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jijidarumaさんのクチコミ(19ページ)全659件

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  • ハン・ミュンデン:朝市が出ていたマルクト広場は旧市街のランゲ通りとツィーゲル通りに挟まれた中間にある。

    投稿日 2020年06月17日

    マルクト広場 (ハン ミュンデン) ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    マルクト広場は旧市街のメイン・Langeランゲ(長い)通りとZiegelツィーゲル(レンガ)通りに挟まれた中間にある。
    北のヴェラ橋(ヴェラ川)から南に行くと、マルクト通りに面したマルクト広場、市庁舎、聖ブラジウス教会の順に見る事になる。
    近くにこの町を代表する鉄ひげ博士の家(Lange Str. 79番地)もある。
    この日は土曜日でマルクト広場では朝市が出ていた。ドイツの朝市には見慣れてしまい、市役所の入口前のテラスから見下しただけだったが。

    マルクト通りを西に行くと、Muehlenstrasse水車小屋の通りになり、右手に市城壁(要塞都市ハン・ミュンデンを示す城壁)の一部が残っているのが見える。
    フルダ川に架かる水車小屋の橋を渡れば、Wesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)のあるTanzwederタンツの中州に行ける。

    尚、マルクト広場の西側を南に行くZiegelツィーゲル(レンガ)通りにはウェーザールネサンス様式と呼ばれるこの地方特有の美しい木組みの家が並ぶ一角がある。
    特に1400年頃に建てられたゴシック様式木組みの家「Hotel Alte Windmuehleホテル・アルテ・ヴィントミューレ(ホテル古い風車)」(レンガ通り66番地)が目につく。
    ハン・ミュンデンは質と量に富んだ木組みの家並みが見られ、市城壁内のいわゆる旧市街の建物の79%が木組みの家と云われている。ルネサンスとバロック様式の建物の割合は特に高く、272の建物があるという。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5

  • ハン・ミュンデン:お気に入りのヴェーザーの石碑、この日最も訪れてたかったのはここだ。

    投稿日 2020年06月19日

    ヴェーザーシュタイン ハン・ミュンデン

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    マルクト広場から左のMuehlenstrasse水車小屋の通りを行くと、右手に市城壁(要塞都市ハン・ミュンデンを示す城壁)の一部が残っているのが見える。
    Tanzwederタンツの中州に向かう。

    ⑨Fuldaフルダ川:
    フルダ川はヘッセン州・Rhoenレーン山地にあるWasserkuppeヴァッサークッペ山に源流がある。メルヘン街道沿いにある、三つの川が合流する町と呼ばれるハン・ミュンデン(ニーダーザクセン州)までを流れる。ここでフルダ川はWerraヴェラ川と合流し、Weserヴェーザー川となって北海に至る。全長218km。ヘッセン州で最も長い川でもある。

    ⑩Tanzwederタンツの中州にあるWesersteinヴェーザーシュタイン:
    Muehlenbruecke水車小屋の橋の下はフルダ川が流れる。
    橋の上から見ると結構水量がある。橋を渡り切ると、広大な駐車場もあるTanzwederタンツの中州に入る。

    中州公園の先端にはヴェラ、フルダ、ヴェーザー・三つの川の合流点であるWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)がある。
    この日の最も訪れてたかったのはここだった。言わば、お気に入りなのだ。

    先端の大きなRosskastanienロスカスターニアン(マロニエ、トチノ木)の木は更に立派に育ち、大きな実も落ちていた。
    その木の下にWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)と呼ばれる記念碑が立っている。

    何やら、木や柱にHeimat故郷などの言葉を付けては写真を撮っていた方に私共も撮って頂いた。それが下の写真だ。
    ご親切な方でしたが、私共も日本に戻る日も近づいてきて、「Heimat故郷」の言葉が嬉しい。

    ・・・・・・・・・・

    恒例のお気に入りの碑文は以下:

    ハン・ミュンデンのフルダ川とヴェラ川が合流してヴェーザー川となる地点に、1899年7月末に以下の詩文を刻んだプレートをつけた石碑が建てられた。

    Wo Werra sich und Fulda kuessen
    Sie ihre Namen buessen muessen,
    Und hier entsteht durch diesen Kuss
    Deutsch bis zum Meer der Weser Fluss.

    Hann. Muenden, d. 31. Juli 1899

    (ヴェラ川とフルダ川がキスをして
     その償いにその名を捨てる
     そしてそのキスから生まれた
     ヴェーザー川がドイツを抜けて海へ向かう
      ハン・ミュンデン、1899年7月31日)

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    5.0

  • ハン・ミュンデン:聖ブラジウス教会とハーゼルヌス(ヘーゼルナッツ)拾いの事

    投稿日 2020年06月17日

    聖ブラジウス教会 ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ⑦St.Blasiuskirche聖ブラジウス教会とハーゼルヌス拾い:
    市庁舎の裏側に茶色の重厚な聖ブラジウス教会(三廊式、ゴシック様式のホール教会)が建っている。工期は13世紀末から16世紀末までかかった。

    聖ブラジウス教会傍に大きなHaselnussハーゼルヌス(ヘーゼルナッツ:ドイツで有名な「Nutella(ヌッテラ)」という、パンなどに塗って食べるチョコレートクリームにも使われている)の木が立っていて、その実を拾う奥さんがいた。
    偶々足元に大きな実が落ちていたので、拾ってあげた。
    袋にたくさん入っていて、お菓子(料理)に利用すると言っていた。

    この教会ではこの出来事が一番記憶に残っている。
    ・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • 「ハン・ミュンデン攻城戦」を記念したティリー砦と呼ばれる展望塔が、旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にある。

    投稿日 2020年06月16日

    ティリーシャンツェ ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ③Tillyschanzeティリーシャンツェ(ティリー砦):
    Tillyschanzenweg 4

    旧市街からフルダ川越しに見える丘の上にティリーシャンツェ(ティリー砦)と呼ばれる展望塔がある。フルダ川と赤い屋根の旧市街の展望を楽しめそうだが、いまだかつて登った事が無い。もう70代半ばにもなると、メンドクサイのだ。
    今日も遠くの写真を撮っただけだ。

    ティリーシャンツェ(ティリー砦)は三十年戦争時(1626年)、キリスト教旧教派の皇帝軍の名だたる将軍ティリー伯によるミュンデン攻城戦を記念し、1881年から1885年に建設されたと云う。最近の研究によれば、ティリー伯は大砲をこの高地ではなく、フルダ川の川岸に配置したとの事で、あまり必然性のない展望台になってしまったようだ。
    いずれにせよ、このティリー将軍は旅先の各地に出没する歴史的有名人だ。

    さて其の攻城戦だが、世にいう「ハン・ミュンデン攻城戦」は1626年6月9日から、5日間の砲撃の末、「血の聖霊降臨祭(キリストの復活のできごとから50日目)」と呼ばれる日になった。この日、10,000人にのぼるティリー伯の軍勢にミュンデンの町は占領され、800人のデンマーク人守備隊と、ほぼ町の人口にあたる2,000人の住民が虐殺された。
    砲撃に対して脆弱だった城塞も原因だったと云う。

    Johann T’Serclaes Graf von Tillyヨハン・セルクラエス・グラーフ・フォン・ティリー伯爵(1559年~1632年)は、ブラバント公国のヴィレス・ラ・ヴィル(現在のベルギー・ブラバン・ワロン州)出身の将軍、傭兵隊長。三十年戦争ではバイエルン軍を率い、カトリック連盟と帝国軍の両方の最高司令官を務めた。
    敬虔なカトリック信徒で「甲冑をまとった修道士」と呼ばれた。

    ティリー伯は三十年戦争における1632年4月15日のドイツ・「Schlacht bei Rain am Lechレヒ川の戦い」で命を落とした。(レヒ川はオーストリアとドイツを流れる川。ドナウ川の支流で全長264km)
    この戦いはスウェーデン王グスタフ2世アドルフ(1632年11月16日のライプツィヒ南西、「Schlacht bei Luetzenリュッツェンの戦い」で戦死)率いるスウェーデン軍及びプロテスタント諸侯の連合軍と、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍が交戦し、スウェーデン軍が勝利した。
    この戦いでティリー伯は負傷、その傷は重く破傷風を併発し、バイエルンのインゴルシュタットで死去した。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    2.5

  • ハン・ミュンデン:マルクト広場に立つ市庁舎では「鉄ひげ博士の仕掛け時計」が人気だ。

    投稿日 2020年06月13日

    鉄ひげ博士の仕掛け時計 (市庁舎の仕掛け時計) ハン・ミュンデン

    総合評価:4.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ⑧’マルクト広場と市庁舎の仕掛け時計:

    広場はさほど広くないが5、6階建ての木組みの家が両側に並び、その奥に市庁舎がある。
    マルクト広場に面して現存する市庁舎は14世紀の庁舎を1616年に改築したもので、3連の切妻屋根を持ち、中央と右側の建物には美しい装飾扉がある。

    仕掛け時計は両側に鐘のある窓から人形が出て来る。

    12時、15時、17時から仕掛け時計があり、「私はドクター・アイゼンバルト」のメロディーが流れると窓が開き、模擬の窓から大きな義歯用のハサミを持った博士、左側の窓から助手に抑えられた患者が出てきて博士の後に道化師がアクロバットの演技をする。

    また、夏の土曜日13:30から市庁舎のホールで鉄ひげ博士の講義という野外劇が催される。

    今日は仕掛け時計の演奏時間には町を出ていたから、見ないままだが、仕掛け時計を見るのは旅の記念になり、楽しいだろう。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.5

  • ハン・ミュンデン:旧市街の中心に立つ市庁舎は3連の切妻屋根を持ち、中央と右側の建物には美しい装飾がある。

    投稿日 2020年06月11日

    市庁舎 (ハン ミュンデン) ハン・ミュンデン

    総合評価:4.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ⑧マルクト広場の市庁舎:

    広場はさほど広くないが5、6階建ての木組みの家が両側に並び、その奥に市庁舎がある。マルクト広場に面して現存する市庁舎は14世紀の庁舎を1616年に改築したもので、3連の切妻屋根を持ち、中央と右側の建物には美しい装飾がある。

    地下には昨夜夕食を取ったレストラン・ラーツブラウハウスがあり、鉄ひげ印の地ビールが飲める。

    各地の見る「Hochwasserホッホヴァッサー(洪水)」の標が、ここでも市庁舎の建物横の壁に書いてある。1643年、1682年、1841年のいずれも1月に発生したようだ。
    他の場所でみたものはもっと洪水の発生も多く、近年では1995年1月とあった。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ハン・ミュンデン:"わたしが鉄ヒゲ博士(ドクター・アイゼンバルト)Ich bin der Doktor Eisenbarth"

    投稿日 2019年05月14日

    鉄ひげ博士の家 (ドクター アイゼンバールト死去の家) ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    ④鉄ひげ博士の家:Lange Str. 79

    鉄ひげ博士の家は旧市街のメインストリートのランゲ通り79番地にある。
    ランゲ通りは直線で300m程度の通りだが両側に美しい木組みの建物が並んでいる。
    建物は高いものは5~6階建てで梁に彫られた彫刻や出窓が美しい。

    「鉄ひげ博士」Dr.アイゼンバルトの家は梁に大きな注射器を持った博士のカラーの木彫りがあるのですぐわかる。
    博士像の下にある文字盤に「此処(この家)で博士は活躍し、死去した。彼は彼の評判とは違っていた」とある。

    この町を有名にしたのも藪医者の代名詞となっているDr.Eisenbart鉄ひげ博士だが、実際は意欲的な、真面目な医者であったそうだ。


    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4月29 日 (金)  曇り時にシャワー11℃

    ハン・ミュンデンに10:15到着。人口2万6千人の小さな田舎町は3つの川が流れて、周囲を森に囲まれ、赤屋根の町並が織り成す美しさは格別だ。旧市街は700以上と言われる木組みの家々の街並みでうまり、なかなかのものだ。
    マルクト広場にはヴェーザー・ルネサンス様式の市庁舎、聖ブラジウス教会、博物館になっているWelfenschlossヴェルフェン城等がある。

    旧市街の中心・ランゲ通りを行くと、Dr.Eisenbartアイゼンバルト(鉄ひげ)博士(藪医者の代名詞となっているが、実際は意欲的な、真面目な医者であったそうだ。夏には博士の野外劇もある)という実在の医者の家、其の名を付けた薬局もあり、大きな注射器を持った博士の看板が面白い。

    *Johann Andreas Eisenbarthヨハン・アンドレアス・アイゼンバルト(1663~1727年)は17世紀のドイツの医者である。ドイツの各地をサーカス巡業のような方法で治療旅行し、自家製の薬を売り歩いた。
    バイエルン州のオーベルフィーヒタッハ(現シュヴァンドルフ郡)の出身である。祖父も父親も床屋医師で、アイゼンバルトは目の手術や骨折の治療を得意とした。義理の兄弟からも医学の知識を得た。

    アイゼンバルト博士と呼ばれたが、もちろん博士号を得てはいなかった。アイゼンバルトは、通常120人にも及ぶ芸人や道化師、楽隊とともにドイツの各地を旅した。多くの見物客を集め、楽隊が音楽を奏で、コーラスがアイゼンバルトを称える歌を歌う中で治療を行った。自家製の薬を製造し、大規模に販売したと云う。

    尚、1800年頃、"Ich bin der Doktor Eisenbarthわたしが、ドクター・アイゼンバルト" という歌がドイツで流行した。歌詞は以下である。

    https://www.youtube.com/watch?v=nOp334i0OPE

    „Ich bin der Doktor Eisenbarth,
    widewidewitt, bum bum
    Kurir die Leut nach meiner Art,
    widewidewitt, bum bum
    Kann machen, dass die Blinden gehn,
    Und dass die Lahmen wieder sehn.
    Gloria, Viktoria, widewidewitt juchheirassa!
    Gloria, Viktoria, widewidewitt, bum bum.

    邦書では原田恒雄氏のビールに関するエッセー、『金のジョッキに、銀の泡』で以下のような詞で紹介されている。
    「わたしが、ドクター・アイゼンバルト。 パッカパパー・・・!わたしはわたしの流儀で病気をなおす。めくらも目明きにしてみせる。いざりもたちまちたちあがる。ブカブカドンドン・・・!(以下略)」(Wiki)。

    ・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ハン・ミュンデンの旧市街を巡るにはこのランゲ通りを中心に歩くのが一番だ。

    投稿日 2020年06月11日

    ランゲ通り ハン・ミュンデン

    総合評価:4.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    *起床6:00、少し早目の朝食(7:50~8:20)をとった。
    昨日は殆ど時間も無くて見ていないハン・ミュンデンの市内見物を予定していたからだ。

    <ハン・ミュンデンの市内見物>  
    8:45~10:35

    ②Langestrasseランゲ(長い)通り:

    北のヴェラ橋から木組みのホテル アイゼンバルト「鉄ヒゲ博士」の前を一直線に南に行く通りがランゲ(長い)通りだ。

    この通りはこの町の木組みの家並みの中心で左右に見栄えある家並みが続く。
    少し行くと旧市街の中心・マルクト広場で、ヴェーザールネサンス様式の市庁舎が現れ、聖ブラジウス教会も見えて来る。
    マルクト広場通りを右に行くとMuehlenstrasse水車小屋の通りに入り、その先は水車小屋橋、タンツの中州、ヴェーザーシュタイン(記念碑)といった観光名所になる。

    また、ヴェラ橋から直ぐ左に行けば一晩レンカーを駐車したWelfenschlossヴェルフェン城(博物館)の前に至る。

    ともかくも、ハン・ミュンデンの旧市街を巡るには、このランゲ通りを中心にすると分かりやすい。

    ・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ハン・ミュンデンのヴェルフェン城はずうたいの大きい城だが観光的には内容がなさそうだ。

    投稿日 2020年06月10日

    ヴェルフェン城 (市立博物館) ハン・ミュンデン

    総合評価:2.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月27日(金) 240km、晴れ、13℃

    <Hann. Muendenハン・ミュンデン>
    https://www.hann.muenden.de/
    ハン・ミュンデンはニーダーザクセン州ゲッティンゲン郡に属す人口23.8千人の小さな田舎町である。この町にはWerraヴェラ、Fuldaフルダ、Weserヴェーザーという3つの川が流れて、周囲を森に囲まれ、赤屋根の町並が織り成す美しさは格別である。
    旧市街は560以上と云われる木組みの家々の町並みでうまり、なかなかのものと思う。
    歴史的には16世紀のミュンデンは水運により、特にテューリンゲンの産品を運ぶため、ブレーメンまでの間で最も重要な商業都市となった。ヴェーザー川を運ばれた産品は当時、重要な青の染料であったウォード、ガラス、繊維製品や、テューリンゲンからの木材で造った筏や穀物であった。
    北海からはニシンやその他の魚がヴェーザー川を遡って運ばれた。
    ・・・・・

    車をヴェルフェン城の前の無料駐車場(ホテルが確保しているようだ)に入れた。木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」の離れた第二駐車場のようなものである。

    そんな事で駐車場を利用したが、博物館以外は、あまり見る価値がなさそうで、今までヴェルフェン城の中に入った事が無い。

    ⑪Welfenschlossヴェルフェン城:

    旧市街の北東の一角に、ヴェラ川に接して立つヴェルフェン城はエーリヒ1世ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公兼カレンベルク・ゲッティンゲン侯によって、1501年にゴシック建築の城館として完成した。
    1560年の火災でほぼ完全に焼失した後、エーリヒ2世によって初期ヴェーザールネサンス様式の城館として再建された。
    その後、ヴェルフェン城はその重要性を失い、領主が時折滞在するだけの場所として利用されていた。1849年に再び火災に遭い南棟が失われたが、再建されていない。

    現在の城館内に壁全体に壁絵が描かれた2つのルネサンス様式の部屋がある。これはヴェルフェン家の時代のものだが、その他について記述がない。

    現在、大きな城館には市立文書館、市立図書館、区裁判所、市立博物館が入っている。


    ・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ツェレ:町一番の木組みの家、Hoppener Hausホッペナーハウスは必見だ!

    投稿日 2020年06月07日

    ポスト通り ツェレ

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月26日(木) 0km、(前半609km)、晴れのち曇り、13℃~18℃

    ①木組みの家並み見学:Hoppener Hausホッペナーハウス
    Poststrasse 8(ポスト通り8番)、若しくはRundestr. 14(ルンデ通り14番)

    「ドイツ木組みの家街道」に連なるツェレの町は16~17世紀に建てられた約400軒の木組みの家で知られている。

    町一番の木組みの家、Hoppener Hausホッペナーハウスは Postポスト通りとRundeルンデ通りの角にある。旧市街で最も有名な木組みの家だから、今回も昨日の到着早々に見て、今日も午後に見た。
    (多分、これが見納めだろうから)

    色とりどりの華やかな木組みの家々が残るツェレの旧市街のなかでも、切妻壁をもつ威風堂々とした最も美しいといわれる家、Hoppener Hausホッペナー・ハウス(1532年)は深い緑色の木枠とレンガ色の色調が実に素晴らしい。
    その木枠部分には神話上の生き物や人物をモチーフにした色鮮やかで細やかな彫刻が施されている。 
    美しい木組みの家は年月と共に色合いのも変わってしまうが、何度見ても印象的だ。

    上部の壁にホッペナーハウスでの*告白公エルンスト1世の画像と建築年が表示されているのが見える。

    *Herzog Ernst I. zu Braunschweig-Lueneburgブラウンシュヴァイク・リューネブルク公エルンスト1世(1497年~1546年、 der Bekenner告白公と呼ばれた)は初期宗教改革におけるプロテスタント派の指導的諸侯で、宗教改革に大いなる功績をあげた。

    尚、ポスト通りの名前で口コミを書くより、本来は観光名所のホッペナーハウスの名で書きたい。

    また、ここに掲載された地図は誤りである。ツェレの旧市街のポスト通りから南に3km下がっていくと、Westercelleヴェスターツェレというツェレの町の一地区があり、ここにもポスト通りがある。こちらのポスト通りを表示しているから全く誤りなのだ。
    試しにホッペナーハウスの住所を調べたが、LTBの観光案内図の方が正確だった。

    因みにいうと、口コミのツェレ市教会、ツェレ美術館の位置を示す図も正確ではない。
    何とかならないのだろうか?

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • ツェレ:ツェルナー通りを中心に、約400軒の木組みの家並みがつくる景観は素晴らしい。

    投稿日 2020年06月06日

    ツェルナー通り ツェレ

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    ⑦木組みの家並みの町めぐり: 
    ツェレの楕円形した旧市街は一番北の道から順次南の道に歩くのが良い。
    それらは順にSchuhstrasse靴通り、Neuen Strasse新通り、Am Heiligen Kreuz聖十字架、Zoellnerstrasseツェルナー通り、Stechbahnシュテッヒバーン通り、Poststrasseポスト通り、Rundestrasseルンデ通り、Mauernstrasseマウエルン通りといったところだ。

    第二次大戦でもほとんど被害を受けなかった旧市街のメイン通りはツェルナー通りと言い、ツェレ城から東に延びる通りで、市庁舎、市教会、ボーマン博物館等の見どころはこの通りの近くにあり、通りの両側はカラフルな木組みの家がずらりと並ぶ景観が見事です。

    聖十字架26番地に立つ「1526年建築のツェレの町で最も古い木組みの家」から、メイン通りのZoellnerstrツェルナー通りを西に市教会・旧市庁舎を目指していくと、ツェラー・グロッケンシュピール(仕掛け時計:Poststrasseポスト通りとぶつかるツェルナー通りの角にある)の建物まで行くと、シュテッヒバーン通りに至る。

    これらの建物は16~17世紀に建てられたもので、その多くが近年当時の雰囲気を残した状態で修復されています。約400軒の木組みの家は大小様々で、木組みの梁に彫られた美しい彫刻、凝った出窓、興味深い店の看板などを見るのは楽しい。
    ドイツは “Deutsche Fachwerk Strasseドイツ木組みの家街道”という呼び名をつけて、観光にも力を入れている町も多い。これらの町々で見る木組みの家並みも良いものだが、なんと言ってもツェレの木組みの家々は黄色やピンク、青、緑で塗られ、色合いは素晴らしく、美しいと思う。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    5.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.5

  • ツェレ旧市街のレストラン シュバイネ・シュルツェには「1842年の秘密の市庁舎」という異称がある。

    投稿日 2020年06月05日

    シュヴァイネ シュルツェ ツェレ

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月26日(木) 0km、(前半609km)、晴れのち曇り、13℃~18℃

    ⑦木組みの家並みの町めぐり:     14:35~14:55

    ツェレ旧市街にはどの通りに入っても、様々な木組みの家が並んでいる。上階にいくほど、前にせり出す独特の建築様式は面白く、1階の広さで税金が決められた当時の苦肉の策・工夫というのだが、ともかく見飽きるほどに多いのだ。
    行ったり来たりして撮った写真も行った時間などで特定する事になる。何度か同じ写真も撮ってしまったが、今回は天気がいまひとつで上天気な時の写真には負ける。

    <レストランSchweine-Schulzeシュバイネ・シュルツェ>
    D-29221 Celle 、Neue Strsse 新通り36番地

    1963年以来、素朴な家庭料理と郷土料理を提供するレストラン

    このレストランは「1842年の秘密の市庁舎」という異称がある。

    それはドイツで知られた名士がしばしば来訪した事に由縁があるようだ。
    Uwe Seelerウーヴェ・ゼーラー(元サッカードイツ代表)、Horst Janssenホルスト・ヤンセン(「デューラーの再来」と言われた天才線描家)、Gerhard Schroederゲルハルト・シュレーダー(元首相)、Helmut Kohlヘルムート・コール(元首相、東西ドイツの統一に功があった)、Roy Blackロイ・ブラック(歌手 役者・俳優 )、Richard Karl Freiherr von Weizsaeckerリヒャルト・カール・フライヘア・フォン・ヴァイツゼッカー(元大統領)、Louis Ferdinand von Preussenルイ・フェルディナント・フォン・プロイセン(ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の孫) 、Hermann Loensヘルマン・レンス(ボーマン博物館内展示で知った19世紀のジャーナリスト・詩人)などの客を迎えたらしい。

    看板写真はツェレ旧市街の木組み建築の家並み・Neue Strsse 新通りのレストランの看板・・・レストランでは食べていない。
    ここについては後で知ったが、この時は看板が面白くて撮った。

    ・・・・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    アクセス:
    4.0

  • 古城ホテル フュルステンホフ・ツェレも大きく変わった!

    投稿日 2020年06月04日

    アルトホフ ホテル フュルステンホフ ツェレ

    総合評価:4.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月26日(木) 0km、(前半609km)、晴れのち曇り、13℃~18℃

    ⑥Althoff Hotel Fuerstenhof Celleアルトホフ(古城ホテル)フュルステンホフ・ツェレ:
    13:50~14:00  、  Hannoversche Str. 55/56
    https://www.althoffcollection.com/en/althoff-hotel-fuerstenhof-celle

    5星・全62室、ハノーファー通りに面し、17世紀のバロック様式の宮廷であった5星ホテルAlthoff Hotel Fuerstenhofアルトホフ(古城ホテル)フュルステンホフがある。

    以前はHotel Fuerstenhof Celle(古城ホテル)フュルステンホフ・ツェレと言っていたが、Hotelの前にホテル企業家Althoffアルトホフ氏の率いるグループ名が付いた。
    因みに、このグループは全て5星ホテルで、ミシュラン星付きのグルメレストランを持っているようだ。代表的なのはケルン近郊にあるAlthoff Grandhotel Schloss Bensbergベンスベルク城である。

    ツェレ城から徒歩10分、フランス風庭園から徒歩8分です。2度宿泊したホテルがとても懐かしく、シュロスパークから歩いた。唯、写真を撮って帰って来ただけなのだが・・・。ミシュラン1星のグルメレストラン・エンテンファングでは地中海料理を、Taverna & Trattoria Palioパリオでは美味いイタリア料理を味わえると云う。

    経営母体が変わり、もうこのホテルもかつての鴨料理のようなものにありつけるのは無理そうだ。ツェレの町同様に、ホテルも中心はイタリア料理なのだ。

    (参考)グルメレストランのRestaurant Endtenfangレストラン・エンテンファング(鴨の罠、若しくは鴨の捕獲を意味して、ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公爵家が鴨を罠で捕らえ、この肉を焼いて、食事を楽しんだと言う何百年もの伝統に、その名は由来する。ミシュランの一つ星付きフレンチレストラン)は中世以来の鴨料理を得意としています。ホテルのお客はこれを目当てにやってくるそうだ。2005年4月25日~27日に2泊した。この旅で一番の贅沢がこのホテルの宿泊とエンテンファングでの食事でした。
    1982年4月9日、2度目のドイツ駐在で、週末を利用してこちら方面に家族旅行をした。その際、初めて一泊し、このレストランで食事をしましたが、その時の鴨料理が大変、美味しかった思い出が残りました。

    口コミ<ホテル自慢の“鴨料理”を楽しんだ古城ホテル・フュルステンホフ・ツェレ>
    https://4travel.jp/os_hotel_tips_each-11206318.html

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    ロケーション:
    5.0

  • ツェレ市教会には歴史的に評価の高いヴェルフェン侯爵家の墓(霊廟)がある。

    投稿日 2020年06月03日

    市教会 (ツェレ) ツェレ

    総合評価:4.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月26日(木) 0km、(前半609km)、晴れのち曇り、13℃~18℃

    ③Stadtkirche St. Marien市教会・聖マリアと侯爵家の墓(霊廟): 
    10:15~10:30

    現在の教会の塔(高さ74m)は1913年に追加されたものだが、元来は中世の起源があるプロテスタント市教会・聖マリアである。

    この教会内には歴史的に評価の高いヴェルフェン侯爵家の墓(霊廟)(ゲオルク・ヴィルヘルム公が造った)がある。
    そこにはヴィルヘルム・デア・ユンゲレ公(1535年~1592年)を筆頭に、ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公国ゲオルク・ヴィルヘルム公(1624年~1705年)と妃エレオノール・ドルブリューズなど17の墓がある。

    17の数に含まれるが、「恋愛事件」で知られた二人が墓を並べていると云う。
    ゲオルク・ヴィルヘルム公の娘、アールデン城に32年も幽囚されたゾフィー・ドロテア・フォン・ツェレ(アールデンの王女として知られる)が墓に埋葬されている。
    また、似たような人生を送り23歳の若さで亡くなったデンマークの女王カロリーネ・マティルデ(1751年~1775年)の墓がある。
    彼女は17番目、最後に埋葬された者になる。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ツェレ:ボーマン博物館はニーダーザクセン州最大の文化史博物館である。

    投稿日 2020年06月02日

    ボーマン博物館 ツェレ

    総合評価:4.5

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月26日(木) 0km、(前半609km)、晴れのち曇り、13℃~18℃

    Bomann-Museumボーマン博物館:Schlossplatz 7   
    10:45~13:00
    http://www.bomann-museum.de/
    開館時間:火~日11時から17時。入場券:大人Euro8。

    ツェレ城の向かい側にあるボーマン博物館はニーダーザクセン州の民俗学、
    州とツェレの歴史、そしてかつてのハノーファー王国の歴史などの博物館
    として1892年に開設されたもので、ニーダーザクセン州最大の文化史博物館
    の一つと云われている。
    館内には古代から現代、農業・工業・軍事の歴史、特別展示室のタンジー・
    ミニチュアコレクション、栄誉の間、民族衣装などが展示されている。 

    3階建ての郷土博物館だけに雑多と思える展示が並ぶ。
    いつものように一番上のDachgeschoss屋根裏階から見た。

    多岐にわたる詳細はHPや、関連旅行記をご参照下さい。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.5

  • ツェレ観光のスタートはこの観光案内所から始まる。

    投稿日 2020年06月01日

    観光案内所 (ツェレ) ツェレ

    総合評価:4.0

    2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月25日(水) 124km、 雨上がり曇りのち晴れ、13℃~18℃

    <Celleツェレ>
    ツェレはニーダーザクセン州に属する中都市、人口は約7万人。
    ヴェーザー川の支流Allerアラー川(全長263km)が町を流れる。
    「北ドイツの真珠」と呼ばれ、ルネサンスとバロック様式のツェレ宮殿と、絵のように美しい旧市街に400もの木組みの家並みが残り、その景観は素晴らしい。
    ニーダーザクセン州の州都ハノーファーはツェレから南西に40kmの距離、ヒルデスハイムは南に60 km、ハンブルクは北に120 kmの距離にある。

    Alte Rathaus旧市庁舎と観光案内所: 

    旧市街の中心にあり、木組みの家並みを通っていれば、どの通りを歩いても何となくこの市庁舎建物の前に立つことになるから、便利で目立つのだ。
    ツェレ観光の目玉であるツェレ宮殿やボーマン博物館とはここから数分の距離だ。

    現在は一階正面に観光案内所が入っている。スタッフは皆親切で必要な資料や情報はここで得ることができる。

    尚、観光案内所の入り口左右にPrangersaeule罪人さらし台(支柱)が首輪付きで立っている。かつて庁舎1階に裁判所があり、そこで使用していたものと云う。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年09月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • ハン・ミュンデン:旧市街のLangeランゲ(長い)通りには木組みの家並みが続く。

    投稿日 2019年05月12日

    ランゲ通り ハン・ミュンデン

    総合評価:4.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4月29 日 (金)  曇り時にシャワー11℃

    Hann. Muendenハン・ミュンデンに10:15到着。
    人口2万6千人の小さな田舎町は3つの川が流れて、周囲を森に囲まれ、赤屋根の町並が織り成す美しさは格別だ。
    旧市街は700以上と言われる木組みの家々の街並みでうまり、なかなかのものだ。

    時々、小雨の降る中、ハン・ミュンデンの旧市街、木組みの家並みのLangeランゲ(長い)通りを通って、ヴェラ橋に行く。
    ランゲ通りを戻ってくると、素敵なテーブルクロス、刺繍品のお店Handarbeiten Rehberg手芸品店レーベルクが目に付く。お土産にと思って、入ってみると、ハンドアルバイトの品々で、気に入った柄の品々も多い。
    娘達へのお土産にしても良いかと思い、テーブルクロス3組、ノレン2組を購入する(Euro 226.9)。

    店には入れかわり、たち代わり、中高年の小母さん達がやってくる。自分達でハンドアルバイトする為、原材料を買いに来ているそうだ。
    むしろ製品を買う観光客は良いお客だったのでしょう。嬉しい事に店の奥さんから、ハープの匂い袋をプレゼントしてもらった。

    ・・・・・

    尚、2019年9月の旅はハン・ミュンデンの旧市街にある
    Fachwerk-Hotel Eisenbart木組みの家ホテル アイゼンバルト(鉄ヒゲ)
    D-34346 Hann. Muenden 、Lange Strasse 6-10
    で1泊する。既に予約済みだ。

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • バート・ゾーデン・アレンドルフ:お目当てのシューベルトの「泉に添いて、茂る菩提樹」の大木が残る。

    投稿日 2020年05月30日

    観光案内所 (バート ゾーデン アレンドルフ) その他の都市

    総合評価:5.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    5/02 (月)快晴 26℃ 157km

    アレンドルフ側のマルクト広場に木組み建築の市庁舎があり、木組みの街並みを過ぎると街の外に出る石門に至る。
    この町一番のお目当てと思う、シューベルトの「Linde am Brunnen vor dem Tore泉に添いて、茂る菩提樹(1827年作曲)」を見に行く。

    この曲の一番は中学の音楽の時間に歌った記憶が残っていて、今でも口ずさめる。
    歌で表現されているままに、緑の色濃くなった、見事な菩提樹の大木があり、その側には泉があり、シューベルトの曲を記した記念碑も立っていた。

    わざわざ、これを見に来る人は我々ぐらいで、近くで庭仕事をしているドイツ人も、菩提樹や泉の写真を撮っている我々を物珍しそうに見ていた。

    すでに昔から約 1000 m の木製の水道管が水源から、門前の泉と称される、南の市門前の泉まで設けられていたと云う。1218年にその傍らに菩提樹が植えられた。1827年に馬留めが設けられた。

    菩提樹、泉、馬留めの傍をフランクフルトからリューベックへの通商路が通った。
    デッサウ出身の抒情詩人ヴィルヘルム・ミュラーは、旅の途中でこの情景を見て「菩提樹」のインスピレーションを得たとされている。
    因みにミュラーは1820年に「美しき水車小屋の娘」、1824年に「冬の旅」を連作詩として書いた。
    馬留めは現存し、それ以前に建造されていた泉もオリジナルのままだそうだ。
    菩提樹は1912年に新たに植え直され、石門は1997年に再建されたものである。

    *菩提樹(ぼだいじゅ)はフランツ・シューベルト(1797~1828年)の歌曲集『冬の旅(1827年)』の5曲目で、作詞はヴィルヘルム・ミュラー(1794~1827年)。
    恋に破れた若者が旅立つ時に、以前は町の門の前にある菩提樹の木陰で甘い夢を見ていたことをなつかしむ歌。
    作詞:ヴィルヘルム・ミュラー、作曲:フランツ・シューベルト
    日本語詞:近藤朔風

    1 泉に添いて 茂る菩提樹
      したいゆきては うまし夢見つ
      幹には彫(え)りぬ ゆかし言葉
      うれし悲しに 訪(と)いしその蔭
      訪いしその蔭

    ・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2005年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • バート・ゾーデン・アレンドルフ:アレンドルフ側のマルクト広場に木組み建築の市庁舎が立つ。

    投稿日 2020年05月30日

    マルクト広場 (バート ゾーデン アレンドルフ) その他の都市

    総合評価:4.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    5/02 (月)快晴 26℃ 157km

    シフラースグルント国境博物館を出発し、B27に戻って、凡そ3km、Bad Sooden Allendorfバート・ゾーデン・アレンドルフには14:20に着いた。

    テューリンゲン州の高台からやって来たバート・ゾーデン・アレンドルフの町はヘッセン州Werra Meissner Kreisヴェラ・マイスナー郡に属す、人口8700人の市である。
    ヘッセン州に属する市はテューリンゲン州と直接境を接し、ドイツの地理上のほぼ中心に位置している。
    街中を流れるヴェラ川で相対していたバート・ゾーデンとアレンドルフが、1929年に合併してできた。

    ゾーデンは1000年以上も昔から塩泉が湧き出て、製塩の町として栄え、塩の博物館などもあるが、今は塩水での温泉保養地になっている。

    アレンドルフ側のマルクト広場に木組み建築のRathaus市庁舎があり、木組みの街並みを過ぎると街の外に出るSteintor石門に至る。


    ・・・・・

    旅行時期
    2005年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ドレスデン:ブリュールのテラスから見るエルベ川畔、新市街の景観は好ましい。

    投稿日 2020年05月29日

    ブリュールのテラス ドレスデン

    総合評価:4.5

    かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡った旅
    2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    <Bruehlsche Terrasseブリュールのテラス>

    Schlossplatz王宮広場のざわめきから逃れ、かつての要塞跡を
    ブリュール伯爵が18世紀に庭園を作った名残であるBruehlsche Terrasse
    ブリュールのテラスの階段に上がり、カトリック旧宮廷教会、王宮、
    ツヴィンガー宮殿方面を眺める。

    ちょっと黒雲が空を覆いだし、ザーッと来そうな雰囲気になってきた。
    ドレスデン音楽祭は5月18日~6月6日の期間、ドレスデンの市内で
    いろいろと催しがあるようだ。今日もブリュールのテラスや、テラス小路で
    ジャズ演奏が行われて、人だかりがすごい。

    こちらは折角の機会なので、テラスからエルベ川畔の景観をゆっくり楽しんだ。
    エルベの向こう岸は新市街、あちらの空は青空が出ている。

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    2.5

jijidarumaさん

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33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

行ってみたい場所

ドイツ

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