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jijidarumaさんのクチコミ(13ページ)全662件

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  • 青梅・櫛かんざし美術館:江戸から昭和までの櫛(くし)とかんざしを中心に、その数は4000点程が展示されている。

    投稿日 2022年04月02日

    澤乃井櫛かんざし美術館 青梅

    総合評価:4.0

    私共は平成24年(2012年)の今年、満69歳になり、昔風に数えで古稀の歳を迎えた。
    古稀は中国・唐の詩人、杜甫(とほ)が詩「曲江」で「人生七十古来稀なり」と表したことで、世に広まったとされています。
    その稀な歳に私共も到達したわけです。

    さて、古稀の祝いは11月23日(金)~24日の三連休中に故郷の青梅市・御岳の”ゆずの里・勝仙閣”で一泊し、翌日はあきる野市小中野の母方の実家そばにある“黒茶屋”で昼食を頂くといった楽しい集いになりました。

    11月24日(土)
    御岳渓谷遊歩道と多摩川の川原で遊んだあと、「御岳・櫛かんざし美術館」を皆で訪れた。

    ①【御岳・櫛かんざし美術館】
    10:30~11:30
    青梅市柚木町3‐764‐1  0428-77-7051
    http://www.sawanoi-sake.com/kushi/

    ”ゆずの里・勝仙閣”から、対岸にある“櫛かんざし美術館”を訪ねた。
    この美術館では江戸から昭和までの櫛(くし)とかんざしを中心に、紅板、はこせこ、かつら、矢立等に及び、その数は4000点程が展示されている。
    私共は何度か立ち寄って見ているが、初めての娘家族には面白かったようだ。

    中でも江戸時代(寛政年間)に登場した未婚女性向けの簪(かんざし)の「びらびらかんざし」は、よく時代劇で出てくるお姫様がしているが、名前が面白い。
    館内のビデオ映像で“髪の結い方”を見る事が出来、孫たちも興味深く見ていた。

    美術館からは多摩川の御岳渓谷を散策することも出来、館内からの眺めは絶景でした。

    御岳から青梅(9km17分)に向い、皆が好物の酒まんじゅうを取りに行った。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ロッテルダム港内遊覧船Spidoスピドーに乗った。

    投稿日 2022年03月30日

    港巡り (スピドー) ロッテルダム

    総合評価:4.0

    ドイツのデュッセルドルフとオランダのロッテルダム間の距離は距離表によると177 kmである。(出張で何度も往復したデュッセルドルフとフランクフルト間の距離もほぼ同じ183 kmを示している)

    Europortユーロポートはオランダのロッテルダム付近にある欧州共同市場の国際港として発展していた。
    この為、各商社はロッテルダムに支店(現地法人ではなく)などを設けて対応していた。
    当社のロッテルダム支店には、駐在員として派遣されていた2年後輩のUさんが家族と共に住んでいた。ロッテルダムとデュッセルドルフ間はアウトバーンで走れば近いこともあって、何度か双方が行き来していた。

    *1976年9月10日(金)~12日(日)、

    今度も仕事を終わらせた10日の夜20時45分にデュッセルドルフを出発し、ロッテルダム23時30分着でUさん夫妻を訪問した。
    11日は市内観光、
    12日はロッテルダム港内遊覧船に乗った。・・・Rotterdam・Spidoスピドー(所要時間75分)、子供たちは楽しかったようだ。

    U夫人はこの12月にも出産の予定だが、相変わらず元気で明るい。
    一日遊んで、19時10分ロッテルダムを出発し、デュッセルドルフの自宅に21時30分に帰宅した。

    ・・・・・

    旅行時期
    1976年09月
    利用目的
    その他

  • あきる野市広徳寺:東京都天然記念物に指定されたタラヨウは”葉書“の語源になった。

    投稿日 2022年03月28日

    広徳寺のタラヨウ あきる野・秋川渓谷

    総合評価:4.0

    亡くなった母の一番下の弟・叔父の49日法要は2010年4月29日に
    広徳寺で行われた。

    <広徳寺(こうとくじ)のタラヨウは”葉書“の語源>  
    あきる野市小和田234 

    広徳寺は臨済宗建長寺派、龍角山。秋川南岸の秋川丘陵の小高い麓にある、
    鎌倉五山建長寺の末寺である。
    寺伝によると、明徳年中(1390~94)というから室町時代のはじめ、正応長者と
    いう人の妻(法名龍応智雲尼)が開基し、応永10年 (1403)前建長寺住職が
    開山したという。
    そして天文年間(1532~55)小田原北条氏の氏康が寺領を寄進して再興した。
    客殿に北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直の各位牌を安置する。
    江戸時代には40石の朱印地が与えられ、約1万2千坪の境内を保有していた。

    山門は江戸時代の建築の特長をよく表わし,重厚な造りで見る者を圧倒する。

    古刹として堂々たる風格を漂わせる広徳寺には山門の奥にある大銀杏は
    あまりの大きさに更に驚く、紅葉シーズンには黄金色の大銀杏は
    実に見応えがあるものだ。
    寺内の裏手には、東京都指定天然記念物になっている都下最大級の「カヤ(24.5m)」、
    と「タラヨウ(19.1m)」があるのが知られている。
    タラヨウの葉の裏に傷を入れて文字を書くことが出来るそうです。
    それで”葉書“の語源とも言われている。

    ・・・・・

    旅行時期
    2010年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    2.5
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    バリアフリー:
    1.0

  • あきる野市広徳寺:東京都天然記念物に指定されたカヤ

    投稿日 2022年03月28日

    広徳寺のカヤ あきる野・秋川渓谷

    総合評価:4.0

    亡くなった母の一番下の弟・叔父の49日法要は2010年4月29日に
    広徳寺で行われた。

    <広徳寺(こうとくじ)のカヤ>  
    あきる野市小和田234 

    広徳寺は臨済宗建長寺派、龍角山。秋川南岸の秋川丘陵の小高い麓にある、
    鎌倉五山建長寺の末寺である。
    寺伝によると、明徳年中(1390~94)というから室町時代のはじめ、正応長者と
    いう人の妻(法名龍応智雲尼)が開基し、応永10年 (1403)前建長寺住職が
    開山したという。
    そして天文年間(1532~55)小田原北条氏の氏康が寺領を寄進して再興した。
    客殿に北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直の各位牌を安置する。
    江戸時代には40石の朱印地が与えられ、約1万2千坪の境内を保有していた。

    山門は江戸時代の建築の特長をよく表わし,重厚な造りで見る者を圧倒する。

    古刹として堂々たる風格を漂わせる広徳寺には都指定天然記念物に
    なっている都下最大級の「カヤ(24.5m)」、「タラヨウ(19.1m)」があり、
    紅葉シーズンには、黄金色の大銀杏も見応えがある。

    ・・・・・

    旅行時期
    2010年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • 秋川渓谷・紅葉も美しい、味も美味い黒茶屋

    投稿日 2015年11月22日

    黒茶屋 あきる野・秋川渓谷

    総合評価:5.0

    私共は平成24年(2012年)の今年、満69歳になり、昔風に数えで古稀の歳を迎えました。

    さて、古稀の祝いは11月23日(金)~24日の三連休中に故郷の青梅市・御岳の”ゆずの里・勝仙閣”で一泊し、翌日はあきる野市・小中野の母方の実家そばにある“黒茶屋”で昼食を頂くといった楽しい集いになりました。

    古稀の祝いには娘2家族9人と私共の総勢11人と、“還暦の祝い”よりも倍の数になりました。元気に家族一同が参集し、古稀を祝って頂き、こんな嬉しい事はありません。家族の充実、その繁栄を感じて、とても幸せな時間を感じています。

    今回は場所も故郷の青梅市・三慶病院に入院中のお祖母ちゃんの見舞いや、私共の実家の二つの墓参りも家族全員で訪れることが出来たので、母も御先祖様も喜んでくれている事でしょう。しかも何年か前に泊った事がある、御岳渓谷の”ゆずの里・勝仙閣”で最初の祝いをして頂き、また、一度は食事をしてみたかった、あきる野市(旧五日市)の“黒茶屋”での昼食でも祝ってもらいました。どちらも十分に満足するものでした。

    昼食)黒茶屋  東京都 あきる野市 小中野 167   042-596-0129
    http://www.kurochaya.net/  
    個室:椅子・テーブル席  
    時間:2012.11.24  12:15~15:00

    一度は食事をしてみたかった“黒茶屋”での昼食をアレンジして頂き、たいへん嬉しい一時になった。予約時間を少々過ぎて着いた黒茶屋は駐車場もいっぱいに埋まるほどに来客が訪れていた。この日は連休もあって、予約が無いと食事ができない様子でした。
    古民家を食事処にした魅力的なお店で、待合室も立派で、豪壮な古民家に驚いた。

    昼食:「じじ&ばばの古稀お祝い会・第二弾」 
    お料理は、大人:朴葉焼と山里料理(和牛)、子ども:ほおずき(季節のお弁当・果物・おやき)が個室のテーブル上に出てきました。出てきた料理のどれも美味しい味で、食べきれないほどの量の盛り沢山料理には驚き、皆さん、お腹がいっぱいになったようだ。
    「黒茶屋」はとても雰囲気が良く、お料理も美味しくて大満足でした。

    旅行時期
    2012年11月
    利用した際の同行者
    乳幼児連れ家族旅行
    一人当たり予算
    7,500円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    5.0
    雰囲気:
    5.0
    料理・味:
    5.0
    バリアフリー:
    4.0
    観光客向け度:
    4.5

  • 「シュヴァーベンの海」・ボーデン湖畔にある古城ホテル ヴァッサーブルグ城

    投稿日 2022年01月27日

    観光案内所(リンダウ) リンダウ

    総合評価:4.0

    Wasserburg am Bodenseeに向かう県道では、怖い目にあった。
    【危険な追い越し】をしたのだ。ゆっくり走るトラックをついつい抜いてしまったのだが、前方からのトラックのスピードを見誤ったわけで、こちらのVWの速さに対して意外に早いスピードで正面から突っ込んでくるトラックには肝を冷やした。

    L?/B31/L?をちょっと遠回りした感じがあったが、Lindauリンダウの街中を抜けて西に5kmを走るとヴァッサーブルグに16:30に到着した。

    訪ねた観光所には誰もいない。裏手の駐車場に停まって地図を眺めていると小母さんが通りかかり、これ幸いと古城への道を聞く。
    小母さんは観光所の人だったらしく、事務所から大量のパンフレットを持参して、繰り返し城への道を説明してくれた。今日もまた感謝です!!

    <お茶:Schlosshotel Wasserburg古城ホテル・ヴァッサーブルグのテラスで>
    スケジュール通りに、城内のテラスでお茶を頂く。
    パラソルの立った、テラスレストランには大勢のお客がいて、
    珍しい日本人に好奇の目を向けてくる。
    残念な事に城の周辺は湖水が干し上がっていて、
    流木などがちょっと見苦しかった。

    二人とも珍しく、大き目のカップにたっぷりと注がれたココアを頼み、
    甘そうなチョコレートのデコレーションケーキの一切れを楽しんだ。
     (16:30~17:10 Euro 9)

    <Schlosshotel Wasserburg古城ホテル ヴァッサーブルグ城>
    D-88142 Wasserburg/Bodensee 、Halbinselstrasse 78
    http://www.schloss-hotel-wasserburg.de/

    3星・全15室。2007年4月27日にお茶に寄った。

    ボーデン湖に突き出た半島に築城された水城である。
    最初に城が築かれたのは、当時まだ小島であった784年の春であると云う。
    以来凡そ1200年の歴史を持っている。
    1280年、Schellenbergシェーレンベルクの領主がここを教会の支配から奪い取り、以後何百年もの間、貴族の一門によって支配された。
    この古城ホテルは部屋数15室の小ぶりのホテルで、立派な庭園、水浴場、ボーデン湖に臨むテラスがあり、対岸のスイスの山並みが遠く望まれる、素晴らしい場所にある。

    今回はチャンスがなかったが泊まってみたいホテルである。レストランはボーデン湖の魚を主とした郷土料理が得意だと言う。

    ・・・・・

    「ボーデン湖」という名はカロリング王家の館ボードマンに由来していると云う。英語、仏語ではコンスタンツ湖と呼ばれ、ドイツ文学的には“Schwaebisches Meerシュヴァーベンの海”とも云われている。
    もっとも最近はこの詩的な、或いは洒落て「シュヴァーベンの海」と書くのもその昔、帝政期ローマの政治家、歴史家であったCornelius Tacitusコルネリウス・タキトゥス(西暦55年頃~120年頃)が表現語として使用したと云われている。

    ヴァッサーブルグの観光局で頂いたパンフレットの表紙には次の言葉が書かれている。「休暇に海が必要ですか?!」とある。何もかも揃った保養地・ボーデン湖で過ごす事ができれば、なにもわざわざ、海に出かける必要など無いと言いたげに・・・・・。

    ボーデン湖周辺は誠に“海”を必要としない。この広い湖の周辺には、太陽とワインとそして、素晴らしい景色がある。  遠くで、雷が鳴り始めた。

    ・・・・・

    尚、Wasserburg/Bodenseeの町は、Landkreis Lindauリンダウ地区に属する約4千人の町でボーデン湖畔の保養地である。リンダウの観光案内所を利用して、口コミを投稿した。 

    旅行時期
    2007年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • デュッセルドルフ:RheinturmラインタワーとMedienHafenメディエンハーフェンの違和感!

    投稿日 2022年01月09日

    メディエンハーフェン デュッセルドルフ

    総合評価:2.0

    ≪違和感を持ったRheinturmラインタワーとMedienHafenメディエンハーフェン≫

    デュッセルドルフのRheinturmラインタワーは1979年から1982年にかけて建てられた電波塔(高さは240.5m、172.5mのレストラン、その下に展望台、バーラウンジM168)である。丁度第一回の駐在が終わった年に建設が始まり、再度駐在となった年に完成した。
    だから、この塔を初めて見た時、最初から違和感があったものだ。

    デュッセルドルフの好ましい旧市街に、大観覧車に加えて、ライン川畔にラインタワーがニョッキと立っているのが気に入らないのだが、今はもうこの町の風景になってしまった。
    それでもかつての写真を見ると、旧市街の中心から右(オーバーカッセル側から見て向かって右、方向は西にあたる)の端っこだから、見ないでも済むのだが・・・。

    そのタワーの南側一帯は19世紀終わり頃からライン川の水上交易港として栄えたデュッセルドルフ港を新たに再開発した地区で、「MedienHafenメディエンハーフェン」と呼ばれている。何ともモダンな建物がならび、不思議な雰囲気を醸し出している。
    メディエンハーフェンが有名になったのは、世界的有名な建築家Frank O Gehryフランク・O・ゲーリー設計の3つのビル「ノイアー・ツォルホーフ」が建ってからだ。

    曰く、デュッセルドルフの新観光地だそうだ。

    ・・・・・

    (2022年1月9日Wiki参照、編集追記)

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    景観:
    2.0
    人混みの少なさ:
    3.5

  • 1983年のクリスマスをケルン近郊の古城ホテルで過ごし、翌日は祭りの後の静かなボンを訪れた。

    投稿日 2022年01月05日

    ミュンスター広場 ボン

    総合評価:4.0

    ≪1983年のクリスマスをケルン近郊の古城ホテルで過ごし、翌日は祭りの後の静かなボンを訪れた。≫

    クリスマスやSilvesterジルヴェスタ―(12月31日、大晦日=年越し)にデュッセルドルフを離れて、フランスやドイツなどの古城ホテルで過ごした事がある。
    我が家は娘二人(13歳と11歳の)がいて、ことのほか、この旅を楽しんでいた。

    1983年12月24日~26日(2泊3日)のクリスマス時期に宿泊した時は驚いたことに、ホテルの宿泊客は私共家族4人だけだった。
    クリスマスの料理を楽しみ、貸し切り状態の古城ホテルで過ごした。

    第三日:12月26日(月)雨

    3)アウエル城=>ボンの行程33分、27km
    Schloss Auel=>Honrathホンラート L288=>L84・B484・A3・Lohmarローマル B484=>B56 ・A560=>Bonn-Vilichヴィリッヒ A59・B56 =>Bonn 

    クリスマスの翌日はボン見物にした。
    あいにくの雨のボンは久しぶりだが、さすがに祭りの後は静かなもので、町全体が休んでいた。
    ミュンスター広場の郵便局、ベートーベンの像を子供たちと共に撮り、街中で見つけた可愛い木組みの家もクリスマスバージョンが美しい。

    マルクト広場には文化都市らしい、品の良い旧市庁舎が大きな樅ノ木のクリスマスツリーを従えて立ち、ベートーベンの誕生地だけにベートーベンの家、コンサート用のベートーベンホール、ミュンスター教会、ボン大学と狭い地域に主要な建物がある。

    4)ボン=>デュッセルドルフの行程53分、73km
    Bonn =>B56 ・A59・A560・B484 Lohmarローマル・B507=>Roesrathレスラート A3・A44・A52 D’dorf‐Nord =>D-Unterrath

    ボン見物後、途中のSiegburgジークブルク(1000年以上の歴史を持ったベネデイクト僧院で知られた町)経由でデュッセルドルフに帰った。

    静かなクリスマスを満喫した3日間でした。

    ・・・・・

    旅行時期
    1983年12月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • ドイツ一の名城エルツ城Burg Eltzはドイツで“行って見たい観光地10選”に選ばれている。

    投稿日 2017年04月09日

    エルツ城 コブレンツ

    総合評価:5.0

    *古い写真を見つけたので更新した。
    (1977.03.08.スイスZugから後輩のM君来訪、03.12.~13.MoselのSchlosshotel Zellに泊まり、Schloss Cochemコッヘム城とBurg Elzエルツ城見物。この時は家族4人でモーゼル川畔から北の山中に少し進んだ所にあった駐車場に車を停め、そこからエルツ川の谷間沿いに歩いた。木陰からエルツ城の格好良い姿が見えた)

    2006.5.:“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
    期間:2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間

    05.13(土)曇り 20℃ 昨夜猛烈に雨が降ったので、一日涼しい。
    Karden B416->11km、Hatzenport、L113->5km、Muenstermaifeld、K37->7km、Wierschem、K38->2km Antoniuskapelle、9:40駐車場、下り坂を800m、20分程の距離。ドイツ一の名城Burg Eltzエルツ城が見える。城には10:00に着く。ガイドツアーは約40分。宝物館。Antoniuskapelle K38->2km Wierschem、K37-> L118 10km Pllig K27->2km、12:00、Burg Pyrmont (bei Roes)ピルモント城内見学。

    寒いぐらい(13.5℃しかなく)の森の中を歩き、さらに下り坂を800m、20分程の距離を歩いてゆく。途中から、谷間の視界が開けて、ドイツ一の名城Burg Eltzエルツ城が見えてくる。城には10:00に着く。

    ≪Burg Eltzエルツ城≫
    エルツ城はドイツで“行って見たい観光地10選”に選ばれていて、名城として名高い。モーゼル川から少し北に入ったエルツ川の谷間に、モミの木の鬱蒼と繁った山中にある。1151年シュタウフェン王朝のコンラート三世はCochemの城を手にすると、その帝国領内に城塞の構築を進め、その一環として、家臣のEliasエリアス(Kleveの白鳥の騎士と同じ名前)により、Eltz城も建設された。
    1356年にはカール四世から、トリアーの大司教に与えられたが、その後も、山城は増築を重ね、一度も陥落した事がない難攻の城という。
    Eliasはエルツ家を名乗り、その家系は城主として、中世から現代にいたる800年以上も連綿と続いているそうである。

    エルツ城ガイドツアーは約40分、日本語の説明書を借りて、集まりだした大勢の観光客と共に、城内へ。城内には
    ①下の広間---1450年、樫の木の天井は堅牢なもの。ここは居間にあたる。1537年アイフェル製の暖炉、16世紀のクラナッファの絵“マドンナとキリストと葡萄”が架けられている。
    ②寝室---①の上層階、16世紀、後ゴシック様式の壁絵、15世紀の鉛製窓のあるカペレ。独特の1520年天蓋付きベッド(暖房の面から、階段を上がった所にベッド)。中世後半から用いたと言う、部屋の隅の城郭から突出した部分に設けられた、水洗式トイレ!!(屋根に溜めた雨水の利用)が見られた。
    ③騎士の間---樫の木の天井、城一番の広さ、17世紀のゴブラン織り(太陽神と月の女神の会食)が壁に架けられ、最後の騎士と謳われた皇帝マキシミリアンの甲冑(1520年代製、27kgの重量)がある。
    ④Fahnensaal旗の間---1881年南独製オーブンがあり、エルツ一族の紋章がタイル張りされている。後ゴシック様式のガラス絵(騎士階級の守護神、聖Georgのドラゴン退治の図)も見ることができる。
    ⑤Komtessenzimmer伯爵令嬢若しくは貴婦人の間---居間に掲げられた、いくつもの絵から、そう呼ばれたという。Brautbett花嫁のベッド(1520年製、2.05x1.45mの大きさ。この時代は、座って眠るスタイルの小さなベッドが主流で、これは珍しい大きさである。)や、16~19世紀の陶磁器コレクションが。

    その他に⑥台所⑦狩りの間など、中世の色合い濃い、興味深い部屋部屋を見る。40分はあっという間である。(12Euro)。

    昔は無かった、出口側の地下に宝物館(5Euro)もあって、一族の貴重な品々を1981年から公開し、12~19世紀の宝飾品等500もの品々を展示している。代表的なものは
    ①狩りの女神ダイアナが鹿に跨った姿---1600年、アウグスブルグの銀製品。
    ②騎士の乗馬像---スウエーデンの王G・Adolf、1650年銀に金メッキをした見事な像である。
    ③Der Dukantenscheisser金貨(糞)をひり出す男---デュッセルドルフの旧市街でも見たものと同じで、ユーモラスな格好をしている。1650年アムステルダム製の高価な象牙品。④弓、銃器等の武器⑤ヘキスト、ウィーン等の陶磁器がある。

    外は雨がぱらつく天候になってきた。城門から出て、右に行く道から城を眺める。形の良い城である。眼下に小さなエルツ川が城に沿って、流れている。
    以前にここを訪れた時は、モーゼルから少し入った駐車場に車を置き、エルツ川沿いに山中をハイキングしながら、登った。今日もその道をたどって、エルツ川に架かる橋を渡っている人々が遠くに見える。

    ドイツ一の名城と称されるが、モーゼルからは直線で数キロの距離の谷間に城を作る軍事的な意味合いがどれほどのものか?理解し難い場所だが。ともあれ、こうした古城らしい立派な城が残ったのは素晴らしい事だ。

    ・・・

    Antoniuskapelle K38->2km Wierschem、K37-> L118 10km Pllig K27->2km、12時、Burg Pyrmont (bei Roes)ピルモント城に到着。

    <Burg Pyrmont (bei Roes)ピルモント城>
    ピルモント城は“Die Perle der Eifelアイフェルの真珠”と呼ばれている。エルツ城ほど有名ではないが、やはりエルツ川に沿った山上に、25mの塔を中心に堅固な城壁を持った城である。塔からのアイフェル、モーゼル、フンスリュック地方の眺望は素晴らしいとある。観光客の一団が塔の上から、なにやら叫んでいる。
    ここでは騎士の扮装をして、【騎士とお姫様ごっこ】ができるサービスもあって、面白そうだ。
    ピルモント城は953年頃から、砦のようなものが建てられ、1225年に初めて歴史に城の名が出てくると云う。その後の変遷を経て、城は1963年に再建され、1990年から一般に公開されるようになった。城への橋を渡り、案内のビデオを鑑賞してから、城内を見て廻る。騎士の間、広い食堂、城主の間、カペレ、テラス、地下室、庭園など小さい規模ながら、興味深いものがある。(8Euro)

    XXX

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    5.0

  • ハロン湾・海南島・香港と初めてのクルーズ旅をする。

    投稿日 2021年12月29日

    ハロン湾 ハロン湾周辺

    総合評価:5.0

    ≪ハロン湾・海南島・香港と初めてのクルーズ旅をする。≫

    <あご脚付きの招待旅行:>
    2008年06月15日~20日:ハロン湾・海南島・香港と初めてのクルーズ旅をする。6日間の旅(クルーズ船3泊、ホテル2泊)

    初めてクルーズ船に乗って、三都市を巡った。

    6月15日(日)、成田から香港に飛び、ここからスタークルーズのSuper Star Virgo(*スーパー・スター・ヴァーゴ)に乗船した。
    *13 階建のスーパースター ヴァーゴは1999 年ドイツで建造された。総トン数75,338 トン、全長268m、全幅32m、航海速力24 ノットで全935室を備え、最大1,870名の乗船客を数えると云う。
    部屋はオーシャンビュー、バルコニー付きDeck9、No.9506でした。
    この日は夕刻に船上最上階でウエルカムパーティーが開かれた。
    最初の目的地の中国・海南島に向けて走る大型客船の船上は風が強い。この船内に3泊する。

    6月16日(月)、「中国のハワイ」、あるいは「東洋のハワイ」とも呼ばれる海南島はもちろん初めての訪問になる。一日、オプショナルツアーで美しいリゾートアイランドを楽しんだ。
    夜になって、第二の目的地であるベトナム・ハロン湾に向かって出航した。

    6月17日(火)、朝、ベトナムきっての景勝地であり、世界遺産(1994年認定)であるハロン湾(ハ・ロンとは下龍で、「龍が降りたつ」の意味)に到着。
    一日中、オプショナルツアーでハロン湾内の島々を見物した。ハロン湾はハロン市の南に位置し、大小3,000もの奇岩(石灰岩)、島々が存在する。これら島々の景観は太陽の位置によって輝きが変化し、雨や霧によっても趣のある雰囲気を醸し出すのだと云う。
    伝説では「中国がベトナムに侵攻してきた時、龍の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になった」と伝えられている。
    古くからの敵対する2国だが、1979年2月~3月の中越戦争が起こった。
    ベトナム軍は強いと云う。
    外の温度は28℃から30℃、しかも湿度も高く、クルーズ船内の冷房が効いていることもあって、その温度差になかなか適応できなかった。
    本日も夕刻より、最終地の香港に向けて出港し、また船長主宰のガラディナーが賑やかに開催された。

    6月18日(水)、夕方、香港に到着し、滞在ホテルの九龍シャングリラホテルにチェックインした。短い時間、香港観光を楽しむ。
    6月19日(木)、終日自由行動。夕刻よりフェアウエルパーティーが開かれた。
    92年から95年にかけ3年間、香港に単身駐在した夫を2ヶ月ごとに訪問し、一緒に香港生活もしたから、この町は土地勘もあり、懐かしい町を巡ったものだ。

    6月20日(金)、午前に香港空港を離陸し、成田空港に午後に到着した。
    欧州の旅とは違って、近距離の旅だから、あまり疲れを感じない旅でした。

    宿泊ホテル:
    ①スタークルーズのSuper Star Virgo(スーパー・スター・ヴァーゴ) 3泊
    ②九龍シャングリラホテルKowloon Shangri-La, Hong Kong 2泊
    64 Mody Road, Tsim Sha Tsui East, Kowloon Hong Kong
    5星、全679室

    ・・・・・・・・・

    旅行時期
    2008年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1日

  • ヴァチカンはイタリアの文化・芸術の中心、一度は訪ねる価値がある。

    投稿日 2021年12月26日

    ローマ歴史地区、教皇領とサン パオロ フオーリ レ ムーラ大聖堂(バチカン市国) バチカン

    総合評価:5.0

    <あご脚付きの招待旅行:>
    2013年7月1日~6日イタリア・ヴァチカン:ローマ、ヴァチカン、カプリ、ナポリ6日間の旅(ホテル4泊、機中1泊)

    三十数年ぶりに訪れたのはイタリア・ヴァチカンである。
    7月1日、成田からフランクフルト経由でローマに。18時10分到着。シェラトン・ローマに4泊する。

    7月2日、ナポリ・カプリ島「青の洞窟」の旅、日帰り旅の目玉だった「青の洞窟」見学は幸い時間待ちもなく、美しい青色の洞窟内を見ることができた。天候や波の状態により、この7月でも2,3割が進入不可能となると云う。洞窟内側に入ると奥行き54m、高さ15mの空間が広がり、水面から洞窟全体が紺碧の光を帯びた美しさを見せていた。
    空の青、海の青、白い家々のカプリ島での昼食もシーフード・リゾットに満足。
    7月3日、ローマ市内観光:コロッセオやスペイン広場・スペイン階段、トレヴィの泉など。
    7月4日、ヴァチカン・・・ヴァチカン市国とカトリックの総本山にはサン・ピエトロ広場と大聖堂(ミケランジェロの傑作『サン・ピエトロのピエタ』)、宮殿、ヴァチカン美術館(ミケランジェロをはじめとする画家たちにより装飾されたシスティーナ礼拝堂、ギャラリーなど)といったもので、半日観光では見きれない。
    イタリアは見るべき観光地も多いが、やはりヴァチカンを一度は訪ねる価値がある。

    7月5日、ローマを12時5分に出発し、ミュンヘン経由で成田に。
    7月6日、成田に10時25分着。6日間の旅も実質3日間の観光は残念!

    宿泊ホテル:
    シェラトン・ローマに4泊
    Viale Del Pattinaggio, 100
    Rome, 00144 イタリア

    ・・・・・・・・・
    以下は参考までに:

    ≪1977年8月、はじめてのイタリア旅行≫

    1977年8月6日~20日の15日の夏の休暇旅行で、6日6時半にデュッセルドルフの自宅をスタートし、途中613kmの距離にあるミュンヘンに宿泊(1泊)し、更に翌日インスブリュック見物の後、怖い高さのEuropabrückeヨーロッパ橋(1963年完成、長さ813m、高さ190m)を渡り、古くからイタリアと独・墺などの国々を繋ぐ重要な峠として利用されてきたBrennerpassブレナー峠(海抜1370m、1975年に完成したアウトバーンE45がある)を越え、イタリアに入り、ヴェニスに至る400kmを走った。
    イタリアは7日ヴェニス(1泊)、8~9日フィレンツェ(2泊)、アッシジ、10~13日ローマ(4泊)、ここをベースに市内観光、ポンペイ、ナポリを巡り、そしてドイツに向けて戻る。
    その帰途はシェナ、14日サンジミニャーノ(1泊)、ピサ、ジェノバ、15~16日ミラノ(2泊)と見物し、 アオスタ経由280kmの山越をして、スイスの湖水地帯に入り、レマン湖畔のモントルー(17~18日・2泊)、ローザンヌ、19日ベルン(1泊)、バーゼル、フランスのアルザス、シュトラースブルクを経由して、20日にデュッセルドルフに戻った。
    総走行距離は4,400kmでした。

    ≪1983年7月、二度目のイタリア旅行≫

    1983年(39歳)7月27日(水)~8月7日(日)も夏の休暇で行った。
    ヴェニス近郊(場所は北アドリアのLido di Jesolo!)に泊まり、車でヴェネチア見物へ。
    帰途はミラノからコモ湖の町に滞在し、コモ湖近辺を巡った。
    スイスの中の飛び地・イタリア領Campioneなどです。コモ湖ではVilla Carlottaという素晴らしい庭園を見ている。
    マッジョーレ湖には行きませんでしたが、イタリア・スイスのややこしい国境もあって、奇妙な思いをしたものの、北イタリアは良い所だと思った。
    家内の書いた旅ノートによるとコモ湖から、S33の道をシンプロン峠に向かい、峠を越えて、スイスに入ったようだ。
    メルセデス230の中古車には峠道は軽々とはいきませんでしたが、峠を越えて、Brigブリークに抜け、Taeschに至って、Zermattoツェルマットに。Gornergrat3089mまで、登山電車に乗り、マッターホルン、モンテローザの光景を楽しんだ。
    驚いたのはGornergratで当時のアルジェ駐在員の知人夫婦にばったり出会ったことだ。 

    その後、Zermattから、Sionシヨンの古城(この辺りもワイン産地)、地底の洞窟、Montreuxモントルーではレマン湖のシヨン城、ドイツの黒い森・Gutachグータッハを経由して、Duesseldorfに戻った。
    11泊12日休暇は凡そ3700kmを走った。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2013年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    2.5
    展示内容:
    5.0

  • カナダはナイアガラの滝の迫力に驚き、ちょっぴり西部開拓時代を感じさせた。

    投稿日 2021年12月16日

    ブラック クリーク パイオニア ビレッジ トロント

    総合評価:5.0

    ≪カナダはナイアガラの滝の迫力に驚き、ちょっぴり西部開拓時代を感じた。≫

    <あご脚付きの招待旅行:>
    2009年06月10日~15日カナダ・トロント6日間の旅
    (ホテル4泊、機中1泊)

    6月10日から14日はシェラトン・センタートロントホテルに4泊した。
    11日はトロントの市内観光、近郊のBlack・Creekブラック・クリーク開拓村(いわゆる郷土博物館:村の小ぎれいな住居、メープルシロップの昔からの製造、ランプシェードの制作、レースの飾り付けや当時の方法で行う印刷などを見学)、

    12日にPillitter Estates Wineryピリッター・エステート・ワイナリーで試飲、ナイアガラ・オンザレイクの洒落た町を歩き回る。

    最終日13日はナイアガラの滝を上から、下からと眺め、「Maid of the Mist霧の乙女号」に乗船し、アメリカ滝(落差56m、幅320m)の傍を通り、カナダ滝(落差54m、幅675m)の渦巻く滝壺に接近し、提供されたビニールのカッパを着ていても大いにしぶきの洗礼を受け、カッパが飛ばされそうになった。
    やはりカナダ滝の方が雄大、豪快で遊覧が実に楽しい。

    カナダは初めてで、従ってAir Canadaカナダ航空の搭乗も初めてだった。
    やはり目玉のナイアガラの滝の迫力に驚き、ちょっぴり西部開拓時代を感じた。

    宿泊ホテル:シェラトン・センタートロントホテルに4泊
    123 Queen Street West
    Toronto ,Ontario M5H 2M9 Canada
    Room No.1036


    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日

  • モナコ公国の美しい景観は大砲と共に望むのが一番だ。

    投稿日 2021年12月14日

    セントマーチン ガーデン モンテカルロ

    総合評価:5.0

    <あご脚付きの招待旅行:フランス・パリ近郊から南仏ニース、モナコの旅>
    2005年10月2日~8日1週間の旅(ホテル5泊、機中1泊)

    2日から4日はパリの5星インターコンチネンタルに2泊して、パリ近郊のヴォールヴィコント城、モレ村(ロワン川)、ヴェルサイユ宮殿、そしてパリ市内観光(エッフェル塔、シテ島、パリ市庁舎、ノートルダム寺院)、セーヌ川ディナークルーズを楽しむ。

    4日午後の便でパリからニースに飛び、モナコでは4日から7日、モナコ公国の首都モンテカルロにある5星ホテル エルミタージュに3泊した。

    5日、モナコ市内観光は大聖堂、大公宮殿、パレ広場・衛兵交代式、旧市街、St Martin Gardensセントマーチン ガーデンの大砲のある、とりわけ気分の良い展望台からモナコの旧市街、港の素晴らしい景観を楽しんだ。
    その後、ニースとの間に位置するエズの鷲の巣村を観光。

    最終日の6日はコート・ダジュールを走り、ニースのシャガール美術館、ピカソ美術館、サン・ポール観光、カンヌの映画祭の会場パレ・デ・フェスティヴァル、旧市街、野菜・果物市場や港の観光など。

    フランスはパリを中心に近郊のイール・ド・フランス、北西部のモン・サン・ミッシェル、ロワール地方、北東部のアルザス・ロレーヌ地方は比較的訪れていたが、南仏はこの時が初めてで、その後も足を運ぶことはなかったから、大変ありがたい旅だった。
    (尚、1970年代半ばのブルーガイド海外版には、この南仏の事は殆ど述べられていないから、面白い。今とは隔世の感がある)

    旅行時期
    2005年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    観光の所要時間
    1-2時間

  • 縁者が眠る、広徳寺の佇まいは好ましい。しかも山門を彩る、黄金色に色づく2本の大銀杏が見事だ。

    投稿日 2021年12月12日

    広徳寺 あきる野・秋川渓谷

    総合評価:5.0

    東京都西多摩地方のあきる野市は1995年に秋川市と五日市町が合併して発足した。
    広徳寺は旧五日市町の名刹である。

    JR武蔵五日市駅からバスで檜原街道(国道33号線)の長い坂道を上がり、谷合の小さな街並みを行く。駅から檜原村に向かうバスの停留所数で3つ目の距離にある上町で降り、左手の秋川に向かう下り坂を行くと、秋川にかかる小和田橋?にあたる。これを渡ると、小和田地区に入る。右手にうかいする道から秋川丘陵に向かうとまたキツイ坂が左手にあり、それを上ると、広徳寺の山門(傍に広い駐車場もある)に至る。徒歩では結構大変である。

    旧五日市町の街並みを見下ろす高台にある広徳寺は好ましい佇まいだ。
    とりわけ秋の景観が良い。山門を彩る、黄金色に色づく2本の大銀杏が見事だ。

    【広徳寺(こうとくじ)】
    東京都あきる野市小和田234

    秋川南岸の秋川丘陵の小高い場所に立っている。
    臨済宗建長寺派、龍角山と称し、鎌倉五山建長寺の末寺である。
    寺伝によると、室町時代のはじめ、明徳年中(1390~94年)に正応長者という人の妻(法名龍応智雲尼)が開基し、応永10年 (1403年)、前建長寺住職が開山したという。

    天文年間(1532~55年)小田原・北条氏の氏康が寺領を寄進して再興した。
    本堂客殿に5代にわたり関東八州に威勢をふるった戦国大名の後北条氏(ごほうじょうし=小田原北条氏の初代の早雲(そううん)・氏綱・氏康・氏政・氏直の各位牌を安置している。
    江戸時代には幕府より40石の朱印地が与えられ、約1万2千坪の境内を保有していた。山門は江戸時代の建築の特長をよく表わして、見事な作りである。

    本堂の裏手に都指定天然記念物の「カヤ」」(24.5m)と「タラヨウ」(19.1m)の大木があり、都下最大のものと云われている。タラヨウの葉の裏に傷を入れて文字を書くことが出来る。 ”葉書“の語源ともいわれる。

    ・・・・・

    尚、広徳寺は高校教師であった叔父(母の一番下の弟)が婿入りした岸家の菩提寺である。だから叔父も寺の山門傍にある先祖代々の墓に葬られている。
    その近くに親族の萩原家の墓があり、祖母の従姉で、母の御所奉公の際にお世話頂いた*萩原 タケ女史の墓がある。

    *萩原 タケ(明治六年~昭和十一年、享年六十三歳)は日本赤十字社看護婦取締(監督)、国際看護婦協会名誉副会長兼評議員などを務め、大正九年(一九二〇年)に第一回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞した。
    日本赤十字社はタケ女史の死に際して、看護婦としては異例の赤十字病院葬を執り行って、その死を悼んだ。
    『聖女』とか、『看護婦の鑑』、『日本赤十字社の明星』などと讃えられた女史の胸像は郷土の偉人として、その功績を顕彰され、旧五日市町役場前に立っている。また、五日市郷土博物館に展示コーナーがある。

    ・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2012年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    5.0

  • ドイツの美味・シュパーゲル(白アスパラ)はプファルツ選帝侯のシュヴェツィンゲン宮殿で栽培されていた。

    投稿日 2021年12月07日

    シュヴェッツィンゲン城 ハイデルベルク

    総合評価:4.5

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシェ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭

    シュヴェツィンゲンはバーデン・ヴュルテンベルク州の北西部、ハイデルベルクの南西約13km、マンハイムの南東約15kmにある。その二つの町を結ぶ古城街道上にある。
    シュヴェツィンゲンの地域は元々ヴォルムス司教領であったが、12世紀にライン宮中伯・プファルツ選帝侯の支配下となった。1439年に初めて人口が記録され、その数はなんと230人であった。今は人口22千人のそれなりの町になっている。
    この町はシュパーゲルの産地である。

    <Schloss Schwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿>
    この旅49番目の城  入場券Euro10

    “プファルツ地方の小ヴェルサイユ”と称される宮殿(かつてのWasserburg水城)である。1350年、ライン宮中伯ルドルフ2世が居城とした。
    三十年戦争およびプファルツ継承戦争で、この城は破壊された(1689年)が、プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムと、その後継者によって再建された。
    1720年にカール3世フィリップはハイデルベルクから一時的にシュヴェツィンゲンに宮廷を移し、1742年からは夏の宮殿として、増築がなされた。
    1750年にプファルツ選帝侯Kurfuersten Karl Theodorカール・テオドールにより、城の広大な庭園72 haを含む“新しい都市”の設計がなされ、建設が行われた。
    1752年には城内劇場(500席のRokokotheaterロココ劇場)がオープンした。
    1777年にプファルツ選帝侯からバイエルン選帝侯になると、カール・テオドールは1778年に宮廷をミュンヘンに移し、シュヴェツィンゲン宮殿は長く捨て置かれた。

    手前の宮殿からずっと先に広大なフランス風・イギリス風庭園が広がって、それはなかなかのものだ。園内にはムーア様式のモスク、人工廃墟、大理石の浴場、壮麗なアポロ神殿など、ヴェルサイユやシェーンブルク宮殿に見たようなものが造られている。

    【シュパーゲルはシュヴェツィンゲン宮殿とも縁が深い】

    ドイツでは"Volksgemueseフォルクスゲミューゼ(ドイツ人に最も好まれる野菜)" と呼ばれているほど、季節になると好んで食べる。
    春の旬、シュパーゲル(白アスパラ)はこの欧州ではローマ時代から栽培された記録があるそうだ。ドイツのシュパーゲルの季節は4~6月下旬が食べ頃です。
    (例年4月の上旬頃に始まり、6月の洗礼者ヨハネの祝日に終ります)

    18世紀のドイツでは白いSpargelシュパーゲル(白アスパラガス)を“白い金”と呼び、王侯貴族の食べ物であったそうだ。その歴史は古く紀元前2000年に遡ると云う。
    因みにアスパラガスはラテン語から来ているそうで、エジプト、ギリシャ、ローマといった時代からの野菜である。

    中世には薬用効果の高い、特に足の“痛風”には良い野菜として尊重され、痛風持ちの仏・太陽王ルイ14世も好んで食した事から、“王の野菜”とも称された。
    (尚、現代では、アスパラギン酸は栄養ドリンクにも含まれ。疲労回復、滋養強壮に効果があるとされる。また、穂先に含まれるルチンは血行を良くし、高血圧、動脈硬化予防にも良いと言われている)

    1700年代になって、ハイデルベルグとマンハイムを本拠としたプファルツ選帝候の夏の離宮シュヴェツィンゲン宮殿に於いて、シュパーゲルを栽培し、王侯貴族に提供したとされている。
    一般市民の間で食されるようになるのは19世紀も中頃になってからだと云う。

          (2009.06.07.完)

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0

  • ハイデルベルク:聖霊教会ではプファルツ選帝侯ループレヒト3世夫妻の寝棺が目立った。

    投稿日 2021年11月29日

    聖霊教会 ハイデルベルク

    総合評価:4.0

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km・Pfingstsonntag聖霊降臨祭

    <Altstadt旧市街の名所>    12:35~14:40
    ハイデルベルク城址から旧市街に向かって階段315段を下りる。
    登り下りも所要10分であった。街は一段と観光客が増えたようだ。
    旧市街の中心であるマルクト広場には歴史的な見所も多い。

    ③Heiliggeistkirche聖霊教会(1398年):

    バロック様式の美しい尖塔をもち、代々のプファルツ選帝侯の墓所がある。
    1410~1685年の間に、教会内に埋葬された選帝侯とその家族の墓は54を数えると云う。

    教会内は実に飾り立ての無いシンプルなもので、唯一、選帝侯ご夫妻(神聖ローマ皇帝・ドイツ国王・プファルツ選帝侯Ruprecht IIIループレヒト3世;1352~1410年と、妃Elisabeth von Hohenzollern‐Nuernbergホーエンツォレルン・ニュルンベルク家のエリザベート;1358~1411年)の寝棺が目立った。

    この教会は三十年戦争の際、保管していた手書き本、選帝侯時代の古い印刷本をバイエルン公マクシミリアン1世に収奪されてしまったとある。

    ここからネッカー川畔に出た。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0

  • 軽井沢と言えば、堀 辰雄の「風立ちぬ、いざ生きめやも」でしょう。

    投稿日 2021年11月23日

    堀辰雄文学記念館 軽井沢

    総合評価:4.5

    2004年の夏、軽井沢の家内の友人宅を訪ねた。

    2004年の春に南ドイツからオーストリアを周遊した際に、御一緒した友人の案内で、まずはドイツ好きの貴方たちには「エルツおもちゃ博物館」が良いでしょうねと。
    そして石の教会、そして締めくくりに追分宿の「堀 辰雄文学記念館」を訪ねた。
    堀 辰雄らしい雰囲気を残した記念館が印象に残った。

    ・・・・・

    私の高校から大学時代に読んだ文庫本(下の2冊を含め)が色あせて本箱に残っていた。
    何やら線を引き、ちょっぴり書き込みもある・・・当時は藤村、白秋、犀星、牧水などの詩集も読む青春時代だった。

    風立ちぬ・美しい村 堀 辰雄 作・・・岩波文庫:昭和37年8月11版
    菜穂子       堀 辰雄 作・・・角川文庫:昭和38年11月17版

    堀 辰雄(ほり たつお:1904年・明治37年~1953年・昭和28年は小説家。
    当時の死の病と云われた肺結核を病み、軽井沢で療養することも度々あり、そこを舞台にした作品を多く残した。
    軽井沢での療養中に同病の矢野綾子と知り合い、婚約するが、その翌年(1935年)、綾子は八ヶ岳山麓の富士見高原療養所で亡くなってしまう。
    この長期療養中に書かれた自伝的小説が「美しい村」そして「風たちぬ」である。

    「風たちぬ」は作者本人の実体験をもとに執筆された堀の代表的作品で、名作である。「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の5章から成る。
    美しい自然に囲まれた高原の風景の中で、重い病に冒されている婚約者に付き添う「私」が、やがて来る愛する者の死を覚悟し、それを見つめながら2人の限られた日々を「生」を強く意識して共に生きる物語である。

    作中にある「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句は、作品冒頭に掲げられているポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節「Le vent se leve, il faut tenter de vivre.」を堀自身が訳したもの。
    「風が立った」「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが「生きることを試みなければならない」「風が吹く……生きねばならぬ」という意志的なものと、その後に襲ってくる婚約者の死、その不安な状況を予覚したものが一体となった作品である。
    (Wiki抜粋)

    ・・・・・

    旅行時期
    2004年08月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.0

  • ハイデルベルク:マルクト広場に面して、新バロック様式の市庁舎が立ち、広場中央にヘラクレスの噴水が見られる。

    投稿日 2021年11月27日

    市庁舎(ハイデルベルク) ハイデルベルク

    総合評価:4.0

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭

    <Altstadt旧市街の名所>    12:35~14:40
    ハイデルベルク城址から旧市街に向かって階段315段を下りる。
    登り下りも所要10分であった。街は一段と観光客が増えたようだ。
    旧市街の中心であるマルクト広場には歴史的な見所も多い。

    ①Rathaus市庁舎・Herkulesbrunnenヘラクレスの噴水:

    マルクト広場に面して、新バロック様式の市庁舎が立ち、広場中央にヘラクレスの噴水が見られる。5月の広場ではパラソルの下で市民や観光客が寛いでいた。

    この市庁舎は新旧キリスト教徒による宗教戦争である30年戦争(1618年~48年)後に建てられたが、1689年プファルツ継承戦争で破壊された。その後も建物自体は火災や戦災で罹災し、何度も再建されている。
    最終の再建部分は1961年にGlockenturm鐘楼を東側ファザードに付け加えたものだ。

    尚、クリスマス市の公式オープンは例年「Christkindキリストの子」が市庁舎バルコニーに登場し、開催を告げる。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ハイデルベルク:聖ゲオルクに守られた騎士の家は赤茶けた、美しいルネサンス風建物である。次回は是非泊まってみたい佇まいがある。

    投稿日 2021年11月24日

    Hotel Zum Ritter St. Georg ハイデルベルク

    総合評価:4.0

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭
    7時起床。8:45~9:15朝食。古城ホテル ヒルシュホルン城を9:35に出発。
    ≪Die Burgenstrasse古城街道巡り≫->B37  8km  Neckarsteinachネッカーシュタイナッハ遠望9:50->B37(Neckargemuendネッカーゲミュント)・L? 20km Heidelbergハイデルベルク城到着・見学10:15~14:50

    【Heidelbergハイデルベルク観光】  
    10:15~14:50

    Heidelbergハイデルベルクの町はバーデン・ヴュルテンベルク州の北西部にあり、ネッカー川沿いに発展した町である。人口は意外に14万7千人と多いが、学生の町でもある。
    この町はプファルツ選帝侯領の首都でもあった。ハイデルベルク城址、『アルト・ハイデルベルク』のロマンスで名高い古都・・・ドイツ旅行で最も魅力的な町と云われる。

    ②Das Haus zum Ritter騎士の家(1592年):

    現在はホテル・レストランとなっているが、赤茶けた、美しいルネサンス風建物である。
    このホテルは聖霊教会の向かいにあるが、名前や雰囲気からすると、「古城ホテル」のようだから、泊まるか食事をしたかった。
    尚、屋根の上にホテルの名前の由来である、聖ゲオルクが甲冑をまとった騎士の像として立っている。

    歴史的には1592年にフランスのプロテスタント派の織物商人 Charles Belierシャルル・ベリエ(プロテスタント派に対する迫害を逃れて、プファルツ選帝侯領の当地に定住していた)によって建てられたそうで、この点は意外だったが。
    現在ハイデルベルクで残る建物として一番古いもので、1681年、フランスのルイ14世が起こしたプファルツ承継戦争で、ハイデルベルクの町が徹底的に破壊されたが、唯一残ったったものだと云われている。

    実はここで昼食を予定していたが、結局中華の魅力に勝てずに、止めてしまった。
    中に一度入れば良かったと思うが・・・。
    Romatik-Hotel Zum Ritter St.Georg;Hauptstr. 178 
    http://www.ritter-heidelberg.de/

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • タウヌス:古城ホテル クロンベルク城は”皇帝の城”に相応しく、ドイツ皇妃ヴィクトリアが愛し、余生を過ごした所である。

    投稿日 2018年12月13日

    シュロスホテル クロンベルク フランクフルト

    総合評価:5.0

    2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月23日(水):  晴れ 、 25℃、 184km
    ベストウェスタン プレミア ホテル レブストック出発9:50 ->B19・A3・A5・B43 142km Bad Homburgバート・ホンブルク ->B455 12km Kronbergクロンベルク->B519・A66・A3 30km Frankfurt Flughafenには16:04到着。
    (レンタカー返却時3,842km-借入時2,315km=走行距離1,527km)

    <Schlosshotel Kronberg  古城ホテル クロンベルク城> 
    14:25~15:23
    D- 61476 Kronberg 、Hainstrasse 25    
    Tel:+49 (0) 6173-701 01 、Fax:+49 (0) 6173-701267
    http://www.schlosshotel-kronberg.de/
    http://www.kronberg.de/

    時間があれば、何時も訪れたい古城ホテルである。
    この日もホテル内に入って、レストランや回廊を見て回る。テラスレストランの傍でリフォームしていたが、どういう風になるのだろうか。レセプションでパンフレットを頂いてから、ゴルフ場の方をちょっとのぞく。
    古城ホテル前の駐車場に超高級車と云われるイタリアのLamborghiniランボルギーニや、ドイツのPorscheポルシェが十数台停まっていた。
    何かの催しでもあるのだろうかと思っていたら、15時過ぎると、大きな音を出しながら一台一台走り去っていった。
    いずれにしても、超高級車の似合う古城ホテルだ。

    さて、6年前の日記にはこう書かれている。
    美しいタウヌスの森に位置する5星クロンベルク城は全部で58室と規模も大きい。
    DZ室料は早期予約割引価格だったが、Euro155+朝食代2人分Euro 50=Euro205(20,896円)でした。
    チェックイン15時=>チェクアウトが12時で、ドイツ最後の日をゆったり過ごすには大変ありがたいものだった。

    2012年に宿泊した120号室(2階)はレセプションにも近い、古城ホテルの右手部分にあたる。ゴブラン織りの壁掛けが架かった階段でも、エレベーターでも上がれる。
    森に囲まれ、敷地内に直営のゴルフコース(18ホール・パー68)を持つ5星の古城ホテルはさすがに格調高く、ゴルフコースに面した広い部屋、立派なベッド、家具・調度、広い浴室には値段以上のものがある。

    グルメレストランはSchlossrestaurantシュロスレストランと称し、フレンチ料理を主としている。時代がかった素晴しい室内は皇妃ヴィクトリアと皇帝フリードリヒ3世の肖像画だろう絵画が壁にかけられ、天井も高々とし、立派な暖炉を中心にした40席のレストランである(かつて来独した某行の頭取をご招待したこともある)。
    暖かな季節となると、ゴルフコースに面して、日除けで覆われた広いテラスレストランがオープンする。

    元々はFriedrich III.ドイツ皇帝フリードリヒ3世(1831~1888年)の皇妃Victoria Adelaide Mary Louiseヴィクトリア・アデレイド・メアリ・ルイーズ(1840~1901年)が、その余生を過ごした所である。
    1901年、61歳の皇妃ヴィクトリアはこの城で死去した。
    城館は“Das kaiserliche Schloss皇帝の城”に相応しく、1954年にオープンした古城ホテルのロビー、廊下、レストラン、客室に、現在も彼女の愛したものが見事に残されている。最大のロイヤルスイート114号は皇帝ヴィルヘルム2世が滞在したことで知られる。

    XXXXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

jijidarumaさん

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎ82歳になりましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2026.02.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2026年を迎えている。

(2026.02.11.)

行ってみたい場所

ドイツ

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