武士の家には見えませんでした。
- 3.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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by 旅好者さん(男性)
大田・石見銀山 クチコミ:34件
栄泉寺の北並びといった辺りに、民家?といった感じの建物がありました。比較的地位のある武士の居宅だったとのことですが、後年、かなり手が入っている様で。その面影は、特に、外見からはその様には見えませんでした。ここは銀山の政務を務めた役人・田邊家の居宅として、1800年(寛政12年)の大火後に建てられたもので、現在の所有者の名の付いた「三宅家」とのことです。田邊家は、大久保長安が石見銀山の初代奉行となった時に、甲斐国から鉱山の経験者として登用された様です。
なお、この辺りは駒の足地区と呼ばれるところだそうです。駒の足とは、銀山に出入りする荷馬に課した税のこととのことです。この辺りに、税の徴収をする番所があったのでしょうね。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2022/12/26
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