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jijidarumaさんのクチコミ(28ページ)全662件

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  • アイフェル:ラーハ湖畔に面した僧院教会附属の湖畔ホテル

    投稿日 2017年05月05日

    シーホテル マリア ラーハ その他の都市

    総合評価:4.0

    ≪ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    第7日:10月20日(木) 118km、小雨・曇天、寒い一日7.0~11.5℃

    お茶:マリア・ラーハのSeehotel湖畔ホテル・Restaurant "Seespiegel鏡湖"で
    D-56653 Maria Laach  、Am Laacher See
    http://www.seehotel-maria-laach.de/
    14:50~15:30  Euro18(2,320円)

    1865年創業、僧院教会附属のホテルは4星・全69室と中規模、現代的なホテルである。
    ラーハ湖畔に面したホテルで、美しい庭園を眺めながらお茶を楽しみました。
    今日の飲み物はKaennchenケンシェン(ポット)でダージリンの紅茶4.9X2=Euro9.8、
    この日のケーキはケーキのショーケースまで行って注文、いろいろとあって目移りしたが、結局食べ慣れているリンゴと木苺3.5X2=Euro 7にしました。
    美味しいケーキに十分な量の紅茶、にこやかなスタッフのサービスも良く、満足でした。

    XXXXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    ロケーション:
    3.0

  • アイフェル地方のラーハ湖畔に立つマリア・ラーハ僧院

    投稿日 2017年04月28日

    マリアラーハ修道院 その他の都市

    総合評価:4.5

    ≪ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    第7日:10月20日(木) 118km、小雨・曇天、寒い一日7.0~11.5℃

    <Abtei Maria Laachマリア・ラーハ僧院>
    D-56653 Maria Laach
    http://www.maria-laach.de/
    14:00~15:40  

    Eifelアイフェル地方のMendigメンディヒという町があるが、その町から北4kmにあるLaacher See ラーハ湖の南西に立つBenediktinerklosterベネディクト派の僧院である。
    1093年から1216年、湖と共に在る僧院としてPfalzgrafen Heinrich II. von Laachプファルツ宮中伯ハインリヒ・ラーハ2世と妻Adelheidアーデルハイトによって建てられた。
    1859年、13世紀からの大回廊を改装した。見事な西の入口、いわゆる“パラダイス”はアルプスの北における唯一のものとして評価が高い。

    “パラダイス”の中央に“Loewenbrunnenライオン=命の泉”がある。6塔あるラーハ大聖堂はアーチ型のバシリカをもつ後期ロマネスク様式の僧院教会で、ドイツにおける最も素晴らしい建築の一つとされている。

    聖母マリアとミラの聖ニコライを祭る僧院教会には迫力ある聖母マリアとミラの聖ニコライを祭る僧院教会には迫力あるキリストのモザイク画のある大聖壇が見られ、聖歌隊席、キリスト教の歴史を描いたステンドグラス、聖画、円天井の聖母マリア、15世紀の夕べの祈り・ピエタ像、地下のKryptaクリプタなどなどが見られた。

    とりわけバジリカのガラスの中に、13世紀の僧院建設者であったプファルツ宮中伯ハインリヒ・ラーハ2世が木彫りを施した蓋で覆った石棺に生きるがごとく、大事に敬われていたのが印象的であった。

    尚、伝説「ゲノフェーファ」はドイツのアイフェル地方のラーハ湖周辺に起源を持ち、この湖一体周辺に伝説に絡んだ話が残っているそうだ。この伝説はヨーロッパ中に流布した伝説で、他の伝説にも影響を与えていると云われている。

    グリム兄弟の『ドイツの物語』にも収録されている(Nr. 538)。
    なぜか日本語には訳されていないと云う。

    シューマンが完成・上演できた唯一のオペラ『ゲノフェーファ』でもある。

    XXXXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.5

  • 21代を数えるFuerst zu Isenburg-Buedingenイーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵家の居城

    投稿日 2017年04月26日

    Hotel Schloss Büdingen その他の都市

    総合評価:4.0

    ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    <デュッセルドルフから赤髭王(バルバロッサ)のビューディンゲンの森へ>
    10月15日(土)・・294km、朝小雨、晴れ間も出たが曇天の日、10.5~17℃

    今日の宿泊地は2013年にも訪れた“蛙の戦争”伝説で名高い古城ホテル ビューディンゲン城だ。

    15:00丁度にビューディンゲン城の色付き(日本も含んだ各国の国旗で色付けた)の蛙が壁に張り付いた城門をくぐった。

    ②10月15日(土)~16日(日):1泊
    Hotel Schloss Buedingen古城ホテル ビューディンゲン城*
    D-63654 Buedingen  、Schlossplatz 1
    Tel:+49 (0) 6042 - 9647- 0  、Fax: - 9647-10
    http://www.schloss-buedingen.de/index.php?q=startseite.html

    3星・全16室。DZ(ツイン)・Euro125(14,619円、朝食込み:Garni朝食のみのホテル)。 水は0.25Lのガス入り2本のサービスのみ。
    2階の白雪姫の部屋=5号室も室料も2013年10月14日に1泊した時と同じだった。
    全ての部屋には名前が付いている。それらは“いばら姫、ラプンツェル、カエルの王様、青いランプ、雪白とバラの赤”と言った名前が見られたから、メルヘン街道に因んだ遊び心のようだ。
    ヘッセン州Wetterauヴェッテラウ地区、中世の趣ある城塞都市に、この古城ホテルHotel Schloss Buedingenビューディンゲン城がある。ビューディンゲンの町はA45のAltenstadtアルテンシュタットの出口から東に13kmの距離、フランクフルトより北東に凡そ60kmの距離にあり、交通の便は良いのだ。週末のレセプションは14~17時。

    城内博物館;
    14~17時開館(月は休み)。今年の城庭園祭りは9月08日~11日。
    本丸には門番の石像、魅力的な張り出し窓、階段塔、天守閣があり、宮廷内には幾つものフレスコ絵画の間、台所、曲線状の広間(城内図書館)城内礼拝堂、暖炉の間、食事の間、武器の間等が見られる。

    ビューディンゲン城は13世紀半ばに作られた25.8m高さ、幅16.6m(上部塔のみは高さ9m、幅5.5m)を持つ2段階の珍しい天守閣を中心にした城郭で、かつての水城を思わせる水掘が周囲に見られ、城の後方にはKuechenbachキュッヘンバッハという小川が流れ、Schlossteich池が点在し、その跡を示している。
    城郭の後背には広大な庭園が広がり、緑の中に中世のロマネスクからバロック様式の城が立っている。

    前回の訪問で、ビューディンゲン城に残る伝説を三つ見つけた。;
    伝説①:皇帝と炭焼き人
    伝説②:真夜中に城門の左右の石像が入れ替わる
    伝説③:若き伯爵夫人エリザベート妃とビューディンゲンの蛙

    ビューディンゲン城の歴史:
    1131年に城の起源は遡り、Hohenstaufenホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝バルバロッサ(フリードリヒ1世の呼び名、赤髭王と称されて、ドイツ人に人気の高い皇帝)治下のビューディンゲンの騎士の水城であった。
    元来はビューディンゲンの森にあった赤髭王の狩猟地の防衛拠点として、水城は築城されたそうで、1219年には古い歴史資料に登場している。
    驚く事に13世紀から今日まで、Grafschaft Isenburgイーゼンブルク伯家の居城であった。
    イーゼンブルク伯家はイーゼンブルク城(現在のラインラント・プファルツ州のノイヴィート郡イーゼンブルクを発祥の地として)を名字にしたらしい。18世紀には、伯爵領は現在のヘッセン州カッセルおよびダルムシュタット地域に広がっていた。

    21代を数えるIsenburg-Buedingenイーゼンブルク・ビューディンゲン家は現在、"Fuerst zu Isenburg"イーゼンブルク侯爵家の称号を名乗っている。現城主はWolfgang- Ernst zu Ysenburg(=Isenburg) und Buedingenヴォルフガング・エルンスト・イーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵と言う。侯爵殿は広大な庭園の少し高台に、レセプションの小母さんの言う“黄色のヴィラ”と呼ばれる邸宅に住んでいるとのことだが、2011年には侯爵家の私有会社と、ヴォルフガング・エルンスト社長自身も破産したと云う。

    イーゼンブルク侯爵家は今日まで、ヘッセン州最大の広大な私有地(8,500ha=約3,000坪X8,500なので25.5百万坪)であったビューディンゲンの森を売り、2001年に1578年以来の侯爵家のビール醸造会社を手放し、更に2005年には175年の歴史を持ったWaechtersbacher Keramikベヒテルバッハー陶磁器工場も売却しており、今後の侯爵家とビューディンゲン城の行方が気になる所だ。

    XXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.0

  • 古城街道の城巡りで度々訪れた“鉄腕ゲッツ”の居城・ホルンベルグ城

    投稿日 2017年04月25日

    ホテル - レストラン ベルク ホルンベルク バード・ヴィンプフェン

    総合評価:4.0

    ≪ロマンチック街道とシュヴェービッシュ・アルプ街道、古城街道の旅≫
    (2012.05.15.~29.  15日間)
    5月26日(土); 快晴で気持ち良い一日、26℃、

    <Burg Hornberg古城ホテル・ホルンベルグ(角の山)城>
    この旅で41番目の城。  14:05~15:10 
    D-74865 Neckarzimmern
    http://www.burg-hornberg.de    

    人口1500人の小さな村Neckarzimmernネッカーツィメルンはネッカー川沿いに細長い。街道沿いの急斜面の丘の上に立ち、高さ27mの塔(12世紀末)を持ったホルンベルク城はネッカー川畔からも良く見えて、古城の趣に満ちた景観である。
    古城にはレストラン棟とホテル棟(全24室)が設けられている。

    古城街道の城巡りの際、ちょうど休憩に適した場所にあり、ここのレストランGoetzensaalゲッツの間・パノラマレストランからのネッカー川の眺望は大変素晴らしく、遠くにBurg Guttenburgグッテンベルグ城も見え、眼下に見えるネッカー川、川沿いを走る鉄道など、実に魅力的な場所である。
    この事もあり、昼食やお茶、そして夕食に何度も訪れている。

    城の歴史と今:
    12世紀にホルンベルク城の起源がある。長い間、Bistums von Speyerシュパイヤー大司教の治下にあって、城主の交代のたびに城は改装、補修されて、現在の城に残っているのはゴシックからルネッサンス様式まで見られる。

    この城は特に“鉄腕ゲッツ”の居城として世に知られている。16世紀の農民戦争で活躍した、鉄腕の騎士“鉄腕ゲッツ” Goetz von Berlichingen ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン”は1517年にホルンベルク城を購入し、その後半生の45年を過ごした。
    城主となり、名もGoetz von Berlichingen zu Hornberg ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン・ツゥ・ホルンベルクと改名した。ゲッツはホルンベルク城で家族と共に生活し、1562年、82歳でホルンベルク城にて死去した。
    この城でゲッツは自らの回想録を残したので、これを読んだ文豪ゲーテが戯曲作品“Goetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン”を書き、この事で世に知られた。

    XXX

    旅行時期
    2012年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    ロケーション:
    3.5

  • プファルツの魅力的な、メルヘンチックな古城ホテル エデスハイム城

    投稿日 2017年04月18日

    ホテル シュロス エデスハイム その他の都市

    総合評価:4.5

    ≪ドイツの秋:ワイン街道とRheinland-Pfalz ・Saarland地方を巡る旅≫
    Rheinland-Pfalzラインラント・プファルツ州 & Saarlandザールラント州:
    ラインヘッセン・プファルツ・モーゼル・ナーエ地方のワイン産地
           
    期間: 2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅
    10月21日(木)90km 、快晴、6℃
    ドイツワイン街道、人口2,300人のワイン村にある古城ホテルです。
    周辺にブドウ畑が広がっている。

    ≪Hotel Schloss Edesheim古城ホテル シュロス エデスハイム≫
    D-67483 Edesheim  、Luitpoldstrasse 9

    4星、38室。305号室(Brahmsブラームスの名がついた部屋・4階)
    Euro104.63 x2=209.25 
    *ドイツ観光局で入手したこのホテルチェーンのVIPカードで10%引き。
    Landauランダウ近郊、ドイツワイン街道、Burg Trendelburgの姉妹城。
    Euro188 X2=376 、Special Arrangementを利用した。

    http://www.schloss-edesheim.de/

    プファルツの森自然公園に沿って、5haを超える庭園・ブドウ畑とともに、このホテルはthe Palatinate神聖ローマ帝国の選帝侯領(ライン川西部のライン・プファルツ伯領)であった、ワイン生産地域の中心にあり、絵画的なエデスハイムの村中に立っている。

    長い歴史に彩られた古城ホテルの部屋は19世紀のロマンティックなビーダーマイヤー様式で優雅に飾られている。大理石の浴室や、周辺の素晴らしい眺めは実に素晴しい。
    メルヘン街道沿いの名高いBurghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルク城、ラーン川沿いの中世以来のHotel Burg Staufenberg古城ホテル シュタウフェンベルク城、ラインガウのライン川畔のドイツ最古と称されるHotel Krone Assmannshausenホテル クローネ アスマンスハウゼンなど、Hotel Schloss Edesheimと同一グループに属している。
    これらを泊り歩くKoenigstour王の4日ツアー・Kaisertour皇帝の8日ツアーもホテルでアレンジしているので、一度そんな機会も得たいものである。

    <エデスハイム城の歴史>

    “プファルツ(神聖ローマ帝国のライン・プファルツ伯領)“は他の地域に比して、神に愛されている、全てにおいて素晴らしい土地と言える。この土地は地球上のあらゆる地域よりも豊かな、祝福された土地だ。”と、フランスのヴェルサイユ宮殿でプファルツ伯のプリンセスは愛した故郷の事を語っている。この有名なプリンセスは“ヴェルサイユの太陽王の宮廷よりも、日当たりの良いエデスハイム城で生活することの方を、千倍も好む。”とも述べている。

    そしてまた、バイエルン王ルートヴィヒ1世も“私の青年時代に過ごしたプファルツ・・・私が愛したプファルツの土地、プファルツの民もこの土地を愛し、私も愛してくれた。この土地は私の家、いつの日か、私の愛する妃と共に訪ねてみたいプファルツである。”と言われたと・・・。(Edenkobenエーデンコーベンの教会前に王の立像とこの言葉がある。)
    王は後に彼の夢を果たした。彼の王国の最も美しい場所に夏の離宮を建設したのである。
    それはこの国で最も温暖な地域にあり、ブドウ畑や魅力的な庭園に囲まれた素晴らしい場所に立つ、ドイツで最も美しい古城ホテル・エデスハイム城である。

    このエデスハイム城の事が初めて歴史書に出てくるのは、756年、仏・ヴァイセンブルクのベネディクト会修道院の記録によるものである。この時期はフランク王国(カロリング王朝)の支配下にあった。キリスト教の聖職者が城の基礎石を置き、城の繁栄、発展の場を築いていった。

    1483年、エデスハイムの城と村はシュパイヤー領主・司教の支配地になり、以降16世紀に向けて繁栄は下降していき、農民戦争(1524~25年)では略奪、破壊を被った。
    1594年、シュパイヤー領主・司教の役所として、城は使用される。凡そ100年の後、9年戦争(プファルツ継承戦争・1688~1697年)で城はフランス軍によって破壊される。
    戦争終結後、新たに築城されたのは15世紀時代と同様の立派な水城である。12世紀同様の水の供給システムはいまだに問題はない。
    城館は住居・ゲストハウスとして使用され、1748年のデザインを基に、19世紀に塔も付け加えられた。

    中世以来、広い堀に囲まれた城は防御面でも優れたもので、東に向かっては二つ目の水濠が掘られていた。城は跳ね橋で外と結ばれていたが、19世紀になって初めて、現在の石橋になっている。また、ミュール川から引かれた古い運河が、城壁と並行してあるのも見てとれる。城壁は約2000mの長い、強固な防御線となっている。
    その城壁からは1570年の刻印のある礎石も見つかっている。この古城を訪れる人々は、最初の築城から現在まで1250年の間に生じた、城の浮き沈みを感じることであろう。
    1804年にナポレオンによる教会資産の世俗化・国有化により、エデスハイム城も国有化された。その後は私有化に戻り、様々な人が所有することになった。
    2000年を迎える頃、城は全面的に改装され、4星の古城ホテルに生まれ変わった。
    城の濠も改造され、500m²の広さ、2.2mの深さとなり、その濠を巡る歩道と歩道橋も作られた。小道は池の中に備えた固定ステージをもつ野外劇場に続いている。

    エデスハイム城は歴史的伝統の中に育ち、その古き良さを維持しながら、新しき道・・・即ち、ドイツ(南部)ワイン街道の大いなる価値を高める目標を掲げ、同時にプファルツの境界線をはるかに超えて一層、世に知られるようにしたい。

    新しい時代に入るとともに、プファルツの魅力的な、メルヘンチックな古城・エデスハイム城も新しい歩みを始めている。
    2001年、エデスハイム城はDr. Lohbeckグループの経営傘下に入った。
    名高い、メルヘン街道沿いのBurghotel Trendelburg古城ホテル・トレンデルブルク城や、シニア用住宅会社、新聞社を傘下に持つ企業グループである。
    Dr. Rolf Lohbeckロルフ・ローベック博士のモットーは【将来、成功を収めるためには、過去を直視し、理解することだ。】という。
      (2010.09.04.;翻訳・編集)

    旅行時期
    2010年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    7,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    4.5

  • ローテンブルク:ライターレスマルクトと呼ばれるクリスマス市が開かれる広場

    投稿日 2017年04月17日

    マルクト広場 (ローテンブルク) ローテンブルク

    総合評価:4.5

    ≪ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)≫
    この旅のクリスマス市はWuerzburg、Ludwigsburg、Esslingen、Stuttgart、Rothenburg、Nuernberg、Frankfurtなどが大所ですが、Waldenburg、Schwaebisch Hall、Kirchberg an der Jagst、Creglingen、Forchheim、Volkach、Ochsenfurt、Iphofen、Wertheim、Miltenbergなど小さな町々も回りました。

    クリスマスマーケットの呼び名も様々で、ドイツの主な町で次のように分かれている。
    <Christkindlesmarkt> Nuernberg、Karlsruhe
    <Christkindlmarkt>  Regensburg、Muenchen
    <Weihnachtsmarkt>  Stuttgart、Bonn、Bremen、Koeln、Hamburg、Frankfurt
    <Reiterlesmarkt>   Rothenburg


    12月10日(木);小雨模様の寒い一日、5.5~7.5℃、
    Rothenburgのクリスマス市 ; 16:00~16:50

    Reiterlesmarktライターレスマルクトと呼ばれるクリスマス市です。この呼称があるとは知りませんでしたので、調べてみると、"Reiterle"の名はゲルマンの伝説に起源するらしい。Weihnachtsmannバイナハツマン(サンタクロース)と同じように、人々に幸福を運んでくると信じられていて、人々はその訪れを待ち、其の来訪を喜ぶのだと・・・。

    ライターレの訪れる間、町々の通りにその印をつけ、人々に公正と平和を与え、人々はその一年を静かに、反省をもって振り返ってみる。

    冬のローテンブルクはクリスマスの季節、その美しさを復活させる。市庁舎と聖ヤコブ教会の間で開かれるライターレスマルクトはこの地方で最も魅力のあるものと言われる。

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • バンベルク:フレスコ画が美しい旧市庁舎には反逆者シュタウフェンベルク大佐の銘板がある。

    投稿日 2016年01月28日

    旧市庁舎 (バンベルク) バンベルク

    総合評価:4.5

    “北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅”  
    フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの
    古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る:

    期間 : 2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅

    4月19日(日) 朝から大快晴。朝方の9.5℃~日中は20℃。 102km

    千年以上の歴史をもつこの古都バンベルクは、第二次世界大戦の戦災を免れたため、旧市街は中世そのままの姿を残していて、見どころも多い。
    この地は7つの丘で構成されて、“小ローマ”或いは“フランケンのローマ”とも呼ばれる。古くからドイツ人にとっては、夢の町であり、ロマンの町であったと云うが、魅力あふれた旧市街を訪ねるとこの言葉通りである。

    市の象徴的建造物である、フレスコ画も美しいAltes Rathaus旧市庁舎をまず見たいと歩く。旧市庁舎の辺りを先頭として、二股に分流したレグニッツ川が中州を作っていて、旧市庁舎が立っている橋の下を流れるレグニッツ川は雨の為か、濁って、水嵩もある。カヌー遊びの人が数人、濁流の中を器用に漕ぎながら遊んでいた。
    日曜日とあって、人出も多く、にぎやかな観光客も晴天とあってか、とても魅力的な市庁舎をバックに写真を撮っている。
    橋上からはKlein Venedig“小ヴェネチア”の一帯が美しい景色を見せている。

    そして、橋上にある旧市庁舎(通路に面した)の壁に銘板が填め込まれているのを見た。通行人や観光客はその銘板の意味を知らぬのか、気付かぬままに立ち去っていく。

    銘板には「Claus Philipp Maria Schenk Graf von Stauffenberg クラウス・フィリップ・マリア・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク伯爵の行為を顕彰していた。
    :クラウス・シュタウフェンベルク伯爵 参謀本部付き大佐。彼は1944年7月20日の行為の故にドイツ人のレジスタンスのシンボルである」・・・と。:

    彼は第二次世界大戦中のドイツ陸軍大佐(1907年11月15日 ~1944年7月21日)で、ヒトラー暗殺未遂事件の実行者の一人でした。
    この事は大変印象的なことで、ドイツの旅行中にホテルで見るTVでも、再三にわたり、ナチス政権と第二次大戦の回顧番組をみた。
    中にはヒトラー暗殺・ワルキューレ作戦の失敗の原因を事細かに検証していく番組もあって、興味深いものであった。

    トム・クルーズ主演の米映画;ワルキューレ作戦Operation „Walkuere“が先ごろ、日本
    でも上映され、私共も見に行った。

    旅行時期
    2009年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    5.0

  • ライン:バッハラッハの丘の中腹に見えるシュターレック城

    投稿日 2017年04月13日

    シュターレック城 ドイツ

    総合評価:4.0

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第4日:10月17日(月)・・・185km、曇り時々晴れ、8~15℃
    赤ワインの町Assmannshausenアスマンハウゼンの先にRuine Norigノーリッヒ城址のあるLorchロルヒがある。ここから対岸のNiederheimbachニーダーハイムバッハにAutofaehreフェリーで渡った(13:00、Euro5.6=722円、領収書の内容は車1台と運転手Euro4.3+同乗者1名Euro1.3とあった)。この時間になると、まだ風は冷たいが、晴れてきて車ごと乗せてライン川を横切っていくのは面白いし、両岸を結ぶ橋を探して渡るよりも大いに時間の短縮になる。

    ライン川の左岸(B9)はラインラント・プファルツ州になる。
    ニーダーハイムバッハからバッハラッハは5kmと近い。13:18にバッハラッハに着いた。川岸に作られた駐車場に車を置く。(13:23~15:23 2時間Euro1=129円)。

    <Bacharachバッハラッハ(ラインラント・プファルツ州)>
    13:23~14:45

    この町で行程の三分の一を走った計算になる(通算距離は585kmになった)。
    バッハラッハは千年以上の歴史をもつ町で、木材やワインの販売そしてライン川を通る舟からの通行税によって、財政豊かな町であったという。
    Burg Stahleckシュターレック城が丘の中腹に見えるが、今日は天気も今一なのであそこまでは行かない。小雨が降ってきたが、小さな街中を散策した。
    人口は2000人、バッハラッハの街は木組みの家々が並び、散策するには手ごろなところで、見て楽しい街といえる。旧市街は市城壁に囲まれ、所々に門と塔が立っている。
    駐車場から入出したのはMarktturmマルクト塔、マルクト広場に近いことで、この名が付いたのだろう。マルクト広場に面し、通りの左手に目に付くホテル・レストランは1902年に再建され、華やかな回廊を持つAltkoelnischer Hofアルトケニッシャー・ホフである。ホフ前の通りの頭上にKranzクランツ(王冠と花で飾ったリース)が見える。ワイン祭りかの催しがあった名残なのか、クリスマス時期に飾るADVENTS KRANZアドベント・クランツにはまだ早いのだが。
    その先に特に赤茶色や緑で色彩豊かに縁取りされたAltes Hausアルテスハウス・レストラン(1389年築、1600年頃に改築)は素晴らしい。

    お茶の後もまた散策。カフェの先に見える、真っ赤なゼラニュームが似合う木組みの家はEhemalige kurpfaezische Muenzeミュンツェ(14世紀の中頃、プファルツ選帝侯のかつてのコインの鋳造所)の建物で今はレストランだが、こちらも閉まっていた。
    そのミュンツェの名の付く小川Muenzbachミュンツェバッハを行く。絵描きが好んだ横丁とかで、Rosenstrasseバラの通りの名前が付き、葡萄棚が色づき、Ziehbrunnen釣瓶井戸があり、木組みの家並みの上に葡萄畑やシュターレック城も見える。小雨も降る景観だったが、確かに好ましいのだ。

    <Burg Stahleckシュターレック城>
    バッハラッハの丘の中腹に見えるシュターレック城は2006年の旅で訪ねた。
    町から2.5kmの距離にある古城に車で上がり、ラインの眺望を楽しんだ。たいへん見栄えの良い城ですが、ホーエンシュタウフェン王家の居城で1135年に築城された。30年戦争の時に破壊され、一時は修復されたが、1689年にフランス軍に再び破壊されて、以降、廃墟となってしまう。
    現在は修復され、ユースホステルとして利用されている。
    テラスから見る、ラインの豊かな流れは一見の価値あるもの。

    ・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.0

  • ツークシュピッツェ2962m・ドイツアルペンの最高峰に登る

    投稿日 2017年04月13日

    ツークシュピッツェ ガルミッシュ・パルテンキルヘン

    総合評価:5.0

    ≪ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊≫  
    アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る

    期間:2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅

    4.20(日) 大快晴 24.5℃、
    <Zugspitze ツークシュピッツェ2962m・ドイツアルペンの最高峰に登る>
    Garmisch-Partenkirchenガルミッシュ・パルテンキリヒェンの町に入る。
    登山鉄道駅は出発点であり、終着点でもある。海抜720mの駅のプラットフォームからも、天気が良いので目的のZugspitze 2962mが右手に、Alpspitze2628mが左手に、二つの真っ白な頂を見ることができた。(鉄道・ケーブル往復の一日乗車賃はEuro 69=11530円)

    一度、1982年8月11日に登りました。天気は晴れ、やや雲ありでした。面白いことにZugspitzeの高さは2966mと記録されています。あれから26年で4mも低くなった計算ですが。  そして電車賃も半額の5000円でした。

    9:45発・登山鉄道に乗車する。途中のGrainauグライナウまでは電車も普通の走りで、山裾を縫うように走る。右手に広々と平原が開け、所々に冬場の飼料小屋?が建っている。遠くに見える山はKramer山1982m。その裾野に小さな町々の赤い屋根の家並みが見える。
    Grainauでアプト式の電車に乗り換える。海抜973mにEibseeアイプ湖があり、そこの駅からさらにお客さんが乗ってきて、満席になってきた。
    Zugspitzeツークシュピッツェ周辺はいまだ冬のようで、乗り込む人たちもスキー客、スケートボード客であり、電車の外面にはスキーの杖を上手くはさんで運ぶ装置があり、さすがなもの。Eibseeから急斜面になり、もう雪景色の中を電車は登っていく。Grosser Waxenstein2278mの岩山を横目に見て、Riffelriss波上の起伏の裂け目1680mでトンネルに入る。山塊をくりぬいた長いトンネルで、途中の2050m付近で降りてきた電車とすれちがった。 Schneefernerhaus氷河駅(2645m)は終着点である。
    氷河駅には11:00に到着した。ちょうど75分をかけて登ってきたわけだ。

    さすがに寒い。氷河駅から外に出てみると真っ青な空があった。真っ白な氷河や雪原の先のスロープにはドイツで最も高い所に建っているチャペルがある。このチャペルはMaria Himmelfahrtマリア昇天という名前だそうだ。そこまではとても遠く、歩いて行けないが。雪原はスキーやスノーボートに興じる老若男女でにぎわい、26年前にはなかった、柱に白と青とで彩色したバイエルンの五月柱が雪原に高々と立っている。とてもいい感じだ!!レストラン前のテラスでは日光浴の人たちがのんびりしている。
    26年前にもこんな光景をみて、羨んだことを思い出した。

    さて、まだここは頂上ではない。まだ317mも上の頂がある。雪原より相当高い所にケーブルが張られて、高所恐怖症の私にはロープウエイは見るからにこわい。ここまで来て、帰るわけにもいかず、Gipfelseilbahn氷河ロープウエイで頂上に向かう。11:30発のゴンドラに乗りこむと、あっという間に人々でいっぱいになる。中にはシェパードの大型犬を連れた人もいた。Zugspitze2962m・ドイツ最高峰には11:35にあっという間に?!到着です。ずっと近づく展望台駅のみを見て、できるだけ下を見ないで乗っていたが---。

    展望台駅にはレストランなどもあって、日本人観光客のツアー団体が食事をしていた。この旅でお目にかかる初めての日本人だ。夏のシーズンには登山・ハイキングのお客をはじめ、世界各国や日本からの観光客も多いようでだ。そこかしこに各国の言葉と共に日本語の文字がある。電光表示板に外の温度が表示されていたが、ここはマイナス4℃だ。
    展望台に出てみると雪も積り、滑りやすい。雪を頂く四方の山々の眺めは絶景である。ここから160km先まで見えるという。
    頂上はドイツ・オーストリアの国境になっている。26年前は旅の記念にと、わざわざこの国境を、パスポートを提示して行き来したものだが。国境事務所には人影もなく、今は自由なのだ。面白いことにオーストリア国ではなく、Land Tirolチロル州の看板であり、かたやドイツ連邦ではなく、Freistaat Bayernバイエルン自由州であることだ。

    アイプ湖を真下にのぞくと、左右に広がった湖の色が神秘的な青さを見せていた。展望台から少しはずれた高台に金色の十字架が雪の中に立っている。ここが実際の2962m頂上だ。夏場にはここまで行けるのだろうが、今はまだ冬!なのだ。
    Eibseeseilbahnアイプ湖ロープウエイに乗ってこの展望台から、まっすぐ下のアイプ湖まで、降りることもできる。26年前は帰路にこれを利用した。2962mから973mまでを一気に下りていくのもなかなかのものだが、今回は遠慮?し、12:05 発の氷河ロープウエイを使って氷河駅に戻った。
    レストラン”Sonn Alpin”はセルフサービスが基本で、好きなものを選んで、最後に精算するスタイルだ。昼食時のレストランは混雑していたが---。

    <昼食:氷河駅Schneefernerhausのレストラン”Sonn Alpin・アルプスの太陽”で。>
    バイエルンの山小屋風のレストランは立派な木造つくりである。奥まった所に場所を見つけ、お盆にのせた “Gulaschsuppeグーラッシュズッペ”(パプリカ風味の肉入りシチュー)を食べた。コーヒーと緑茶で。
    (12:20~12:45 Euro 17.9;山ではみな高い。)

    氷河駅を13:30発で下山する。終点の登山鉄道駅には14:45に到着した。
    まだ、日も高い。

    ・・・・・

    旅行時期
    2008年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    3.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.5

  • コブレンツ:栄誉の砦は不敗である。

    投稿日 2017年04月09日

    エーレンブライトシュタイン城塞 コブレンツ

    総合評価:4.5

    2006.5.:“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
    期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間

    05.15(月)  ほぼ晴れ 午後になっても、20℃前後。

    ライン川の右岸城巡りは“Rheingauer-Riesling-Route”ラインガウ・リースリング・ルート“と称されている。

    ラーンエック城(1240年マインツ選帝候が築城)、->7km 大きく迂回して走り、14:50、昨日行ったコブレンツの対岸に位置している、今日のドライブの最終地である、Festung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞(栄誉の砦)に上がる。

    ≪Festung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞(栄誉の砦)≫
    10世紀から、戦略上、重要な要塞として存在していたそうで、1688年のルイ14世率いる、
    フランス軍の大軍が要塞を攻めたが、遂に落ちなかったと云う。
    116mの丘の上は、19世紀のプロイセンによって、更に広大な要塞が形作られている。
    要塞には濠、厚い壁の城壁、州の博物館、ユースホステル、第一・二次大戦の戦死者の顕彰碑--現在でも外地で戦死した兵士を悼んで顕彰されているそうである。--などや、ライン川に面して、テラスレストランも設けられてある。

    要塞からの見晴らしは、モーゼル・ライン川の合流の様子(Deutsches Eckeドイチェス・エッケ)などが手にとるように見えて、素晴らしいものだ。

    フランス人夫婦にドイチェス・エッケをバックにした写真を頼まれたが、上手く撮れたかな?!お礼に彼も我々を撮ってくれました。(~15:30、Euro2.2)

    本日、眺めた城・城址は【13】を数えた。15:30、要塞山頂を降りる。

    XXX

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.5

  • ライン:ドイツ中世の城郭を最もよく残したMarksburgマルクスブルグ城

    投稿日 2017年04月09日

    マルクスブルク城 ドイツ

    総合評価:5.0

    2006.5.:“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
    期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間

    05.15(月)  ほぼ晴れ 午後になっても、20℃前後。

    今日はライン川の右岸城巡りを予定している。B9の対岸である、B42に沿ったコブレンツまでの“ライン川下り”です。
    このルートも名前が付いており、ドイツ最強の白ワインとして名高い、ワインの産地である、“Rheingauer-Riesling-Route”ラインガウ・リースリング・ルート“と称されている。
    Braubachブラゥバッハの町には、12:54に到着する。

    ≪Marksburgマルクスブルグ城≫
    マルクスブルグ城がブラゥバッハの町の後背地の山上(川面から150m)に、クリーム色した高い塔を中心にして、堂々たる姿で立っている。

    城への狭い坂道を、対向車が無い事を祈りながら登ると、中腹に駐車場がある。(Euro1.5)       
    ここから更に階段を登っていくと、Zugbruecke、Fuchstor、Schartentorと城門が出て来る。門内で入場券を買い、次のガイドツアーを待つ。
    この城は1231年に完成し、その後の歴史の激しい波に洗われたにも拘らず、現存する中世の城の中で、最も完全な姿を残している。現在はドイツ古城協会の本部になっていて、世界遺産を示す白と青の旗が城壁から翻っている。

    ガイドツアーが13:15に始まり、集まった30人ほどの観光客を城内に導く。
    ①騎乗のままで走り登る階段、
    ②大砲の展示、
    ③ワイン倉--この時代、1日1人あたり、2.5Lを飲んだそうだ。
    ④台所、
    ⑤貴婦人の間--子供の揺り籠、糸紬、ベッド。
    ⑥騎士の間--城主の生活空間。
    ⑦教会、
    ⑧兵器庫--12の兵士の立像が並びローマ時代からこの中世に至る甲冑を着た兵士の変遷を展示している。その他槍、弓などの武器も一緒。
    ⑨Bergfried天守閣--40mの高さの“Butterfasstuermeバターを造る桶“の形の塔。1400年、塔の上部はネコの肘伯が付け加えたと言う。
    ⑩拷問の部屋--恐ろしい拷問の器具、刑罰の道具などが置かれている。その昔は馬が数頭飼育された場所だという。---等々。

    この城でも面白い事に、中世のトイレの場所が公開されていて、モーゼルのエルツ城を思い出す。50分のツアーは城好きにとって、とても興味深く、中世の雰囲気が伝わってくる城である。(~14:30、Euro9)

    XXX

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    5.0

  • グラーツ:岩盤をくりぬいたリフトで、シュロスベルク( 城山)に上る

    投稿日 2017年04月09日

    シュロスベルク グラーツ

    総合評価:4.0

    ≪南ドイツとオーストリア周遊の旅≫
    ( 2004年4月21日-5月4日:2週間)

    ≪ドイツ・バイエルン国王ルードヴィッヒ2世と 
    オーストリア皇妃 エリザベートを巡る旅≫

    4月24日(土)朝は小雨、曇り後晴、時々シャワー 

      
    オーストリアの道路事情は思っていたよりもずっと良く整備されており、大変走りやすい道路でした。高速道路は有料です。1週間・EURO10のワッペンをキオスクで購入して、窓に貼っておきます。130km制限になっているものの、起伏やトンネルが多いだけに、又、中には延々と続く10kmもの長いトンネルもあって、平野部を走るようには中々いかないわけです。一度、警察がスピード違反を測定している所に出くわしました。

    Grazグラーツは22万人程の人口をもち、ウイーンに次ぐこの国第二の都市です。
    州都であり、大学都市とも言われ、俳優アーノルド・シュヴァルツェネッガーや指揮者のカール・ベームの出身地とのことだ。
    茶色の屋根の波が続いている町並みは大変きれいなもので、町中を流れるムーア川で新・旧市街が分かれています。
    旧市街にあるホテルにチェックインし、車もパークハウスに入れてもらい、早速、市内観光に出かける。ホテル近くの岩盤をくりぬいたリフトで、シュロスベルク 城山に上る。グラーツのシンボルである、時計塔をみて、市内の眺望を楽しむ。

    リフト傍のレストランで簡単な食事をすませ、町中の武器博物館をさがす。
    15世紀オスマントルコへの東の砦として、グラーツは重要な位置を占めていた為、この5階建ての建物一杯に、世界最大と言われる、武器が集められた。甲冑、槍、銃、刀が各階に一杯である。見事な彫り物がある銀製の甲冑など、私には大変興味深いものであったが、女性陣には面白みが無かったか?

    18時に仕掛け時計-----木彫りの民族衣装を着たカップルが鐘の音に合わせて、踊りだす15分間----の前に、ミュンヘン程の大きな仕掛けではないものの、100年も前からきちんと動いているから、ビックリです。 

    古城ホテル シュロスベルグ(城山)は旧市街にあり、4階建てのホテルは町の中心のシンボルである城山の真下に建っていて、目立つ青色の壁が特徴的です。殆どの観光地に歩いていけるという便利な所でした。部屋は2階と4階にわかれ、我々は4階の屋根裏部屋に。その割に快適で、浴室も明るく、中庭にあるレストラン---- “Wintergarten---冬の庭、若しくは温室の意で、レストランの場合は後者の意味”---も見られ、窓からは町中を流れるムーア川やその向こうの新市街地がきれいに眺望できました。
    唯、電車道に面している為に、駐車できず、パークハウスに一晩、車を入れる事になりました。

    XXX

    ドイツ・レンタカーの旅は楽しいですよ!その1(2001~2006年)
    http://4travel.jp/travelogue/11223859

    旅行時期
    2004年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ハンザ都市ヴィスマールは1648~1804年の長い間、スウェーデンの支配下にあった

    投稿日 2017年04月03日

    マルクト広場 (ヴィスマール) ヴィスマール

    総合評価:4.0

    2005年4月24日 (日) 快晴 294km 
    本日は一日を利用し、リューベックと1295年にハンザ同盟を結んだWismar、Rostock、Stralsundの北方三都市のうち、ヴィスマール、ロストクを訪ね、帰途Schwerinを経由して、リューベックに戻るというコースを計画した。


    リューベックから1時間で、世界遺産【2002年登録】の港町、ハンザ時代の面影を色濃く残す古都、Hansestadt Wismarハンザ都市ヴィスマールに到着する。

    修復中の80mの塔を持つマリエン教会前の駐車場に入れて、隣のゲオルゲ教会に。
    教会はドイツ文化財保護財団、連邦、州、市が7年前から修復中だが、メクレンブルグ・フォアポンメルン州の展示場があり、参観する。
    ビール(500年前には180もの醸造所がり、液体のパンと呼ばれるほどに重要な輸出品であった)や毛織物業で繁栄した町の歴史、教会の変遷、ハンザ商人の活動、毛皮などの職人の仕事場、Kogge;コッゲと呼ばれるハンザ時代の帆船の模型や、今も行っている教会内部の発掘現場を実際にみせていて、大変興味深い。  

    ドイツの何処の町も、マルクト広場を中心に旧市街を形成していて、分かり易いが、この町の中心もやはりマルクト広場である。
    市庁舎前の広場は100mx100mの正方形をしていて、それを囲んで北ドイツ独特のレンガ造りの建物が美しい色合いを見せて並んでいる。今はホテルやレストランになっており、Seestern---ヒトデの名---のレストランは魚料理が名物とか。

    Alter Schwedeと言う名のレストランは文字通りでは、“年寄りのスウェーデン人”だが、俗称では“親友”を意味するらしい。そう言えば、市庁舎に向き合うドイツ銀行ヴィスマール支店は旧スウェーデン軍司令部があった所で、この町は1648~1804年の長い間、スウェーデンの支配下にあったようです。
    Alter Schwedeの意味は年寄りのスウェーデン人、親友、さて、どちらなのでしょうか?!

    ・・・・・・

    旅行時期
    2005年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • グムンデン:トラウン湖は芸術家達がこの地に足を留めたのも、無理からぬ美しい湖である。

    投稿日 2017年03月22日

    トラウン湖 グムンデン

    総合評価:4.5

    グムンデンはザルツカンマーグート地域で第二の湖であるトラウン湖---南北12km、最深部は200m---の北端にあり、岩塩の交易で栄えたケルト人の町として、古い歴史に登場するが、今はヨーゼフ皇帝の保養地としての方が有名である。
    先日、訪問したBad Ischlバート・イシュルはここから33kmの距離です。

    昔から芸術家が訪れて、シューベルトは1825年から2年間、ブラームスは1890年から6年もこの地に暮らしたそうです。 
    また、オーストリアの人々にも愛用されている、グムンデン焼きの陶器の生産地である。

    湖の周辺の高い山々はまだ一部に雪を残し、湖や湖畔の木々の青さとのコントラストは美しく、芸術家達がこの地に足を留めたのも、無理からぬものでしょう。

    ・・・・・

    ≪ドイツ・レンタカーの旅は楽しいですよ!その1≫

    http://4travel.jp/travelogue/11223859

    旅行時期
    2004年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • ナポレオン皇帝陛下が座った場所でライン風ムッシェルン料理を食べよう!

    投稿日 2017年03月22日

    ツム シフヒェン デュッセルドルフ

    総合評価:4.5

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第14日:2016年10月27日(木)
    ≪昼食:“Zum Schiffchenツム・シッフェン”で≫

    ナポレオンも食事したという創業1628年の老舗レストランは11時半から真夜中の0時まで開業です。
    *1811年、ナポレオンの絶頂期に将軍たちと共にこのレストラン“ツム・シッフェン”を訪れ、ビールをガブ飲みしたのだとか。そんな皇帝陛下が座った場所は今もNapoleon-Eckeナポレオンコーナーとして残っている。フランス国旗の下がるこの場で食事をしたと伝えられ、特徴的なナポレオン帽の胸像がある。

    ドイツの郷土料理を味わってもらう為、日本からのお客さんを必ず一度はご案内した店だ。ここでライン風クラシックムッシェルン料理(Muschelnムール貝に白ワイン、玉葱が入っていて、塩味をきかせた味が美味い)Euro14.5、Zucchini Tomaten Risottoズッキーニ、トマトのリソットEuro9.5を二人で食べ、地ビールのアルトビアーを飲んだ。

    早かった所為か、レストランの特等席というべき皇帝ナポレオンのコーナーに座りましたが、時間が経ってもこのあたりには人が来ません。
    ひょっとしてナポレオンの事も知らないのではと思ったほどです。
    昔は何度も通いましたけど、この特等席に座れなかったのです。
    ・・・・・・・・

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    2,000円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    雰囲気:
    5.0
    料理・味:
    5.0

  • 21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”:インマーマン通り

    投稿日 2017年03月11日

    インマーマン通り デュッセルドルフ

    総合評価:4.5

    2006.05/06(土) 快晴、 25℃
    21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”はやはりここインマーマン通りに
    立つとかつての事が思い出される。

    Immermannstrasseインマーマン通り33には、かつての我が社の8階建ての自社ビルがありました。その1階には写真の現像デポ、5階以上に都銀の駐在員事務所、中小の貿易商社の事務所などがテナントに入っていました。
    営業部門はルール工業地帯を背景に鉄鋼、機械、化学品が柱になっていました。デュッセルドルフ店はドイツ現地法人の本社組織でもあり、ハンブルグに支店をもち、こちらは繊維、食料、化学品を商っていました。
    ドイツにはフォークリフトの販売会社、電卓、電子楽器、時計などを扱う会社、繊維機械の販売会社があり、これらも統括する形になっていました。
    この通りにはホテル日航、領事館、都市銀行支店、レストランの日本館、三越、総合商社各社、商工会議所などの日本企業オフィスがあって、昼間の日本人の集中度は高く、文字通り“日本人通り”でした。

    この通りはHauptbahnhof中央駅に真直ぐ伸びる通りでしたので、大変便利な場所です。道の両脇にプラタナス(すずかけ)の並木が大きく育ち、立派になって、お隣り同士だった日本館、高木書店も繁盛していた。
    久し振りに見るかつての事務所の建物は、綺麗な茶色に塗られて、外壁も今風になっています。オーナーもテナントも名も知らぬ企業ばかりでしたが。
    バブル崩壊後の失われた10年と言っていますが、日本の金融不安を起因として、当地も商社、銀行等の撤退が相次ぎ、一頃の輝かしい企業活動はなりを潜めてしまった。

    さて今はどうなのでしょう?!
    インマーマン通りを歩く日本人達の顔色からは窺い知れません。

    2006年5月以来、デュッセルドルフ国際空港にはご無沙汰だったが、
    その後はANAの便が出来たこともあり、旅の行程上もあって、
    2013年から、この4年で4度もデュッセルドルフ国際空港を利用した。
    それでデュッセルドルフの町を見て回る事も多い。

    ・・・・・

    旅行時期
    2006年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5

  • デュッセルドルフ:ライン川畔プロムナードには気分の良い眺めがある。

    投稿日 2017年02月22日

    ライン河畔プロムナード デュッセルドルフ

    総合評価:5.0

    ≪2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    目的地:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの4つの地域を中心に巡る。

    旅の行程上もあって、2013年から、この4年で4度もデュッセルドルフを訪れた。

    楽しいAltstadt旧市街(500m四方の狭い町)のRheinuferpromenadeライン川畔プロムナードにいつも必ず見に来る。
    ライン川には左からRheinkniebrueckeラインクニー橋、Oberkasseler Brueckeオーバーカッセラー橋、TH-Heuss Brueckeテオドーア・ホイス(初代西ドイツ大統領の名)橋と、三つの大きな橋が掛かる。

    その橋の下を相変わらず遊覧船や大きな、長い輸送船が河口に向けて、或いは上流に向けて、航行している。この辺りのライン川の川幅200~300Mで大きく蛇行している。
    この川岸から見る景色は変らず、遠くに172mのラインタワーが見える。ここからだと、かつて住んだOberkasselオーバーカッセルのKaiser-Friedrich-Ringカイザー・フリードリヒ・リングは遠くて見えない。訪れたい場所なのだが・・・。

    (注)第二次大戦におけるDie Bruecke von Remagenレマーゲン鉄橋の攻防は有名だが、デュッセルドルフでも1945 年 3 月 3 日にドイツ国防軍は連合軍(英米)のライン川渡河を阻止するため、オーバーカッセラー橋を爆破している。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • デュッセルドルフ国際空港は便利で機能的な空港である。

    投稿日 2017年02月22日

    デュッセルドルフ空港 (DUS) デュッセルドルフ

    総合評価:4.5

    ≪2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
    目的地:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの4つの地域を中心に巡る。

    2006年5月05日以来、デュッセルドルフ国際空港にはご無沙汰だったが、旅の行程上もあって、2013年から、この4年で4度もデュッセルドルフ国際空港を利用した。
    かつて、大火災(1996年4月12日、工事中の溶接の火花が建物の建材に引火し有毒ガスが発生、17名が死亡し、88人が重軽傷という大惨事)がおきた空港だが、もうそんな様子は少しもない進化した空港になっている。

    また、2015年春からANAが成田<=>デュッセルドルフ間に就航した所為でもある。

    空港からはタクシーで凡そ10km・10分走るとデュッセルドルフの旧市街に至る。
    空港からはデュッセルドルフの中央駅にはS-Bahnで15分と近い。

    デュッセルドルフ空港は1階にスーパーのReweレーヴェがある。良くまとまった、機能的な空港だが、国際空港にしてはDuty Freeの店が少ない。
    (尚、店に気付かずに出国手続きしてしまっても、今一度入国・再出国が出来るので、戻って買物はできる)

    A77ゲートの搭乗口前に、昨年まであったカフェ・メーヴェンピックがなくなり、今はキオスクになっていた。

    旅行時期
    2016年10月
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    施設の充実度:
    4.0

  • ナチスに立ち向かい「ミュンスターの獅子」と呼ばれたガーレン枢機卿の像が立つ

    投稿日 2017年01月17日

    大聖堂(St. Paulus-Dom) ミュンスター

    総合評価:4.5

    2016年ドイツの秋にライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅に出かけた。
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第10日目の10月23日(日)に新旧キリスト教徒の宗教戦争であった”三十年戦争”の講和条約締結地のMuensterミュンスターの町を一日観光した。
     Kiepenkerl Denkmalキーペンケアル(行商人)の銅像の方から横丁を通って、St. Paulus-Dom聖パウロ大聖堂に向かった。
     大聖堂はほぼ13世紀当時のままの姿で旧市街の中心に立ち、西に面して二つの尖塔(北が57.7m、南が55.5mと異なるのが不思議だが)が並び立ち、ファザードにステンドグラスの輪が見え、中にはバロック様式の大聖壇、聖歌隊席、Fuerstbischofs von Plettenbergプレッテンベルク侯爵司教の墓碑がある。
    聖堂の長さは109m、幅は53mと大きなものだ。
     
     聖パウロ大聖堂までやってくると、右手を挙げた、大きな僧の像が立っているのが目に付いた。昔々、この地を訪れた時は無かった像である。

     ナチス独裁に勇敢に立ち向かい「ミュンスターの獅子」と呼ばれたClemens _Graf_von_Galenガーレン枢機卿(2005年に列福(聖人の次の位)された)の記念像・碑だそうだ。
     かつてヒトラー暗殺未遂事件に関与して刑死した「シュタウフェンベルク大佐」などについて書いてきたが、ナチスに立ち向かった宗教家については全く知ることも無く、この旅で初めて知った人物である。

    ≪Clemens August Kardinal Graf von Galen
    (16. Maerz 1878 in Dinklage,Oldenburger Muensterland; † 22. Maerz 1946 in Muenster, Westfalen)
    )クレメンス・フォン・ガーレン枢機卿の列福≫

     2005年10月9日ローマにおいて、ドイツ人クレメンス・アウグスト・フォン・ガーレン枢機卿が列福される。
     卿について教皇ヨハネ・パウロ2世は1987年5月6日に「神と人間の権利の擁護者として忘れることのできない人物」と評した。
     枢機卿はなかでも国家社会主主義(ナチス)のイデオロギーと体制に対する不屈の戦いで知られている。
    また死の文明が命の文明にとって変わろうとするこの現代においても持別の意味をもつ。
    と言うのは、枢機卿はあらゆる命が生きるに値するものだと深く確信していたからである。

    * *  *  *  *

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.5

  • 城の守護精霊・小人のペーターの伝説が残るシュヴェリーン城

    投稿日 2016年09月30日

    シュヴェリーン城 シュヴェリーン

    総合評価:4.5

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
    期間:2014年05月09日~23日  15日間)
    05月17日(土) 170km、晴れ、16.5℃、今日も天候に恵まれた。
    Guestrowギュストロー =>L?・B104・L? 64km Schwerinシュヴェリーン観光 

    シュヴェリーンは湖水地帯の広がるメクレンブルク・フォアポンメルン州の州都である。
    “Stadt der sieben Seen7つの湖の町”と称される古都シュヴェリーンは「北のフィレンツェ」、「大聖堂の街」、「居城都市」と様々な異名で呼ばれている。
    確かに絵葉書で見ると、シュヴェリーン湖に浮かぶ町のようだ。
    人口は95千人とドイツで最も小さな州都になる 。

    かつてこの地はスラヴの居留地があったと考えられ、その後ザクセン人に征服された。
    1160年にHeinrich III der Loeweハインリヒ獅子公(町の“創始者”とされている)から都市の自治権を与えられ、まもなく司教座がおかれた。
    中世から近代にかけて、メクレンブルク公領、メクレンブルク・シュヴェリーン公領の都であった。第二次大戦後、東独領になったが工業化が進められ、産業文化の中心となった。

    湖上に佇む華麗なシュヴェリーン城は“湖上の宝石”と称えられ、北ドイツ屈指の名城と云われている。この城はフランス・ロワール地方のシャンボール城を手本としたとされ、華麗な装飾の塔をもつ城である。無数の塔や丸屋根、翼棟を備えるロマンチックなメルヘン宮殿は橋のこちらから見る正面には何本もの塔が林立して見え、その姿はシャンボール城に良く似ている。
    そのシャンボールよりはシュヴェリーン城の内部は見るものが多い。城内博物館は653の部屋があり、其々の部屋は象嵌細工の床や豊かな彫刻、金箔貼り、化粧漆喰天井などで飾られた、豪奢な造りになっている。

    橋を渡った所に25haの広大なバロック庭園がある。北ドイツで最も美しいバロック庭園と称されている。1893年の作成だというメクレンブルグ大公フリードリヒ・フランツ2世の騎馬像が立つ。広い芝生庭園、並木道、東屋、花壇、植え込み、様々な石像彫刻および運河が交差し、バロック式の特徴をよく表現している。

    2005年4月の時は確か無なかったと思うが、シュヴェリーン湖を背景にして、絵画のような額付き写真を撮れるように木枠があった。
    なかなか良いアイデア−で観光客は皆、枠に納まって写真を撮っていた。

    シュヴェリーン城には小人のペーターという精霊が住んでいると云う。
    伝説話は以下に添付した。

    ≪伝説:シュヴェリーン城の守護精霊・小人のペーター≫
    http://4travel.jp/travelogue/10896308

    旅行時期
    2014年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.0

jijidarumaさん

jijidarumaさん 写真

33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎ82歳になりましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2026.02.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2026年を迎えている。

(2026.02.11.)

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