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jijidarumaさんのクチコミ(23ページ)全659件

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  • ゴスラー:マルクト広場は魔女の祭りで楽しさいっぱい

    投稿日 2019年04月10日

    マルクト広場 (ゴスラー) ゴスラー

    総合評価:4.5

    “北ドイツ周遊の旅”2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    5/01 (日) 快晴日差しの強い一日  81km   
    Quedlinburg ―>Goslar : 朝食後、Quedlinburg9:00出発。B6―28km、Wernigerode、B6・6N―35km、Goslar9:30着。市内観光(旧市街・世界遺産);Marktplatz、Rathaus、グロッケンシュピールKaiserpfalz、Siemenshaus。

    この町はハルツ山地の西端にあり、4万6千人の世界遺産の町です。
    私はこの町の中世の雰囲気が好きで、1976年の5月1日~2日(1泊)、1983年4月4日(日帰り)の二回、Duesseldorfから凡そ片道350kmのゴスラーに遊びに来ました。
    我が家の居間に鎮座している、1800年代の制作と云われる?人形は、29年前のこの日に、泊まったホテルの広間で催されていた、“蚤の市”で購入したものです。

    Marktplatzマルクト広場では魔女の仮装をした女性達が中世風の屋台をやっていて、大勢の観光客や市民がビールを飲みながら、テューリンガー風ソーセージを美味そうに食べ、市庁舎前に作られたステージを見ている。パン屋、肉屋、矢場もあり、人物像を描く絵描さんが子供の顔を上手に画いている。金銀細工品、皮細工や手芸品も魔女が売っている。日本の縁日のように、いろいろと見て廻るのは楽しい。

    町の看板にあるポスターを見ると、なんと嬉しい事に28日から5月1日の4日間“Walpurgisヴァルプルギスの祭り(魔女の祭)”をやっているようだ。
    街中らしく、規模を大きくして皆で楽しんでいる。
    ステージでは、3人の男性が上半身半裸の格好に皮ズボン、長靴で、バックパイプを奏でている。後の男が大太鼓を叩き、女性は魔女のメークをして、スティールギターを大音量で奏で、歌い踊っている。リズムがあって、腹に響く音量がすごい。背後の垂れ幕に、“Kradem Aventure“とあるがグループ名なのか?!
    最近、ヒットしている曲のようで観客も調子をとっている。---耳についたリズムが日本に帰っても、鳴っている。

    マルクト広場にはグレーのスレート屋根と白い壁を基調とする家々があり、広場の中央には、Reichsadler帝国の鷲をモチーフにした噴水が何故か?今日は赤い水を吹き上げている。
    噴水はランメルスベルク鉱山から産出した鉱石を使用したブロンズ像だとか。
    この噴水を中心に、広場の敷石は放射線状に敷きつめられている。
    今日は人だかりで、その素晴らしさが見えないのが残念といえる。

    ステージでは、子供達のHexentanzヘクセンタンツ(魔女の踊り)が始まっている。さっきのバンド・グループの魔女が、踊りをコーチし、一応、コンテストらしき事があるようだ。ちっちゃな子、双子の女の子、元気な坊や、お腹をだし、ちょっぴりおめかしした女の子たちが、皆上手に踊る。親もビデオ撮りで夢中だ。

    グロッケンシュピール仕掛け時計は15時に鳴る。仕掛け時計の鐘の下が口を開け、最初に銀山を発見したと言う“騎士ラムの愛馬”が登場する。採掘シーンの昔と現在を再現した人形が鐘の音と共に、一方の出口から出てきて、ぐるり廻って反対側の口に消えていく。7分の間、広場の人たちは皆、グロッケンシュピールにくぎづけとなる。この仕掛は、ランメルスベルク鉱山採掘1000年を祝って作られたそうだ。

    広場に面して、白い壁のアーケードが独特である市庁舎(15世紀、ゴッシク様式)、その横に、赤レンガ色の外観、壁には幾つもの皇帝の像が取り付けられた、Hotel-Kaiserworthホテル・カイザーヴォールト(築511年。昔はギルド会館であったという)があり、今夜此処に1泊する。全体の雰囲気がなんともいえぬ良さになっている。

    ・・・・・

    旅行時期
    2005年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1日

  • ゴスラーの町はやはり魔女たちの祭が一番印象に残る。

    投稿日 2019年04月10日

    観光案内所 (ゴスラー) ゴスラー

    総合評価:4.5

    “北ドイツ周遊の旅”2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    5/01 (日) 快晴日差しの強い一日

    ゴスラーの町は魔女たちでいっぱいだった。もしハルツ地方を旅行するのであれば、この時期が一番楽しいだろう。

    A7を35km走ると、分岐点のSeesenゼーゼンに至る。ここから、Harzハルツ山地が始まる。“魔女伝説”で知られるハルツ地方は旧東西国境地帯に位置していた為、統一以前は入ることが出来なかった。
    だから、ゲッティンゲンからB27を南に32kmという近くに、現代史---東西ドイツの遺跡ともいえるWahlhausenヴァールハウゼン・Grenzmuseum国境博物館がある。

    旧東独の地域は統一後、旧西ドイツからの資金も流入して、歴史的遺産、木組みの家並みの保存や、町の改良工事が、何処も盛んだ。
    1970、80年代、西から東に入った時の、暗く、貧しい印象は今も私の記憶に残る。統一の1990年から、既に15年が経過しているが、彼我の差を無くすには、まだまだ、10年以上の年月が必要と思われる。

    【ヴァルブルギスの前夜祭(29日)、魔女の祭り(30日)と5月柱】
    ハルツの各地---ゴスラー、ハーネンクレー、ターレ、ブロッケン山の村---では、この4月29日、30日、5月1日にかけての夜、“冬の終わりと、春の訪れ”を祝って、女性が魔女の装いをして、燃え上がる炎を囲んで、踊りを楽しむという“ヴァルブルギスの夜”祭りを催す。零時をこえると其の年の“5月の女王”が選ばれ、春の踊りが始まる。

    17世紀の文献には、『この4月30日に、魔女達が箒の柄に乗って、空を飛び、ブロッケンの山頂に参集して、悪魔と饗宴を催した。暁を知らせる鶏の声と共に、彼らはいっせいに姿を消し、5月1日から、春が始まる。』という伝説があります。ドイツの作家ゲーテの“ファウスト”にも描かれて、良く知られている。

    本来、春迎えの儀式は古代の神々の領域でしたが、キリスト教の到来と共に、古代の神々は異教の神として追われ、悪魔として扱われ、古代の神を信仰するものも、魔女とされました。
    悪魔と魔女は冬を象徴し、冬が追われ、春がキリストの神と訪れるというものです。

    19世紀になって、ハルツの人々は民間伝承の話を、春迎えの祭りとして、新しく、復活させ、前述のような形になりました。これは16世紀のルターの宗教改革後に起こった新旧両派の権力闘争や、諸侯の世俗の争いが火種になり、不都合な相手や、敵を男女の別なく、魔女として告発するという“魔女狩り”とは趣が違う。
    16~17世紀の“魔女狩り”の嵐は、当時、全ドイツに吹き荒れて、魔女裁判による犠牲が10万人を超えたと云われている。

    5月柱“Maibaumマイバウム”は5月1日になると、ドイツの各地のマルクト広場に立てられる。人々はこの柱の周りを廻って、踊り、春の訪れを祝う。
    元来は、古代の神々、“樹木信仰”から来たものであるが、キリスト教に合体した形で、キリスト教の宗教行事になってしまっている。
    カトリックの強い南ドイツは特に立派なマイバウムを立て、祝いの行事も盛んである。

    ・・・・・

    ゴスラーの町はやはり魔女たちの祭が一番印象に残る。

    旅行時期
    2005年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1日

  • ブラウンシュヴァイク:旧市街マルクト広場は中世のままの建物が並ぶ。

    投稿日 2019年04月06日

    観光案内所 (ブラウンシュヴァイク) ブラウンシュヴァイク

    総合評価:4.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4/26 (火)曇り時々小雨

    Altstadtmarkt旧市街マルクト広場はアントン・ウルリヒ公博物館から真西に15分ほど歩いた所にある。この地域も中世のままの建物が並び、見応えのある地域だ。
    13世紀のAltstadtrathaus旧市街市庁舎、1408年作のMarienbrunnenマリア様の泉、そして、この町のルネッサンス風建物を代表するGewandhausゲバンドハウス毛織物販売・手工業者の建物(現代の商工会議所ビル)など、まさに中世の風情である。

    ・・・・・

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ブラウンシュヴァイク:フェルメールの「ワイングラスを持つ娘」を見る。

    投稿日 2019年04月06日

    アントン ウルリヒ公博物館 ブラウンシュヴァイク

    総合評価:4.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4/26 (火)曇り時々小雨


    この町に来たのも、実はHerzog Anton Ulrich-Museumアントン・ウルリヒ公博物館(Euro6)を訪れる為です。ブルク広場からは思っていた以上に距離があり、小雨も降ってきて、少々寒さも感じる。大きく道を迂回して、州立劇場や博物館が並ぶ地域に至る。

    ウルリヒ公の収集したレンブランド等の名品が展示されていて、特にフェルメールの“ワイングラスを持つ娘”が有名である。
    また、クラーナハ、ホルバインなどのドイツ・ルネッサンス絵画部門、江戸の蒔絵小箱、陶器などの工芸部門も充実して、大変印象深い。

    お昼も抜きで見て周り、さすがに疲れたので、博物館内のCafeでコーヒータイムとした。

    ・・・・・

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.0

  • ブラウンシュヴァイク:ハインリヒ獅子公が建てた大聖堂には比翼の柩がある。

    投稿日 2019年04月06日

    大聖堂 (ブラウンシュヴァイク) ブラウンシュヴァイク

    総合評価:4.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4/26 (火)曇り時々小雨

    ダンクヴァルデローデ城をいったん出て、子供達と更に、ロマネスク様式のDom大聖堂に行く。
    大聖堂もハインリヒ獅子公が建てたもので、高い八角形の2本の塔が目立っている。
    内陣には、ハインリヒ獅子公とその妻で英国人マティルダの比翼の柩が並んでいる。
    珍しく3本だけの杭が打たれたキリストの十字架像、女帝マリア・テレジア(オーストリア・ハンガリー帝国)の娘の柩はウイーンで見た柩を同じように立派なものだ。

    ・・・・・

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ブラウンシュヴァイク:この町のシンボルはライオンの像

    投稿日 2019年04月06日

    ライオン像 ブラウンシュヴァイク

    総合評価:4.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4/26 (火)曇り時々小雨
    朝食後、Celle8:30出発し、B214―50km、Braunschweig9:30着、人口26万人。ライオンがシンボルの王の都。市内観光(旧市街); Burgplatz、Dom、ライオン像、Burg Dankwarderode、Herzog Anton Ulrich-Museum(フェルメール、レンブランド、クラーナハ)Gewandhaus、Altstadtmarkt、昼食:コーヒータイムに。ブラウンシュヴァイク15:00出発。

    ブラウンシュヴァイクに9:30到着。
    この町は12世紀の頃から、北ドイツ地帯を支配したハインリヒ獅子公の拠点として、大いに栄え、歴史的な見所も多い。現在はニーダーザクセン州の南部最大の都市として、VWやSiemensの大工場をもち、発展している。
    旧市街を巡る環状線に沿って走り、J.F.Kennedy米大統領を記念して名付けた交差点を右に入り、Bruchtorwall通り際の駐車場に停める。
    ブルグ広場を目指して、人通りも多い街中を歩く。15分位で、大聖堂DomやBurg Dankwarderodeブルグ・ダンクヴァルデローデ城が見えてくる。

    Burgplatzブルグ広場にはこの町のシンボル、---ハインリヒ獅子公が建てた---ブロンズのライオンの像(本物は州立博物館に)が城に向かって守護神の如く、立っている。
    像の台座に登って、写真を撮ろうとしていると、ダンクヴァルデローデ城の見学にきた子供達がこちらを見て笑っている。

    ・・・・・

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • リューネブルク:黄金の塩とリューネブルガー・ハイデの関係

    投稿日 2019年04月04日

    ドイツ塩博物館 リューネブルク

    総合評価:3.5

    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4/25 (月) 、
    リューネブルクは千年の昔から、“白い黄金”と呼ばれた塩の生産地として栄えた町である。それは市庁舎やアム・ザンデ広場の建築群を見れば、納得する。
    ここはかつてザリーネ(製塩場)として、20世紀後半まで現役であったが、今は塩の博物館となっている。

    ドイツの各地には例えば、南独・Oberbayernオーバーバイエルン地方の南東にあるBad Reichenhallバート・ライヘンハルではキリスト誕生の頃から、塩が産出されたと云う。
    当時、塩は“白い黄金”として、これを持つ者にとって権力と富の源泉であった。近くのBerchtesgadenベルヒテスガーデンには岩塩坑(見学可能)があり、そこから岩塩を採掘していたが、バート・ライヘンハルでは“白い黄金”が泉から噴出していた。ヨーロッパで最も濃度の高い、この塩水から水を蒸発させて(この為、燃料となる森を必要とした)、塩を得ていたという。ここにもAlte Salineアルテ・ザリーネ(製塩場)があって、塩の博物館を併設している。

    北方であるLueneburgリューネブルクでも1000年の昔から、“白い黄金”と呼ばれた塩の生産地として栄え、港町・リューベックに至る“塩の道”の出発点であった。
    ハンザ都市は塩、塩で樽詰めにしたニシン、木材、鉄、岩石などをバルト海沿岸、北ドイツを中心に商い、特権的な交易で栄えたのは良く知られている。

    【黄金の塩とリューネブルガー・ハイデ 】
    リューネブルクの地層は地下40mが土、その下に厚さ4kmに及ぶ岩塩があり、岩塩を溶かした湧き水には25%の塩分が含まれていた。湧き水の場所に製塩所を建て、かまどを炊いて、塩を製産したそうです。最盛期には年3万トンの生産となり、ハンザ同盟圏での塩の独占販売権を握ったリューネブルグは大変な富を持つことになった。

    16世紀の後半になると、ルターの宗教改革により、人々が肉を食べるようになり、ニシンの需要が減ったこと、また、地中海沿岸地域の塩が安く出回りだしたことで、独占的地位が低下し、衰退に向かったという。

    今は塩水を健康センターに供給して、皮膚病、美容に利用されている程度で、むしろ、塩の地下水を吸い上げてきた結果、地盤低下に困っている地域も出てきているとか。

    南ドイツのバート・ライヘンハルでもそうであったように、リューネブルクでもかまどの火の原料は当時木材であり、水分を蒸発する為には大量の木材を要した。この為、リューネブルグの西にある森林地帯から木材を切り出したそうだ。

    現在、そのあたりはNaturschutzpark Lueneburger Heide自然保護公園リューネブルガー・ハイデ(1921年指定)となり、夏には赤紫色のきれいなエリカ(イギリスではHeathヒース)の花が原野一面を埋めつくす。
    “エリカ街道”という観光用の名前が付けられたのも、此処からきているわけだ。

    ドイツの観光街道のうち“エリカ街道”も“塩の道”もリューネブルクに絡んでいるので、ここに書いてみた。

    ・・・・・

    旅行時期
    2019年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • リューネブルク:ハンザ商人達の家々がきれいに残っているアム・サンデ広場は見所だ。

    投稿日 2019年04月03日

    アム ザンデ リューネブルク

    総合評価:4.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4/25 (月) 、リューベックを走り出て、リューネブルクまで100kmを行く。
    リューネブルクには12:45に到着となる。
    千年の昔から、“白い黄金”と呼ばれた、塩の生産地として栄えた町である。

    市庁舎見物を終えて外に出ると、青空が雲で覆われ、暗い雰囲気になってきていた。
    観光局でいただいた地図に沿って、ハンザ時代の面影を残した壮麗な“ラーツ・アポテケ;薬局”を見て、更に150m先の“Am Sande Platzアム・サンデ広場”にいった。
    長さ275m、幅40mの広場の周囲に、12世紀からのゴシック、ルネッサンス、バロックの様々な様式で、建てられたハンザ商人達の家々がきれいに保存されている。
    今は銀行、商店、レストランに使われている。こげ茶の商工会議所の建物は独特だ。

    遠くに、バッハがルター派の給費学生として学んだ5層の聖ヨハニス教会が108mの高い尖塔と共に見える。

    ・・・・・

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • リューネブルクの市庁舎内見学は、『白い猪の話』の伝説もあって、実に面白かった。

    投稿日 2019年04月03日

    市庁舎 (リューネブルク) リューネブルク

    総合評価:4.0

    “北ドイツ周遊の旅”
    2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
    1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    4/25 (月) 、リューベック・ホルステン門を出て、リューネブルクまで、B207を距離凡そ100kmあるSalzstrasseザルツストラッセ(塩の道)或いはエリカ街道と称される道を走る。
    船乗りの守護神、聖ニコライ教会の側で駐車場を見つけ、歩いて2、3分のマルクト広場にあるRathaus市庁舎を訪れた。何度か来ている割に、肝心の市庁舎内部を見ていないので、案内時間(14:30ガイドつき)の確認をすると、まだ1時間半もある。
    それで市庁舎下のRatskellerラーツケラーで昼食をした。

    広場に面した市庁舎は、1240年に建設され、500年の間、建て増しを続け、1720年にはバロック風に改築された。黄色の壁、茶の屋根、真中に二重の鐘楼を持つ姿は、大変典雅で美しい造りだ。市庁舎に行くと、10名ぐらいの観光客が集まっている。

    14:30きっかりに女性のガイドさんが出てきて、案内が開始される。
    ベルギー産毛織物の売買に使用された“ゲヴァントハウス”(1300年)には、各地からもたらされた皿、水差しなどの見事な銀製品が陳列されている。
    二階に上がると大きな“裁判の部屋”(1330年)があり、24人の議員が裁判官と製塩所の管理者を兼ねていて、ここで議会や裁判、ハンザ総会などを行っていたそうだ。
    1430年製のカール大帝を描いたステンドグラス、寒さをしのぐ床暖房装置が見物だ。

    “書記の部屋”(1449年)には公文書保管用の棚、16世紀の拷問具、断首用の刃物が展示されている。面白い事に天井から下がっている籠の中に、リューネブルグの岩塩発見伝説にある“猪の骨”が入っている。
    骨が本物であるかはともかく、『白い猪の話』---鬱蒼とした森に白い猪が出るという噂が立ち。ある時猟師が弓矢をもって、森に入り、この猪を仕留めると、白い猪は塩まみれであった。猪は泥遊びをするので、塩分を含む湿地で泥遊びし、乾いた後は塩が白くなったという話だと云う。大変面白い伝説が残った。

    “市長選出の部屋”(1491年)は裁判の部屋から20段の階段を上がるところに有る小さな部屋だ。その階段には3つの扉があり、部屋の中で、市長を選出する秘密会議が行われたからである。全議員は終身制で、4人の市長は名誉職であったそうだ。

    口コミを書かれた皆さんは市庁舎内見学をされていないようですが、私共は幸い今回、念願の市庁舎内部見学ができた。
    ガイド案内は一時間程、大変分かりやすい、ユーモアーのある説明で、お別れにチップEuro2をはずむ。入場料は二人でEuro9でした。

    ・・・・・

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.5

  • 期待を裏切る事が無い、美しいコイケンホフ(キューケンホフ)公園

    投稿日 2019年03月26日

    キューケンホフ公園 キューケンホフ

    総合評価:5.0

    ≪1983.04.30.~05.01.セピア色の思い出:オランダ小旅行(マルケン島、フォレンダム、大堤防、ハーレム、コイケンコフ)≫

    1983年の5月1日LisseリッセのKeukenhofコイケンホフ公園に行った。
    この季節になると、毎年のように訪れた場所だ。

    もう時間的には遅く、午後4時の入場になってしまった。
    写真はこの年の方が何故か、きれいな色合いで残っている。
    コイケンホフ公園に入ると、可愛いチューリップ、紫のヒヤシンス、水仙、桜も咲く・・・花々が競い、世界で最も美しい公園と称されているのも納得だ。

    とりわけ、白鳥の泳ぐ池の水辺を散策し、木立の間を歩く。楡の木立が苔むして、若芽も萌えてきた、この時期のチューリップは特に群生が素晴らしい。

    <Keukenhofコイケンホフ(キューケンホフ)公園>
    NL-2161 AM Lisse 、Stationsweg 166A
    https://keukenhof.nl/

    ドイツ語読みでは「コイケンホフ」、オランダ語ではキューケンホフと呼ぶ公園はオランダのLisseリッセに位置する世界最大の花の公園である。

    Keukenhofコイケンホフ(キューケンホフ)とはオランダ語で「台所公園」「キッチンガーデン」のこと。別名のヨーロッパの公園ともいう。総面積 32 ヘクタールの園地に植えつける花の球根は毎年700万球にのぼる (公式サイトによる)。

    コイケンホフ公園のある南ホラント州のリッセは「砂丘と球根地域」と呼ばれる地域にあり、北のハーレム、北東のアムステルダムなど主な都市から近い。
    例年、公園の公開は3月半ばから5月半ばの期間に決まっていて、天候に左右されるものの4月半ばころにチューリップの見ごろを迎える。

    その歴史:
    15世紀の猟場を敷地にしたコイケンホフ公園は、かつてここで栽培したハーブがジャクリーヌ・ド・ナノーの居城に運ばれたことから「コイケンホフ」 (城の台所に花を届けた敷地)という名前がついたという。
    ジャクリーヌの死後、地主は裕福な商人に代わり、17世紀、オランダ東インド会社の提督でこの地域を治めたAdriaen Maertensz Blockが1641年に大邸宅 (現在のコイケンホフ城) を建てると、ここで余生を送った。

    19世紀の持ち主はVan Pallandtファン・パラント男爵カレルアン・エイドリアン夫妻で、造園家たちにコイケンホフ城を囲む庭をデザインさせた。

    庭園の開園は1949年。当時のリッセ市長のアイデアで、オランダ国内ばかりでなく広くヨーロッパ全域から造園家を招いて屋外球根展示会を開き、園芸種の球根のコンペの開催を決めたのである。これによってオランダの輸出産業を伸ばす意味もこめられた (オランダは世界最大の花卉(かき) の輸出国)。(Wiki)

    尚、コイケンホフ公園を取り巻いてチューリップ農家の広大な畑が広がるものの、畑はコイケンホフ公園のような公共の土地ではなく、ほぼ全て私有地である。

    ・・・・・

    旅行時期
    1983年05月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    施設の快適度:
    3.5

  • ゲーテの“若きウエルテルの悩み”の舞台・ヴェツラーの町にあるシャルロッテの家

    投稿日 2019年01月27日

    ロッテの家 その他の都市

    総合評価:4.0

    <2006.5.“ドイツ ライン・モーゼル・ラーン周遊の旅”>
    期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間

    目的地: 今回の旅の目的地は二度目のドイツ駐在を終え、1985年5月31日に帰国して以来、21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”が第一です。
    そして週末や休暇の帰途に、何度も立ち寄った“ライン・モーゼル川、更に言えばルール川、アール川、ラーン川の流域等”を旅するものです。


    <Die Lahnラーン川(ラーン川流域図をご参照下さい)>

    ノルトライン・ヴェストファーレン州南東部、ヘッセン州との州境付近のロタール山地南東部にあるロタールシュタイク沿いのネトフェンという町、そのラーンホフと呼ばれる地域にあるラーンコプフという標高612mの斜面にラーン川の水源地はある。
    ラーン川はまず東に向かい、グラーデンバッハ山地北部をカルデルンまで至り(上部ラーン渓谷)、Marburgマールブルグ(城、エリザベート教会、旧市街、大学都市)の上流で、南に下り、Staufenbergシュタウフェンベルク城、Giesenギーセン(城、大学都市)の辺りで、ギーセン・ラーン渓谷の地域を切り開いて、西に向きを変えて流れる。
    さらにWetzler,Weilburg,Limburgの町々を経由し、幾つかの小さな川がラーンに合流し、全長242kmをゆったりと穏やかに流れていき、やがて標高61mの地点、Lahnstein・コブレンツでラインの大河に注ぎ込む。

    ・・・・・

    ゲーテの記念館とも言うべき、Lottehausロッテハウスは大聖堂近くにあり、此処は元々、ゲーテが恋した、大変な美人Charlotteシャルロッテの両親Buffブッフ・・・三代続いた・・・の家であった。
    1922年より、町の博物館となっている。入ってみると、当時の市民階級の家は、意外に小さな部屋ばかりだ。

    1772年の夏、ゲーテは殆ど毎日のように、この家を訪れたと云う。2階に肖像画、個人が使用した品々、食器、古い家具が置かれ、寝室や子供部屋があり、当時の市民生活を知ることができる。
    下の階には、各国で翻訳された“若きウエルテルの悩み”本の数々が陳列され、日本版も置いてあります。

    驚く事に、ご主人が亡くなられた後、8人もの子供をかかえた、シャルロッテの生活苦であり、実弟への経済援助を依頼した書状が展示されている。
    館員の方に『ゲーテの支援は有ったのでしょうか?』と聞いてみると、『それは有ったと思う!』との事でしたが・・・。

    世界青春文学名作集の解説では、老境に入ったゲーテとシャルロッテが1816年に一度会った事があるそうです。周辺が興味深げにした事もあってか?
    ゲーテにとっては煩わしく?!シャルロッテにとってもまた、あまり良い印象をゲーテに持たなかった?!とある。 (30分見学:Euro5)

    ・・・・・

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    3.5

  • 横浜・ホテルニューグランド:20年ぶりの友人との会食、セピア色の思い出の1ページになった。

    投稿日 2019年01月20日

    ホテルニューグランド 横浜

    総合評価:4.0

    <横浜:ホテルニューグランド>
    〒231-8520 神奈川県横浜市中区山下町10番地
    元町中華街駅 1番出口から徒歩で約1分。JR石川町駅から徒歩で約15分。
    TEL : 045-681-1841(代)
    タワー館プレミアみなとみらいビューツイン(禁煙)
    朝食付21,600円(サービス料、消費税込み)

    夕食のレストランは窓際の席をお願いしました。
    レストランの時間は早い時間の終了ですから、18時に入店。

    パノラミックレストラン【ル・ノルマンディ】
    オータムフェア フレンチディナーコース
    期 間:2015年11月1日(日)~12月11日(金) 
    時 間:17:30~21:00(L.O. 20:00)

    【 Menu -¥11,340- 】
    ・アミューズ
    ・野菜と一緒にノワール・ド・ビゴールの生ハムとイカのポワレ
    ・キャベツとポワローのキッシュ、フォワグラ添え、ソースペリグー
    ・お薦めの魚料理 シェフスタイル  又は
     食いしん坊の一皿、ニ種類のビーフ盛り合わせ
    ・林檎のタルト、バニラアイス添え
    ・コーヒーと小菓子

    11月26日は20年ぶりにお会いし、3時のお茶の時間から夕食まで、6時間半に及ぶ四方山話はたいへん楽しかった。お聞きしたエピソード、その記憶力に少々驚きました。


    【チェックアウトの際は勘定書きをよく見ましょう】

    3時の御茶用に私共の部屋番号とサインでケーキを購入したが、なんとそれ以外
    につけられた伝票があった。その伝票にはサインはなく、私共の部屋番号が
    書かれていたのだが、適当に番号を書いたのか、悪意で書いたのか不明だが、
    会計担当者が基本動作を怠った所為だろう。
    ホテル側は恐縮して謝罪していたが、本来の債務者の調べようはないだろう。
    ともあれ、こうした事が一流ホテル(と思っているが)であった事に、
    正直驚いたし、折角の一泊が一寸となーという気分になったものだ。

    jijidaruma

    旅行時期
    2015年11月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    12,500円未満
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    3.5
    客室:
    4.0
    接客対応:
    3.5
    風呂:
    4.0
    食事・ドリンク:
    4.0

  • ウィ-ン市を眺望できる絶好の位置にある古城ホテル ヴィルヘルミネンベルグ城

    投稿日 2014年08月16日

    オーストリア トレンド ホテル シュロス ヴィルヘルミネンベルグ ウィーン

    総合評価:4.5

    南ドイツとオーストリア周遊の旅:         
    ( 2004年4月21日?5月4日 :2週間 )
    *ドイツ・バイエルン国王 ルードヴィッヒ2世  と 
     オーストリア皇妃 エリザベート ----愛称 “シシー” を 巡る旅*


    2004年4/25(日) &4/26(月):2泊
    Hotel Schloss Wilhelminenberg古城ホテル ヴィルヘルミネンベルグ城

    (4星) 119x2 Euro= 238 注:パッケ?ジ料金169―50=119     
    A-1160 Wien 、Savoyenstrasse 2 、   

    TEL:43(1)―4858503、FAX:43(1)―4854876
    schloss.wilhelminengerg@austria-trend.at   

    グラ?ツからアイゼンシュタッドのエステルハ?ジ?宮殿、ハイドン博物館を見て、ウイーンのシェ?ンブルン宮殿を見学し、ホテルに18時に到着する。

    アレンジメントのパッケ?ジ料金(Schloss Romantik)で依頼した3階のジュニア・スイ?トは二つの部屋が一緒になった大きな部屋 でした。
    部屋にSektゼクト(シャンパン;“Goldeck Privat Brut”というウイーンの南、バーデンの近く、Bad Voeslamのシャンパンです。)が一本、冷やされていて、果物籠が置かれ、さらには“びっくり箱”---石鹸や、シャンプ?、香水の類の入った---で歓迎されました。

    この古城ホテルは昨年の旅で頂いた“ウイーンのホテル案内”で見つけ、インタ?ネットでのやり取りで、予約したものです。

    歴史的にはこの古城ホテルは伯爵家の城として、1781年に建てられ、その後、何度かの改築があり、今の新帝国スタイルになったのは1904年です。
    現在は50もの会議等に使用される部屋と33の客室、4つのジュニア・スイ?トを持ち、ウイ?ンの西の高台にあって、30エ?カ?の広さの公園、ブドウ畑に囲まれ、ウイ?ン市を眺望できる絶好の位置にあります。

    夕食は4品のキャンドルディナーでレストランには我々の席が用意されていました。
    アペリティーフは当ホテル名のSektをグラスで、赤ワインは薦められた同じく当ホテル名のものを一本(27.00EURO)いただきました。

    料理は前菜として粒胡椒をかけた、鮭のスライス、スープはフランス風オニオンスープ、メインの肉は子牛のステーキ、川魚はニンニク油のソテーで、どちらかを選択しました。デザートは柔らかく煮たりんごを磨り潰し、ビッターチョコレートのムースをかけたものでした。

    3時間(19?22)があっという間に過ぎ、さすがにウイーンは料理も美味しく、優雅なディナーでした。

    旅行時期
    2004年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    5.0
    ジュニア スイ?トにしては安い
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    5.0
    ロケーション:
    4.0
    旧市街からは少々距離がある
    客室:
    5.0

  • 塩原:紅葉始めた7つ岩吊橋周辺も良し、少し離れた塩原八幡宮の逆杉も源氏ゆかりの地だ。

    投稿日 2018年12月17日

    逆杉 塩原温泉郷

    総合評価:4.0

    若い頃にお世話になった山形の友人に会うために出かけた。
    2018年10月15日(月)~19日(金)の四泊五日の旅、久しぶりに国内の高速を走る大旅行(往復987km)になった。往復の途中、いわきと塩原に一泊し観光もしながら、山形の旅をしたわけだ。

    10月19日(金):小雨後曇り時々晴れ、14℃、約240km

    かんぽの宿近くの①天皇の間記念公園(旧塩原御用邸)を見てから、②7つ岩吊橋周辺、③塩原八幡宮の逆杉を見ることにした。
    久しぶりに訪れた塩原は何もかも新しく感じたものだ。

    ≪塩原:紅葉始めた7つ岩吊橋周辺も良し、少し離れた塩原八幡宮の逆杉も源氏ゆかりの地だ。≫

    <塩原見物>
    ②七つ岩吊橋   12:55~13:05
    栃木県那須塩原市塩原塩釜

    塩原渓谷を流れる箒川(ほうきがわ:全長48km、那珂川の1支流)に架かる全長87mの大吊橋を七つ岩吊橋と呼んでいる。
    吊り橋の足下にはきらきらと光る水面、周囲は雄大な渓谷美が広がり、絶好の立ち位置にある。
    四季折々に姿を変える景観は美しく、特に秋は紅葉の絶景スポットになるようだったが、山形、那須でも感じたように少し時期が早かったようだ。
    駐車場には無料の足湯もあって、観光客がわざわざ素足になって楽しんでいた。

    ③塩原八幡宮の逆杉(さかさすぎ)   13:20~13:50
    栃木県那須塩原市中塩原11

    逆杉(昭和12年に国の天然記念物に指定)は塩原八幡宮にあり、平安時代中期の康平5年(1062年)に八幡太郎源義家(先日見た勿来の関跡の騎馬像も同じ)が奥州征伐の折、この地に一泊し、源氏所縁の塩原八幡宮に戦勝を祈願するため、しめ竹の代わりに杉苗2本を植えたのが、この逆杉であるとの言い伝えがある。

    樹齢が約1500年とされる「逆杉」は今でも樹勢が盛んな巨木で、梢に近く高い幹に垂れた太い枝が多いところから逆さ杉と呼ばれるようになったと云う。
    二本の杉は東西に並び、西の大きい方を男木(雄杉:幹周り11.5m、東の木を女木(雌杉8m)といい、根本でくっついている。
    別名「夫婦杉」とも呼ばれ、樹高約40mのご神木で県内最大の杉とされている。

    高々としたご神木の逆杉を見上げ、御賽銭を上げてから、左手にある鯉の住む池に行ってみた。塩原八幡宮若水の表示があり、向背の森林地域から湧き出ているのだろう若水がきれいな池を作っている。たいへん冷たい水だが、鯉の生育には問題が無いのだろう。たくさんの錦鯉などが群れを作り、家内の打つ手に反応して寄って来た。思っていた以上に参詣者の車が訪れていた。


    ・・・・・

    久しぶりに訪れた塩原を14時に出発し、東北道、北関東道、常磐道、圏央道、東関道を利用して(約240km)、あまり100kmは出しませんが、ほぼ順調の走りで千葉に、18時近くに帰宅しました。
    天候も東北道辺りでザッーと降りだしたぐらいでした。
     
    さて、千葉から山形への旅は途中でいわきや二本松、那須・塩原に立ち寄ったが、往復の総走行距離は987kmとなりました。国内の車の旅としては最長です。
    約1000kmの旅、よく走ったなと言う感じ、私もさすがに疲れはしたものの、ひなの宿、簡保の宿塩原で温泉に入った所為か!私の腰の調子も改善してきました。きっと頭に停まったトンボや、塩原の「天皇の間記念公園」で見た人慣れした山鳩夫婦といった”天恵 ”も後押ししてくれているのかもしれません!?

    もっとも紅葉は那須・塩原など、どこも少々早かったようで残念でした。

    初めての山形は旧友のお蔭で大変楽しむことができました。
    以来、東北、山形の地図を見ることが多くなりました。
    次回は庄内・酒田や上杉・米沢なども訪ねてみたいものです。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・
                        (2018年11月23日)

    旅行時期
    2018年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 塩原:かつての塩原御用邸を移築保存した“天皇の間記念公園”を見る

    投稿日 2018年12月15日

    塩原温泉 塩原温泉郷

    総合評価:4.0

    若い頃にお世話になった山形の友人に会うために出かけた。
    2018年10月15日(月)~19日(金)の四泊五日の旅、久しぶりに国内の高速を走る大旅行(往復987km)になった。往復の途中、いわきと塩原に一泊し観光もしながら、山形の旅をしたわけだ。

    2018年10月18日(木):曇りのち晴れ、11℃、約240km

    14時、二本松を出て、再び東北道にのり、宇都宮方面に向かって走る。那須高原でトイレタイムの後(15分)、15時6分に那須インターを降りる。

    ちょっと立ち寄った那須高原 私の美術館」(此木三紅大(コノキミクオ)氏の美術館である匝瑳市の松山庭園美術館の姉妹館)は既に閉館していた。
    一帯を20分ほど写真に撮って、15時40分にはスタートした。

    ・・・・・

    今夜の宿泊先である塩原のかんぽの宿 塩原にはもう暗くなった16時25分に到着した。

    ④2018年10月18日(木)  1 泊
    かんぽの宿 塩原 0287-32-2845
    〒329-2921 栃木県那須塩原市塩原1256
    TEL:0287-32-2845

    標高1000メートル級の山々に囲まれ、箒川(ほうきがわ)沿いにたたずみ、泉質の異なる11もの温泉地が連なる塩原温泉郷は開湯約1200年の歴史をもつといわれる古くからの名湯揃い。そのひとつ、塩の湯地区にかんぽの宿は位置して、天然温泉を24時間堪能できます。
    洋室(216号室ツイン:禁煙)、1泊2食@14,700円X 2名 = 29,400円

    ・・・・・

    10月19日(金):小雨後曇り時々晴れ、14℃、約240km

    最終日、朝食は7時40分~8時15分、今日は遅いチェックアウトにしたので、朝食後に一風呂浴びた。だれもいない天然温泉を堪能できました。
    腰痛にも効き目があるとかで、気持ちも良い。
    12時出発し、久しぶりの塩原見物に。

    ≪塩原:かつての塩原御用邸を移築保存した“天皇の間記念公園”≫

    <塩原見物>

    ①天皇の間記念公園(旧塩原御用邸) 12:15~50
    〒329-2921 栃木県那須塩原市塩原1266番地113
    開園:午前9時から午後5時まで(ただし、12月1日から3月31日までの間は午前9時から午後4時30分まで)
    お休み:毎週水曜日(祝際日の場合は翌日、ただし7月20日から8月31日までは無休)
    入場料:【一般】1人につき200円、【小学生・中学生・65歳以上の高齢者・障がい者】1人につき100円、【幼児(小学生就学前の者)】無料
    http://www.sjc.ne.jp/nasusiobara/ShiobaraEmperorsRoom/index-tennounoma.htm

    かんぽの宿 塩原から天皇の間記念公園まで凡そ900mと近い。公園手前の薬局の駐車場横に広いスペースがあったので、そちらに車を停めさせてもらった。
    入口で入場料200円を払い、中に入ると人慣れした山鳩夫婦が水場でのどを潤していた。河北町のトンボといい、山鳩も”天恵 ”といったツキの感じがある。

    移築保存された旧塩原御用邸(敷地面積2,067㎡)の屋根は銅板平葺き、むくり破風(はふ:中央部が盛り上がっている形状)の緩やかな勾配を持ち、木造平屋の建物(251.6㎡)は大きなものではないが、歴史を感じる姿で、慎ましやかで落ち着いた雰囲気がたいへん好ましい。

    階段を登って邸内に入る。建物外側に板縁(赤絨毯敷)を東南西の三方に巡らせ、中心部に位置した「御座所」は長畳敷き四間、壁は皇室独自の美濃和紙を使った袋張、照明器具は洋風のものが使われ、御寝所の四方の柱には蚊帳を掛けるための釣り金具がつけられていた。御厠は漆塗り畳敷きで、天皇を始めとする皇族方の健康状態のチェックのため外部に向かって引き出し式の車がついていました。
    敷居には樫木が埋め込まれ、窓の木製レールには水抜きの造作がされて、床下は樫格子を打ち、侵入を防ぐといった精密な施工がなされているのが見えた。

    <天皇家と塩原の歴史>
    塩原温泉は雄大な自然と湯量豊富な良質の温泉とに恵まれた温泉郷で、古来より多くの人々に愛されてきた。

    その塩原にはかつて皇室の別荘として「塩原御用邸」がおかれていた。
    皇室と塩原のかかわりは古く、その始まりは明治三十五年(1902年)にさかのぼります。時の皇太子殿下のちの大正天皇には塩原温泉に避暑のため行啓になられ、翌三十六年にも前年に続き行啓になられました。
    皇太子殿下には、塩原滞在中その自然、気候、温泉等を大変お好みになられ、そのため福渡の地に別荘を所有していた「那須野が原開拓の祖」栃木県令三島通庸の嫡男三島弥太郎が、その別荘地献上を宮内省に願い出、明治三十七年に「塩原御用邸」が構えられたものだ。

    大正天皇は塩原の地を愛され、そのこともあり、貞明皇后をはじめ御幼少の昭和天皇、秩父宮殿下、高松宮殿下、御結婚前の香淳皇后をはじめ、多くの皇族方に塩原御用邸は御利用されたと云う。
    特に澄宮(すみのみや)と称された三笠宮崇仁親王殿下(みかさのみや たかひとしんのう)には、六歳の夏より十年間にわたり毎年夏の御利用があり、そのため塩原御用邸は「澄宮御殿」とも言われた。
    戦前から戦時中には御幼少の今上陛下、常陸宮殿下が御利用になられ、戦局が悪化すると昭和天皇の皇女であられた孝宮和子内親王(第三皇女:たかのみや かずこないしんのう)、順宮厚子内親王(第四皇女:よりのみや あつこないしんのう)、清宮貴子内親王(第五皇女:すがのみや たかこないしんのう)の三内親王殿下が終戦の後までの一年余を疎開先として御利用になったそうです。

    旧塩原御用邸内の御座所は塩原の人たちから敬愛を込めて「天皇の間」と呼ばれ、昭和五十六年(1981年)現在の場所に原型のまま移築公開されたものである。
    今は「天皇の間記念公園」と呼ばれ、邸内には当時を偲ばせる多くの参考品が展示されている。

    見学はゆっくり見ても20~30分で十分、後は近くの渓流散策路に行くのも良いが、腰痛の身なので、無理せず駐車場に戻った。

    ・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2018年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    雰囲気:
    4.5

  • ヴュルツブルク:ロココ風のファサードが歴史を感じさせ、内部は機能的な4星ホテル・レブストック

    投稿日 2018年12月11日

    Best Western Premier Hotel Rebstock ヴュルツブルク

    総合評価:4.0

    2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月22日(火): 晴れ 、 27℃、 126km
    古城ホテル コルムベルク出発9:55 ->L?・B13・B470・B286  78km Castelカステル ->L?・B286 ・L?  27km Frickenhausen am Mainフリッケンハウゼン・アム・マイン ->L?・B13 8km Sommerhausenゾンマーハウゼン->L? 13km Wuerzburgヴュルツブルク・Best Western Premier Hotel Rebstockベストウェスタン プレミア ホテル レブストックには15:55到着。

    *レブストックには迷うことなく15:55到着。
    とりあえず荷物だけを取り出し、チェックイン。車は後でパークハウスに入れる予定だ。16時15分、今日最高の暑さ27.5℃とじめっとした湿気、雲行きも可笑しくなり夕立が降り出した。猛烈な雨で車移動を諦め、レセプション傍のサロンでオレンジジュース、コーヒー(Euro8=1,062円)を飲んで雨宿り(~16:30)となった。
    その後、小降りになった時に車を移動させた。ホテル内にパークハウスに行く通路があり、雨に濡れずに行き来できるから、それ経由で戻った。

    あらためて4階の部屋306号室にいく。部屋の扉に日の丸に日本列島図と英語の歓迎メッセージが書かれ、部屋の中には私共二人の名が書かれたスリッパも用意されていてびっくりした。

    <⑬2018年5月22日(火)~5月23日(水)1泊 
    Best Western Premier Hotel Rebstock
    ベストウェスタン プレミア ホテル レブストック>
    D-97070 Wuerzburg  、Neubaustr. 7
    TEL: 49(0)931 30930 、
    https://www.bestwestern.com/en_US/book/hotel-details.95023.html

    4星・全72室。4階306号室はDeluxe DZ(33㎡)、Euro211(29,074円)+朝食18X2=36(4,781円)=247(33,855円)。チェックイン14時から、チェクアウト12時まで。
    フランケンワイン0.25L2本と水0.5L1本と果物のサービスがある。浴用ガウン、スリッパ(名前入り)があり、エアコン、コーヒーセットも完備されている。
    また、広いバスルームはシャワーとバスがあり、トランク置場と洋服架け用の小部屋もあり機能的だった。

    ヴュルツブルク市内にある歴史のあるホテルで、ロココ風のファサードが特徴だが、内部は都市型ホテルで、機能的である。聖キリアン聖堂まで400m、歴史あるマルクト広場(徒歩5分)やレジデンツ(徒歩10分)などの観光スポットも近い。
    駐車場は裏手にパークハウスがある( Euro12/日 )。

    尚、フランケン料理のRestaurant Kuno 1408は2014年よりミシュラン1星を継続中で、ゴーミョー15点、ドイツランク137位とまずまず。
    (このホテルはここの夕食を楽しみに部屋を予約したのだが、予約完了後に急にレストランは休業となる。部屋の予約はキャンセル不可の値段提供だったから、今更、別のホテルに行くことも出来ず、ガッカリしたものだ。この事が無ければ、総合評価も上げたのだが・・・)

    ・・・・・

    旅行時期
    2018年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    20,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    3.5
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    3.5
    客室:
    4.0

  • ローテンブルク:異名のレストラン”地獄亭”の郷土料理は美味しくて気分は天国!。

    投稿日 2018年12月09日

    ツァ ヘル ローテンブルク

    総合評価:4.0

    2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月21日(月):  晴れ、 24℃、 67km

    ≪夕食:“Zur Hoell”ツアー・ヘル(地獄亭)
    Trinkstubeトリンクシュトゥーベにて≫
    D-91541 Rothenburg o.d.T. Burggasse 8     
    Tel :09861-4229(予約要)
    http://www.hoell-rothenburg.de/
    17:00~19:00  Euro38(5,093円)

    毎日午後5時からという事で、事前に日本から予約を入れておいた。
    このレストランは初めてであったが、中世犯罪博物館から城塞公園に向けて少し歩くと右手にある木組みの建物である。
    他のジャガイモ料理店と比較して、名前が興味深く、話の種にもなると、町で最古の建物を改造した中世風の居酒屋にやって来た。

    日本語メニューもあり、外がドイツ独特の木組の家、内部が中世風に飾った雰囲気で、スタッフもフレンドリーであった。アスパラのスープ、ソーセージ、メインのスペアリブ(ケチャップベースのソース)、ジャガイモ料理を出すと云う。

    飲み物は水0.5L(Euro6.5)、
    料理は3品料理を選んだが、其々美味しくて、気分は天国!(笑)。

    ①グリーン色したスープにウナギの細切り入り、
    塩味にネギやハーブ入りで独特の味であった(Euro8)、
    ②フランケンの焼きソーセージ(Euro8.8)、
    ③人気のぱりぱりに揚げたスペアリブに野菜付きは手づかみで食べたが、
    これは美味かった(Euro13.5)。

    XXXXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    3,000円未満 
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.0
    料理・味:
    4.0

  • ローテンブルク:城塞公園からの眺望は左右に広がる城塞都市の違った風景、眼下に美しい景観がある。

    投稿日 2018年12月08日

    ブルク公園 ローテンブルク

    総合評価:4.5

    2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月21日(月):  晴れ、 24℃、 67km

    Rothenburg ob der Tauberローテンブルク・オプ・デア・タウバーは フランケン地方に残る中世の町、人口12千人と小さな町である。この町は第二次大戦の被災で旧市街の40%を失ったが、昔のままに再建され、中世そのままの様子を残している。

    旧市街の周辺をぐるりと高い城壁が囲み、3つの門、北と南に2つの稜堡を持った町の姿を・・・西の谷となるタウバー川から80m上の町を見上げると、それは見事な城塞都市である。この景観をドイツ人は“縁なし帽子のとんがり“と呼ぶと云うが、なんとなくわかる気がする。

    ローテンブルグには二つの中心がある。一つはマルクト広場を中心とする市庁舎、有名な“見事な一気飲み”が行われる市参事会館などである。
    もう一つは美しい庭園・教会がある場所、ブルクガルテンつまり城塞公園である。


    <Burggarten城塞公園>
    今は美しい庭園・教会がある場所は、この町の歴史が始まった所、ホーエンシュタウフェン王家の国王コンラート三世によって、1142年、帝国城塞が築城された場所である。

    マルクト広場に出て、Herrngasseヘレン横丁をBurgtorブルク門に向かい、その門をくぐると城塞公園になる。予想以上に広い公園には今日も日本人ツアー客や、様々な国の観光客が訪れていた。

    公園からの眺望は左右に広がる城塞都市の違った風景も見え、眼下にはタウバー川の清流にかかるDoppelbruecke二重橋(14世紀)や教会、村落がたいへん美しい景観になっている。
    市城壁下に広がる葡萄畑も好ましく、Topplerschlosschenトップラー別荘(1388年実力者トップラー市長の別邸)と称される奇妙な建物も、公園テラスから見下ろすことも出来る。

    旅行時期
    2018年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.5

  • ローテンブルクは“見事な一気飲み”という“歴史祭り”で 一色になる。幸せなローテンブルクの大団円となる行進を楽しんだ

    投稿日 2018年12月07日

    マイスタートルンクの祭り ローテンブルク

    総合評価:5.0

    2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月21日(月):  晴れ、 24℃、 67km
    古城ホテル コルムベルク城から西に一直線、21kmの近距離にあるローテンブルグの町、この日は“ローテンブルグの歴史祭り”の最終日で、いつも以上の人出があった。

    今年はキリスト教徒の新旧の争い・三十年戦争の催しを2つの町で2度見る機会になりました。これらは事前の調べから漏れていました。
    だからツイていたと思っています。

    <ローテンブルク市内観光と“歴史祭り”の最終日>
    11:00~19:30


    ≪三十年戦争の逸話:ローテンブルクの歴史祭り劇Meistertrunk“見事な一気飲み”≫
    その逸話を再現し、時代衣装のパレードを行って町の解放を祝うのがこのお祭りです。当時の衣装を身にまとった市民たち700 人以上、馬が130頭も参加し、往時の歴史的な様々なシーンが見られる。まさにそこは中世ドイツの世界!
    市城壁に囲まれた中世の町並みを残すローテンブルクの町は年に2回行われるローテンブルク歴史祭のとき、中世へとタイムスリップします。

    ≪ローテンブルクの“歴史祭り”の元になった伝説:マイスタートルンク“見事な一気飲み”≫

    時は中世から近世に入り、新旧の宗教戦争である三十年戦争(1618〜1648年)の頃。
    舞台は新教派の町ローテンブルクを旧教派の皇帝軍が攻囲戦を行った。
    主役は皇帝軍・旧教派Graf von Tillyティリー伯・将軍と新教派の旧市長Nuschヌッシュ。
    特にローテンブルクにとっては町の救世主、英雄と呼ばれたヌッシュ。
    三十年戦争のさなかの1631年、ローテンブルクは旧教派の皇帝軍・ティリー将軍と彼の率いる6万人の兵に攻撃されました。
    ローテンブルクは抵抗することができず、このままでは町は破壊、焼き払われ、抵抗した市民の運命も危ういということになりました。
    白旗を掲げたローテンブルクの人々はやってきた皇帝軍のティリー将軍の気持ちを鎮める為に、ワインがなみなみと入った“選帝侯の大ジョッキ”と称された大きなマグカップ(3.25リットル・・何故3.25リットルなのかは?だが)を差し出しました。
    そのワインを見た将軍は『もし、このワインを一気に飲み干せる者がいるならば、この町を破壊するのは止めよう!そしてまた、お前たちの命も助けてやる!』と云ったそうです。

    年老いた旧市長ヌッシュはそれを聞くと、私が飲んで見せましょうと、将軍の前に進み出て、ワインがなみなみと入った大きなマグカップを受け取り、一気に飲み干したそうだ。

    一気に飲み干せる事は絶対に無理と思っていた将軍はこれには驚き、約束通りに町や市民を許したと、伝えられています。

    ・・・・・

    尚、付け加えると、ティリー将軍はローテンブルクにやってきた事実はないそうですが・・・。
    この逸話は、ローテンブルクの市参事会館の仕掛け時計にも再現されています。
    毎日、仕掛け時計(1910年製)がマイスタートルンク“見事な一気飲み”をスタートさせる。その時間は11時・12時・13時・14時・15時である。

    ・・・・・・

    ◆ローテンブルクの Der Meistertrunk『マイスタートゥルンク歴史祭り』
    =Pfingstsonntag毎年キリスト教の聖霊降臨祭の日曜日に行なわれるため、毎年開催日が変わり、今年は2018年5月18日(金)~21日(月)に開催されました=
    情報提供:ドイツ観光局http://www.meistertrunk.de/

    Pfingstsonntag聖霊降臨祭の日曜日の前後、ローテンブルクは“歴史祭り”で一色になる。

    以下は『マイスタートゥルンク歴史祭り』の其々の日の表題である

    FREITAG 金 :Die belagerte Stadt  攻囲されたローテンブルク
    SAMSTAG 土 :Die besetzte Stadt  占領されたローテンブルク
    SONNTAG 日 :Die gerettete Stadt  救われたローテンブルク
    MONTAG 月 :Die glueckliche Stadt 幸せなローテンブルク

    私共が訪れた5月21日(月) 、Die glueckliche Stadt幸せなローテンブルクの日程は9:00からスタート。

    10.00 Uhr: Begruessung der ,,Landhege“ am Marktplatz
    10時、国土(町)の保全の挨拶、マルクト広場にて

    10.30 Uhr: Historischer Handwerker- und Händlermarkt Grüner Markt und Kirchplatz
    10時半、職人市(Historischer Handwerker- Haendlermarkt)ヤコブ教会付近にて、有料

    12.30 Uhr: Das Historische Festspiel ,,Der Meistertrunk“ im Kaisersaal/Rathaus
    12時半、市民歴史劇マイスタートゥルンクは市庁舎内の皇帝広間にて(有料)  
    (市庁舎内はこの為、一般の方は入場禁止だった)

    14.00 Uhr: Historisches Feldlager & Buergerfest am Festplatz & Feldlager am Galgentor/Roederbastei – Eintritt frei!
    14時、中世の野外宿営(Historisches Feldlager)はガルゲン門の外、入場無料

    18.30 Uhr: Einzug der Festspielgruppen zum Marktplatz
    18時半、三十年戦争の仮装行列(Historischer Heereszug)マルクト広場に至るまで

    19.00 Uhr: Tillys Abschied & Verabschiedung der Festspielgruppen am Marktplatz
    19時、ティリー将軍による戦争終焉宣言(Tilly's Abschied)マルクト広場にて

    私共が食事を終えて、マルクト広場に戻ったころ、祭りは最高潮に達していた。

    (2018年5月31日)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2018年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1日
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.0
    催し物の規模:
    4.5
    雰囲気:
    5.0

  • セピア色の思い出:ポルトガル・ロカ岬見物は古いベンツのタクシーをチャーターして行った。

    投稿日 2018年12月06日

    ロカ岬 ロカ岬

    総合評価:4.0

    1982~83年の年末年始にポルトガル・リスボンへ
    ≪リスボン旅行;1982.12.28.~1983.01.03.)1週間≫

    ポルトガルは初めてである。
    この旅ではリスボンとその近郊に出かけた。タクシー、電車、市電、地下鉄と交通機関はみな安くて、まずまずの効率的であった印象が残っている。

    1982年12月30日:リスボンからシントラ見物、ロカ岬を巡る

    ロシオ広場までバス。Lissabonリスボン(電車を利用して45分)9:24 =>10:10 Sintraシントラは日本の秋のような天候である。
    (電車賃往復;Esd446=1,250円)

    シントラ=>Cabo da Rocaロカ岬

    私共(40歳でした)はシントラから、ロカ岬の往復はお爺さんの運転手が乗る古いベンツのタクシー(料金は事前に(手振りで?!)値決めして)で行きました。
    140mの断崖が大西洋に落ち込んでいる様子や、赤い帽子の灯台も目立ち、ロカ岬を代表する16世紀の詩人カモンエスの記念碑(ここに陸終わり、海始まる)と写真を撮り、ジャンボ松葉菊の群生が素晴らしく、観光案内所では最西端到達書(証明書:Esd1050)を発行してもらった。
    ・・・残念ながら何処かにしまったようで、その後目にしていないのです。


    ロカ岬=>Monserrateの植物園;3000種類の南国の植物、イスラム風の建物。
    =>16:30 Sintraシントラに戻る。

    チャーターしたタクシー代はチップEsd100をのせたEsd1,700=4,760円は安かったような気がした。
    一日の観光もあれやこれと、楽しい一日だった。

    Sintra=>Lissabon・ロシオ広場の新年に向けたイルミネーション。

    ホテルまで地下鉄に乗った(Esd70)ところ、≪スリ≫にあった。
    ラッシュアワーで車内はいっぱい。真ん中のポールにつかまって家族で立っていると、私のズボンの後ろのポケットに盗む手の感じが分かった。
    その内、するっとポケットから何かが抜かれた。おいおいスリだ、皆気をつけろ!と怒鳴ったせいか?獲物が希望のものでなかったのか?床に何かが落ちた。
    下を見るとドイツの自宅の鍵を入れたケースだ。
    下にこごんで鍵ケースを拾い上げて、次に駅に着くとともに家族共々、慌てて降りることになった。一つ目の駅だったが、そこからホテルまで歩いて帰った。

    初めての、そして海外での唯一の体験でした。
    この事があった為か、この日の夕食の記録が残っていない。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    1982年12月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    3.5

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

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現在33の国と地域に訪問しています

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