旅好者さんのクチコミ(24ページ)全6,282件
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投稿日 2022年12月10日
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投稿日 2022年12月10日
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:5.0
馬溪橋は、国道500号線横を流れる山国川に架かっていました。国道沿いに広い駐車場がありました。左岸側の中津藩道の通っていた平田と右岸側の日田代官道が通っていた戸原を結んでいました。近くの平田城(白米城)跡や平田邸を訪れる時には利用する橋となります。耶馬渓橋、羅漢寺橋とともに耶馬渓三橋と呼ばれ、1番の上流に架かっています。ど~んと存在感たっぷりの5連のアーチ橋です。橋長は82.6m、支間は13.9m、拱矢は4.8mとなっています。1923年(大正12年)に築造されたものです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年12月10日
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:4.0
みどりの王国 みどりマザーランドは国道442号線を離れて、九州乳業の工場を目指します。「みどりの王国 みどりマザーランド」と書かれたボードの下がるアーチの渡された正面入口がありました。守衛さんに挨拶すると、どうぞと手で案内をしてくれます。進んで行った先に駐車場がありました。遠くには九州乳業の工場の建屋が見えますが、緑に溢れた広場が拡がっていました。子供向けの懐かしい乗り物やうさぎとふれあいなど有料のものもありますが、比較的安めの料金です。草原で遊ぶだけでもリフレッシュできると思いました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年12月10日
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一般の道の駅と同じで、これといった変わったものはありませんでした。
投稿日 2022年12月10日
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:4.0
「のつはる」とひらがなで書かれると、旅行者としては何の意味だろうと考えてしまいます。これが漢字だと津野原だといわれるとやっとピンときました。豊後街道の今宿の隣の宿場ですね。東京近辺では「原」を「はる」とか「ばる」とか読むことはありませんから、致し方ないところかと思います。肝心の「のつはる天空広場」ですが、近くの七瀬川に架けられたななせダムと深い関係がありました。ななせダムはロックフィルダムですが、その堤体に使用する土(コア材)を採取した山の跡地を整備して出来たのがこの「のつはる天空広場」とのことです。まだ出来立てです。多目的グラウンドともう1段上の展望広場からなっていました。もちろん、展望広場に上がって、展望を楽しみました。何と、高崎山まで見えました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:4.0
長生湯は芹川に架かる天神橋の袂に近い、芹川沿いにありました。温泉療養文化館「御前湯」が観光を意識して作られているのに比べ、この長生湯は地元の人が日常的に利用するところです。従って、歩いてやって来る人が多いので、駐車場は数台分です。観光客で隣の旅館の駐車場に駐めてしまう人も多いようで、入口には懇切丁寧な?駐車場案内が掲示されていました。道の駅に駐めていく方が良いと思います。コロナウィルスの心配がありましたが、ここには貸切湯はありませんでした。建物は男女のお風呂が左右対称に配置されていました。和風の共同浴場ですが、入口はゲートと呼ぶに相応しい洋風な仕組みになっていました。脱衣所は広さがあり、コインロッカーがあって安心です。浴室は天井が高く、昔ながらの温泉場を思わせました。長方形の浴槽がドーンとあり、6~7人は同時に入れそうでした。幸いなことに先客は数人で、無事湯巡りが終了しました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 泉質:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:4.0
老野湧水の滝の上方にある老野湧水は豊の国名水15選に選ばれています。納池公園からは南へ下ったところにあります。ここは町中に比べれば、まだまだ標高は高い様です。370年前に、2代目岡藩主・久盛が、久住に鷹狩りをした際にこの地を訪れ、その湧水の素晴らしさを讃えて、湧水の上に妙見神社を建てられたと伝えられてます。年初に枯渇したといわれましたが、訪れた時は何とか流れている状況でした。もしかしたら、復活を最初に確認した?・・・とちょっとだけ思いました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2022年12月10日
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:5.0
菅尾石仏から山裾沿いの道を西に500m進んだところに、六字名号の入口がありました。そこから車1台分の狭い道を150mくらい進むと三叉路となり、1番左の道を進んだ先に駐車エリヤがありました。そこから開けた方を見ると、道の駅・みえが遠望されました。
駐車場から、「大経文」の案内に従い、落葉が積み重なった道を進んでいくと、右の垂直の壁に六字名号がありました。六字名号は「南無阿弥陀仏」の6文字ですが、深々と彫り込まれていました。1753年(宝暦3年)に彫られたものだそうです。1文字が2m、全体で12mの高さがあります。岩壁直下の1人分程度の道幅から見上げると、何が書いてあるのかさっぱり分りませんでした。もう少し離れたところから見たいですね。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年12月10日
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:4.0
下藤キリシタン墓地は、磨崖クルスの西方、吉四六ランドの北方の丘上の畑の先にありました。最後は麦やたばこの畑の農道を300mくらい歩きます。下藤キリシタン墓地は発掘時に林が切り開かれたのか、土の広場となっていました。発掘調査では南北35m,東西18mの範囲に、66基のキリシタン墓が見つかったそうです。これだけ纏まった墓地の発見は全国で初めてだそうです。現在は調査が終わって埋め戻されていました。周りの林の中には墓石の様なものが放置されていましたが何なのでしょうかね。ここは豊後国の野津と呼ばれる地区ですが、大友宗麟の改宗時期に合わせた様に、数千人のキリシタンが居たそうです。禁教令により棄教した人も多かったでしょうが、お墓の数が随分と少ないです。ここは例外的に残ったので、廃棄されたものも多かったのでしょうね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:4.0
吉四六さんのお墓は、普現寺境内のもみじの林の中にありました。北参道といった小道沿いに「廣田吉右衛門之墓所」の標石がある覆い屋の下に4つの墓碑が並んでいました。2つのひびの入った1番左が初代廣田吉右衛門さんのお墓で、その隣が奥さんのおへまさんのお墓とのことです。横に立つ卒塔婆には實参了義信士三百遠年忌と書かれていました。なお、おへまさんの戒名はが妙林禅定尼でした。
吉右衛門さんが鈍って吉四六さんになったそうですね。吉四六さんは1628年(寛永5年)生まれで、亡くなったのは1715年(正徳5年)とのことですから、88歳の長寿だったのですね。三百遠年忌は2015年(平成27年)に営まれたのでしょう。苗字、帯刀を許された弁指(豊後や日向地方で庄屋を補佐する村役人)の家柄で、屋敷は現在の臼杵市野津庁舎近くにあり、お墓もそこにあったそうですが、菩提寺である普現寺境内に移されたとのことです。(時期は不明です)
余談ですが、某焼酎メーカーの吉四六はここから名前を貰ったそうですね。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:5.0
安政橋(仮屋橋)は、国道10号線と国道502号線の合流点近くの野津川に架かっていました。ここは、臼杵藩時代の臼杵城下と三重郷とを結ぶ主要道ですが、雨の度に川止めとなった難所とのことです。幕末の1860年(安政7年、万延元年)に架けられ、安政最後の年だったことから安政橋と名付けられた様です。すでに架橋されていた虹澗橋と合わせて、交通は格段に改善したことでしょう。しかし、56年後の1916年(大正5年)に崩壊してしまったそうです。そこで翌年の1917年(大正6年)に再架橋され、橋の名前も仮屋橋となったとのことです。橋長29.3m、支間23.2m、幅員3.2m、拱矢7.8mです。横に溝を付け、水道橋の役目も付け加えられています。
石橋としては大急ぎの再架橋で完結している様に見えるのですが、200mくらい下流のところに国道10号線の明治橋が架かっていました。その下流側に並行して鉄製の橋が架かっています。1902年(明治35年)に架けられた元の明治橋です。当時は国道36号線だったそうですが、主要国道に架けられた最新構造の橋だったはずです。この橋で充分だったはずなのに、何故、石橋をまた架けたのでしょうね。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:4.0
浄国寺は、国道502号線沿い、野津町の西畑という地区にありました。国道からは少し側道に入ります。傾斜地を利用した台地にあり、全体にまだ新しく見えるお寺さんでした。門前に「宗祖親鸞聖人 七百五十回御遠忌記念」と刻まれた大きな石碑がありました。親鸞は1263年(弘長3年)に亡くなっていますから、2013年(平成25年)に建立したのでしょうね。始めて見た祈念碑でした。本堂は新しい建物で、正面から見ると四角っぽく見えましたが、奥行きのある建物でした。創建は1655年(承応4年 または 明暦元年)で、場所は現在と同じ野津の地だったとのことです。1950年(昭和25年)に、⽕災により本堂を全焼、仮本堂となっていましたが、1989年(平成元年)に現在地に移転をし、本堂、庫裏を新築したとのことです。なお、山号は⻄⽅⼭で、真宗⼤⾕派のお寺さんです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:5.0
大原総合公園は、豊後大野市の高台に拡がっていました。中心となる施設としては、陸上競技場、野球場、馬場、サッカー場、テニスコートとあり、屋内では総合体育館があります。また、ツツジの大原公園もあります。そして、若干の遊具が置かれていただけの芝生広場が、今年の4月に大規模な遊具施設に大変身しました。子育て支援を標榜する地方自治体は多いと思いますが、その先端を行く様な遊具の充実ぶりでした。遊具は、児童用エリア、幼児用エリア、乳幼児用エリア、そして、ユニバーサル(インクルーシブ)エリアとあり、全部で49アイテムあるとのことです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年12月10日
総合評価:3.0
ツツジの大原公園の上は広場になっていて、東端には慰霊塔が建っていますが、反対の西端の公衆トイレの横の下り坂を降りたところに竜ヶ鼻古墳がありました。小振りな前方後円墳で、降りたところが後円部で、案内板が立っていました。全体は形がかなり崩れてしまっていますが、全長は約35mです。後円部は径が約18mで、高さが約3m、前方部は長さが約17mで、高さが1.5~2mです。築造は5世紀後半とみられるそうです。小型の古墳ですが盗掘に遭っているそうですね。後円部の上が窪地になっているところがその跡だとか・・・。前方部の上には小さな石祠が置かれていました。なお、ここは個人の所有だそうです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年11月14日
総合評価:3.0
道の駅・きよかわと同じ敷地に豊後大野市神楽会館がありました。道の駅兼用の駐車場の入口には大きな神楽の像がありました。毎月1回の公演が行なわれていて、訪れた時は当月公演が終わった直後で残念ながら見られませんでした。入場料金は当日売り1、500円、前売り(2ヶ月前から)1、000円です。なお、前売り券の販売は神楽会館のみとなっていました。今年上半期の公演内容を見ると毎月違っていて、地元清川の御嶽神楽を始め、御嶽流奥畑神楽、重岡岩戸神楽保存会、柴山八幡社付属柴山俚楽、國分神楽社、深山流朝地神楽保存会、御嶽流吉田俚楽座、浅草流松尾神楽、竹の中神楽座、浅草流黒松神楽、二豊神楽社と各地のものが組み合わされていました。また、下半期を見ても各地の組合わせで、上期を重なるのは御嶽神楽だけでした。なお、俚楽とは、緒方町に伝わる神楽や獅子舞などの伝統芸能を表わす呼称とのことです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- お土産の品数:
- 3.0















































