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jijidarumaさんのクチコミ(24ページ)全659件

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  • これぞドイツの古城ホテル、 佳人エルゼが”未亡人の城”として住んだコルムベルク城

    投稿日 2018年12月05日

    ブルク ホテル コルンベルク ローテンブルク

    総合評価:5.0

    2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月20日(日): 晴後曇り、 22℃、 83km

    ⑪⑫2018年5月20日(日)、5月21日(月)~5月22日(火)2泊 
    Burg Colmberg古城ホテル コルムベルク城
    D-91598 Colmberg 、An der Burgenstrasse
    TEL: 49(0)9803 9 19 20  、FAX:49(0)9803 2 62
    http://www.burg-colmberg.de/

    3星・全26室。4階の部屋はrustikales (素朴な)Doppelzimmer mit Whirlwanne(ジャクジーバス付)、Euro169X2=338(朝食込み:45,120円)。水、浴用ガウン無し。
    この部屋は*「Schoene Else佳人エルゼ」(後述)の名が付いたもので、2009年に泊まった「Burgherr城主」の部屋(パンフレットに掲載)の隣室になります。

    *Elisabeth von Bayern-Landshut 、Kurfuerstin von Brandenburgエリザベート・バイエルン・ランツフート、ブランデンブルク選帝侯妃エリザベート
    エリザベート・バイエルン・ランツフート(1383年ランツフート~1442年11月13日 アンスバッハ)はバイエルン・ランツフート公爵家の公女。
    初代のブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世の妻で、その美貌で知られ、「Schoene Else佳人エルゼ」と謳われた。

    エリザベートはバイエルン公フリードリヒとその2番目の妻マッダレーナ・ヴィスコンティの間の長女として、ランツフートのBurg Trausnitzトラウスニッツ城で生まれた。
    1401年9月18日、Friedrich VI Burggraf Nuernbergニュルンベルク城伯フリードリヒ6世(1371年~1440年)と結婚した。
    夫のフリードリヒ6世は、1415年にKurfuerst Friedrich I. von Brandenburgブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世に昇格したため、妻のエリザベートもKurfuerstin von Brandenburgブランデンブルク選帝侯妃となった。
    当時のブランデンブルク選帝侯はブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯や、ブランデンブルク・クルムバッハ辺境伯をも兼ねた。(コルムベルク城も同じ年の1415年にブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世によって購入された)

    夫君がイタリアやハンガリーへの軍事遠征や、コンスタンツ公会議(1414年から1418年にかけて、ドイツのコンスタンツで開催されたカトリック教会の公会議。3人の対立教皇を廃し、一人の正統なローマ教皇を立てることで教会大分裂を終結させた)への出席と、長期にわたって領内を不在にしていたため、代わりに妻のエリザベートがその賢明さ、有能さで領内の深刻な諸問題に対処した。

    1440年に夫君の選帝侯フリードリヒ1世が死去した後、エリザベートはコルムベルク城を”未亡人の城”として、自身が亡くなるまでの2年間居住したと云う。

    ドイツでも見事な古城ホテルに2泊したが、私共も格の高い、良い部屋を提供されたことになったようだ。

    (なお、城の歴史などは省略した)

    XXXXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    12,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    5.0
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    5.0

  • アンスバッハ:9年前に訪れたブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯の宮殿を再訪した。

    投稿日 2018年12月04日

    マルクグラーフェン城 アンスバッハ

    総合評価:4.0

    2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月20日(日): 晴後曇り、 22℃、 83km

    <Ansbachアンスバッハ>
    14:10~16:30
    http://www3.ansbach.eu/

    “バロック都市の宝石”と謳われる町は二度目の訪問である。人口4万人の小都市はバッハ音楽祭りとロココ演劇の町としても、知られている。2018年の「Rokoko Festspieleロココ演劇祭り」は6月29日~7月3日に開かれる。
    ホーエンツォレルン家の城下町で、かつてのMarkgraefliche Residenzブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯の宮殿がある。
    レジデンツ前の通りに駐車場が空いていたので、ありがたいことに無料で駐車できた。

    2009年の旧市街観光では、1981年作のKaspar Hauserカスパー・ハウザー像、Herrider Torヘリーデナー塔(Glockenspiel鐘)、Rathaus市庁舎、バロック様式のSt.Gumbertus聖グンベルトゥス教会、Orangerie im Hofgarten王宮庭園のオランジェリーなどを見た。

    今回は前回見学出来なかった辺境伯の宮殿が最初だ。外観が改修済みの宮殿を見学後、少し旧市街を歩いた。前回訪問時よりも、町全体がきれいになった感じがした。

    ≪Markgraefliche Schloss・Residenz辺境伯の宮殿≫
    D-91522 Ansbach 、Promenade 27
    14:10~16:00  入場券シニアEuro7(938円)+絵葉書5枚Euro3.5(737円)

    ガイド付き見学は14時が少し前に出たので、実際のガイドは15時からの1時間になった。その間、時間つぶしながら、Gotische Halleゴシック・ホールで立派なレジデンツの陶磁器作品を見た。宮殿内は残念ながら撮影は不可となっていた。
    また、宮殿の40%を改装中との事であった。それでも見るべきところは多い。

    ブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯のレジデンツ(宮殿)は中世の館を拡張したものである。1400年頃、交差ヴォールト構造を持つゴシック・ホールが造られた。
    1705年から1730年の増改築により、現在の状態となった。内装は、1734年から1745年に、建築家レオポルド・レッティによって整えられた。保存状態は、最後のブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯の辞任により、プロイセンに明け渡された時のままである。
    この城館には、それ以後領主が住むことはなく、居住者による近代化の要請に応えることがなかったためである。

    現在、ここにはSpiegelkabinett鏡の間、そしてFliesensaalタイルの間、Audienzzimmer謁見の間、Festsaal祝典の間、その他に二十を超す豪華なロココ様式の部屋、陶磁器博物館がある。中でも一見の価値があるものは「Festsaal祝典の間」のカルロ・カルローネによる天井のフレスコ画、ロココの絵画Galerieギャラリー、旧辺境伯ギャラリーの絵画、鏡の間のマイセン磁器コレクションであり、アンスバッハのかつての工房で製作されたFayencen und Porzellaneファイアンス焼きやその他の陶磁器の膨大なコレクションなどだろう。

    XXXXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • 12世紀にその祖を辿るヘルテフェルト侯爵家の子孫が経営するシュロスルイネ(城址)の名を冠した古城ホテル

    投稿日 2018年12月02日

    Schlossruine Hertefeld Hotel その他の都市

    総合評価:3.0

    2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅
    ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅

    期間:2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間の旅

    10月20日(日);221km 、19.5℃、薄曇り、ここまで1週間の走行距離は1,366km
    6:30起床、朝食(8:00 ~8:30)後、9:2 0にLembeck をスタート。->L?・A31・A3・A52・L? 78km Duesseldorf ->L?・A52・A57・B57(Xanten)・B67・L? 97km Isselburg-Anholt ->L?・B67・B57・L? 46km  Weeze・Hertefeldヘルテフェルト城 18:00到着。

    *アンホルトの城を出発したのが午后5時でしたので、さすがに暗くなり始めて、焦る。今夜の古城ホテルの地図はHPからコピーしていたが、Weezeヴェエツェの村までは来たものの、古城ホテルへの道が分からない。
    偶々、村の入り口に小動物公園があり、子供をそこで遊ばせて帰途に着く親子ずれに場所を聞く事が出来た。この動物公園を真直ぐ行けば良いのだが、車は入れないから、国道B9に出て、迂回しなさいとアドバイスされた。

    幸い、距離も近く、古城ホテルの中庭に入ると、背の高いオーナー夫人が出てきた。
    ホテルのオーナー夫妻はアジア趣味がある様子で、案内された部屋内は仏像、行燈、畳、竹細工、茶器などが置かれていた。
    面白い事に2階の部屋には浴室やベッドが置かれ、階上への螺旋階段を登ると、3階に畳の敷かれたアジア風の寝室があった。所が、これが沈んでしまう様なベッドで、結局、2階で就寝することにした。オーナー夫婦ともに背が高い所為か、シャワー設備、鏡、トイレの便器、衣類架け等すべてが高過ぎた。(多分オランダに近い地域故、皆さん背が高い)

    (1泊)⑦Schlossruine Hertefeld古城ホテル シュロスルイネ ヘルテフェルト
    D-47652 Weeze 、Hertefeld 1
    Tel. +49-(0)2837-2035
    http://www.hertefeld.com/de

    “Superior”DZ(45㎡の広い部屋・2&3階)はEuro119+朝食Euro13x2=26
    合計Euro145(19,824円)。
    この部屋はホテル棟の右から3つ目、事務所のすぐ上にあった。
    Hotel Garni ;4星・全6+18=24室。つまり夕食用のレストランが無いので、数百メートル離れた村内のレストランで食べる事になる。

    朝食はBarockturmバロック様式の塔の真下にあるKreuzgewoelbeクロイツ丸天井レストランにて頂く。塔内の上階にはHertefelder Suiteヘルテフェルト・スイートという豪華な部屋があるらしいが、この塔の後ろは壁だけが残るシュロスルイネ(城址)があり、古城ホテルの名はそこからとっている。

    Weezeヴェーツェの町はレンベックからは西に55kmの独蘭国境にあり、古城ホテルのヘルテフェルトはB9に沿った村の郊外にある。近くにFlughafen Weezeヴェーツェ空港(Flughafen Niederrheinニーダーライン空港)が2003年に民間運航を開始している。
    年間152万人の利用客があり、ヨーロッパ内でも急速に利用を伸ばしている空港の1つだそうだ。かつては独空軍、第二次大戦後は英空軍が使用していた軍用空港であった。

    ヘルテフェルト城の歴史:
    騎士の居城として、1317年に初めて歴史資料に登場する。Hertefeldヘルテフェルト家であったと思われるが、この頃、城主のStephan IIvon Hertefeldシュテファン2世は近くのKleveクレーフェ伯の封土を受けていたようである。
    19世紀、この家系は姪Alexandrineアレクサンドリーネに相続され、彼女の長男にドイツ史で知られるPhilipp Friedrich Alexander Fuerst zu Eulenburg und Hertefeld, Graf von Sandelsフィリップ・フリードリヒ・アレグザンデル・オイレンブルク・ヘルテフェルト侯爵、ザンデルス伯爵(1847~1921年)がいる。
    ドイツ帝国時代の外交官であり、政治家で、プロイセン王国内相のフリードリヒ・アルブレヒト・オイレンブルクは叔父、また、宰相を務めたボート・オイレンブルク伯爵は兄にあたる。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の側近として重用されたが、ハルデン・オイレンブルク(同性愛のスキャンダル)事件により政治生命を断たれた。

    次男のBotho Sigwart zu Eulenburgボート・ジグバルト・オイレンブルク伯爵は作曲家になり、ヘルテフェルト城で最も長い間、過ごしたと云う。
    彼のオペラ“Die Lieder des Euripidesエウリピデスの歌”は1915年、シュトゥットガルト王立劇場で初演された。
    (尚、ギリシア悲劇ではアイスキュロス・ソポクレスス・エウリピデスが三大悲劇詩人と言われている)

    オイレンブルク伯爵が居城としていたブランデンブルク州のSchloss Liebenbergリーベンベルク城は第二次大戦後の東独の土地改革で明け渡し、Niederrhein二ーダーライン地方のヘルテフェルト城に侯爵家家族は居を移した。
    現在もその子孫がホテルを経営している。
    上述したようにFuerst zu Eulenburg und Hertefeldオイレンブルク・ヘルテフェルト侯爵家はその歴史の変遷の中で、いずれも12世紀にその祖を辿ることができる二つの家系が一緒になったものである。

    ヘルテフェルト城は城址あるいは廃墟というSchlossruineシュロスルイネが使われているだけに、第二次大戦の最後の日にヘルテフェルトの町や城はナチス政権のSS軍団により、焼き払われています。敵方の隠れ場所になる可能性のある場所を破壊したのです。
    1992年、地域で起こった地震で、北東の壁に大きな割れ目ができた。
    2000年以来、英国とフランス風の庭園も整備されて、美しい景観を保っている。

    XXXXX

    セピア色の思い出:ジュリアナ女王が度々訪れた由緒あるホテル プリンセス ジュリアナ
    https://4travel.jp/travelogue/11408855

    旅行時期
    2013年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    3.0
    サービス:
    3.0
    バスルーム:
    3.0
    ロケーション:
    2.5
    客室:
    3.0

  • オランダ:美しいゲウル渓谷にある古城ホテル ゲウルティヒト城

    投稿日 2018年11月30日

    ホテル カスティール ゲウルツヒト マーストリヒト

    総合評価:4.0

    2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅

    ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅

    期間:2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間の旅

    10月21日(月);201km 、18℃、曇り後晴れ。
    Maastrichtマーストリヒト)->L?・A2・A79・N590・L? 16km Berg en Terblijtベルグエンテルブレイト・Kasteel Geulzichtカスティール ゲウルティヒト城 17:00到着。

    (1泊)⑧Kasteel Geulzicht - Hampshire Classic
    カスティール ゲウルティヒト城・ハンプシャー  クラシック   
    NL-6325 PN Berg en Terblijtベルグエンテルブレイト、Vogelzangweg 2
    Tel:+31 (0)43 604 0432
    http://www.kasteelgeulzicht.nl/

    テラスのある部屋は森側の静かな部屋、*Reinoutと云う名前がついていたが、帰国して調べてみると、これも驚いた。オランダ男性の一般的な名前で、ドイツ起源の名前だと云う。あのカール大帝の叙事詩:*エーモンの4人の息子と漆黒の妖精馬バイヤールで登場するAymonエーモン公爵の4人の息子ルノー、リシャール、アラール、ギシャールをオランダ語ではVier Heemskinderen;Reinout 、Ritsaert、Adelaert、Writsaertと云い、最強の息子は Reinout(オランダ語でルノーと発音するのか分からない。ドイツ語だとReinholdラインホルト)だったとあった。
    事前に調べたアルデンヌの伝説話が、このオランダにも伝えられていたのでしょう。

    *≪伝説:偉大なカール大帝に刃向かったエーモンの4人の息子と漆黒の妖精馬バイヤール≫
    https://4travel.jp/travelogue/10902445

    3階の最上階はテラス付きで、森側眺望の広い部屋で、浴室は大変機能的で、便利だった。
    Euro103(10,557円);予約したのはTypeC1(Bad・WC・Terrasse)のStandard DZ Euro99(朝食込み)+Kurtax Euro4合計Euro103。
    (2013.08.22.Secure BookingにてEuro175が早期予約でEuro99と安くなった)

    Hotel・Garni:4 星・全10室のこぢんまりした古城ホテル。現在は夕食用のレストランが無く、近くのレストランで食べる事になる。
    Weezeヴェエツェの町からは115km程だが、独蘭の国境地域の町MaastrichtマーストリヒトやAachenアーヘン から5.5kmの距離で、実に近い。

    予想外な事に1918年にオランダの企業家により古典的なスタイル、ロマンチックな古城として建設されたものである。それでも100年近い歴史があるのだが。

    現在、古城ホテルであるゲウルティヒト城はマーストリヒトの近く、ベルグエンテルブレイトにある。美しいGeulゲウル渓谷に位置し、絵のように美しい森林に囲まれ、黄土色のネオゴシック様式の外観はロマンチックで、印象的である。
    夜は古城がライトアップされて、美しい。ファザードの階段や手すり、3つの塔の最大のものは中世の天守閣のようだ。
    城内のロビーは英国風の家具、彫刻、暖炉、天井の等の絵画、大理石で飾られていて、オランダの企業家が当時抱いた夢を感じる。地下蔵もあると云う。

    XXXXX

    旅行時期
    2013年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    3.5
    ロケーション:
    3.5
    客室:
    3.5

  • 二本松:明治維新150周年、今年の菊人形は戊辰戦争と二本松少年隊などの逸話を表現していた。

    投稿日 2018年11月29日

    二本松の菊人形 二本松

    総合評価:4.0

    若い頃にお世話になった山形の友人に会うために出かけた。
    2018年10月15日(月)~19日(金)の四泊五日の旅、久しぶりに国内の高速を走る大旅行(往復987km)になった。往復の途中、いわきと塩原に一泊し観光もしながら、山形の旅をしたわけだ。

    2018年10月18日(木):曇りのち晴れ、11℃、約240km

    朝食を7時45分から8時15分、今朝は体調良く朝食もしっかりと頂く。
    さて千葉に向けて帰る復路の走行になる。9時15分に河北町「ひなの宿」をチェックアウトし、東北中央道の東根インターから今日の第一目的地の二本松に向かう。
    車の少ない東北中央道からアップダウンの多い山形道を経由し、東北道を南下した。国見でトイレタイム(10時半から10分)を取って小休止、11時に晴れてきた二本松のインターを出る。
    今日は二本松城と有名な菊人形見物が楽しみで行程予定に入れたが、市街に入ると菊人形祭りの幟が目立つ。平日のため観光客も車もまだ少なく、11時15分に第一駐車場に停められた。

    ≪二本松市:二本松城の菊人形のテーマは戊辰150年、信義と二本松少年隊、徳川幕府と会津藩への義を貫いた二本松藩と少年隊の勇敢さは歴史に残る≫

    期間:2018年10月10日~11月25日、 会場:福島県立霞ヶ城公園
    〒964-0904 福島県二本松市郭内3丁目、4丁目
    11時15分~13時50分、菊人形展は有料700X2=1,400円

    二本松城(にほんまつじょう)の菊人形は、今年が明治維新150周年になるということで、戊辰戦争と二本松少年隊などの逸話を中心にした菊人形が飾られていた。
    二本松城は正確には城址で、古城好きには興味深い城址でした。

    <菊人形会場>
    会場は入場料を取り、しっかり囲いの中にある。順路も分かりやすく、案内表示の沿って行くと、自然にすべての人形展が見られる。
    二本松には丹羽藩政時代から菊の愛好家が多かったそうで、昭和の初期から町に菊人形が飾られていたと伝わっている。
    今年は先に書いたように明治・戊辰戦争から150年にあたり、「二本松の菊人形」は「戊辰150年~信義×二本松少年隊~」をテーマに、幕府への義、隣藩会津への義を貫いた二本松藩と、ふるさとを守るために戦った二本松少年隊のエピソードなどを菊人形で表現している。

    菊人形場面①江戸城無血開城会談:幕府・勝安房守(海舟)と新政府軍西郷隆盛

    菊人形場面②奥羽越列藩同盟:総勢31藩の新政府軍への対抗

    菊人形場面③二本松少年隊の逸話:岡山篤次郎(13歳)と上崎鉄蔵(16歳)

    菊人形場面④供中口(ぐちゅうぐち)の戦い:農兵司令士と農兵50名の防衛線

    菊人形場面⑤大壇口(おおだんぐち)の戦い:二本松少年隊の激戦

    菊人形場面⑥二本松少年隊の逸話:成田才次郎(14歳)のひと突き

    菊人形場面⑦二本松城の攻防:信義を守った二本松藩

    菊人形場面⑧新政府軍の会津への進軍:母成峠(ぼなりとうげ)の奮戦

    菊人形場面⑨会津鶴ヶ城籠城戦:義に殉じた戦い(二本松藩、会津援軍の奮戦)

    菊人形場面⑩榎本武揚・五稜郭の戦い:戊辰戦争の終焉

    幸い二本松は晴れて気分の良い見物だった。




    旅行時期
    2018年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • いわき:国宝白水阿弥陀堂の紅葉には1週間早かった。

    投稿日 2018年11月05日

    白水阿弥陀堂 いわき市

    総合評価:3.5

    若い頃にお世話になった山形の友人に会うために出かけた。
    2018年10月15日(月)~19日(金)の四泊五日の旅、久しぶりに国内の高速を走る大旅行(往復987km)になった。往復の途中、いわきと塩原に一泊し観光もしながら、山形の旅をしたわけだ。

    ≪いわき:国宝願成寺白水阿弥陀堂(がんじょうじしらみずあみだどう)≫
    〒973-8405 福島県いわき市内郷白水町広畑221
    Tel:0246-26-7008
    開館時間:4月~10月 8:30~15:45 / 11月~3月 8:30~15:15
    尚、第4水曜休み  入場料:大人 500円x2=1,000円

    常磐自動車道いわき湯本ICから車で約15分の距離だが、天心記念五浦美術館が月曜日休館だった事が分かって、13:15に勿来の関跡を発ち、国道を走って紅葉で知られた白水阿弥陀堂まで行った。案内表示も分かりやすく、朱塗りの橋を渡ると直ぐに大きな駐車場があった。14:05に到着。ナビはこの点便利だ。

    大型バスも停まり、紅葉目当ての観光客もあちこちにいる。右に小御堂跡、左に中ノ坊跡があった大きな原っぱを通って阿弥陀堂に向うと、ちょうど前の組が堂内の説明中で14:25まで待つことになった。
    待ち時間を利用し、鯉が泳ぎ、カモや白サギもいた大きな池を眺め、境内の大銀杏などを見て回った。今年の紅葉はまだ1週間ほど早かったようだ。
    その後、僧による説明(凡そ20分)を20人ほど集まった観光客と受けた。

    杮葺(こけらぶき)の阿弥陀堂が建造物として国宝に指定され、堂内には阿弥陀三尊(国重文)、持国・多聞天王(国重文)が安置されている。
    現存する平安時代後期の阿弥陀堂建築の特徴が随所に見られる阿弥陀堂が国内にも少ないうえに、浄土庭園も備えた御堂は他に類を見ないと云われている。
    残念ながら堂内に当時表現された極楽浄土を描いた壁画などはほぼ失われているが、この色彩を復元した極彩色の文様が御堂右手に飾られていた。大変美しい色合いであった。

    かつての願成寺は本坊のほか、中心の白水阿弥陀堂前には広大な浄土庭園が広がり、山の坊(不動堂、地蔵堂、鐘楼堂、光明殿、客殿、西院の河原庭園などが再建されている)地域をもった大寺院あったと云う。

    白水阿弥陀堂は平泉の金色堂(1124年)にならって、永暦元年(西暦1160年)に鎮守府将軍藤原清衡(ふじわらのきよひら:奥州藤原氏の初代清衡)の娘であった徳姫(岩城の国守岩城大夫則道公の夫人)が亡夫の冥福を祈るために発願、建立されたと伝わる御堂である。白水の地名は奥州藤原三代が栄華を極めた平泉の泉を上下に分字して白水と名付けたと伝えられている。

    ここで藤原三代の事が出て来るとは思わなかったが、いわきは既に奥州なのだ。

    ・・・・・



    旅行時期
    2018年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 山形市:国の重要文化財である文翔館(ぶんしょうかん)を旧友の懇切丁寧なガイドで巡った。

    投稿日 2018年11月03日

    文翔館(山形県旧県庁舎及び県会議事堂) 山形市

    総合評価:4.5

    若い頃にお世話になった山形の友人に会うために出かけた。
    2018年10月15日(月)~19日(金)の四泊五日の旅、久しぶりに国内の高速を走る大旅行(往復987km)になった。往復の途中、いわきと塩原に一泊し観光もしながら、山形の旅をしたわけだ。

    10月16日(火)にいわきを朝早く発った。磐越道、東北道、山形道と順に走り、山形と言うだけに4~7%の長い坂の上下に驚きながら、山形市の中心にある「山形県郷土館」(愛称:文翔館)の駐車場に、待ち合わせ時間の12時に少し遅れて到着した。
    友人は既に待っていて、初めて会う家内をまず紹介しながら、何十年ぶりにあった友人とお互いがまだまだ壮健であることを祝した。
    文翔館の喫茶室でとりあえず昼食を御馳走になり、13時から15時過ぎまで、国の重要文化財である「山形県旧県庁舎及び県会議事堂」、つまり文翔館を旧友から懇切丁寧なガイドをして頂いた。

    開館時間は9時00分~16時30分、日没から21:30までライトアップが行われている。
    入場無料、撮影OK、館内見学にボランティアガイドがいて対応してくれる。
    友人も数年前からその一人になったとか。

    現在文翔館と呼ばれる建築物は1916年(大正5年)、第2代の山形県庁舎および山形県会議事堂がイギリス・ルネサンス様式を基調としたレンガ造りで建設されたものである。

    旧県庁舎の外壁に花崗岩を用いているので、二つの建物の外観は異なって見えるが、基本的にレンガ作りである。旧県庁舎の裏手のレンガの外壁を見ると納得する。
    二つの建物の屋根は黒色スレートを使用している。旧県庁舎の中央に見える創建時から稼働する時計塔の機械式大時計は札幌市時計台に次いで国内で2番目に古いそうだ。
    この為に親子二代の時計技師が定期的に時計塔内に入り、7mのワイヤーを巻き上げるのだそうだ。

    玄関(1階)から中央階段(2階)を登り、階段の踊り場に見られる、美しい月桂樹の葉の輪飾りがデザインされたステンドグラスを見ながら3階に。
    正庁(講堂の意味)、バルコニー(ここからは中心街を一直線に伸びる広い通り、羽州街道が見える)、貴賓室、歴代の知事が紹介されている知事官房、知事室、警察部長室、内部部長室、ギャラリー、そして中庭、隣の旧県会議事堂の議場ホール(カラオケをしていた)を見て回った。
    とりわけ、中心となる正庁、貴賓室などの天井が美しい漆喰飾り天井に復元されていたのは驚きであった。

    ・・・・・

    旅行時期
    2018年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    4.5

  • 山形河北:紅花(ベニバナ)ご存知でしょうか?「紅花大尽」の館、紅花で財を成した豪商の歴史が分かる紅花資料館

    投稿日 2018年10月24日

    河北町紅花資料館 村山・河北

    総合評価:4.5

    2018年10月15日(月)~2018年10月19日(金)4泊5日で
    三十数年振りの旧友に会いに山形まで足を延ばした(往復987km)。
    昨年、会津若松までの往復を車で凡そ750kmを走りました。
    この距離を走った事で(今までドイツのアウトバーンばかりを走ったが)、
    日本の高速道を長く走る自信ができたから、今年は更にその先にまで行ったのだ。

    友人の住む河北町に紅花資料館(べにばなしりょうかん)という河北町立の資料館がある。名主であった、いわゆる「紅花大尽」、豪商の堀米家の様子、ベニバナに関連する資料や享保雛などの展示が見られる。

    山形における紅花栽培は室町後期に遡ると云う。河北町は「べに花の里」です。江戸時代にこの地方には品質の良い紅花が取れ、特産の「最上紅花」(昔は村山地方を最上といいました)が植えられ、可憐な花びらは紅餅(花餅)となって、はるばる京都へ送られました。そして、京都の紅屋の手によって紅餅から真っ赤な紅がつくられ、それが京おんなの唇を彩るとともに、紅色の美しい衣装を染めあげました。
    享保時代以降全盛期を迎え、河北地方では「四百駄(馬一頭の背に負わせて運んだ俵は4俵=30貫、つまり1駄は112.5kg )」以上を出荷したそうである。当時の米4俵が1両であった時、その同じ重さが100両の値がしたと云われている。

    開館時間:
    3月〜10月 9:00〜17:00
    11月〜2月 9:00〜16:00
    休館日:
    毎月第2木曜日(祝日の場合は翌日)
    年末年始(12月29日〜1月3日)
    入館料:一般 400円

    「紅花の里」として有名な河北町にある全国唯一のベニバナの資料館は、元々、江戸中期より紅花商人として財を成した名主・堀米四郎兵衛の屋敷跡(約3,106坪)であり、堀米ゆず子(バイオリニスト)の父親の生家でもある。
    館内には武器や生活用品および古文書など5,000点を保存しており、1982年(昭和57年)に第10代堀米四郎兵衛より、これらの寄贈を受け、1984年(昭和59年)5月に河北町立資料館として開館した。

    鯉が住む水堀を渡り、立派な長屋門をくぐると庭内左に武者蔵、右手に座敷蔵と母屋が見える。その先には左に湯殿、右に御朱印蔵、中央に立派な大きな石灯籠などを配した中庭がある。庭のさらに奥の左手には紅粉の蔵である俤(おもかげ)、東屋、紅花畑、野外ステージ(バイオリニストの堀米ゆず子さんのコンサートも開かれる由)、細流ながら水の勢いもある滝ノ沢川に架かる太鼓橋を渡ると八景園(約1,656坪)となり、右手に紅の館がある。水車小屋、古代の蓮池、工房くれない、八景庵、紅花畑などの施設が配置されている。


    長屋門:江戸末期に建てられたものだが、当時は、名主と武士待遇を受けている者だけが、長屋門をもちいることができた。塀の上壁は京より求めた紅殻を加え加工したものである。

    武者蔵:嘉永6年(1853年)に建てられた。名主として地域の治安維持のため、農兵167名を組織した堀米四郎兵衛が武具関係を収納した蔵であるが、代々の堀米四郎兵衛と妻女が描かれた掛け軸が並び、小さな富士の絵皿100枚、甲冑、武具、陣笠、弓、刀、槍、三つ葉柏の陣羽織、旗、伊達藩白石城主拝領品の青銅水盤、明朝螺鈿高台やら、大名膳、紅花取引大福帳、カラフルな土人形、
    紅の館:紅花の歴史・生産・流通や上方との交易の様子の展示、各時代の雛人形(特徴的なのは享保雛、次郎左衛門雛)、林家舞楽「沙羅龍王の舞」の模型、紅花全盛に活躍した小鵜飼舟や北前船の模型、絢爛豪華な紅染衣装(振袖)等を展示しております。館内は撮影不可。

    御朱印蔵:近郷吉川村の新山神社から譲り受けた御朱印状を収めた収蔵庫。
    唐破風向拝付入母屋造の土蔵は6代目堀米四郎兵衛則勝により文久3年(1863年)に建立された。棟梁は松田仁作、設計および正面の彫刻は細谷藤吉、木鼻の獅子は高山文五郎の作品で見事なものだ。

    座敷倉:町内で最も古い蔵の一つ、江戸中期頃の蔵。後世に座敷蔵に改造し、客室として利用されていた。

    物産館:紅花にまつわる物や町内の特産名産品を販売している。

    工房くれない:町内に残る蔵を移転復元したもの。紅花染・わら細工などの体験学習の場として利用されている。ここは見ていない。

    ・・・・・・

    旅行時期
    2018年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.5
    バリアフリー:
    3.0

  • いわき:勿来の関跡は桜の季節にまた来てみたいものだ。

    投稿日 2018年11月01日

    勿来関跡 いわき市

    総合評価:3.5

    若い頃にお世話になった山形の友人に会うために出かけた。
    2018年10月15日(月)~19日(金)の四泊五日の旅、久しぶりに国内の高速を走る大旅行(往復987km)になった。往復の途中、いわきと塩原に一泊し観光もしながら、山形の旅をしたわけだ。

    10月15日(月)にいわき市の山間にある勿来の関公園(なこそのせきこうえん)に車で狭い山道を登った。
    公園の入口に源氏の武将、源義家(みなもとのよしいえ)の見事な騎馬像が立っていた。

    当地は源義家の和歌などで知られているのだが、騎馬像近くの「詩歌の古道」には源義家の歌碑や、芭蕉の句碑が建てられ、斎藤茂吉、山口茂吉、徳富蘆花、角川源義、中里介山などが当地を文学作品に残しています。
    騎馬像の先に行くと、左手に文学歴史館、右手に吹風殿(すいふうでん)がある。

    勿来関は古くから紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師などの歌人たちが和歌に詠んだ有名な歌枕となっている関所で、江戸時代の終わり頃からは「奥州三関:なこそ・白河・念種」の1つに数えられている。
    ただ、所謂、福島県の観光地「勿来の関」というように、歴史家の間でも所在地が諸説ある上、その存在自体を疑う説もあるという。

    それはともかく、1927年(昭和2年)には福島民友新聞社が「勿来関趾」の碑を建立し、
    1951年(昭和26年)には福島県立自然公園としての指定を受け、
    公園中央に1988年(昭和63年)にいわき市勿来関文学歴史館が開館、
    更に2007年(平成19年)になると、平安貴族の邸宅風の建物と庭園を配した吹風殿が完成している。
    いわき市は公園内にある碑でも、当地に勿来の関があったとしっかりアピールしていた。

    ついでに言えば、源義家の和歌「吹風をなこその関とおもへとも道もせにちる山桜かな」とあるように、当地は桜の名所として知られ、桜の季節にまた来てみたいものだ。

    ・・・・・

    旅行時期
    2018年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    2.0
    見ごたえ:
    3.0

  • メルヘン街道:いばら姫の城・秋の訪れ

    投稿日 2014年08月23日

    ホテル ドルンレッシェンシュロス サバブルク (いばら姫の城) カッセル

    総合評価:3.5

    10月16日(水);280km 、昨日と同じように曇り時々シャワー、10℃前後の一日。

    トレンデンブルグ城から田舎道を12km走ると、森の中のザバブルグ城に至る。巨人族・ザバの木像が門番の如く、悲しげな顔を向けて道端に立っている。

    ≪Die Sababurgザバブルグ城(Dornroeschenschlossいばら姫の城)≫
    15:05~15:45
    D-34369 Hofgeismar (Sababurg) 、im Reinhardswald
    Tel:+49.(0)5671.808-0 、Fax 808-200
    http://www.sababurg.de/

    3星・全18室。古城ホテルは18部屋と少なく、人気も高いので、シーズンでは予約が難しいと聞いている。2005年に訪れたが、以前は取らなかった、城内・庭園の見学料(Euro2)を支払う事になっていた。
    観光客が悪くしているのか?!ホテルの印象が悪かった。

    トレンデンブルグ城やザバブルグ城はReinhards-Waldラインハルトの森の中にある。グリム童話の赤頭巾ちゃんの話が生まれたラインハルトの森は、広大で緑濃い森である。童話のように、当時は狼がたくさん出没した事だろう。
    別名100年の眠りから覚めた“眠れる森の美女”であり、Dornroeschenschloss いばら姫の城と呼ばれている。

    この城は13世紀にマインツ司教が支配地域の前哨基地として建てた。1429年ヘッセン公国の所有となり、狩猟の館となるも、19世紀始め、公国の崩壊と共にうちすてられ、文字通り眠れる古城として長い間忘れられた存在になっていた。第二次大戦後、ホテル・レストランに改造され、周囲には自然動物園(1571年)も設けられている。

    なだらかな坂道を城に向かう。2005年の春は坂道の斜面に“忘れな草”の群生が青いジュータンの様に咲きみだれ、美しい景色だった。以前に比べると、全てに整備が行き届き、城内の廃墟跡では、夏季になると、コンサートや、野外劇が催されるという。

    坂道の斜面は春と違って、唯黄葉した落ち葉が斜面を飾っていた。
    小学生が野外授業で、先生や付き添いの母親とやって来ていた。ここには鹿やヤギなどの自然動物園があるので、古城だけではなく、そちらが主になっているのだろう。

    古城ホテルの壁をつたう蔦が見事に紅葉して美しい。駐車している車はそこそこあったが、古城ホテル内のレストランに行ってみても4人ずれの家族が一組だけで、何処に行っているのか?ともあれ、今日の予定はここで昼食と考えていたが、時間がずれ込んでしまい、お茶にした。

    お茶:Die Sababurgザバブルグ城のレストラン  15:05~15:45
    愛想のよい小母さんが出迎えてくれて、コーヒーと紅茶をお願いした。Euro6(615円)

    旅行時期
    2013年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    ロケーション:
    3.0

  • セピア色の思い出:スペインのグラナダ・アルハンブラ パレス ホテルの素晴らしい対応(娘の絵日記が戻った)

    投稿日 2018年10月26日

    アルハンブラ パレス ホテル グラナダ

    総合評価:4.5

    <スペイン旅行:グラナダのアルハンブラ宮殿とアルハンブラ パレス ホテル>

    宿と航空券を取り、Duesseldorfデュッセルドルフから、夏の休暇で家族旅行に出かけました。
    1976年8月7日~17日、11日間の夏季休暇で、もうはるか昔です!

    当時のアルバムを懐かしく見ていると、行程はデュッセルドルフ(飛行機)=>太陽海岸・マラガ(バス=>トリモリノス(3泊)(飛行機)=>グラナダ(2泊)(タクシー3時間)=>コルドバ(1泊))(電車2時間)=>セビリア(1泊)(飛行機が遅れて真夜中の出発)=>マドリッド(3泊)(飛行機)=>デュッセルドルフでした。
    この旅は行程に書いたように飛行機、バス、タクシー、電車に乗り、思いがけない事もあって、記憶に残る旅になりました。

    グラナダはアルハンブラ宮殿を初めとして、たいへん魅力的でしたし、宿泊したのはアルハンブラ宮殿近くのAlhambra Palace Hotelアルハンブラ パレス ホテルと言い、当時、4星のホテルに2泊した。

    中々良いホテルでしたが、長女がホテルに絵日記を忘れてしまい、コルドバ行のバス発着所まで電話して教えてくれたのでした。バスの発着所の小父さんが寄って来て、何やらスペイン語で私に話すのですが、何かをホテルに忘れてきたらしい事は理解できました。
    (私共がコルドバ行のバス発着所にいると分かったのか?ひょっとしてそこら中に電話したのかもしれない)
    慌ててホテルに戻り、感謝と共にフラメンコの踊りなどを描いた絵日記を持ち帰りました。
    そんなことでコルドバ行バスが出て行ってしまったので困りました。

    長い時間を待つわけにもいかず、仕方なくタクシーを利用して、コルドバに向かう事にしました。運転手と手真似での交渉になりました。
    偶々、スペインの軍人さんが休暇で同行することになり、値段も安く済んだのです。
    親切なタクシーの運転手は途中の八百屋で子供たちにリンゴを買ってくれたりしました。オリーブの連なる丘を写真に撮ろうとすると、すかさず徐行してくれるなど、嬉しい心づかいが思い出されます。
    凡そ3時間の旅でしたが、運転手さんのお陰で苦にならなかったと、家内のメモに残っています。

    バルセロナを外して、旅の最初に太陽海岸・マラガ近くの海で遊んだ旅程でしたが、一番印象に残ったのはグラナダでしょうか。


    ここでの思い出が二つあり、一つはグラナダ・サクロモンテの丘でジプシーのフラメンコの踊りを見たことだ。長女が絵日記に書いたのはこの時の事である。
    スペインの夏、暑い暑いと言っていた子供たち、丘を登るのも疲れたようです。

    もう一つはホテルから歩いて行く途中にあった、小さなレストランでパエリアを食べました。中々料理が出てこないので、お腹を空かせた次女はパンばかり食べていました。そして大きな鍋に入って出てきたパエリアは見事なもので、じっくり待った後の食事はとても美味しいものだった記憶が残っています。
    残念にも食べることに専念した所為か、その写真が無い。

    (以来、残念ながらスペインには御無沙汰しています)

    ・・・・・

    旅行時期
    1976年08月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    家族旅行
    サービス:
    5.0
    ロケーション:
    4.5
    客室:
    4.5

  • レーゲンスブルグ:トゥルン・ウント・タクシス侯爵家はオーストリア皇帝の親戚にもなっている。

    投稿日 2018年09月24日

    トゥルン & タクシス城 レーゲンスブルク

    総合評価:3.5

    ≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月16日(水):曇、小雨時々晴れ間 、 13.5℃、 94km

    <Regensburgレーゲンスブルク観光>    12:15~15:45
    Regenレーゲンの名前通りに今日も雨が降った。2008年4月29日の時もそうだったように、雨に縁がある町だ。

    こんな言葉でレーゲンスブルグの町を讃えている。
    『この美しい町は二つの
    顔を持っている。一つは石、もう一つは水。ドナウ川
    から眺めてみると、この二つが一つに溶け合う。 (サンドラ・パレティ)』

    レーゲンスブルグで訪れていなかったトウルン・ウント・タクシス博物館はドナウの石橋から市庁舎広場のBachgasseバッハ横丁を真っ直ぐエメラム広場まで、徒歩で15分ぐらいかかった。聖エメラム宮殿のガイドツアーは60分、90分があり、ちょうど13:30の60分ガイドが出てしまった。次は15:30、90分ガイドが14:30といずれも待ち時間が長いので諦めて、ガイドなしの「宝物館と厩見学」に切り替えた。

    <Thurn-und-Taxis-Museumトウルン・ウント・タクシス博物館・
    Schloss St. Emmeram聖エメラム宮殿>  
    D-93047 Regensburg  、Emmeramspl. 5
    https://www.thurnundtaxis.de/
    https://www.thurnundtaxis.de/museen/schatzkammer/

    (侯爵家のSchatzkammer und Marstall宝物館と厩見学)
    13:50~14:30 ガイドなし、入場券Euro9。
    開館:3月24日から11月4日まで、月~金は11時~17時、土日祭日は10時~17時。
    こちらのほうが気楽に見られるが、ここも撮影は禁止になっている。

    1748年にフランクフルトからレーゲンスブルクに移ってきたトゥルン・ウント・タクシス侯爵家が、Schloss St. Emmeram聖エメラム宮殿を200年の間、居城とした。
    1812年に侯爵家は、バイエルンにおける郵便事業独占権を失った代償として、かつて聖エメラム帝国宗教財団のベネディクト修道院だった建物を手に入れ、1816年から壮麗なレジデンツに改築し、聖エメラム宮殿とした。

    トゥルン・ウント・タクシス侯爵家はオーストリア皇帝の親戚にもなっている。
    Maximilian Anton Lamoral von Thurn und Taxis(1831~1867年)マクシミリアン・アントン・フォン・トゥルン・ウント・タクシス侯世子が、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの皇妃エリザベートの姉であるHelene Caroline Therese・Herzogin in Bayern(1834~1890年)ヘレーネ・フォン・バイエルンと結婚し、皇帝の親戚にもなっている。

    現在、宮殿の建物(縄張り図参照)を利用して、

    ①Fuerstliches Schloss侯爵家の宮殿:
    150mの長さを持つ南翼(ネオ・ロココ様式)に侯爵家の居住区を作った。そこにはPrunkraeumeプランクロイメ(豪華な広間)、大理石の階段ハウス、祝典(舞踏会用)の大広間、様々なサロン、侯爵家の礼拝堂、王座の間といったものが見られるらしい。
    ②Gruftkapelleグルフトカペレ(地下霊廟):最も古い部分は11世紀と云う。
    ③Kreuzgangクロイツガンク(十字路回廊):ロマネスク・ゴシック様式の聖エメラムの回廊と称し、ドイツで最も感銘を与える回廊と云われている。

    ⑥Fuerstliche Schatzkammerシャッツカマー(侯爵家の宝物館):
    侯爵家の宝物は1993年にバイエルン政府に譲渡されたものだが、1998年よりここで展示されるようになった。高価なMobiliarモビリアー(家具)、美しいPorzellanポルツェラン(陶磁器)、Tabatierenタバティーレン(嗅ぎタバコ入れ(箱)、芸術性の高いWaffenヴァッフェン(銃器)や金銀のPretiosenプレティオーゼン(装飾品)等、素晴らしい展示品が並ぶ。

    ⑦Marstallmuseumマルシュタール・ミュージアム(厩博物館):
    侯爵家の厩部分は600㎡の広さがあり、1829~32年をかけて完成した。勿論乗馬訓練も可能である。博物館に展示されたものは18~9世紀のもので、郵便・乗り合い馬車(Kutsche)、橇(ソリ:Schlitte)、椅子籠(Saenfte)、輿(コシ:Tragsesseln)、乗馬関係の衣服、歴史資料といった興味深いもの。

    尚、Turnusmäßige Fuehrungen通常のガイドツアーはガイド付き。
    開館:3月16日から11月15日まで毎日。(90分ガイド:10.30、12.30、 14.30、 16.30) 、(60分ガイド:11.30、13.30、 15.30) 、 但し、5人以上。


    XXXXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • レーゲンスブルグ:有名作家ジンメルもびっくりする店内で、小腹を満たしたダンプヌーデルン

    投稿日 2018年09月19日

    ダンプフヌーデル ウーリ レーゲンスブルク

    総合評価:4.0

    ≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間
    5月16日(水):曇、小雨時々晴れ間 、 13.5℃、 94km

    <Regensburgレーゲンスブルク観光>    12:15~15:45
    Regenレーゲンの名前通りに今日も雨が降った。2008年4月29日の時もそうだったように、雨に縁がある町だ。
    こんな言葉でレーゲンスブルグの町を讃えている。
    『この美しい町は二つの顔を持っている。一つは石、もう一つは水。ドナウ川
    から眺めてみると、この二つが一つに溶け合う。 (サンドラ・パレティ)』

    <お茶:”Dampfnudel-Uliダンプヌーデルン-ウリ“で>
    Am Watmarkt 4   
    15:00~15:30  Euro18(2,412円)
    開店:火~金10時から18時、土10時から15時まで。

    薄くなった朱色の塔Baumburger Turmバンブルクの塔の一階にある。
    小さなお店だが、中に入るとちょっとびっくりだ。アーチ形の天井の下はバイエルンの旗や新白鳥城の絵、古い写真の数々、ビールのジョッキなどが脈絡なく、飾ってあった。
    この点は前回と変わっていないというよりも、増えたようだ。

    注文はリンゴジュース(Euro4.2)とダンプヌーデルン(Euro13.2、ミルクと油で蒸し焼きにした酵母入りフワットした甘いパン。元来はシュヴァーベン地方のお菓子)にした。
    店内はお茶時らしく、数組のお客がいて、オーナーシェフも忙しい。
    日本人と見たのか、オーナーもスタッフも私共には愛想が良い。

    *2008年4月29日にダンプヌーデルン-ウリを食べた時、私どもが座った席の
    後の壁に、こげ茶色の板に白抜きの文字が張ってあった。
    “Es muss nicht immer Kaviar sein。(いつもキャヴィアが要るとは限らない)”
    ドイツの人なら、殆どの人が知っている言葉であり、
    作家Jimmelジンメルの最初のベストセラーの本の題名である。
    ドイツ語圏の国々で最も多く読まれる作家であり、その著作は様々な国で
    翻訳されている。
    2009年1月1日に84歳でスイスのルツェルンで死去した。
     
    XXXXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    2,000円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.0
    料理・味:
    4.0

  • ケールハイム:バイエルン王ルートヴィヒ1世の建てたもう一つの記念碑は「解放記念堂」である。

    投稿日 2018年09月04日

    解放記念堂 その他の都市

    総合評価:4.0

    ≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月17日(木): 午前中曇り時々小雨、午後より晴れ 、17℃、 85km

    ケールハイムの船着場からBefreiunghalleベフライウングスハレ解放記念堂には3kmと近い。高台まで坂道を上る。広い駐車場(最長4時間、一回あたりEuro2.5)があった。
    船着き場からはミニトレインLudwigsbahnルートヴィヒ・バーン(10:40から一時間ごとに最終17:40、解放堂まで20分:往復Euro7)で登ってくることも出来る。

    <Kelheimケールハイム・Befreiunghalleベフライウングスハレ解放記念堂> 
    11:15~12:15   入場券Euro3.5x2=7

    レーゲンスブルクの南西、ケールハイムの町から少し離れたドナウ川に面した高台Michelsbergミッシェルスベルクに、ナポレオン支配からドイツが解放されたことを記念し、ドイツ統一を祈った巨大な円形の建物がある。
    この巨大な解放記念堂はバイエルン王ルートヴィヒ1世の命により1838年から1863年にかけて建てられたもので、1863年10月18日に、つまり*「Voelkerschlacht bei Leipzig諸国民の戦い・ライプツィヒの戦い」に勝利した50周年の日に解放記念堂の落成式を行ったという。

    解放記念堂の外壁にはドイツ民族を表す18体の女神像が立ち、大理石のホールには34体の勝利の女神像が配置され、その間にドイツ民族の記憶に残るライプツィヒの戦、ワーテルローの戦い・・・といった大きな戦いの名前が記されたメダルが掲示されていた。
    45mのドーム内は美しい彩りの天井(Glaslaterneガラス ランタン)が特筆されるもの。

    その高台からケールハイムの町やドナウ川を望め、曇天ながら素晴らしい景観を楽しみ、先ほど乗ったドナウ観光船がドナウ川を下ってくるのが見えた。

    XXXXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • レーゲンスブルク:名代のソーセージ料理”ヴルストキュッヘ”の味はかつての記憶の味より美味かった。

    投稿日 2018年09月07日

    ヒストーリッシェ ヴルストキュッヘ レーゲンスブルク

    総合評価:4.0

    ≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月16日(水):曇、小雨時々晴れ間 、 13.5℃、 94km

    <Regensburgレーゲンスブルク観光>    12:15~15:45
    Regenレーゲンの名前通りに今日も雨が降った。2008年4月29日の時もそうだったように、雨に縁がある町だ。

    こんな言葉でレーゲンスブルグの町を讃えている。
    『この美しい町は二つの顔を持っている。一つは石、もう一つは水。ドナウ川
    から眺めてみると、この二つが一つに溶け合う。 (サンドラ・パレティ)』

    もう昼時ゆえ、まず行く所は名代のソーセージ料理”ヴルストキュッヘ”である。相変わらず観光客に人気で、小屋の前のテーブルには人が一杯座って食事をしていた。
    だが、今までの経験では小屋の中には席があるはず、覗いてみると2組だけほとんど空席だ。奥の席に座って、早速いつものように注文した。

    <昼食:名代のソーセージ料理”Historische Wurstkuecheヴルストキュッヘ”で>
    Weisse Lammgasse 1  開店:8時から19時
    12:40~13:30   Euro28(3,753円)

    ドナウ川に面し、数百年もの間、人々に楽しんでもらった伝統の味の店である。
    名代は自家製ソーセージの炭焼き料理である。汗をかきながらソーセージを焼いている厨房の横を通り、35名の席しかない小さな部屋に入った。

    注文品は6本か、12本かの違いだけで、”Sechs auf Kraut“焼きソーセージ6本とザワークラウト(酢漬けキャベツ)とパン2個、ビール0.3LX2。
    今回食べた味はかつての記憶の味より美味かった。

    XXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    2,000円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.0
    料理・味:
    4.0

  • ドナウ川:ヴァルハラ神殿はドイツ民族の歴史的な記念碑であり、ドイツの偉大な人々への敬意を示す殿堂である。

    投稿日 2018年09月01日

    ヴァルハラ神殿 レーゲンスブルク

    総合評価:4.0

    2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月16日(水):曇、小雨時々晴れ間 、 13.5℃、 94km

    ヴァルハラ神殿はドナウシュタウフの近郊にドナウ川に面して立っている。
    駐車場(Euro2.5)から森の中の長い、キツイ階段を登ると、森を切り開いたのだろう平場があり、そこに神殿がある。ここは珍しいことに初めての訪問になる。
    長方形の神殿のドナウ川側に来て見ると、358の大理石の階段が下の川辺に続くのが見える。高所恐怖症には少しめまいを感じるほどだ。

    <Donaustaufドナウシュタウフ・Walhallaヴァルハラ神殿>  
    10:40~11:45
    D-93093 Donaustauf 、Walhallastrasse 48
    http://vg-donaustauf.de

    ドナウシュタウフの町から下流に10km程行った距離にギリシャ風の大理石の神殿がある。雪のように白い神殿はナポレオン戦争に勝利した時代を背景にこのプランができたようだ。ドイツ民族の歴史的な記念碑として、ドイツの偉大な人々への敬意を示す殿堂をKoenig Ludwig I. von Bayernバイエルン王ルートヴィヒ1世が、Leo von Klenzeレオ・クレンゼに命じて、1830 年から1842年にかけて建設したものだ。

    このギリシャのパルテノン神殿を模した(52柱のドーリス式)神殿はドナウ川の蛇行に面した高台(358の大理石の階段を上った)にあり、そのテラスからは美しいドナウの景観を思うままに見ることができる。
    ヴァルハラ神殿にはドナウ川に面した側に入口があり、そこから入る。
    大理石の神殿内は大変な空間が広がる。
    (営業時間:4 月~9月、毎日9時から17時45分まで、入館料は二人でEuro8)

    125X50mという長方形の神殿大広間の中央奥にはヴァルハラ神殿の建設者のバイエルン王ルートヴィヒ1世の大理石の坐像が鎮座している。
    左右の壁にドイツ人(ドイツ語を話す)の 130 の胸像(例えば、ルター、ベートーヴェン、モーツァルト、デューラー、ホルバイン、フリードリヒ大王、マリア・テレジア、グーテンベルク、ゲーテやシラー、ハイネと世に知られた人物、それに王侯貴族、軍人・政治家、科学者たち、変わった人物では反ナチの白バラ抵抗運動Sophie Achollゾフィー・ショルが)があり、また、歴史を彩る、多くの聖人、英雄の 64 銘板(例えば、聖ボニファティウス、トイトブルク森の戦いに勝利したゲルマンの英雄アルミニウス(ヘルマン)、聖女エリザベート・テューリンゲン方伯妃、ナチス・ドイツに抵抗したドイツ人レジスタンス(1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関与したシュタウフェンベルク大佐)などである。

    観光客は写真を撮りながら、其々の胸像、銘板の文字をじっくり見ていた。胸像、銘板の選出には異論も多く出そうに思われたが、その意図する事はよく分かった。

    ・・・・・

    旅行時期
    2018年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    2.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • ケールハイム:ドナウドゥルヒブルッフ・ドナウ観光は残念にも小雨模様で減点1

    投稿日 2018年08月29日

    ドナウドゥルヒブルッフ その他の都市

    総合評価:4.0

    <ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅>
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間
    5月17日(木): 午前中曇り時々小雨、午後より晴れ 、17℃、 85km

    ケールハイム・ドナウ観光船は予定の便9:30の船「Kelheimケールハイム号」が準備万端で待っていた。なんだかんだと、もう3回目の乗船だが、昨日“天の啓示”という吉兆にも拘らず、残念ながら今は小雨模様で霧もかかり、高台のベフライウングスハレ解放記念堂もかすんで見える。駐車時間(行ってすぐ帰る往復時間)をチケット売り場で聞くと、2時間でOKという(駐車料金は9:17~11:17の2時間でEuro1.25と安い)。
    次の便にはドイツ人の団体客が大勢乗船していたが。停船中の僚船にはMaximilianⅡマクシミリアン2世号、Ludwig der Kelheimerケールハイムのルートヴィヒ号などが見えた。

    <Donaudurchbruchドナウドゥルヒブルッフ・ドナウ観光船(往復)>
    観光船はドナウ船着場からケールハイム とベルテンブルガー僧院間のドナウ川を往復する就航である。流れを上流にさかのぼる往きの時間は45分、帰りは下りで逆に早いから半分の20分である。片道料金はEuro6.5、往復Euro 11.5X2=23と少し値上がりした。
    行きは数人の乗客と、ベルテンブルガー僧院に10:20に到着し、帰りはやはり数人の乗客と(中には自転車を持ち込む人も)、10:30に出発し、10:57にケールハイムに戻った。

    夏季シーズンは4月29日~10月8日、
    ケールハイム発:9:30、10:00、10:30・・・・・・15:00、15:45、16:30、17:30
    僧院発:10:30、11:00、11:30、12:00・・・・・16:00、16:45、17:30、18:30
    ケールハイム とベルテンブルガー僧院間で、最も川幅80mと狭まるDonaudurchbruchドナウドゥルヒブルッフという渓谷を通っていくが、ドナウ川は距離5.5 km、川幅約 400mと云う。

    乗船したケールハイム号は全長49.9m、横幅10.1m、2015年進水。レストラン200席、上甲板には300席が備えられている。
    因みに1925年から観光船の就航が行われ、当時から両岸の岩、岩壁にメルヘンチックな思いを持った人々は、様々な名前を付けた。

    XXXXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日

  • ケールハイム:ベルテンブルガー僧院のバロックの聖堂(アザム兄弟の傑作)で「天の啓示」を見た

    投稿日 2018年08月26日

    ヴェルテンブルク修道院 レーゲンスブルク

    総合評価:4.0

    <2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅>
    5月16日(水):曇、小雨時々晴れ間 、 13.5℃、 94km

    レーゲンスブルクを訪れたら、ベルテンブルガー僧院のバロックの聖堂を見て、ドナウドゥルヒブルッフ・ドナウ観光船に乗るべきだ。

    レーゲンスブルクを15:45に出て、34kmの距離にある Kelheimケールハイムへ向かう。
    予定していたベフライウングスハレ解放記念を明日にまわし、聖ゲオルク ベルテンブルガー僧院のゲストハウスに16:40到着した。珍しく、行程予想の距離がぴったりで、僧院ホテルに至った。ゲストハウス前の中庭で荷物を降ろし、チェックインする。
    夕食までに1時間あり、僧院周辺に駐車してから、ドナウ川の川辺にいってみた。砂利が広く堆積し、丸い石が様々、雨で増水したドナウ川は川幅も広くなり、流れも速い。

    そのドナウ川を鴨の親子が渡ろうとしていたが、親の背に乗る最後尾の3羽目が背中も狭いのか、水圧も強くて何度か滑り落ちてしまい、都度、親鴨が浅瀬に誘導して、子鴨を背に乗せること繰り返した。幸い最後にしっかり背に乗り、親子共々ドナウ川を横切り、対岸の草むらに流れ着く事に成功した。その一部始終を見て安心して僧院に戻った。


    「天の啓示」を見た。・・・神秘なる出来事、意味する啓示が何かは分からないが、あれは不思議な一瞬であった。この僧院には名工アザム兄弟の光の効果で天に昇るような錯覚を覚えると云う、見事なバロック様式の祭壇があり、柵越しに見学している最中に天窓から光が入り、聖壇の聖ゲオルグ像下にある十字架に光が当たった。なんと稀有な体験かと、見ているうちに天光は消えた。撮影禁止だったので写真を撮ることも思い至らず、誰もいない教会での出来事、その余韻で少々興奮したものです。

    翌日、ケールハイムの船着き場からドナウ観光船に乗った。天気は今一つながら、やはりこの往復は楽しい。

    ・・・・・

    旅行時期
    2018年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日

  • 再訪した古城ホテル ヴェルンベルク城は相変わらず素晴らしいたたずまいだ。

    投稿日 2018年08月22日

    ホテル ブルク ヴェルンベルク その他の都市

    総合評価:5.0

    2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月15日(火): 晴 、 19.5℃、 141km

    <Hotel Burg Wernberg古城ホテル ヴェルンベルク城>  
    11:50~13:00

    ひょっとして“Konradsコンラッド”という庭に面した長細いレストランで、
    食べられるかもしれないと期待して丁度、跳ね橋傍にいた品の良い女性
    スタッフに「9年前にホテルに宿泊し、カステルの夕食を楽しんだ。
    今年、近くに来たので立ち寄ったが、簡単に昼食か、お茶でもしたいのだが」
    と聞いてみた。「大きなイベントの準備で城内は多忙なので、多分無理だろうが、
    一応聞いてみましょう」と言って、レセプションに招かれた。
    その結果、レセプション傍のワインセラーやバーのある冬の園でお茶を頂く
    ことができた。冬の園は暖炉のある洒落た空間でした。

    <お茶:古城ホテル ヴェルンベルク城のWintergarten冬の園にて>
    12:00~13:00   Euro27(3,619円) 

    急な注文にバタバタした様子の新人(民族衣装姿の近所の小母さんが
    アシストに入った感じ)が、一生懸命、不安げながらも紅茶とコーヒー
    にケーキを準備してくれました。

    コーヒーPortion(Euro6)と紅茶Tasse(Euro3)にRhabarberstrusel
    ラバーバ シュトゥルーゼル@8x2=Euro16でした。

    ・・・・・

    2009年4月25日に一泊し、当時ミシュラン1星のグルメレストランKastellカステル
    で夕食の機会を得た。
    今年も宿泊予約を2月時点でトライしたのだが、予約できず、それなら昼食でも、
    お茶でもいただこうと再訪したのだ。

    現在ミシュラン2星、ドイツランク22位のグルメレストランを持つ古城ホテルである。
    ニュルンベルクの東90km、Oberpfalzオーバープファルツ地方の北、森に囲まれた、
    静かな場所に素晴らしい古城ホテルがある。

    折角訪れた古城ホテル ヴェルンベルク城もちょっぴり残念な気持ちと
    共に古城周辺を散策してから、13:00に出た

    XXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • フランケン:アイルス谷の真珠と謳われるラーベンシュタイン城は”カラスの城”の異名がある。

    投稿日 2018年08月17日

    ブルク ラーベンシュタイン その他の都市

    総合評価:4.5

    2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
    5月 10日 (木) ~5月 24日 (木) :13泊+機中1泊=14泊15日間の旅

    2018年5月13日(日)、5月14日(月)2泊 
    Burg Rabenstein古城ホテル ラーベンシュタイン城

    古城ホテルに8泊したが、最も気に入った古城ホテルの一つだ。
    2009年には同じように2泊の予約を希望したが予約できず、城内博物館、
    ゾフィーエンヘーエ鍾乳洞の観光などをしただけだった。
    是非次回は泊まろうと思っていたが、ドイツの春の旅を計画し、
    フランケン地方の旅に決めた一つの理由がこの古城ホテルである。

    4星・全22室。Kurfuerst選帝侯の名が付いた4階406号室、
    StandardDZ・Euro158X2=316(朝食込み:42,116円)。
    古城らしい部屋の雰囲気も良く、十分に広い。浴室も広い上にバス・
    シャワーが機能的であった。

    選帝侯の名が付いた406号室は古城の突端にあるようだ。窓の外を見ると
    はるか下にアイルス谷、先ほど走って来た道路も見えた。
    水0.5L2本が2日間ともサービスあって手厚いものだったが、困るわけではないが
    TV(私は使用しないが、近年流行りのWifiが代用するからとレセプションの女性
    が言う)、浴用ガウン、スリッパは無かった。
    枕上に羊のグミが置かれていた。
    Fraenkische Schweizフランケン・スイス地方の64haの広大な自然のパラダイスの
    真中に古城ホテルが立っている。アイルス谷にある岩壁上に高々と立つ姿は
    “Die Perle im Ailsbachtalアイルス谷の真珠”と讃えられる。

    この城の最も古い部分は、12世紀のヴァイシェンフェルトの騎士が猟の際に
    待ち伏せ所を造ったのが、元々の始まりだと云われている。
    この当時にラーベンシュタインの騎士がこの城の築城を任されて、
    今に残るRabenカラスの紋章を使用したと文献にある。
    カラスが付いたラーベンシュタイン城の紋章は大変珍しい。
    Rabeラーベはカラスの意味(悪人や、強い男の転意もあり)です。
    Rabesteinラーベンシュタインには刑場・・・腐肉を食べにカラスが集まる場所
    と云う意味もあるそうですから、古城の名前も大変なものなのです。

    16時チェックイン、11時チェックアウト。

    又、城内見学、Sophienhoehleゾフィーエンヘーエ鍾乳洞や
    Falknerei鷹匠の実演(80羽を所有する)も見ることができる。
    Falkenshow鷹匠のショー見学火~日15時のみ、
    鍾乳洞見学火~日10:30~17:00
    城内見学火~金11:00、14:00、16:30、土日・祭日11:00~17:00

    XXXXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    12,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    5.0
    バスルーム:
    5.0
    ロケーション:
    3.5
    客室:
    5.0

jijidarumaさん

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33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

行ってみたい場所

ドイツ

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