旅好者さんのクチコミ(20ページ)全6,282件
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:4.0
大森の町並みを貫く通りから、銀山街道の1つで勝源寺の前を通る坂道を100mくらい進んだところに勝源寺がありました。創建は1601年(慶長6年)で、初代奉行の大久保長安らが旦那役となり創建されたとのことです。奉行や代官の菩提寺となっていて、豪商のお墓もあるとのことです。近付くと、大きな山門がありました。1772年(明和9年)に築造された鐘楼門です。高さは10mだそうですが、その前に石段がありますから、もっと大きく感じます。精巧な彫刻が施されていました。なお、山号は即応山で、浄土宗のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
大森の町並みを貫く通りと、勝源寺への通り(銀山街道の1つ)の合流点近くに岡家住宅がありました。江戸時代は銀山附地役人の澤井氏の居宅だったもので、後には、親戚関係にある、同じく銀山附地役人の鹿野氏の居宅となったところとのことです。中級武士のお屋敷の体裁が残っているそうです。もちろん、個人宅ですから見ることは出来ません。
なお、2つの道路の合流点辺りは十歩(じゅうぶ)と呼ばれていたそうです。十歩とは商人に対して徴収した税金のことで、近くに税を徴収する番所があったそうです。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
代官所に近いところに、大森の町並みの中で、一際大きな建物となる熊谷家住宅がありました。白さが引き立つ建物ですが、総漆喰なのだそうです。大森で最有力の豪商といわれた熊谷家です。建物は1800年(寛政12年)の大火で全焼してしまったそうですが、翌年の1801年(享和元年)には早くも再建され、その後、不足部を次々と増築し、1868年(明治元年)に完成したのが、現在残る主屋と5つの蔵と納屋からなる大規模な住宅とのことです。裏に廻ると、裏門があり銀山川への階段が設けられていました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年12月26日
和田珍味石見銀山店 (銀山ビレッジ 理容館アラタ) 大田・石見銀山
総合評価:3.0
青山家の斜向かいに「理容館アラタ」がありました。建物の前に立派な石碑が建っていました。「全国理容遺産認定 第一号-四 石見銀山理容館アラタ」と刻まれています。2012年(平成24年)の第1次認定の4つの内の1つなのだそうです。この理容館アラタは大正末期の理容文化を残しているのが、認定理由だそうです。その石碑はともかくとして、表には自由に見学してくださいとか、中に入ってはいけませんとか、何の案内もありません。ここは外から覗いておくのが無難な感じでした。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.5
銀山川が町中でコの字型に蛇行し、道路を2回横切りますが、その北側に架かるのが中市橋です。この中市橋より上手を中市、下手を下市と呼び、それぞれ月2回、市が立ったそうです。その中市橋の北詰(中市)に、青山家(現在の所有者)がありました。大森では唯一の妻入りの建物とのことです。江戸時代は田儀屋という郷宿だった建物です。6軒あった郷宿のうちの1つです。1800年(寛政12年)の大火で被災し、文化年間(1804年~18年)に再建された建物だそうです。
郷宿は大森の豪商が分担して請け負ったものですが、この田儀屋は大森の最有力の豪商である田儀屋熊谷家の分家とのことです。建物の再建に合わせて、本家から郷宿株を継承したのだそうです。なお、田儀屋が受け持っていたエリヤは現在の益田市、津和野、太田市などのそれぞれ一部だったそうです。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.5
銀山川が町中でコの字型に蛇行して流れる横に、西性(さいしょう)寺がありました。赤い石州瓦を乗せた大きな屋根が印象的なお寺さんです。創建は15世紀前半と思われますが、当初は龍泉院と号した天台宗のお寺さんで、その後、西善寺と合併して西善坊と名を変え、寛正年間(1460年~66年)には浄土真宗に改宗したとのことです。そして、1524年(大永4年)には、寺号を現在の西性寺に変更したとのことです。なお、山号は、当初の院号を引き継ぎ、龍泉山で、浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2022年12月26日
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.5
新町橋の北詰のところに、岩山というか、大きな岩というか、建物が並ぶ町の景色にはそぐわないところがあり、その上に観世音寺がありました。(新町橋の南詰には大森町並み交流センターがあります)大森の町並みの展望が良いです。創建時期ははっきりしていないそうですが、代官所が銀山隆盛を祈願するために創建したと伝わっているので、江戸時代初期だったのだろうと思います。建物類は1800年(寛政12年)の大火で全焼してしまったため、1860年(万延元年)に本堂が再建されました。山門は7世紀頃に創建されたという古刹・清水(せいすい)寺にあったものを1878年(明治11年)に移築したものです。(余談ですが、清水寺は同年に現在地に移転していますが、門を移設する余地がなかったのでしょうかね。その清水寺の現在の山門は元神宮寺のものを移築したものです)宝暦年間(1751年~64年)にこの寺の住職だった月海浄印さんが、石見銀山公園近くにある五百羅漢を納め、羅漢寺を建立して住職となったとのことです。なお、山号は石城山で、高野山真言宗のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
新町橋の南詰のところに、大森町並み交流センターがありました。ところで、銀山川が町中でコの字型に蛇行し、道路を2回横切りますが、その南側に架かる橋が「新町橋」です。橋の名前の由来ですが、大森の町は、代官所のある北側と鉱山のある南側から発展をしたそうです。ちょうどこの辺りが真ん中で、最後に町造りがされたので新町と呼ばれたそうですね。
肝心の大森町並み交流センターですが、大森の町並みの中では馴染まない異質の意匠です。この建物は、浜田治安裁判所佐摩出張所として、1888年(明治21年)に建築されたものなのですね。1890年(明治23年)からは松江地方裁判所大森区裁判所となったとのことです。大森は人口も多く、地方行政の一翼を担う場所だったことが分ります。現在は裁判所の様子や町並みの民家の復元模型などが展示されていました。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.5
-
投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
大森町並み交流センターの近くに、立派な塀の旧河島家がありました。上級武士の格式を備えた屋敷です。1800年(寛政12年)の大火後に建てられたものだそうです。2階が設けられているのは、平地の少ない土地柄からでしょうか。河島家は代々、銀山附役人を勤めた家柄で、一時は銀山附役人のトップである組頭まで栄進したとのことです。ところで、この河島家は1610年(慶長15年)に召し抱えられたそうです。大久保長安は1600年(慶長6年)に初代奉行に任じられていますから、10年も経っています。どんな理由から召し抱えられたのでしょうか。そもそもはどこの出身でどんな経歴を持つ人物だったのでしょうか。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2022年12月26日
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
栄泉寺の北並びといった辺りに、民家?といった感じの建物がありました。比較的地位のある武士の居宅だったとのことですが、後年、かなり手が入っている様で。その面影は、特に、外見からはその様には見えませんでした。ここは銀山の政務を務めた役人・田邊家の居宅として、1800年(寛政12年)の大火後に建てられたもので、現在の所有者の名の付いた「三宅家」とのことです。田邊家は、大久保長安が石見銀山の初代奉行となった時に、甲斐国から鉱山の経験者として登用された様です。
なお、この辺りは駒の足地区と呼ばれるところだそうです。駒の足とは、銀山に出入りする荷馬に課した税のこととのことです。この辺りに、税の徴収をする番所があったのでしょうね。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
阿部家や宗岡家とは、道路の反対側の高台に、栄泉寺がありました。1596年(慶長元年)に建立されています。現在の本堂は、1800年(寛政12年)の大森の大火で全焼したため、7年後の1807年(文化4年)に再建されたものです。このお寺さんは、石見銀山の歴代の代官の中で、「芋代官」の名でもっとも慕われ、もっとも著名な代官を生み出したお寺です。というのは、時の代官・井戸平左衛門が栄泉寺で、滞在中の旅の僧で、徳の高いと評判の泰永から「さつまいも」の話を聞きます。その栽培を試している時の1732年(享保17年)に起こったのが「享保の大飢饉」でした。独断で備蓄米の放出、年貢の減免をして、取り敢えず庶民の餓死を逃れます。当然、平左衛門は罪を問われ、牢獄で病死(自害?)しますが、さつまいもの栽培をトライしていた一軒の農家が栽培に成功します。その方法が普及し、この地方は飢饉を乗り切ったのです。なお、山号は雪厳山で、曹洞宗のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
阿部家は宗岡家の隣にある大きなお屋敷です。なお、道路に面している家は阿部家の家ではありません。阿部家は、大久保長安が石見銀山の初代奉行となった時、以前、甲斐国で知り合った阿部清兵衛を大森奉行所の奉行補佐役(会計業務)に招いたとされています。以降、代々、江戸時代を通じてこの役職を務めたとのことです。現在の屋敷は1789年(寛政元年)に築造されたもので、大森の町並みの中では古い建造物とのことです。客人用の玄関と家人用の玄関を持つ、上級武士の典型的なお屋敷です。現在は宿泊施設として使われています。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.0
栄泉寺の近くに宗岡家がありました。親類の阿部家と並んでいます。この宗岡家は1830年ころに建てられた?代官所役人の武家屋敷です。宗岡家は銀山では名家ですが、この建物に住んだ時の宗岡家は中級武士だったそうで、大きくはありませんでした。元々の宗岡家は毛利家に仕えた鉱山の専門家だったとのことです。関ヶ原当時に当主だった弥右衛門は、徳川の時代になって初代奉行の大久保長安に登用され、後には佐渡金山の役職も務めたそうです。その後、子孫は代々この銀山の役職を務めていたそうです。しかし、1790年(寛政2年)に何があったのか失職したそうです。後に、親類の阿部家の口利き?で、1823年(文政6年)に石見銀山の代官所に戻りますが、職は同心という、武家でも中級武士だったということです。隣の親類の阿部家から家の提供を受けたそうですが、阿部家に比べると、その家の小ささは歴然です。阿部家の御家人の家でも提供してもらったのでしょうかね。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.5
大森の町並みの南端近くに、白壁の金森家がありました。1850年ころに建てられた、町並みの中でもしっかりとした建物です。ここは郷宿という宿泊施設だったものだそうです。石見銀山の御料地はその周辺の150もの村々が含まれていたそうです。村の世話役などは代官所へ公務で訪れることが多かったそうです。そこで、村を6つのグループに分け、それぞれが宿泊するところを固定したのが郷宿とのことです。ここは江津辺りのクループの郷宿だったそうです。大森の豪商にこの業務を請け負わせたそうです、このシステムは1700年半ばには確立していたそうです。
以前、東京では地方自治体の出張者を宿泊させる、その自治体が建てた宿泊施設を多く目にしましたが、ずいぶんと昔から同じ様な宿泊施設があったのですね。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:3.5
銀山口自治会館前の角地にある玉留屋さんでは、木造のお店周りに同化するようにと、木枠でカバーされた飲み物の自販機が置かれていました。町並みの景観の邪魔をしないようにということです。この考えに同調する人もいるようで、大森のほかのところでも、同じ様にカバーされた自販機を見掛けました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2022年12月26日
総合評価:5.0
銀山で亡くなった人々の霊と先祖の霊を供養するために彫られた五百羅漢像の納まる羅漢寺は、銀山地区と大森の町並みの境のところにありました。五百羅漢の発創は元文年間(1736年~40年)の頃とされていて、完成は1766年(明和3年)だったそうです。羅漢寺はその完成が見通せた?1764年(明和元年)に創建されたとのことです。五百羅漢像は1体だけでも立派な石像と思えるほど素晴らしい出来映えだと思いました。石工は温泉津町福光の坪内兵七利忠とその一門だそうです。この辺りでは、路傍にあるお地蔵さんもほとんどが福光の石工が彫ったものだそうです。なお、山号は石室山で、高野山真言宗のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年12月26日
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投稿日 2022年12月26日































