旅好者さんのクチコミ(17ページ)全6,282件
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投稿日 2023年01月12日
総合評価:3.5
竹島資料室から外に出ると広場が拡がっていました。県庁前庭というところかと思いますが、正面には松江城が見えました。その昔、ここは三の丸だそうですね。そこに松平直政公騎馬像がありました。2009年(平成21年)に設置され、作者は倉澤實さんとのことです。(戦前にもあり、これは再設置とのことです)イメージは大坂冬の陣での奮戦ぶりでしょうね。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2023年01月12日
総合評価:3.0
観光旅行でお役所を訪れることはありませんが、松江では島根県庁第3分庁舎というところを訪れました。ここに竹島資料室という施設があるからです。ここは2007年(平成19年)に設置されたとのことです。ざっと見ましたが、印象としては、自己満足型のところでした。取り敢えず、こんなところを作ってみましたといった、今一つ力の入っていないと感じました。政治問題化しても領土問題の解決は難しいと思いますが、まずは政治問題の俎上に載せないことには先に進まないと思いました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.0
-
投稿日 2023年01月12日
総合評価:4.0
田部美術館から塩見縄手を東へ進み、何軒かのお店を通り過ぎたところに、武家屋敷がありました。塩見縄手一帯は1638年(寛永15年)に松平直政が松江に入府した後に、上級武士のお屋敷街として整備されたとのことです。客用のエリヤと住人のエリヤがハッキリと分けられていましたが、住人のエリヤは庭を含めて、比較的広さがあるように感じました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年01月12日
総合評価:4.0
小泉八雲旧居から塩見縄手をちょっと東へ進むと、田部美術館がありました。茶道具や茶碗などを中心に展示している美術館でした。地元の名士だった田部さんが収集した逸品ぞろいだということです。何時の日かその価値が分る様になりたいものだと思います。茶道が松江の文化として根付いたのは、不昧公の名で有名な松江藩第7代藩主の松平治郷公の影響だといわれています。でも、それを育むだけの土壌が松江や出雲にはあったのだろうと思います。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2023年01月12日
総合評価:5.0
塩見縄手に面して、小泉八雲記念館と小泉八雲旧居が並んでありました。八雲の著作関係や遺品など良く収集したものだと感心しました。八雲の日本に来るまでの数奇な人生や、著作活動には致命的にもなりかねないほど、眼が相当不自由だったことも知りました。八雲は1904年(明治37年)に東京で亡くなっていますが、この小泉八雲記念館は、八雲にゆかりある人や愛弟子たちの募金活動により、1933年(昭和8年)に建設、開館されたとのことです。(現在の建物は2代目)
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2023年01月12日
総合評価:4.0
塩見縄手に面して、小泉八雲旧居と小泉八雲記念館が並んでありました。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)というと松江!というイメージが強いのですが、松江にはわずか1年3ヶ月弱しかいなくて、さらに、この旧居にはわずか5ヶ月を暮らしただけだったのですね。それだけに、現在まで残っていることが奇跡の様にも感じました。ここは部屋を見ることもさりながら、八雲が好きだったという、味わいの違う三方の庭が見える部屋で過ごしてみました。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年01月12日
総合評価:4.0
小泉八雲旧居、田部美術館、武家屋敷など、松江観光では外せないスポットが集まっているところの前の通りが塩見縄手と呼ぶとのことです。上級武士のお屋敷が並んでいたところで、栄進をした塩見小兵衛の屋敷があったことに由来しているそうです。ここの見どころは、お濠沿いの遊歩道にある、倒れるものかと頑張っている松の木です。ここは城山(亀田山)と尾根続きだった宇賀山を掘削してお濠を造ったそうです。松の生長に耐えられるほど濠の法面がしっかりしていなかったのでしょうね。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年01月12日
総合評価:4.0
松江城内の北端近くに、城山稲荷神社がありました。車で入れるのか少し躊躇しましたが、城山稲荷神社のすぐ近くまで入れました。(駐車場がありました)稲荷社ですからきつねさんがいるのは分りますが、その数がずいぶんと多いところでした。階段上の神門に掛かる提灯や拝殿前に掛かる神社幕には、葵のご紋が誇らしげに描かれていました。1638年(寛永15年)に松平直政が松江に入府した時、夢枕にお稲荷さんが現れて、城内に祀れば火の災難から守るとお告げがあったことから、この神社が創建されたのだとか。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年01月12日
総合評価:3.5
宍道湖北辺のちょうど真ん中辺りで、国道431号線と湖に挟まれたところに、道の駅・秋鹿なぎさ公園がありました。建物の屋根がユニークな形をしていました。宍道湖の穏やかな波でしょうか?この道の駅は宍道湖でのカヌーとかペダルボートなどの水上スポーツや、芝生広場ではBBQやデイキャンプといった、一般の道の駅とは違った楽しみ方の出来るところでした。
- 旅行時期
- 2022年11月
- トイレの快適度:
- 3.0
- お土産の品数:
- 2.0
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投稿日 2023年01月12日
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投稿日 2023年01月12日
総合評価:4.0
本石橋邸は、狭い木綿街道に面して建っていて、横幅が40mくらいありました。周りを見回しても、この街道筋では1番大きな建物です。木造の一部2階建てです。本石橋家は木綿問屋や魚問屋の商売で財を成したそうです。この建物は宝暦年間(1751年~64年)の築造とのことです。奥座敷は松江藩主の御成座敷として造られたものだそうです。10畳の主室と8畳の次室からなり、東西に庭園を配してありました。前庭は「そうのにわ」と呼び、後庭を「ぎょうのにわ」と呼ぶのだそうです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2023年01月12日
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投稿日 2023年01月12日
総合評価:4.5
平田船川の橋を渡って、平田船川の造りだした大きな中洲?に入ります。これも木綿街道と呼ばれていた道なのかと思われるところに、宇美神社がありました。今からおよそ1、300年前に編纂された「出雲國風土記」にも、その名が出てくる歴史のある神社とのことです。現在の神社はいくつかの神社が集められたので、御祭神は何柱にもなっていますが、主祭神は布都御魂神(ふつのみたまのかみ)です。この神様はほかと違っていて、記紀神話に現れる霊剣の神様で、荒ぶる神を退ける力を持っているそうです。「ふつ」とは剣で物を断ち切る音だそうです。なお、現在の立派な社殿は1812年(文化9年)に築造されたものです。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2023年01月12日
総合評価:4.0
平田本陣記念館から一旦平地に戻り、平田船川沿いを少し東へ進んだところに、愛宕山公園がありました。訪れるまでは、遊具があって、春には花見が出来て・・・といったポピュラーな公園だと思っていましたが、ここには、それにプラスして、親しみやすい動物もいました。シカ、ヤギ、ロバなどです。なお、案内図にはカンガルーも描かれていましたがいませんでした。(昔はいたのかな?)入園料も掛からず、散歩コースの途中にある様な感じでした。飼育員さんも常駐しなくてはならないので運営はたいへんだと思いますが、応援したくなる様な施設でした。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
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投稿日 2023年01月12日
総合評価:5.0
宍道湖に近い平田町の旅伏(たぶし)山の麓近くの高台に、平田本陣記念館がありました。平田町本町に在住の本木佐家の旧宅を移築したとのことです。本木佐家は松江藩主の本陣宿を勤めたほどの旧名家だそうで、記念館の名前が本陣となったのでそうです。完全移築したという、玄丹流(出雲流)の日本庭園がありました。敷かれている砂は、奥出雲地方で産出される「お留砂」という砂だそうです。また、本陣の御寝所だったという上の間も完全移築されていました。1735年(享保20年)の築造とのことです。違い棚の上の天袋の襖絵は、土佐派の土佐光芳作の鶉図だそうです。その前には中庭もありましたが、庭園ほど清掃がされていませんでしたから、移築ではないのかも知れません。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2022年12月29日
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投稿日 2022年12月29日
総合評価:5.0
島根県立浜山公園から東方向に下っていった先に、出雲文化伝承館がありました。ここは名前の通り、薄れ行く出雲の歴史と文化に触れて、次に伝承して欲しいというところだそうです。1991年(平成3年)に開館したとのことです。ここに出雲の大地主であった江角家が1896年(明治29年)に建てたというお屋敷が移築されていました。書院から眺める出雲流庭園はお見事の一言でした。お金を持ったらこんなお庭を築きたいものですね。
- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2022年12月29日
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投稿日 2022年12月29日
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投稿日 2022年12月29日






































