旅好者さんのクチコミ(21ページ)全6,282件
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投稿日 2022年12月26日
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.5
龍源寺間歩を出て少し下ってきたところで、大規模な工事場所がありました。佐毘売山(さひめやま)神社の平成の大遷宮と書かれていました。長年の風雪などで傷みが激しくなってしまったとのことです。平成27年から10年間という長期間の大工事です。鉱山の守り神である金山彦命(かなやまひこのみこと)を祀るこの神社は、この地の豪族だった大内氏が1434年(永享6年)に建立したと伝わっているそうです。石見銀山の本格的な活動の100年も前に造営された理由は分らないそうです。なお、現在も工事費用の浄財を募っているとのことでした。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2022年12月26日
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
下河原吹屋跡から少し進むと、豊栄(とよさか)神社がありました。石舟瓦を乗せたきれいな白壁が周囲を囲んでいて、山門もきれいに見えますから、近年復元したのでしょうか。その奥に、本堂というよりもお堂といった感じの小振りな建物がありました。明治維新までは毛利元就の法号である洞春を、山号とした洞春山長安寺という曹洞宗の寺だったそうです。明治になって、天皇は長州の功績に報いるとして、元就に対して豊栄の神号を与えます。そして、山口市には豊栄神社が建立されていますね。何と、ここ石見ではお寺さんから豊栄神社へと大変身をしたそうです。従って、神社のシンボルの様な鳥居はありません。ご神体は毛利元就の木像だそうです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年12月26日
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.5
銀山の経営に携わった中級役人・坂本家の住宅として1811年(文化8年)に建てられ、現在の所有者の名の付いた「渡辺家住宅」を過ぎ、さらに大森小学校を過ぎると、銀山エリヤに入ってきた様に感じました。その並びに、西本寺がありました。屋根の赤い石州瓦が綺麗です。特に山門は綺麗に見えますが、もともとは銀山の守りとして築かれた山吹城の追手門だったものです。1601年(慶長6年)ころに廃城となると、この地でもっとも信仰を集めた龍昌寺の山門として移設されたとのことです。そして、1961年(昭和36年)に廃寺となると、西本寺の山門として、再び移設されたのだそうです。なお、山号は霊亀山で、浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:4.0
ぎんざんカートは、ゴルフ場で活躍する電動カートを運行しているものです。大森代官所近くのレンタサイクル河村を発着として、龍源寺間歩までの間を運行していました。(大森町内は行きのみ)乗車定員は最大で6人です。運行便数は12~14便/日ですが、予約をすることは出来ないので、ちょっと不便です。運賃は乗降する場所により、100円か500円です。乗降出来る場所は停留所が決まっていますが、一部区間(大森町内)では自由に乗降出来るとのことでした。
- 旅行時期
- 2022年11月
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 乗り場へのアクセス:
- 3.0
- 車窓:
- 3.5
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
石見銀山世界遺産センターの入口は、以前は県道46号線だった県道31号線沿いにありました。石見銀山へ訪れるメインルートは仁摩・石見銀山ICから県道31号線を辿ると思いますので、銀山までのこの道路上に世界遺産センターを置くのが普通だと思います。ここは、さらにずっと先に進んだ道路沿いですから、なんでこんな場所に?と思ってしまいました。一般の観光地の様に、わっさわっさと大勢がやって来て、ぞろぞろと観光することは想定していないので、離れていても問題ないということでしょうかね。その割には、随分と駐車場が広いように思いましたが・・・。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:4.0
世界遺産に登録されてからずいぶんと経ちましたが、石見銀山を初めて訪れました。石見銀山の採掘はほぼ江戸時代に終わっていますから、よく現在まで遺跡として残ったと思いました。また、大森町も発展性のない谷間の狭い土地であり、また、これといった産業があるわけはないのに、時代から取り残されるように残って来たことも貴重ですね。世界遺産に「石見銀山遺跡とその文化的景観」として登録されたことを実感しました。鉱山遺跡としては、次に登録を目指すのは佐渡金山でしょうね。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
温泉津やきものの里は、温泉津温泉の東方の山の中腹にありました。温泉津焼と呼ばれるもので、1704年(宝永年間)に始まり、特に、半斗(はんど)と呼ばれる水瓶が、たいへん丈夫で評判を取ったそうです。需要の減少や代替品の登場で、昭和時代に一度絶えてしまったそうです。ここは1990年(平成2年)に開場されたところで、現在は、この近くに3つの窯が活動しているとのことです。ここでは創作体験として、手びねりや絵付けが出来るとのことです。どちらも1時間あれば出来るそうですから、旅の途中で時間があったらやってみたいところです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2022年12月26日
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
櫛島キャンプ場は、沖泊の入り江から別に切れ込んだ入り江の奥にありました。直線では沖泊の港と近いですが、車では沖泊からは大きく回り込んで行くことになりました。入り江の西側は櫛山城跡の築かれていた櫛島です。海水浴場を前にしたキャンプ場には、トイレなどのある管理棟と炊事棟のみで、後は、フリーテントエリヤです。離れたところに、そこそこに広い駐車場がありましたから、夏期には人気のあるところの様です。キャンプ場には天然記念物の「沖泊のハマビワ群落」の案内板がありました。この案内板の後ろのもある緑の濃い硬そうな葉っぱの木がハマビワなのですね。開花は9~11月で黄白色の小さな花です。小さな果実は翌年の春~初夏に実り、黒っぽい色となるそうです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 施設の快適度:
- 3.0
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:4.0
沖泊の南側の崖沿いに恵比須神社が建っていました。創建は1526年(大永6年)で、筑前国の那珂郡芦屋浦の住人が、神託を受けて造営したと伝わっているそうです。(何故か、住人の名前は残っていないのですね)この年は石見銀山が発見された年とのことです。本殿は修復はされていますが、その当時の建物で、石見銀山の遺跡の中でも最古級の神社建築とのことです。拝殿は19世紀の中頃、江戸時代末期の建築とのことです。ご祭神は、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ:海上安全の神、漁業の神)、速秋津彦命(はやあきつひこのみこと:港の神)、速秋津姫命(はやあきつひめのみこと:海の神)です。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年12月26日
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投稿日 2022年12月26日
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投稿日 2022年12月26日
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投稿日 2022年12月26日
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:4.0
木造洋館の薬師湯旧舘の斜め前に湯治の湯・泉薬湯(せんやくとう)がありました。こちらが温泉津温泉の元湯で、平安時代にはすでに温泉の湧出が知られていたそうです。温泉場としては室町時代からで、浴槽を造ってお湯を溜め、薬効の高い湯治場として知れ渡る様になったとのことです。別名ではたぬきの湯というのがあるそうです。想像通り、その昔、たぬきが浸かっていて傷を治すためだったと、その薬効が分ったからだとか・・・。この元湯も、裏にある源泉とほぼ直結ですから、成分が失われることなく100%源泉掛け流しとなっています。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 泉質:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:4.0
温泉津の温泉場の真ん中辺りに、1954年(昭和29年)に建てられた円筒が張り出し様な洋風建築の薬師湯、並んで、1919年(大正8年)に建てられたレトロ感たっぷりの木造洋館の薬師湯旧舘は、温泉津を象徴する様な景観です。すぐ近くの元湯を忘れさせる様な存在感がたっぷりでした。
1872年(明治5年)に浜田地震が起きます。マグニチュードは7.1、最大震度は公式記録はありませんが、震度7だったと推定されるそうです。死者は約550名、全壊家屋は約5、000棟だったそうですから、被害は甚大ですね。この時、温泉津では新しい温泉が噴き出したのですね。これが薬師湯だそうです。こちらは裏にある源泉とほぼ直結ですから、成分が失われることなく100%源泉掛け流しとなっています。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 泉質:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:4.0
温泉街の一画に、恵(えこう)寺と西楽寺が並んでありましたが、。恵寺の山門(奥に鐘楼門がありましたから、これは総門と呼ぶのかも知れません)は温泉街の道路からは奥まったところにありました。赤い石州瓦が目を惹きます。創建は1525年(大永5年)とのことですが、それまであった真言宗の小さなお寺のお堂を再建し、改宗したそうです。こちらには石見銀山の初代奉行である大久保長安の殺生禁断の制礼や逆修墓(再建だそうです)があるとのことです。なお、山号は延命山で、日蓮宗のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0





































