旅好者さんのクチコミ(18ページ)全6,282件
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投稿日 2022年12月29日
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:3.5
神門通り(県道161号線)を南に進み、(訪れた時は臨時の)宇迦橋を渡った先の、吉兆館前交差点の右方に道の駅・大社ご縁広場がありました。物産館では多くの地酒がたっぷりとありました。また、お土産としてのお菓子類などもいろいろとありましたが、海産物のお土産物も多かったです。そして、場所柄?しじみの加工品も多かったです。手むきの佃煮は値段はちょっと高かったですが、美味でした。
- 旅行時期
- 2022年11月
- お土産の品数:
- 3.5
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投稿日 2022年12月29日
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:4.0
神門通りに一畑電車の出雲大社前駅が、鉄道駅という感じがなく、さり気なくありました。地元では「ばたでん」って呼ぶのですね。1912年(明治45年)の一畑軽便鉄道が発足時の名称だったそうです。今の路線を見ると、何故、出雲電鉄とか松江電鉄ではないのかと不思議でした。最初は山陰本線の出雲今市から出雲大社を結ぶ計画だったのですね。今はなくなってしまいましたが、すでに鉄道院が大社線の敷設を計画していたので、一畑薬師へと計画を変えたのだそうですね。ずいぶんと柔軟な対応だったのですね。
- 旅行時期
- 2022年11月
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 乗り場へのアクセス:
- 3.0
- 車窓:
- 3.5
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:4.0
神門通りの縁結びスクエアを奥に進むと、2010年(平成22年)の映画「RAILWAYS」で筒井肇さんが運転した一畑電気鉄道デハニ50形電車52号車が置かれていました。電車の運転はみんなの夢だと思いますが、何と、これが体験出来るプログラムがあるのですね。講習を受けた後、雲州平田駅構内にある体験運転専用線で約120mを4回運転出来るのです。但し、受付人数が少ないですから、運転体験はまさに運試しです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:4.0
神門通り交通広場駐車場の近くに、神門通りおもてなしステーションがありました。VISITER CENTERなど英語表記も散見されましたから、海外からのお客さんも多いのだろうと思いました。観光している間はほとんど海外からのお客さんを目にしませんでしたが、もう少し、コロナが収まれば復活するのでしょう。大社の資料だけではなく、松江などほかのところのパンフレットも揃っていました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年12月29日
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投稿日 2022年12月29日
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:5.0
出雲大社の境内を大きく東側に回り込んだところに、島根県立古代出雲歴史博物館がありました。すぐお隣の出雲大社関係としては、2000年(平成12年)ころに発掘された「宇豆柱」が展示されていました。出雲というと出雲大社が中心だった様に思っていましたが、松江にある風土記の丘辺りの方が中心で、いろいろな遺物の発掘も多く、その展示が充実していました。そんなことをお勉強させてくれる施設でした。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:5.0
出雲大社の本殿の真後ろに廻ったところに素鵞社(そがのやしろ)がありました。大社の延享の造営時に一緒に建てられていますが、以前の寛文時に造営された本殿などから再利用もされてもいるようです、ご祭神は天照大神の弟さんの素盞嗚尊(すさのおのみこと)です。お若い時は荒ぶる神として名を馳せた神様です。出雲大社のご祭神・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の愛妻・須勢理毘売命(すせりびめのみこと)のお父さんです。こんな真後ろから見られていたら、奥さん以外に目が行かなくなったでしょうね。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:3.5
有名な出雲大社の割にはずいぶんと控え目と感じる宝物殿がありました。入口には、「岩根御柱(心御柱)展示中」となっていました。この宝物殿の名称は「神祜殿」というのだそうです。そもそも神祜とはどんな意味?がわりませんねぇ。後でHPを見ると「神の助け」、「神から幸を授かる」という意味なのだそうです。読んでも、よく分りませんが、今、最大の売りは心御柱ということです。そもそも出雲大社の社殿はとてつもない高さがあったといわれていますね。それが平成初期の発掘調査で、西暦1300年前後の鎌倉時代の柱が出てきて、それが確かめられたのです。ここまでやったら、古代は天を突く高さがあったそうですから、復元してほしいと思いますねぇ。なお、八足門の前には発掘したときのイメージが残されていました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.5
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:4.0
拝殿を挟んで東西に十九社がありました。東側の方が手前にずれてありました。それぞれ19室あり、全国の神様の遙拝所になっているとのことです。神在祭(旧暦10/11~17)で全国の神様が出雲に集まってきた時は、その宿舎になるとのことです。なお、訪れた時は扉が閉まっていましたが、宿舎になっている期間は扉が開かれるのだそうです。現在の建物は1809年(文化6年)のもので、重文に指定されています。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:5.0
出雲大社は、まずは参道の松並木が参拝の気分を盛り上げてくれますね。寛永年間(1624年~45年)に松江藩主・堀尾忠氏の夫人だった長松院が、祈願成就の御礼に松の木1、000本を奉納したものだそうです。現在、大きな松を目にすることはほとんどありませんが、江戸時代の木は数10本程度だそうです。御祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。出雲大社は江戸時代に2回大きな造営をしています。1回目は寛文の御造営で、1667年(寛文7年)に 幕府は2千貫を御造営費として寄進しました。この時に神仏分離が行なわれたそうです。この時の建物では八足門や楼門、回廊が残っている(解体移築)とのことです。2回目は1744年(延享元年)に行なわれた延享の御造営です。費用は日本勧化と呼ばれた、全国への御造営御浄財の募材活動で賄われたそうです。なお、拝殿は火災に遭い、1959年(昭和34年)に再建されたものでした。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:3.0
勢溜の大鳥居を潜り、祓社にお参りして、祓橋を渡って参道を進むと、左右に神苑が拡がります。その西側の神苑の端に縁結びの碑がありました。大国主大神と須勢理毘売命(すせりびめのみこと)が夫婦の契りの盃を交わされている絵が置かれていました。男女の立ち位置が反対ですが、神様は庶民とは違うのでしょうかね。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:4.0
社家通りに出たところに、北島国造館がありました。出雲大社の宮司は1343年(康永2年)に千家家と北島家と2系統に分かれますが、こちらも国造と名が付いている通り、江戸時代までは出雲大社の宮司を務めてきたのですね。明治になって、千家家に1本化された後は、出雲教を興して、大神の御神徳を人々に広め、教え導いているとのことです。千家家とは良き協力関係にあるそうです。
入口には1859年(安政6年)に松江藩主松平安定が献納した大門がありました。また、北島国造館の境内から、宝物殿の神祜殿近くに通じるところに、四脚門がありました。神域内で最古の建造物とのことです。1664年(寛文4年)に屋敷の移設とともにこの場所に移されたとのことです。但し、いつ建立されたものかは案内されていませんでした。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年12月29日
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:3.0
出雲大社教祖霊社の境内の北辺に沿った路地を入ったところに、小振りな都稲荷社がありました。江戸時代末期に、第76代千家俊秀国造の弟さんの千家俊信が、京都伏見稲荷大社を勧請したとのことです。従って、ご祭神は稲荷大神(宇迦之御霊神、佐田彦神、大宮能売神、田中神、四神)の5柱でした。拝殿と本殿との間の幣殿部分は屋根だけの渡り廊下の様になっていました。
余談ですが、都稲荷社への路地に出雲大社教祖霊社の公衆トイレがありました。その男女マークが可愛かったので、紹介しておきます。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年12月29日
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:4.0
神迎の道に面して、手錢(てぜん)美術館がありました。以前は手錢記念館といっていたそうですが、今年(2022年)から手錢美術館と名称を変更したそうです。手錢家は江戸時代の初めから続く出雲の名家で、名字帯刀を許されて、何と、藩主や藩の重役の宿となる程だったのだそうです。元禄時代から明治維新までは造り酒屋を営んでいて、展示室は当時の米蔵や酒蔵とのことです。その手錢家の代々の当主が集めた茶道や華道など美術工芸品などが展示されていました。出雲は、茶人大名とも呼ばれた松江藩主を生んだところですから、そもそも美術工芸への感心が高かったのでしょうね。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2022年12月29日






































