旅好者さんのクチコミ(29ページ)全6,282件
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:5.0
県道638号線から少し脇道を入っていったところに米賀(こめか)の滝がありました。現在の米賀橋からは以前の米賀橋だった石橋のアーチの下に見えました。石橋とコラボした滝もまた一興でした。移動をして石橋の上からは、見やすくはなりましたが、全景は見えませんでした。稲葉川上流域の産山(うぶやま)川に懸っている滝です。高さは8mほどと高さはありませんが、幅は35mほどあるのでいろいろな形で流れ落ちていました。また、ちょっと趣のある石橋ですが、1924年(大正13年)に架けられたものでした。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:4.0
道の駅すごうは、阿蘇と竹田を結ぶ幹線の国道57号線にありました。大きな建物でしたが、ここの前身が長年続いてきた「竹田ドライブイン」だそうですから、その歴史も背負っているのでしょう。熊本と大分を結ぶ長距離バスが駐まっていました。ここは停車時間の長い休憩場所となっている様で、運転手さんも乗っていませんでした。建物の中に、見事に花開いたつつじの盆栽がありました。色彩の少ない内部に彩りを添えていて、目の保養になると思ったら、売り物でした。それ相応のお値段でしたが、ご趣味がてらに育てている農家さんがあるのでしょうね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- お土産の品数:
- 3.0
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:3.0
七ツ森古墳群は、国道57号線沿いの菅生という地区にありました。道路際の大きな案内板に従って、脇道に入りますが、どこが古墳?と思い、取り敢えず駐車場に駐めてから、見回すと小山が集まったすぐ近くの林がそうでした。元は7基あった様ですが、現存しているのは円墳が2基と前方後円墳が2基です。A号墳と呼ぶ円墳は直径20m、高さ4mで、B号墳と呼ぶ前方後円墳は全長47mで、後円部の高さは6mとのことです。古墳時代前期のもので、豊肥地区で最古の畿内型古墳なのだそうです。この地域には大和政権と交流のある有力な豪族がいたのですね。
そんな古墳の風景なのに駐車場が整っていました。ここは彼岸花が咲き乱れるところだそうですね。その時期には訪れる人も多いということでしょう。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:4.0
温泉宿泊交流施設荻の里温泉は立地が良かったです。竹田の郊外を南から西へと廻る予定を立てましたが、市内に戻らないと宿泊施設がないのですね。(キャンプ場はありますが・・・)荻の里温泉は、そんな思いが通じたと思う場所にありました。温泉あり、食事も美味しく、しかも料金は控え目、まったく文句のないところでした。駐車場の反対側に広い芝生の広場がありました。ベテランの方々が楽しんでいましたのでゲートボール?、良く見たらグラウンドゴルフでした。ワイワイやって、温泉で汗を流すなんて、なんと健康的なことでしょう。羨ましい限りです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 泉質:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:5.0
県道695号線が大野川水系岩戸川に架かる岩戸大橋に近くで、その旧道に逸れたところに、苔むした岩戸橋がありました。1849年(嘉永2年)に築造された石造りの橋です。藩制からの借金で造られた橋だとのことです。単一のアーチ橋で、長さは28m、水面からの高さは18mあります。アーチが深いので頑丈な石橋の様に見えます。ところで、この橋は岩戸川に架かっているとされていますが、現地には「一級河川やまさき川」と書かれたさび付いた標識が建っていました。岩戸川の旧名なのでしょうね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:4.0
白水(はくすい)ダムは大谷川が大野川と名前を変えたところにありました。正式名は、「白水溜池堰堤水利施設一溝」といい、灌漑用水「白水溜池」の堰堤から流れる水が白い衣のよう滑り落ちているダムです。国の重要文化財にも指定されています。大字次倉の右岸側から見下ろすか、荻町鴫田の左岸側から見上げるかですが、美しさは絶対に左岸側です。近付いたところに「工事のため越流は中止しています」の立て看板がありました。一応、近くまで行ってみると、1/5くらいには流れがありましたが、残りは頃は緑色の苔が見えました。土砂が溜まり、浚渫工事をしているとのことです。期間は平成30年から令和7年までで、越流を中止するのは10月下旬から6月上旬までの間とのことでした。こういう景色は普段見られないのですから、これはこれで良しとしましょうか。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:4.0
白水の滝からの移動で、奥豊後グリーンロードを走っていたら、長い橋がありました。先ほども、奥豊後グリーンロードを走っている途中で神原渓谷大橋を渡りましたが、今度は大野川上流の大谷川を一跨ぎする合ケ瀬大橋でした。完成は1981年(昭和56年)とのことなので、随分と早い架橋です。この橋は下から高さ57mの真っ直ぐな橋脚で支えられています。神原渓谷大橋の方は両端からの半円弧の橋脚でしたから、まったく違う工法です。なお、神原渓谷大橋には片側に歩道がありましたが、この合ケ瀬大橋にはありませんので、少し狭く感じました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月05日
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:4.0
陽目の里・名水茶屋の前を流れる大谷川に吊り橋が架かっていて、それを渡った先が陽目の里キャンピングパークでした。(車で、入ってくる道も別にありました)コテージが5棟、バンガローが4棟、フリーテントが10区画とそれほど大きなキャンプ場ではありません。しかし、コテージは収容人数が15~20名と大きく、バンガローも含めて設備(バス/トイレ/キッチン/冷蔵庫/炊飯器/食器/毛布/バーベキューコーナー)が充実しています。あとは、エアコンがあったら文句のないところだと思います。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 施設の快適度:
- 4.0
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:4.0
白水の滝は、豊の国名水15選に選ばれているそうです。幾筋もの糸のような流れが白く見えることから白水とか、99の滝筋があるが100に足りないので白水だとかいわれている様です。上り坂の途中に母滝があり、さらに上ったところが白水の滝のメインのところでした。全体としては立入禁止場所もあり、また、岩壁から細く流れ落ちるところの多くは見通しが利きませんでした。滝の名の元となった99の滝筋全景が見られるとよいのですが・・・。なお、白水の滝は大谷川に懸っている滝だと思っていたのですが、実際はその支流に懸かっているのですね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:4.0
音無井路(おとなしいろ)十二号円形分水は宮砥という地区にありました。音無井路は大野川水系の大谷川から、宮砥(みやど)地区などを灌漑するために造られた用水路トンネルです。江戸中期から工事が繰り返されてきましたが、2kmの用水路トンネルが完成をしたのは1892年(明治25年)のことだったそうです。十二号はトンネルの途中に造られた排土口の12個目だからだそうです。
その後、周囲の村も開墾が進み、大谷川からの取水を始めたため、音無井路の水量が不足する様になり、水を巡っての争いが絶えなくなったそうです、1934年(昭和9年)に適正な水の分配を行うための施設「円筒分水」が十二号のところに設けられたとのことです。分配の20の穴がありますが、現在は耕地面積に応じて8個、7個、5個に仕切板で調節して、3つの地区に分配しているそうです。
なお、入口のところに「関係者以外立入禁止」と書かれた大きな看板が立っていました。仕切り版を移動してしまうとか悪質ないたずらをする輩がいるのでしょうね。悲しい気分にさせられました。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:5.0
緩木(ゆるぎ)神社は、県道8号線から緩木川沿いを遡り、九重野地区の密集した林の中にありました。(神社の後方は社殿保護のためか伐採されていました)西暦82年(景行天皇12年)の創建と伝わり、伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)を祀ったとされています。後に、英彦山の主祭神も併せて祀っています。元々は緩木山の山中に鎮座していましたが、2度の兵火に見舞われたことから、1694年(元禄7年)に、現在の緩木山北西麓に再建されたとのことです。
境内に大きな切り株がに納められていました。かつて、「緩木神社の松」として国の天然記念物に指定されていたクロマツとのことです。樹高42m、幹周6.7m、樹齢710年だったそうです。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:5.0
穴森神社は1705年(宝永2年)に藩命によって創建されたものです。神の里交流センター「緒環」に、平家物語「緒環の章」の大きなボードがありましたが、そこに登場する由緒あるところです。拝殿でお参りして拝殿の裏に廻ると、ご神体の洞窟と大蛇の頭骨が祀られた祠がありました。人影がまったくありませんから、1段下がったところには何かを含んだ冷たい空気が漂っているようでした。神社は杉の大木の林の中にありましたが、訪れる少し前に伐採した跡がいくつもありました。お陰で人が立ち入るところだと安心?は出来ましたが・・・。この洞窟は、豊後大野市の清川にある宇田姫神社の御神体である湧水の穴と通じているという説があるのだそうです。何でも信じたくなる様な、独特の雰囲気のあるところでした。
余談ですが、ご神体の洞窟は入れます。勇気が湧かなくて入りませんでしたが、有料の照明設備があります。普通は20分くらいで往復できるそうで、30分経つと自動的に消えますと案内されていました。この洞窟がそんなに深いことにもびっくりですが、自動的に消灯にもびっくりです。探訪したいと思う方は懐中電灯を持参されます様に・・・。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:5.0
神の里交流センター「緒環」からちょっと下り、小川を超えたところに「健男霜凝日子(たけおしもこりひこ)神社の神幸所(みゆきしょ)」だと伝えられる社殿がありました。神幸所とは遙拝所のことです。健男霜凝日子神社は901年〈延喜元年〉に創建されたとされている神社です。祖母山がご神体で、祖母山山頂に上宮、祖母山北麓に下宮、近隣の穴森神社を中宮として構成されているのだそうです。この神幸所は一般の遙拝所とは違い、普通の神社の体裁を備えています。大人の事情?で、現在の社殿は1934年(昭和9年)に建立されたものです。現在、この神幸所は祭祀行事の行なわれる中心的な役割となっているそうです。御神木とされるトチノキは、胸高の直径7.2m、樹高は42m、樹齢550年といわれています。近隣に自生するトチノキがないことから植栽されたとみられ、ここが歴史のあることの証明の1つとなっています。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月05日
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投稿日 2022年10月05日
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投稿日 2022年10月05日
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投稿日 2022年10月05日
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投稿日 2022年10月05日
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投稿日 2022年10月05日
総合評価:3.0
長い石段を上がった岡の上に、広瀬神社がありました。掲示されているものを読むと、日露戦争の旅順戦で戦死した広瀬武夫中佐を主祭神とする神社なのだそうです。軍神第1号とありますから佐格以上で初めての戦死者ということなのでしょうか。建立は1935年(昭和10年)だそうですから、如何にも戦争を美化するために利用された様にも思いました。現在は、この地域の戦死者1627柱も合祀されているそうですから、当初の意味合いも変わっているのかとも思いました。但し、境内に新しめの阿南惟幾顕彰碑なんかがあるのを見ると、何だこれは!と、大いなる違和感を抱いてしまいました。戦争に大きな責任のある人物を顕彰する意味がまったく分かりませんでした。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0



















































