nichiさんのクチコミ(18ページ)全2,119件
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傘松公園まで上がるケーブルカーでリフトと並走しており、同じチケットでどちらにも乗車可能です。
投稿日 2022年10月26日
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投稿日 2022年10月26日
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投稿日 2022年10月24日
総合評価:3.0
天橋立観光船+天橋立ケーブルカー・リフト往復乗車券×2枚
チケット購入。
観光案内の放送が流れてますが、船のエンジン音で半分聞こえません。
席を移動しても聞こえる席は少ないようで、そこには先客が、、、
いい天気の穏やかな海を進みます。
ココは阿蘇海と言う内海で、宮津湾から天橋立の奥にあるために海が穏やかです。
船の進行方向の右側にずーッと見えている松林が天橋立です。
ココで見ても天橋立らしさは判りません。
単なる松林です。
左側は阿蘇海。
広い穏やかな海沿いに、丹後ちりめんで有名な与謝野町があります。
阿蘇湾には舟屋が残っています。
37軒の舟屋が残っているそうです。
約12分で一宮桟橋に到着です。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月24日
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投稿日 2022年10月24日
総合評価:4.5
明治29年、フランス人宣教師であるルイ・ルラーブ神父によって建てられた聖堂です。
明治初期の貴重な教会建築です。
コロナの影響で聖堂には入れませんでした。
素敵なステンドグラス、畳敷の聖堂内部、見たかったな~
隣の武家屋敷の跡が大手川ふれあい広場にンっており、その中央に細川ガラシャの像が立っています。
背景に宮津教会のアングルが素敵でした。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月24日
総合評価:3.5
宮津小学校の正門ですが、実は宮津城の門の一つで、城の南側にあった太鼓門です。
そもそもこの門の隣に時を知らせる太鼓櫓があったから太鼓門と呼ばれていたそうです。
江戸時代には藩校が作られ、それが現在の宮津小学校につながっているんですね。
明治の廃城令でことごとく壊されてしまいましたが、この門だけはボロボロの状態で残っており、平成になって元あったこの場所に移築され、綺麗に整備されたようです。
宮津城の本丸入り口の石垣も一部残っていました。
その下の丸い穴の石は、大手橋の橋脚の礎石だそうです。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月23日
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投稿日 2022年10月23日
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山陰本線で福知山に入ると、平野の真ん中に小高い丘に建つ福知山城が綺麗に見えます。
投稿日 2022年10月23日
総合評価:4.5
このお城、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも登場しましたね。
天正7(1579)年に丹波を平定した明智光秀はこの地に城と城下町を築きました。
もう明智光秀ファンは坂本城や丹波亀山城と並び、一度は訪れてみたい場所です。
織田信長に毛利攻めを命じられた豊臣秀吉と明智光秀の2人の武将。
秀吉は南側の山陽道を西に向かい、光秀は北側の山陰道を西に向かいました。
その際、丹波を平定した光秀が築いたのがこの福知山城で、城下町と共に築きました。
南から北に流れる由良川が天然の堀になっていて、高台にある福知山城は城下を見下ろす場所にありました。
本能寺の変のあとの山崎の戦いで秀吉に敗れ、光秀がこの城の城主であったのはたった3年でした。
その後は信長の四男で秀吉の養子になった羽柴秀勝が城主になります。
関が原以降は家康に可愛がられていた有馬豊が福知山藩の初代藩主となります。
その後、1669年、朽木稙昌が城主となり、明治になるまでの約200年に渡り朽木氏が13代城主を務めました。
明治に入ったときに廃城令で解体されますが、1986年に復元されています。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月22日
総合評価:4.5
竹田城から城下町を挟んで反対側の山である「立雲峡」です。
雲上に竹田城が浮かぶ写真が竹田城を有名にしましたが、この絶景の展望スポットである「立雲峡」にやってきました。
でもこの景色が見れるのは、条件が揃った時だけ。
10月、11月の 前日の夜に冷え込み、翌日よく晴れて暖かくなる寒暖の差が10℃以上、で尚且つ風が少ない時。
でもって日の出から朝の8時までというのが基本的な条件です。
もう、この景色狙いでキチンと計画を立てないと無理ですね。
駐車場に車を停めて、展望台に向かって登っていきます。
その前に
環境整備協力金300円×2名
をお支払い。
竹田城を臨む展望台は3つでした。
第3展望台は徒歩5分
第2展望台まで徒歩20分
竹田城跡が一番きれいに見える第1展望台まで徒歩40分。
時間の関係で、第二展望台まで行ってみました。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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ここ数年で有名になった「日本のマチュピチュ」と言われた雲の上のお城ですね。
投稿日 2022年10月22日
総合評価:4.5
織田信長の毛利攻めで、秀吉が攻めた城のひとつであったぐらいの知識でしかなく、歴史好きの私たち夫婦でもこのお城のことは、詳しくは知りませんでした。
ただしこのあたりは、それ以前の細川や山名、戦いの場であった場所。
深い歴史があって当たり前ですよね。
この播磨・丹波地方は、対立する山名氏と赤松氏によって支配されていました。
その山名氏によって築かれた竹田城です。
城主は山名氏の家来であった太田垣氏です。
戦国時代になり、毛利攻めを行う織田信長に協力した太田垣氏。
竹田城には織田方の豊臣秀長が入城しました。
しかし太田垣氏は毛利氏に寝返ってしまい、豊臣秀吉は太田垣氏を滅ぼしてしまいます。
竹田城には秀吉の家来となった赤松氏が入城。
のちの関ヶ原の戦いでは赤松氏は石田三成率いる西軍に従軍したため、敗戦。
江戸時代になり、家康の方針で竹田城は廃城になっています。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月22日
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京都らしい風情のある路で、横の路地は撮影禁止。舞子さんにカメラを向けない。
投稿日 2022年10月20日
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投稿日 2022年10月20日
総合評価:4.5
五層楼閣様式のこの建物は、国の有形文化財に指定されています。
創業1870年。
つまり明治3年。
鴨川のほとりに佇む、老舗料亭旅館「鮒鶴」です。
文人墨客のサロンとしても機能してきた京屈指の由緒ある空間だった所だそうです。
川床の席を予約しておりましたが、生憎の雨で室内の席になりました。
前菜は、
鱧の湯引き
ビーツ
クスクスとトマトのサラダです。
次はカボチャの冷たいスープ。
上には汲み上げ湯葉のジュレが載ってます。
メイン料理です。
私は魚を選択
鱸とエスカルゴのソテー ハーブバターソース
家内は、
奥丹波鶏のロティ 万願寺唐辛子ソース
京の季節野菜と共に
を選択。
デザートは、
グレープフルーツ、グランベリーのソルベ。
宇治のほうじ茶が入ってます。
最後にコーヒー
全部美味しかった~~
品が良くて個性的で、戴いていて楽しいフレンチでした。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 4,000円未満
- 利用形態
- ランチ
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京都を代表するお寺の一つで、三門と方丈庭園は一見の価値あり!
投稿日 2022年10月20日
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投稿日 2022年10月18日
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投稿日 2022年10月18日
総合評価:4.0
最初に現れるのは、大通りに面した立派な西楼門です。
八坂神社のシンボル的な存在ですよね?
でも、あとからわかったのですが、この門は八坂神社の正門ではないのですね。
入ってすぐ左には手水舎。
そして絵馬堂です。
18世紀に建てられたもので、大きな絵馬が掲げられているのだとか。。。
で、奥に行くと本殿があります。
なんと国宝です。
そもそも祇園祭で有名な八坂神社。
平安時代からあるお祭りですが、なんとこの神社はそれよりはるか昔の大化の改新直後に、渡来人がココに神様をお祀りしたのが最初と言われています。
今のこの本殿は、承応3年(1654年)に徳川家綱が再建したものです。
全国に2000以上ある八坂神社の総本社なんですね。
私たちの地元横浜も戸塚に八坂神社あります。
本殿の前にある建物は、舞殿です。
「まいでん」ではなく「ぶでん」と読むのですね。
江戸時代に火災になり明治に入ってから再建されています。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2022年10月18日
総合評価:5.0
地元では人気のお店だそうです。
湯葉刺しなどの前菜のあと、出てきた湯葉は温かい汲み上げ湯葉です。
メインは魚を選択。
この日のお魚は、あなごの炙りと茄子の田舎煮です。
最後は湯葉ご飯。
これ、初めて戴きました。
食後の飲み物は、コーヒーか紅茶か豆乳を選択です。
当然、豆乳を戴きました。
美味しかった~~- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 5,000円未満
- 利用形態
- ディナー
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投稿日 2022年10月17日
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投稿日 2022年10月17日
総合評価:5.0
金閣寺を創建したのは、足利義満の孫である足利義政。
応仁の乱で財政がひっ迫していたにもかかわらず、増税によって創建した銀閣寺。でも完成する前に義政は亡くなっています。
ぐらいの受験の際の知識しかありませんでした。
そもそも正式名称は、慈照寺、いや東山慈照禅寺。
これ、知らなかった。(忘れてた?)
拝観料は500円。
チケットはなんとお札。
銀閣は慈照寺の象徴で、観音殿です。
足利義政がココの上に座って東山に上る月を眺めていたという向月台。
周りのまあるい砂は銀沙灘と言って、それもセット。
東求堂という阿弥陀堂があります。
銀閣と共に造営当時の遺構として現存する建物です。
その前には美しい池があります。
苔むすお庭には枯葉は1枚も落ちていません。
お茶の井という、足利義政愛用のお茶の井戸があります。
現在もお茶会などの飲料水として利用されているんだとか。。。
慈照寺の庭を散策していると、少し小高い高台があり、銀閣の奥に京都の街並みを見ることができます。- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)