jijidarumaさんのクチコミ(22ページ)全662件
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ドナウエッシンゲン:歌人・斎藤茂吉の歌碑があるドナウの泉(本家)と48km先のドナウの源泉(元祖)の争い
投稿日 2016年01月17日
総合評価:3.5
【フュルステンベルク侯爵家の城として知られるSchloss Donaueschingenドナウエッシンゲン城とドナウの源流、歌人・斎藤茂吉の歌碑について】
1723年にフュルステンベルク侯に依って建設されたドナウエッシンゲン宮殿の左手にDonauquelleドナウの泉(本家)があって、泉の傍に歌人・斎藤茂吉*(“ドナウ源流行”を著した。)の碑が立っている。
泉の水はきれいなもので、藻が生えているが、いろんな場所から水を噴出しているのが良く分かる。
この泉から流れ出る水はBrigachブリガッハ川に注ぎ、町外れで、フルトヴァンゲンから流れ出てくるBregquelleブレーク川と合流し、此処から正式なDonauドナウ川となる。
地勢的には48km先のブレーク川源泉が正式なドナウ川源泉(元祖)と思うが、どちらの地元とも、自らの正当性を主張して譲らないそうだ。
従って、全長2840kmなのか、2888kmがドナウ川の距離なのかは、地元では決着のつかない大きな問題なのだと云う。
*歌人・斎藤茂吉の碑については山形県上山市のHPに下記のように出ていました。
上山市で生まれ育った歌人・斎藤茂吉は、大正11年から13年までヨーロッパに留学しました。はじめに留学したオーストリアのウィーンで見たドナウ川に、彼がこよなく愛したふるさとの母なる川「最上川」に通じる強い印象を受け、いつかドナウ川の源流を訪ねてみようと心に誓うのでした。
その後、ドイツのミュンヘン大学へ移った茂吉は大正13年4月、休暇を利用してかねて強く望んでいたドナウ川源流の地を求めて川をさか上りました。
そして、源流の地「ドナウエッシンゲン市」にたどり着いた茂吉は、同地に滞在して歌を詠み、後日、「ドナウ源流行」を綴ったのでした。
この斎藤茂吉の紀行を縁として、平成7年(1995年)3月21日、友好都市の盟約を締結しました。さらに、ドナウエッシンゲン市は、ドナウ川源流の地として知られているばかりでなく、世界的な保養地として有名な西ヨーロッパ最大の湖「ボーデン湖」や温泉保養地バーデン・バーデンに近く、数多くの観光客が訪れること。
さらに、世界的に権威のある国際馬術競技会や国際音楽祭が開催されるなど、スポーツや文化活動が盛んで、古くから温泉観光地としてにぎわってきた上山市と共通点が多いことも理由のひとつとなっています。
上山市とドナウエッシンゲン市との友好都市盟約締結5周年を記念して、2000年(平成12年)10月6日、ドナウエッシンゲン市内にある大河ドナウの源泉「ドナウの泉」に斎藤茂吉の歌碑が建立されました。
これは、両市の交流が始まるきっかけとなった斎藤茂吉の業績を顕彰し、両市の末永い友好を誓い、ドナウエッシンゲン市の協力を得て上山日独友好協会と上山市が建立したもので、茂吉の歌碑は日本全国に数多くありますが、海外では初めてのものです。日本人観光客はもちろん、世界中からの観光客が「ドナウの泉」を訪れた際、興味深く歌碑を見ていきます。
...............................
※歌碑に刻まれている歌(茂吉が大正13年4月にドナウ川源流で詠んだもの)
「大き河 ドナウの遠きみなもとを 尋(と)めつつぞ来て 谷のゆふぐれ」
選歌と書体の指定は、ご子息の斎藤茂太氏によるものです。
なお、歌碑には歌のドイツ語訳と茂吉の業績(左下)、
盟約締結5周年を記念して建立する旨(右下)の
ドイツ語が刻まれています
XXX
ついでに言えば、
ドナウ源泉(元祖)のある町Furtwangenフルトヴァンゲンの
小高い丘の上にある教会から、源泉はさらに3km遡る所だ。- 旅行時期
- 2016年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
-
ライプツィヒ:ニコライ教会はベルリンの壁崩壊のきっかけとなった所
投稿日 2019年07月14日
総合評価:4.0
<かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る>
期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間
5月19日(木);快晴、ライプツィヒで夕立ち、20℃、 153km
起床7:00、朝食8:00~8:30、Querfurt/ Schloss Loderslebenを9時に出発 ->L? 7km Querfurt・Burg Querfurtに9:15着 ;市内観光~10:00 ->B180(ザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道)26km Freyburg (Unstrut)・Schloss Neuenburg10:40着 ;城内観光~12:40 ->B176・L? 28km 13:20 Merseburgメルゼブルク;市内観光~14:30 ->B181 36km Leipzigライプツィヒ;市内観光~17:00 ->B2・B95 56km Kohren-Sahlis/Gnandstein 18:10ホテルに到着。夕食;Burghotel Gnandstein 19:15~20:30。⑦⑧Gnandsteinグナンドシュタインに<2泊>。
<Nikolaikircheニコライ教会>
ニコライ教会はライプツィヒで最大最古の教会。
トーマス教会とともにバッハが主に活動した所で、重要なバッハの作品はここで初演されたと云われている。
また、この教会は1989年のベルリンの壁崩壊、東西両ドイツの統一の端緒となった“平和的改革“のデモの発端となった所としても、知られている。
“元祖・月曜デモ”の生みの親となっ たChristian Fuehrerクリスチャン・フューラー牧師(5 March 1943 – 30 June 2014)である。
教会内に入ると、大きなパイプオルガンや 天井のヤシの木型の文様と柱が目立った。
・・・・・- 旅行時期
- 2011年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
ベルギー・ワロン地方で最もすばらしい城と讃えられるモダーヴ城
投稿日 2019年07月16日
総合評価:4.5
<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間
10月22日(火);234km 晴れ。
ナミュールの東35km、Huyユイの南東10kmにモダーヴ城がある。
この日一番の収穫、時間をかけて見た甲斐があった。
Modaveモダーヴ:<Chaeteau de Modaveモダーヴ城>
この旅24番目の城
モダーヴ家、オートペンヌ家、サン・フォンテーヌ家が暮らした13世紀に遡る中世の城郭部分を利用しつつ、1651年、城郭の一部がロレーヌ軍によって破壊された為、1658年にマルシャン伯が全面的にフランス様式に改築した城で、峨々たる懸崖に威容を見せている。
1941年から、ブリュッセルの市町村間水道会社(Vivaqua)が所有している。
この一帯は自然保護区(450ha)になっており、首都のブリュッセルまで、ここを源泉とするきれいな水が送られているのだそうだ。
自然の土地の傾斜を利用した独特の供給システムはいまもって、十分に機能しているのだと云う。
【モダーヴ城内博物館見学】
開館時間:4/1~11/16、12/25前後の数日間、1/1の9:00~18:00
シニア入場料;Euro13+日本語説明書5=18(1,845円)
14:35~15:35
博物館は素晴しいもので、日本語オーディオガイドも分かりやすい説明でありがたかった。地下室を含め、21室を見学した。
事務の女性も少々日本語をしゃべるから、日本の観光客も多いのだろう。
①衛兵の間:
城の中央扉を押して入った所が大広間になっている。ここを衛兵の間と称している。騎士の浮彫など内装も素晴らしく、なかでもジャン・クリスティアン・アンシュによるマルシャン伯(32貴族)の家系図をあらわした135㎡の天井スタッコ彫刻がすごい。
これは西欧でも唯一の作例だそうだ。
暖房器具を隠している大理石の家具は見事な紋章や彫刻が見られる。
また、大きな黒大理石の暖炉は他では見ない。
②青の間:貴賓の宿泊所。18世紀の若い美しい女性の肖像画。
③ゴブランの間:大広間。17世紀ブラッセルのタペストリーはシーザーの事歴を描いた。
④ヘラクレスの間:英雄ヘラクレスの生涯を描いたスタッコ彫刻が特筆ものだ。
⑤小広間:17世紀、天井のスタッコは紋章の装飾。4隅に4頭の一角獣の彫刻がある。
⑥家族の間:控えの間。昔の景色を描いた5枚の絵画が飾られている。
⑦公爵の間:18世紀の装飾、花輪を持つ天使達が美しい。
⑧公爵のテラス:オユー川の谷間を見下ろす、素晴しい眺望のテラス。
テラスに出てみると、この城が岩盤上に立ち、城の下は60mという深い谷(Hoyouxオユー川)になっているのがよく分かった。
⑨絵画の間:18世紀の風景画ばかり。
⑩浴室・トイレ付:リエージュ様式の羽目板。
⑪女主人の間:かつてはクロークとして利用されていた小さな部屋を19世紀に寝室に改装した。金のスタッコ、花唐草模様が優美である。
⑫ルイ15世の間:19世紀の遊戯室兼喫煙室だとか。
⑬正面大階段:2階への階段には大きなタペストリーと豪華なクリスタル製シャンデリア。
⑭ルイ14世の間:1870年代のエルツのローズウッドのピアノがある。
⑮図書室:
⑯公爵夫人の部屋:モンモランシー夫人の肖像画がかかる部屋。
⑰礼拝堂:19世紀にあたらしく改装した新古典様式の礼拝堂。
⑱丸い塔:5階まで続く樫材の螺旋階段がある。
⑲地下:台所設備、牢獄、17世紀、城内に谷から水をあげた供給システムの模型など。
その他、18~9世紀の各種調度・家具やモダーヴ城オリジナルのジアン窯ファイアンス陶器のコレクションも興味深い。
古城ホテルは全22室、レストラン・カフェテリアが有るそうだが、中には入っていない。
・・・・・・・・・・・- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.5
-
ベルギー・アメイ:ジュエ城は面白い格子紋様のファサードを持つ水城
投稿日 2019年07月15日
総合評価:3.5
<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間
10月22日(火);234km 、22℃と汗ばむような暖かい一日だった。晴れ。
*7:00起床、朝食(8:30 ~9:00)後、朝食後、9:35にオランダBerg en Terblijtベルグエンテルブレイトをスタート。 ->L?・N587・N595・L? 16km Wittemヴィッテム ->L?・N595(Aachenアーヘン)・B57・A25(ベルギーのLiegeリエージュ)・L? 137km Amayアメイ・Chaeteau de Jehayジュエ城
ベルギーはと言うと、道路のアスファルト状態がオランダと比べ更に悪く、所々、ボコボコして、高速で走るには怖い。
高速の上限が時速120kmで制限されているのも納得です。
アメイには13時ころに着いたが、ジュエ城の場所が分からず、時間がかかった。
殆どベルギー語(ワロン語)だけを話すお爺さん、小母さん、青年の3人に聞いた。・・・と言っても旅の行程にChaeteau de Jehay 1, rue du Parcの名前と住所が書いてあるので、それを示して、聞くのだ。
お互いジェスチャーを交えてだが、これが意外と分かるから不思議だ。
さて駐車場に着いてみると、オランダナンバーの小父さんが、ここが開いていると自分の駐車場所の隣を指示した。
それから“折角来たのだけど、残念だね!城門がしまっている。
2時半から開門だそうだから、1時間はまたなくては・・・”と言い、ご本人は帰ってしまった。
Amayアメイ:<Chaeteau de Jehayジュエ城>
この旅23番目の城
13:30~13:45
BE-4540 Amay 、1, rue du Parc
Tel: +32(0)85 31 17 16 、Fax:‐32 84 64
リエージュの南西20kmにある。
水濠に格子紋様のファサードを映す姿がロマンチックで印象的な城である。
現在の城館はヘルマン・ド・サール家が16世紀に建てた。
18世紀に城を所有したヴァン・デン・ステーン家は内装に大規模な変更をもたらした。
1860年には中庭をネオゴシック様式に変更し、この中庭にはさらにベルギー王室のお抱え建築家アルフォンス・バラの装飾が加えられている。
家具、食器、タペストリー、絵画等の豊かなコレクションも興味深く、数々のブロンズ像を配したイタリア庭園も素晴しいと云う。
開館時間:5~9月の土日11:00~18:00、6月の水14:00~17:00、7~8月の火~金14:00~18:00、9月の火~水14:00~17:00、団体は予約により4~10月可。
10月の個人客の事を書いていないので、見学可能か不安であったが、結果的に見る事は出来なかった。
私共もせめて周辺だけでもと、面白い格子紋様のファサードを持つ水城を濠の外から眺めて回った。それから、次の目的地・モダーヴ城に向かった。- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2019年07月16日
総合評価:3.0
<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間
10月22日(火);234km 、22℃と汗ばむような暖かい一日だった。晴れ。
*7:00起床、朝食(8:30 ~9:00)後、朝食後、9:35にオランダBerg en Terblijtベルグエンテルブレイトをスタート。 ->L?・N587・N595・L? 16km Wittemヴィッテム
旅は今日が9日目で、これからは日が経つのも早い。
今日最初の城であるヴィッテム城は宿泊ホテルから16kmの距離にあったので、ここで昨日の夕食の機会を得たいと思っていた。
当日は月曜日、ここのレストランの営業日は火~日(12~20時)と知り、断念していた。
尤も昨日のように道に迷っていたのでは、近くても夕方からの夜の遠出は難しかっただろう。
ヴィッテム城を訪ね、城内見学の可否を聞くと、不可だと言う。
(客のあしらい方が下手だ!)仕方なく、周辺のみの散策に留めた。
庭には大きなプラタナスの木(スズカケの木)が黄葉していたが、なかなか見栄えのある古城だった。
<Kasteel Wittem古城ホテル カスティール ヴィッテム城>
この旅22番目の城
10:00~10:20
Nl-6286 AA Wittem 、Wittemer Allee 3
4星・全12室。
Maastrichtマーストリヒトの南東にある古城ホテル。
11世紀築城の城館は歴史を遡ると古く、現在、この城はオランダの国家遺産になっている。かつて一時的にドイツのバート・アロルゼンにあるFuerstentum Waldeck-Pyrmontヴァルデック・ピルモント侯の家族が所有していた時もある。
この旅の最初の時期に出て来る、あの山上のヴァルテック城主の末裔である。
この事もあって、訪ねたのだが・・・。
1968年、ファルケンブルクのPeter Ritzenペーター・リッツツェンが城を購入し、大改装して、ホテル・レストランをオープンした。
1977~1989年の間、レストランはミシュラン1星の評価を得ていたこともあるが、今はその面影は無く、むしろ近郊のミシュラン星付きのレストランと提携し、グルメ希望のお客をそこに送迎するアレンジメントをしている。
リッツツェン家は2009年半ばからホテル・レストランの売却を希望し、2011年にRonald ロナルドと Silviaシルビア夫妻が現在の所有者になっている。
・・・・・- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
ライプツィヒ:ナポレオンに勝利した象徴として建てられた諸国民戦争記念碑の巨大なことに圧倒された。
投稿日 2019年07月15日
総合評価:4.0
<かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る>
期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間
5月19日(木);快晴、ライプツィヒで夕立ち、20℃、 153km
起床7:00、朝食8:00~8:30、Querfurt/ Schloss Loderslebenを9時に出発 ->L? 7km Querfurt・Burg Querfurtに9:15着 ;市内観光~10:00 ->B180(ザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道)26km Freyburg (Unstrut)・Schloss Neuenburg10:40着 ;城内観光~12:40 ->B176・L? 28km 13:20 Merseburgメルゼブルク;市内観光~14:30 ->B181 36km Leipzigライプツィヒ;市内観光~17:00
Voelkerschlachtdenkmal Leipzigライプツィヒ諸国民戦争記念碑:
ライプツィヒ市内の地下駐車場から出て、来た道を戻り、南に向かって数kmで、
突然お目当ての巨大な塔が前に見えてきた。ライプツィヒ諸国民戦争記念碑である。
山勘で走ったのだが、上手く当たった。
ちょっと停車して、凄さに圧倒されながら写真を撮った。
当時のドイツにとって、ナポレオンに勝利した事が如何に大きかったかを
具現したものだ。
この諸国民戦争記念碑はライプツィヒの象徴として有名であると同時に
ドイツで最も大きい国立記念碑である。
死と自由のための巨大な殿堂は高さ91mで、旧ナポレオン司令塔からそれほど
遠くない所にある。
1858年から1913年にかけて建築家ブルーノ・シュミッツによって建設された。
ヨーロッパ連合軍がナポレオンに勝った1813年の決定的な勝利を記念するもので、
土台にある像は多くのドイツの戦争の際に守護聖人とされた大天使ミヒャエルです。
栄誉の殿堂のドーム天井の巨大な面には324個のほとんど実物大の騎士像が
描かれている。
www.voelkerschlachtdenkmal.de
*参考wiki・ライプツィヒの戦い(1813年10月16日 - 10月19日)
ナポレオン戦争における最大規模の戦闘で“諸国民の戦い”とも呼ばれる。
ライプツィヒ(当時のザクセン王国領)で、ナポレオン1世麾下のフランス・
ワルシャワ公国・ライン同盟諸邦軍19万と、プロイセン・ロシア帝国・
オーストリア帝国・スウェーデンの連合軍36万の間で戦いが行われた。
3日間の激戦の末、圧倒的な兵力差の前にフランス軍は敗北した。
フランス軍は4万以上の死傷者を出し、一方の連合軍も5万以上の死傷者を出した。
この戦いの結果、フランス帝国のライン川以東での覇権は終焉を迎え、
ナポレオンのドイツ支配が終わった。同時にライン同盟*は崩壊し、
多くのドイツ諸邦が連合軍に加入することになる。
この事は皇帝ナポレオンの退位の契機になった。
(2011.08.18.編集)
*ライン同盟は1806~1813年の7年間、ドイツ(当時の神聖ローマ帝国)に
フランス皇帝ナポレオン1世の圧力により成立した国家連合である。
ナポレオンは1806年7月25日、神聖ローマ帝国内のドイツ諸侯を神聖ローマ帝国
から離脱させ、フランスと同盟を組ませました。
ナポレオンの敗退とともに解体した。
ライン同盟の主たる構成国にはバイエルン王国、ヴュルテンベルク王国、
ザクセン王国、ヴェストファーレン王国、バーデン大公国、
ヘッセン・ダルムシュタット大公国、ヴュルツブルク大公国、
マインツ大司教領などである。
・・・・・・・・・・・・・・・- 旅行時期
- 2011年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
“ヒキガエルの水溜り”の異名を持つ古城ホテル フーゲンポエト城に今回で3度目の宿泊をした。
投稿日 2019年07月03日
総合評価:4.5
“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。
期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅
7月26日(日) 晴時々曇り 18~25.5℃ 229km
フランクフルト近郊のKelkheim (Taunus)ケルクハイム・レッタースホーフ城から、Essen-Kettwigエッセン・ケットヴィッヒ・Hotel Schloss Hugenpoet古城ホテル フーゲンポエト城まで、途中の工事中による渋滞で6時間弱(普通は2時間ほど)かけて走った。
古城ホテル フーゲンポエト城には2014年05月21日(水)に1泊したから、一年ぶり3度目の宿泊になる。
私共にとってはドイツ時代の若かった頃の思い出と共にこのホテルがあり、相変わらず、古城ホテル フーゲンポエト城の雰囲気はいまだ十分に好ましく、魅力的なのだ。
⑬7月26日(日)(1泊)Hotel Schloss Hugenpoet 古城ホテル フーゲンポエト城:
5星・全31室。Classic DZ im Schlossは3階のNo.26(30㎡) =>Euro175.5+朝食は私だけ25 =200.50(27,939円)。お値段は一番安いレベルを選んだ。
無料の水0.5L、浴用ガウン、スリッパあり。
チェックインをして案内された部屋は3階の右塔内にある2つの部屋の左手26号室・庭園側ビューでした。
クラシックな色合いの良い部屋、大きなダブル、浴室は2泊したレッタースホーフ城より広く十分なもので、5星らしい時代物の家具、納戸風クロゼットには貸金庫、ミニ冷蔵庫もあり、急な雨用に傘もしっかり用意されている。
室内のテーブルには再びのご来訪を歓迎すると言うメッセージと共にクッキーが置かれ、テーブルの花が造花だったことを除けば、気分は良し。
Hugenpoetフーゲンポエトとは“ヒキガエルの水溜り”という意味で、この古城ホテルは大変珍しい名前がついている。美しい公園に囲まれ、堀が周囲をめぐる17世紀の古城はかつてRuhrルール川に沿った沼地に建てられた水城でした。
部屋の窓は2つで真下にテラスレストランが見え、四方が森に囲まれているのが分かる。
フーゲンポエト城の歴史としては、前回の口こみに抜けたことを下記する。
1995年にはFamilie Luebbertリュッベルト家がホテル経営を担ったが、2013年の12月に倒産の危機に面し、同月、新たにMaximilian Freiherr von Fuerstenberg マキシミリアン・フュルステンベルク男爵(当時41歳)が経営に乗り出し、2015年にホテル創業60周年の区切りの年を迎える。
尚、フュルステンベルク男爵家はヴェストファーレン・Kreis Soestゾースト地方から出た有力貴族であり、2013年10月17日に1泊したBurg Schnellenbergシュネレンブルク城(Sauerland ザワーラント、1594以来所有)やミシュラン1星のレストランがある Schloss Loersfeldレルスフェルト(ケルン近郊Kerpenケルペン、1819年以来所有)など、15余の古城の所有者である。
・・・・・・・・・・・・・- 旅行時期
- 2015年07月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 15,000円 未満
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 4.5
- バスルーム:
- 4.5
- ロケーション:
- 5.0
- 客室:
- 4.5
-
オランダ・ファルケンブルクにあるホテルのレストランは月曜日でも満席で、人気のお店のようであった。
投稿日 2019年07月02日
Fletcher Hotel-Restaurant De Geulvallei ファルケンブルグ
総合評価:3.5
<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間の旅
10月21日(月);201km 、18℃、曇り後晴れ。
この日、宿泊先の古城ホテル カスティール ゲウルティヒト城・
ハンプシャー クラシックは朝食のみで、夕食用のレストランが
無かった為、近くのホテルまで出かけて行った。
<夕食:Fletcher Hotel-Restaurant De Geulvallei
フレッチャー ホテルレストラン ・デ・ ゲウルヴァレイ>
NL・6301 KC 、Houthem St. Gerlach(Valkenburg)、
Onderstestraat 66
17:30~19:30
3星・全39室。フレッチャーグループの傘下ホテル。
中に入り、聞いてみるとこちらも6時から食事だそうで、それまで30分、“ビールでも飲んでお待ちなさい。”と、若い給仕が言う。
メニューはオランダ語のみで、給仕のつたないドイツ語の説明を何とか聞きながら、料理を注文したが、出てきたものはそう違いは無かった。
2品料理;
飲み物は地ビールのJupiler0.33LX2。
①スープ:私は茸のクリームスープ、家内はトマトスープ。
②メイン:私のは仔牛のカスラー風、人参とジャガイモのピューレ添え。
家内はホウレン草、蕪、ズッキーニ入りクリームパスタ。
今夕の御食事代はEuro55(5,638円)です。
レストランは何時の間にか、満席になっていて、人気のお店のようであった。
・・・・・- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
かつてジュリアナ女王が度々訪れた由緒あるホテル プリンセス ジュリアナの面影はない
投稿日 2019年06月30日
総合評価:3.5
2013年秋(10月14日(月)~10月28日(月)15日間)、ドイツとベネルックスの旅はドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡った。
<10月21日(月);201km 、18℃、曇り後晴れ>
デーレンブロエック城で30分ほどお茶をして、更に100kmを走り、Valkenburgファルケンブルク(フォルケンブルグ)の町(人口17千人)に入った。
ファルケンブルクはMaastrichtマーストリヒト(城塞都市)の近郊にあり、Geulゲウル川(全長58km・マース川の支流;ベルギーではムーズ川という)沿いの保養地としても知られている。
2013年、閉業中のHotel Prinses Julianaホテル プリンセス ジュリアナ(=ユリアナ)を見ることになって、ガッカリした記憶がある。
この日、A2・A79・N590と少し遠回りだが、この町に思い入れもあり、立ち寄ってみた。街のメイン通りを行くと、懐かしいHotel Prinses Julianaホテル プリンセス ジュリアナ(=ユリアナ)が見えた。3星・全15室と小ぶりだが、オランダ女王ジュリアナが若い頃、度々、このホテルに滞在した由緒あるホテル。
アレ!つぶれてしまっている!あの瀟洒な館も貸部屋になっている様子だ。
グルメレストランでの美味しいフレンチ料理、道路の反対側にあった館に宿泊して、ファルケンブルクの洞窟を見学したのはもう30年以上も前の事だ。
どうしたのか、由緒あるホテルなのに残念な事だと思った。
今回調べてみると、かつてのホテル プリンセス ジュリアナと同じ場所に復活したホテル(さすがにプリンセスの名を取ったが)があった。
以下がそれである。
<Hotel Restaurant Juliana ホテル・レストラン ジュリアナ
(正式名はJuliana Restaurant Hotel & Garden Club)>
Broekhem 11, 6301 HD Valkenburg
https://www.juliana.nl/en
3星・全12室(部屋数が減ったのは別館が無いためのようだ)。
客室は最近改装済みと云う。4500㎡の庭園が素晴らしい。
ホテルやレストランはモダンな様子に変わっている。
マーストリヒト市まで12.4km、マーストリヒト・アーヘン空港まで10.4kmと便利な位置にあるのだ。
・・・・・- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
ミヒェルシュタット:オーデンの森の”真珠”の名にふさわしい景観がある。
投稿日 2019年06月18日
総合評価:5.0
Michelミヒェルは“大きい”の意味。昔は大きな町だった?
この魅力的な町ミヒェルシュタットはオーデンの森の北部にある。
駐在時に夏の休暇旅行などで寄った町で、定年後のドイツの旅でもまた訪れた。
オーデンの森の”真珠”の名にふさわしい木組み建築の家並みが町中に見られ、徒歩で回れる小さな、魅力ある町だ。
市庁舎に面したマルクト広場には、レストランがテーブルを出し、多くの観光客がお茶を楽しみながら談笑している。
夏の休暇シーズンになると、この広場はこの季節に最もふさわしいゼラニウムの花々で美しく飾られてしまう。
泉(噴水)もあり、正義の女神が立つ泉の周りにゼラニウム、窓辺がゼラニウムの花で美しいドレスナー銀行(ドイツ三大銀行の一つ)があり、マルクト広場を中心にした小ぢんまりと纏まっていて、見物しやすい。
・・・・・- 旅行時期
- 2007年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 2.5
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
-
デュッセルドルフで見るライン川は源泉から743kmの距離にある。
投稿日 2019年06月24日
総合評価:4.0
“父なるDer Rheinライン川”は全長1320kmに及び、古くから交通の要所であった。
「中ライン川」流域の都市コブレンツはラインの源泉から半分近い591km、ドイツ第一の商業都市のデュッセルドルフは743kmの距離にある。オランダの河口までさらに282kmを流れて行く。
写真は1975年の頃から、2016年の秋の旅で撮ったものを入れた。
・・・・・
因みにライン川についてWikiを参考に簡単に纏めている。
ライン川はまず、アルプスラインと呼ばれる二つの原流をもち、一つはスイスの標高2344mにあるトーマ湖を源流とする「前ライン川」であり、もう一つは同じスイスのラインヴァルドホルン山(3405m)から流れ出る「後ライン川」である。この二つの源流はライヒェナウで合流し、リヒテンシュタイン公国を横切り、スイスとオーストリーの国境沿いを流れていき、アルテン・ライン近くでボーデン湖(面積539万平方キロ、アルプス山系などから約200の河川が流れ込む。ライン川の水量調整湖)に注ぐ。
此処からは「高ライン川」と称し、スイス領のシュタイン・アム・ラインでドイツとスイスの国境沿いに流れていく、途中ラインの滝(20mの落差)を過ぎ、コブレンツでアーレ川に合流する。此処からは「上ライン川」と呼ばれ、バーゼルを経由し(この辺りまでで、300km)、独仏国境線沿って流れていく。シュトラースブルグ、ドイツ国内に入って、カールスルーエ、ヴォルムス、そしてマイン川との合流点マインツに至る。「中ライン川」はマインツからローレライ、コブレンツ、ボンと続き、ハイライトたる「ロマンティシャーライン・世界遺産登録(ビンゲンからコブレンツ間60km)」があり、三十近くの城塞、美しいブドウ畑、中世の街並みが最も楽しめる区間である。コブレンツではモーゼル川と合流する。ボンから先の下流370kmはケルン、デュッセルドルフなどの大都市を抜け、エメリッヒでオランダに入る。これを「下ライン川」と称する。
オランダに入ると、ライン川はワール川、マース川等のいくつもの支流に分かれて、ロッテルダムの先で、通称“オランダの角”で北海に注ぎ込んでいく。
・・・・・・・- 旅行時期
- 2016年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
デュッセルドルフ:Schlossturmシュロスの塔は現在、船舶博物館になってしまった。
投稿日 2019年06月22日
Schifffahrt-Museum im Schlossturm デュッセルドルフ
総合評価:3.0
<デュッセルドルフのSchlossturmシュロスの塔(現在は船舶博物館)>
D-40213 Duesseldorf 、Burgplatz 30
2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
10月27日(木) 23km、今日もすっきりしない曇り、11.5~13.0℃
デュッセルドルフの旧市街を訪れると、ライン川畔のBurgplatzブルク広場には「シュロスの塔」が、昔のまゝに立っているが、その傍に大きな観覧車が場違いの如く立っている。それさえ無ければ、このあたりは1980年年代の昔と変わらぬ様子なのだが。
「シュロスの塔」の歴史は、対象が塔だけであるし、それも船舶博物館になってしまったので、かつてもあまり興味を持っていなかった。それで歴史も知らなかったのだが。
・・・
デュッセルドルフの調査によると、1288年に市城壁外にライン川に沿って城塞が築城されていたと云う。
1400年頃、都市の発展によって、城郭はさらに拡大された。
16世紀には、Vereinigte Herzogtuemer Juelich-Kleve-Berg ユーリヒ・クレーフェ・ベルク公国(神聖ローマ帝国の北西部の諸邦の連合体として成立した。ノルトライン・ヴェストファーレン州に存在した公爵領、伯爵領の連合体の総称)がデュッセルドルフ城を居城とした。城は市側に2つの強大な塔を持つ代表的な三翼の城郭に拡張された。
1552年、城の北東に丸い(シュロスの)塔を完成させた。
17~18世紀には、城内はバロック様式で改装され、特に選帝侯の有名な絵画や彫刻など莫大なコレクションを収容するギャラリーの建物が建てられました。
1794年、フランス革命軍の攻撃では城は壊滅し、ライン川のほとりに廃墟のまま長い間うち捨てられていた。
1815年、プロイセン時代に再建されたものの、1872年の大火災は致命的で、城を解体し、広いライン川沿いの道路と造船所を建設することが可能になった。
ただ、プロイセン王室の命令で、丸い塔(シュロスの塔)だけが残された。
1943年、第二次大戦中の空爆で「シュロスの塔」が全焼した。
デュッセルドルフの市民にとっては、大戦前から市民のシンボル的なランドマークであったから、市民たちは戦後直ちにシュロスの塔の修復と改装を行い、現在のような塔(Schifffahrtmuseum Dusseldorf船舶博物館)として蘇らせたのである。
1984年以来、「シュロスの塔」はライン川の船舶航行に関する特別なコレクションを展示している。
・・・・・- 旅行時期
- 2016年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.0
-
ミュンスターラントの水城の一つに古城ホテル フェーレン城がある。
投稿日 2019年06月20日
Hotel SportSchloss Velen その他の都市
総合評価:4.0
2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
期間 :2013年10月14日(月)?10月28日(月)15日間の旅
10月19日(土);177km 、17℃、晴れ、暖かい一日。
古城ホテル レンベック城を出発し、この日はHavikbeckハヴィックベックの三つの水城:Burg Huelshoffヒュルスホフ城、Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城、Haus Havixbeck ハウス ハヴィックベックから始める。
それに加えて、今日の予定の古城群はSchloss Velenフェーレン城、Burg Gemenゲーメン城、Schloss Raesfeldラエスフェルト城である。
<Sport Schloss Velen古城ホテル フェーレン城>
D - 46342 Velen 、Schlossplatz 1
http://www.sportschlossvelen.de/go/home
広い敷地で駐車場に行くのに、グルリと廻って行った。橋を渡ると、赤い蔦の葉が建物の壁に這っているのが目に入った。フェーレン城の本丸の右手には一の丸の建物が左右にあり、その先がこの城の城門・・・と言うほどのものでもないが・・・になっている。
ここまでの周囲は水濠に囲まれているので、水城だとよく分かる。
濠の先の左右にOrangerieオランジェリー(現在はレストラン)、Remiseレミーゼ(かつての馬車の車庫)と称する建物がある。
この古城ホテルを訪問するのは初めてだが、1988年に古城ホテルがオープンしているから、それも当然だ。
土曜日で城の内外に人も多いが、ここは古城ホテルにしてはSport Schlossスポーツの城と名前を付けているだけに、その為の施設も完備し、これに通う人も多いのだろう。
この日はミュンスターラントの水城の一つとして訪れたから泊まったわけではないが、豪華で明るい色調のレストランでお茶を楽しんだ。
古城ホテルとその歴史:
ホテルは4星S・全101室。
ミュンスター地方の水城の名前は890年ころからある神聖ローマ帝国男爵としての家系フェーレンからきている。
1240年頃にHermann I ヘルマン1世と息子Konrad コンラットにより現在でも見られる塔を備えたLの形のゴシック様式の小さな騎士の館を建てた。
16世紀、Hermann VIIヘルマン7世は礼拝堂を改装し、館の増改築を行った。
18世紀、Anna Theresia von Velenアンナ・テレジア・フェーレンはClemens August von Landsbergクレメンス・アウクスト・ランヅベルクと結婚し、この城の城主はFamilie Landsberg-Velen ランヅベルク・フェーレン家になった。
1931年4月に城は大火事で完全焼失してしまうが、1933?34年に再建し、庭園、オランジュリー、雉の飼育所などを作り直した。第二次大戦中は野戦病院や老人ホームに使用され、その後、1987年まで税関の学校に利用されていた。
1988年、改装された古城はホテルとしてオープンした。
・・・・・- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
ミヒェルシュタット:赤いとんがり帽子のドイツ最古の市庁舎は大変愛らしく、美しい。
投稿日 2019年06月18日
総合評価:5.0
ミヒェルシュタットはオーデンの森の真中にあって、“マイン川の真珠”と謳われるMiltenberg ミルテンベルグから33kmの距離と近く、中世の雰囲気を色濃く残した町で、現在の人口は17千人、古くから交易都市として栄え、今でも伝統工芸が盛んであり、特にドイツ象牙細工の中心地になっていると云う。
とりわけ、ドイツ最古の市庁舎として、ドイツの郵便切手(上の記念切手の写真)にもなったほど、ここの旧市庁舎(1484年、後期ゴシック様式の建築)は有名である。
赤いとんがり帽子の形状をした、二本の尖塔と中心に時計台がある市庁舎は木組み建築の小さな建物で、大変愛らしく、美しい。
1階がアーケード風になっているのも珍しく、その昔は土間で、各種の交易がなされたと聞く。
ミルテンベルグとミヒェルシュタットの二つの町はいずれも私にとってはお気に入りの町である。
・・・・・・・・- 旅行時期
- 2007年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
-
リューデスハイム:つぐみ横丁のワイン酒場は昼間から騒がしいが、ラインガウは見所多し。
投稿日 2019年06月12日
総合評価:3.0
2006.5.:“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間
5月16日(火) 曇り後徐々に快晴 18~28℃ 、 100km (ここまで、1711km)
この時はBurghotel Auf Schoenburg古城ホテル アウフ・シェーンブルグに泊まった(二泊)。
シェーンブルグ城を9:30出発。B9国道を走り、Pfalz・Kaubプファルツ・カウプでフェリーに乗ってライン川右岸へ渡った。この日はラインガウのKloster Eberbachエーベルバッハ僧院見学、Schloss Johannisbergヨハネスベルグ城でワインの使者像を見て、ライン川の眺望を楽しみながら昼食、それからNiederwaldニーダーヴァルトの展望台に初めて登り、ラインの眺望を楽しむ。1871年のドイツ統一を記念したゲルマニアの女神の像をじっくり見て、森の道を散策し、対岸のフンスリュック地方が見える展望ポイントまで行って、引き返す。さらに上手の森の中を車で少し走ると、初めて訪れるJagtschloss Niederwaldヤーグトシュロス・ニーダーバルト(狩猟城)でお茶をした。
最後にニーダーヴァルトの丘の下に位置する、Ruedesheimリューデスハイムを訪ねた。
人口1万人の町は“ラインの真珠”?!と呼ばれている。郵便局の前に駐車スペースがある。此処からDrosselgasseドロッセルガッセ(つぐみ横丁)もほんの一、二分と近い。
つぐみ横丁のワイン酒場や、土産物屋をのぞきながら、横丁を歩く。昼間からバンドも入って、騒がしい。一番インターナショナルな町かもしれない。
此処で楽しいのは横丁に軒を連ねるホテルやお店の看板を見る事で、何度も来ているが、不思議と、好みに合わない所為か一度も此処で飲んでいない。
バイエルン風の“錫製の壁掛け”(Euro23.4)を見つけて、土産に買った。
・・・・・- 旅行時期
- 2006年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
コブレンツ:モーゼル川とライン川の合流点ドイチェス・エックと対岸の“栄誉の砦”からの眺望は素晴らしい。
投稿日 2019年06月11日
総合評価:5.0
2006年05.13(土)エルツ城からドイツの角へ
Koblenzコブレンツはモーゼル川とライン川の合流点に発達した、---(“Deutsches Eckドイチェス・エックつまり、ドイツの角:ローマ人達はかつて、『アプド・コンフルエンテース---合流する川のほとり』と呼んでいたそうである。”---人口11万人の町。
紀元前14年に始まるローマ時代からの古い歴史を象徴する建物も多い。
ライン・モーゼルの合流点であるドイツの角から、ライン川の船の行き来を見ていると、大小の貨物船が下りは軽く、上りは重い船足で動いていく。
エックにはドイツの国旗を先端に掲げ、左右に各州の旗が風に、はためいている。広場の中心にドイツ皇帝ヴィルヘルム一世の巨大な騎馬像(二次大戦では米軍に破壊された)が立ち、足元の台座まで登れる階段を上がると、そこは展望台である。
そこから対岸にある、これも巨大なエーレンブライトシュタイン要塞が、すこぶる良く眺められる。
05.15(月)ライン右岸城巡り
コブレンツの対岸に位置している、今日のドライブの最終地である、Festung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞:“栄誉の砦”に上がる。
<Festung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞(“栄誉の砦”)>
10世紀から、戦略上、重要な要塞として存在していたそうで、1688年のルイ14世率いる、フランス軍の大軍が要塞を攻めたが、遂に落ちなかったと云う。
116mの丘の上は、19世紀のプロイセンによって、更に広大な要塞が形作られている。要塞には濠、厚い壁の城壁、州の博物館、ユースホステル、第一・二次大戦の戦死者の顕彰碑--現在でも外地で戦死した兵士を悼んで顕彰されているそうである。--などや、ライン川に面して、テラスレストランも設けられてある。
要塞からの見晴らしは、モーゼル・ライン川の合流の様子(Deutsches Eckeドイチェス・エッケ)などが手にとるように見えて、素晴らしいものだ。
フランス人夫婦にドイチェス・エッケをバックにした写真を頼まれたが、上手く撮れたかな?!お礼に彼も我々を撮ってくれました。- 旅行時期
- 2006年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
ライン川のフェリーは予想以上に多くあるが、、ビンゲン・リューデスハイム間が一番乗客も多い所だ。
投稿日 2019年06月10日
Bingen-Rudesheimer Fahrgastschiffahrt リューデスハイム
総合評価:4.0
ライン川のフェリーは予想以上に多くある。
私はコブレンツからはBoppardボッパルト、St.Goarザンクト・ゴアー、Oberweselオーバーヴェーゼル、Bingenビンゲンのフェリーを利用する事が多かった。
2016年10月、赤ワインの町Assmannshausenアスマンハウゼンの先にRuine Norigノーリッヒ城址のあるLorchロルヒがある。ここから対岸のNiederheimbachニーダーハイムバッハにAutofaehreフェリーで渡った(13:00、Euro5.6=722円、領収書の内容は車1台と運転手Euro4.3+同乗者1名Euro1.3とあった)。この時間になると、まだ風は冷たいが、晴れてきて車ごと乗せてライン川を横切っていくのは面白いし、両岸を結ぶ橋を探して渡るよりも大いに時間の短縮になる。
1983年8月ブラッセルから訪れた友人一家と一緒に渡ったフェリーはビンゲンからリューデスハイムに向かうフェリーでした。
特にビンゲンのフェリーがライン川観光船の船着場があるので、フェリーの乗客が最も多い所で、船も大きく、順繰りに左右の均衡を保たせながら、車の停車位置を割り振っていく。
車に乗ったまま、エンジンを切り、ブレーキをかける。フェリーは凡そ3分の乗車時間だが、ライン川を上り下りする運搬船、観光船を上手く避けながら進み、Ruedesheimリューデスハイムの桟橋に至る。
接岸とともに、エンジンをかけた車は船員の指示に従って、順次上陸して行く。
前方の高台にドイツ統一の記念碑・ゲルマニアの女神がニーダーバルトの丘に立っているのが見える。
・・・・・- 旅行時期
- 2016年10月
- 利用目的
- 市内・近距離
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 利便性:
- 5.0
-
ハン・ミュンデン:ヴェーザーの石碑には素敵な詩が刻まれている。
投稿日 2019年05月10日
総合評価:4.0
“北ドイツ周遊の旅”
2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
4月29 日 (金) 曇り時にシャワー11℃
時々、小雨の降る中、Hann. Muendenハン・ミュンデンの旧市街、木組みの家並みのLangeランゲ(長い)通りを通って、ヴェラ橋に行く。ここから見る水量は豊かに流れ、この先で、ヴェラ、フルダ、ヴェーザーといった三つの川の合流点にWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)が立っている。
ヴェラ川は全長300km。Thueringenテューリンゲンの森の奥深く、ZeupelbergツォイペルベルクとBlessbergブレスベルクに源泉があり、テューリンゲン、Hessenヘッセン、Niedersachsenニーダーザクセンの各州の都市Meiningenマイニンゲン、Eisenachアイゼナハ、Eschwegeエッシュベーゲ、Hann. Muendenハン・ミュンデンなどを流れ、ハン・ミュンデンでFuldaフルダ川(全長 220 km)と一緒になって、Weserヴェーザー川(全長452km)という新しい流れになる。
三つの川の合流点・ハン・ミュンデンの中州(Tanzwerderタンツヴェーダー島・・・広い駐車場がある)公園の先端に、大きなRosskastanienロスカスターニアン(マロニエ、トチノ木)があり、その下にWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)と呼ばれる記念碑が立っている。
ヴェーザーの石碑には素敵な詩が刻まれている。
Wo Werra sich und Fulda kuessen (ヴェラ川とフルダ川がキスをして)
Sie ihre Namen buessen muessen, (その償いにその名を捨てる)
Und hier entsteht durch diesen Kuss (そしてそのキスから生まれた)
Deutsch bis zum Meer der Weser Fluss.(ヴェーザー川がドイツを抜けて海・・
(Nordsee北海)・・へ向かう)
Hann. Muenden, d. 31. Juli 1899 :ハン・ミュンデン、1899年7月31日
因みにハン・ミュンデンの中州(川中島)と同じようなものは、ヴェーザー川流域の町々Hamelnハーメルン、Landesbergenランデスベルゲン、Bremenブレーメンなどに、大小様々な中州(川中島)がある。
・・・・・・・・・・・- 旅行時期
- 2005年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.0
-
第二次世界大戦中、シュトラースブルク大聖堂は独仏両陣営から象徴とみなされていた。
投稿日 2019年05月05日
ストラスブール ノートルダム大聖堂/尖塔/カラクリ時計 ストラスブール
総合評価:4.0
“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅
<ライン川を越えて、フランス・シュトラースブルク観光へ>
7月18日(土) 晴 25.5℃~31℃ 69km
Oberkirchオーベルキルヒ =>B28 (Appenweierアッペンバイヤー)・E52 39km フランス・Strassburgシュトラースブルク
≪カテドラル・Liebfrauenmuenster zu Strassburg(Cathe’drale Notre-Dame-de-Strasbourgノートルダム・ド・ストラスブール大聖堂)≫
10:40~11:15
アルザス地方のどこからでも見え、遠くはヴォージュ山脈やライン川の反対側にある黒い森からも見えるというが、まだ一度も見ていない。
ヴォージュ産の砂岩を建材として使っており、それによって外観が薄茶色を呈している。観光本ではバラ色、ピンク色をしていると云うのだが、どう見ても外壁は汚染されているようだ。
Ill (Elsass)イル川の運河に囲まれた旧市街地区は地盤が弱いため高さ142mの尖塔が片方しかない。その為か、その昔見た時は大きいなと思ったが、ドイツの左右にそろった尖塔を持つゴシック建築を多く見てしまうと、それほどには見えない。
第二次世界大戦中、シュトラースブルク大聖堂は独仏両陣営から象徴とみなされていた。ヒトラーは1940年6月28日にシュトラースブルクを訪問し、大聖堂を「ドイツ人民の国家的聖域」にしようとした。これに対し、仏軍のフィリップ・ルクレール将軍は1941年3月1日、「クフラの誓約」として「シュトラースブルク大聖堂の上に再び我々の美しい国旗がたなびくまで、武器を置かない」と誓った。
また、ドイツ軍はシュトラースブルク大聖堂のステンドグラスを74枚取り外し、ドイツ本国のハイルブロン近郊の岩塩鉱山に隠した。戦後、アメリカ軍がこれを発見し、大聖堂に返還したと云う。大聖堂にはこうしたエピソードに事欠かない。
聖堂内の見どころは
①からくり時計(Horloge astronomique天文時計):
聖堂内には人の人生を表現したからくり時計(天文時計・18世紀)がある。
からくり時計の高さは18m、8階建ての構造で、毎日12時半には上部キリストの前を12使徒が行進し、ニワトリが歌う。6~18時までは15分おきに死者の骸骨が現れる。
時計の前は観光客で徐々にいっぱいになる。12時半に動き出すからくり時計が目的のようだったが、そこまで見る気もなく、退散した。
②天使の柱 (Pilier des anges):
天文時計の傍にはゴシック彫刻の名作と称される“最後の審判”の様子が表現された支柱がある。
③ステンドグラスのバラ窓:
聖堂中央のファサードに大きなバラ窓(特にゴシック建築におけるステンドグラスで作られた円形の窓の事を言う)が見られ、模様と色彩がじつに美しい。
関連旅行記:
黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅⑫ライン川を越えて、フランス・シュトラースブルク観光へ
https://4travel.jp/travelogue/11073073- 旅行時期
- 2015年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2019年05月02日
総合評価:4.5
北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る
(2014年05月09日~23日 15日間)
05月19日(月)212km、朝方は曇り空、ヒルデスハイムは晴れ、13.5~22℃
<Hildesheimヒルデスハイム観光>
12:00~15:00
2005年4月26日に初めて訪れた。
駐在中の1970年代のAral観光本には掲載されているが、日本の観光本には載っていない。
1985年には世界遺産の町になっていたにも拘わらず。これほど魅力的な町なのだが、今もツアーの対象にはなっていないだろう。2003年の“地球の歩き方”にも無い。
日本の観光本では出てこない世界遺産の町でもあったヒルデスハイムは見所も多く、2014年の旅でも、もう一度行ってみたいと行程に入れることにした。
ヒルデスハイムは世界遺産【1985年登録】の町である。人口10万人。
州都Hannoverハノーファーから、南に30kmのヒルデスハイムは世界遺産のDom聖マリア大聖堂(872年創建、キリストの円柱、十字路回廊、千年のバラ)とSt.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会(1010年建設、エッサイの樹)で有名だ。
<マルクト広場と木組みの建造物>
14:00~~14:20
町の中心はマルクト広場にあり、周辺には石造の市庁舎(1268~1290年)、Rolandbrunnen 騎士ローラントの泉(1540年)、出窓の美しいTempelhausテンペルハウス(14世紀)、壁面が極彩色の細密な模様に描かれているルネサンス様式のWedekindhausヴェデキントの家(1598年)、Rolandhausローラントの家(14世紀)・・・今、税務署、貯蓄銀行の店になっている。
最も素晴しいKnochenhauer-Amtshausクノッヒェンハウワーアムツハウス(食肉・製パン協同組合)の高さは29m、ルネッサンス様式のギルドハウス(1529年)や Baeckeramtshausベッカーアムツハウス(1800年) がある。
天気の良い日は写真の映りも良く、木組みの建造物の色合いも良く撮れた。
面白いことに食肉・製パン協同組合の建物の右の側面は何時描かれたのか、現代風の絵が描かれていた。前回の時には気が付かなかったのだが・・・。
その他にもStadtschaenkeシュタットシャンケ(酒屋)とロココハウス、Wollenweber-Gildehausヴォーレンヴェバー・ギルデハウスなどの木組みの家があります。
戦後の瓦礫の中から、マルクト広場は1984年~1990年にかけて再建され、中世の雰囲気を持った建物をよくこれまでに復興させたものと思う。ドイツ人に脱帽です。
・・・・・- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5

































































































































