たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんへのコメント一覧全251件
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんの掲示板にコメントを書く
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おはこんばんちは。
ご無沙汰です。沖縄追悼式のご来場有難うございます。平和の詩の朗読等を文面で追う限り戦争はするべきではないとは思うのですが、では戦争を“仕掛けられた”場合はどうするのか?という疑念が残ります。太平洋戦争は確かに軍部の権力争いや暴走の結果“史上稀に見る地上戦”が起こり、多数の住民が巻き込まれて命を落としました。敗戦後サンフランシスコ講和条約締結を経て日本も復権を得て、今では先進国の仲間入りをして現在に至っていることは周知の事実です。憲法第9条軍隊の不保持と交戦権を認めず、武力による国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄するとの条文は守ることができるならそれにこしたことはないとは思います。しかしきな臭い行動で日本を煽っている国があるのもまた事実です。威嚇だけの話であれば放置すれば良いのかも知れませんが、もし一方的に核弾頭を搭載したミサイルが発射され、日本国に着弾することが間違いないという事象が起こった場合どうするのでしょうか?勿論日本に於ける自衛隊が、ミサイル発射を許す訳がありません。発射するタイミングで迎撃し、その国で爆発させて自業自得の核汚染をさせるでしょう。核保有国だからといってそれを脅威にすることは、現在では不可能なこと位はわかっているでしょう。
第二次世界大戦中の沖縄戦を含めた地上戦、つまり人と人とが戦う白兵戦も、決め手に事欠かない国ならばいざ知らず、日本がすることはありません。そんなことをやっても“犠牲者”が出るだけで、勝ち負けには全く繋がらないということがウクライナの戦い方で証明されています。
つまり“国防”こそが戦争抑止だと私は考えています。ユートピア思想と言われますが、戦争には様々な背景があり、金儲けや独裁者の誤った権力の誇示等ひとことでは言い切れないと思います。勿論第三次世界大戦を望んでいるわけはもうとうありません。しかし子供達の未来を明るいものにするならば、今の大人が考えなければならないことには違いありません。
戦争をしないと言えば確かにそうですが、かといって第三国の侵略を受けてしまえば、未来も無いように思えてなりません。意識改革。戦争を抑止するには先ずそこからはじめなければなりません。沖縄で米兵が好き放題やって基地に逃げ込めば警察が介入できないということも、日米地位協定の歪みの結果が引き起こしていることです。同じ敗戦後であるドイツやイタリアでこのようなことが起こらないのは関係が同等、つまり両国とも軍隊の保持により米軍に“守ってやっている”と言わせないからだと考えて間違いありません。実際に昔のような“軍隊”を持つのではなく“呼称の変更”だけのことだと考えています。
昔湾岸戦争に自衛隊が出向いた時に“軍隊”という表現が使われましたが、あくまで参戦したわけではなく、命の危険を回避する“自衛”のための武器の所持でした。日本にもある“正当防衛”にあたることをなぜ問題視するかがわかりません。このあたりのことは“利権”絡みで言っているのだろうと当時は考えていましたし、今でもその考えは変わりません。
未来をつくること=今を守り切ることと私は考えています。今を守れなければ未来も無いわけですから・・・。
長文失礼のたかティムでした。 -
沖縄に行ってこられたのですね
たかティムさん。しばらくご無沙汰しております。2026年6月という一か月は、ワールドカップのサッカー関連のニュース一色で日本中が熱狂してましたね。私は、6月23日のNHKの報道だったと記憶していますが、沖縄の中学二年生の女子生徒が「平和の詩」を朗読して読み上げてた姿をテレビではっきりと見ていました。その女の子の表情も危機迫るような顔面がこわばった表情でいました。平和の詩は別サイトにも掲載されてますので字面を追って確認しながら読んでいたら戦争の悲しい情景が浮かんできました。自分の愛する人だけは最後まで生き残っててほしかっただろうなって。中学生の女の子が読み上げた平和の詩の内容とは話が逸れてしまいますけど。20歳まで生きられなかった少年らの無念ですとか。どうにもならない終わりを迎えるシーンを想像してしまいます。本当は生きたかっただろうな。たかティムさんには沖縄に行くつもりであることを事前にお知らせをしてもらっておりました。沖縄の現地からのリポートほんとうにお疲れさまでありました。僕は今日(7/3)はランドセルを背負った小学生の元気な子供たちが同じ電車に乗って笑ってる姿を遠くから優しいまなざし(?)で見ていられましたが。彼らの未来を想像しますよね。せめてこの子たちが大人になるころには恒久の平和が戻っていてほしいなと。メッセージ長くなってすみません。親愛なるたかティムさんへ。taka45145225より。沖縄の梅雨が明けて、夏がやってきますね。 -
たかティムさんへ。ご返信の続きです。
戻りたくても戻れない時間の流れを感じざるを得ません。たかティムさんの日記を繰り返し読んでいるのですが、あれからだいぶ時間が経過していってしまったこと。現地はあの時のまま時計が止まったままの状況下にいるだろうし、私達に残された時間はそんなには長くはないのではないか。悠長に時間は待っていてはくれないという残酷さを我々は突きつけられていて、いやしかし何とかしたいんだよともがいてはいるものの、人間が一人だけで立ち向かうのは限界がどうしてもあるのではないのか。だけど本当に無力なのかどうか? 今からやれることはきっと周りから見ればとても小さな小さなこと。そうなんだけどその小さなかけらを皆で集めたら対抗するだけのチカラがあったっていうね。それが僕らの辿り着く最後の答えじゃなかろうかと思いました。きっと無力なんかじゃないのだろう。有限であるものは待っていてはくれないけれど。どれだけの量のきもちを込められたかどうか。私はあなたのことを愛している。ありったけの心血をいくらでも注ぎますからね?出せと言われたらどうぞお好きなようにと差し出せますからね。我が身からナミダの一滴さえ搾り取らせるまでの。私はこれから愛に生きたいと思いました。 -
おかえりなさいまし。
こんんちは。たかティムさん。あれからちょっとご無沙汰しておりました。季節は5月後半ですが暑中お見舞い申し上げます(各地で30度軽く超えてましたし)。たかティムさんのこの日記を読ませてもらってる最中ではありますけど、公共の郵便局のお隣に建設されたプレハブの建物にはそういった事情があったのかと今になって知ることになりました。実際に現地に行って足を運び自らの目で見て廻ってきたたかティムさん。出発の朝の車のフロントガラスには桜の花びらがついていたそうで。旅行貯金のエピソード話は興味深かった。僕も参考にさせていただきますね。お写真の桜がきれいによく撮れていたからついうっとりしてしまいました。桜はいいものですねえ。いつもありがとう。私自身も地元のローカルの旅行記録をアップしていけたらいいと思いますので待っててください。私もできる範囲でやっていきます。by taka45145225 より。長文のコメントになってしまいましていつも申し訳ない。それでは失礼いたします。こんばんは~♪
暑くてたまらない日が続いていますがお元気ですか?
関西の東の端滋賀県からでも石川県の東端能登までは結構な距離があるために何か〝ついで〟がないと行けないところではあります。能登半島も手前の方はかなり復旧が進んでいるようですが、奥能登と呼ばれるエリアはまだまだでした。
やはり仮設では住民の方々に地震前の生活を送れるようにするには、公共の設備を利用するなどしないと賄い切れないのは事実でしょう。道の駅のトイレや金融機関等、私達が当たり前のように利用しているものは当たり前ではない現実を見せつけられた気がします。
この辺りは地元発信が本当に価値のあることだと私は感じています。災害がどうのこうのではなく、観光目線か生活目線かの違いも含めて・・・。
多分次回は沖縄慰霊の日にあの〝辺野古反対〟が何をするかを見て来る予定です。平和問題と事故の責任をあの人達がどういう目線で語るのかをルポしたいと考えています。事故は別問題の如く言うのであれば人間性を疑うまで。これも地元民ではないけど10年来〝その日〟を沖縄で過ごして来た者としての目線です。
お互いローカルネタを発信して行きましょう!!
たかティム。2026年05月18日22時20分 返信する -
宇多良炭鉱
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん 、はじめまして。
宇多良炭鉱炭鉱についての旅行記、大変興味深く読ませていただきました。
また、その歴史や経緯なども琉球王朝時代に遡って書いてくださっているので、よくわかりました。
私も三池炭鉱の史跡などを歩くたり調べたりしていますが、その中で宇多良炭鉱でも囚人労働が行われたことを知り、興味を持っていました(三池では明治時代には大規模な囚人労働が行われています)。ちなみに三池でも囚人労働に舵を切ったのは山縣有朋だたそうです。
納屋制度も長崎・筑豊・三池でも行われていましたが、私が読んだ本では「社会の恥部」と表現されていて、それは過酷だったようです。その中でも特に酷かったのは長崎の高島炭鉱らしくて、まさしくタコ部屋だったそうです。他の土地から離れ、世間の目が届かない島で納屋制度が酷くなっていったことは想像に難くないのですが、西表島でもきっと過酷だったのだろうと思います。
丸三炭坑宇多良鉱業所の、環境を整えて福利厚生も充実させ、採炭事業以外も考えるというのは、画期的だったと思います。しかしそれも戦争で消えてしまった。そのまま続けばどうなっていたのか。でも石炭の埋蔵量も限界に来ていたようですし、後のエネルギー革命で終焉を迎えていたかも知れませんね。
最近訪れた方の口コミを拝見すると、今は近づくことも難しいらしい宇多良炭鉱跡ですが、こちらの旅行記では貴重な遺構なども拝見することができました。保存するのが難しい場所だとは思いますが、残してもらいたい史跡です。
ありがとうございました。
Deco -
能登のイルミ
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんおはようございます、marsyというものです。
たかちゃんさん(長いので略します)は大津の方みたいですね、こちらは長浜の者です。
私も一昨日能登へ行ってきました、と言っても、七尾まで電車で日帰りしただけです。千里浜とか能登の先の方を回るには、車が絶対必要ですね。
この時期は、どこもイルミとかライトアップしてるんですね。
明日はどこを回られるのかな?
では失礼いたします、たかちゃんさん旅行記にポチッとな!
車は必需品ですね♪
marsyさん
こんにちは、はじめまして。
お立ち寄り頂きありがとうございます。長浜にお住まいですか?
湖北エリアもローカルながらイルミネーションイベントはされているようですね。今年初まだ開催未定のところが多いようですが。
今年に限って言うならば“プロジェクションマッピング”が多いようですね。能登もそうでした。おっしゃるように能登は交通の便が悪く、温泉に浸かるだけならともかく、他の目的があれば車は必需品です。特にイルミネーション目当てであれば。
能登は三部作の予定です。43時間のレンタルで450km走り、なかなかのロングドライブでした。
明日(日曜日)はシフト制の勤務の故仕事で、20・23日が休みになります。平日開催のイベントとして東近江の瓦屋禅寺・永源寺あたりに行ければいいな~と思っています。
開催が未定ですがこほくイルミの広場も行きたいと思っております。
今後ともどうぞよろしく!致します。
たかティム。2023年11月19日12時42分 返信する -
訪れる者の質でしょう。
琉球熱さん
こんばんは。ご無沙汰しております。実は私の場合ヌヌマチガマもガラピ壕も初めてなんですね。ヌヌマチの駐車場は再訪ですが。
鍵の掛かった入口を見て今後来ることはないだろうと思っていましたが、コロナ禍が幸いし訪れることができました。ひと言で言えば修学旅行がほぼない状況なので、ガイド団体も仕事がないようです。管理団体の問題が解決したと思えばコロナ禍となったので。
ご存知の通り沖縄には感染症病床が少なく、万が一コロナに罹患するとなすすべがないということが一番の理由です。そして個人客で数千円も払って戦跡巡りのガイドを頼む者もいない。そんなさなかで仕事を受けられるのは、遺骨収集等で実績がある方だけだと聞きました。ガイド団体にぶら下がっているレベルでは需要もなく、他の仕事をしなければならないそうです。
そんな状況でしたが、本来ならば催行されない慰霊の日にヌヌマチガマに行きました。コースとしては存在するのですが、八重瀬公園の白梅学徒の壕等既に訪問済みの場所は飛ばして、ヌヌマチガマ・メーダスンガマ・ガラピ壕に時間を掛けて貰いました。そこで感じたのはガイドさんの質問に答えられる者が少ない事実でした。白梅学徒の足跡はひとりで回った時に調べた記憶が残っていたので。多分ヌヌマチガマを“まあそんなもの”と言える方々が殆どのようですね。ガイドさんも人間、今後ネタ(次の発掘場所等)教えて頂けましたので。
でも慰霊の日に沖縄を訪れるならば“勉強が必要”という琉球熱さんの意見には賛同です。シャトルバスの待ち時間に“人が集まっていたから寄ってみた”等という会話も聞きましたから。
今回はガイド付に加え、ヘルメット&ヘッドライト+長靴のフル装備なので怖さもなくヌヌマチガマのガマ体験をしてきました。ガラピ壕は残念ながら土に返って行くしかないようです。
4年間のブランクを空けて慰霊の日の訪沖が叶いました。ただ追悼式には6回目にして最悪のものにしか感じませんでした。戦後80年迄は追悼式に参列しようと考えていたのですが、来年もこの調子だとどうしようかな~と考えています。
ナビが指し示したからヌヌマチガマって悲しい以外何もありません。戦争で多くの人命が失われた場所を観光地と勘違いしている方には人間としての“失望”しかありませんので。
たかティム。



