青梅・宗建寺には「義賊 裏宿七兵衛」の墓があるのを御存じか?
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- 旅行時期:2019/09(約6年前)
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by jijidarumaさん(男性)
青梅 クチコミ:9件
≪故郷青梅の菩提寺・宗建寺には義賊 裏宿七兵衛の墓がある。≫
私共の故郷は東京都青梅市である。
「東京の西多摩・西の果て、東京のチベット」と口さがない連中に言われたのも大昔の事になるが、今でも時々、法事や墓参りで青梅を訪れる事がある。
偶々、青梅の観光スポット ランキングを見る機会があって、その口コミ95件の内、第60位にランクされていたのが、我が家や分家・姻族の菩提寺である宗建寺でした。
そんなものかと思ったが、口コミを読んでみると殆ど簡単である。
それで書かれていない「義賊 裏宿七兵衛」の事などを旅行記に書いてみたくなった。
<宗建寺(そうけんじ)>
山号・・・仙桃山、 寺号・・・宗建禅寺、
本尊(ほんぞん)=毘沙門天王(びしゃもんてんのう)
本山(ほんざん)=鎌倉の巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)
宗派(しゅうは)・・・臨済宗建長寺派(りんざいしゅうけんちょうじは)
開山は浄土宗の一蓮社尭誉宗公上人(宝徳二年、1450年寂)で、二世より臨済宗に改宗した。慶安二年(1649年)、一石七斗の朱印状を寄せられている。
また山門にかかっている山号額は当山十二世大祐和尚(だいゆうおしょう)の時、元文元年(げんぶんがんねん)(1736年)に書かれたもの。
明和年間(1764~1771年)大祐和尚により現在の堂宇が再建された。
仙桃山の扁額の懸かる山門を潜ると右手は客殿、庫裡、本堂とつづき、左手は鐘楼、さらに左は広い墓所となっている。境内の奥、本堂前は整備された美しい庭園となっている。
また、庭園左奥の一段高い所に、我が家にも縁のある弁財天を祀る「妙音殿」が立っている。本堂には多摩青梅七福神の毘沙門天が安置され、当寺の本尊である。
本堂の斜め前にある実に見事な槙(マキ)は樹齢400年以上もある巨木「夫婦槙」というらしい。白木蓮も春先には見事な花を咲かせる。
<義賊 裏宿七兵衛の墓>
宗建寺境内、ここには中里介山(なかざと かいざん)の長編小説『大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』で知られている裏宿七兵衛(うらじゅく しちべえ)の墓がある。
小説『大菩薩峠』では義賊として描かれていますが、元文7年(1739年)に七兵衛なるものを首領とする盗賊団が捕えられ、処刑された記録が昭和26年(1951年)になって発見されて、実在人物であったことが分かった。
(青梅の昔話;奥多摩民話の会編・第一集「奥多摩の昔話」にくわしく、詳細は関連旅行記をご参照下さい)
何時の頃からか、我が家の菩提寺の宗建寺に、義賊 裏宿七兵衛の墓が出来て、一種の観光名所になった。
多分、世の中の人々は「鼠小僧」の事は知っているでしょう。
私ももちろん映画で「鼠小僧」は知っていましたが、我が家の菩提寺に「裏宿七兵衛の墓」がある事は長い間、知りませんでした。
歌舞伎、落語や小説、映画・TVに出て来る「義賊 鼠小僧次郎吉(ねずみこぞう じろきち)はメジャーな義賊!?といえるのでしょう。
二人は七兵衛が江戸時代中期、次郎吉が後期に活躍?した実在人物、西の果てと大江戸で捕縛された二人の差が、後者がメジャーになった理由なのかも知れない。
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御時間があれば、多摩青梅七福神の毘沙門天だけでなく、「裏宿七兵衛の墓」などをご覧ください。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2021/02/17
いいね!:4票
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