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jijidarumaさんのクチコミ(14ページ)全659件

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  • ゲーテの戯曲で知られた“鉄腕ゲッツ”の古城ホテル ゲッツェンブルク城

    投稿日 2016年01月09日

    Schlosshotel Götzenburg その他の都市

    総合評価:4.5

    ≪Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅≫
    期間 :2012年05月15日(火)?05月29日(火)15日間の旅
    5月24日(木); 晴、31℃と暑い日、127km(この日まで10日間で1,321km)

    <Burg・Schloss im Hohenlohekreisホーエンローエ地方の古城群>
    ホーエンローエ家の城はSchloss Waldenburgヴァルデンブルク城、Schloss Neuensteinノイエンシュタイン城、Schloss Langenburgランゲンブルク城、Schloss Oehringenエーリンゲン城、Schloss Kirchbergキルヒベルク城、Schloss Pfedelbachプフェーデルバッハ城、Jagtschloss Friedrichsruhe狩猟館フリードリッヒスルーエ、Residenzsschloss Kupferzellクッフェルツェル宮殿、Schloss Stetten (Hohenlohe) シュッテッテン城がある
    その他に鉄腕ゲッツの城Die Goetzenburgゲッツェンブルク城や、Schloss Hermersbergヘルメルスベルク城、Burg Krautheimクラウトハイム城、Burg Aschhausen アッシュハウゼン城などがある。

    *10泊目のDie Goetzenburgゲッツェンブルク城に16:45と良い時間に到着できた。
    古城ホテルは本来の入口である庭園正面の車寄せで降り、正面玄関から入るのだが、この日は観光シーズン最大の催しである城祭り(6月6日?8月19日の長期間にわたるBurgfestspiel城祭り=中世祭り)の準備で、左手の先にある木橋から城内に入るようになっていた。空堀に架かる橋を渡り、2階にあるレセプションに行って、チェックインした。裏手の駐車場も業者の車が停まっていたが、幸い駐車スペースはあった。トランクをスタッフに持ってもらって、細い暗い通路・・・ここには“鉄腕ゲッツ”の野外劇に出演した俳優たちの写真が貼られていた・・・を通り、*Weislingenヴァイスリンゲンの部屋に案内された。この古城ホテルの部屋には“鉄腕ゲッツ”の野外劇に登場する人物名を付けているそうだから、ヴァイスリンゲンも調べてみたくなった。

    Special Arrangement“素晴しい古城の夢”で書かれていたように、私共の部屋は歴史を感じさせる、がっちりした天蓋付きベッドが中央に置かれ、半円形の張り出し窓の間があり、花飾りで装われたテーブルには果物や水もあって、予想以上に良い部屋でした。
    窓から下は空堀があり、散歩道があり、緑の木々の先はヤークスト川が流れているようだ。


    <??Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城> この旅32番目の城
    D-74249 Jagsthausen  、Schlossstrasse 20  
    Weisslingenヴァイスリンゲンの部屋(1階) 、Euro110x2=220(22,425円)
    Tel:+49 (0) 7943 9436-0 、Fax:?9436200
    http://www.die-goetzenburg.de/ 
    古城ホテルは全28室(本館17室+以前は無かった宿泊棟Vorburg一の丸11室)がある。レストランはシュヴァーベンの郷土料理を中心としたドイツ料理を提供する。

    ゲッツェンブルク城はJagstヤークスト川に沿ったヤークストハウゼンにある。
    ドイツ騎士団の城館がある保養地バート・メルゲントハイムや、ネッカー川沿いの古城群にも車で30分の距離と近い。また、ヤークスト川の上流4kmには鉄腕ゲッツの墓碑もある美しいKloster Schoentalシェーンタール修道院が見られる。

    かつてはBurg Jagsthausen ヤークストハウゼン城と呼ばれていたが、現在はゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”で全国的に知られた為、Die Goetzenburgゲッツェンブルク城、つまりゲッツの城と称されるようになった。
    毎年、6月中旬から8月初旬まで、ゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”の野外劇が城内の内庭で催されて、チケットが入手しにくいほど、人気も高いそうだ。
    ホテル・レストランはKriegerクリーガー夫妻が経営を任されているようだが。

    その歴史は12世紀頃のHerren von Husenフーゼンの騎士により(Widdern an der Jagstヴィデルン・アン。デアー・ヤークストから出た騎士で、ベルリヒンゲン家の家系に繋がるようだ。)築城された事から始まる。
    14世紀以降、地方領主であるベルリヒンゲン家の居城であり、現在もその家系が所有する、ドイツでも稀な古城ホテルである。
    1480年、ベルリヒンゲン家の三男に、後に“鉄腕ゲッツ”と呼ばれたGoetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが生まれた。鉄の義手のオリジナルは城内博物館にある。
    城内の部屋の扉横にはGoetz Freiherr von Berlichingenベルリヒンゲン男爵のゲッツ弁護士の表札が掲げられていたのが、この城らしい。

    『Himmlische Burgtraeume素晴しい古城の夢』
    Ein romantischer Kurzurlaub fuer Ritter und Burgfraeuleinロマンチックな騎士や城主の娘の気分に・・・
    Die Leistungen:サービス内容
    1 x Begruessng mit “Hohenloher Kir “ご挨拶のキール(カクテル)を夕食に提供
    1 x Regionales 3-Gang-Menue am Anreiseabend第一日目の夕食は3品の郷土料理
    1 x Romantisches 4-Gang-Dinner bei Kerzenschein am 2.Abend第二日目の夕食は4品のロマンチックなキャンドルディナー
    2 x Traeumen und Geniessen im historischen Himmelbettzimmer歴史を感じさせる天蓋付きベッドで2泊
    1 x Flasche Sekt auf dem Zimmerお部屋に1本のシャンパンをご用意
    1 x Obstkorb auf dem Zimmer お部屋に果物をご用意
    2 x Jagsttaler Fruehstuecksbueffet2回の朝食
    Blick hinter die „Geheimtueren“ bei einer privaten Fuehrung durch die Burg秘密のドアの特別御案内
    Eintritt in das Burgmuseum (April-Oktober) 城内博物館の入館
    Mineralwasser auf dem Zimmerお部屋にお水のサービス
    Kostenloser Transfer vom Bahnhof Moeckmuehlメックミュール駅の無料送迎サービス
    Kostenloser Parkplatz am Hotel無料駐車場
    Euro169 pro Person Euro169X2=338  

    旅行時期
    2012年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    3.0
    客室:
    5.0

  • コッヘム:2.38mの巨人の甲冑があるライヒスブルグ城(帝国城)はモーゼル観光の目玉

    投稿日 2016年05月27日

    ライヒスブルク城(コッヘム城) コッヘム

    総合評価:4.0

    “ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
    2006年5月5日(金)?5月19日(金)15日間

    05.12 (金)  快晴 26℃  、 156km(ここまでの合計1171km)

    この街道の目玉はCochemコッヘム城=Reichsburgライヒスブルグ城(帝国城)であり、エルツ城に次ぐ名城といわれる。

    円錐形の山上に建つ城は、4個の城門、城壁、壕に守られ、守るに易く、攻めるに難い城と云われた。強大な天守閣は壁の厚さが3.6mもあり、1000年の歴史と共にある。その山城の姿は、モーゼル川畔の何処から撮っても、納まり良いものである。この城はライン地方のPfalzプファルツ伯の居城であったが、その後シュタウフェン家出身の皇帝の帝国城となり、最終的には選帝候・トリアーの大司教の所有になる。

    1689年、プファルツ継承戦争ではルイ14世率いるフランス軍の猛攻撃を受け、ライン・モーゼル川の殆どの城と同じく、破壊されてしまう。
    漸く1877年に、ベルリンの枢密顧問官ラフェネーにより、8年をかけて、14世紀の新ゴシック様式の中世風城塞に復元された。内装は19世紀のドイツ上流階級の邸宅に見られるもので、現在、城は町が所有している。

    街中の屋内駐車場に停めて、Schlossシュロス通りを登る。結構きつい坂道で、午後の日差しに焼かれて、汗だくとなる。見覚えのある、コッヘム城の城門Gattertorが出てきて、そこをくぐるとカエルの姿をした彫像が立つ。実はカエルでなくて、騎士が鎧装備した姿だそうだ。
    ここからのモーゼル川の眺めも良い。実は我が家のパソコンの画面・壁紙には『コッヘム城=ライヒスブルグ城とモーゼルの流れ』の風景を取り込んでいます。というわけで、毎日パソコンを開けると、私のお気に入りの眺めを見ることができる。

    次のコッヘム城ガイドツアー(40分)は15:20まで待つ事に。城内には『Falknerei鷹狩りショー』があって、11、13、14:30、16の時間に行われる。
    ちょうど、14:30のが終わりに近づいて、城壁の下でショーをやっているのがのぞける。若い女の鷹匠が鷹を空高く上げて、呼び戻すショーを繰り返している。是非16時のショーを見てみたいものだ。

    15:20きっかりに、黒人の案内人が門を開き、ガイド(Euro8)のスタートである。さすがにコッヘムで、日本人の中高年の奥様グループ5人がご一緒でした。その他、数人のドイツ人の男女です。ドイツ語と英語のガイドですが、日本人用には日本語の説明書を各自に渡してくれたので、助かりました。

    まず(1)食堂に案内される。壁・ドアー・家具と見事な木彫り装飾が施されて、デルフト焼きの陶器が納められた戸棚は大きく、格別な趣である。面白い事に左右のバランスを保つ為、戸棚の右の戸は見せかけの戸を造ったそうだ。

    (2)ゴッシク部屋はゴシック様式の天井がある為の名。婦人用の小部屋である。デルフト焼きタイルが張られた、暖炉が備えられている。

    (3)ロマネスク部屋は16世紀のニュールンベルグのタイル張り暖炉があり、城から脱出する秘密のドアーがある。

    (4)城門上の廊下は天守閣と周りの建物を繋いでいて、横木の梁には“美しいものは、利用する際、無思慮に強いてはならない”との格言が焼き付けられている。天井から釣り下がった、ランプは半身女像の小シャンデリアで、中世には魔除けのシンボルであったそうな。

    (5)狩猟の間には獲物が壁に掛けられ、騎士たちの一日分のワインが入る錫のマグカップが置いてある。

    (6)騎士の間は城一番の広さ。太い円柱が天井を支えている。大暖炉があり、大きな二枚の絵が展示されている。

    (7)武具の間、ここにはビックリするほどの大きな甲冑がある。なんと2.38mの巨人の甲冑である。今まで見た甲冑でも最大のものだ。

    (8)バルコニーから、巻上げ機と綱を使って、鎖をモーゼル川にたらして、川の通行を支配した(関税の徴税の為)と云う。城は川面より、100mの高さにあり、バルコニー上から見た、河畔を走る車の小さい事、震えがくるほどだ。

    (9)城中の庭には50mの深い井戸が掘られている。案内人がバケツの水を落として、水面に落ちる音を聞かせ、深さを実感させてくれた。
    ツアーはジョークの上手い案内人で、大変愉快な40分となりました。

    さて、16時の『Falknerei鷹狩りショー』だと、行って見るとなんと中止です?!
    ドイツ人の小父さんに聞いてみると、『俺も楽しみに来たのだが、訓練して3ケ月の鷹が大空に放たれたまま、帰ってこないらしいぜ?!それも2羽だってさ!こんなのは初めてだぜ。全く、大笑いだよ!!』と。
    残念ながら、可笑しくて、小父さんと一緒に大笑いする。

    人口5千人の小さな街の中心にある、Alt-Cochem旧市街にはバロック様式の市庁舎、マルクト広場、木組みの切妻のある家々があって、美しい。
    ここもモーゼルワインの産地として有名で、観光客も多い。

    XXX
    関連旅行記:
    http://4travel.jp/travelogue/11135261

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ベルリン:世界の宝『エジプト王妃ネフェルティティの胸像』に再会した。

    投稿日 2021年10月17日

    新博物館 ベルリン

    総合評価:5.0

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月17日(火);午前中小雨、のち曇り、夕方に晴間、18℃、104km
    10:30には昨日停めた博物館島近くのDorotheenstrasseパークハウス
    (Euro7)に到着した。
    今日の市内観光の目玉は博物館島である。

    <Berlinベルリン観光②>  
    10:30~15:30
    世界遺産;Museumsinselムゼウムスインゼル(1999年)
    首都ベルリンの観光スポット。南北に流れるシュプレー川の中州にある。ブランデンブルク門から東に伸びるウンター・デン・リンデン街を境とする北半分の地区を指す。
    Altes Museum旧博物館、Neues Museum新博物館、Alte National Gallerie旧ナショナルギャラリー、Bode Museumボーデ博物館、Pergamon Museumペルガモン博物館の5つの博物館・美術館が集まっている事から「博物館島」と呼ばれる。

    博物館島の博物館巡りは次の3つ新博物館、ボーデ博物館、
    ペルガモン博物館にしぼった。
    というよりも時間的、体力的にもそれが限界でもあった。

    <Neues Museum新博物館>
    14:00~15:00
    博物館島にあるエジプト美術を中心とした博物館。
    第二次大戦では強烈な爆弾が落ち、大きな被害を受けた。ベルリンに迫るソ連軍を避け、王妃ネフェルティティの胸像などはテューリンゲンの岩塩坑に移されたと云う。
    大変な時期もあったが、2009年秋にエジプト美術のコレクションを主に、新博物館に展示されることになった。

    ドイツのエジプト美術で最も人気の高い作品、ドイツ人によって発掘されたアマルナ美術(紀元前14世紀)の傑作・『王妃ネフェルティティの胸像』(高さ47cm)がある。
    ここはこれがお目当てであったが、厳重に守られたガラスの中にあり、写真もすべて禁止されていた。

    尚、以前ベルリンの東西分裂の頃の1983年4月に来た時はシャルロッテンブルク宮殿のエジプト博物館にあって、来館者も今のような混雑とは程遠く、写真撮影は自由であったが・・・。

    エジプト美術および先史時代の遺物は数多く陳列され、中々興味深いものがあった。
    Schliemanns Trojaシュリーマンのトロイア発掘品、象形文字、ツタンカーメンの立像、エジプト寺院、天井絵、南ドイツで出土した紀元前1000年黄金の帽子、エジプトの石棺、ミイラの棺、独特に後頭部が突起した頭部の王女像などだ。

    (トロイアで発見された黄金はソ連軍が大戦中に持ち去り、現在はロシアのモスクワにある。トルコ、ギリシャ、ドイツ、ロシアの四ヶ国が所有権を主張していると云う。王妃ネフェルティティの胸像もエジプト・ドイツ間で所有論争も来ている)

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    2.5
    展示内容:
    5.0

  • ポツダムとベルリンの境にあるグリーニッカー橋は東西冷戦の象徴、米・ソ連スパイの交換が行われた。

    投稿日 2021年10月21日

    グリーニッカー橋 ポツダム

    総合評価:3.5

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間


    5月17日(火);午前中小雨、のち曇り、夕方に晴間、18℃、104km

    Berlinベルリン観光②  
    10:30~15:30
    今日の市内観光の目玉は博物館島である。Neues Museum新博物館、Bode Museumボーデ博物館、Pergamon Museumペルガモン博物館を見たが、結局、以下の2博物館は省略した。
    Altes Museum旧博物館(フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の蒐集したギリシャ・ローマの芸術品)、Alte National Gallerie旧国立美術館 (旧ナショナルギャラリー;19世紀の彫刻から絵画)

    時間がもう一日あれば、ラファエロ、ボッティチェッリ、ブリューゲル、フェルメール、レンブラントの絵画の展示されたGemaeldegalerie絵画館(ポツダム広場)や、ホーエンツォレルン王家の城の中で最も大きく最も豪華なものと云われるSchloss Charlottenburgシャルロッテンブルグ宮殿(Luisenplatz)に行っても良かったが、以前行っているので、今回は割愛した。

    15時半、パークハウスを出て、ポツダム広場からポツダム通りB1を走って帰ることになった。時間も早かったので、車の流れはまずまず。

    <Glienicker Brueckeグリーニッカー橋>

    ベルリンとポツダムの境にあるハーフェル川にかかる橋、Glienicker Brueckeグリーニッカー橋を通過し、ポツダムに戻った。ドイツの東西分断によりグリーニッカー橋は封鎖されて、一般人の通行は固く禁じられていたが、ベルリンの壁崩壊と同時期に自由な行き来が再開された。現在は冷戦時代を象徴する観光名所となっている。

    (歴史)
    17世紀。ポツダム宮殿と狩猟場とを繋ぐために木製の橋がかけられた。
    1834年。レンガ造りの橋に架け替えられる。
    1947年11月、現在の鉄製の橋が第二次世界大戦中に破壊された後に再建された。

    かつて、ドイツの東西分断により米英仏3国が支配する西ベルリンとソ連(現ロシア)が支配する東ドイツ・東ベルリンとを繋ぐ立地から、グリーニッカー橋の真中で*東西冷戦中に捕虜となった米ソ間のスパイたちの交換の場として使われたことで知られる。

    *これをテーマにした映画がある。
    その映画の題名『Bridge of Spiesブリッジ・オブ・スパイ』とはスパイ交換が行われたグリーニッケ橋を指す。映画のロケ地にもなった。
    『ブリッジ・オブ・スパイ』は2015年のアメリカ映画で、スティーヴン・スピルバーグ監督、出演はトム・ハンクス、マーク・ライランス、エイミー・ライアン、アラン・アルダら。

    「U-2撃墜事件」でソ連の捕虜となったフランシス・ゲーリー・パワーズの解放のために動く弁護士のジェームズ・ドノヴァン(ハンクス)を中心に描かれる。
    本作は1960年メーデーの日(5月1日)にソ連を偵察飛行していたアメリカの偵察機、ロッキードU-2が撃墜され、偵察の事実が発覚した事件である。
    ソ連スヴェルドロフスク州の町の上空を飛行中、ソ連軍に撃墜されたアメリカのスパイパイロット、フランシス・ゲーリー・パワーズの逮捕から裁判が行われるまでの実話を基にしている
    予定されていたパリでの米ソ首脳会談が中止されるなど大きな影響があった(Wiki)。

    今回のベルリン往復は2度したが、一度も同じ道を行き、帰る事がなかった。
    17:20にHotel Bayrisches Haus到着。

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.0

  • ベルリンの文化遺産で最も見る価値のあるのはペルガモン博物館だと思う。

    投稿日 2021年10月20日

    ペルガモン博物館 ベルリン

    総合評価:5.0

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月17日(火);午前中小雨、のち曇り、夕方に晴間、18℃、104km
    10:30には昨日停めた博物館島近くのDorotheenstrasseパークハウス(Euro7)に到着した。今日の市内観光の目玉は博物館島である。

    <Berlinベルリン観光②>  
    10:30~15:30
    世界遺産;Museumsinselムゼウムスインゼル(1999年)
    首都ベルリンの観光スポット。南北に流れるシュプレー川の中州にある。ブランデンブルク門から東に伸びるウンター・デン・リンデン街を境とする北半分の地区を指す。
    Altes Museum旧博物館、Neues Museum新博物館、Alte National Gallerie旧ナショナルギャラリー、Bode Museumボーデ博物館、Pergamon Museumペルガモン博物館の5つの博物館・美術館が集まっている事から「博物館島」と呼ばれる。

    博物館島の博物館巡りは次の3つ新博物館、ボーデ博物館、ペルガモン博物館にしぼった。というよりも時間的、体力的にもそれが限界でもあった。

    【Pergamon Museumペルガモン博物館】
    入場料コンビカードEuro32、10:50~12:30

    人気の高い、この博物館は観光客が長々と並び、混雑していた。入場券を買うのも、リュックザックをコインロッカーに預けるのも一苦労だった。中でもコインロッカーの開閉が不調で、一度女性係員に来てもらった。“力任せよ!”と笑いながら開けてくれた。
    (実際は入場券購入や手荷物の預けに凡そ30分ぐらい掛った。以前は無かったオーデオの日本語の説明があり、助かる)

    西アジア博物館が1899年に創設され、その後1930年に3翼の建物として構築されたペルガモン博物館が開館した。
    そのコレクションの主なものはバビロニアやアッシリア、ウルク、シリアの世界的に有名な発掘品である。当時ドイツ帝国の威信を背景に発掘され、かつて収奪された?!国からは返還要求もあると聞く。

    最も人気があるのは紀元前6~1世紀の頃のもので、小アジアの古代都市ペルガモンの「ペルガモンのゼウスの大祭壇」、ローマ時代のミレトスの市場門、オルフェウスのモザイク(モザイクは昨秋見たPerl-Nennig/Moselペアル・ネニッヒのローマのモザイクの方が、はるかに保存がよく鮮明であった)、古代バビロニアのイシュタール門、バビロニアの行列通りなど。博物館の中央から左の部分が中心になる。

    ゼウスの祭壇(イオニア式列柱に囲まれた一辺35m)には人々が腰かけて説明を聞き、その後に祭壇の装飾帯に掘られたヘレニズム彫刻を順次見ていく。ギリシャ神話の神々の戦いを描いたものだが、欠けた部分も多く、日本語の説明があっても理解には苦しむ所だ。

    青い釉薬がかかった煉瓦で組成されたかつての市門・イシュタール門は巨大で、見事なものだ。今回の旅はこれを見に来たようなものだ。
    牛や架空の動物が壁面に浮き彫りになっている。
    この門に通じる行列通りもまた素晴しく良い。ここの壁面には王国のシンボルであったライオン像が威嚇するように飾られているのだ。

    おまけのような展示は2階のMuseum fuer Islamische Kunstイスラム芸術博物館にあり、8~19世紀のイスラム地域文化の粋が見られた。
    ヨルダンのカリフ太守の宮殿の入口の城壁はオスマントルコのサルタンからドイツ皇帝への大きな贈物でした。
    13世紀のイラン・Kaschanの祈祷の図は2.8mの高さ、1.8mの幅できれいな色彩のものがいくつもある。

    周囲をガラスで完全に保護され、ガラス越しに見た、17世紀初めのシリア・Aleppoアレッポの町にあったキリスト教徒の住居、見事な木壁にオリエント風の模様(例えば、夕食の宴のシーン)で彩られていた。3.5mの長さ、2.5mの高さの木壁に14の戸があり、出入口、戸棚、一部は窓になっていたと云う。

    最後の展示はシリア・メソポタミアの発掘品でした。石柱の礎石になっていた二つの小さなスフィンクス、ライオン狩りの浮き彫りなど、これもまた見る価値のあるものばかりで、凡そ2時間のペルガモン博物館見物は十分に見たという満足感があった。
    ・・・

    それにしてもよくもまあ、こんな大きな建造物をいくら陸続きだとはいえ持って帰ってきたもの・・・。ドイツ帝国の威信をかけてといったものなのだろう。この頃のイギリス、フランス、ロシアも同じように帝国の名にかけて、集めまくったはずだ。
    ある意味で、それがあったから、今もさまざまな国の人がこれを見る事が出来るわけです。ギリシャ・アテネの神殿アクロポリス等の惨状を思うと、むしろそれで良かったように思えますが、如何でしょうか?!

    追記;
    1942年、ベルリン空襲が始まると、ヒトラー総統は重要な、価値の高い芸術品などを疎開させます。ペルガモン神殿の如く梱包し、動かす事も出来ないので、全部土で覆ったそうです。大掛かりな話ですが、それで、この神殿がいま見る事が出来ます。

    有名な話はメルカーズというドイツ中央部テューリンゲンの岩塩坑に、金塊や絵画などの芸術品を隠したことでしょう。そこの地下507メートルの洞窟内にあったそうです。
    米軍が最初に発見し、Wiesbadenヴィースバーデンに持って行ったと伝えられています。
    www.smb.spk-berlin.de

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    2.5
    展示内容:
    5.0

  • ベルリン:フリードリヒ大王の騎馬像があるボーデ博物館には彫刻、ビザンチン美術、そしてコインの部門が見られる。

    投稿日 2021年10月18日

    ボーデ博物館 ベルリン

    総合評価:4.0

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月17日(火);午前中小雨、のち曇り、夕方に晴間、18℃、104km
    10:30には昨日停めた博物館島近くのDorotheenstrasseパークハウス(Euro7)に到着した。今日の市内観光の目玉は博物館島である。

    <Berlinベルリン観光②>  
    10:30~15:30
    世界遺産;Museumsinselムゼウムスインゼル(1999年)
    首都ベルリンの観光スポット。南北に流れるシュプレー川の中州にある。ブランデンブルク門から東に伸びるウンター・デン・リンデン街を境とする北半分の地区を指す。
    Altes Museum旧博物館、Neues Museum新博物館、Alte National Gallerie旧ナショナルギャラリー、Bode Museumボーデ博物館、Pergamon Museumペルガモン博物館の5つの博物館・美術館が集まっている事から「博物館島」と呼ばれる。

    博物館島の博物館巡りは次の3つ新博物館、ボーデ博物館、ペルガモン博物館にしぼった。というよりも時間的、体力的にもそれが限界でもあった。

    <昼食;Bode Museumボーデ博物館のCafe>
    12:45~13:05 Euro15(1,770円)
    大きなリンゴケーキとチーズケーキをコーヒーで頂く。
    ベルリンの博物館の目玉、ペルガモン博物館を最初に終わらせて、ほっとして、左手にある次のボーデ博物館を見る前に腹ごしらえをした。
    昼代わりになる大きさのケーキをしっかり半分ずつ分けながら完食しました。

    <Bode Museumボーデ博物館>
    12:40~13:50
    2006年に新たに開館した博物館は博物館島の北の端にある。大きなバロック風のドームが目立つ建物で、1904年にKaiser Friedrich Museum皇帝フリードリヒ博物館として建てられた。第二次大戦では罹災している。
    博物館内部に入ると直ぐのGrosse Kuppel大きなドームと称する中央の広間にフリードリヒ大王の騎馬像が立っている。

    この博物館は三角形の建物で主に2階と3階に展示があり、彫刻コレクション、ビザンチン美術、そしてコインコレクション部門と3つに分かれている。
    カフェの場所から、まずイタリア・ルネサンス、バロックの作品を見始めた。中世の貨幣の頑丈な、複雑であろう鍵付きの金庫が目に付く。何故かここにグレコの作品もある。
    ひざまずいた女神像、立派な装飾された暖炉。そして、彫刻コレクションでお気に入りのリーメンシュナイダーの彫刻作品(聖壇、使徒、聖母子など)が鑑賞できて良かった。

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ポツダム:ツェツィーリエンホーフ宮殿も一部古城ホテルになっていると聞いたが、何故か予約が出来なかった。

    投稿日 2021年10月10日

    ツェツィーリエンホーフ宮殿 ポツダム

    総合評価:3.5

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    Potsdamポツダム観光: 
    16:00~18:00
    ブランデンブルク州は1990年のドイツ再統一時にできた新連邦州(人口256万人)の1つであり、州都はPotsdamポツダム。
    かつてのMark Brandenburg選帝侯ブランデンブルク辺境伯の支配領 にあたる。

    世界遺産;
    ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群 - (1990年、1992年拡大、1999年拡大)
    ポツダム北東部とベルリン南西部に残されているプロイセン王国時代の宮殿群と庭園群が、この世界遺産の中核である。代表的なものとしては、フリードリヒ大王の離宮サンスーシ宮殿や、ポツダム会談で使われたツェツィーリエンホーフ宮殿がある。

    <Schloss Cecilienhofツェツィーリエンホーフ宮殿>

    サンスーシ宮殿と並んでユネスコ世界遺産に登録されている。
    1914~1917年に、当時皇太子であったヴィルヘルム2世(ホーエンツォレルン家最後の王子)と彼の妻メックレンブルク・シュヴェリーン家の ツェツェリーのために建てられ、一家が住んでいた英国風の館。
    また1945年7月17日~8月2日に開かれたポツダム会談の会場となったことでも有名。新庭園。ポツダム会談の会議室と王子ヴィルヘルムと彼の妻の住居部分が見られる。

    一部は古城ホテルになっていて、以前から宿泊を考えていたが、今回、直接メールでホテルに申し込みすると、何故かいっぱいで断わられた。念のため、ホテル予約サイトのBooking.Comをチェックすると、ここでは空いていた。

    妙な事もあると思ったが、ここより魅力的なRelais und Chateaux Hotel Bayrisches Haus古城ホテル バイエルンハウスが見つかったので、そっちにのりかえた。

    尚、私共がドイツ経済・産業の中心であるデュッセルドルフに駐在した時は、1970、80年代のドイツが東西に分裂していた為、旧東独地域への旅行は難しかった。
    その頃、“陸の孤島”であったベルリン(西・東のベルリンに分離統治されていた)に2度旅行しただけであった1度は出張で、2度目は感謝祭休日を利用して、家族とOster-Reiseオースターライゼ(二度目の駐在時・1983年4月1日~4日)をした時です。

    朝6時にデュッセルドルフをスタートし、600kmを走り、午後0時には西ベルリンのホテルAlsterhofアルスターホーフに到着しましたから、若かった。
    バスツアーで東ベルリンも観光した。ポツダム、サンスーシ―宮殿、ポツダム会談の会議場(Schloss Cecilienhofツェツィーリエンホーフ宮殿)なども。

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • 三国・三角地帯の中心地Perl-Nennigには5星ビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクがあり、ミシュラン3星のグルメを楽しめる。 

    投稿日 2017年04月20日

    ビクターズ レジデンツ ホテル シュロス ベルグ その他の都市

    総合評価:5.0

    ≪ドイツの秋:ワイン街道とRheinland-Pfalz ・Saarland地方を巡る旅≫
    Rheinland-Pfalzラインラント・プファルツ州 & Saarlandザールラント州:
    ラインヘッセン・プファルツ・モーゼル・ナーエ地方のワイン産地
    期間: 2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅

    10月27日(水)80km 、比較的暖か、朝小雨のち曇り、時々晴れ、8.5℃
    このホテルのグルメレストランで食べる為、わざわざ行程を変え、日程を1日ずらして、今日にした。
    ホテルの裏手に広い駐車場があり、様々な国(ルクセンブルク、オランダ、フランス、ドイツ)の高級車が停まっていた。驚いたことにヘリコプターの離着地が設けられていた。

    ≪Victor's Residenz-Hotel Schloss Berg古城ホテル ビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク 
    5星、113室。807号室(地上2階) 、Euro198(23千円)  
    ホテルチェーン:Victor's Residenz Hotels

    ドイツ・フランス・ルクセンブルクの国境(三国・三角地帯の中心地Lage im Herzen des Dreilaenderecks)に近く、地中海の別荘やルネサンスの宮殿といった雰囲気の古城ホテルはネニング村を見渡す丘の上に建てられている。
    この高級古城ホテルは周囲をPerl-Nennigのブドウ畑に囲まれ、近くにサン・マルタンの洞窟もある。
    主に三つの区域、①Villa・リゾートホテル、②Schloss Berg・グルメレストラン、③Landgasthaus ・レストランDie Scheune(納屋の意)に分かれている。

    私共が宿泊した5つ星ホテル(2001年オープン)は地中海をイメージした①Villa・リゾートホテルと言った方が相応しく、地上2階、地下2階の合計4階の建物。丘の斜面を使って、中心に庭、左右にコの字型の建物を配したホテルである。
    5星ホテルの本館にはルネサンス風庭園、室内プール、スチームルーム、トレーニング施設、サウナがあって、優雅なものである。

    それと歩いて3分離れた所に②Schloss Berg ベルク城(写真)が立ち、世評にも高いグルメレストランVictor's Gourmet-Restaurant Schloss Bergがあり、近隣諸国から、グルメ客が訪れている。ベルク城に併設された公認のCasinoカジノがある。
    (レストランはミシュラン3星、GaultMillau 19。全独ランク7位。席数34、従業員22名、ワイン760種。)

    レストランとしてはグルメレストラン以外にも、5星ホテルの本館・地下に地中海料理のレストランBacchus Restaurantと、別棟になっている、③ビアガーデン付きレストランDie Scheune(納屋の意)がある。ここは郷土料理を主に提供していて、ホテルの様々なレストランが様々な客の要望に応えている。

    このDoppelburgドッペルブルク(二重城・・二つの城郭を持ち、相互に連結したもの) であったSchloss Bergベルク城の歴史はGanerbenburg共同相続人の城と呼ばれたそうで、城の所有権には関係者が多かったらしい。

    12世紀に遡り、二つの城(上と下の城)がベルクの領主貴族により築城され、当時は周囲を水で囲まれた水城であったと云う。1580年以降も、度々改築を施されている。下の城は私有され、その後、上の城はルネサンス風な宮殿に改築された。
    第二次大戦末期に城は罹災し、1950年、ザールラント州が上の城を買い取り、1958年から青年の家や林間学校として利用してきたと云う。
    1990年、今日の形になり、現在の贅沢なホテル・レストラン・カジノがそれである。

    XXX

    Villa・リゾートホテルも悪く無かったが、少し離れたレストラン シュロスベルクが有名なので、その古城風建物にも泊まることが出来ると、考えなかったから、次回は是非こちらに宿泊したい。

    旅行時期
    2010年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    12,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    5.0
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    3.0
    客室:
    5.0

  • ポツダム:夕暮れ時のサンスーシ宮殿(無憂宮)のブドウ畑、噴水がすっきりと見え、気分良し。

    投稿日 2021年10月05日

    サンスーシー宮殿 ポツダム

    総合評価:4.0

    かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    <Potsdamポツダム観光>
    16:00~18:00
    ルレ・シャトーホテル バイエルンハウスからNeues Palais新宮殿を見て、
    夕暮れ時のSchloss Sanssouciサンスーシ宮殿(無憂宮)に行った。

    世界遺産;ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群 - (1990年、1992年拡大、1999年拡大)
    ポツダム北東部とベルリン南西部に残されているプロイセン王国時代の宮殿群と庭園群が、この世界遺産の中核である。
    代表的なものとしては、フリードリヒ大王の離宮サンスーシ宮殿や、ポツダム会談で使われたツェツィーリエンホフ宮殿がある。その一つのサンスーシ宮殿である。

    【Schloss Sanssouciサンスーシ宮殿(無憂宮)】  
    5月15日 17:35~18:00 
    駐在時にツェツィーリエンホフ宮殿共々訪れた事もあって、今日は新宮殿が
    先になったから、こちらは庭園のみの見学になった。
    もっとも行った時間は既に閉館の時間だった為、ガルテンパビリオンを
    抜けて、庭園を目指した。
    公園下から見上げるブドウ畑、噴水がすっきりと見えた。
    晴天の日のサンスーシ宮殿の公園は実に美しく、それだけで満足した。

    サンスーシ宮殿はフリードリヒ大王の夏の離宮(1745年~1747年に建設)である。
    ブドウ畑のあった高台に建てられた宮殿は、ポツダムにあるホーエンツォレルン家の宮殿の中で一番知られた宮殿である。大王は35歳から亡くなる74歳まで、殆どの時間をここで過ごしたと云う。
    中央の巨大な132段の階段が、6つの階段式ブドウ畑の上方のテラスに続き、
    そこに平屋造り、バロックとロココ様式の明るい感じの宮殿を建てた。
    宮殿内に12の豪華な部屋があり、特に大理石の間、謁見の間、楕円の間が
    よいと云う。
    世界遺産の中核であるサンスーシ宮殿の周りの公園は500haもあり、そこに
    150もの歴史的建造物がある。Schloss Charlottenhofシャルロッテンホフ城と
    Orangerieオランジェリー、新宮殿(前述)、Chinesisches Teehaus中国茶館、
    Bildergalerie絵画館等があり、何日もかけないと、全てを見る事が出来ない。

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ポツダムの新宮殿はフリードリヒ大王がヴェルサイユ宮殿を模して建てた巨大な宮殿である。

    投稿日 2021年09月30日

    新宮殿 (ポツダム) ポツダム

    総合評価:4.0

    かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    <Potsdamポツダム観光>
    16:00~18:00
    今夜の宿Relais und Chateaux Hotel Bayrisches Hausルレ・シャトーホテル バイエルンハウスにチェックインを済ませて、ポツダム見物に出た。
    1660年、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの狩猟館の地にポツダムが選ばれたのをきっかけにして、ホーエンツォレルン家の宮殿が置かれ、プロイセン公国の拠点の一つとして、その後、ポツダムは大きく発展した。
    エルベ川の支流Havelハーフェル川の川中島に出来た町ポツダムは過去300年間で軍隊の町から、ヨーロッパ屈指の華麗な宮廷都市となった。人口15万人。

    まず、以前の旅で行かなかったNeues Palais新宮殿見物に出た。
    ホテルから凡そ6kmと、新宮殿は近かった。
    新宮殿に向き合ったポツダム大学の建物の近くに駐車。

    【Neues Palaisノイエスパレス新宮殿】
    入場料Euro12、  16:00~17:00 

    1763~69年、フリードリヒ大王が七年戦争後にプロイセンの国威発揚のために、サンスーシ宮殿の近くにヴェルサイユ宮殿を模した、プロイセンの最後のバロック様式の巨大な3翼の宮殿を建てた。これを新宮殿と呼ぶ。
    フリードリヒ大王が7年戦争で戦ったフランスの宮殿を模した新宮殿を作ったのも妙な気もしますが、当時はフランス文化にドイツの王侯貴族もあこがれたからでしょう。

    中央に緑色のドーム、左右220mの翼が伸びている。王室のゲスト用に200室、4つの催し用の大広間、 ロココ様式の劇場が設けられている。フリードリヒ大王自身はサンスーシ宮殿を好み、新宮殿に滞在することは殆んどなく、専らゲスト用に供されて、広間も催しなどに使用された。
    唯、最後のドイツ皇帝ヴィルヘルムⅡ世はこの宮殿に滞在する事を好んだそうです。
    かつての建物の一部(反対側)は現在、ポツダム大学が使用している。

    宮殿内は参観が自由だったが、写真撮影料金は別に支払う必要があった。
    入館してから、係員に言われたので、写真は撮らなかった。
    帰国してみると、情けない事に殆んど覚えていない。唯一、貝殻細工の装飾だけが、不思議な感じで覚えている。 

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.5

  • ベルリンのドイツ抵抗運動記念館は反ヒトラーの英雄たちを顕彰している。

    投稿日 2021年09月14日

    ドイツ抵抗運動記念館 ベルリン

    総合評価:5.0

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間
    5月16日(月);1日中小雨、午後には晴間もあった。15℃、107km

    Berlinベルリン観光①:10:45~17:00
    Potsdamerplatzポツダム広場 15:20~16:10(ベルフィルの本拠地・レゴ・Sonyセンター)->Gedenkstaette Deutscher Widerstand Berlinベルリン・ドイツ抵抗運動記念館 16:10~16:40。

    ポツダム広場から近くのベルフィルの本拠地前の駐車場に歩いた。
    遅くなってきたので今日の最後の場所として、ベルリン・ドイツ抵抗運動記念館を選んだ。ベルフィルの駐車場を出て、ちょっと道に迷った。ぐるりと回った感じで、元に戻り、上手く道を見つけた。絵画館の裏手にあたる通りだった。

    ドイツ第四帝国のような云われ方を避けるためには、ベルリンが東西ドイツという悪しき体制があった事実を残さざるを得ないだろうし、その象徴的なものを今後も表現していくべきなのでしょう。
    その意味で、このベルリン・ポツダムの訪問は短いながらも、この日の最後に「Gedenkstaette Deutscher Widerstand Berlinベルリン・ドイツ抵抗運動記念館」だけでも見る事が出来たのは幸いでした。

    【Gedenkstaette Deutscher Widerstand Berlinベルリン・ドイツ抵抗運動記念館】
    Der Bendlerblock 、Stauffenbergerstrasse 13 - 14   
    16:10~16:40

    ここはヒトラーに抗した人々を記念した博物館である。
    ベルリンのドイツ抵抗運動記念館はかつて軍の旧最高司令部でした。
    1944年7月20日にヒトラー暗殺・クーデターの試みがあった歴史的場所にある。

    1953年、この栄誉の館はナチス抵抗運動追悼所となり、2階の常設展示では、5,000枚以上の写真と、26のテーマに分かれた記録を展示している。

    残念ながら、夕暮れ近くになり、近くのパークした場所は最大15分しか駐車ができない。この為、係員も驚いていたほどの速さで、展示を見て歩いた。
    ドイツの人々がどのようにナチス政権に抵抗したのか、どんな動機と目的を持っていたか、そしてナチス打破後をどうしようとしていたのか、多くの資料でそれを示している。
    www.gdw-berlin.de

    30分弱程度で切り上げてしまったが、それでも、1944年7月20日・ワルキューレ作戦の実行者シュタウフェンベルク大佐などの掲示や、中庭の銃殺された場所の銅像・記念碑はしっかり見てきました。

    後代からみると、早い時期にナチス党の台頭を抑えるべきだったのでしょう。
    ドイツ人はこのナチス政権の誕生を、諸手を挙げて歓迎したのですから、今から思うと不思議です。
    第一次大戦で負けたドイツが巨額の戦時賠償義務を負った事、超インフレに経済の壊滅、左翼陣営の活発化、社会不安増大といった諸々に、どん底感があったドイツ国民が反動化したのも分かる気がする。

    抵抗運動をした人たちは比較的恵まれた環境に居た人(貴族階層、弁護士、経済・産業人、そして外交官、政治家)であったようで、ヒトラー暗殺に失敗すると簡単につぶされてしまった。

    それでもこの言葉にうたれます。
    実行者シュタウフェンベルク伯爵・陸軍大佐の言葉が残っている;
    「今こそ、何かがなされなければならない。その何かを敢えて行う者は自分が裏切り者としてドイツの歴史に残るであろうことを認識せねばならぬ。しかし、それを為さなかったら、自分自身の良心に対する裏切りとなるだろう」

    20世紀はドイツのみならず、世界中がたいへんな時代でした。
    良心、正義心だけで生きていけなかったようにも見えます。

    駐車時間をオーバーしていたが、夕立の所為か、巡回は無かったようで、セーフでした。

    (注)
    Lutherstadt Eislebenルターの町アイスレーベンから南22km(30分)。Naumburgナウムブルクから北西36km、Leipzigの西90km、1時間、Magdeburgから100km南、1時間半の距離にある小さな町の一地区に高の旅6泊目の宿・古城ホテルがある。
    Schloss Lodersleben 古城ホテル シュロス ロダースレーベンの事だが、この古城で次の事を知った。
    私がシュタウフェンベルク伯爵・陸軍大佐や一族の事を知り、ヒトラー暗殺未遂事件に関与した人たちの11編を書いたのはこの古城ホテルが最初になる。

    <1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関与した人たち:
    ロダースレーベン城主シュレンブルク伯の逃亡>
    https://4travel.jp/travelogue/10871148

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ポツダムにも規模を小さくしたBrandenburger Torブランデンブルク門がある。

    投稿日 2021年09月21日

    ブランデンブルク門 ポツダム

    総合評価:4.0

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月16日(月);1日中小雨、午後には晴間もあった。15℃、107km

    突然の夕立の中、ベルリンから朝の道B5・B2を戻る。途中の町中は帰宅の車で渋滞し、ノロノロ運転になった。このまま続くのかと持っていると、左に曲がる道にB1の標識がでた。ポツダムに行く道なのだ。これは正解だったが、ポツダムに入り、ホテルが近くなったら、全く動かない渋滞に巻き込まれた。今日はついていないと、やむなく、Uターンして、ポツダムの旧市街に向かった。

    ここにも規模を小さくしたBrandenburger Torブランデンブルク門があり、その広場から先が洒落たブランデンブルク通りである。
    ポツダムのLuisenplatzルイゼン広場に立つブランデンブルク門は、1770~71年にFriedrich IIフリードリヒ2世によって建てられた。ポツダムの3つの保存された市門の一つである。ブランデンブルガー通りの西端に位置し、聖ペテロとパウロ教会まで直線道路となっている。

    門の傍にアジア料理(中華ベース)の店を見つけた。

    <夕食;Potsdamポツダム・Bistro Lottos(中華)> 
    D-14467 Potsdam 、Brandenburger Strasse 68
    19:10~20:10 Euro16 (1,888円)
    定番のビール、鶏肉のスープ、ワンタンスープ、春巻き、豚肉のチョプシー。

    ここの味は中華でも塩がきいた、しょっぱめだ。
    いつもそうだが、店の中国人は同胞が来たと思って、愛想が良い。
    日本人と分かってからも、アジア人同士の気持ちなのだろう、態度が変わらないのは嬉しい。

    夕食後のB1通りは正常に戻り、7km先のホテルには20:30に着いた。 

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ベルリン・ウンター・デン・リンデン通りにかつてのメルセデスの名車や現代の超高級車を展示したギャラリーがある。

    投稿日 2021年09月19日

    メルセデスベンツギャラリー ベルリン

    総合評価:4.5

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月16日(月);1日中小雨、午後には晴間もあった。15℃、107km

    Berlinベルリン観光①:
    10:45~17:00  人口343万人。
    ベルリンはドイツ連邦共和国の首都である。ベルリン州と称しているが、特別市なのだ。
    ベルリンという名前はスラブ語で池や湿地を意味する「Berljina」(ベルジーナ)からきていると云われている。

    ブランデンブルク門から豪華な?!ショッピング街、Unter den Lindenウンター・デン・リンデン通りが、フリードリヒ大王の騎馬像、シュロス橋まで続いている。

    〖Unter den Lindenウンター・デン・リンデン通り〗
    中央部にLinde菩提樹の並木道が1.4kmほど続く。

    左右の道を行って帰ってきながら、Mercedes-Benz Galleryメルセデス・ベンツのギャラリー(2009年秋にオープンしたもので、かつての名車や現代の超高級車を展示していた)やマイセンの店をのぞいた。

    唯、菩提樹の並木道はイメージしていたほど美しくないし、立派な通りだとは思えなかった。世に謳われたウンター・デン・リンデン通りも期待外れであった。

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.5

  • ベルリン:ポツダム広場はベルリンの新名所らしいが、私共には取り立てて、魅力のある広場ではない。

    投稿日 2021年09月09日

    ポツダム広場 ベルリン

    総合評価:3.0

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間
    5月16日(月);1日中小雨、午後には晴間もあった。15℃、107km

    Berlinベルリン観光①:
    10:45~17:00
    Spree-Rundfahrtシュプレー川遊覧船で、景色はベルリンでの収穫の一つ、
    ベルリン唯一のお薦め!と言ってはベルリン好きに対しては失礼か?
    1時間程度のコースをともかくも楽しみ、パークハウスを出てから、
    また雨模様になったベルリンの町を彷徨った。

    フリードリヒ通り->ウンター・デン・リンデン通り(ベルリン国立歌劇場・フンボルト大学・Neue Wache・シュロス橋)->マリエン教会->TV塔->赤の市庁舎(赤レンガのベルリン市庁舎)と彷徨い、結局、ポツダム広場近くあるベルフィルの本拠地前の駐車場に車を停めた。そこから、ベルフィルやレゴの大きな展示ショップ、Sonyセンターに歩いて行った。

    <Potsdamerplatzポツダム広場>
    15:20~16:10

    ベルリンの中心地の一つ。時代の先端をいく建築が多く、歴史的建造物の
    多いベルリン・ミッテと対照的な地区だと云う。
    レゴの大きな展示ショップ、Sonyセンター、映画館、レストラン、ショッピング街、
    劇場などがあり、ポツダム広場はベルリンの新名所になっているらしい。
    まー、私共には取り立てて、魅力のある広場ではない。

    遅くなってきたので今日の最後の場所として、
    ベルリン・ドイツ抵抗運動記念館を選んだ。

    XXXXX

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    2.5
    景観:
    3.0
    人混みの少なさ:
    2.5

  • ベルリン:シュプレー川遊覧船からみる景色はベルリンでの収穫の一つ。

    投稿日 2021年09月05日

    シュプレー川 ベルリン

    総合評価:4.5

    Die Spreeシュプレー川はハーフェル川の左岸支流である。
    ザクセン州、ブランデンブルク州、ベルリンを流れる。全長は400km。チェコとの国境に近いラウジッツ山地に源泉があり、北へ向かう。バウツェン、コトブスといった都市を流れ、西へ転じベルリンに入り、ベルリン郊外のベルリン・シュパンダウでハーフェル川に合流する。

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間
    5月16日(月);1日中小雨、午後には晴間もあった。15℃、107km

    Berlinベルリン観光①:
    10:45~17:00
    タクシーに田舎者は邪魔だとばかりに、警告音を鳴らされながら、Friedrichstrasseフリードリヒ通りをシュプレー川に向かった。
    幸い近くにパークハウス(Euro3.5)を見つけた。

    この日は月曜日であったので、博物館は休館中ですから、それと関係のない所を観光することにしていた。そこでシュプレー川遊覧を予定していた。
    遊覧船は各社が運航していて、30分の待ち時間でスタートした。
    その待ち時間を利用して、船内に乗り込み、昼食にした。

    <Spree-Rundfahrtシュプレー川遊覧船>
    13:15~14:15  Euro16.2(1,912円)
    ;Stern&Kreis Schiffahrt GMBH 、Friedrichstrasse、 Reichstagufer
    http://www.sternundkreis.de/

    シュプレー川沿いの洗練された建物、景色はベルリンでの収穫の一つ、ベルリン唯一のお薦め!と言ってはベルリン好きに対しては失礼か?
    1時間程度のコースはシュプレー川のWeidendammヴァイデンダム橋傍から乗船し、ドイツ連邦議会議事堂->首相官邸(首相府)->世界文化会館->ベルビュー宮殿(大統領官邸)->ボーデ博物館->旧国立美術館 (旧ナショナルギャラリー) ->ベルリン大聖堂->ニコライ地区->ニコライ教会を船上から、アナウンスを聞きながら、見ていくものです。

    4組!のお客を乗せただけで、大きな船は議事堂に向かい出発。
    甲板に上がって見たのですが、川風は寒く、雨もぱらぱら落ちてきました。ここにはフランス人カップルと私共だけ、やせ我慢している内に晴れてきました。
    手っ取り早い観光にはこれが一番です。

    *Reichstagドイツ連邦議会議事堂
    東西統一後、8年をかけて改装された。近代的なガラス張りのドームが上にのっていて、ドームには入ることができ、上から見るベルリンの街の眺めは素晴らしいそうだ。

    *Berliner Domベルリン大聖堂とMarienkircheマリエン教会
    大聖堂にはホーエンツォレルン王家の墓所がある。天井ドームは高さ114m。
    マリエン教会はベルリンで二番目に古い教会。

    *FernsehturmTV塔とAlexanderplatzアレクサンダー広場
    高層ビルが立っているアレクサンダー広場は昔も今も東ベルリンの中心街で、高さ365mのテレビ塔がそびえ立っているのがボーデ博物館の左に見えた。

    *Rotes Rathaus赤の市庁舎とNikolaiviertelニコライ地区
    ベルリンの市庁舎は赤レンガ色の建物で、赤の市庁舎と呼ばれている。ここからシュプレー川に広がる地域がニコライ地区で、元々はベルリンの発祥の地である。18世紀の街の魅力を残し、一帯が洒落たカフェ・レストランが並ぶ。
    ここにあるニコライ教会は1230年に建てられたベルリン最古の教会。

    XXXXX

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5

  • ベルリン:世に謳われたウンター・デン・リンデン通りも期待外れであった。

    投稿日 2021年08月31日

    ウンター デン リンデン ベルリン

    総合評価:3.0

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月16日(月);1日中小雨、午後には晴間もあった。15℃、107km
    ブランデンブルグ門から豪華な?!ショッピング街、Unter den Lindenウンター・デン・リンデン通りを歩く。

    <Unter den Lindenウンター・デン・リンデン通り>
    中央部にLinde菩提樹の並木道が1.4kmほど続く。フリードリヒ大王の騎馬像、シュロス橋まで続いている。
    左右の道を行って帰ってきながら、Mercedes-Benz Galleryメルセデスのギャラリー(2009年秋にオープンしたもので、かつての名車や現代の超高級車を展示していた)やマイセンの店をのぞいた。

    唯、菩提樹の並木道はイメージしていたほど美しくないし、立派な通りだとは思えなかった。世に謳われたウンター・デン・リンデン通りも期待外れであった。むしろ乱雑な、捉え所のない通りの印象が強い。
    中央の分離帯に育った木々の所為で一体感がない、工事中の場所が多く、気分を害した事に依るものか、自分でも定かではない。

    これなら、デュッセルドルフの洒落た並木道“Koenigsallee王様の小道”の方が、ずっと美しいのではないだろうか。“Koeケー”と愛称で呼ばれ、幅82m、真中のお堀を挟んで、左右に1kmのマロニエの並木道が続き、高級ブランド品の店、貴金属店、カフェ、ホテル、レストラン等が、町の顔として並んでいる。

    話は変わるが、Lindenリンデン菩提樹はドイツで最も好まれる木ですから、首都ベルリンにあるのは不思議ではない。
    菩提樹は15m~40mに大きくなって、葉を茂らせる様子が好ましいから、私も好きな木の一つです。樹齢も1000年になる木もあると云います。

    また2005年の旅を思いだした。フランツ・シューベルトの歌曲集『冬の旅』第5曲「菩提樹(Der Lindenbaum)」に歌われる“Brunnen vor dem Tore泉にそいて繁る菩提樹(1827年作曲)”を、Eisenachアイゼナハの北西に55kmにあるBad Sooden-Allendorfバート・ゾーデン・アレンドルフの町で見た事がある。
    そこには緑の色濃くなった菩提樹の大木が立ち、側には泉があり、菩提樹の曲を記した記念碑もありました。面白い事にわざわざ、これを見に来る人は我々ぐらいで、近くで庭仕事をしている人にも、菩提樹や泉の写真を撮っている我々が珍しいようでした。
    ≪番外編:バート・ゾーデン・アレンドルフに残るシューベルトの「泉に添いて、茂る菩提樹」≫
    https://4travel.jp/travelogue/11623103

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    景観:
    2.5
    人混みの少なさ:
    3.5

  • ベルリンが東西に分れていた頃、ブランデンブルク門は東側で、小さく遠くに見えた。それは東西の分離が永遠であるかのように・・・。

    投稿日 2021年08月29日

    ブランデンブルク門 ベルリン

    総合評価:4.0

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月16日(月);1日中小雨、午後には晴間もあった。15℃、107km

    Berlinベルリン観光①:
    10:45~17:00  人口343万人。

    勝利の女神像が高々と立つSiegessaeule戦勝記念塔を見たら、次はやはり
    Brandenburger Torブランデンブルグ門だろう。
    戦勝記念塔からBrandenburger Torブランデンブルグ門は近い。
    Unter den Lindenウンター・デン・リンデン通りに面した最高級ホテルAdlon Kempinski Berlinの駐車場(Euro6)に入れて(ここもかつては壁の向こうにあった)、Unter den Lindenウンター・デン・リンデン通りに出て、散策を開始し、まずは誰もが行くブランデンブルグ門に行った。(11:00~12:20)

    <Brandenburger Torブランデンブルク門>

    ブランデンブルグ門を境に東にシャルロッテンブルク宮殿、西にウンター・デン・リンデン通りがある。いずれもベルリンを代表するスポットだ。
    ベルリンが東西に分かれていた時はこの門は東ベルリン側にあった。私共が1983年4月家族旅行で訪れた時、はるか遠くに門の裏が見えたものだ。

    ブランデンブルク門のモデルはアテネの神殿アクロポリスで、1788~91年にプロイセン王国の凱旋門として造られた。高さは26m、幅は65.5m、奥行きは11mの、砂岩でできた古典主義様式の門である。

    門の上の勝利の女神と4頭立ての馬車カドリカは1806年、プロイセンを破ったナポレオン皇帝により、パリに持って行かれたが、ナポレオンの敗北・退位で1814年、再びベルリンに戻った。大国間の勝敗の歴史が背景にある。
    今は東西ドイツ統一のシンボルである。

    このベルリンで最も有名な建築物であろう。様々な国の観光客が門をバックに写真を撮る。私も門をバックに一枚。
    東西に分離していたベルリンの時期は、この門は壁の向こう側にあり、小さく遠くに見えた。それは東西の分離が永遠であるかのように・・・。

    これから訪ねるライプツィヒやマイニンゲンの町で、1989年のベルリンの壁崩壊、東西両ドイツの統一の端緒となった“平和的改革“のデモの発端となった所を知りました。
    現実的にそうした祈りがあり、機運が盛り上がったデモが行われたとしても、あれほど簡単に、血を見る事も少ないままに壁が崩壊したことは、私にとっても不思議なものです。

    この門から豪華な?!ショッピング街、Unter den Lindenウンター・デン・リンデン通りが、フリードリヒ大王の騎馬像、シュロス橋まで続いている。

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    2.0
    展示内容:
    4.0

  • 28年ぶり、金色に輝く女神像をベルリン最初の写真として撮った。

    投稿日 2021年08月27日

    ジーゲスゾイレ (戦勝記念塔) ベルリン

    総合評価:4.0

    「かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅」
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月16日(月);1日中小雨、午後には晴間もあった。15℃、107km

    B1に沿って、ポツダムからベルリンへ向かう。標識に釣られてA100・B2・B5とベルリンの北側から中心に入ったようだ。37kmでBerlin Mitteミッテ地区の勝利の女神像が高々と立つSiegessaeule戦勝記念塔に45分で着いた。

    Berlinベルリン観光①:
    10:45~17:00  人口343万人。
    ベルリンはドイツ連邦共和国の首都である。ベルリン州と称しているが、特別市なのだ。
    ベルリンという名前はスラブ語で池や湿地を意味する「Berljina」(ベルジーナ)からきていると云われている。

    ベルリンには12の地区がある。その一つ一つが都市のようなものなので、ある意味で特徴のない町・国際都市になっている。
    この点もあって、“ベルリンはドイツではない”と思えてくる。

    さて、1983年4月家族旅行で訪れて以来の町は、確かに発展し、巨大化し、町中はいまだに建築、補修の工事が続いていた。春特有の不安定な天気でベルリンに入ると曇り、小雨も降りだした。Siegessaeule戦勝記念塔は車の波に囲まれた中島に立っている。
    近くに停めて、金色に輝く女神像をベルリン最初の写真として撮った。

    <Siegessaeuleジーゲスゾイレ戦勝記念塔>
    1865~73年に建てられた高さ67mの塔。金色の勝利の女神が頂上に立つ。デンマーク、オーストリア、フランスに勝利した記念である。

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • マグデブルクの大聖堂はゴシック様式のカイザー大聖堂と云われている。

    投稿日 2021年08月22日

    マクデブルク大聖堂 マクデブルク

    総合評価:4.5

    『かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅』
    期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月15日(日); 晴、16℃。409km

    不思議なことに州都Magdeburgマグデブルクは観光本に載っていない。
    州都マグデブルクに入ると、エルベ川沿いの道を行き、標識に沿って走り、まずは市庁舎前の旧マルクト広場に停めた。

    ①Magdeburger Reiterマグデブルクの騎手

    旧マルクト広場にある市庁舎前にマグデブルクの騎手(1240年頃)が立っている。
    全体が金色に輝き、王冠と思われるものをかぶった騎士の騎馬像はなかなか見事だが、像はコピー。オリジナルは文化歴史博物館にある。
    この騎士像は神聖ローマ帝国初代皇帝のOttos Iオットー大帝の像と言われているそうだ。
    この町の成り立ちと、オットー大帝との繋がりからすれば、尤もな説だが・・・。

    市庁舎からエルベ川を経由して、カイザー大聖堂は徒歩でそこそこある。
    観光の目玉はこの大聖堂。さすがに観光バスも多く停まり、聖堂内も観光客が多かった。

    ②Kaiserdomゴシック様式カイザー大聖堂    
    撮影料Euro1

    ベルリンから西130kmに位置し、エルベ川沿いに立つ最古のゴシック様式の大聖堂はマクデブルク大司教区の教会である。
    オットー1世・大帝によって建てられたマグデブルクの大聖堂は“St. Mauritius & St.Katharina聖マウリチウス・カタリーナ”大聖堂とも云う。
    オットー大帝は973年に没し、その妻エドギタと共に、ここへ葬られた。
    質素な聖堂内は聖壇前の床に大帝の柩が置かれ、聖壇裏手に妻エドギタの柩がある。その白い柩の蓋には彼女の寝姿の像があった。
    回廊を出て、中庭から高々とした二つの塔を見上げた。

    “ロマネスク街道の真珠”と讃えられるマグデブルクはかつて東方のマジャール人やスラブ人に対する要衝であった。968年にOttos Iオットー大帝によって司教座が置かれたことにより、大司教の保護の下でこの町は大いに栄え、後にはハンザ同盟の一員となっている。
    1524年、宗教改革でルター派に転じ、ルター派の大学として、マクデブルク大学が初めて創設された。

    *三十年戦争(マクデブルクの戦い)で新教派であったマクデブルクは旧教派の攻撃・虐殺で壊滅的な打撃を受けた。
    当時の3万人の市民が戦争終結時(ヴェストファーレン条約締結の時)、人口が450人しかいなかったと云う。2005年に町の1200年祭が行われた。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • マグデブルク:フンデルトヴァッサーの最後の作品、やはり奇妙で面白い。

    投稿日 2021年08月21日

    緑の砦 マクデブルク

    総合評価:4.0

    【かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅】
    期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    5月15日(日); 晴、16℃。409km
    今日はブレーメン空港からレンタカーで、マグデブルク、ポツダムに向かい、400kmの距離を走る。
    晴れた朝9:30、少し涼しい空気の中、ザクセン・アンハルト州の州都Magdeburgマグデブルクに向かってアウトバーンを走りだした。
    ちょうどBraunschweigブラウンシュヴァイクを過ぎた所Lehreレーレで休憩をとった。今日は旅一番の距離を走る。ここまで139km(1時間半)は中間点なので、順調といえる。

    <Magdeburgマグデブルク観光>
    12:35~14:00  人口は約28万人。
    不思議なことに州都Magdeburgマグデブルクは観光本に載っていない。

    ザクセン・アンハルト州は1990年のドイツ再統一時にできた新連邦州の1つ。
    かつてのアンハルト公国とプロイセン王国ザクセン州の大部分、ブラウンシュヴァイク公国の一部が一緒になった地域であるので、こうした名前になったようだ。
    西はニーダーザクセン州、南はテューリンゲン州とザクセン州、東と北はブランデンブルク州に接している内陸州である。エルベ川とその支流のザーレ川間に平坦な土地が広がり、西にはハルツ山地がある。州の人口237万人。

    州都マグデブルクに入ると、エルベ川沿いの道を行き、標識に沿って走り、まずは市庁舎前の旧マルクト広場に停めた。

    大聖堂から市庁舎前に戻る時、ピンク色の珍しい建物をみた。
    ウィーンで見られる建物によく似ている。帰国して調べてみると、Wienの有名な建築家Friedensreich Hundertwasserフンデルトヴァッサー(1928 ~ 2000)による建物なのだと云う。
    『Die Gruene Zitadelle von Magdeburg、直訳するとマグデブルクの緑の城、もしくは天守閣)』と呼ばれていて、彼の生前における最後の作品とある。

    何故、緑なのか外観だけではよく分からない。2005年に最終的に完成したらしい。二つの建物の中は噴水のある中庭、住居、幼稚園、カフェ、レストラン、店舗があり、Hotel in der Gruenen Zitadelle von Magdeburgというホテルまであった。
    私共の好みではない。
    かつて東ドイツだった町にこんな建物が!といった感慨が残った。

    ウィーンのフンデルトヴァッサーハウスは有名ですが、私は見ていません。
    手元の観光本にあるフンデルトヴァッサーハウスも奇抜で、色彩鮮やかな建物群です。

    私はウィーンでも、どちらかというとJugendstilユーゲントシュティル青年様式と呼ばれる建築様式が好ましく、この様式はドイツ各地でお目にかかります。

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

jijidarumaさん

jijidarumaさん 写真

33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

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