ダンプフヌーデル ウーリ Dampfnudel-Uli
地元の料理
3.17
施設情報
クチコミ(3件)
1~3件(全3件中)
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レーゲンスブルグ:有名作家ジンメルもびっくりする店内で、小腹を満たしたダンプヌーデルン
- 4.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 12
≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日... 続きを読む間
5月16日(水):曇、小雨時々晴れ間 、 13.5℃、 94km
<Regensburgレーゲンスブルク観光> 12:15~15:45
Regenレーゲンの名前通りに今日も雨が降った。2008年4月29日の時もそうだったように、雨に縁がある町だ。
こんな言葉でレーゲンスブルグの町を讃えている。
『この美しい町は二つの顔を持っている。一つは石、もう一つは水。ドナウ川
から眺めてみると、この二つが一つに溶け合う。 (サンドラ・パレティ)』
<お茶:”Dampfnudel-Uliダンプヌーデルン-ウリ“で>
Am Watmarkt 4
15:00~15:30 Euro18(2,412円)
開店:火~金10時から18時、土10時から15時まで。
薄くなった朱色の塔Baumburger Turmバンブルクの塔の一階にある。
小さなお店だが、中に入るとちょっとびっくりだ。アーチ形の天井の下はバイエルンの旗や新白鳥城の絵、古い写真の数々、ビールのジョッキなどが脈絡なく、飾ってあった。
この点は前回と変わっていないというよりも、増えたようだ。
注文はリンゴジュース(Euro4.2)とダンプヌーデルン(Euro13.2、ミルクと油で蒸し焼きにした酵母入りフワットした甘いパン。元来はシュヴァーベン地方のお菓子)にした。
店内はお茶時らしく、数組のお客がいて、オーナーシェフも忙しい。
日本人と見たのか、オーナーもスタッフも私共には愛想が良い。
*2008年4月29日にダンプヌーデルン-ウリを食べた時、私どもが座った席の
後の壁に、こげ茶色の板に白抜きの文字が張ってあった。
“Es muss nicht immer Kaviar sein。(いつもキャヴィアが要るとは限らない)”
ドイツの人なら、殆どの人が知っている言葉であり、
作家Jimmelジンメルの最初のベストセラーの本の題名である。
ドイツ語圏の国々で最も多く読まれる作家であり、その著作は様々な国で
翻訳されている。
2009年1月1日に84歳でスイスのルツェルンで死去した。
XXXXX 閉じる投稿日:2018/09/19
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南ドイツ名物のダンプフヌーデルの有名店
- 4.0
- 旅行時期:2016/02(約10年前)
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レーゲンスブルク:ベストセラー作家ジンメルの名はドイツの人なら、殆どの人が知っているらしい!
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- 旅行時期:2008/04(約18年前)
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2008年ドイツバイエルン州:バイエルン王国、アルペン街道
04.29 (火) 小雨 時に激しく 9℃、 163km
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レーゲンスブルクの旧市庁舎には観光案内所があり、帝国議会のガイド見学の切符も売っていた。次のガイドまで一時間もあり、”Dampfnudel-Uli ”でRegensburgの名物を食べることにしました。
≪お茶:”Dampfnudel-Uli・ ダンプヌーデルン-ウリ“で。≫
薄くなった朱色の塔Baumburger Turmバンブルク塔の一階にある、小さなお店だが、中に入るとちょっと、びっくりだ。アーチ形の天井の下はバイエルンの旗や新白鳥城の絵、古い写真の数々、ビールのジョッキなどが脈絡なく、飾ってあった。
私どもが座った席の後の壁に、こげ茶色の板に白抜きの文字が張ってあった。 “Es muss nicht immer Kaviar sein。(いつもキャヴィアが要るとは限らない。)” 声に出して読むと、隣の席にいた50代前半の女性がこれを聞いて、笑いながら、“そーそー!!”と言って相槌をうった。
ドイツの人なら、殆どの人が知っているのでしょう!
この言葉は作家Jimmelジンメルの最初のベストセラーの本の題名である。作家ジンメルがこの店を訪れたことがあるのか、その本にこの料理や、店が登場するのか?店のマスターに聞きそびれてしまった---。
店の名物はDampfnudelダンプヌーデルン(ミルクと油で蒸し焼きにした酵母入りフワットしたパン。元来はシュヴァーベン地方のお菓子)に温かいバニラソースをかけたもの。
Apfelkucherlリンゴ入りのお菓子パンにシャンパンソースかけ。
もちろん、二人とも紅茶を頼んだ。いずれも甘く、三時のお茶にはもってこいのものだ。確かにいつもキャヴィアを食べるわけでもなく、食べたいものではない。
(14:45~15:20 Euro 17)
Johannes Mario Jimmelヨハネス・マリオ・ジンメルは1924年4月27日、ウイーンに生まれた。スイスのルツェルンで死去。享年84歳。
作者名は本名である。両親はハンブルグ出身のドイツ人でしたが、彼自身はオーストリア国籍を取得し、少年時代をオーストリアとイギリスで過ごした。やがて、化学を学んだことで、ウイーンの化学研究所で化学技師として働く。第二次大戦後は米駐留軍司令部で英語を生かして、通訳となる。1950年、西ドイツに移住し、ジャーナリストの道に転身し、取材の為に世界の各地を訪れる。
1950年から1960年にかけて、ジャーナリストの仕事をしながら、映画のシナリオや戯曲をたくさん発表し始める。中には童話作品もある。
1960年に“Es muss nicht immer Kaviar sein。(いつもキャヴィアが要るとは限らない。)”
(あるいは“人間はキャヴィアばかりを食べて生きているばかりではない” とも訳す;邦題『白い国籍のスパイ』;が大ベストセラーになり、作家としての地位を確固たるものにした。以後、作家活動に専念し、数々のベストセラーを生んでいる。
その時代の政治や社会の出来事をテーマにしている。2、3年毎に発売される作品は必ずその年のベストセラーの1位になるという人気で、殆どの作品は映画化、TV化されていると云う。作品の原題は皆、含蓄のある、洒落たものだ。
ドイツ語圏の国々で最も多く読まれる作家であり、その著作は様々な国で翻訳されている。
2005年Bundesverdienstkreuz 1 Klasse・ドイツ連邦功労十字勲章を授与される。
死去するまでスイス山中の湖畔にある小さな町の小さな家に隠棲していると云われた。
2009年1月1日、スイスのルツェルンにて死去。84歳だった。
XXX
<我が家の本箱にあるのは、以下の7冊(2番目を除き、全て上下巻)である>
Es muss nicht immer Kaviar sein:いつもキャヴィアが要るとは限らない(1960年)
Lieb Vaterland , magst ruhig sein :祖国よ、安らかなれ (1965年)
Wir heissen euch hoffen :我ら汝が手に希望を与えん (1980年)
Bitte , lasst die Blumen leben :花を生かしておいて (1983年)
Doch mit den Clowns kamen die Traenen :涙が道化師たちとやってきた(1987年)
Die im Dunkeln sieht man nicht :暗がりの奴らは見えっこないさ (1985年)
Im Fruehling singt zum letztenmal die Lerche :ひばりの歌はこの春かぎり(1990年)
(2009.01.01.作成) 】
尚、邦題が前述とは異なる2冊が以下である。
Es muss nicht immer Kaviar sein・邦題『白い国籍のスパイ』中西和夫氏解説 及び
Wir heissen euch hoffen・邦題『白い影の脅迫者』大崎隆彦氏あとがき
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2025.12.04.追加更新した。 閉じる投稿日:2016/05/11
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