これは忘勿石ではありません。
- 5.0
- 旅行時期:2015/10(約9年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
西表島 クチコミ:69件
西表島南風見田浜に聳え立つ〝忘勿石之碑〟は平成4(1992)年8月15日に建立されました。今から約70年前の第二次世界大戦末期、石垣に駐屯していた独立混成第45旅団司令部の命令により、波照間島民がマラリアの有病地であったこの西表島南風見田へと強制疎開を余儀なくされました。
当時波照間国民学校長だった識名信升先生は、強制疎開を余儀なくされた児童の集め、この場所で入学式を執り行ったものの、気温の上昇とともにマラリアを媒介するハマダラカが発生し、罹患者が続出しました。その結果入学式に参加した323名の児童のうち66名がマラリアに罹患し、短い命を閉じました。ろくに薬もない状況で爆発的にマラリア罹患者が続出する現実を、識名校長は危険を顧みず小船で石垣へと向かい、旅団長へと直訴し帰島の許可を得ます。
ようやく故郷波照間へと戻ることができる…。その中にある〝安堵感〟とはまた別の感情、即ち数ヶ月前に執り行った入学式に参列した児童の中に多くの犠牲者が出てしまったという事実。そして後悔の念。その帰島が始まるにあたり、入学式を行った場所にある砂岩の巨石に刻んだ10文字、それが〝忘勿石 ハテルマ(波照間) シキナ(識名)〟であり、その文字が刻まれた石こそが〝忘勿石〟になります。
この〝忘勿石之碑〟というのは慰霊碑的な意味合いを持つと同時に、識名先生の威徳を後世に伝えるべく、一連の忘勿石に纏わるものを凝縮したものではあります。しかしあくまでも碑は碑でしかありません。この地を訪れる観光客の多くが、この〝忘勿石之碑〟を見るだけで満足し、帰ってしまうことが多いということを知りました。忘勿石之碑には、識名先生の胸像、忘勿石の〝レプリカ〟も付いていることから勘違いをしてしまっているようです。〝忘勿石之碑〟すぐ隣になんの飾りもなく横たわる砂岩の巨石。時間によっては文字が見え辛いこともあるものの、はっきりと確認することができます。
そういう後から後悔することのないように、少しでもいいから事前学習をしておく、その必要性を改めて感じました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 海が時化ると行けません。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 2回とも人はいませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 砂浜があるので厳しいです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 言葉を失います。
クチコミ投稿日:2015/11/11
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