nichiさんのクチコミ(21ページ)全2,189件
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細川忠興が上杉攻めで田辺城を留守にしていた際に、石田三成率いる1万5千の兵に囲まれた時の布陣の図がありました
投稿日 2022年10月27日
総合評価:4.5
入場料は一人200円。
田辺城の城門の上が田辺城資料館です。
入ってすぐ、細川藤孝(幽斎)の像がありました。
足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えました。
和歌や古典、茶道、料理など、あらゆる学問と芸術を極めた当代屈指の文化人でもありました。
もうスーパースターですね。
本能寺の変で袂を分かちますが、それまで明智光秀と盟友であったことが判ります。
当時の地図があって、田辺城は、海に近い平城であったことがわかります。
今の地図と照らし合わせてみると面白い、、、
この城は石田三成率いる西軍1万5千の兵に囲まれ、細川幽斎は500の兵で籠ったのですね。
細川忠興が上杉攻めで田辺城を留守にしていた際に、石田三成率いる1万5千の兵に囲まれた時の布陣です。
西軍の小野木、小出、長谷川の名前が読めます。
北側(下)には毛利の船までいます。毛利は水軍を持ってましたからね~
怖~~~
でもでもこの西軍の中には、当代一の文化人でもある幽斎を歌道の師として仰いでいる諸将も少なくなく、攻撃は積極性を欠くものであったようです。
細川藤孝(幽斎)が文人であったが故に朝廷に救われたわけでして。。。
あとあと、細川藤孝(幽斎)が、わずか500の兵で、ココに西軍1万5千の兵をくぎ付けにしたおかげで、ココにいた西軍は関が原に遅刻し、本戦には間に合いませんでした。
これが「関が原の前哨戦」と言われる所以ですね。
歴史、メッチャ面白い!- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月27日
総合評価:3.5
舞鶴の街のど真ん中にあります。
足利義昭の家来であった細川藤孝と朝倉義景の家来であった明智光秀。
二人共、何よりも能力のある者を好んだ織田信長の家臣となり、信長の命で光秀の娘である玉(のちのガラシャ)と藤孝の息子である忠興が結婚し親戚の間柄になります。
しかし、細川藤孝と忠興は本能寺の変で光秀の要請に応えませんでした。
その時藤孝は出家して幽斎となり、宮津城からこの田辺城に居を移して隠居します。
関ヶ原の戦いでは細川藤孝・忠興は東軍に加わり、この田辺城は石田三成の西軍に攻められます。
忠興が上杉攻めで留守であった際、1万5千の西軍に包囲された田辺城はわずか500の兵で50日守り抜き、天皇の勅命で包囲が解かれます。
この天皇の勅命の理由が細川藤孝が文化人としても有能で、古今和歌集の
秘事口伝の伝承者であったため。
この理由も面白い。。。。
田辺城は別名、舞鶴城(ぶがくじょう)と言われ、この地域が舞鶴市と言う名前になった由来です。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月27日
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投稿日 2022年10月27日
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昔からある船の通行のために回転する橋ですが、昔は手動でした。
投稿日 2022年10月27日
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天橋立の海に囲まれた砂州の中にある磯清水。 何故か真水なんです。名水井戸です。
投稿日 2022年10月27日
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投稿日 2022年10月26日
総合評価:4.5
一宮桟橋の近くでレンタサイクルを借りて、天橋立を往復してみました。
料金は、2時間で400円
北(上)から南(下)に向かって天橋立を自転車で往復しました。
南側に渡ったところでお茶してから戻ったのですが、2時間をゆったり使うことができました。
天橋立は全長で3.6㎞。
徒歩で片道50分ですが、自転車なら片道20分です。
平安時代から多くの文人墨客が訪れた天橋立です。
いくつかの句碑があり、見入ってしまいました。
陸地と陸地が砂州でつながり、そこに松が植わって奇跡の美しい景色が生まれましたんですね。
自然の摂理とはいえ、凄いですね。
今ではこの景観を維持するために大変な苦労があるようでした。
傘松公園までケーブルカーかリフトで上がって天橋立を見下ろすと、絶景を拝むことができます。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月26日
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傘松公園で往復バスチケットと拝観料を支払って行くことができました。
投稿日 2022年10月26日
総合評価:4.0
傘松公園から歩くと30分弱ですが、バスなら7分で行くことができます。
帰りのバスの時間を確認の上、時間に合わせてお寺の中を巡りました。
バスの往復チケット往復で400円です。
入山料は500円
険しい山の上にあるにもかかわらず、大黄なお寺でビックリ。
終点でバスを降ります。
すでに山門は途中で通り過ぎています。
目の前には大階段。
登るしかありません。
階段を半分ぐらい登ったところで右側に「撞かずの鐘」。
先ほどバスのチケットを購入した際のブロッシャーを読んでみます。
何やらいわくつきの名前です。
寺に新たな梵鐘を造ることになって近隣住民から寄進を求めたところ、裕福な家の奥様が「子供はたくさんいるけど寄進する金はない」と断ります。
鐘の鋳造の日、大勢の見物人の中、寄進しなかった奥様も乳飲み子を抱いて見物していましたが、誤って鋳造中の堂の壺に乳飲み子を落としてしまいます。
鐘は出来上がりましたが、鐘を撞いてみると子供の泣き声に聞こえるとのこと。
人々は乳飲み子の成仏を願い、鐘を撞くのをやめたそうです。
だから「撞かずの鐘」なんですね。
おどろおどろしいな~
階段を登りきる直前の左側には「一願一言地蔵」。
唯一願を一言でお願いすれば、どんなことでも叶えてくれるというお地蔵さん。
650年前の古~いお地蔵さんです。
そこからさらに階段を上ると本堂です。
1774年に建てられました。
そもそも天橋立を見下ろす景勝地にある成相寺。
真応上人の開山で文武天皇の勅願寺となったそうです。
よって、8世紀には存在していたようです。
元々は山の中の日本古来の山岳信仰の修験場だったようですね。
本尊の聖観音立像は平安時代に造られた仏像です。(撮影禁止)
ひえ~~
本堂内で唯一撮影可能なのが、
左甚五郎作「真向きの龍」。
飛騨の有名な彫刻職人である左甚五郎の作品です。
やっぱ迫力あるな~
雨乞いのため、たまたま宮津に滞在中の左甚五郎に依頼して造ってもらった彫刻だそうです。
報道から少し右に向かって降りると、大きな池と池の奥には五重塔。
こんな山奥でビックリですね。
この横に弁天山展望台の入り口があります。
弁天山展望台から天橋立の絶景を見下ろすことができました。- 旅行時期
- 2022年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月26日
総合評価:4.0
リフトまたはケーブルカーで上がることができます。
海抜130mにある公園で、お天気さえよければ絶景を見ることができます。
天橋立は上から見た方が綺麗です。
陸地と陸地が砂州でつながり、そこに松が植わって奇跡の美しい景色が生まれました状況を感じることができます。
有名な股のぞきを体験する台も置かれていました。
明治33年、ココに展望所を造った際に始まったのが「股のぞき」なんですね。
着物姿で股のぞきをやってるモノクロ写真が掲示されていました。
AmaTerrace(アマテラス)という、食事ができる施設もありました。
絶景を見ながらソフトクリームを食べました。
ココ傘松公園からさらに山の上にある成相寺に行くには、バスか徒歩。
成相寺登山バスが運行されています。
バスなら7分。
徒歩なら30分弱。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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傘松公園まで上がるケーブルカーでリフトと並走しており、同じチケットでどちらにも乗車可能です。
投稿日 2022年10月26日
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投稿日 2022年10月26日
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投稿日 2022年10月24日
総合評価:3.0
天橋立観光船+天橋立ケーブルカー・リフト往復乗車券×2枚
チケット購入。
観光案内の放送が流れてますが、船のエンジン音で半分聞こえません。
席を移動しても聞こえる席は少ないようで、そこには先客が、、、
いい天気の穏やかな海を進みます。
ココは阿蘇海と言う内海で、宮津湾から天橋立の奥にあるために海が穏やかです。
船の進行方向の右側にずーッと見えている松林が天橋立です。
ココで見ても天橋立らしさは判りません。
単なる松林です。
左側は阿蘇海。
広い穏やかな海沿いに、丹後ちりめんで有名な与謝野町があります。
阿蘇湾には舟屋が残っています。
37軒の舟屋が残っているそうです。
約12分で一宮桟橋に到着です。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月24日
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投稿日 2022年10月24日
総合評価:4.5
明治29年、フランス人宣教師であるルイ・ルラーブ神父によって建てられた聖堂です。
明治初期の貴重な教会建築です。
コロナの影響で聖堂には入れませんでした。
素敵なステンドグラス、畳敷の聖堂内部、見たかったな~
隣の武家屋敷の跡が大手川ふれあい広場にンっており、その中央に細川ガラシャの像が立っています。
背景に宮津教会のアングルが素敵でした。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月24日
総合評価:3.5
宮津小学校の正門ですが、実は宮津城の門の一つで、城の南側にあった太鼓門です。
そもそもこの門の隣に時を知らせる太鼓櫓があったから太鼓門と呼ばれていたそうです。
江戸時代には藩校が作られ、それが現在の宮津小学校につながっているんですね。
明治の廃城令でことごとく壊されてしまいましたが、この門だけはボロボロの状態で残っており、平成になって元あったこの場所に移築され、綺麗に整備されたようです。
宮津城の本丸入り口の石垣も一部残っていました。
その下の丸い穴の石は、大手橋の橋脚の礎石だそうです。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月23日
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投稿日 2022年10月23日
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山陰本線で福知山に入ると、平野の真ん中に小高い丘に建つ福知山城が綺麗に見えます。
投稿日 2022年10月23日
総合評価:4.5
このお城、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも登場しましたね。
天正7(1579)年に丹波を平定した明智光秀はこの地に城と城下町を築きました。
もう明智光秀ファンは坂本城や丹波亀山城と並び、一度は訪れてみたい場所です。
織田信長に毛利攻めを命じられた豊臣秀吉と明智光秀の2人の武将。
秀吉は南側の山陽道を西に向かい、光秀は北側の山陰道を西に向かいました。
その際、丹波を平定した光秀が築いたのがこの福知山城で、城下町と共に築きました。
南から北に流れる由良川が天然の堀になっていて、高台にある福知山城は城下を見下ろす場所にありました。
本能寺の変のあとの山崎の戦いで秀吉に敗れ、光秀がこの城の城主であったのはたった3年でした。
その後は信長の四男で秀吉の養子になった羽柴秀勝が城主になります。
関が原以降は家康に可愛がられていた有馬豊が福知山藩の初代藩主となります。
その後、1669年、朽木稙昌が城主となり、明治になるまでの約200年に渡り朽木氏が13代城主を務めました。
明治に入ったときに廃城令で解体されますが、1986年に復元されています。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月22日
総合評価:4.5
竹田城から城下町を挟んで反対側の山である「立雲峡」です。
雲上に竹田城が浮かぶ写真が竹田城を有名にしましたが、この絶景の展望スポットである「立雲峡」にやってきました。
でもこの景色が見れるのは、条件が揃った時だけ。
10月、11月の 前日の夜に冷え込み、翌日よく晴れて暖かくなる寒暖の差が10℃以上、で尚且つ風が少ない時。
でもって日の出から朝の8時までというのが基本的な条件です。
もう、この景色狙いでキチンと計画を立てないと無理ですね。
駐車場に車を停めて、展望台に向かって登っていきます。
その前に
環境整備協力金300円×2名
をお支払い。
竹田城を臨む展望台は3つでした。
第3展望台は徒歩5分
第2展望台まで徒歩20分
竹田城跡が一番きれいに見える第1展望台まで徒歩40分。
時間の関係で、第二展望台まで行ってみました。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)



















































































































































