nichiさんのクチコミ(62ページ)全2,189件
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投稿日 2018年12月03日
総合評価:3.0
SバーンはUバーンやトラム、バスと合わせて利用しました。
Sバーンは他の公共交通に比べ、本数は少ないですが、市内を大きく移動するときに便利です。
ワルシャワからベルリンに国際列車で着いて、ベルリン中央駅から予約済みのホテルに移動する際に最初に利用しました。
チケットの自販機には英語表記もあります!
Sバーンで3駅までの移動は1.7ユーロです。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用目的
- 市内・近距離
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ポーランドのワルシャワから国際列車でドイツのベルリンに着きました。
投稿日 2018年12月03日
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投稿日 2018年12月03日
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ポーランドのワルシャワを満喫した後、列車でドイツのベルリンに列車で移動しました。
投稿日 2018年12月03日
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投稿日 2018年12月03日
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投稿日 2018年12月03日
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旧市街から新市街に抜けたヴィスワ川を見下ろす場所にある教会です。
投稿日 2018年12月02日
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投稿日 2018年12月02日
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投稿日 2018年12月02日
総合評価:3.5
旧市街広場から数分北に歩いた所にある広場です。
新市街広場は旧市街広場に比べ、地味で静かです。
その分、落ち着く広場です。
広場のカフェで夫婦でビールを飲みながらゆっくりしました。
15世紀には、広場の中心に木造のタウンホールがありました。
今、大きな木があるところです。
18世紀の後半、広場を囲む建物は木造住宅からレンガに建て替えられています。
第二次世界大戦でナチスドイツによってメチャメチャに破壊されたワルシャワですが、新市街のこの広場も例外ではありませんでした。
戦後ワルシャワ市民によって再建されたとき、この新市街は18世紀当時のように再建されました。
広場は、聖カシミロ教会やかカフェと緑に囲まれています。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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旧王宮広場からクラクフ郊外通りを少し南下した左側にある教会です。
投稿日 2018年12月02日
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ショパンはこの教会の日曜日のごミサで何度かパイプオルガンを弾いていました。
投稿日 2018年12月02日
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大学の建物は、ナチスドイツによって破壊されましたが戦後に市民によって忠実に再建したものです。
投稿日 2018年12月02日
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生憎、外壁工事中でしたが、お目当てはショパンの心臓が埋められている聖堂内の柱!
投稿日 2018年12月02日
総合評価:3.5
教会の入口には、十字架を背負うキリスト像がありました。
聖堂は、比較的に明るく、正面の祭壇は黄金でした。
聖堂内にあるいくつかの柱の中で、ショパンのプレートが掲げられている柱があります。
この柱の下にショパンの心臓が埋められています。
第二次世界大戦中、この教会はナチスドイツによって破壊され、心臓はナチスに持ち去られました。
しかし、戦後にワルシャワの街の再建と共にこの教会も再建されると、1,945年10月17日に心臓は返還され、以前と同じ場所に安置されました。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2018年12月02日
総合評価:3.0
1,825年5月 15歳のショパンはロシア皇帝アレクサンドル1世の為にこの教会でピアノを弾きました。
20歳でワルシャワを離れてウイーンに向かい、21歳でパリへ。
いつかはワルシャワに戻るつもりであったショパンですが、二度とこの地を踏むことなく39歳でパリで亡くなりました。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2018年12月02日
総合評価:3.5
今ではワルシャワ市民の足になっている地下鉄は、3年前に東西に走る2号線が開通し、2本になりました。
元々の車両は旧ソ連製で、その後ドイツのシーメンス製になり、今ではポーランドの国産のようです。
2号線はまだ新しいため、どの駅もかなり綺麗です。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用目的
- 市内・近距離
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投稿日 2018年12月02日
総合評価:4.0
ワルシャワ蜂起とは何か??
第二次世界大戦後期、ナチス・ドイツ占領下のポーランドの首都ワルシャワで起こった武装蜂起です。
1944年6月22日からソビエト軍は東ヨーロッパにおけるドイツ征服エリアに侵攻し、ナチス・ドイツは敗走を重ねますが、ドイツ軍は再編成・治安維持のために駐屯する部隊をかき集めて防戦に努めました。
ソビエト軍の占領地域がポーランド東部一帯にまで及ぶと、ソ連はポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけました。
ラジオで「ポーランドのみなさん!武器を持って立ち上がろう!」と。
ソ連軍はワルシャワ占領に向かい、約5万人のポーランド国内軍はそれに呼応するような形で、8月1日、午後5時に蜂起を開始。
国内軍は橋、官庁、駅、ドイツ軍の兵舎、補給所を襲撃しました。
この時刻は「W」と呼ばれ、現在でも毎年8月1日のこの時刻にワルシャワ市ではサイレンが鳴り渡り、各自で1分間の黙祷を捧げるのが恒例行事となっています。
しかしソ連軍は、ワルシャワ市街の東を流れるヴィスワ川対岸まで来て進軍をやめてしまいます。援軍を得られなかったポーランド市民による蜂起は失敗。
アドルフ・ヒトラーは、蜂起したポーランド国内軍の弾圧とワルシャワの徹底した破壊を命じ、ワルシャワの街はメチャメチャに破壊されてしまいました。
ワルシャワ市街は灰燼に帰して、10月2日には降伏しました。
蜂起参加者はテロリストとされ、レジスタンス・市民を合わせて約22万人が戦死・処刑で死亡したと言われています。
1,945年1月、ソ連軍は廃墟と化したワルシャワに進軍し、ヨーロッパにおける大戦は終焉を迎えます。
この博物館は当時の市民の生活を解説しています。
入ってすぐ左側の売店の中で音声ガイド機を借りました。
日本語の設定をお願いしました。
この音声ガイドのおかげで理解が深まりました。
但し、日本人でない方が読んでいるのか、少し漢字の読み方やイントネーションが間違っていることがありました。
そのたびに「ムムッ?」
原稿の読み方も棒読みで頭に入りづらいです。
ナレーターに読んで頂くだけでかなり理解は違うと思いました。
チケットは事前にネットで取得できます。
公式ホームページはこちら→http://www.1944.pl/en
このアドレス、ビックリですね。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2018年12月02日
総合評価:5.0
博物館の建物は、16世紀から17世紀に建てられた貴族の館でしたが、第二次世界大戦で破壊されました。
この建物は1954年に再建されたものです。
1時間に70名と言う入場規制のあるショパン博物館。
16時に訪れた際に受け取った整理券は18時入場でした。
ウェブサイトで予約しておけばよかったです。
1人22zl=660円×2名
予約カード(長細い白いカード)を見せると赤いICカードを渡されます。。
カードを入り口のゲートにかざしてピッ!
この後、このカードを館内の至る所で使用します。
ポーランドのジェラゾヴァヴォラと言う舌を噛みそうな地でショパンは産まれました。
そして生後間もなく、ワルシャワに引っ越しています。
1830年のウィーン旅行中に11月蜂起が勃発。
仕方なくポーランドに戻ることを諦め、1831年パリに移ります。
館内の表示はポーランド語と英語。
カードをかざすと選んだ言語の説明が流れます。
展示スペースの真ん中にはいくつかのアクリルボックスがあります。
そのアクリルボックスの中に入ってみます。
中に椅子が1つ。
一人用のリスニングルームです。
ここに座って様々なショパンの曲を楽しむことができます。
小さなコンサートホールのステージにはグランドピアノと大型モニターがあります。
キャパは50名~60名でしょうか?
2,015年のショパンコンクールの様子が流れていました。
日系アメリカ人であるケイト・リウ(3位)の演奏にウットリ。
この年は韓国人のチョ・ソンジンが優勝でしたね。
様々なショパンの楽曲をジャンルごとに聞くことができるコーナーにやってきました。
ヘッドフォンで聴きます。
コーナーごとにヘッドフォンが2つ。
夫婦で一緒に聴いて1つの人気コーナーを除き、全コーナーを訪れました。
音は今イチですが、十分に楽しむことができました。
最初はスケルツォです。
イタリア語Scherzoの意味は冗談、ユーモアという意味です。
早い三拍子で、軽快な技巧曲です。
ここでは2曲のスケルツォを聴くことができます。
次はワルツ。
ワルツは男女の出会いの場である舞踏会のための曲ですから、本来猥雑な要素が含まれます。
しかしショパンは猥雑な表現を嫌がり、自分の心を反映したワルツを作るようになります。
ショパンは華やかなワルツと抒情的なワルツを作曲しています。
ここでは7曲のワルツを聴くことができます。
私は中学生までピアノを習っていたのですが、子犬のワルツを弾くのに悪戦苦闘したことを思い出しました。
次はバラードです。
ショパンの時代、バラードは歌でした。
彼は歌の無いピアノのみでドラマチックなバラードを成立させました。
ここでは4曲のバラードを聴くことができます。
次はポロネーズです。
ショパンが7歳の時、ト短調と変ロ長調の2つのポロネーズを作曲しています。
ポロネーズはゆったりした4分の3拍子のピアノ曲で、フランス語で「ポーランド風」と言う意味です。
民族意識を芸術作品として結晶化されたものと言われています。
ここでは6つのポロネーズを聴くことができます。
マズルカです。
3拍子ですが、ワルツとは違い、マズルカは2拍目または3拍目にアクセントが付くことが多いです。
ショパン好きの私でも、マズルカはあまり知りません。
ここでは数多くのマズルカを聴くことができます。
ずっと空かずに聴くことができませんでしたが、ダン・タイソンのコーナーもありました。これが唯一訪れることができなかったコーナーです。
ショパンの様々な楽曲のジャンル別のコーナーがある中で、唯一ピアニストであるダン・タイソンのコーナーがあることに、彼の人気の高さをうかがい知ることができます。
私もダン・タイソンが大好きです。
彼のレコードやCDは多数所有しているので、まあいっか。。。。
パリにおけるショパンの部屋が再現されています。
中央には亡くなる2年前からショパンが弾いていたプレイエル社のピアノがあります。
ベルリン、プラハ、ウィーン、ドレスデンなど、ヨーロッパ各地におけるショパンに関する説明があります。
ウィーンはショパンを拒絶したんですね。
知りませんでした。
当時のウィーンではヨハンシュトラウスの優雅なウィンナーワルツが大人気でしたが、ショパンは苦手。
当時、ポーランドとオーストリアが政治的にぶつかっていたこともショパンがウィーンに合わなかった要因になっていたようです。
パリ時代は派手好きで、おしゃれ好きで、しょっちゅう夜会に繰り出しては朝まで遊んでいたようです。
ショパンのパトロンであったジョルジュ・サンドとの関係をもっとここで知りたかったです。
ショパンの手の模型。
小さくてびっくりです!
ショパン博物館を閉館時間までじっくり2時間楽しませていただきました。
デジタル化された譜面など、ちょっとハイテク技術に頼りすぎのような気もしましたが、ショパン好きにはたまらないですね。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2018年12月02日
総合評価:3.5
ポーランドのスーパースター
コペルニクスの像です。
正式には、ニコラウス・コペルニクス
天動説を覆し、地動説を唱えたカトリック教会の司祭です。
子供の頃、絵本で読んで知りました。
コペルニクス像の後ろにはポーランド科学アカデミーがあります。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2018年12月02日
総合評価:5.0
クラクフ郊外通りにはショパンに関する見所が多く、見所の近くにはそれぞれショパンのベンチが置かれています。
2,010年のショパン生誕200年を記念して作られたベンチです。
ショパンが初めてピアノの演奏会を行ったラジヴィウ家と言う貴族の館の前のベンチに座りました。
ベンチのボタンを押すと、ショパンの曲が流れました。
ここではポロネーズが流れました。
テンポがゆっくりな4分の3拍子が心地いいです。
ベンチにはQRコードがあります。
スマホでこのQRコードを読み取ると、アプリのインストール画面に繋がり、こんな画面になった後、多くのショパンの名曲を聴くことができるようになりました。
このアプリは、帰国後もショパンのピアノの名曲を楽しませてくれています。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2018年12月02日
総合評価:3.5
ラジヴィウ家と言う貴族の館であった宮殿です。
大統領官邸になったのは、1,994年からです。
ポーランドの英雄ユーゼフ・ポニャトフスキ像があります。
彼はポーランド・リトアニア共和国の貴族、オーストリア軍の将校、のちナポレオン1世の下で将軍として活躍し元帥となった軍人です。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)













































































































































