュタイン城を見た時はビックリして、行かねばと思ったものです。それにしても生涯で描いた数はすごいことで、多分、彫刻家のティルマンティルマン・リーメンシュナイダーのように工房のような形でやっていたのでしょうね。
それではまた。コメントありがとうございました。
jijidaruma2026年01月24日02時06分 返信する -
古城Burg Wildensteinビルデンシュタイン城
jijidarumaさん こんにちは
お元気にお過ごしのことと思います。ご無沙汰しております。
過去に旅したお宝の写真、金庫から出して、旅行記に仕上げる、実に楽しい作業です。しかも、昨日のことのように記憶が鮮明です。
私も歳をとったら(とっくに歳をとりましたが)、何処にも行くことがなくとも
旅行記を作成し、4トラベルの仲間とつながっていたいと思います。
ところでビルデンシュタイン城はロッククライミングして入場するのかしらと思えるような要塞ですね。絵を見てびっくりしました。
それにしても、恐ろしい世の中ですね、ここまで強固に守りを固めなければ安心できないなんて、もっとも、失うものが多くある者ほど、心配が多いのですね。
そこへいくと、私なんぞは失うものなんて何もないから、安心して熟睡できます(笑)。盗られて困るのは、入れ歯くらいなものです。これはその時から困ります。恥ずかしいから黙っていましたが、彦根へ旅行した時、入れ歯を忘れたために、
柔らかい物しか食べられず、苦労をしました(笑)。
では、本年もよろしくお願いします。
pedaruRe: 古城Burg Wildensteinビルデンシュタイン城
pedaruさん、
今晩は。
本年も宜しくお願い致します。
昨日17日は長女宅の孫娘が所属する大学の吹奏楽団のコンサートが府中で
催されたので、1泊して応援に行ってきました。
かつて我が家の次女が所属していた大学の管弦楽団とは違って、殆ど孫娘の吹奏楽は殆ど分からないのですが、長女宅の孫娘二人とも吹奏楽なのです。
帰宅が17時半、家内共々さすがに疲れて、寝てしまいました。
少し前に起きて、初春最初のコメントを頂いていましたので、ただ今返信しています。
さて、ビルデンシュタイン城、「記憶に残る独特な城」と書いていますが、旅行記の中では埋没しがちなので、独立させてみました。頭の中にはかつてのドイツ話があって、書き方次第で、いくらでも出てきそうです(苦笑)。
描かれた絵画はこの古城を見事に表現しています。旅行前に調べていたら、この古城に当たりました。この姿だけでも世界遺産イエ、jijidaruma遺産に十分値します。
私共の時代、栄養も悪くて、多分それがもとで、歯はガタガタですね。今になって歯磨きに専念しても、上手くいかずに歯医者通いが続きます。
歯に代わる財産と言えば、我が家はアルバム類と旅行記のファイルでしょうか!?
昨冬、ドイツ時代の友人夫妻がたて続けて亡くなり、我が家の長女と友人宅の長女が日本人学校の友達だったこともあって、彼らの老人ホーム時代、病気の様子など逐一知らされておりました。先日、亡くなる前のお写真や遺影、ドイツ時代の写真をスキャンしたものが送られてきました。
残された遺族はドイツの素晴らしい洋食器や大量のアルバムなどの処理に困ったとのことでした。
この事は<明日の我が家>といっても良いでしょう。
2025年は1月3日に義兄が88歳で亡くなり、さらに12月3日、弟が貸していた家(かつての生家・実家)が全焼してしまった・・・要は2025年は、新年から年末まで、私共にとってはツイテいない年でした。
今年は丙午(ひのえうま)の年とあって、いわゆる「勢いとエネルギーに満ちて、活動的になる」年に大いに期待してみたいものです。
コメントありがとうございました。
それではまた。
jijidaruma
2026年01月19日00時50分 返信する -
銚子の篤志家
jijidaruma様
いつも紀行文を拝見しております、fmiと申します。
「濱口梧陵」の名は不勉強ながら初めて知りました。
北総、銚子の篤志家というと、銚子の港湾整備に尽力した加瀬庫蔵と、江戸時代に銚子をはじめ海上郡の民を天明の大飢饉から救った、上州から派遣された代官、庄川杢左衛門の二名を連想します。加瀬庫蔵は「井戸塀にならない井戸塀政治家になる」と立志し衆議院議員として私財をなげうち銚子の漁民を港口での遭難から救うべく港湾整備に尽くしました。庄川杢左衛門は、当時高崎藩の飛び地だった銚子の民を飢饉から救うべく、蔵を独断で開け、領民を救い、その責めを受け切腹しました。
私は父祖が高崎出身で、今、北総はいにわの郡に住んでいるので、庄川代官にシンパシーを感じます。
銚子に藤の美しい場所があることも知りませんでした、大変勉強になりました。有難うございます。Re: 銚子の篤志家
fmi(ふみ)さん 、
今日は。
お立ち寄りありがとうございました。
本編は以前から銚子に<臥龍のフジ在り>と知っていましたが、この時初めて訪れました。つまり藤が目当てでして、ヤマサ醤油と濱口 梧陵翁の事績を知ったのは、たまたま顕彰碑が道路際から目に入ったからでした。
文化や史跡も何やらそうしてことが契機になって、思わぬ<余得>となることがあります。
大学生の頃、この銚子地区で初めて衆院選の選挙アルバイトをやりました。
面白い体験でしたが、こうした篤志家たちの事は知らずにやっていたのですから、伝説や謂れ好きな私にしては少々抜けていたようです。
庄川代官の事は幸い検索して、見つけました。異論もあるようですが、地元の方の顕彰碑がある事は重いですね。たいへん勉強になりました。
それではまた。
jijidaruma2026年01月13日17時07分 返信する -
懐かしいなぁ~
ヌフ・ブリザックには行ったことがあるのですが、見事な城壁とは裏腹に中の町の寂れっぷりに驚いた記憶が蘇りました。
↓
https://4travel.jp/travelogue/11483937
「小さな町を防塁に登る為、街中を歩いてみたが、やはりフランスの地方は貧しい。」
や~よく分かります。なんというかフランスの地方って観光地以外はホント貧しい感じがしますよね。
実は、スイスから来ると、ドイツでも場所によってはちょっと貧しさを感じる時もあるのですが、フランスやイタリアはその比じゃないです。Re: 懐かしいなぁ~
kawakoさん、
今晩は。コメントありがとうございました。
御案内の旅行記は先に拝見しましたよ。
「やはりフランスの地方は貧しい。」にご賛同頂き有り難うございました。
フランスは農業国と言うと、意外に思う方も多いですけど、パリの華やかさにごまかされてはいけません^^。
スイスは多民族国家なのに経済的に恵まれた国故、そこと比較すると、皆貧しいかもしれません。
ただ、ドイツの地方は歴史的にも地方分権が行き届いていた為、地方は豊かで、教育が行き届き、私は学ぶことも多かったですね。
メルケル政権が長く続いたこともあり、その政権下で外国人対策が甘くなって、ドイツの経済を貶めたのは残念な事でした。
それではまた。
jijidaruma2025年12月01日01時55分 返信する -
双子のブライザッハ!
jijidarumaさん、こんにちは。
双子のブライザッハにフォーカスされた新しい記、読み応えたっぷりに拝見しました。特に、私の見ていないヌフ・ブリザックのことが詳細に記されており、目を見張りました。
よくもあのような強固な城壁を・・・と感嘆しきりです。
jijidarumaさんは、お写真や資料をきっと山のようにお持ちなのでしょうが、
そこからすぐに必要な情報を引っ張ってこられており、どのように整理していらっしゃるのか、そこも大変気になるところです。
ハッピーねこRe: 双子のブライザッハ!
ハッピーねこさん、
今晩は。コメントありがとうございました。
先のやり取りで、≪ドイツのブライザッハとフランス領にある新ブライザッハ≫の事をコメントとしましたが、
これに触発されて、双子のブライザッハ!を纏めてみました。
時々こうした事をやります。
勿論手元には基本となる旅行記、写真があって、それぞれ必要に応じて引っ張り出し、更に資料を読むと新たな話しにぶつかります。
旅行記を書いていた頃は書くことに気が入り、疑問点を掘り下げずに流してしまいますが、こうしたきっかけで、
今回は双子のブライザッハの要塞都市が、ライン川を挟んで相対している写真を見つけたり、マルティン・ションガウアー(1448年~91年)による大聖堂の壁画の事を知ったことや、twin cities双子都市のこと、グートゲゼレントアー門(牢獄)のこと、ヨハネス23世・対立教皇の事など、付随して知った事は有り難いことでした。
何しろ歴史好きには、面白かったのですよ(笑)。
それではまた。
jijidaruma
2025年12月01日01時24分 返信する -
3つのお城
jijidarumaさん、おはようございます。
いつも私の拙い旅行記にお越し下さりありがとうございます。
なつかしいアルザスの旅にお邪魔しました。
私もアルザスは大好きで、過去に何度か旅しました。
フライブルクからライン川を越えてコルマールへ、とてもいいコースですよね。
私はフライブルクから日帰りで出かけ、帰りはライン川の橋のたもとでバスを降り、ブライザッハへ徒歩で国境越えをしたのがいい思い出です。
山の上の3つの古城、私はいつも列車から眺めるのみでしたが、ご家族であそこまで行かれたのですね!うらやましいです。
振り返ってみますと最後にアルザスを訪ねてから丸10年が経っていました。
また旅できる日を夢みて♪(止まらない円安がどうにかなりませんと難しいですが。)
寒くなりましたのでご自愛のほど。
ハッピーねこ拝Re: 3つのお城
ハッピーねこさん、
今晩は。古い古い旅行記にコメント頂き恐縮です。
アルザスは何となく、私共には身近な地域で、今はなかなかドイツ語も通じなくなっているかもしれませんが、当時は全く問題なかったですね。
フライブルクからちょっとライン川を渡れば、もうアルザスの地ですからドイツ好きにも行きやすい地方でしたね。
ブライザッハの名も懐かしい!
ユスランの山上の古城、もう城址ですけど、アルザスの平原から見ると、絵になります。この時思いきって訪ねて正解でした。
話は変わりますが、11月後半ともなると、シュトレン、レープクーヘンが懐かしく、昨日、楽天ショッピングで購入しました。
円安が続き、値段が上っていたのは残念でした。
それではまた。
jijidaruma2025年11月25日18時14分 返信する -
レトロの写真とスクーンの石
jijidarumaさん
いつもコメントありがとうございます。
エリザベス女王の崩御は 悲しかったけれど(私たちの時代は エリザベス女王ですものね)
実は 戴冠式の時 t v見てなかったのです。 なので スクーンの石見てなかったのですよーー 残念。
戴冠式自体 みるのは 難しいのにね。
1978年 すごい前ですよね。 その時代って ポンド べらぼうに 高かったのでは。。 202円どころでは ないのでは。。
すみません 大阪人なのでついつい お金の話になってしまって 笑。
話は ガラリと変わりますが、 エリザベス女王が ドイツ系とは 知ってましたが、
そのせいなのかしら?
エドワード8世が ナチス ヒットラーに近寄って行ったのは??
とふと 今思ってしまったのでした。。
英国は 本当に 波乱万丈のある王族だなーーと思ってしまうようなjijidarumaさんの旅行記でした。。
それでは これからも 面白い旅行記待っておりまーーす。
cookieRe: レトロの写真とスクーンの石
cookieさん、
今晩は。
こちらの方にもお立ち寄り、コメントも頂きありがとうございました。
1978年の英国訪問はドイツ駐在中で、デュッセルドルフからフランスに抜けカーレーの港からホーバークラフトに車ごと乗って、ドーバー海峡を渡り、英国に上陸したのでした!今から思えば、思い切って旅行したものです。
それでDMと£との関係で、あまり通貨の変動も少なかった記憶があります。
第一回目のドイツ駐在が翌1979年8月にて帰国する事となりましたから、思い切って行って良かったです。
古くから、英国は欧州大陸からドイツ系の民族の侵入が度々あって、その血はゲルマンの血と言って良いのではないでしょうか!偉大なヴィクトリア女王と王配アルバート公の頃の歴史を見ると、まさにドイツです。
第一次大戦で英・独が敵対関係になった際に、わざわざ(ドイツのHannoverの名前)ハノーヴァー王朝を今に至るウインザー王朝に変えたのも、ドイツの影響を恐れたのでしょう。
有名な退位したエドワード8世も本来の血も関係したのでしょうけど、退位後の英国王室(弟が継いだ)との軋轢もあって、ドイツのヒトラー政権に親和性を感じていて、ヒトラーに利用された感がありますね。
おっしゃるように、<英国は 本当に 波乱万丈のある王族だな>・・・言い方を変えれば、人間味ありすぎだが、だらしがない!!
それではまた。コメントありがとうございました。
jijidaruma2025年11月23日00時24分 返信する -
ドイツのセピア色
jijidarumaさん
おはようございまーーす
いつもいつも コメントありがとうございます。
ドイツに滞在なさっていたのですね。
写真を見ると娘さん! 今や 台湾に駐在なさってる方なんでしょうかね??
ドイツ語大学で 学びましたが あまりにも文法が難しくて いつも教授に叱られてました。
両親とも連れて ドイツ旅行 そして 仕事でドイツに行っても 全く使えず
笑
あの頃に もっと 勉強して グリム童話も もっと 理解してればと
ハーメルンの「結婚式の家」の仕掛け時計知らなかったです。
知っていれば よかったと 大体 行き当たりばったりの旅行が 多いのと
今みたいにネットで 調べれず ガイドブックしかなったしね。
地図で レンタルカーで ヨーロッパ回っていた時代が 今じゃ 信じれないですわ~
それでは またまた セピア色の旅行 楽しみにしておりまーーす
cookie
RE: ドイツのセピア色:メルヘン街道とグリム童話
cookieさん、
今晩は。
コメントありがとうございます。
1970年代(30代)と、1980年代(40代)に家族と2度駐在しました。
若かったから、何でも見てやるスタイルで、よく走りました。
長女は婿の海外赴任で台北、後にソウルに駐在しています。
孫娘2人とも台北生まれで、生まれると同時に私共はお手伝いに
台北に15日間、次は30日間と同居して世話をしました、その二人が
もう大学生で、上は台北に、下はソウルを訪ねています。
思えば懐かしい時代。
私のドイツ語は他でも書いていますが、大学時代はドイツ駐在など
思った事も無く、教養科目のドイツ語の成績は可、可で何とか単位を
取りました。英語も含めて、語学は苦手にしていました。
ドイツに駐在して初めて、その事を大いに反省したものでした。
今のように、観光情報をサッと調べられなかったから、結構ドイツ語の
情報を辞書持参で読むしかなくて、その分ドイツ語に親しんだようです。
ドイツで自動車免許を取得して、同僚から祝いにもらったAralAutoの
観光本(650頁、1974年版)は今も見ることが多いのですが、ボロボロ
に年期が入ったものになりました。
おっしゃるように、地図を見て車で周った当時は我ながら、すごかった
と思います。
定年退職後の旅はレンタカーもナビ付きですから、道を覚えませんね。
それではまた。
jijidaruma
2025年10月13日02時28分 返信する



