細川ガラシャの義父である細川藤孝(のちの幽斎)のお城です。
- 3.5
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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by nichiさん(男性)
舞鶴 クチコミ:4件
舞鶴の街のど真ん中にあります。
足利義昭の家来であった細川藤孝と朝倉義景の家来であった明智光秀。
二人共、何よりも能力のある者を好んだ織田信長の家臣となり、信長の命で光秀の娘である玉(のちのガラシャ)と藤孝の息子である忠興が結婚し親戚の間柄になります。
しかし、細川藤孝と忠興は本能寺の変で光秀の要請に応えませんでした。
その時藤孝は出家して幽斎となり、宮津城からこの田辺城に居を移して隠居します。
関ヶ原の戦いでは細川藤孝・忠興は東軍に加わり、この田辺城は石田三成の西軍に攻められます。
忠興が上杉攻めで留守であった際、1万5千の西軍に包囲された田辺城はわずか500の兵で50日守り抜き、天皇の勅命で包囲が解かれます。
この天皇の勅命の理由が細川藤孝が文化人としても有能で、古今和歌集の
秘事口伝の伝承者であったため。
この理由も面白い。。。。
田辺城は別名、舞鶴城(ぶがくじょう)と言われ、この地域が舞鶴市と言う名前になった由来です。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2022/10/27
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