旅好者さんのクチコミ(26ページ)全6,282件
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投稿日 2022年10月07日
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投稿日 2022年10月07日
総合評価:5.0
東椎屋の滝は、国道500号線から津房川の支流となる滝川沿いの道を進んだ先に、滝の駐車場がありました。駐車場から約300m、10分と案内されていました。ところどころで滑る道を歩いて辿り着くと、高さ85mから一気に流れ落ちていて、歩いた苦労?が報われる気分になります。西椎屋の滝、福貴野の滝とともに「宇佐の三滝」と呼ばれるのだそうですが、これでその3つを見ることが出来ました。でも、近くで見られるのはこの東椎屋の滝だけですから、間違いなく1番の滝だと思いました。
国道500号線からの東椎屋の滝の入口近くの熊野神社にある「東椎屋のイチイガシ」は見応えがありました。滝見物のついでに寄られることをお勧めします。案内板が立っています。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月07日
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投稿日 2022年10月06日
総合評価:4.0
県道207号線と辿っていき、ちょっと逸れると駐車場がありました。この駐車場は本殿の裏側に当りました。但し、門があって境内にはそのまま入れました。神社の入口は東側の大分川(の土手)にありました。創建は836年(承和3年)で、現在の豊後国一宮である柞原八幡宮の境内社・善王宮としてだったと伝わっています。869年には現在地(当時は賀来荘と呼ばれていた)に遷座し、同時に賀来神社と称したとのことです。こちらのご祭神は武内宿禰(たけのうちのすくね)と健磐龍命(たけいわたつのみこと)の2柱です。健磐龍命は阿蘇神社のご祭神としても知られている神様ですが、もう一方の武内宿禰は普段はお留守にしていて、ここには居ないのだそうです。武内宿禰といえば、5代の天皇に仕え、2百数十歳まで生きた超々超人ですね。普段は柞原八幡宮のご祭神である八幡神の警護に当たっていて、毎年9月の「賀来の市」の時だけ戻ってくるのだそうです。この賀来の市は、6年おきの卯の年、酉の年には、祭り期間が長くなり、大名行列も行なわれます。明治に入って、府内藩主大給松平家から大名道具一式が賀来神社に寄進されたからだそうです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年10月06日
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投稿日 2022年10月06日
総合評価:4.0
大分市歴史資料館は、豊後国分寺跡に隣接してありました。(全体としては、豊後国分寺跡史跡公園となっている様です)外観はここは奈良か?と思わせる様なデザインで、大きな建物でした。1階のホールに置かれている復元の国分寺七重塔は見応えがありました。実際の高さは約67mもあったとされますので、これは10分の1です。高い塔と言われて思い浮かぶ京都の東寺五重塔でも54.8mですから、時代の違いを考えるとその高さは異常なほどだったと思います。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2022年10月06日
総合評価:5.0
高瀬石仏は、七瀬川自然公園の横にありました。七瀬川の蛇行した膨らみの先といった場所にありました。住宅の先を入っていったところで、こんなところにあるの?と思う様な場所でした。中央に胎蔵界大日如来坐像があり、右に向かって如意輪観音坐像、馬頭観音坐像があり、左に向かって大威徳明王坐像、深沙大将立像があり、全部で5体でした。特に赤い色彩が残っているのが凄いなと思いました。それぞれにどういう仏様なのか、また、どういうお姿に彫られているか細かい説明札が立てられているのが大変良かったです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月06日
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投稿日 2022年10月06日
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投稿日 2022年10月06日
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投稿日 2022年10月06日
総合評価:3.5
県道26号線の頂上である四辻峠から、西方向へ下る道を辿って、えぼし公園に行きました。車を駐めた先にある、浄水寺のお堂の前で可愛い顔がこちらを見ています。一瞬、オコジョと思いましたが、九州にはいないそうなので、テンだと思います。いるとは思っていませんでしたので、写真に収める前に逃げて行ってしまいました。さて、浄水寺ですが、神角寺の末寺として鎌倉時代に創建されたとされるそうですが、現在地への移転時期は不明だそうです。1977年(昭和52年)に焼失するも、同年に再建されたそうですから、意外と?大切にされているのですね。山号は霊獄山で、高野山真言宗のお寺さんとなります。ここえぼし公園は牡丹桜の名所だそうです。訪れた時は緑の桜の葉に覆われていました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月06日
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投稿日 2022年10月06日
総合評価:3.0
平成森林公園キャンプ場は、国道442号線から県民の森・平成森林公園の案内に従って山道を登ったところにありました。利用期間は4月1日から11月30日となっていたので、訪れてみましたが閉まっていました。利用の予定はなかったので問題はありませんでしたが、何の掲示も出ていませんでした。入口から覗けるところはキャンプサイトでしたが、常設テントも張ってありませんでしたので、真夏まではほぼお休みということでしょうか。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2022年10月06日
総合評価:5.0
後藤家住宅は、県道26号線の旧道沿いにありました。建屋の維持はされていましたが、観光化の準備はされていませんでした。狭い道路での路駐となるので、交通量はほぼないとはいえ、落ち着いては見学できませんでした。18世紀後半に建築された庄屋の母屋の建物とのことです。大分市では最古の民家だそうです。桁行14m、梁間7.7mとのことです。家が大きくないことからの工夫か、普通は土間の先は板の間があると思うのですが、奥行き1間の板敷を置いて、すぐ座敷になっていました。土地の関係もあったのかも知れませんが、西向きに建てられているのが不思議に思いました。(庄屋なのに・・・)
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月06日
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投稿日 2022年10月06日
総合評価:5.0
現在、今市石畳と呼ばれるところは全長で660mもあるそうですね。よくこんなに長い範囲で残ったものだと思います。一応、車での通行も可能となっていましたが、どうしても片輪は石畳を踏んでしまいますから、大変な悪路を走っている様でしたが・・・。豊後街道として残っているところは、どこも石畳になっていますが、石畳のところだから残ったのか、全線に石が敷かれていたのでしょうか。この今市の石畳だけを見ても、これだけの石を運んできて、加工をして、敷いた訳ですから、たいへんな労力が費やされたのでしょうね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月06日
総合評価:5.0
今市石畳の端のところに丸山神社がありました。今市宿は岡藩の領地だったので、竹田の総鎮守である城原神社の分神が祀られたとのことです。(八幡社ですので主祭神は八幡神です)大きな楼門がありました。今市の豪商・松田庄右衛門尉長次(並の豪商ではないすごい名前ですねぇ)の寄進により、1720年(享保5年)に建立されたものだそうです。12支の動物を始めとしてたくさんの彫刻が嵌められていました。彫刻には力を入れたのだと思います。楼門をくぐって、境内に入ると、楼門に比べると小さめな拝殿、本殿がありました。楼門の寄進者と同じ長次によって、1727年(享保12年)に再建されたものだそうです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年10月06日
総合評価:4.0
海原六神社は小津留湧水の奥にありました。鳥居の柱が折れてしまったのか、コンクリートで補修がしてありましたが、一見すると、藁座の様でもありました。当神社には由緒の伝承がないそうですが、1725年(享保10年)に記された文書にはその存在が記載されているそうです。ご祭神は海に関係する6柱で、綿津見三神(少童三神)の底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、表津綿津見神(うわつわたつみのかみ)と、住吉三神の表筒男命(うわつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)です。こんなに海から離れたところに海の神様が祀られているのですね。長湯温泉の権現山公園(船山)に伝わる伝説では、この辺りがまだ海の中だった頃、帆船が転覆してひっくり返り、小山になったのがこの船山だとなっていました。海へのあこがれがあるのか、海に繋がる何かがあるのか、答えは分りませんね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年10月06日
総合評価:3.0
丸山公園は、湯乃原天満社後方の山です。入口から400~500m、狭い坂道を上っていったところに東屋があり、近くにトイレもありましたので、ここが円山公園の中心でしょう。下からは40~50mくらい登った感じがします。東屋の先から景色を眺めますが、長湯の中心街はちょっとしか見えません。奥にはくじゅう連山が見えます。左方向を見ると、芹川の流れが見えました。ずっと奥は桑畑地区方面です。帰り際に、道の先の、もう少し高い方を見ると、展望台らしきしっかりしたものが見えました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年10月06日
総合評価:3.5
湯乃原天満社は芹川に架かる天神橋の袂にありました。昔はこの辺りが長湯温泉の中心地だったそうですね。岡藩が公的な湯屋を設けていたのもここだそうです。この天満社は、1884年(明治17年)に町内の5ヶ所にあった神社をここに遷し、祀り直したものだそうです。また、立派な本殿などの社殿は1920年(大正9年)に建立されたものだそうです。境内に天満湧水「神の水」という飲泉がありました。旅館「愛泉館」を経営していた御沓家の所有だそうですが、公衆に提供されるようになったとのことです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5


























































