cq74さんへのコメント一覧(2ページ)全17件
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こんばんは☆
cq74さん初めまして!
清水寺のライトアップすごくキレイに撮れてますね。
私が京都に行ったときは清水寺はまだライトアップしていなかったのでcq74さんの旅行記楽しく拝見しました。
そしてこんなキレイな光景を見たなんて羨ましいです。
特に清水の舞台と紅葉と京都の夜景が入っている写真すごく素敵でした☆
で1票させていただきました。
また今度ゆっくり他の旅行記も拝見させていただきます。
オーリアン -
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著作権の許諾に関して
私は、高校で、国際研究同好会の顧問をしています。今年のテーマは、倭寇で、このことについて、生徒とともに、研究をしています。
さて、2007年12月7日に、教育委員会主催の国際教育研究発表大会があり、その中で、本校国際研究同好会が10分間発表を行います。その際に、貴ホームページの「深セン 大鵬古城」(src_12642208)の写真を、使わせていただけないでしょうか。10分くらいの発表の中で、10秒程度、上記の写真をプレゼンテーションしたいと思います。それ以外には、使用しません。プリントも配布しませんし、また、以後、ホームページの作成にも使用しません。その時だけの使用です。なにとぞ、著作権の許諾をお願いします。
正式な本校名や、発表内容等については、メールでお送りします。
RE: 著作権の許諾に関して
garuruさん
ご連絡ありがとうございます.
さきほどメールでも返信させていただきましたが,どうぞご使用ください.
大鵬古城の城壁は倭寇とも関わりがあるのでしょうか.
どんな発表となるのか,楽しみです.
では.
2007年11月10日22時14分 返信する倭寇との関連について
倭寇とは、海賊であり、通常は、海上で強いような印象ですが、実は、陸上のほうが強かったそうです。
船が粗悪で、小さいため、海上戦では、中国海軍の大きな船が突っ込んでくると転覆したりして負けるそうです。ですから、中国の海軍がやってくると、すぐ、入り江の浅いところに逃げ込む。すると、中国の大きな船は、追いかけてこれない。とそんな感じだったそうです。
そして、陸上の戦いになると、これがめっぽう強かったということです。数千人の訓練された軍隊がほら貝を合図に、様々な陣形を取り、戦国大名さながらの戦いぶりという記録があるそうです。
そういう相手と戦うために、中国では、江南地方に城(町の城壁)が多く築かれたそうです。ということです。
ただ、何百年もの期間ですから、倭寇対策でもあり、その他の国防、また、内乱時の略奪の予防とか、さまざまな面があるとは思います。
深圳旅行というHPでは以下のように説明しています。
敷地面積は11万?、明代初期の西暦紀元1394年に作られたものです。「大鵬守御千戸所城」と称され、倭寇や海賊などの防衛用要塞として建設されたそうです。略称で「大鵬所城」呼ばれています。2007年11月11日13時50分 返信するRE: 倭寇との関連について
garuruさん
なるほど,よくわかりました.
私が読んだ文献には,「倭寇も初期は実際に日本人だったようであるが,後半は中国人が倭寇と名乗ることが多かった」などという記述を見たことがあります.まあ何というか,現在の中国人気質に通じるものがあるというか・・(中国人に限らないかな?)2007年11月12日01時03分 返信する後半は中国人が倭寇と名乗ることが多かったについて
倭寇を名乗るのは、かっこいいというか、脅しがきくからです。
中国人の立場から言えば、倭寇を名乗ることで、すべてを捨てたという感じじゃのでしょうか。あちらの世界の人間になったということでしょう。
ただ、「後期倭寇の8〜9割は、中国人」という日本の教科書の記述に反感を抱く中国人も少なくないようです。
日本から、「南無八幡大菩薩」の旗印でやって来て、略奪の限りを尽くし、「いや実態は、8〜9割は中国人」と言っても意味がなく、要するに「中国人が多い」という記述は、加害と被害を不明瞭にさせるめくらましだというのです。
日本側は、倭寇を好意的にとらえることが多く、「中国人が8〜9割」というのは、「日本人は、それほどの大物ではありません」と謙虚に言っているのだと思うのですが。
2007年11月20日13時07分 返信するRE: 後半は中国人が倭寇と名乗ることが多かったについて
garuruさん
そうですか,教科書にも載っているのですね.てっきり中国でもこれが通説だと思っていましたが..(あの時代に海を渡ってくることの大変さを考えれば,近くの海岸から出撃する方の人数が多いことは容易に想像つきますからね)
私が「中国人気質」と書いたのは,「便乗して稼ぐ」という行為を念頭に置いています.またはブランド効果とでも言いましょうか・・(私の勝手な推測ですが)2007年11月21日00時40分 返信するお付き合いしていただいてありがとうございます
中国人研修生(労働者)に話を聞いてみると、倭寇のことは、知らないそうです。歴史は、近現代史中心だそうです。日本も入試以外は同じく薄っぺらい近現代史中心の教科書なのですが。
ただ、教科書問題に端を発して、日、中、韓で、歴史認識について議論があるのですが、その際の発言を見てみると、中国、韓国は、倭寇を悪の権化のごとくとらえていることがよくわかります。だから、どんなに残虐だったかという話がよく出てきます。実際に倭寇に何度も襲われ、人口減少した地域が非常に広範囲にあるそうです。
しかしそれに対して、現在の教科書を自虐史観と批判する人たちは、「倭寇が残虐なのは、中国人だったから」と主張します。
そういう構図があるところで、教科書の記述が、「中国人が、8〜9割」とあるのでこだわるのかもしれません。中国としては、「下働きに多くの中国人がいても、それは記述するほどのことか」ということです。
まあ、どちらにしろ、教育の現場では、生徒の歴史離れに悩んでいます。卒業した生徒は、たぶん、「倭寇?知らない」と答えそうで・・・。
2007年11月26日12時47分 返信する -
初めまして
初めまして
同じような事をされる方がいるなんて驚きです、
私は毎度逆コース 坂本から、叡山へ叡山から鞍馬のコースです、
もう最後にこのコースを歩いてのはもう十年くらいなります。
懐かしくて 書き込みたくなりました。
投票は無論です。
義臣 -
お邪魔します
cq74様
私のページにcq74様の訪問記録があったので、お邪魔させていただきました。
いやはや・・・地図の塗りつぶされ方がすごいですねえ・・・。
訪問先の多さもさることながら、1年たらずの間にこれだけたくさんの旅行記を書かれるのは大変だったでしょう。
そして最新の旅行記が高千穂・天岩戸というのもグッドタイミングでした。
実は今週末、2泊3日の予定で阿蘇・高千穂・霧島の旅行を予定しているのです。わずか3日間で無謀な計画ではあるのですが、とりあえず次回じっくり回るためのダイジェスト版ということで回って来たいと思っています。
そのほかにも興味深い地域を多数訪れておられるようですので、これからじっくりと拝見させていただきたいと思います。
2007年10月30日13時09分返信する -
はじめましてcq74さん
武陵源の旅行記を拝見しました、各所、エレベーター・ゴンドラと待ち時間が半端でなく大変な状況でしたね、そこでお聞きしたいのですが、ここは歩いて登ることは出来ないのでしょうか?岩峰の高さが300Mほどの高さでしょうから下部の最低地より考えても500Mほどの高低差だと判断出来るのですが
そのような情報はご存知ではないでしょうか、実は私もこの場所にこの7月に訪れる予定です、ゴンドラ等の料金という事でなく、あまりにもこの待ち時間が勿体無く思い、また山歩きも大好きな事もあり、お聞きしたわけであります、もしその辺の情報をお持ちであれば教えてください。イーハン。書き込みどうもありがとうございます
イーハンさん
海外出張中だったため返事が遅れてすみません.日本に帰国後全然更新できていませんが,今回も出張の合間を縫っていろいろ出かけてきたので,そのうちアップできればと思います.
ご質問の件ですが,正確な資料が手元に出てこなくて,記憶だけで返信させて頂きますが,エレベータに乗るところ(袁家界への入口)については,少し離れたところ(森林公園と水鏡四門の中間地点,エレベータの地点からまっすぐ歩いて30分くらいのところ)から歩いて登ることはできます.あるいは,天子山自然保護区の方からバスで入っていくこともできます.(旅行記が未完成で恐縮ですが,私は帰路はこのルートを使いました)
私がエレベータに乗ったときは,1月だったこともあり,並ばずに乗れましたが,夏だとかなり混雑しているかもしれませんね..ただ,エレベータ自体はかなり面白いロケーションなので,少し朝早く行くとか,ピークの時間をずらしてアクセスすることも考えてみられてはいかがでしょうか.
以上,取り急ぎ.さらに細かい質問があったら再度お願いします.
(私も旅行記を更新しなければなりませんね・・)
2007年07月13日00時17分 返信する



