norisaさんのクチコミ(10ページ)全903件
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- 基本情報
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投稿日 2020年03月27日
総合評価:4.5
蓮華寺池は慶長年間(1596-1614)に造られたといわれます。
徳川家康がその昔、この池に流れ込む川で鳩打をしたという言い伝えがあるそうです。
この公園には長い滑り台がありますが、赤い滑り台がおよそ30メートル、青がおよそ50メートルで、もっとも長い黄色い滑り台は80メートもあるそうですが、現在は改修中とのこと。
広さ280000平米を誇る蓮華寺池公園には多くの遊歩道が整備されています。
この公園には人工の数々の施設の他に若王子古墳群(にゃくおうじこふんぐん)と呼ばれる古墳があり、標高110mほどの丘陵最上部にある約30基もの古墳があります。
この蓮華寺池公園は花の名所として静岡では有名です。
特に藤棚には約130本もの藤が植えられていて、初夏の最盛期には多くの人でごった返すそうです。
さらに、梅園には約380本もの梅があり、桜は何と約1300本ものソメイヨシノなどが春を知らせるそうですから、もう少し後には壮観な公園となることでしょう。
駐車場は二か所にありますが、人気の公園ですから週末などは満車になりそうです。- 旅行時期
- 2020年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2020年03月27日
-
投稿日 2020年03月27日
総合評価:5.0
4トラに日本平夢テラスの選択肢がないのですが、これはその説明です(なぜないのか不思議です)
日本平夢テラスはあの東京オリンピックのスタジアム設計を手掛けた隈研吾建築都市設計事務所によるものです。
ここ静岡の県産木材をふんだんに使い、富士山を望む自然景観と調和した設計です。
夢殿を思わせる六角形が印象的ですが、この施設、何と入場無料ということでボンビー夫婦にはウレシイ対応です(笑)
内部は素通しの構造で、屋根の内部も木組みの構造でとても印象深い建物です!
1階には日本平の歴史や文化を表示した展示エリアがあり、2階には景色を楽しみながらくつろげるラウンジがあり、お茶がいただけます。
そして3階には展望フロアがありますが、おそらく徳川家康も見たであろう「日本平」の景観です。
この日本平は久能山東照宮から至近の山の頂上で東海道を見下ろす戦略的な要衝ですから家康もその地政学的重要性を熟知していたのは確実です。
この最上階は3階ですが、それに付随した屋外の展望回廊は、1周約200mもあって富士山や駿河湾、三保松原など、360度の展望が楽しめます!
これで無料は良心的過ぎます(笑)
駐車場はこの下に何箇所もありますので繁忙期以外は駐車は困らないでしょう!- 旅行時期
- 2020年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 4.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 観光客向け度:
- 5.0
-
投稿日 2020年03月27日
総合評価:3.5
楽寿園は約75,474㎡の市民公園ですが、今から約1万2千年前に富士山が噴火した時流れ出た、溶岩流の末端にあたると考えられています。
今は市民公園ですが、昔は小松宮彰仁親王の別邸として建築されたそうです。
東京で借り組したものを輸送して三島で組み立てたそうで、明治20年代後半に完成したそうです。
この公園には簡易な遊園地や動物園(といってもカピバラさんなど数種だけですが)などがありますのでお子さんには喜ばれることでしょう。
この庭園の庭にはいくつもの大きな池があるのですが、実は水位は全く一定していません。
それは自然の湧水を利用しているからで、程近くに有名な柿田川湧水があることでもおわかりのように、この付近は富士山の伏流水が湧き出るところ。
従って水がほとんどない現状の時期もあれば満々と水をたたえた時期もあるということで、宮様のお屋敷もその自然にさからわず設計されています。
ですから良い時期には水面に浮かぶお屋敷が望めるというわけです。
本命の楽寿亭ですが、普段は入室できるそうですが、やはりコロナウイルス騒ぎで立ち入り禁止です。
内部は襖や床の間などいたるところに絵画があしらわれていましたが、絵を手掛けたのは当時の日本画壇を代表する作者によるものです。
この楽寿園の駐車場は公園から200mほど離れたところにありますので注意が必要です!- 旅行時期
- 2020年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2020年03月02日
総合評価:4.5
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原三溪によって、1906年(明治39)に公開されました。
何と!175000平米に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。
この広大な庭園には重要文化財10棟など重要な建物が多数移築されています。
原三渓は現在の岐阜県岐阜市柳津町で代々庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。
幼少の頃非常に優秀だったそうで、絵、漢学、詩文を学び、1885年東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。
1888年頃に跡見学校の助教師になり、1891年(明治24)に、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍したことから彼の華麗な経歴が始まりました。
しかし、大きな庄屋の長男として跡を継ぐべき彼が婿養子になったのは、もちろん実家の理解もあったのでしょうが、原家がこの時点まででかなり成功を収めた商家だったこともあるのでしょうーーー。
彼は婿養子として原家の家業を継ぐと、個人商社を合名会社へと改組、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として大成功を収めました。
さらに、実業家以外にも多彩な能力を持ちあわせた三溪は、住まいを本牧へ移すと古建築の移築を開始し、1906年にこの三溪園を無料開園するほか、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。
さて、多くの重要文化財の建物の一角に三渓記念館があります。
多くの貴重な資料がありますが、残念ながら撮影禁止!という4トラベラー泣かせの記念館ですーー。
この地は新進芸術家の育成と支援の場ともなり、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれたそうです。
和辻哲郎、安倍能成、芥川龍之介、さらには夏目漱石など名だたる文化人、文豪とも親交があったようです!
彼は商才に優れていたばかりではなく、絵画や文学などの芸術的センスもあり、理解も人並み外れてできた人物だったに違いありません。
この三渓園のシンボルとも言える塔は元は京都の燈明寺(今は廃寺)にあったものですが、現在関東にある塔としては最古のもので1457年に建設されたものですから550年ほど前のものになります。
この他にも古民家などもあり、この素晴らしい庭園を原三渓個人の支出で成し遂げたことに驚嘆します。
駐車場も完備されています。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2020年03月02日
総合評価:4.0
マホロバマインズ三浦はかなり巨大なリゾートホテルです。
別館も合わせると相当の宿泊者を受け入れることができます。
このホテル、年末年始やGW、夏休み期間はかなりお高いのですが、シーズンオフではお安くなり、小金持ちでなくても宿泊できます♪
我々が宿泊したのでコンセプトルームのひとつ、「ティアラルーム」です。
広さは80平米もあります。
別室にツインルームがあるので定員は4名でしょう。
ベランダからは房総半島が一望できますし、右手には三浦半島方面も一望できます。
さて、このホテルには本館一階のクアハウスがあり、どうしてもここで遊ばなくてはなりません(笑)
ここには、プールやジャグジーなどがありますし、トレーニングジムもあります。
これら施設は宿泊者でも割引料金ながら有料ですが、今回のプランはこの施設の利用料も込みで格安料金です。
水着ゾーンでのまったり時間の後は別の階にある大浴場、大露天風呂でさらにまったりします。
夕食のお料理は比較的おいしく、ここにはありませんが、さすが三浦!マグロのお刺身はかなり良いものでした。
このホテルの問題は宿泊者でも駐車場料金を取ることです!
シティホテルならよくありますが、この三浦の片田舎でのこの対応は??です。
それ以外はあまり問題はありませんでしたーー。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 1人1泊予算
- 20,000円未満
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 客室:
- 4.5
- 接客対応:
- 4.0
- 風呂:
- 4.5
- 食事・ドリンク:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
-
投稿日 2020年03月02日
総合評価:4.0
湘南であまりにも有名なマリーナは葉山マリーナです。
葉山マリーナは今年で開業56年にもなります。
元々は東京オリンピックに合わせて造られたそうです。
今や、関東在住の富裕層、有名人、芸能人も多く利用する高級海上クラブでもあります。
もともとヨットやクルーザーは決してお安い物ではありません。
初期費用は、船の大きさにもよりますが数千万円の上のほうから十億円単位のものまでさまざまあります。
しかし、問題なのはその初期費用だけではありません。
船の維持費は毎年かなりの額に上ります。
船を係留しておく費用も年間ではビックリするほど高額で、特にこの葉山マリーナをはじめとする都心に近く、しかも名門マリーナだと毎年そこそこの車が買えるレベルの出費が必要です。
ちなみに葉山マリーナでは最小の大きさの船でも年に200万円ほどかかり、そこそこの大きさの船ではその数倍にもなります!
さて、そんな下世話なお話はさておき、このマリーナは平日は混雑もなく見学することができます。
数々のヨットやクルーザーを見るのは心地よいものだと悟ります。
アクセスは道がやや狭いところがありますが、駐車場(有料)も完備されていますので一度訪問されてはいかがでしょうか。- 旅行時期
- 2020年01月
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
-
投稿日 2020年01月19日
駿府城公園 (駿府城址、紅葉山庭園) 静岡市(葵区・駿河区)
総合評価:4.5
駿府城は元々三重のお堀で囲まれていたそうで、外堀、中堀、内堀と呼ばれていましたが外堀と内堀は一部を残すのみですーー。
この城址はここ数年で発掘が進み、戦国時代後期から江戸時代前期の歴史を塗り替える発見が相次ぎました!!
今ではお城の石垣とごく一部の再現された門しか残っていない駿府城。
しかし、実際には日本の歴史を通じて最大の天守が存在していた日本最重要の城郭でした。
この事実はここ2,3年の発掘作業の大幅進展により明らかになってきました。
城郭の大きさでは小田原城の総構えが有名ですし、天守の大きさでは大阪城、そして江戸城が挙げられます。
しかし、実は江戸時代だけでなく、有史以来最大の天守閣を誇ったのは今では人口70万人の静岡市の中心にある駿府城でした。
これには壮大でしかも執念に満ちた歴史ドラマがあります。
徳川家康は愛知県の三河の生まれでしたが、幼少の頃から今川氏の人質として駿府に送られます。
人質と言いながら、さすが大大名の今川氏、家康には清見寺で立派な教育を施します。
その後三河に戻った家康でしたが、40代半ばから70代で亡くなるまで再度駿府に戻ってきます。
その理由こそ天下人となった家康の深謀からの英断でした。
つまり、一応の天下統一はなったものの西日本には心から服従したとはいえない外様藩が多々あります。
その反徳川勢力が結集して東征することになればその最優先ルートは東海道になります。
中山道や北陸道は距離もアップダウンも多いため、最短最速のルートは東海道というわけです。
しかし、地図を見れば直ちに理解できますが、東海道は平たんとは言え静岡市近辺では迂回路はありません。
ということは静岡、即ち駿府を抑えておけば反乱軍の江戸侵攻を防ぐことができるわけです。
そこで、当然のように駿府には江戸城をもはるかにしのぐ巨大な城が造られたわけです。
しかし、この巨城は簡単に造られたわけではありません。
40代に駿府に舞い戻った家康はそれなりに立派な城を造りました。
しかし、小田原攻めで東進してきた豊臣秀吉がこの新築の城を貸せと指示します。
断れば反逆したとして滅ばされるやもしれず、家康は泣く泣く駿府城を秀吉に引き渡しました。
で、駿府城を手に入れた秀吉はどうしたかというと完膚なきまでに破壊して金の装飾をちりばめた秀吉風駿府城を建ててしまいました。
その城が南北約37m×東西約33m の天守台(同時代では最大級の大きさ)として最近発掘されたわけです。
また、発見された石垣の近くから、文様部分が金箔で装飾された瓦(金箔瓦)も見つかりました。石垣の形状や瓦の特徴などから、豊臣秀吉が家臣の中村一氏に命じて築かせた城であることが判明したわけです。(HP参照)
しかし、秀吉の死後の関ヶ原の決戦で天下を取った家康は、最終仕上げにかかります。
それが新駿府城というわけですが、今度は秀吉の城を徹底破壊することからスタートしました。
その新駿府城、いや新々駿府城の天守台は西辺約68m×北辺約61mであることが確認され、江戸城、大阪城、秀吉の駿府城と比べても圧倒的に大きな天守であったことがわかります。
これにより西国の不満分子ににらみをきかせ、さらに自分の死後は久能山東照宮に亡骸を安置させることにより、物理的にも精神的にも守りを固め300年近い平和な時代を築いたというわけです。
この巨大な城はその後たびたび出火し、最終的に燃えてしまいますが、参勤交代のたびにこの巨城を見た外様大名が震えあがったことは想像にかたくありませんーー。
駿府城の天守台跡は随時見学会も行われていますので、それに参加すればさらに詳しく理解できます。
アクセスは駅から徒歩10分強ですが駐車場はありませんので近隣駐車場を使うしかありません。
是非訪れたい史上最大の天守台跡ですーー。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2020年01月19日
総合評価:3.0
吐月峰柴屋寺(とげっぽうさいおくじ)いう小さな寺院では昔から竹の名所・月の名所として知られるお寺です。
国の史跡と名勝の指定も受けていますが、参道は昼なお暗い林の奥。
この吐月峰柴屋寺は室町期の連歌師だった柴屋軒宗長が1504年(永正元年)に隠居所として草庵を編んだ場所で、臨済宗妙心寺派に属す禅宗寺院だそうです。
この宗長は駿河の今川家城主の今川氏親から乞われてこの地に移り、茶の湯や抹茶の製法、そしてなにより京の文化を伝えたそうです。
今川氏親はあの桶狭間で有名な今川義元の父親ということです。
(ここに祀られているわけではないようです)
さて、宗長の造った庭園は何と500年もの間自然災害と無縁で今日まで伝えられているそうです。
宗長の像でお茶はもちろん京文化を駿河、駿府に伝えた僧だったそうで、氏親の厚い庇護がありました。
このお寺はそもそも和歌を詠むために設計されていると言っても過言ではありません。
即ち月や雪を愛でるための建屋になっています。
もちろんお茶室も隣接されています。
ここでお茶を頂き、ここや戸外で歌=連歌を今川家やその家臣、あるいは豪商と楽しんだことでしょうーー。
そしてなにより忘れてはいけないのはこの分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)です!
たぬきが化けた茶釜のおとぎ噺ですが、その茶釜が宝物棚に飾られています。
文化人として有名な足利八代将軍・足利義政の納めた茶釜で茶が飲めると話題になり、柴屋寺にはたくさんの観光客が来ましたが、お坊さんが持ってきたのは小さな茶釜でした。
この大きさではお茶席に並ぶ全員には到底まわらないなとガッカリしていたところ、お坊さんは「存分にお茶をお出ししますので」と約束し、実際小さな茶釜からどれだけお湯を掬っても一向に減る様子がなく、これにはお茶席に参加していた皆が驚いたのは言うまでもありません!
そこで、たぬきが化けているに違いない!文福茶釜だ!と、将軍の茶釜で有名なお寺から文福茶釜で人気のお寺へ変わったそうです。
とても古びたお寺で規模も小さく、アクセスも車かバスくらいですが、道も広くないので注意が必要です。
しかし、それゆえに市内中心部からは想像できない静けさと幽玄さを味わえます。
駐車場は5、6台程度あります。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2020年01月19日
総合評価:4.0
フェルケール博物館は清水港の歴史と役割を伝えるために設立されました。
フェルケールとはドイツ語で交通を意味するそうで、この博物館の正式名称は清水港湾博物館だそうです。
入場料は400円と良心的です(笑)
内部に入ると荘厳な雰囲気が伝わります。
とにかく贅沢な造りですが、それもそのはず!
この建物は静岡、清水の地場財閥「鈴与グループ」の手になるものです。
このグループ、全国的には知られていないかもしれませんんが、実は静岡の巨大複合企業で、物流、倉庫はもちろんエアラインやサッカーチーム(清水エスパルス)や静岡ガスその他多くの企業の筆頭または有力株主だそうです。
清水港は江戸時代は大いに栄えましたし、維新後も清水の次郎長で有名ですが、お茶や多くの産品の輸出入港として日本有数の規模になりました。
清水港は駿河湾に面してはいるものの有名な三保の松原を含む小さな半島のおかげで波静かな良港として発展していきます。
位置的にも東京と名古屋、大阪の間にあって有利だったようです。
江戸時代の船の大型模型が陳列されています。
戦国時代のものもありそうです。
この博物館、二階には多くの海景画、そして船舶画が多数展示されています。
どの画家も素晴らしく精緻な筆致で美しいのですがーーー、残念ながら撮影禁止です。
アクセスは車が一番ですが駐車場も数十台分あって広々しています。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.0
-
投稿日 2019年12月10日
総合評価:4.0
この遺跡では平成21年に3世紀前半~中頃の大規模な建物群の遺構が見つかりましたが、4棟の建物が軸線をそろえて東西に一直線に並んでいたそうです。
最初の発見者の驚きと感激はいかばかりかとーー。
纒向遺跡は大集落と言われながらも、人の住む集落跡が確認されていないそうです!
現在確認されているのは祭祀用と考えられる建物と土抗、そして弧文円板や鶏形木製品などの祭祀用具、物流のためのヒノキの矢板で護岸された運河だけです。
このことから、遺跡の性格としては居住域というよりも頻繁に人々や物資が集まったり箸墓古墳を中心とした三輪山などへの祭祀のための地と考える学者も多いそうです。
(NHKでも放送していましたーー)
遺跡の中には掲示があります。
発掘当時の様子が細かく記されていますが、駅から徒歩数分の場所ですから周りは人家ばかりです。
実はこの遺跡に来る前に近くのおばあさんに道を聞いたのですが、その方は
「そんな大したものではないから、別の古墳とか遺跡を見学したほうが面白いやろう!」
と親切にアドバイスしてくれました。
確かに見立てはおっしゃる通りですが、この遺跡の歴史的価値は計り知れないものだと言われていますーー。
実は、一部の学者は日本史最大の謎である邪馬台国の大和説最有力候補地であると主張しています。
その根拠のひとつは纒向遺跡で見つかっていたモモの種の放射性炭素(C14)年代測定結果はこの遺跡が邪馬台国の重要拠点だったとする畿内説を支持するというものです。
しかし、銅鏡、刀剣類、勾玉な、鉄製品などが出土していないなど年代を決定する決定的な出土物は乏しく、ここに邪馬台国であったと決定的なことは言えないことも事実だそうです。
いずれにしろ邪馬台国、卑弥呼、そして天照大御神など日本成立の起源の根本にかかわる研究と論争は日本人として最も興味深い案件です。
ここへのアクセスは鉄道と徒歩しかありません。
というのは駐車場は全くありませんのでご注意ください!- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
-
投稿日 2019年12月10日
総合評価:3.0
この古墳は元々は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)という覚えるのも発音するのも難しい皇族のお姫様を埋葬してあるとの言い伝えがありました。
このお姫様もなかなかの逸話の持ち主です。
それは、彼女は大神神社の主祭神である大物主神と結婚したのですが、大物主神が蛇だと知って驚いてしまいました!
そして、大物主神が我が身を恥じて山に帰ってしまったのですが、自らが婿殿の出自に驚いてしまったことに後悔して自害したそうです。
(今どきのお嫁さん、こんなど根性は持ちませんね(苦笑))
この箸墓古墳は墳長およそ278メートル、後円部は径約150メートル、高さ約30メートルで、古墳の中でも最古級と考えられている前方後円墳です。
日本最大の大山古墳(通称:仁徳天皇陵)など大阪の古墳は当時の海岸線沿いに建設され、国内外の海路を旅する人々への権力誇示に用いた!という説が一般的になりますが、この奈良盆地の南に建設された箸墓古墳は純粋に権力者の権勢を近隣の人々に示すためでしょうかーーー?
この古墳を卑弥呼の墓とする研究者もかなり多いそうです。
卑弥呼が死んで葬られた墓は、じつは日本で最初に造られた巨大な前方後円墳ではないか、という見方が現実となってきます。
というのは、卑弥呼が死亡したのは、魏志倭人伝などの文献によって、3世紀中ごろの247年か、248年とわかっています。
年代推定手法も進歩して、古墳時代の開始を3世紀中ごろとするのがむしろ大勢となり、卑弥呼の死亡時期と一致するようになったそうで、この箸墓古墳は纏向遺跡に近いこともあり、彼女の古墳の最有力候補だそうです。
しかし、正解は未だ不明です。
さて、車でのアクセスですが、無料の広い駐車場があるではありませんか!
(ビックリマーク、多すぎですね(笑))
ひみこ(卑弥呼)の庭とは言い過ぎですが、何はともあれご厚意に感謝して車を停めさせていただきました。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2019年12月10日
総合評価:4.0
檜原神社は三輪山の磐座をご神体としている為本殿はなく、三ツ鳥居を通して直接三輪山を拝む方式です。
この神社こそ大神神社の古代の姿をよく留めているという解説もあります。
拝殿も何もないのでスッキリした境内です。
檜原神社の三つの鳥居を一つに組み合わせた「三ツ鳥居」は、先ほどの大神神社にも同じものがありますが非公開となっていますのでここでしか見れません。
ここへ至る悪路を補ってあまりある孤高の三ツ鳥居越しに色々祈願させていただきます。
アクセスは最悪でしたが、それはカーナビに檜原神社と入力して案内された道は裏道で、対向車がすれ違えないばかりか、未舗装、片側が崖でもう片方が溝という超悪路!
少しでもハンドルさばきを誤れば崖下に数十m転落かあるいは側溝に脱輪するという狭さ!!
しかも、未舗装といっても固い土ではなく、水のたまる泥道や砂利道でブレーキもハンドルも効かないような悪路!
テレビ番組の「ポツンと一軒家」でよく見る恐怖の悪路でした!!
後で分かりましたがもっとましな正道がちゃんとありました。
(その道も狭いのですが、舗装されています(苦笑))
駐車場は5,6台駐車できますが車でのアクセスはそこそこ大変ですーー。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 1.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 2.5
-
投稿日 2019年12月10日
総合評価:4.0
狭井神社(さいじんじゃ)は、垂仁天皇のときに創建されたと伝わり、ご祭神の荒魂を祀る延喜式内社です。
病気平癒・身体健康の神様として信仰を集めていますので、たくさんの参拝客が訪れていました。
我々も身体の不調が多々ありますので一心に祈願します!
さて、こちらはこの神社奥にある緯度ですが、神社名前の由来となっている神水の井戸=狭井があります。
水は持ち帰り可能とのことで、我々も空のペットボトルに神水を頂きましたし、この場でも飲ませていただきます。
心持ち普通の水よりも美味しいようにも思えます(笑)
アクセスは大神神社から歩くのがおススメです。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2019年12月10日
総合評価:4.0
この大神神社のご神体は、拝殿の向こうの三輪山で、自然そのものの中に神をみる、古代からの自然崇拝を守る場所です。
日本書紀には大神神社の創建について書かれおり、日本最古の神社として有名です。
そして拝殿でいつものように過大な祈願を多々させて頂きます(苦笑)
(神宮と名の付く神社は皇室の祖先を祀っており個人的祈願は場違いだそうですが、大社や神社は八百万の神々のいずれかを祀っているため個人的祈願もOK!だそうですーーー)
さて、この拝殿は4代将軍徳川家綱によって再建されたものですが、太古の時代は拝殿などなかったそうです。
もしかして太古の時代、どこの神社でも神は祀ったものの拝殿という様式は全くなかったのかもしれませんーー。
大神神社には三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから、このご神木には蛇の好物である卵が参拝者によってお供えされているそうです。
無料の駐車場はたくさんありますが、満車の恐れもあるのでやや遠い駐車場がおススメです。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2019年12月10日
総合評価:4.5
談山神社は中臣鎌足(のちの藤原鎌足)を祀る神社で、境内には701年に創建され、1850年に造り替えられた本殿を中心に、拝殿・楼門など多くの豪華な建造物が残っています。
この神社、靴を脱いで拝殿にまで上がることができます。
中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が後に大化の改新と呼ばれる政変について語り合った場所がこの地、多武峰ですが、後に談い山(かたらいやま)と呼ばれ、それが談山神社の名前の由来です。
中臣鎌足は大化の改新の功績で藤原姓を与えられ、後の藤原氏全盛の基礎を築きますが、その作戦構想の立案地というわけです。
しかし、車でここまで来たわけですが、かなりの上り坂で延々と続くワインディングロードを相当の距離走ってきました。
当時は道ももちろん整備されておらず、乗り物も馬くらいでしょうからよくもこんな僻地まで暗殺計画、いや正義の征伐の計画を練りにきたものです。
この神社の境内もかなりのアップダウンがありますので、建築も容易ではなかったことでしょうーーー。
有名な十三重塔は当初、白鳳7年(678年)に定恵が父鎌足の供養のために建立しました。
現存する重要文化財の美しい十三重塔は1532年に再建されたものです。
木造の十三重塔としては日本で唯一であり、そして世界最古でもありますが、そもそも十三重塔というのはそうそうあるものではありません(笑)
神廟拝所では秘仏の如意輪観世音菩薩や鎌足公御神像などの宝物が展示され、羅漢や天女の姿が描かれた内部の壁画などを見ることができます。
ここは679年に藤原定慧が父・鎌足公の供養のために建てた妙楽寺の講堂だったということです。
何とも歴史に彩られた神社ではあります。
駐車場は無料で何か所もありますができれば一番近い平地の駐車場がおススメです。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2019年12月10日
ホテルウェルネス大和路(HMIホテルグループ) 桜井・三輪・山の辺の道
総合評価:3.5
奈良で二泊宿泊したホテルはホテルウェルネス大和路と言いますが、もとはどうやら「国民年金健康保養センター」のひとつのようで、行財政改革にともなって売却されたようです。
現在はHMIグループの所有です。
「駐車場無料。大浴場あり。談判神社の紅葉、石舞台、高松塚古墳、飛鳥寺などに近く、テニスコートも5面ありますので、テニス合宿にもご利用ください。」といううたい文句に惹かれて予約(笑)
お部屋はツインルームの洋室と6畳ほどの和室からなる和洋室です。
お食事は和風で品数は十分にあります。
大浴場は普通で残念ながら露天風呂はありません。
朝食は普通のビュッフェ朝食ではなく、和定食ですが、これはありがたいです。
固形燃料で暖めると固めるお豆腐もついてきます。
駐車場は数十台は駐車できますがロケーションはかなり田舎ですから当然かもしれません。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 1人1泊予算
- 12,500円未満
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 客室:
- 3.0
- 接客対応:
- 4.0
- 風呂:
- 3.5
- 食事・ドリンク:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.5
-
投稿日 2019年12月10日
総合評価:4.0
このお寺は622年に聖徳太子が亡くなる際に息子の山背大兄王に岡本宮を寺に改めるよう遺命されたのが始まりとされ、638年に造営されたと伝わります。
先ほどの古墳の主である山背大兄王、亡くなる5年前にこのお寺を完成させたようです。
聖徳太子の建立にかかる七寺の一にして岡本尼寺、池後尼寺とも呼ばれ、金堂と塔の位置が法隆寺と逆になった法起寺式と呼ばれる七堂伽藍の大寺院だったとのことです。
法隆寺地域の仏教建造物の一部として世界遺産に登録されています。
そして、極めつけはこの三重塔。
当時の姿のままに今も聳え立っている三重塔(国宝)は706年の完成で、創建当時の高さ24mの現存するわが国最古の三重塔です!!
1313年間も木造建築が残るのは驚異的ですが、それはおそらく
(1)この斑鳩では大きな戦乱がなかった
(2)火事や地震、台風などの人災天才がこの地域で少なかった
(3)保存、修復が丹念になされた
といった諸要件が満たされたからでしょうーーー。
観光客が数人しかいない穴場の古寺、これぞ斑鳩の里の風情を醸し出しています。
池に写る国宝の三重の塔は睡蓮の花や葉に囲まれて寂しくなさそうでしたーーー。
巨大な興福寺や法隆寺に比べ、観光客も少ないものの独特の風情の法起寺も素晴らしいと感じました。
この法起寺はガイジンはもちろん、日本人にもあまり来てほしくない古寺だと言ったらお叱りを受けることになりそうですが、そんな印象を抱いたものでしたーーー(苦笑)- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2019年12月10日
総合評価:3.0
法輪寺は斑鳩の平地にありますが、推古30(622)年、聖徳太子の長子・山背大兄王が太子の病気平癒を祈願して創建されたと伝わります。
法隆寺式伽藍配置をとり、七堂伽藍を完備していましたが、創建当時の建物はなく、法隆寺・法起寺とともに斑鳩三塔として美しさを讃えられた三重塔は、昭和19(1944)年に雷火で焼失してしまいました。
それがこの塔ですが、昭和50(1975)年に昔ながらの工法で再建されものであるため、世界遺産法隆寺地域の仏教建造」には含まれていないところが少々可哀そうです。
法輪寺は寺史料が乏しいため創建事情の詳細は不明ですが、発掘調査の結果等から7世紀中頃には存在していたことは間違いなく法隆寺、法起寺とともに斑鳩の代表的な寺院です。
ここは法隆寺とは対照的に観光客が他に一組しかいない穴場スポットです(笑)
そしてご神木ならぬ御仏樹(こんな熟語ありません(苦笑))が立派な幹と枝を誇らしげに広げています。
この法輪寺の駐車場は無料ですが10台程度しか駐車できないので注意してください。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2019年12月09日
総合評価:4.0
ならまちの中に威厳たっぷりに佇む元興寺は世界遺産です。
というよりも、ならまちはこの世界遺産元興寺(がんごうじ)の旧境内を中心とした地域一体のことを指すわけで、元興寺あってのならまちというわけです。
この元興寺は東大寺や興福寺などに比べると小規模ですが、創建は何と飛鳥時代にまで遡ります!
蘇我馬子によって建立された日本ではじめての寺院・法興寺(飛鳥寺)がその前身にあたります。
本堂は国宝で鎌倉時代に改築されましたが木材の一部は奈良時代のものが使われています。
ここの売りは何と言っても瓦ですが、お寺の裏手に歩くとその瓦が目に入ります。
何と!!蘇我馬子や聖徳太子が活躍した飛鳥時代の瓦が現役で禅室や極楽堂の屋根として保存されています、いや、現役で活躍しています。
色が茶褐色の部分を含む瓦だそうですが、何と物持ちが良いことでしょう!
同時に日本瓦の耐久性の良さが実感できます。
そして、この災害大国日本にあって、数多くの地震雷火事台風に耐えてきた運の強さにも感心します。
その独特の並べ方は一般に行基葺(ぎょうきぶき)と呼ばれていますが、1400年前の瓦が破損もせずにいまも使われているそうです。
また本堂に隣接する禅室も国宝ですが、この部材を年輪年代測定法で調査したところ、西暦582年伐採の樹木が使用されているとのことですから、1500年以上前の物!!
法隆寺西院伽藍よりも古い材木が使用されていることになるそうですからその古さが際立ちます。
五重の塔は約57メートルであったそうですが、東寺の五重塔(54.8メートル)より高かったようですからその規模が推測できます。
このお寺には駐車場などは一切ありませんから徒歩でのアクセスがおススメです。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0


































































































































