jijidarumaさんのクチコミ(22ページ)全659件
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“ヒキガエルの水溜り”の異名を持つ古城ホテル フーゲンポエト城に今回で3度目の宿泊をした。
投稿日 2019年07月03日
総合評価:4.5
“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。
期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅
7月26日(日) 晴時々曇り 18~25.5℃ 229km
フランクフルト近郊のKelkheim (Taunus)ケルクハイム・レッタースホーフ城から、Essen-Kettwigエッセン・ケットヴィッヒ・Hotel Schloss Hugenpoet古城ホテル フーゲンポエト城まで、途中の工事中による渋滞で6時間弱(普通は2時間ほど)かけて走った。
古城ホテル フーゲンポエト城には2014年05月21日(水)に1泊したから、一年ぶり3度目の宿泊になる。
私共にとってはドイツ時代の若かった頃の思い出と共にこのホテルがあり、相変わらず、古城ホテル フーゲンポエト城の雰囲気はいまだ十分に好ましく、魅力的なのだ。
⑬7月26日(日)(1泊)Hotel Schloss Hugenpoet 古城ホテル フーゲンポエト城:
5星・全31室。Classic DZ im Schlossは3階のNo.26(30㎡) =>Euro175.5+朝食は私だけ25 =200.50(27,939円)。お値段は一番安いレベルを選んだ。
無料の水0.5L、浴用ガウン、スリッパあり。
チェックインをして案内された部屋は3階の右塔内にある2つの部屋の左手26号室・庭園側ビューでした。
クラシックな色合いの良い部屋、大きなダブル、浴室は2泊したレッタースホーフ城より広く十分なもので、5星らしい時代物の家具、納戸風クロゼットには貸金庫、ミニ冷蔵庫もあり、急な雨用に傘もしっかり用意されている。
室内のテーブルには再びのご来訪を歓迎すると言うメッセージと共にクッキーが置かれ、テーブルの花が造花だったことを除けば、気分は良し。
Hugenpoetフーゲンポエトとは“ヒキガエルの水溜り”という意味で、この古城ホテルは大変珍しい名前がついている。美しい公園に囲まれ、堀が周囲をめぐる17世紀の古城はかつてRuhrルール川に沿った沼地に建てられた水城でした。
部屋の窓は2つで真下にテラスレストランが見え、四方が森に囲まれているのが分かる。
フーゲンポエト城の歴史としては、前回の口こみに抜けたことを下記する。
1995年にはFamilie Luebbertリュッベルト家がホテル経営を担ったが、2013年の12月に倒産の危機に面し、同月、新たにMaximilian Freiherr von Fuerstenberg マキシミリアン・フュルステンベルク男爵(当時41歳)が経営に乗り出し、2015年にホテル創業60周年の区切りの年を迎える。
尚、フュルステンベルク男爵家はヴェストファーレン・Kreis Soestゾースト地方から出た有力貴族であり、2013年10月17日に1泊したBurg Schnellenbergシュネレンブルク城(Sauerland ザワーラント、1594以来所有)やミシュラン1星のレストランがある Schloss Loersfeldレルスフェルト(ケルン近郊Kerpenケルペン、1819年以来所有)など、15余の古城の所有者である。
・・・・・・・・・・・・・- 旅行時期
- 2015年07月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 15,000円 未満
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 4.5
- バスルーム:
- 4.5
- ロケーション:
- 5.0
- 客室:
- 4.5
-
オランダ・ファルケンブルクにあるホテルのレストランは月曜日でも満席で、人気のお店のようであった。
投稿日 2019年07月02日
Fletcher Hotel-Restaurant De Geulvallei ファルケンブルグ
総合評価:3.5
<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間の旅
10月21日(月);201km 、18℃、曇り後晴れ。
この日、宿泊先の古城ホテル カスティール ゲウルティヒト城・
ハンプシャー クラシックは朝食のみで、夕食用のレストランが
無かった為、近くのホテルまで出かけて行った。
<夕食:Fletcher Hotel-Restaurant De Geulvallei
フレッチャー ホテルレストラン ・デ・ ゲウルヴァレイ>
NL・6301 KC 、Houthem St. Gerlach(Valkenburg)、
Onderstestraat 66
17:30~19:30
3星・全39室。フレッチャーグループの傘下ホテル。
中に入り、聞いてみるとこちらも6時から食事だそうで、それまで30分、“ビールでも飲んでお待ちなさい。”と、若い給仕が言う。
メニューはオランダ語のみで、給仕のつたないドイツ語の説明を何とか聞きながら、料理を注文したが、出てきたものはそう違いは無かった。
2品料理;
飲み物は地ビールのJupiler0.33LX2。
①スープ:私は茸のクリームスープ、家内はトマトスープ。
②メイン:私のは仔牛のカスラー風、人参とジャガイモのピューレ添え。
家内はホウレン草、蕪、ズッキーニ入りクリームパスタ。
今夕の御食事代はEuro55(5,638円)です。
レストランは何時の間にか、満席になっていて、人気のお店のようであった。
・・・・・- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
かつてジュリアナ女王が度々訪れた由緒あるホテル プリンセス ジュリアナの面影はない
投稿日 2019年06月30日
総合評価:3.5
2013年秋(10月14日(月)~10月28日(月)15日間)、ドイツとベネルックスの旅はドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡った。
<10月21日(月);201km 、18℃、曇り後晴れ>
デーレンブロエック城で30分ほどお茶をして、更に100kmを走り、Valkenburgファルケンブルク(フォルケンブルグ)の町(人口17千人)に入った。
ファルケンブルクはMaastrichtマーストリヒト(城塞都市)の近郊にあり、Geulゲウル川(全長58km・マース川の支流;ベルギーではムーズ川という)沿いの保養地としても知られている。
2013年、閉業中のHotel Prinses Julianaホテル プリンセス ジュリアナ(=ユリアナ)を見ることになって、ガッカリした記憶がある。
この日、A2・A79・N590と少し遠回りだが、この町に思い入れもあり、立ち寄ってみた。街のメイン通りを行くと、懐かしいHotel Prinses Julianaホテル プリンセス ジュリアナ(=ユリアナ)が見えた。3星・全15室と小ぶりだが、オランダ女王ジュリアナが若い頃、度々、このホテルに滞在した由緒あるホテル。
アレ!つぶれてしまっている!あの瀟洒な館も貸部屋になっている様子だ。
グルメレストランでの美味しいフレンチ料理、道路の反対側にあった館に宿泊して、ファルケンブルクの洞窟を見学したのはもう30年以上も前の事だ。
どうしたのか、由緒あるホテルなのに残念な事だと思った。
今回調べてみると、かつてのホテル プリンセス ジュリアナと同じ場所に復活したホテル(さすがにプリンセスの名を取ったが)があった。
以下がそれである。
<Hotel Restaurant Juliana ホテル・レストラン ジュリアナ
(正式名はJuliana Restaurant Hotel & Garden Club)>
Broekhem 11, 6301 HD Valkenburg
https://www.juliana.nl/en
3星・全12室(部屋数が減ったのは別館が無いためのようだ)。
客室は最近改装済みと云う。4500㎡の庭園が素晴らしい。
ホテルやレストランはモダンな様子に変わっている。
マーストリヒト市まで12.4km、マーストリヒト・アーヘン空港まで10.4kmと便利な位置にあるのだ。
・・・・・- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
ミヒェルシュタット:オーデンの森の”真珠”の名にふさわしい景観がある。
投稿日 2019年06月18日
総合評価:5.0
Michelミヒェルは“大きい”の意味。昔は大きな町だった?
この魅力的な町ミヒェルシュタットはオーデンの森の北部にある。
駐在時に夏の休暇旅行などで寄った町で、定年後のドイツの旅でもまた訪れた。
オーデンの森の”真珠”の名にふさわしい木組み建築の家並みが町中に見られ、徒歩で回れる小さな、魅力ある町だ。
市庁舎に面したマルクト広場には、レストランがテーブルを出し、多くの観光客がお茶を楽しみながら談笑している。
夏の休暇シーズンになると、この広場はこの季節に最もふさわしいゼラニウムの花々で美しく飾られてしまう。
泉(噴水)もあり、正義の女神が立つ泉の周りにゼラニウム、窓辺がゼラニウムの花で美しいドレスナー銀行(ドイツ三大銀行の一つ)があり、マルクト広場を中心にした小ぢんまりと纏まっていて、見物しやすい。
・・・・・- 旅行時期
- 2007年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 2.5
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
-
デュッセルドルフで見るライン川は源泉から743kmの距離にある。
投稿日 2019年06月24日
総合評価:4.0
“父なるDer Rheinライン川”は全長1320kmに及び、古くから交通の要所であった。
「中ライン川」流域の都市コブレンツはラインの源泉から半分近い591km、ドイツ第一の商業都市のデュッセルドルフは743kmの距離にある。オランダの河口までさらに282kmを流れて行く。
写真は1975年の頃から、2016年の秋の旅で撮ったものを入れた。
・・・・・
因みにライン川についてWikiを参考に簡単に纏めている。
ライン川はまず、アルプスラインと呼ばれる二つの原流をもち、一つはスイスの標高2344mにあるトーマ湖を源流とする「前ライン川」であり、もう一つは同じスイスのラインヴァルドホルン山(3405m)から流れ出る「後ライン川」である。この二つの源流はライヒェナウで合流し、リヒテンシュタイン公国を横切り、スイスとオーストリーの国境沿いを流れていき、アルテン・ライン近くでボーデン湖(面積539万平方キロ、アルプス山系などから約200の河川が流れ込む。ライン川の水量調整湖)に注ぐ。
此処からは「高ライン川」と称し、スイス領のシュタイン・アム・ラインでドイツとスイスの国境沿いに流れていく、途中ラインの滝(20mの落差)を過ぎ、コブレンツでアーレ川に合流する。此処からは「上ライン川」と呼ばれ、バーゼルを経由し(この辺りまでで、300km)、独仏国境線沿って流れていく。シュトラースブルグ、ドイツ国内に入って、カールスルーエ、ヴォルムス、そしてマイン川との合流点マインツに至る。「中ライン川」はマインツからローレライ、コブレンツ、ボンと続き、ハイライトたる「ロマンティシャーライン・世界遺産登録(ビンゲンからコブレンツ間60km)」があり、三十近くの城塞、美しいブドウ畑、中世の街並みが最も楽しめる区間である。コブレンツではモーゼル川と合流する。ボンから先の下流370kmはケルン、デュッセルドルフなどの大都市を抜け、エメリッヒでオランダに入る。これを「下ライン川」と称する。
オランダに入ると、ライン川はワール川、マース川等のいくつもの支流に分かれて、ロッテルダムの先で、通称“オランダの角”で北海に注ぎ込んでいく。
・・・・・・・- 旅行時期
- 2016年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
デュッセルドルフ:Schlossturmシュロスの塔は現在、船舶博物館になってしまった。
投稿日 2019年06月22日
Schifffahrt-Museum im Schlossturm デュッセルドルフ
総合評価:3.0
<デュッセルドルフのSchlossturmシュロスの塔(現在は船舶博物館)>
D-40213 Duesseldorf 、Burgplatz 30
2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
10月27日(木) 23km、今日もすっきりしない曇り、11.5~13.0℃
デュッセルドルフの旧市街を訪れると、ライン川畔のBurgplatzブルク広場には「シュロスの塔」が、昔のまゝに立っているが、その傍に大きな観覧車が場違いの如く立っている。それさえ無ければ、このあたりは1980年年代の昔と変わらぬ様子なのだが。
「シュロスの塔」の歴史は、対象が塔だけであるし、それも船舶博物館になってしまったので、かつてもあまり興味を持っていなかった。それで歴史も知らなかったのだが。
・・・
デュッセルドルフの調査によると、1288年に市城壁外にライン川に沿って城塞が築城されていたと云う。
1400年頃、都市の発展によって、城郭はさらに拡大された。
16世紀には、Vereinigte Herzogtuemer Juelich-Kleve-Berg ユーリヒ・クレーフェ・ベルク公国(神聖ローマ帝国の北西部の諸邦の連合体として成立した。ノルトライン・ヴェストファーレン州に存在した公爵領、伯爵領の連合体の総称)がデュッセルドルフ城を居城とした。城は市側に2つの強大な塔を持つ代表的な三翼の城郭に拡張された。
1552年、城の北東に丸い(シュロスの)塔を完成させた。
17~18世紀には、城内はバロック様式で改装され、特に選帝侯の有名な絵画や彫刻など莫大なコレクションを収容するギャラリーの建物が建てられました。
1794年、フランス革命軍の攻撃では城は壊滅し、ライン川のほとりに廃墟のまま長い間うち捨てられていた。
1815年、プロイセン時代に再建されたものの、1872年の大火災は致命的で、城を解体し、広いライン川沿いの道路と造船所を建設することが可能になった。
ただ、プロイセン王室の命令で、丸い塔(シュロスの塔)だけが残された。
1943年、第二次大戦中の空爆で「シュロスの塔」が全焼した。
デュッセルドルフの市民にとっては、大戦前から市民のシンボル的なランドマークであったから、市民たちは戦後直ちにシュロスの塔の修復と改装を行い、現在のような塔(Schifffahrtmuseum Dusseldorf船舶博物館)として蘇らせたのである。
1984年以来、「シュロスの塔」はライン川の船舶航行に関する特別なコレクションを展示している。
・・・・・- 旅行時期
- 2016年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.0
-
ミュンスターラントの水城の一つに古城ホテル フェーレン城がある。
投稿日 2019年06月20日
Hotel SportSchloss Velen その他の都市
総合評価:4.0
2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
期間 :2013年10月14日(月)?10月28日(月)15日間の旅
10月19日(土);177km 、17℃、晴れ、暖かい一日。
古城ホテル レンベック城を出発し、この日はHavikbeckハヴィックベックの三つの水城:Burg Huelshoffヒュルスホフ城、Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城、Haus Havixbeck ハウス ハヴィックベックから始める。
それに加えて、今日の予定の古城群はSchloss Velenフェーレン城、Burg Gemenゲーメン城、Schloss Raesfeldラエスフェルト城である。
<Sport Schloss Velen古城ホテル フェーレン城>
D - 46342 Velen 、Schlossplatz 1
http://www.sportschlossvelen.de/go/home
広い敷地で駐車場に行くのに、グルリと廻って行った。橋を渡ると、赤い蔦の葉が建物の壁に這っているのが目に入った。フェーレン城の本丸の右手には一の丸の建物が左右にあり、その先がこの城の城門・・・と言うほどのものでもないが・・・になっている。
ここまでの周囲は水濠に囲まれているので、水城だとよく分かる。
濠の先の左右にOrangerieオランジェリー(現在はレストラン)、Remiseレミーゼ(かつての馬車の車庫)と称する建物がある。
この古城ホテルを訪問するのは初めてだが、1988年に古城ホテルがオープンしているから、それも当然だ。
土曜日で城の内外に人も多いが、ここは古城ホテルにしてはSport Schlossスポーツの城と名前を付けているだけに、その為の施設も完備し、これに通う人も多いのだろう。
この日はミュンスターラントの水城の一つとして訪れたから泊まったわけではないが、豪華で明るい色調のレストランでお茶を楽しんだ。
古城ホテルとその歴史:
ホテルは4星S・全101室。
ミュンスター地方の水城の名前は890年ころからある神聖ローマ帝国男爵としての家系フェーレンからきている。
1240年頃にHermann I ヘルマン1世と息子Konrad コンラットにより現在でも見られる塔を備えたLの形のゴシック様式の小さな騎士の館を建てた。
16世紀、Hermann VIIヘルマン7世は礼拝堂を改装し、館の増改築を行った。
18世紀、Anna Theresia von Velenアンナ・テレジア・フェーレンはClemens August von Landsbergクレメンス・アウクスト・ランヅベルクと結婚し、この城の城主はFamilie Landsberg-Velen ランヅベルク・フェーレン家になった。
1931年4月に城は大火事で完全焼失してしまうが、1933?34年に再建し、庭園、オランジュリー、雉の飼育所などを作り直した。第二次大戦中は野戦病院や老人ホームに使用され、その後、1987年まで税関の学校に利用されていた。
1988年、改装された古城はホテルとしてオープンした。
・・・・・- 旅行時期
- 2013年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
ミヒェルシュタット:赤いとんがり帽子のドイツ最古の市庁舎は大変愛らしく、美しい。
投稿日 2019年06月18日
総合評価:5.0
ミヒェルシュタットはオーデンの森の真中にあって、“マイン川の真珠”と謳われるMiltenberg ミルテンベルグから33kmの距離と近く、中世の雰囲気を色濃く残した町で、現在の人口は17千人、古くから交易都市として栄え、今でも伝統工芸が盛んであり、特にドイツ象牙細工の中心地になっていると云う。
とりわけ、ドイツ最古の市庁舎として、ドイツの郵便切手(上の記念切手の写真)にもなったほど、ここの旧市庁舎(1484年、後期ゴシック様式の建築)は有名である。
赤いとんがり帽子の形状をした、二本の尖塔と中心に時計台がある市庁舎は木組み建築の小さな建物で、大変愛らしく、美しい。
1階がアーケード風になっているのも珍しく、その昔は土間で、各種の交易がなされたと聞く。
ミルテンベルグとミヒェルシュタットの二つの町はいずれも私にとってはお気に入りの町である。
・・・・・・・・- 旅行時期
- 2007年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
-
リューデスハイム:つぐみ横丁のワイン酒場は昼間から騒がしいが、ラインガウは見所多し。
投稿日 2019年06月12日
総合評価:3.0
2006.5.:“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間
5月16日(火) 曇り後徐々に快晴 18~28℃ 、 100km (ここまで、1711km)
この時はBurghotel Auf Schoenburg古城ホテル アウフ・シェーンブルグに泊まった(二泊)。
シェーンブルグ城を9:30出発。B9国道を走り、Pfalz・Kaubプファルツ・カウプでフェリーに乗ってライン川右岸へ渡った。この日はラインガウのKloster Eberbachエーベルバッハ僧院見学、Schloss Johannisbergヨハネスベルグ城でワインの使者像を見て、ライン川の眺望を楽しみながら昼食、それからNiederwaldニーダーヴァルトの展望台に初めて登り、ラインの眺望を楽しむ。1871年のドイツ統一を記念したゲルマニアの女神の像をじっくり見て、森の道を散策し、対岸のフンスリュック地方が見える展望ポイントまで行って、引き返す。さらに上手の森の中を車で少し走ると、初めて訪れるJagtschloss Niederwaldヤーグトシュロス・ニーダーバルト(狩猟城)でお茶をした。
最後にニーダーヴァルトの丘の下に位置する、Ruedesheimリューデスハイムを訪ねた。
人口1万人の町は“ラインの真珠”?!と呼ばれている。郵便局の前に駐車スペースがある。此処からDrosselgasseドロッセルガッセ(つぐみ横丁)もほんの一、二分と近い。
つぐみ横丁のワイン酒場や、土産物屋をのぞきながら、横丁を歩く。昼間からバンドも入って、騒がしい。一番インターナショナルな町かもしれない。
此処で楽しいのは横丁に軒を連ねるホテルやお店の看板を見る事で、何度も来ているが、不思議と、好みに合わない所為か一度も此処で飲んでいない。
バイエルン風の“錫製の壁掛け”(Euro23.4)を見つけて、土産に買った。
・・・・・- 旅行時期
- 2006年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
コブレンツ:モーゼル川とライン川の合流点ドイチェス・エックと対岸の“栄誉の砦”からの眺望は素晴らしい。
投稿日 2019年06月11日
総合評価:5.0
2006年05.13(土)エルツ城からドイツの角へ
Koblenzコブレンツはモーゼル川とライン川の合流点に発達した、---(“Deutsches Eckドイチェス・エックつまり、ドイツの角:ローマ人達はかつて、『アプド・コンフルエンテース---合流する川のほとり』と呼んでいたそうである。”---人口11万人の町。
紀元前14年に始まるローマ時代からの古い歴史を象徴する建物も多い。
ライン・モーゼルの合流点であるドイツの角から、ライン川の船の行き来を見ていると、大小の貨物船が下りは軽く、上りは重い船足で動いていく。
エックにはドイツの国旗を先端に掲げ、左右に各州の旗が風に、はためいている。広場の中心にドイツ皇帝ヴィルヘルム一世の巨大な騎馬像(二次大戦では米軍に破壊された)が立ち、足元の台座まで登れる階段を上がると、そこは展望台である。
そこから対岸にある、これも巨大なエーレンブライトシュタイン要塞が、すこぶる良く眺められる。
05.15(月)ライン右岸城巡り
コブレンツの対岸に位置している、今日のドライブの最終地である、Festung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞:“栄誉の砦”に上がる。
<Festung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞(“栄誉の砦”)>
10世紀から、戦略上、重要な要塞として存在していたそうで、1688年のルイ14世率いる、フランス軍の大軍が要塞を攻めたが、遂に落ちなかったと云う。
116mの丘の上は、19世紀のプロイセンによって、更に広大な要塞が形作られている。要塞には濠、厚い壁の城壁、州の博物館、ユースホステル、第一・二次大戦の戦死者の顕彰碑--現在でも外地で戦死した兵士を悼んで顕彰されているそうである。--などや、ライン川に面して、テラスレストランも設けられてある。
要塞からの見晴らしは、モーゼル・ライン川の合流の様子(Deutsches Eckeドイチェス・エッケ)などが手にとるように見えて、素晴らしいものだ。
フランス人夫婦にドイチェス・エッケをバックにした写真を頼まれたが、上手く撮れたかな?!お礼に彼も我々を撮ってくれました。- 旅行時期
- 2006年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
ライン川のフェリーは予想以上に多くあるが、、ビンゲン・リューデスハイム間が一番乗客も多い所だ。
投稿日 2019年06月10日
Bingen-Rudesheimer Fahrgastschiffahrt リューデスハイム
総合評価:4.0
ライン川のフェリーは予想以上に多くある。
私はコブレンツからはBoppardボッパルト、St.Goarザンクト・ゴアー、Oberweselオーバーヴェーゼル、Bingenビンゲンのフェリーを利用する事が多かった。
2016年10月、赤ワインの町Assmannshausenアスマンハウゼンの先にRuine Norigノーリッヒ城址のあるLorchロルヒがある。ここから対岸のNiederheimbachニーダーハイムバッハにAutofaehreフェリーで渡った(13:00、Euro5.6=722円、領収書の内容は車1台と運転手Euro4.3+同乗者1名Euro1.3とあった)。この時間になると、まだ風は冷たいが、晴れてきて車ごと乗せてライン川を横切っていくのは面白いし、両岸を結ぶ橋を探して渡るよりも大いに時間の短縮になる。
1983年8月ブラッセルから訪れた友人一家と一緒に渡ったフェリーはビンゲンからリューデスハイムに向かうフェリーでした。
特にビンゲンのフェリーがライン川観光船の船着場があるので、フェリーの乗客が最も多い所で、船も大きく、順繰りに左右の均衡を保たせながら、車の停車位置を割り振っていく。
車に乗ったまま、エンジンを切り、ブレーキをかける。フェリーは凡そ3分の乗車時間だが、ライン川を上り下りする運搬船、観光船を上手く避けながら進み、Ruedesheimリューデスハイムの桟橋に至る。
接岸とともに、エンジンをかけた車は船員の指示に従って、順次上陸して行く。
前方の高台にドイツ統一の記念碑・ゲルマニアの女神がニーダーバルトの丘に立っているのが見える。
・・・・・- 旅行時期
- 2016年10月
- 利用目的
- 市内・近距離
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 利便性:
- 5.0
-
ハン・ミュンデン:ヴェーザーの石碑には素敵な詩が刻まれている。
投稿日 2019年05月10日
総合評価:4.0
“北ドイツ周遊の旅”
2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
4月29 日 (金) 曇り時にシャワー11℃
時々、小雨の降る中、Hann. Muendenハン・ミュンデンの旧市街、木組みの家並みのLangeランゲ(長い)通りを通って、ヴェラ橋に行く。ここから見る水量は豊かに流れ、この先で、ヴェラ、フルダ、ヴェーザーといった三つの川の合流点にWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)が立っている。
ヴェラ川は全長300km。Thueringenテューリンゲンの森の奥深く、ZeupelbergツォイペルベルクとBlessbergブレスベルクに源泉があり、テューリンゲン、Hessenヘッセン、Niedersachsenニーダーザクセンの各州の都市Meiningenマイニンゲン、Eisenachアイゼナハ、Eschwegeエッシュベーゲ、Hann. Muendenハン・ミュンデンなどを流れ、ハン・ミュンデンでFuldaフルダ川(全長 220 km)と一緒になって、Weserヴェーザー川(全長452km)という新しい流れになる。
三つの川の合流点・ハン・ミュンデンの中州(Tanzwerderタンツヴェーダー島・・・広い駐車場がある)公園の先端に、大きなRosskastanienロスカスターニアン(マロニエ、トチノ木)があり、その下にWesersteinヴェーザーシュタイン(ヴェーザーの碑)と呼ばれる記念碑が立っている。
ヴェーザーの石碑には素敵な詩が刻まれている。
Wo Werra sich und Fulda kuessen (ヴェラ川とフルダ川がキスをして)
Sie ihre Namen buessen muessen, (その償いにその名を捨てる)
Und hier entsteht durch diesen Kuss (そしてそのキスから生まれた)
Deutsch bis zum Meer der Weser Fluss.(ヴェーザー川がドイツを抜けて海・・
(Nordsee北海)・・へ向かう)
Hann. Muenden, d. 31. Juli 1899 :ハン・ミュンデン、1899年7月31日
因みにハン・ミュンデンの中州(川中島)と同じようなものは、ヴェーザー川流域の町々Hamelnハーメルン、Landesbergenランデスベルゲン、Bremenブレーメンなどに、大小様々な中州(川中島)がある。
・・・・・・・・・・・- 旅行時期
- 2005年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 4.0
-
第二次世界大戦中、シュトラースブルク大聖堂は独仏両陣営から象徴とみなされていた。
投稿日 2019年05月05日
ストラスブール ノートルダム大聖堂/尖塔/カラクリ時計 ストラスブール
総合評価:4.0
“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅
<ライン川を越えて、フランス・シュトラースブルク観光へ>
7月18日(土) 晴 25.5℃~31℃ 69km
Oberkirchオーベルキルヒ =>B28 (Appenweierアッペンバイヤー)・E52 39km フランス・Strassburgシュトラースブルク
≪カテドラル・Liebfrauenmuenster zu Strassburg(Cathe’drale Notre-Dame-de-Strasbourgノートルダム・ド・ストラスブール大聖堂)≫
10:40~11:15
アルザス地方のどこからでも見え、遠くはヴォージュ山脈やライン川の反対側にある黒い森からも見えるというが、まだ一度も見ていない。
ヴォージュ産の砂岩を建材として使っており、それによって外観が薄茶色を呈している。観光本ではバラ色、ピンク色をしていると云うのだが、どう見ても外壁は汚染されているようだ。
Ill (Elsass)イル川の運河に囲まれた旧市街地区は地盤が弱いため高さ142mの尖塔が片方しかない。その為か、その昔見た時は大きいなと思ったが、ドイツの左右にそろった尖塔を持つゴシック建築を多く見てしまうと、それほどには見えない。
第二次世界大戦中、シュトラースブルク大聖堂は独仏両陣営から象徴とみなされていた。ヒトラーは1940年6月28日にシュトラースブルクを訪問し、大聖堂を「ドイツ人民の国家的聖域」にしようとした。これに対し、仏軍のフィリップ・ルクレール将軍は1941年3月1日、「クフラの誓約」として「シュトラースブルク大聖堂の上に再び我々の美しい国旗がたなびくまで、武器を置かない」と誓った。
また、ドイツ軍はシュトラースブルク大聖堂のステンドグラスを74枚取り外し、ドイツ本国のハイルブロン近郊の岩塩鉱山に隠した。戦後、アメリカ軍がこれを発見し、大聖堂に返還したと云う。大聖堂にはこうしたエピソードに事欠かない。
聖堂内の見どころは
①からくり時計(Horloge astronomique天文時計):
聖堂内には人の人生を表現したからくり時計(天文時計・18世紀)がある。
からくり時計の高さは18m、8階建ての構造で、毎日12時半には上部キリストの前を12使徒が行進し、ニワトリが歌う。6~18時までは15分おきに死者の骸骨が現れる。
時計の前は観光客で徐々にいっぱいになる。12時半に動き出すからくり時計が目的のようだったが、そこまで見る気もなく、退散した。
②天使の柱 (Pilier des anges):
天文時計の傍にはゴシック彫刻の名作と称される“最後の審判”の様子が表現された支柱がある。
③ステンドグラスのバラ窓:
聖堂中央のファサードに大きなバラ窓(特にゴシック建築におけるステンドグラスで作られた円形の窓の事を言う)が見られ、模様と色彩がじつに美しい。
関連旅行記:
黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅⑫ライン川を越えて、フランス・シュトラースブルク観光へ
https://4travel.jp/travelogue/11073073- 旅行時期
- 2015年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2019年05月02日
総合評価:4.5
北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る
(2014年05月09日~23日 15日間)
05月19日(月)212km、朝方は曇り空、ヒルデスハイムは晴れ、13.5~22℃
<Hildesheimヒルデスハイム観光>
12:00~15:00
2005年4月26日に初めて訪れた。
駐在中の1970年代のAral観光本には掲載されているが、日本の観光本には載っていない。
1985年には世界遺産の町になっていたにも拘わらず。これほど魅力的な町なのだが、今もツアーの対象にはなっていないだろう。2003年の“地球の歩き方”にも無い。
日本の観光本では出てこない世界遺産の町でもあったヒルデスハイムは見所も多く、2014年の旅でも、もう一度行ってみたいと行程に入れることにした。
ヒルデスハイムは世界遺産【1985年登録】の町である。人口10万人。
州都Hannoverハノーファーから、南に30kmのヒルデスハイムは世界遺産のDom聖マリア大聖堂(872年創建、キリストの円柱、十字路回廊、千年のバラ)とSt.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会(1010年建設、エッサイの樹)で有名だ。
<マルクト広場と木組みの建造物>
14:00~~14:20
町の中心はマルクト広場にあり、周辺には石造の市庁舎(1268~1290年)、Rolandbrunnen 騎士ローラントの泉(1540年)、出窓の美しいTempelhausテンペルハウス(14世紀)、壁面が極彩色の細密な模様に描かれているルネサンス様式のWedekindhausヴェデキントの家(1598年)、Rolandhausローラントの家(14世紀)・・・今、税務署、貯蓄銀行の店になっている。
最も素晴しいKnochenhauer-Amtshausクノッヒェンハウワーアムツハウス(食肉・製パン協同組合)の高さは29m、ルネッサンス様式のギルドハウス(1529年)や Baeckeramtshausベッカーアムツハウス(1800年) がある。
天気の良い日は写真の映りも良く、木組みの建造物の色合いも良く撮れた。
面白いことに食肉・製パン協同組合の建物の右の側面は何時描かれたのか、現代風の絵が描かれていた。前回の時には気が付かなかったのだが・・・。
その他にもStadtschaenkeシュタットシャンケ(酒屋)とロココハウス、Wollenweber-Gildehausヴォーレンヴェバー・ギルデハウスなどの木組みの家があります。
戦後の瓦礫の中から、マルクト広場は1984年~1990年にかけて再建され、中世の雰囲気を持った建物をよくこれまでに復興させたものと思う。ドイツ人に脱帽です。
・・・・・- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
-
ヒルデスハイムにはキリスト教の新旧両派が併存しているSt.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会がある。
投稿日 2019年05月01日
総合評価:4.0
北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る
(2014年05月09日~23日 15日間)
05月19日(月)212km、朝方は曇り空、ヒルデスハイムは晴れ、13.5~22℃
<Hildesheimヒルデスハイム観光>
12:00~15:00
ここには2005年4月26日に初めて訪れた。
1時間の歩き疲れと少しお腹も空いていたので、まだ清掃していたカフェに入れてもらった。お祖父さん、母親の家族経営の店で、9歳の可愛い女の子が掃除を手伝い、お店のテーブルで勉強をしていました。
<(お茶)El.Puente Weltcafe ヴェルトカフェ>
13:00~13:25 Euro10(1,322円)
D-31134 Hildesheim 、Langer Hagen 36
Bienenstichビーネンシュティッヒ(「蜂の一刺し」という名前のドイツのケーキ、アーモンドとキャラメルの香ばしい甘さと、ドイツ風 バタークリー ムのリッチな味わい)、アップルトルテにコーヒー。
<St.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会世界遺産【1985年登録】>
13:30~13:50
聖ミヒャエルス教会は旧市街の左手上の小高いミヒャエルスの丘にある。
お茶をしたカフェのある教会下の広場から見ると実に美しい眺めです。目の前のなだらかな斜面を登り、きれいに改装された教会から振り返ってみる景観もまた良し。
教会の基になるベネディクト派修道院は996年にBernward von Hildesheimベルンヴァート司祭(ザクセンの騎士であった。後に聖人に列す)により創立され、皇帝Otto IIIオットー3世の支援を受け、1022年に教会が完成する。
聖ミヒャエルス教会は1542年にプロテスタントとなるが、面白いことにベルンヴァート司祭が埋葬された地下の教会聖堂クリプタはいまだにカトリックを維持し、同じ教会内で新旧両派が併存していることだ。こうした珍しい例をドイツワイン街道の町でも見たが、ドイツ国内ではその数が64を数えるという。
第二次大戦の爆撃で全焼した教会は1960年に再建されている。幸いにも1943年には天井画、天使の柵も避難させていたため、生き残ったわけです。
教会内にある見所は、教会の中央天井に見える、12世紀半ばに改装された際にも残された1300枚の木の板に描かれた天井画“エッサイの木”(13世紀)です。それはイスラエル王ダビデの父、エッサイからイエス・キリストまでの系譜を樹木で表現したもので大変見事な色彩で描かれたもの。
東の祭壇にはキリストの磔像(2008年)があり、西の奥のマリアの聖壇(後期ゴシック、1520年頃)は天使の柵(1200年ごろ)の横を上がると見ることができる。
その階段を上った平場にベルンヴァート司祭の若い頃をイメージした像(14世紀)が大理石版の上に横たわって置かれていた。
ザーレ川沿いに中世より発展した町ナウムブルクの大聖堂(13~4世紀)に寄進者の等身大の石像彫刻(12体)があり、“Naumburger Meisterナウムブルクのマイスター”達が創った作品群とされていますが、ベルンヴァート司祭の石像の色合い、顔の表現はナウムブルクのマイスターが作ったと思うほど似ていました。
マリアの聖壇の右手にBothmerボースマー家の立派な墓碑(1625年)がある。その横の階段を降りた地下聖堂クリプタにはベルンヴァート司祭の棺が置かれていた。
その石棺は当時の質素なままで、石棺の蓋には“炎の中の9人の天使”が彫刻されているそうですが、地下の暗闇の中で照明が光って良く見えなかった。
1999年製と新しいパイプオルガンの演奏練習に熱心な学生が一人、荘厳な調べです。
・・・・・
尚、口コミでは聖ミヒャエルス教会と聖マリア大聖堂がひとくくりなので、前者をここで書いた。- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
-
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂には1000年のバラ伝説が残る。
投稿日 2019年04月30日
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会 ヒルデスハイム
総合評価:4.0
北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る
(2014年05月09日~23日 15日間)
05月19日(月)212km、朝方は曇り空、ヒルデスハイムは晴れ、13.5~22℃
<Hildesheimヒルデスハイム観光>
12:00~15:00
2005年4月26日に初めて訪れた。ツェレのお気に入りのHotel Fuerstenhof Celle古城ホテル フュルステンホフに2泊し、ここからブラウンシュヴァイク、ヒルデスハイムの二都市を巡る小旅行をしたのである。
日本の観光本では出てこない世界遺産の町でもあったヒルデスハイムは見所も多く、今年の旅でももう一度行ってみたいと、行程に入れることにした。
ヒルデスハイムは世界遺産【1985年登録】の町である。人口10万人。
州都Hannoverハノーファーから、南に30kmのヒルデスハイムは世界遺産のDom聖マリア大聖堂(872年創建、キリストの円柱、十字路回廊、千年のバラ)とSt.Michaelis-Kirche聖ミヒャエルス教会(1010年建設、エッサイの樹)で有名だ。
とはいえ、駐在中の1970年代のAral観光本には掲載されているが、日本の観光本には載っていない。2003年の“地球の歩き方”にも無い。
1985年には世界遺産の町になっていたにも拘わらず。これほど魅力的な町なのだが、今もツアーの対象にはなっていないだろう。
<Dom聖マリア大聖堂・世界遺産【1985年登録】
12:30~12:50 入場料Euro1。
何故、入場料が安いのかと思ったが、大聖堂内に入って分かった。
大改装中でほとんど見るべき場所がない所為なのだ。ただ、さすがに“千年のバラ”のある礼拝堂の周辺は一応見ることができた。この日はこの為に来たのだが、残念ながら、白いピンクのバラは数も少なく、しょぼくれた様子で咲いていました。それでもイヌバラの花を接写してみると、やはり美しい。
カール大帝の第3子、Ludwig Iルートヴィヒ1世・敬虔王)が聖マリア礼拝堂を9世紀に建てたもので、11~14世紀に渡り、ロマネスク、ゴシック様式での建物が加わり、今は壮大なものになっている。
<“1000-jaehrige Rose;千年のバラの伝説”>
聖マリア大聖堂の中庭にある礼拝堂の外壁に沿って伸びるイヌバラ(野バラ)の木を見にいきました。戦争で焼かれたにもかかわらず、新しい芽を吹き出し、今の様に大きく成長したのを、人はこれを“奇蹟”と呼んだと云う。
その伝説とは<グリム伝説集>に載っている。
『敬虔なキリスト教徒であった、ルートヴィヒ敬虔王が、司教座を置く土地を探していた時、何時も首にかけていた十字架を落としてしまい、家来に探させましたが、見つかりません。王はもし見つかったら、そこに礼拝堂を建てて、神に感謝しようと心に誓っておりました。
家来達が雪の森を捜し歩いていると、時ならぬ緑の草地と野バラの茂みが見えました。王の十字架はそのバラの枝にかかっていたのです。王はこれこそ、神の啓示と思い、その地に礼拝堂を建て、聖壇がバラの茂みの所になるように、命じました。
バラは大切に育てられ、今では礼拝堂の丸天井まで、伸びて花を咲かせるそうです。』と。
千年のバラは5月中旬、白いピンクの花を咲かせる。
・・・・・- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.0
-
ヴェルニゲローデ:ヴェルニゲローデ城からの景観を楽しみに登る。
投稿日 2019年04月21日
総合評価:4.0
“北ドイツ周遊の旅”2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
4/29 (金) 曇り、時にシャワー 11℃ 222km
メルヘン街道の古城群、ヴェーザー川の流域を巡り、ハルツ山地に向かった。
Wernigerodeヴェルニゲローデはゴスラーから33kmの短い距離にある。15時到着。
人口3万7千人の小さな町である。
350mの山上にある Schloss Wernigerodeヴェルニゲローデ城がマルクト広場から見える。古城好きはもちろん登る。Bimmelbahnビンメルバーンという小さな黄色の観光列車が城まで往復しているので、登りだけ乗ることにする(片道Euro5)。市庁舎裏手の乗り場から3両編成の列車が街中をぬって上がっていく。
途中、等身大の魔女のお婆さんが、家の前の椅子に座って居るのが目に付いた。
(徒歩での帰途、家の前の表示にKleinste Hausクラインステハウスとあった。18世紀後半に建てられた、間口3mというこの町一番の小さな家だと分かりました。今は博物館になっていて、家と一緒に写真に撮りたかった魔女も家の中にしまわれ、閉館となっていました)
この城はヴェルニゲローデ伯爵が1120年に完成したもので、30年戦争などで荒廃し、1858年、バロック・ネオゴシック様式の城に改築された。
現在は博物館になっている。ドイツ統一後も観光資源として、整備されているようで、城の各所を修復中であった(博物館には入らず)。
ヴェルニゲローデ城のテラスからは、町々の赤レンガ屋根の家並み、濃さを増してきた緑の森と、実に美しい景観を眼下に見ることができる。
・・・・・- 旅行時期
- 2005年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
ヴェルニゲローデ:2本の尖塔と、とんがり屋根を持つ独特の市庁舎が観光の目玉だ。
投稿日 2019年04月21日
総合評価:4.5
“北ドイツ周遊の旅”2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
4/29 (金) 曇り、時にシャワー 11℃ 222km
メルヘン街道の古城群、ヴェーザー川の流域を巡り、ハルツ山地に向かった。
バード・ハルツブルグを過ぎ、東西ドイツの旧国境線をまたぎ、ザクセン・アンハルト州に入ると、右手にブロッケン現象---(霧と光りにより、人影の周りに光の輪を作る自然現象。ブロッケンの妖怪とも呼ばれる。)---で有名なBrockenブロッケン山(標高1142m)が見えてくる。
1年の内、平均260日も霧が出るという山で、古くから神秘の山とされてきた。4月30日のヴァルブルギスの夜は魔女達がこの山に参集すると云う伝説の山だ。この山を利用して、旧東独の国境警備隊がレーダー基地を設けていたが、今はハルツ狭軌鉄道がこれから行くヴェルニゲローデから、ブロッケンの山頂まで、2時間掛けて登る。
山頂にはTV塔や通信施設、気象観測所、博物館等が在るそうだ。
Wernigerodeヴェルニゲローデはゴスラーから33kmの短い距離にある。15時到着。人口3万7千人の小さな町である。
Zillerbachツィラーバッファ川沿いの旧市街は、マルクト広場を中心に2本の尖塔と、とんがり屋根を持つ独特のRathaus市庁舎(1497年完成)があり、木組みの家の壁面には聖人、大道芸人、手品師、パン屋、煙突掃除人等の木彫りの像があって、大変面白い。
ここも色鮮やかな木組みの家々が立ち並び、ヴァルブルギスの前夜祭(29日)の今日は、家や店の前に魔女の人形が飾ってある。
・・・・・- 旅行時期
- 2005年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
クヴェトリンブルグ:ザクセン王妃の名を採った美しい木組み建築のホテル テオファーノ
投稿日 2019年04月20日
総合評価:4.5
“北ドイツ周遊の旅”2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
4/29 (金) 曇り、時にシャワー 11℃ 222km
メルヘン街道の古城群、ヴェーザー川の流域を巡り、ハルツ山地に向かった。
ゴウラー、ヴェルニゲローデを見て、走り出した国道B6Nは渋滞をしていた。片側が工事中らしく、迂回路がしばしばでてきて、落ち着かぬ気持ちになる。
こうなると17:00にヴェルニゲローデを出てきたものの、28kmの距離が長く感じる。18:00にはなんとか、クヴェトリンブルグに入ったが、持っている地図では今ひとつホテルが分からない。
工事中、一方通行の道と、町の周りを走っているようで、なかなか中心地にとどかない。二三度、通行の方に聞いて見るが、彼らもお手上げだ。ホテルには原則として、18時にはチェックインする事にしているし、又、そうしないと予約が自動的にキャンセルされる事にもなる。
花屋さんが目に入って、尋ねると『この町は難しいのよね!今は特に工事中ばかりだからね。地図に印を付けてあげるから、それ通りに走れば、ホテルの駐車場に行けますよ。何、ホテルの予約がキャンセルされるか、心配しているのかい?!ホテルにここから電話してあげる』親切な小母さんと中学生位の娘さんに大感謝です。
印に沿って、走ると難なく、ホテルの案内板を発見し、無事、ホテルの駐車場に入れることが出来た。ロマンチックホテル・テオファーノに18:40着。
Quedlinburgクヴェトリンブルグは1994年に『世界遺産』に登録されている、人口2万6千人の小さな町である。ハルツ山地の北に位置するこの町は、ドイツ初代の王(ザクセンの王)、ハインリヒ一世が919年、Schlossbergシュロスベルグ(城山の意)を居城としたもので、“1000年の古都”と言われている。
幸い、殆ど戦争の被害のなかった旧市街は、美しい木組みの家:凡そ1300(8割が17、8世紀のもの)が其の家並みを誇り、中世そのままの姿を見せている。
(2泊)Quedlinburgクヴェトリンブルグ :
Romantik Hotel Theophanoロマンチックホテル・テオファーノ
D-06484 Quedlinburg 、Markt13/14、
4星・全22室 室料1泊Euro120(16,700円)
ロマンチックホテル・テオファーノは17世紀中頃に富裕な商人によって、バロック様式の家が建てられた。その後、ギルド(商工業者の組合)の所有になるとか、紆余曲折があり、1991年現在の形のホテルに改修された。“テオファーノの名”はあまりドイツでは聞かない名前で、ビザンチン帝国の皇女で、ザクセン王オットー二世に嫁いだ方の名から採ったそうである。王妃は王の死後、治世に賢女振りを示し、王国を維持、発展させたという縁起の良い名前だ。マルクト広場に面して、このホテルは一番の場所にあり、カラフルな木組みの家が目立つ。ホテルの一階はカフェと薬局になっていて、二階以上が22の客室です。エレベーターがないと案内に有ったので、荷物を運んでもらう。
白い天蓋付きの部屋“No.1”は明るい、広い部屋で、中庭を見渡すベランダが付いており、大変気に入りました。
2泊したホテルの夕食は地下にある、グルメレストランのWeinkeller-Restaurantワインケラー・レストランで食べた。味もサービスも良く、雰囲気の良いレストランはゴー・ミョーでは12点です。
・・・・・- 旅行時期
- 2005年04月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 10,000円 未満
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- サービス:
- 4.5
- バスルーム:
- 4.5
- ロケーション:
- 5.0
- 客室:
- 4.5
-
“ネッカー渓谷の真珠”ヒルシュホルン城は4号室(本城館Suite)がお勧めです。
投稿日 2019年04月17日
総合評価:4.0
<Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅>
期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間
5月26日(土); 快晴で気持ち良い一日、26℃、140km
Die Burgenstrasse古城街道を走る。
⑫Schloss Hirschhorn古城ホテル ヒルシュホルン(鹿の角)城
この旅44番目の城
D-69434 Hirschhorn am Neckar 、Schlossstr. 39-45
4号室(2階・本城館Suite;Kategorie HZZI ) Euro164(16,717円)
1959年、古城ホテルに改造された。人気も高かったが、2010年10月30日に廃業した。その後、経営者が変わって、2011年7月、古城ホテルは再オープンした。
全25室(本城館8室+別棟17室)、ハイルブロンからハイデルベルク(人気のハイデルベルクにはここから車で20分の距離)間を流れるネッカー川沿い、町とネッカー川を見下ろす高台に立つ古城ホテルである。
“ネッカー渓谷の真珠”と云われる中世の町は好ましい。古城街道を何度か旅してきたが、この古城ホテルには街道を巡る途中に訪れて、昼食をとっただけで、宿泊は初めてである。
川沿いの道から、山道を登ると小さな城門がある。その門を入ると、古城ホテル ヒルシュホルン(鹿の角)城がある。快晴の日は眺めの良いテラスレストランから、ネッカー川を運行する貨物船や観光船、カヌー遊びの人も見える。その絵になる景観から、今では古城街道沿いの古城の中でも、人気の高い古城ホテルとなっている。
この城はオーデンの森を後背地にもっているので、野鳥獣の料理を得意としている。
本城館の4号室(2階)は新婚さん用Suiteです。ちょっとメルヘンチックというか、若い女性好みの部屋でした。広々とした部屋の中央に天蓋付きベッドが置かれ、白を基調にした室内、花柄のカーテン、張り出した角部屋は古城のテラスレストランに面していて、テラスの人々を見下ろすことになります。窓からはネッカー川を挟んで、ヒルシュホルンの町が見られる絶好の部屋でした。
可笑しかったのは女性スタッフ曰く、“先客がお宅の部屋の鍵を持ったまま、チェックアウトしたので、今はホテル側の鍵しかない。ともかく、部屋にご案内する”とのことで、いささか吃驚したが、こちらも早く部屋で休憩したいので、案内してもらった。この古城ホテルには幸いエレベーターがあり、段々重くなった荷物も楽に運べた。
・・・・・- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 10,000円 未満
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- サービス:
- 4.0
- バスルーム:
- 4.0
- ロケーション:
- 3.0
- 客室:
- 4.0






































































































































