旅好者さんのクチコミ(33ページ)全6,282件
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投稿日 2022年09月13日
総合評価:5.0
虹澗橋は国道502号線が三重川を渡る新虹澗橋の下流200mくらいのところにありました。右岸側が臼杵市野津町、左岸側が豊後大野市三重町となる三重川に架かっている石橋です。現在は車の通行は出来ない様になっていましたが、橋の中心には中央線が残っていて、近年まで現役だったことが偲ばれました。1821年(文政4年)に起工し、1824年(文政7年)に竣工した単アーチ橋で、橋長は31m、幅員は6.1m、ほぼ半円形のアーチ径間は25.1mあり、架橋時、石橋の径間長として日本一だったとのことです。
ここは、臼杵藩時代の臼杵城下と三重郷とを結ぶ主要道で「柳井瀬の渡り」と呼ばれた三重川の渡河地点だったとのことです。切り立った両岸を上り下りするだけでなく、川は飛石を伝って渡るという、とんでもない難所だったのです。人の往来も物資の流通も増えた時代ですから橋は必須だったのでしょう。その橋は商人が架けた橋といわれています。臼杵藩に架橋の許しを得て、臼杵城下畳屋町の甲斐源助(商売不明)、三重市場村の(油商、問屋、金貸)多田富治、(海産物商、問屋、金貸)後藤喜十郎という豪商3人が資金を提供し、下ノ江村大野の井沢織平が石工棟梁を務めたそうです。
この工事には着工から3年半も掛ったそうですね。アーチ径間が約25mと、長い径の初の試みだったこともあって、相当の難工事だったのだと思います。相応に工事費用も膨らんだとは思いますが、完成からしばらくして、資金提供をした3家は没落してしまったそうですね。また、石工棟梁は工事の前も後にもまったく経歴が残っていないのだそうですね。どちらも、単純にそうですかとは納得出来ないところです。何か裏があったのではないかと、つい穿った見方をしてしまいますね。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年09月13日
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投稿日 2022年09月13日
総合評価:3.0
大原公園は、九州らしく「おおはる」というのですね。豊後大野市の三重町にある竜ヶ鼻古墳の隣にありました。台地の南斜面を利用して造られたツツジの公園ですが、訪れた5月半ばでは花は終わっていました。残念だったのは、公園もツツジも手入れがされていない(少なくとも今年は)様子で、背の高い雑草に覆われていました。ここは国体開催を記念して造られたそうですが、大分国体は2回行なわれていて、三重町はどちらでも馬術の会場になったそうです。国体開催を記念するというと古いことでしょうから、1966年(昭和41年)の第21回国体なのでしょうね。(雑草に埋まって石碑らしきものがありましたから、それが國体記念碑だと思います)
大原公園の斜面を上がったところは広場になっていて、東端のところに「慰霊塔」が建っていました。シンプルなデザインの塔です。1955年(昭和30年)に建立されたそうですから、太平洋戦争を中心とする戦没者の慰霊のものだと思われます。また、大原公園の斜面の中程に「西南役戦没者慰霊碑」がありました。こちらは西南役百周年と書かれていますから1978年(昭和54年)に建立されたものでしょう。ここは三重市の激戦地だったところだそうで、薩摩軍が官軍を撃破し、隊長以下34名が戦死したとのことです。その戦死者名が、続く、三国峠の戦いの守備隊長以下11名の戦死者名とともに刻まれていました。戦没者となっていますが、何故か官軍側だけに片寄っていました。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年09月13日
総合評価:4.0
宇田姫社は、県道45号線沿いの、三玉という地区にありました。ここは平家物語にも登場する豊後おだまき伝説の宇田姫が暮らしていたとされるところで、ご祭神は宇田姫の本名である華ノ本とされています。拝殿から左に移動すると、ご神体とされる小振りな洞窟がありました。これは竹田市の神原にある穴森神社のご神体である大蛇が棲んでいた洞窟と繋がっているのだそうです。なるほど、きちんと伝説のお話が繋がっているのですね。洞窟からはご神水が湧き出ていました。拝殿の右にヤブツバキの立派な御神木がありました。自生していたとみられるそうで、胸高直径が55cm、胴回りが183cm、樹高は8mですが、落雷で幹の途中が折れています。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年09月13日
総合評価:4.0
宝生寺は、奥嶽川の中流域の、清川町の宇田枝地区にありました。駐車場から進んだところに、ヒシでしょうか水草に埋まった大きな池が拡がっていました。周囲はもみじの木に埋まっていて、ここは紅葉の名所だということが分りました。久安年間(1145年~1151年)に、鎮西八郎源為朝によって建立したと伝わっているそうで、本堂にある十一面観音坐像は「為朝公背負の仏」と呼ばれるのだそうです。衰退しますが、1450年(宝徳2年)に、大友氏第14代当主の大友親隆が再建し、江戸時代には、岡藩の藩主の庇護があり、隆盛したとのことです。お経?の刻まれた石柱の周辺にはたくさんの苔の生えた石塔が置かれていました。南北朝時代以前の年代の銘も見られるとのことです。なお、山号はなく、臨済宗妙心寺派のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年09月13日
総合評価:3.5
稲積水中鍾乳洞は、県道688号線を東進してきて、県道45号線に合流して程ないところにありました。横には中津無礼川が流れていて、石橋を渡ったところに広い駐車場がありました。洞内は2つに分かれていて、水中洞が200mくらいと新生洞が200mくらいからなっていました。鍾乳洞となっているので、単純に命名された鍾乳石や石筍の造形美が見られると思い込んでしまいましたが、ここは洞窟探訪といった色合いが強かったです。後から知りましたが、ここは天然記念物には指定されていないのですね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2022年09月13日
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投稿日 2022年09月13日
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投稿日 2022年09月13日
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投稿日 2022年09月13日
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投稿日 2022年09月13日
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投稿日 2022年09月13日
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投稿日 2022年09月13日
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投稿日 2022年09月13日
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投稿日 2022年09月13日
総合評価:4.0
緒方宮迫東石仏は、市道?横にある駐車場から150mくらい坂道を上がっていったところにありました。中央に如来坐像があり、向かって左に天部が、向かって右には不動明王が従っていました。中央の如来は現在は大日如来とされていますが、以前は薬師如来だった歴史があるそうです。左の天部は、毘沙門天あるいは持国天とみられるそうです。全体に素朴な感じの像です。さらに左右の外側には形の崩れた金剛力士像がありました。平安時代末期の作と見られるそうです。また、向かって左の大外に2基の宝塔が刻まれていますが、これは室町時代初期の作とみられるそうです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年09月13日
総合評価:3.0
俚楽の郷伝承体験館は、緒方町の馬場という地区にありました。国道502号線から県道210号線へ曲がり、JR豊肥本線を越えた正面に小さな滝がありました。横には小さな太陽光発電がありました。そこにある「俚楽の郷65m先左」の案内通りのところに俚楽の郷はありました。
俚楽とは、米どころ緒方町に伝わる神楽や獅子舞などの伝統芸能をさすのだそうですね。こちらでは神楽、獅子舞、白熊(はぐま)、そして三の宮のおみこしが展示があるとのことでした。ところが、入口は閉っていて、草も生えていました。臨時ではなく、ここしばらくはやっていない雰囲気です。道の駅きよかわの隣にある神楽会館では公演は見られなかったので、期待をして訪れたのですが、残念でした。とこにも休館や、閉館の案内はされていなかったと思いますが・・・。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2022年09月13日
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投稿日 2022年09月13日
総合評価:4.0
浄運寺は豊後大野市の中心となる三重町から少し南のところにありました。1603年(慶長8年)に創建と伝わるお寺さんです。立派な楼門が迎えてくれました。こちらでは裏山の斜面を使ったツツジ園が有名です。急な山肌がきれいに剪定されたツツジで埋まっていました。ここには約200本があり、樹齢も200年を越える様なものも多いそうです。奥様のご説明によると、何種類かのツツジが開花期をずらして咲くので、長く楽しめるとのことでした。訪れた時はもう最終盤だとのことで、辛うじて何本かが花を付けていました。なお、山号は西臺山で、浄土宗のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年09月13日
総合評価:3.0
般若姫像は蓮城寺後方の山の中腹にありました。ふるさと創成として全国の自治体に交付された1億円を使って、1991年(平成3年)に当時の三重町が建立したものだそうです。何に使ったのか分らないよりも、形に残したということでしょうか。高さが22mもある巨大な像だとのことですが、どこから見ても、良く見えて上半身だけでした。山を登って行けば、全身を見上げることは出来るでしょうが、本来はどこからでも見える予定だったのではないかと思うのですが・・・。内山公園でミニ般若姫像の全身を見ましたから由としますかね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年09月13日
総合評価:3.5
内山公園は蓮城寺に隣接したところにありました。この公園は春は桜、秋は紅葉の名所だそうです。ここは真名野長者の伝説の中心地です。公園の端には長者の里陶芸窯ありましたが、その前の休憩所には、真名野長者と般若姫の長~い絵物語が掲示してありました。般若姫は都に上る途中で亡くなった説と都で妃として幸せに暮らした説がありますが、ここの絵物語では亡くなった説の方でした。そして、臼杵石仏へと話が繋がっていました。また、休憩所の前に、登場人物などの像が置かれていましたが、素人の手作り感があって、ちょっと笑ってしまいました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5



















































