たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(40ページ)全1,843件
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投稿日 2015年11月11日
総合評価:5.0
西表島南風見田浜に聳え立つ〝忘勿石之碑〟は平成4(1992)年8月15日に建立されました。今から約70年前の第二次世界大戦末期、石垣に駐屯していた独立混成第45旅団司令部の命令により、波照間島民がマラリアの有病地であったこの西表島南風見田へと強制疎開を余儀なくされました。
当時波照間国民学校長だった識名信升先生は、強制疎開を余儀なくされた児童の集め、この場所で入学式を執り行ったものの、気温の上昇とともにマラリアを媒介するハマダラカが発生し、罹患者が続出しました。その結果入学式に参加した323名の児童のうち66名がマラリアに罹患し、短い命を閉じました。ろくに薬もない状況で爆発的にマラリア罹患者が続出する現実を、識名校長は危険を顧みず小船で石垣へと向かい、旅団長へと直訴し帰島の許可を得ます。
ようやく故郷波照間へと戻ることができる…。その中にある〝安堵感〟とはまた別の感情、即ち数ヶ月前に執り行った入学式に参列した児童の中に多くの犠牲者が出てしまったという事実。そして後悔の念。その帰島が始まるにあたり、入学式を行った場所にある砂岩の巨石に刻んだ10文字、それが〝忘勿石 ハテルマ(波照間) シキナ(識名)〟であり、その文字が刻まれた石こそが〝忘勿石〟になります。
この〝忘勿石之碑〟というのは慰霊碑的な意味合いを持つと同時に、識名先生の威徳を後世に伝えるべく、一連の忘勿石に纏わるものを凝縮したものではあります。しかしあくまでも碑は碑でしかありません。この地を訪れる観光客の多くが、この〝忘勿石之碑〟を見るだけで満足し、帰ってしまうことが多いということを知りました。忘勿石之碑には、識名先生の胸像、忘勿石の〝レプリカ〟も付いていることから勘違いをしてしまっているようです。〝忘勿石之碑〟すぐ隣になんの飾りもなく横たわる砂岩の巨石。時間によっては文字が見え辛いこともあるものの、はっきりと確認することができます。
そういう後から後悔することのないように、少しでもいいから事前学習をしておく、その必要性を改めて感じました。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 海が時化ると行けません。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 2回とも人はいませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 砂浜があるので厳しいです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 言葉を失います。
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投稿日 2015年11月16日
総合評価:5.0
5日間の旅最終泊は、いつもお世話になっているこの?ペンションさっぽろ?です。いつもは洋室ですが、今回はいつもと志向を変えようと和室でお願いしました。布団をひけば人数が泊まれる和室の方が稼働率がいいのかも知れません。若干洋室よりもはくたびれた感はあるものの、キレイに保っておられるのは変わりありません。
残念ながら今日は天気が悪く、夜朝とも雲と風に阻まれて、最後の石垣の星と朝焼けが楽しめなかったのは残念でしたが、次来た時にたのしめりゃ?い?さ?って感じで流します。
3回とも旅最終日のしんがりの宿を務めてくれるペンションさっぽろとオーナーさん夫妻にはいつも感謝です。
(柱)ゴールデンウィーク明けと11月中旬よりオーナー夫妻は北海道へ帰られるためそれぞれ1ヵ月程休業されます。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 10,000円未満
- アクセス:
- 5.0
- レンタカーであれば空港から20分位でしょう。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 私は満足しています。
- 客室:
- 5.0
- 今回は和室にして貰いましたが洋室同様キレイです。
- 接客対応:
- 5.0
- これが楽しくていつも泊まっています。
- 風呂:
- 5.0
- 客室に同じくきれいで快適。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 少なめの品の良いお食事は私にとってドストライクです♪
- バリアフリー:
- 5.0
- 数段ではあるものの段差はあります。
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投稿日 2018年04月09日
総合評価:5.0
滋賀県大津市で運行されている〝京阪バス〟は大津営業所の管轄です。主として石山エリアの瀬田川西岸一帯に路線網を持っているため、石山寺をはじめとする観光名所へと向かう足として、シーズンにもなると多くの観光客が利用します。
そんな京阪バスですが、私の場合は通勤で利用しています。一概に車両の違いもあるためひとことでは言い表せないところもあるものの、一部の利用客の多い路線を除くと減便や車両の中型化が進んでおり、ダイヤ改正毎に使い辛さが増すために余計に利用客が減るという悪循環になっています。
鉄道やバス等の公共交通機関が利用客の減少や収益率の低下から廃止や減便を余儀なくされていることは周知の事実です。しかし高齢の利用者の多い区間で行われてしまうと、足そのものがなくなってしまうことも事実です。
運転士も足りず大変なことはわかりますが、なんとかならないものかとはジモてぃは思います。- 旅行時期
- 2018年03月
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投稿日 2018年04月09日
総合評価:5.0
米子から浜田・益田間を走る快速アクアライナーは、文字通り快速として運行されている特別料金なしで乗れる列車です。米子~出雲市までは100km/h、出雲市以西は90km/hの最高速度で走るため、山陰エリアの18きっぷの旅ではその利用価値の大きさは事実ではあります。
しかし2両編成のワンマン運行であるがために、どうしても停車時に於けるドア開閉に時間がかかります。また快速とはいえ益田行き列車は浜田から各駅停車となるため、ただのローカル線の普通列車化してしまうのが残念です。
長らく高速化の波に取り残されて来た山陰本線に於いては、キハ126系の投入によってできた快速列車はそれなりの利用価値はあるようには思うものの、車内装備はよく意味のわからない纏まり方になっていたりします。
都市部のように普通列車を追い抜くこともあまりないため、所要時間が若干短いと感じるぐらいの差だと思うのが現状だとは思いますが、客車と旧式気動車のオンパレードだった時代を考えると確実に進歩はしているように思えます。一度話のネタにするために乗ってみる価値はあると思います。- 旅行時期
- 2018年03月
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投稿日 2018年04月06日
総合評価:5.0
JR浜田駅前にある〝どんちっち神楽時計〟は平成15(2003)年10月に日本宝くじ協会の助成により建立されたものになります。名前の由来である〝どんちっち〟とは、地元の子供達がお囃子のリズムから石見神楽のことを〝どんちっち〟と呼ぶことにちなんで名づけられたそうです。
石見地方の代表的な伝統芸能である石見神楽は、エリアを走るJR三江線の各駅にその〝演目〟がひとつひとつ充てられていたことでも知られています。石見神楽の中でも表的演目のひとつとして知られている〝大蛇(おろち)〟は、その動きのダイナミックさや素朴かつ勇壮な響きは老若男女問わず、また海外でも多くのファンがいるほどのものだそうです。
演目名の由来である〝大蛇〟は言うまでもなく神話の世界の須佐之男命の〝おろち退治〟にちなんだものであり、8:00~21:00までの00分には囃子手の出現とともにお囃子を奏で、続いて大蛇がキリを吐きながら暴れます。そして須佐之男命が現れて草薙剣で以て大蛇と戦い、最後は大蛇を討ち取るクライマックスで終わります。
よくある田舎のからくり時計のように見えてしまうのは悲しい限りですが、やはり神話の舞台であった場所であると同時に石見神楽が庶民の娯楽として根付いており、その中で子供達の直感的な感性から生み出された〝どんちっち〟の愛称は、やはり興味深いものを感じました。写真で収めてもその模様は伝えることはできません。からくり時計の動く姿とそのストーリー性までを見て初めてその良さがわかるものだと、写真を撮ることを忘れて見入ってしまったおバカ約1名は思いました。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- JR浜田駅前にあります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 平日の昼間は人は少ないです。
- バリアフリー:
- 5.0
- 周辺は舗装されています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 動き・お囃子・ストーリー性が良い感じです。
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投稿日 2018年02月16日
総合評価:5.0
山口県周防大島町にある陸奥記念館は、悲劇の戦艦陸奥を今に伝える資料館です。大正10(1921)年に就航した戦艦陸奥は長門型戦艦2番艦として起工されたもので、第二次世界大戦前の我が国では戦艦長門とともに大日本帝国に於ける軍備の象徴として国民から長く愛されていたそうです。
長門と陸奥は交互に連合艦隊の旗艦に就いており、世界七大戦艦の一隻として知られていました。そんなカリスマ性を持っていたことから当時の海軍兵学校では、長門と陸奥の四十糎砲が太平洋を睨んでいればアメリカは攻めてこないと語り続けられていました。
時代は流れて第二次世界大戦が勃発し、戦況が徐々に悪化する時代にあっても起死回生の切り札として大和・長門・伊勢・日向・山城・扶桑等の戦艦部隊と同様に温存されていましたが、昭和18(194)年6月8日に原因不明の大爆発を起こし、停泊していた広島湾沖柱島泊地にて沈没しました。三好輝彦艦長以下乗員1,474名のうち助かった者は353名とされており、その犠牲者の中には三好艦長等艦主要幹部の他艦務実習で数時間前に乗り込んだ予科練甲飛第十一期練習生124名が含まれています。
当初陸奥の爆発要因は米潜水艦の雷撃によるものだとされたようですがその後撤回されています。原因は諸説あり未だわからないままになっています。ちょうど山本五十六元帥の戦死やアッツ島玉砕など、暗いニュースが続いていた時期と重なり陸奥爆沈のニュースには緘口令が敷かれたために多くの国民がその事実を知ったのは終戦後のことだったといわれています。
終戦後に多くの艦船や潜水艦がGHQによって爆破処分されたものとは異なり、陸奥は今なお沈没地点の海底に残っています。サンフランシスコ講和条約締結後に日本が主権を回復した後に数回船体の引き上げが試みられたものの、全部を引き上げるには至っておらずその一部が海底に眠っています。
昭和45(1970)年から昭和53(1978)年にかけて行われた引き揚げ作業の結果、船体の75%と多くの遺品や遺骨が引き上げられました。その遺物の展示施設の建設構想が持ち上がったことにより旧東和町が事業主体となり昭和47(1972)年に旧陸奥記念館が完成し、その後平成6(1994)に現在の場所に移設されました。記念館入口には艦首錨及び錨鎖が置かれており、また記念館隣の丘には屋外展示物としてスクリュー・14糎副砲・艦首先端部が安置され、その脇には陸奥爆沈犠牲者と予科練甲飛第十一期練習生の慰霊碑が建立されています。そして陸奥が眠る場所を指し示す矢印とその海が一望できるようになっており、訪れる者すべてに静かに戦中の出来事を語っています。
戦艦陸奥の引き上げられたパーツは色々な場所で活用され、訪れるものにその存在感を示しています。その中核として造られた陸奥記念館には、遺品を含めた兵士や船員の生活、そして戦艦陸奥という艦艇について静かに訪れる者に訴え掛けています。周防大島という場所は決して交通の便が良いわけではなく、行くだけでも結構骨の折れる場所ではあるとは思います。しかし戦闘によって喪失したものではない戦艦陸奥であるから是非論を抜きにして見学できる場所となっているようにも思えます。
戦艦の記念館という名前で行く価値を判断することは単なる『食わず嫌い』ではないかと私自身は思います。午前中に大津島の回天記念館を訪れて、約100km離れた場所に移動することは本当に大変でしたが、回天記念館とは違うインパクトに苦労して訪れた甲斐があったと改めて思いました。- 旅行時期
- 2017年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 大畠駅からバスで1時間程。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 苦労してでも行く価値はあります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 来館者は私だけでした。
- 展示内容:
- 5.0
- 戦艦陸奥の多くがわかります。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープと自動ドアが完備されています。
-
投稿日 2018年03月30日
総合評価:5.0
スーパーホテル出雲駅前は、チェーン店のひとつです。低価格帯のホテルで満足度の高い評価を受けていますが、サービスの合理化によって必要経費を抑えるものの、内容に関しては品質低下しないように考えられていることがわかります。
基本部屋のアメニティは歯ブラシのみで、浴衣・髭剃り・クシ・女性用アメニティはフロントに申し出て受け取る形を取っています。
部屋は普通の広さなんでしょうが、ベッドが大きい分だけシングルルームでは少し狭く感じることがあるかも知れません。ただ〝疲れを取って貰う〟という理念には偽りなく、本当にぐっすりと眠ることができました。
健康朝食と銘打ったバイキングは、ホテル規模的に考えると種類も豊富で足りなくなった食材は切らすことなくすぐに補充されていることは大変満足のいくものでした。
バスルーム寝室とも清掃は行き届いており大変快適に利用することができました。
ひとつだけ思うことは0:00を過ぎると一切チェックインができなくなるということ。出雲市駅界隈でその時間に公共交通機関は動いていないため、必要かどうかは疑問ですが『一切』という言葉で言われてしまうと、交通の乱れによって到着が遅れた場もやはりそういった扱いになるのかという点でした。
深夜まで開けていることが良い訳ではありませんが、その辺りを考慮して頂けたらとも思います。トータル面で5,000円で朝食付きと駅前徒歩0分の立地を考えると十分満足いくものでした。また出雲を訪れる機会があればお世話になりたいと思います。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 5.0
- 出雲市駅前です。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 立地と朝食付きを考えれば安いと思います。
- 客室:
- 5.0
- 少し狭い気もしますが快適に利用できました。
- 接客対応:
- 5.0
- いい感じでした。
- 風呂:
- 5.0
- 清掃は行き届いており気持ちよく利用できました。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 種類も豊富で美味しかったです。
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベーター完備です。
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投稿日 2018年03月23日
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投稿日 2018年03月23日
総合評価:5.0
倉敷から新見を経由し伯耆大山に至る伯備線は全長138.4kmのローカル線です。陰陽連絡線として昭和3(1928)年に全通した時には然程重要視されていなかったものの、山陽新幹線の岡山延伸によってガラリと変わり、岡山駅乗り継ぎによる山陰方面への観光路線を担うこととなりました。
そのような需要の高さから昭和57(1982)年には電化され、電車による運行が開始されました。しかし場所的な理由から新型車両の投入はされず、一線の運用から退いた車両が多く走っています。サンライズ出雲に用いられている285系を除けば、中央線で活躍した振り子式電車特急381系、113・115系末期色塗装車両が活躍しているローカル線であることがわかります。
列車の運行本数も少なくはない上、ほとんどの駅で交換ができるため、快適な鉄道旅ができます。
新幹線+特急やくもの旅も確かに楽しいでしょうが、やはり伯備線を利用するのは普通列車での各駅停車の旅が楽しめることにあるように思う私でした。- 旅行時期
- 2018年03月
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 乗った電車は空いていました。
- バリアフリー:
- 4.0
- 旧式車両ですから。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 主要駅での乗り継ぎは良かったです。
- 車窓:
- 5.0
- 高梁川の眺めが楽しめます。
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投稿日 2018年03月23日
総合評価:5.0
長谷駅は〝はせ〟ではなく〝ながたに〟と読みます。昭和44(1969)年に仮乗降場として開業し、昭和62(1987)年にJR西日本に移管された際に駅となった三江線内で最も新しい駅になります。
元々は付近の集落に住む子供達が通う学校が過疎化により閉校したため、その通学に利用するために設けられました。そのような背景から下りが朝2本と上り午後3本の列車しか停まらないため、三江線で唯一通過する列車がある駅としても知られています。
三江線随一の秘境駅とも言われますが、一般的な意味とは異なり、列車で訪れることが困難であることからそう言われています。そのようなことからなにか特徴のある駅という訳ではなく、他の三江線無人駅と同じような普通の駅でした。
一日あたりの乗降客はほぼ0で、過疎化に悩む集落にある特徴的なものとなっています。
三江線廃線後には沿線自治体が駅舎等の保全活動を積極的に表明している島根県エリアに対し、この長谷駅を含む広島県エリアのものは、未だその姿勢表明がされていません。そんな理由から4月になるとどのような展開になるのかすらわからないのが現状です。
秘境駅故に途中下車することもできなかったことが残念ですが仕方がありません。でももし廃線後も駅舎が残るのであれば是非訪れたい場所のひとつでもありました。- 旅行時期
- 2018年03月
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投稿日 2018年03月21日
総合評価:5.0
東岡山駅から相生間の瀬戸内海側を走るローカル線です。全線走破をするのはやはり乗り鉄さんくらいでしょう(笑)。播州赤穂から大阪圏まで直通運転するものは、221・223・225系で運行されていますが、姫路から岡山方面へ運行されているのは113・115・117系末期色ばっかりでした。しかし今回岡山発播州赤穂行きはなんと以前瀬戸大橋線を走っていた快速マリンライナーの213系が投入されていました(驚)。
座席は変わってはいたものの、雨の降る寒い日だったので暖房が効かないあの骨董車両じゃなかったことはラッキーで、つい爆睡してしまいました。
岡山からだと進行方向左側だと海が見えて、乗っているだけでも楽しいです♪- 旅行時期
- 2018年03月
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投稿日 2018年03月05日
四季の杜 ゲストハウス (ゴールデンユートピアおおち内) 三瓶山周辺
総合評価:5.0
ゴールデンユートピアおおちは、一般財団法人美郷町開発公社が運営している第三セクターの施設です。
多目的施設として温泉・宿泊施設・温水プール・スパ・テニスコート・大型遊具・会議室等があり、親子連れや合宿等においても楽しいひとときが過ごせる施設となっています。
姉妹施設のカヌーの里おおちでは通年でカヌーレッスンが、冬季のみスノートレッキングが開催されており、普段体験できないアウトドアスポーツが楽しめます。
宿泊施設である四季の杜ゲストハウスは、広々した独立型のコテージで、ホテルのように隣室を気にする必要もありません。今回ツインベッドのシングルユースでしたが、ひとりで使うには広過ぎるお部屋でした。
室内には清掃の行き届いたユニットバスもあり、時間関係なしに利用ができるため凄く快適でした。
室内のアメニティは二種類の大きさのタオル・リンスインシャンプー・ボディソープ・ドライヤー・歯ブラシとなっています。
残念なこととしては温泉施設があるものの、あくまでプール扱いとなっており水着着用をしなければならないため面倒くさいのと、日帰り利用に重点がおかれているために利用時間が21:00迄となっていることです。また本格的なお食事を提供されているのですが、レストランの営業時間の絡みで、遅くなると室内に於いてお弁当になってしまいます。
歩くと15分と書かれており、迎えは必要ないかとも思いますが、施設までの道のりは上り坂なので、素直に迎えをお願いした方が賢明です。
全体的にはスタッフの対応も含め十分満足できる施設でした。今回は三江線の始発に乗る目的だったために短い在在時間でしたが、暖かくなって色々な活動ができる時期に改めてゆっくりとお世話になりたいと思った施設でした。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 5,000円未満
- アクセス:
- 5.0
- 粕淵駅から徒歩15分、車で5分位です。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 割安感があります。
- 客室:
- 5.0
- 清掃も行き届いており快適に過ごせました。
- 接客対応:
- 5.0
- しっかりしており好感が持てます。
- 風呂:
- 5.0
- ユニットバスですが狭くもなく快適です。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 本格的なお料理が楽しめます。
- バリアフリー:
- 4.0
- コテージへは地道部分がありました。
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投稿日 2018年03月04日
総合評価:5.0
三江線の旅で宿泊のために下車しました。三江線内の駅では宿泊施設が最も多い駅ではあれど、なんせ宿泊施設の送迎時刻が早いこともあり遅い時間の到着だと真っ暗です。
三次から乗って来た列車が倒木により80分遅れで20:30頃の到着となり、とりあえず駅前に出たところ真っ暗な広場に出くわしました。流石の私も怖さを感じすぐに宿へ迎えに来て貰えるように連絡しました。
石見交通の大田市へと向かうバス路線も運行されており、三江線沿線に於いては主要駅のひとつですが、やはり田舎の駅ゆえ仕方がないことなのかも知れません。送迎を行っている宿泊施設には、前もって列車到着時刻に迎えに来て貰えるように連絡しておいた方が無難です。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 3.0
- 暗いので少し怖く思いました。
- バリアフリー:
- 3.0
- ホームへは階段があります。
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投稿日 2018年03月09日
総合評価:5.0
粕淵駅と沢谷駅の間にある無人駅です。三江線通し運行以外の運行に於いては乗換駅となっており、列車運行上では重要な駅ではあるものの、乗降客数は粕淵駅とは比較にならない程少ない駅です。
三江線内で唯一夜間滞泊が行われる駅でもあるもののあくまで運行上の都合であり、宿泊施設が集まる粕淵エリアとは離れているために、三次方面の始発に乗るには大変な不便さを言われることも多いようです。
戦前に三江線が江津から延伸した駅ではあるものの、その後三瓶山への拠点としてはバスこそ出発地とはなっていますが、実質的には粕淵駅となっています。
廃止区間に乗りに来るイチ観光客の意見を聞く必要はありませんが、この浜原駅から出発する始発列車の運行が沿線での宿泊を妨げているように思えてなりません。早朝にタクシーを予約しても来るか来ないかもわからず、かと言ってすぐに歩ける距離でもないと言うのがその理由です。
ただ三江線の中心駅であることには間違いないようで、廃止を控えた3月1日には迎えることができないであろう桜をイメージしたイルミネーションが設けられており、その花道を飾っています。しかしそのことが観光客にどれ程周知されているのかは疑問に思う点もあります。
残りわずかな期間で急に存在感を出すことはできないでしょうが、これから訪れるだろう観光客にはその花道を飾っている車両を是非とも見て欲しい・・・そんな風に思います。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いています。
- バリアフリー:
- 3.0
- 乗り換えには跨線橋を渡らなければなりません。
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投稿日 2018年03月10日
総合評価:5.0
広島県北東部一帯の備北エリア。その中核となるのが三次市になります。昭和54(1979)年に中国自動車道が三次まで開通し、東京から高速道路で繋がった後に昭和58(1983)年に全線開通した頃は本州を縦断する主要道の役割を担っていました。しかし山間部の豪雪地帯を走るために冬季は雪による障害も多く、また明るさの不足が指摘されてドライバー泣かせだった高速道路とも言われていました。そのような経緯もあり、平成9(1997)年に山陽自動車道が全通すると、関西以東より九州方面へと向かう主要ルートは取って代われることとなり、一部の都市部を除けば通行量が激減しました。
一時期は大都市から三次に向かう夜行高速バスも乗車率の低迷から撤退を余儀なくされ、唯一名古屋~広島間の広島ドリーム号が立ち寄っているに過ぎません。
廃止祭りの三江線に乗るものがとやかく言うことはできませんが、現実はシビアなものになっています。幹線らしい路線がない三次駅と三次市街がどうなるのか?三江線ブームが過ぎ去った4月以降にどのようになるのか?よそ者ながら不安があります。
広島から列車・バスともに1時間半で来られる場所ゆえ、底力で今後発展してくれることを望まずにはいられませんでした。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いておりキレイではあります。
- バリアフリー:
- 3.0
- 乗り換えに跨線橋を渡らなければいけません。
-
投稿日 2018年03月10日
総合評価:5.0
三江線石見松原駅と沢谷駅の間にある無人駅です。歴史は新しく昭和50(1975)年8月31日に浜原~口羽間の完成により三江線が全通時にできた駅になります。
単式一面一線の無人駅はホーム上に待合室を兼ねた駅舎があるのみとなっています。
三江線を象徴するような駅のひとつではあるものの、近くに江の川が流れており、桜が咲く時期には列車を含めた撮影ポイントとしても有名です。
駅から徒歩3分程の潮温泉大和荘の部屋から眺める三江線車両と江の川の景色は最高で、三江線を紹介したものに載せる定番ものでもあります。
三江線廃止が近く中で、乗り鉄らしからぬ人々がこぞって下車した駅だということは、その人気の高さを表しているように思います。
三江線が廃止になるとその後が気になって仕方がない駅舎が多い中で、唯一今と変わらないように感じられた頼もしい駅舎でした。- 旅行時期
- 2018年03月
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投稿日 2018年03月11日
総合評価:5.0
石見川本駅と因原駅の間に位置する鹿賀駅は、戦後の昭和24(1949)年11月15日に開業した比較的新しい駅のひとつです。両隣りの石見川越・因原駅が三江線延伸時に開業していることから、新規需要を考えて作られた駅のようです。
三江線の駅にしては珍しく直線区間にない駅となっており、乗降客数が0になっていないことから駅間距離を考えただけの駅ではないようですが、やはり運行列車の本数を考えると利便性までを考えた訳でもないように思います。
利用客数と駅から見える集落の規模を考えるとやはり実用性はないと思われますが、江の川が比較的近い場所を流れていることから、廃止後はやはり観光の拠点としての運用ができないものかと思います。施設維持は安くはないでしょうが、廃止間際にここまで乗客が増えた事実は残すべきだと感じます。- 旅行時期
- 2018年03月
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投稿日 2018年03月10日
総合評価:5.0
邑智郡美郷町乙原竹にある無人駅です。木路原駅と乙原駅間に位置していますが、開業当時は木路原駅はなく石見川本駅の隣駅でした。
昭和33(1958)年7月14日の開業は、既に浜原まで三江北線が開通してからのことであり、利用を見越しての開業だと思われます。しかし三江線そのものが最短経路を取って線路を引いた訳ではなくむしろ線路が〝引ける〟場所を選んで走っているために、陰陽連絡線としての役目を果たせないままとなりました。地元の利用を期待したのかも知れませんが、道路の整備の方が早かったこともあり、乗降客数が増えるどころかむしろ減って行く悪循環となってしまいます。加えて駅の開業時には、集落の中心というよりも駅間距離を重視したような配置になっており、この竹駅周辺も小さな集落であると同時に農地・民家ともに少ない場所に開業していることも、一日あたりの利用客数が0といった不名誉な記録を残すことにつながっています。
ホーム上に待合室が置かれ、直接出入りする形をとっているのは他の駅と同じではあり、敗戦後にどんな再利用が可能なのかすらわかりません。しかし江の川が駅から遠くない場所に流れており、それはそれで景色は良い場所であるのも事実なので、その地の利を活かした観光ステーション的なものとして使えるのではないか?そうふと思いました。- 旅行時期
- 2018年03月
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投稿日 2018年03月10日
総合評価:5.0
邑智郡美郷町にある乙原駅は、竹駅と石見簗瀬駅の間にある無人駅です。歴史は古く昭和10(1935)年12月2日に三江線が石見簗瀬駅まで延伸された際に開業しました。
集落からは外れているために駅前には何もありませんが、過去には手荷物取扱を行っていたこともあり、それなりの利用はあったようです。
開業当初から1面1線の形態は変わっておらず、運行上の拠点駅ではありませんでした。
集落内には簡易郵便局もあり、人里離れた秘境駅という感じは受けないものの、車内から見る限りでは住民の方々の利用率が高いとも思えません。
確かに現状を見る限りでは残しておく価値もないとは思いますが、やはり80年を超える歴史ある駅として、駅舎の再利用等考えて頂きたいとは思いました。- 旅行時期
- 2018年03月
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投稿日 2018年03月04日
総合評価:5.0
石見川本で途中下車し、昼食を摂るために立ち寄りました。オバさんがひとりで切りもりされている小さなお店ですが、店内の雰囲気から華やかな香りを感じました。ただ決して人があふれている街ではないため、地元の方の利用がほとんどのようです。
喫茶店メニューということでオーダーするも、提供できるものは限られていると言われ、ピラフとコーラに強制的に決まりました。お味は可もなく不可もなくというところですが、食後にサービスして頂いた〝昆布茶〟が疲れた身体に染み渡る感じがしてすごく美味しく感じました。
石見川本駅周辺では、お昼の営業時間が14:00迄というところも多いため、この時間に滞在する方にはお勧めのお店です♪- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- 石見川本駅から徒歩5分位です。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- それなりの値段はします。
- サービス:
- 5.0
- 愛想が良いわけではありませんが、不快には感じません。
- 雰囲気:
- 5.0
- なかなか良かったと思います。
- 料理・味:
- 5.0
- 美味しく頂きました。
- バリアフリー:
- 3.0
- 入店時に段差があります。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 好き好きあるかも知れません。



























































































