邪馬台国の首都!?でしょうか??
- 4.0
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
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by norisaさん(非公開)
桜井・三輪・山の辺の道 クチコミ:7件
この遺跡では平成21年に3世紀前半~中頃の大規模な建物群の遺構が見つかりましたが、4棟の建物が軸線をそろえて東西に一直線に並んでいたそうです。
最初の発見者の驚きと感激はいかばかりかとーー。
纒向遺跡は大集落と言われながらも、人の住む集落跡が確認されていないそうです!
現在確認されているのは祭祀用と考えられる建物と土抗、そして弧文円板や鶏形木製品などの祭祀用具、物流のためのヒノキの矢板で護岸された運河だけです。
このことから、遺跡の性格としては居住域というよりも頻繁に人々や物資が集まったり箸墓古墳を中心とした三輪山などへの祭祀のための地と考える学者も多いそうです。
(NHKでも放送していましたーー)
遺跡の中には掲示があります。
発掘当時の様子が細かく記されていますが、駅から徒歩数分の場所ですから周りは人家ばかりです。
実はこの遺跡に来る前に近くのおばあさんに道を聞いたのですが、その方は
「そんな大したものではないから、別の古墳とか遺跡を見学したほうが面白いやろう!」
と親切にアドバイスしてくれました。
確かに見立てはおっしゃる通りですが、この遺跡の歴史的価値は計り知れないものだと言われていますーー。
実は、一部の学者は日本史最大の謎である邪馬台国の大和説最有力候補地であると主張しています。
その根拠のひとつは纒向遺跡で見つかっていたモモの種の放射性炭素(C14)年代測定結果はこの遺跡が邪馬台国の重要拠点だったとする畿内説を支持するというものです。
しかし、銅鏡、刀剣類、勾玉な、鉄製品などが出土していないなど年代を決定する決定的な出土物は乏しく、ここに邪馬台国であったと決定的なことは言えないことも事実だそうです。
いずれにしろ邪馬台国、卑弥呼、そして天照大御神など日本成立の起源の根本にかかわる研究と論争は日本人として最も興味深い案件です。
ここへのアクセスは鉄道と徒歩しかありません。
というのは駐車場は全くありませんのでご注意ください!
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
クチコミ投稿日:2019/12/10
いいね!:38票
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