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jijidarumaさんのクチコミ(19ページ)全662件

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  • セピア色の思い出:生憎の小雨の中、2000年の歴史遺跡・ハドリアヌスの長城を訪ねた。

    投稿日 2020年08月22日

    ハドリアヌスの城壁 (ローマ帝国の国境線) その他の都市

    総合評価:4.0

    <1978年夏の休暇・イギリス旅行>
    1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間

    8月5日、ドイツ・デュッセルドルフを出発し、この夏の休暇旅行は初めて、イギリス旅行をした。
    その旅の第一の目的はScotlandスコットランドのエディンバラ城で行われるEdinburghエディンバラの祭り・「Military Tattooミリタリー・タトゥー」を見に行くことだった。
    フランスのCalaisカレー港から愛車オペル車をホーバークラフトに載せ、Strait of Doverドーバー海峡(仏側からするとPas de Calaisカレー海峡)を越え、イギリスのRamsgateラムズゲートに到着しました。
    イギリスとフランスを隔てるイギリス海峡の最狭部距離はたった34km、凡そ40分の乗船でした。約42年前の事です。

    今はドーバー海峡にもChannel Tunnel英仏海峡トンネル(全長50km)が通じている。1994年11月14日、ロンドンと欧州大陸を結ぶ高速鉄道ユーロスターが開業した。便利になったようで、旅の情緒に欠けるかもしれない。

    この時はその他に、Londonロンドンの大英博物館など、Oxfordオックスフォード、湖水地方、ネス湖、ハドリアヌスの防御線(長城)なども見て、Kingston on Hullキングストン・アポン・ハル*の港から、Rotterdamロッテルダムに抜けて、ドイツ・デュッセルドルフに戻りました。

    *Kingston on Hullキングストン・アポン・ハル(通称ハル、Hull)は、イギリス・イングランド東海岸に位置する、国際航路を行く大型貨客船も寄港する港町であり、北海に注ぐハル川の川畔の北に発展した人口257千人の中核都市である。

    総行程2,750kmと15日間としては良く走った思いが残ります。

    ・・・・・

    8月12日(土)小雨

    この日、湖水地方の町KeswickケズイックからA66を東のPenrithペンリスを出て、M6を北に約30km走った。Cumberlandカンバーラントの中心Carlisleカーライルまで来ると、いわゆるイングランドも終わりだ。カーライルから東にA69で29 km先の Gilslandギルスランドに向かい、少し手前に、今はBirdoswaldバアードスワルドのRoman Fort(カストラ・・・ローマ軍団の砦)と称する地(42年前も、こうした呼び方をしていたか、覚えていないが)があった。

    有名な2000年の歴史遺跡「Hadrian's Wallハドリアヌスの長城」に至ったのだ。
    生憎の雨で、湿地帯のようになった小高い丘を登った。長く長く続く城壁はかつての世界の覇者ローマ帝国が軍団を派遣し、この地まで支配した証しとして、今に残っている。
    高さ5m前後、幅2m半の石造りの防塁である。勿論、今に残る中国の長城のすごさはローマ軍団の長城をはるかに超えている。
    この城壁は防衛上、城壁の下はやや攻めにくい傾斜を見せている。この長城を越えれば、スコットランドの地だ。
    雨の中も羊たちが草を食みながら、城壁の低い所からスコットランドに入って行く。

    カーライルの町にはローマ軍団が駐屯し、国境線を守備したと云う。
    その後、スコットランドとの戦いではこの長城は重要な役割を果たした。

    さて、世界遺産「ローマ帝国の国境線」は後にイギリスとドイツのものを一括登録している。

    有名な「Hadrian's Wallハドリアヌスの長城」は1987年世界遺産登録された。
    (1978年にドイツのアーヘン大聖堂など12件が最初の世界遺産リストに登録されたが、当時は世界遺産ではなかったのだ)
    10年をかけて西暦132年に建設された。イングランド北部、スコットランドとの境界線近くにある。
    全長118kmの長城の間に、東のNewcastle upon Tyneニューカッスル・アポン・タイン、そこから90km西にあるCarlisleカーライル(カーライルはスコットランド国境最前の町)がある。

    及び「Antonine Wallアントニヌスの長城」がある。
    こちらは2008年世界遺産登録された。
    西暦144年にスコットランドの中央部に石と土で作られたローマ時代の防塁である。西暦164年、ローマ軍はハドリアヌスの長城へ撤退し、アントニヌスの長城は建設後わずか20年で放棄された。
    ハドリアヌスの長城に比べて凡そ半分の全長60km。

    また、ドイツ最長の文化記念物として、「Deutsche Limes-Strasseドイツ・リーメス街道」(2005年登録)が世界遺産に一括登録されている。

    ドイツのリーメスはライン川畔のコブレンツ近くの町Bad Hoenningenバート・ヘンニンゲンからドナウ川畔のRegensburgレーゲンスブルクに至るものである。
    全長770kmの防衛線上には監視塔拠点900以上と、大小のKastell砦120を数えると云う。
    各地には様々な規模の出城や防壁、防御柵、広い温泉施設、居住用建築物が見られる。
    イギリスの長城に比べ、規模も大きい。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    1978年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • 古城ホテル ヴォルフスブルンネン城は娘の結婚プレゼント!!!に建てた城。

    投稿日 2020年08月03日

    シュロッス ホテル ウォルフスブルネン その他の都市

    総合評価:4.0

    <「狼の泉」の異名が付いた古城ホテル ヴォルフスブルンネン城>
    2005年春“北ドイツ周遊の旅”2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間

    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。Kasselカッセルの大企業の社長が娘の結婚プレゼント!!!に、1904~07年に建てた城だそうだ。
    王が王妃や愛妾に城を贈る事はよく聞く話だが、大企業の社長とはいえ、驚いた話だ。
    第二次大戦後はユダヤ人の孤児収容所、ルールの鉱山労働者の保養所、独大企業Preussagプロイサーグへの賃貸等を経て、1988年からホテルに生まれ変わった。

    ドイツで中学生までいた長女夫婦も、2000年12月の新婚旅行で、此処に宿泊した事があり、その事を聞いていたから、我々も是非宿泊したいと思っていた古城ホテルです。

    17:00にチェックイン。予約は3階のSchlosszimmerシュロスツィマー(スイート)213号室は正面左手の塔の下、張り出した丸窓のある大きな部屋です。
    ピンク系でトーンが統一され、天蓋つきのベッドがあり、その素敵な部屋からの眺望は、前面の森、丘の下の田園風景、走ってきた道路の先に見えるヴェラ川一帯の山河と、とても素晴らしいものだ。

    <Meinhard :Hotel Schloss Wolfsbrunnen
    古城ホテル ヴォルフスブルンネン城>
    D-37276 Meinhard-Schwebda bei Eschwege 、Am Berg 1
    https://www.wolfsbrunnen.de/
    4星・全65室、1泊した3階のSchlosszimmerシュロスツィマー(スイート)213号室はEuro 115でした。 

    ヴォルフスブルネン城はエシュヴェーゲの北東4km、海抜211mに立っている。
    そこはシュウェーブダ地区の北北東約800mに位置し、ヘッセン州Werra-Meissner-Kreisヴェラ・マイスナー郡のDachsbergダックスベルクのふもとにあるマインハルトの森林地帯にあります。

    この城はドイツ帝国皇帝の侍従長であるAlexander von Keudellアレクザンドル・フォン・キュデル(1861~1939年)が1904年から07年にかけてネオ・ルネサンス様式で建てた近代的な城です。
    1886年6月、アレクザンドルは25歳の時、21歳のLouise Henschelルイーズ・ヘンシェル(1865~1951年)と結婚した。彼は1904年から1907年までかけてヴォルフスブルネン城を建て、妻に贈ったと云う。実際はこの結婚を祝って、妻の父から建設資金が出たのだが。
    ルイーズの父Carl Anton Oscar Henschelカール・アントン・オスカー・ヘンシェルは、カッセルの機械メーカーの社主であり、カッセル商工会議所の会頭であった大実業家でした。
    1939年に夫アレクザンドルが死去したあとも、ルイーズ未亡人は家族と共にこの城の一角に住んでいたそうです。
    1943年から45年にかけてドイツ国防軍の病院だった。
    1980年から85年までアシュラム・サンヤシン(ヒンドゥー教のお坊さん)が所有者だった。
    1988年以降は古城ホテルとなっている。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    さて、15年も経った現在(2020年)、古城ホテル ヴォルフスブルネン城の
    HPをあらためて見ると、新資本が入り、ホテル経営も変わったようで、新しく、さらに豪華な古城ホテルになっていました。

    旅行時期
    2005年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    3.5
    客室:
    5.0

  • バウムクーヘンの元祖はザルツヴェーデルのカフェ・クルーゼだよ!

    投稿日 2020年07月05日

    エアステ ザルツヴェーデラー バウムクーヘン その他の都市

    総合評価:4.5

    2014年ドイツ:北方二州を巡る・(北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
    メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅)
    (2014年05月09日~23日  15日間)

    05月18日(日) 185km、曇り時々シャワー、15℃
    起床6:30、朝食8:00~9:00、庭園散策、ヴェンドルフ城10:11 =>L?・(Crivitz)L? 32km  Jagdschloss Friedrichsmoor フリードリヒスモール狩猟用離宮 10:55~11:15 =>L?・B106・B5 20km Ludwigslustルートヴィヒスルスト宮殿 11:40~12:50 =>B191  34km Festung Doemitzデーミッツ要塞13:30~14:30 =>B191(Danneberg)・B248 43km Salzwerdelザルツヴェーデル15:20~16:30 (お茶)SalzwedelザルツヴェーデルCafe Kruseカフェ・クルーゼ 15:30~16:20

    *デーミッツ要塞からは国道191でDannebergダンネベルクに、ここからは国道248を南下し、アルトマルク地方に入る。合計43kmを走ると、元祖バウムクーヘンで有名なSalzwerdelザルツヴェーデルに着いた(15:20)。街中のLorenzkircheローレンツ教会からちょっと歩くと、目的のCafe Kruseカフェ・クルーゼのバウムクーヘンの看板が目に付いた。
    この町も木組み建築の家並みが多い。

    <(お茶)ザルツヴェーデルのCafe Kruseカフェ・クルーゼ>
    15:30~16:20 Euro12(1,587円) 

    元祖バウムクーヘンのレストランでは運良く、バウムクーヘン作成の実演をしていた。
    ドイツ人のツアーの人たち向けの実演だったのでしょうが、ツアー担当者が気を利かして、私共を見える場所に招じてくれた。
    (1842年創業で、昔のままのレシピ通りに行われる実演は日曜日及び毎月の第一水曜日14:00に行われるという。私共が入った時間はすでにこの対象時間ではなく、実演は予約済みのグループの為であったから、有難いものだったのです)

    暖炉のような場で黄金色した炎が燃え、女性の担当者が昔通りのレシピでローラーに巻き付けながらバウムクーヘンをクルリクルリと回転させて、“ケーキの王”バウムクーヘンを形作っていく。

    見学の後は当然、カフェで3片のバウムクーヘンを注文し、ダージリンの紅茶で楽しんだ。そして、やはり娘家族にお土産もと、同じ3種を購入した(Euro21.83)。帰国して3種類のバウムクーヘンを私共と娘家族で其々3等分して食べた。娘たちにも好評だった。

    <Salzwerdelザルツヴェーデル>
    15:20~16:30
    http://www.salzwedel.de/

    ザクセン・アンハルト州の最北部・アルトマルク地方にあるザルツヴェーデルという25千人の町はかつてのハンザ都市であり、Magdeburgマグデブルク、Luebeckリューベック、Hamburgハンブルク、Braunschweigブラウンシュヴァイクといった都市との交易路が交差する町であった。州都マグデブルクからハンブルク方面に走って凡そ100kmの距離にある。
    ザルツヴェーデルはBaumkuchenバウムクーヘンの発祥の地として知られている。
    今もってこの町では当時のレシピを使った、直火で焼くバウムクーヘンを食べられる。
    その製法は少なくとも1682年からのもので、直火の上をじんわりと回転するローラーの上にバウムクーヘンが徐々に層をなすように作っていく。

    1841年5月26日、プロイセン王Friedrich Wilhelm IVフリードリヒ・ヴィルヘルム四世(在位:1840年 - 1861年)は、選帝侯ヨアヒム二世(1535-1571)(Kurfuerst JoachimⅡ)以来の王侯貴族として、ザルツヴェーデルの町を訪ねた。
    それだけに 町は王に敬意を表して、歓迎の宴を催した。その際、"Adler Horst"のLuise Lentzルイーズ・レンツのバウムクーヘンが、初めて王の食後のデザートに出されました。
    ヴィルヘルム四世はそれをたいそう気に入り、愛する王妃のために残りを持って帰ったそうです。 また、ヴィルヘルム四世はルイーゼ・レンツにバウムクーヘンをベルリンの宮廷に定期的に送付するように命じたと云う。
    その後、ベルリンはもとより、ウィーン、サンクトペテルブルクなど、各地の王宮からも注文があり、この味は王宮から民衆に広がり、各地の人々に好まれるようになったと云われている。
    今日もなお、王が食べた当時のように、直火による手作業で焼かれたバウムクーヘンは古くから伝えられたレシピに従い、保存料を使わず、一番良い自然の素材とバターだけが使用されているのだそうだ。

    現在、ドイツで有名なバウムクーヘンの町はザルツヴェーデル、Cottbusコットブス、Dresdenドレスデンがある。
    其々はアラック(蒸留酒)を使う、挽いたアーモンドにラム酒を入れる、挽いたアーモンドやマジパンを入れシンプルに作るやり方である。
    この内、発祥の地ザルツヴェーデルの3店にその製法が受け継がれていると云う。

    ①Cafe Kruseカフェ・クルーゼ; 
    D-29410 Salzwedel 、Holzmarktstrasse 4 - 6
    http://www.kruse-baumkuchen.de/

    ②Salzwedeler Baumkuchen GmbH ザルツヴェーデラー・バウムクーヘン有限会社;
    D-29410 Salzwedel 、Am Gueterbahnhof 19
    http://www.baumkuchen-saw.de/
    Cafe "Treff im Adler * Horst"カフェ“トレフ・イム・アドラー・ホルスト”。


    ③Erste Salzwedeler Baumkuchenfabrikエアステ・ザルツヴェーデラー・バウムクーヘン・ファブリーク ;
    D-29410 Salzwedel 、St.-Georg-Strasse 87
    http://www.baumkuchen-salzwedel.de/

    XXX

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    1,000円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    雰囲気:
    4.5
    料理・味:
    4.5

  • カッセルの丘陵公園:壮大な「水の芸術」大噴水ショーを一度は見たいもの。

    投稿日 2020年06月30日

    ヴィルヘルムスヘーエ丘陵公園 カッセル

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月29日(日) 79km 、 晴れ時々曇り、14℃~18℃
    Caldenカルデン11:45出発 =>L3217・L3298・K5  10 km Kasselカッセル・Bergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエで大噴水を見る12:00~16:20 

    *Caldenカルデンを11:45に出発し、凡そ10 km でKasselカッセルのBergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエの駐車場に12時到着した。
    駐車料金はEuro7。但し、駐車券の半券で噴水のスタート時点の山上Herkulesヘラクレスの像(Grosse Kaskaden大きな人工の階段状の滝)までバスNo.23に無料乗車が出来る。なお、自力で途中まで登ったので使用せず。

    <ヴィルヘルムスヘーエ城公園>

    ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ山岳公園はヨーロッパ一の山地公園で、標高527m、敷地は総面積240haと広大なものとなっている。2013年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
    この山岳公園は1700年頃、ヘッセン・カッセル方伯カールの下でバロック庭園として設けられた。その後、18世紀から19世紀に一部がイギリス式の風景庭園に造り替えられた。

    カッセル観光の目玉、見応えのあるカッセルの噴水ショーは、この山岳公園内で、夏期(2019年5月1日~10月3日)に週の水、日の2回と祭日(開始14時半~16時頃終了)に行われる。
    庭園は水の高さが50mを超える大噴水や、渓流、滝、池、水路など、水を利用してデザインされた造形が特徴で、そのユニークさは他に例がないそうだ。

    今日は高低差231mを利用した水の流れと見事な大噴水を見にここにやって来た。


    (「水の芸術」大噴水ショーの時間的経緯)

    12時、駐車場からともかく登り出す。
    海抜289mのGrosse Fontaene(グローセフォンテーネ)大噴水の池から12時半に右手の道を上がる。
    12時45分、Plutogrotte(プルートグロッテ)冥王(冥府を司る神)の洞窟に至り、たかだか70mを上がった。
    12時50分、Teufelsbruecke(トイフェルスブルッケ)悪魔の橋(海抜357m)を写真に撮る。
    13時05分にNeptunbassin(ネプチューンバーシン)海神ネプチューンの池にようやくたどり着いた。駐車場から1時間弱かかった。海神ネプチューンの池は海抜420mの地点で、ヘラクレスの像まで標高差100mを上がるだけになった。・・・がここで、十分と思った。
    (昼食13:15~14:15)

    14時半、ヘラクレスの像の下部から水が少しずつ吹き出て、流れ出し、幾つもの階段を水が両脇まで浸しつつ下ってくる。(海抜520m)
    14時39分、海神ネプチューンの池に滝のようになって池に水が落ちだすのだ。
    (ヘラクレスの像から100m下となる海抜420mの地点)
    15時20分、悪魔の橋(海抜357m)に到達。
    15時30分、Aquaedukt(アクアエドゥクト)に至る。1792年、ローマの水道橋の遺跡を模したもので30mの高さ。(海抜320m)
    15時45分、大噴水の池に達して、水圧のかかった水は吹き上がり始めた。(海抜289m)
    (噴水ショーは1時間半をかけて、16時ころに終了する)

    ヘラクレス像から大噴水池まで2.3kmを下り、丘の高低差による水圧を利用することによって高さ52mまで水を噴き上げる姿を「水の芸術」と呼んでいる。

    「水の芸術」のクライマックスでは、ヴィルヘルムスヘーエ城を背景に大噴水を撮る人、大噴水とヘラクレスの像をバックに撮る人と様々で、私共もカメラ片手にこの一瞬の為に待っていたから、皆さん同様にシャッターを切ったものです。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    3.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • カッセル:大噴水ショーで知られた山岳公園内にあるヴィルヘルムスヘーエ城は18世紀後期の歴史的建造物である。

    投稿日 2020年06月29日

    ヴィルヘルムスヘーエ城 カッセル

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月29日(日) 79km 、 晴れ時々曇り、14℃~18℃

    Caldenカルデン11:45出発 =>L3217・L3298・K5  10 km Kasselカッセル・Bergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエで大噴水を見る12:00~16:20 

    *ヴィルヘルムスタール宮殿の駐車場で15分ほど休憩し、Caldenカルデンを11:45に出発し、次の目的地に向かう。
    凡そ10 km でKasselカッセルのSchloss Wilhelmshoeheヴィルヘルムスヘーエ城近くの駐車場に12時到着した。ここは海抜280mぐらいになる。

    <Kasselカッセル>
    カッセルはヘッセン州の北部の大学都市で、フランクフルト・アム・マイン、ヴィースバーデン(州都)に次ぐヘッセン州第3位の都市(人口201千人)である。
    カッセルは歴史上、1277年から1866年までヘッセン・カッセル方伯家の首都であったことがある。
    フルダ川の両岸に広がるカッセルはWasserspielekunstヴァッサーシュピールクンスト大噴水芸術が有名である。また、1955年から 4、5年ごとに開催される芸術祭ドクメンタ(現代美術展)で知られている。このためカッセルは1999年3月から「documenta-Stadtドクメンタ・シュタット」と公式に称している。

    「Schloss Wilhelmshoeheヴィルヘルムスヘーエ城」

    カッセルのBergpark Wilhelmshoeheベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ(山岳公園の総面積240ha)には、18世紀後期の歴史的建造物であるヴィルヘルムスヘーエ城がある。
    ヴィルヘルムスヘーエ城の中央翼は古代コレクションとアルテ・マイスター絵画館(古の巨匠絵画館)に充てられている。この絵画館は主にフランドルやオランダのバロック絵画を所蔵している。
    たとえば、レンブラントの「ヤコブの祝福」、フランス・ハルス、ルーベンスなどである。その他に古いドイツ絵画(アルブレヒト・アルトドルファー、アルブレヒト・デューラー)、イタリア絵画、スペイン絵画もある。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • メルヘン街道の代表はいばら姫の城サバブルクですが、残念にも2018年12月から休業中。

    投稿日 2020年06月25日

    ホテル ドルンレッシェンシュロス サバブルク (いばら姫の城) カッセル

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    起床6:00、朝食7:50~8:20、Hannoversch Muendenハノーフェルシュ・ミュンデンの市内見物8:45~10:35、11:00出発 =>B3・ B80 17 km Veckerhagenフェッカーハーゲン11:15~12:00 =>K52 L3229 12 km Dornroeschenschloss Sababurg古城ホテル いばら姫のザバブルク城12:17~13:00=>K56・L763  13 km  Hotel Burg Trendelburgホテル ブルク トレンデルブルク 13:30~14:05 =>B83 13km Hofgeismarホーフガイスマル14:35~15:45=>B83  7km Grebensteinグレーベンシュタイン16:00~16:20=>B83・L3217 10 km Caldenカルデン16:35着。


    *グリム童話で名高い“ラプンツェルの塔”のモデルとなったBurghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルグ城や、
    Dornroeschenschloss Sababurgいばら姫のザバブルク城は私のお気に入りだから、この地域に来ると外せないのだ。

    <Sababurgザバブルク> 12:17~13:00
    Dornroeschenschloss Sababurg古城ホテル いばら姫のザバブルク城はもちろん、若い頃にも家族で訪れているのだが、定年後の旅も2005年春に訪れた。
    そしてドイツ・ベネルックス秋の旅をした際、2013年10月16日(水)にもザバブルク城(いばら姫の城)を訪れた。
    その後2018年末に理由は不明だが、古城ホテル ザバブルク城(いばら姫の城)は営業を停止していた。多分業績不振となったのだろうが。

    2019年9月28日、今日の事だが古城ホテル ザバブルク城が閉業した後が気にかかり、どんな風になったかを見たかったのだ。

    6年ぶりの秋の訪れだが、見覚えある巨人族のザバの木像が右にいく道路沿いに立っていた。左に入って駐車場に停める。今日は週末なので、観光客やハイキングで立ち寄る人も多いと思ったが、数台の車が有るぐらいだった。古城にも秋が訪れていた。

    <Dornroeschenschloss Sababurgいばら姫のザバブルク城>
    D-34369 Hofgeismar (Sababurg)ホーフガイスマル(ザバブルク) 、Im Reinhardswald (ラインハルトの森)
    ザバブルグ城はメルヘンの国・ラインハルトヴァルトの原生林の中にあり、グリム童話で知られるいばら姫の城は670年以上の歴史をもつ。
    別名100年の眠りから覚めた“眠れる森の美女”と呼ばれている。
    この城は13世紀にマインツ司教が支配地域の前哨基地として建てた。
    1429年ヘッセン公国の所有となり、狩猟の館となるも、19世紀始め、公国の崩壊と共にうちすてられ、長い間、文字通り「眠れる城」として忘れられた存在になっていた。
    第二次大戦後、目覚めた城はホテル・レストランに改造され、大変人気のある古城ホテルになっていたのだが。この城は3星・全18部屋という小さな古城ホテルでした。

    13 km離れた古城ホテル トレンデルブルグ城に泊まってしまうので、いままでここには泊まった事が無いのだ。今回も休業中で、カルデンの方に宿泊する古城ホテルを見つけていた。ザバブルク城の周囲には自然動物園(1571年)も設けられていたが、今日はその様子が見えなかった。古城ホテルの館内の扉はしっかり閉鎖されていた。
    休業の文字があった。休業が実に惜しまれる。

    それでもメルヘン好きな人々は訪れる。土曜日といえ、メルヘン好きの人々はやはり年輩者ばかりで、すこし寂しい感じを受けた。
    この日もゲッティンゲンから訪れた80代と77歳のご夫妻(25歳の時にここで御二人は結婚式を挙げたと奥様は昔を思い出すようにおっしゃっていた)と、城址前にあった屋台(軽食と飲み物の提供)でお会いし、「ここのケーキは美味しい」からと勧められ、しばし歓談した。
    屋台のお兄さんに代金を支払いながら古城ホテルの再開を尋ねると、何時にと言うわけではなかったが、「また再開するさ!」と、気を持たせることを言ってくれた。
    残念ながら、ザバブルク城らしい景観はあったが、城址に残る大広間のように中身は空虚の城になっていました。

    メルヘン”いばら姫”のイメージは様変わりですが、この古城に立つと周辺の森や草原が見渡され、良い気分になります。

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    旅行時期
    2019年09月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • ハン・ミュンデン:朝市が出ていたマルクト広場は旧市街のランゲ通りとツィーゲル通りに挟まれた中間にある。

    投稿日 2020年06月17日

    マルクト広場 (ハン ミュンデン) ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    マルクト広場は旧市街のメイン・Langeランゲ(長い)通りとZiegelツィーゲル(レンガ)通りに挟まれた中間にある。
    北のヴェラ橋(ヴェラ川)から南に行くと、マルクト通りに面したマルクト広場、市庁舎、聖ブラジウス教会の順に見る事になる。
    近くにこの町を代表する鉄ひげ博士の家(Lange Str. 79番地)もある。
    この日は土曜日でマルクト広場では朝市が出ていた。ドイツの朝市には見慣れてしまい、市役所の入口前のテラスから見下しただけだったが。

    マルクト通りを西に行くと、Muehlenstrasse水車小屋の通りになり、右手に市城壁(要塞都市ハン・ミュンデンを示す城壁)の一部が残っているのが見える。
    フルダ川に架かる水車小屋の橋を渡れば、Wesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)のあるTanzwederタンツの中州に行ける。

    尚、マルクト広場の西側を南に行くZiegelツィーゲル(レンガ)通りにはウェーザールネサンス様式と呼ばれるこの地方特有の美しい木組みの家が並ぶ一角がある。
    特に1400年頃に建てられたゴシック様式木組みの家「Hotel Alte Windmuehleホテル・アルテ・ヴィントミューレ(ホテル古い風車)」(レンガ通り66番地)が目につく。
    ハン・ミュンデンは質と量に富んだ木組みの家並みが見られ、市城壁内のいわゆる旧市街の建物の79%が木組みの家と云われている。ルネサンスとバロック様式の建物の割合は特に高く、272の建物があるという。

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    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5

  • ハン・ミュンデン:お気に入りのヴェーザーの石碑、この日最も訪れてたかったのはここだ。

    投稿日 2020年06月19日

    ヴェーザーシュタイン ハン・ミュンデン

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    マルクト広場から左のMuehlenstrasse水車小屋の通りを行くと、右手に市城壁(要塞都市ハン・ミュンデンを示す城壁)の一部が残っているのが見える。
    Tanzwederタンツの中州に向かう。

    ⑨Fuldaフルダ川:
    フルダ川はヘッセン州・Rhoenレーン山地にあるWasserkuppeヴァッサークッペ山に源流がある。メルヘン街道沿いにある、三つの川が合流する町と呼ばれるハン・ミュンデン(ニーダーザクセン州)までを流れる。ここでフルダ川はWerraヴェラ川と合流し、Weserヴェーザー川となって北海に至る。全長218km。ヘッセン州で最も長い川でもある。

    ⑩Tanzwederタンツの中州にあるWesersteinヴェーザーシュタイン:
    Muehlenbruecke水車小屋の橋の下はフルダ川が流れる。
    橋の上から見ると結構水量がある。橋を渡り切ると、広大な駐車場もあるTanzwederタンツの中州に入る。

    中州公園の先端にはヴェラ、フルダ、ヴェーザー・三つの川の合流点であるWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)がある。
    この日の最も訪れてたかったのはここだった。言わば、お気に入りなのだ。

    先端の大きなRosskastanienロスカスターニアン(マロニエ、トチノ木)の木は更に立派に育ち、大きな実も落ちていた。
    その木の下にWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)と呼ばれる記念碑が立っている。

    何やら、木や柱にHeimat故郷などの言葉を付けては写真を撮っていた方に私共も撮って頂いた。それが下の写真だ。
    ご親切な方でしたが、私共も日本に戻る日も近づいてきて、「Heimat故郷」の言葉が嬉しい。

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    恒例のお気に入りの碑文は以下:

    ハン・ミュンデンのフルダ川とヴェラ川が合流してヴェーザー川となる地点に、1899年7月末に以下の詩文を刻んだプレートをつけた石碑が建てられた。

    Wo Werra sich und Fulda kuessen
    Sie ihre Namen buessen muessen,
    Und hier entsteht durch diesen Kuss
    Deutsch bis zum Meer der Weser Fluss.

    Hann. Muenden, d. 31. Juli 1899

    (ヴェラ川とフルダ川がキスをして
     その償いにその名を捨てる
     そしてそのキスから生まれた
     ヴェーザー川がドイツを抜けて海へ向かう
      ハン・ミュンデン、1899年7月31日)

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    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    5.0

  • ハン・ミュンデン:聖ブラジウス教会とハーゼルヌス(ヘーゼルナッツ)拾いの事

    投稿日 2020年06月17日

    聖ブラジウス教会 ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ⑦St.Blasiuskirche聖ブラジウス教会とハーゼルヌス拾い:
    市庁舎の裏側に茶色の重厚な聖ブラジウス教会(三廊式、ゴシック様式のホール教会)が建っている。工期は13世紀末から16世紀末までかかった。

    聖ブラジウス教会傍に大きなHaselnussハーゼルヌス(ヘーゼルナッツ:ドイツで有名な「Nutella(ヌッテラ)」という、パンなどに塗って食べるチョコレートクリームにも使われている)の木が立っていて、その実を拾う奥さんがいた。
    偶々足元に大きな実が落ちていたので、拾ってあげた。
    袋にたくさん入っていて、お菓子(料理)に利用すると言っていた。

    この教会ではこの出来事が一番記憶に残っている。
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    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • 「ハン・ミュンデン攻城戦」を記念したティリー砦と呼ばれる展望塔が、旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にある。

    投稿日 2020年06月16日

    ティリーシャンツェ ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ③Tillyschanzeティリーシャンツェ(ティリー砦):
    Tillyschanzenweg 4

    旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にティリーシャンツェ(ティリー砦)と呼ばれる展望塔がある。フルダ川と赤い屋根の旧市街の展望を楽しめそうだが、いまだかつて登った事が無い。もう70代半ばにもなると、メンドクサイのだ。
    今日も遠くの写真を撮っただけだ。

    ティリーシャンツェ(ティリー砦)は三十年戦争時(1626年)、キリスト教旧教派の皇帝軍の名だたる将軍ティリー伯によるミュンデン攻城戦を記念し、1881年から1885年に建設されたと云う。最近の研究によれば、ティリー伯は大砲をこの高地ではなく、フルダ川の川岸に配置したとの事で、あまり必然性のない展望台になってしまったようだ。
    いずれにせよ、このティリー将軍は旅先の各地に出没する歴史的有名人だ。

    さて其の攻城戦だが、世にいう「ハン・ミュンデン攻城戦」は1626年6月9日から、5日間の砲撃の末、「血の聖霊降臨祭(キリストの復活のできごとから50日目)」と呼ばれる日になった。この日、10,000人にのぼるティリー伯の軍勢にミュンデンの町は占領され、800人のデンマーク人守備隊と、ほぼ町の人口にあたる2,000人の住民が虐殺された。
    砲撃に対して脆弱だった城塞も原因だったと云う。

    Johann T’Serclaes Graf von Tillyヨハン・セルクラエス・グラーフ・フォン・ティリー伯爵(1559年~1632年)は、ブラバント公国のヴィレス・ラ・ヴィル(現在のベルギー・ブラバン・ワロン州)出身の将軍、傭兵隊長。三十年戦争ではバイエルン軍を率い、カトリック連盟と帝国軍の両方の最高司令官を務めた。
    敬虔なカトリック信徒で「甲冑をまとった修道士」と呼ばれた。

    ティリー伯は三十年戦争における1632年4月15日のドイツ・「Schlacht bei Rain am Lechレヒ川の戦い」で命を落とした。(レヒ川はオーストリアとドイツを流れる川。ドナウ川の支流で全長264km)
    この戦いはスウェーデン王グスタフ2世アドルフ(1632年11月16日のライプツィヒ南西、「Schlacht bei Luetzenリュッツェンの戦い」で戦死)率いるスウェーデン軍及びプロテスタント諸侯の連合軍と、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍が交戦し、スウェーデン軍が勝利した。
    この戦いでティリー伯は負傷、その傷は重く破傷風を併発し、バイエルンのインゴルシュタットで死去した。

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    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    2.5

  • ハン・ミュンデン:マルクト広場に立つ市庁舎では「鉄ひげ博士の仕掛け時計」が人気だ。

    投稿日 2020年06月13日

    鉄ひげ博士の仕掛け時計 (市庁舎の仕掛け時計) ハン・ミュンデン

    総合評価:4.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ⑧’マルクト広場と市庁舎の仕掛け時計:

    広場はさほど広くないが5、6階建ての木組みの家が両側に並び、その奥に市庁舎がある。
    マルクト広場に面して現存する市庁舎は14世紀の庁舎を1616年に改築したもので、3連の切妻屋根を持ち、中央と右側の建物には美しい装飾扉がある。

    仕掛け時計は両側に鐘のある窓から人形が出て来る。

    12時、15時、17時から仕掛け時計があり、「私はドクター・アイゼンバルト」のメロディーが流れると窓が開き、模擬の窓から大きな義歯用のハサミを持った博士、左側の窓から助手に抑えられた患者が出てきて博士の後に道化師がアクロバットの演技をする。

    また、夏の土曜日13:30から市庁舎のホールで鉄ひげ博士の講義という野外劇が催される。

    今日は仕掛け時計の演奏時間には町を出ていたから、見ないままだが、仕掛け時計を見るのは旅の記念になり、楽しいだろう。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.5

  • ハン・ミュンデン:旧市街の中心に立つ市庁舎は3連の切妻屋根を持ち、中央と右側の建物には美しい装飾がある。

    投稿日 2020年06月11日

    市庁舎 (ハン ミュンデン) ハン・ミュンデン

    総合評価:4.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ⑧マルクト広場の市庁舎:

    広場はさほど広くないが5、6階建ての木組みの家が両側に並び、その奥に市庁舎がある。マルクト広場に面して現存する市庁舎は14世紀の庁舎を1616年に改築したもので、3連の切妻屋根を持ち、中央と右側の建物には美しい装飾がある。

    地下には昨夜夕食を取ったレストラン・ラーツブラウハウスがあり、鉄ひげ印の地ビールが飲める。

    各地の見る「Hochwasserホッホヴァッサー(洪水)」の標が、ここでも市庁舎の建物横の壁に書いてある。1643年、1682年、1841年のいずれも1月に発生したようだ。
    他の場所でみたものはもっと洪水の発生も多く、近年では1995年1月とあった。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ハン・ミュンデン:"わたしが鉄ヒゲ博士(ドクター・アイゼンバルト)Ich bin der Doktor Eisenbarth"

    投稿日 2019年05月14日

    鉄ひげ博士の家 (ドクター アイゼンバールト死去の家) ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ④鉄ひげ博士の家:Lange Str. 79

    鉄ひげ博士の家は旧市街のメインストリートのランゲ通り79番地にある。
    ランゲ通りは直線で300m程度の通りだが両側に美しい木組みの建物が並んでいる。
    建物は高いものは5~6階建てで梁に彫られた彫刻や出窓が美しい。

    「鉄ひげ博士」Dr.アイゼンバルトの家は梁に大きな注射器を持った博士のカラーの木彫りがあるのですぐわかる。
    博士像の下にある文字盤に「此処(この家)で博士は活躍し、死去した。彼は彼の評判とは違っていた」とある。

    この町を有名にしたのも藪医者の代名詞となっているDr.Eisenbart鉄ひげ博士だが、実際は意欲的な、真面目な医者であったそうだ。


    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4月29 日 (金)  曇り時にシャワー11℃

    ハン・ミュンデンに10:15到着。人口2万6千人の小さな田舎町は3つの川が流れて、周囲を森に囲まれ、赤屋根の町並が織り成す美しさは格別だ。旧市街は700以上と言われる木組みの家々の街並みでうまり、なかなかのものだ。
    マルクト広場にはヴェーザー・ルネサンス様式の市庁舎、聖ブラジウス教会、博物館になっているWelfenschlossヴェルフェン城等がある。

    旧市街の中心・ランゲ通りを行くと、Dr.Eisenbartアイゼンバルト(鉄ひげ)博士(藪医者の代名詞となっているが、実際は意欲的な、真面目な医者であったそうだ。夏には博士の野外劇もある)という実在の医者の家、其の名を付けた薬局もあり、大きな注射器を持った博士の看板が面白い。

    *Johann Andreas Eisenbarthヨハン・アンドレアス・アイゼンバルト(1663~1727年)は17世紀のドイツの医者である。ドイツの各地をサーカス巡業のような方法で治療旅行し、自家製の薬を売り歩いた。
    バイエルン州のオーベルフィーヒタッハ(現シュヴァンドルフ郡)の出身である。祖父も父親も床屋医師で、アイゼンバルトは目の手術や骨折の治療を得意とした。義理の兄弟からも医学の知識を得た。

    アイゼンバルト博士と呼ばれたが、もちろん博士号を得てはいなかった。アイゼンバルトは、通常120人にも及ぶ芸人や道化師、楽隊とともにドイツの各地を旅した。多くの見物客を集め、楽隊が音楽を奏で、コーラスがアイゼンバルトを称える歌を歌う中で治療を行った。自家製の薬を製造し、大規模に販売したと云う。

    尚、1800年頃、"Ich bin der Doktor Eisenbarthわたしが、ドクター・アイゼンバルト" という歌がドイツで流行した。歌詞は以下である。

    https://www.youtube.com/watch?v=nOp334i0OPE

    „Ich bin der Doktor Eisenbarth,
    widewidewitt, bum bum
    Kurir die Leut nach meiner Art,
    widewidewitt, bum bum
    Kann machen, dass die Blinden gehn,
    Und dass die Lahmen wieder sehn.
    Gloria, Viktoria, widewidewitt juchheirassa!
    Gloria, Viktoria, widewidewitt, bum bum.

    邦書では原田恒雄氏のビールに関するエッセー、『金のジョッキに、銀の泡』で以下のような詞で紹介されている。
    「わたしが、ドクター・アイゼンバルト。 パッカパパー・・・!わたしはわたしの流儀で病気をなおす。めくらも目明きにしてみせる。いざりもたちまちたちあがる。ブカブカドンドン・・・!(以下略)」(Wiki)。

    ・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ハン・ミュンデンの旧市街を巡るにはこのランゲ通りを中心に歩くのが一番だ。

    投稿日 2020年06月11日

    ランゲ通り ハン・ミュンデン

    総合評価:4.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    *起床6:00、少し早目の朝食(7:50~8:20)をとった。
    昨日は殆ど時間も無くて見ていないハン・ミュンデンの市内見物を予定していたからだ。

    <ハン・ミュンデンの市内見物>  
    8:45~10:35

    ②Langestrasseランゲ(長い)通り:

    北のヴェラ橋から木組みのホテル アイゼンバルト「鉄ヒゲ博士」の前を一直線に南に行く通りがランゲ(長い)通りだ。

    この通りはこの町の木組みの家並みの中心で左右に見栄えある家並みが続く。
    少し行くと旧市街の中心・マルクト広場で、ヴェーザールネサンス様式の市庁舎が現れ、聖ブラジウス教会も見えて来る。
    マルクト広場通りを右に行くとMuehlenstrasse水車小屋の通りに入り、その先は水車小屋橋、タンツの中州、ヴェーザーシュタイン(記念碑)といった観光名所になる。

    また、ヴェラ橋から直ぐ左に行けば一晩レンカーを駐車したWelfenschlossヴェルフェン城(博物館)の前に至る。

    ともかくも、ハン・ミュンデンの旧市街を巡るには、このランゲ通りを中心にすると分かりやすい。

    ・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ハン・ミュンデンのヴェルフェン城はずうたいの大きい城だが観光的には内容がなさそうだ。

    投稿日 2020年06月10日

    ヴェルフェン城 (市立博物館) ハン・ミュンデン

    総合評価:2.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月27日(金) 240km、晴れ、13℃

    <Hann. Muendenハン・ミュンデン>
    https://www.hann.muenden.de/
    ハン・ミュンデンはニーダーザクセン州ゲッティンゲン郡に属す人口23.8千人の小さな田舎町である。この町にはWerraヴェラ、Fuldaフルダ、Weserヴェーザーという3つの川が流れて、周囲を森に囲まれ、赤屋根の町並が織り成す美しさは格別である。
    旧市街は560以上と云われる木組みの家々の町並みでうまり、なかなかのものと思う。
    歴史的には16世紀のミュンデンは水運により、特にテューリンゲンの産品を運ぶため、ブレーメンまでの間で最も重要な商業都市となった。ヴェーザー川を運ばれた産品は当時、重要な青の染料であったウォード、ガラス、繊維製品や、テューリンゲンからの木材で造った筏や穀物であった。
    北海からはニシンやその他の魚がヴェーザー川を遡って運ばれた。
    ・・・・・

    車をヴェルフェン城の前の無料駐車場(ホテルが確保しているようだ)に入れた。木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」の離れた第二駐車場のようなものである。

    そんな事で駐車場を利用したが、博物館以外は、あまり見る価値がなさそうで、今までヴェルフェン城の中に入った事が無い。

    ⑪Welfenschlossヴェルフェン城:

    旧市街の北東の一角に、ヴェラ川に接して立つヴェルフェン城はエーリヒ1世ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公兼カレンベルク・ゲッティンゲン侯によって、1501年にゴシック建築の城館として完成した。
    1560年の火災でほぼ完全に焼失した後、エーリヒ2世によって初期ヴェーザールネサンス様式の城館として再建された。
    その後、ヴェルフェン城はその重要性を失い、領主が時折滞在するだけの場所として利用されていた。1849年に再び火災に遭い南棟が失われたが、再建されていない。

    現在の城館内に壁全体に壁絵が描かれた2つのルネサンス様式の部屋がある。これはヴェルフェン家の時代のものだが、その他について記述がない。

    現在、大きな城館には市立文書館、市立図書館、区裁判所、市立博物館が入っている。


    ・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ツェレ:町一番の木組みの家、Hoppener Hausホッペナーハウスは必見だ!

    投稿日 2020年06月07日

    ポスト通り ツェレ

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月26日(木) 0km、(前半609km)、晴れのち曇り、13℃~18℃

    ①木組みの家並み見学:Hoppener Hausホッペナーハウス
    Poststrasse 8(ポスト通り8番)、若しくはRundestr. 14(ルンデ通り14番)

    「ドイツ木組みの家街道」に連なるツェレの町は16~17世紀に建てられた約400軒の木組みの家で知られている。

    町一番の木組みの家、Hoppener Hausホッペナーハウスは Postポスト通りとRundeルンデ通りの角にある。旧市街で最も有名な木組みの家だから、今回も昨日の到着早々に見て、今日も午後に見た。
    (多分、これが見納めだろうから)

    色とりどりの華やかな木組みの家々が残るツェレの旧市街のなかでも、切妻壁をもつ威風堂々とした最も美しいといわれる家、Hoppener Hausホッペナー・ハウス(1532年)は深い緑色の木枠とレンガ色の色調が実に素晴らしい。
    その木枠部分には神話上の生き物や人物をモチーフにした色鮮やかで細やかな彫刻が施されている。 
    美しい木組みの家は年月と共に色合いのも変わってしまうが、何度見ても印象的だ。

    上部の壁にホッペナーハウスでの*告白公エルンスト1世の画像と建築年が表示されているのが見える。

    *Herzog Ernst I. zu Braunschweig-Lueneburgブラウンシュヴァイク・リューネブルク公エルンスト1世(1497年~1546年、 der Bekenner告白公と呼ばれた)は初期宗教改革におけるプロテスタント派の指導的諸侯で、宗教改革に大いなる功績をあげた。

    尚、ポスト通りの名前で口コミを書くより、本来は観光名所のホッペナーハウスの名で書きたい。

    また、ここに掲載された地図は誤りである。ツェレの旧市街のポスト通りから南に3km下がっていくと、Westercelleヴェスターツェレというツェレの町の一地区があり、ここにもポスト通りがある。こちらのポスト通りを表示しているから全く誤りなのだ。
    試しにホッペナーハウスの住所を調べたが、LTBの観光案内図の方が正確だった。

    因みにいうと、口コミのツェレ市教会、ツェレ美術館の位置を示す図も正確ではない。
    何とかならないのだろうか?

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • ツェレ:ツェルナー通りを中心に、約400軒の木組みの家並みがつくる景観は素晴らしい。

    投稿日 2020年06月06日

    ツェルナー通り ツェレ

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    ⑦木組みの家並みの町めぐり: 
    ツェレの楕円形した旧市街は一番北の道から順次南の道に歩くのが良い。
    それらは順にSchuhstrasse靴通り、Neuen Strasse新通り、Am Heiligen Kreuz聖十字架、Zoellnerstrasseツェルナー通り、Stechbahnシュテッヒバーン通り、Poststrasseポスト通り、Rundestrasseルンデ通り、Mauernstrasseマウエルン通りといったところだ。

    第二次大戦でもほとんど被害を受けなかった旧市街のメイン通りはツェルナー通りと言い、ツェレ城から東に延びる通りで、市庁舎、市教会、ボーマン博物館等の見どころはこの通りの近くにあり、通りの両側はカラフルな木組みの家がずらりと並ぶ景観が見事です。

    聖十字架26番地に立つ「1526年建築のツェレの町で最も古い木組みの家」から、メイン通りのZoellnerstrツェルナー通りを西に市教会・旧市庁舎を目指していくと、ツェラー・グロッケンシュピール(仕掛け時計:Poststrasseポスト通りとぶつかるツェルナー通りの角にある)の建物まで行くと、シュテッヒバーン通りに至る。

    これらの建物は16~17世紀に建てられたもので、その多くが近年当時の雰囲気を残した状態で修復されています。約400軒の木組みの家は大小様々で、木組みの梁に彫られた美しい彫刻、凝った出窓、興味深い店の看板などを見るのは楽しい。
    ドイツは “Deutsche Fachwerk Strasseドイツ木組みの家街道”という呼び名をつけて、観光にも力を入れている町も多い。これらの町々で見る木組みの家並みも良いものだが、なんと言ってもツェレの木組みの家々は黄色やピンク、青、緑で塗られ、色合いは素晴らしく、美しいと思う。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    5.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.5

  • ツェレ旧市街のレストラン シュバイネ・シュルツェには「1842年の秘密の市庁舎」という異称がある。

    投稿日 2020年06月05日

    シュヴァイネ シュルツェ ツェレ

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月26日(木) 0km、(前半609km)、晴れのち曇り、13℃~18℃

    ⑦木組みの家並みの町めぐり:     14:35~14:55

    ツェレ旧市街にはどの通りに入っても、様々な木組みの家が並んでいる。上階にいくほど、前にせり出す独特の建築様式は面白く、1階の広さで税金が決められた当時の苦肉の策・工夫というのだが、ともかく見飽きるほどに多いのだ。
    行ったり来たりして撮った写真も行った時間などで特定する事になる。何度か同じ写真も撮ってしまったが、今回は天気がいまひとつで上天気な時の写真には負ける。

    <レストランSchweine-Schulzeシュバイネ・シュルツェ>
    D-29221 Celle 、Neue Strsse 新通り36番地

    1963年以来、素朴な家庭料理と郷土料理を提供するレストラン

    このレストランは「1842年の秘密の市庁舎」という異称がある。

    それはドイツで知られた名士がしばしば来訪した事に由縁があるようだ。
    Uwe Seelerウーヴェ・ゼーラー(元サッカードイツ代表)、Horst Janssenホルスト・ヤンセン(「デューラーの再来」と言われた天才線描家)、Gerhard Schroederゲルハルト・シュレーダー(元首相)、Helmut Kohlヘルムート・コール(元首相、東西ドイツの統一に功があった)、Roy Blackロイ・ブラック(歌手 役者・俳優 )、Richard Karl Freiherr von Weizsaeckerリヒャルト・カール・フライヘア・フォン・ヴァイツゼッカー(元大統領)、Louis Ferdinand von Preussenルイ・フェルディナント・フォン・プロイセン(ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の孫) 、Hermann Loensヘルマン・レンス(ボーマン博物館内展示で知った19世紀のジャーナリスト・詩人)などの客を迎えたらしい。

    看板写真はツェレ旧市街の木組み建築の家並み・Neue Strsse 新通りのレストランの看板・・・レストランでは食べていない。
    ここについては後で知ったが、この時は看板が面白くて撮った。

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    旅行時期
    2019年09月
    アクセス:
    4.0

  • 古城ホテル フュルステンホフ・ツェレも大きく変わった!

    投稿日 2020年06月04日

    アルトホフ ホテル フュルステンホフ ツェレ

    総合評価:4.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月26日(木) 0km、(前半609km)、晴れのち曇り、13℃~18℃

    ⑥Althoff Hotel Fuerstenhof Celleアルトホフ(古城ホテル)フュルステンホフ・ツェレ:
    13:50~14:00  、  Hannoversche Str. 55/56
    https://www.althoffcollection.com/en/althoff-hotel-fuerstenhof-celle

    5星・全62室、ハノーファー通りに面し、17世紀のバロック様式の宮廷であった5星ホテルAlthoff Hotel Fuerstenhofアルトホフ(古城ホテル)フュルステンホフがある。

    以前はHotel Fuerstenhof Celle(古城ホテル)フュルステンホフ・ツェレと言っていたが、Hotelの前にホテル企業家Althoffアルトホフ氏の率いるグループ名が付いた。
    因みに、このグループは全て5星ホテルで、ミシュラン星付きのグルメレストランを持っているようだ。代表的なのはケルン近郊にあるAlthoff Grandhotel Schloss Bensbergベンスベルク城である。

    ツェレ城から徒歩10分、フランス風庭園から徒歩8分です。2度宿泊したホテルがとても懐かしく、シュロスパークから歩いた。唯、写真を撮って帰って来ただけなのだが・・・。ミシュラン1星のグルメレストラン・エンテンファングでは地中海料理を、Taverna & Trattoria Palioパリオでは美味いイタリア料理を味わえると云う。

    経営母体が変わり、もうこのホテルもかつての鴨料理のようなものにありつけるのは無理そうだ。ツェレの町同様に、ホテルも中心はイタリア料理なのだ。

    (参考)グルメレストランのRestaurant Endtenfangレストラン・エンテンファング(鴨の罠、若しくは鴨の捕獲を意味して、ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公爵家が鴨を罠で捕らえ、この肉を焼いて、食事を楽しんだと言う何百年もの伝統に、その名は由来する。ミシュランの一つ星付きフレンチレストラン)は中世以来の鴨料理を得意としています。ホテルのお客はこれを目当てにやってくるそうだ。2005年4月25日~27日に2泊した。この旅で一番の贅沢がこのホテルの宿泊とエンテンファングでの食事でした。
    1982年4月9日、2度目のドイツ駐在で、週末を利用してこちら方面に家族旅行をした。その際、初めて一泊し、このレストランで食事をしましたが、その時の鴨料理が大変、美味しかった思い出が残りました。

    口コミ<ホテル自慢の“鴨料理”を楽しんだ古城ホテル・フュルステンホフ・ツェレ>
    https://4travel.jp/os_hotel_tips_each-11206318.html

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    ロケーション:
    5.0

  • ツェレ市教会には歴史的に評価の高いヴェルフェン侯爵家の墓(霊廟)がある。

    投稿日 2020年06月03日

    市教会 (ツェレ) ツェレ

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月26日(木) 0km、(前半609km)、晴れのち曇り、13℃~18℃

    ③Stadtkirche St. Marien市教会・聖マリアと侯爵家の墓(霊廟): 
    10:15~10:30

    現在の教会の塔(高さ74m)は1913年に追加されたものだが、元来は中世の起源があるプロテスタント市教会・聖マリアである。

    この教会内には歴史的に評価の高いヴェルフェン侯爵家の墓(霊廟)(ゲオルク・ヴィルヘルム公が造った)がある。
    そこにはヴィルヘルム・デア・ユンゲレ公(1535年~1592年)を筆頭に、ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公国ゲオルク・ヴィルヘルム公(1624年~1705年)と妃エレオノール・ドルブリューズなど17の墓がある。

    17の数に含まれるが、「恋愛事件」で知られた二人が墓を並べていると云う。
    ゲオルク・ヴィルヘルム公の娘、アールデン城に32年も幽囚されたゾフィー・ドロテア・フォン・ツェレ(アールデンの王女として知られる)が墓に埋葬されている。
    また、似たような人生を送り23歳の若さで亡くなったデンマークの女王カロリーネ・マティルデ(1751年~1775年)の墓がある。
    彼女は17番目、最後に埋葬された者になる。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

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33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎ82歳になりましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2026.02.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2026年を迎えている。

(2026.02.11.)

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