たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(36ページ)全1,843件
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- 基本情報
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投稿日 2018年05月17日
総合評価:1.0
間際の手配となりウィラー・JRバスともに3列シートは満席だったこともあり、なぜか空いていたJAMJAMライナーの3列シートを利用しました。
夜行バスには珍しい女性のドライバーさんでしたが、最近の夜行バスはドライバーに基本消灯などを任せているようで、前回は広島を出発しすぐに車内消灯後、次の東福山駅手前で再点灯をしていました。しかし今回は東福山駅出発まで車内照明は点いたままで、その後一時的に消灯後再び篠坂パーキングエリアで再点灯をいう慌ただしいもの。ただここで既に日が変わっているため、照明をつけて消してが必要なのかとも思います。
そして極め付けは三木サービスエリアでの休憩時。山間部でもありかなり寒い場所であることからも車内保温が必要かと思うのですが、アイドリングストップは仕方がないもののエアコンが止まっている上にドアは開きっぱなしで風が吹き込んでくる状態でした。
コンビシートタイプのバスで3列シートが前方にある場合、値段は高いは寝られないは・・・といった苦情は多々あるようですが、運転席側一番前だった席ゆえに寒さで目が覚めてしまいました。
どんなバス会社でも当たり外れがあるのはわかりますが、さすがに2回続けてでは・・・。もう乗ることはないでしょう。- 旅行時期
- 2018年05月
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投稿日 2014年06月28日
総合評価:3.0
食事には物足りないと思いますが、小腹がすいたくらいでちょっとつまむには良いかと思います。お小遣いをもらっていた頃、石山に3店舗ある“たこ焼き”屋さんをはしごしていた懐かしい思い出があります。こちらはテイクアウトのみなので食べる場所やら見つける必要があります。平和堂石山店の五階もしくは近くの公園でつまむのが良いですね♪あまりカリカリ感は期待できません。
- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 平和堂石山店の一階にあります。
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 値段通りです。
- サービス:
- 3.0
- ターゲットからするとそれなりです。
- 雰囲気:
- 3.0
- それなりです。
- 料理・味:
- 3.0
- まぁ値段通りです。
- バリアフリー:
- 5.0
- 一階なのであまり気にはなりません。
- 観光客向け度:
- 2.0
- ちょっと買って公園で食べるくらいならいいでしょう。
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投稿日 2018年05月16日
総合評価:5.0
郡上市のぎふ大和パーキングエリア、東海北陸道のパーキングエリアのひとつでありうぎふ大和インターチェンジと繋がっていることから、インターを利用するときには使えません。
大した設備もないのですが、吹雪の中の山道を走ってきたので疲れが溜まっており、白鳥ではまだ雪が降っていたこともありこちらに立寄りました。確かに一息入れる以外には目ぼしいものはないようにも思いますが、ちょうど開いていたスナックコーナーで食べたお蕎麦は本当に美味しかった!
あまり話題には上らない場所ですが、一息抜けた場所だったことに違いはありません♪- 旅行時期
- 2018年03月
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープが切ってあります。
- トイレの快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いていました。
- お土産の品数:
- 5.0
- 夕方でしたがそれほど少なくはありませんでした。
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投稿日 2018年05月15日
総合評価:5.0
広島平和記念資料館南側にある祈りの泉、ここには昭和33(1958)年の広島復興大博覧会をきっかけに小さな噴水池が作られた後に昭和39(1964)年に広島銀行が現在の〝祈りの泉〟を建設し、広島市に寄贈しました。
当時この祈りの泉は西日本一の豪華な噴水と言われ東西27m・南北19m、そして567本の噴水口が設けられ、毎分11tもの水を10mの高さまで噴き上げています。夜間には赤・青・黄・緑そして乳白色の153灯もの水中カラーの照明に彩られます。
元々はこの場所にも慰霊をテーマとする塔を建立する予定だったそうですが、被爆時に水を欲して息絶えた多くの被爆犠牲者の魂に枯れることのない水を捧げるという意図の下で建立されました。
この経緯は訪れるまで知らなかったことなのですが、謂れを聞いたときに素直に頷くことができました。慰霊には色々な手段があり、慰霊塔もそのひとつであるものとはわかってはいても、この平和の泉ほどストレートに建立意図がわかるものはそう多くはないかと思います。
建立意図を知って見た泉には、黙祷を捧げずにはいられなかった私でした。- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 広島平和記念資料館南側にあります。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- じっとしている方は見られません。
- バリアフリー:
- 5.0
- 周辺は舗装されています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 建立意図を知ると噴水の持つ意味に頭が下がります。
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投稿日 2017年10月06日
総合評価:5.0
長崎に原爆が投下された時の『想い』を風化させぬよう、被爆後40余年の月日が経った昭和62(1987)年8月1日に『長崎平和の母子像を建てる会』の手によって建立されました。
原爆の閃光によって数万もの男女が無数の母と子が灼かれてひき裂かれ息絶えた『史実』が風化し、世界に第二の核戦争へのシグナルが燈る際に、それへの警鐘として建立されたようです。
『戦地に向かう男達を見送り、女達もまた勝利を祈っていた。しかし戦況は悪化の一途を辿り、広大な大陸やはるかな海では数知れない血が流されて行った。そして沖縄戦を経て広島・長崎へと非道な原子爆弾攻撃に至った』との一文ですが、思想的内容はともかくかなりストレートな内容となっており、大変わかりやすいものとなっており、深く考えるまでもなく理解できるものとなっています。
原爆投下を生き抜き、苦悩を抱えながら生きている『女性』の気持ちを絵にしたことが多くの人々に理解される『レリーフ』のひとつです。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和記念資料館からすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間によります。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- レリーフが語る『モノ』が伝わってきます。
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投稿日 2018年05月14日
総合評価:5.0
本川が元安川と分岐する三角州の最上流部に位置している付近一帯の都市公園です。この場所は江戸時代から昭和初期まで広島の歓楽街として名を馳せてきた場所だったのですが、昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、実戦に初めて使われた原子爆弾リトルボーイによって付近の街もろとも一瞬にして破壊されました。
戦後を迎え昭和24(1949)年に公布された〝広島平和記念都市建設法〟に基づいて、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備するため昭和25(1950)年から平和記念公園及び施設の建設が進められて昭和30(1955)年に完成しました。
被爆を今に伝える広島平和記念資料館や被爆死した人々の慰霊碑、そしてその原爆の惨劇を耐え抜いた植物や建物が多く建てられており、いつでも原爆の凄まじさを目の当たりにすることができる場所となっています。
思想・信教の絡みで時折慰霊碑や植えられている樹木が傷つけられることがあります。思うところは色々あるとは思いますが、やはり志半ばで被爆死された多くの犠牲者が眠っているところであることは疑う余地はありません。
安らかにお眠り下さい…その一言が続くような『真の平和』が一刻も早く来る日を願いたいと思います。- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 中電前電停より歩いて5分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 4.0
- 舗装してあるところが多いです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- なにかを感じました。
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投稿日 2018年05月13日
総合評価:5.0
日本三景のひとつである宮島は、世界遺産登録された厳島神社を擁する島です。厳島神社がある宮島なのか宮島にある厳島神社なのか意見もあるようですが、歴史的価値の高さが評価された結果と考えて間違いはないでしょう。その価値は計り知れないものがありますが、ただ同時に世界遺産登録をされた原爆ドームとなぜ一括りなのかはすごく不思議な気がします。
両者ともそれぞれが持つ歴史的背景は将来にわたって守って行かなければならないものとは思うのですが、残す理由が両極端過ぎてなにが世界遺産なのかわからなくなってしまいます。
世界遺産はそういうものだと言われればそうかも知れません。しかしそれぞれの持つ意味合いであり意義を伝えることこそが大事なのではないでしょうか?
世界遺産登録されたことが喜ばしいことなのかそうではないのか?と疑問に思った世界遺産登録の碑でした。- 旅行時期
- 2018年05月
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投稿日 2018年05月12日
総合評価:3.5
ピンクのバスを利用しました。京都発着なのは便利なのですが、コンビタイプのバスはなぜか三列のリラックスワイドが前方に設けられています。
シートがグレードアップしたコモドシートは車両後方に3列シートが設けられており、夜間の休憩時も落ち着いて寝られましたが、リラックスワイドの場合、通路を通る方がシートに手をかけることがあり、いきなりの振動に目覚めることもありました。
慣れてしまうとそのようになるのかも知れませんが、やはりその分高い金額を払っているので考えて頂きたく思います。- 旅行時期
- 2018年05月
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投稿日 2018年05月12日
総合評価:5.0
アミュプラザ長崎はJR長崎駅に隣接する駅ビルです。駅ビルというだけあってJR九州系のショッピングセンターですが、こちらのメリットはなんと言っても〝朝早く〟から利用できることだと思います。ロッテリアをはじめとするファーストフードや、スーパー西友、長崎名店蔵というお土産物屋が朝早くから開いており、夜行バスでの到着や出発、そして早朝に長崎を出発する際にも利用できるため大変便利です。
駅ビルのお店というと『遅めの開店』『早めの閉店』が地方では当たり前の中、アミュ長崎はなかなか使い勝手の良い店でした。- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- JR長崎駅前です。
- お買い得度:
- 3.0
- ものにもよりけりです。
- サービス:
- 5.0
- 良い感じです。
- 品揃え:
- 5.0
- 朝出も豊富でした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 考えられてあります。
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投稿日 2018年05月12日
総合評価:5.0
長崎市と諫早市にある三菱重工業の造船所のことを指しており、そのうち長崎港にあるものを長崎造船所というようです。本工場・香焼工場・幸町工場のみっつから構成され、中でも小菅修船場跡、第三船渠、ジャイアント・カンチレバークレーン、現在の資料館である旧木型場、占勝閣の5つが世界遺産〝明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業〟の構成資産となっています。
150年もの歴史があり、長きに渡り色々な船舶を作ってきました。太平洋戦争中に作られた悲劇の戦艦『武蔵』はここで生まれました。
江戸末期から明治に至る近代化、そして戦争に至る暗黒の時代。そのすべてを見てきた生き証人は、戦後日本の復興を培ってきた造船の中核としての立場を担って現在に至っています。長崎の原爆投下時には多くの工員や動員学徒に多数の死傷者を出しました。そんな悲しい歴史もありました。しかし今では長崎観光の目玉としての役割を担い続けています。
端島観光からの帰りに見える赤と白に塗り分けられた工場の施設は、平和都市長崎のシンボルとなったようにも思えます。今後も長崎の平和を見守ってほしいとふと思いました。- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 船の利用が良いかと思います。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 時期と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 5.0
- 船からだと気になりません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 大きさに圧倒されます。
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投稿日 2018年05月11日
総合評価:5.0
柳井市大畠と屋代島を結ぶ大島大橋は昭和51(1976)に架橋されたものです。最初は有料道路でしたが平成8(1996)年に無料開放されて現在に至っています。
元々この区間には国鉄の連絡船が就航していましたが、架橋によって廃止されました。全長1,200mのトラス橋は10ktもの潮の流れに耐えるべく作られており、そのせいか見た目以上に安定して通行できる橋になっています。
離島と本島を結ぶことにより、物流や人の流れが大きく変わり手軽で便利になることは住民にとっては良いことなのかも知れません。しかし手軽に移動できるようになったことにより、離島独特の風情がなくなったようにも思えます。
車に乗ったまま橋を渡るとハンドルを握ったまま脇見することもできずに通過しなければなりません。また直線に架けられた橋の上では目線は常に前を向いていることから、島に渡るという感じを受けないのも事実です。
屋代島は周防国の最も大きな島ということで別称周防大島と言われています。そのような背景で橋を渡った実感がないと島というより岬なのかな?と勘違いをしてしまうところもありました。
1日で山口県周南市の回天記念館と周防大島町の陸奥記念館のふたつが見学できるのは、山陽道と大島大橋があるからに違いはなくともやはり物足りないものも同時に感じました。- 旅行時期
- 2018年05月
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投稿日 2018年05月07日
総合評価:5.0
大正時代に日本陸軍の飛行場が沿線の太刀洗町に作られました。そして戦争へと時代は進んで行く中で航空兵の教育の場としても利用されることとなります。その大刀洗飛行場への物資輸送を目的として昭和14(1939)年に国鉄甘木線が開通しました。
戦況の悪化とともに航空特攻に向かう搭乗員の訓練も行われるようになり、日本全国から多くの若者が大空を夢見てこの太刀洗の地を訪れ、そして飛び立っていきました。飛行場の賑わいとともに甘木線もフル活動をすることとなりますが、大戦末期の太刀洗空襲により軍都であった街は壊滅状態となり、甘木線も運行に支障を来すほどの被害を受けました。そして敗戦を迎え軍都太刀洗は農地と化し、飛行場東端に作られたビール工場のみが目立つといった過去の栄光などなかったような景色が広がっていました。そんな中国鉄甘木線は第一次廃止対象路線に上がることとなり、昭和61(1986)年3月31日をもって廃止され、その後第三セクター甘木鉄道が運行を継承します。その事業継承にも慎重論が強かったようで、都道府県レベルではほとんど関与がなかった路線であったことはあまり知られていません。沿線の市町村や企業が中心となり、幹線とのアクセスを改善し運行本数を増やすなどの努力によって、他の三セク路線とは異なり経常黒字を出していた〝三セク優等線〟としてしられていました。平成18(2006)年の大雨の被害によって運休を余儀なくされたことと、それによる乗客数の減少もありここ10年程は赤字運営が続いているようです。
甘木鉄道沿線を走るとよくわかるのですが道路整備も整っており、また鉄道線もそれほど離れてはいないところに西鉄甘木線が走っているなど、決して楽に稼げるエリアを走っていないことがわかります。使える駅舎は修理して使い、またあるものは資料館やその他〝人を呼ぶ〟ものに変えられるなど、関係者すべてが一丸となって取り組んでいることがわかります。
大刀洗駅舎を改築したレトロ館を含め、利用されないから朽ちていく悪循環は見られず、むしろ年々興味をを引くようなものになって行くようにも感じます。確かに私のように交通の便の悪いところから行くには車が必要ですが、逆に大宰府など観光地を回るには鉄道線を利用した方が便利かつ安上がりだと思います。今回は都合により一駅間しか乗れませんでしたが、そのうち全線乗車をした見たいと思います。- 旅行時期
- 2018年05月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 易くはなくとも許容範囲です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 4.0
- ワンステップあります。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 基山・小郡駅で乗り換えできます。
- 車窓:
- 5.0
- 新興地を走ります。
-
投稿日 2018年05月07日
総合評価:5.0
旧東急5000系を譲受した熊本電鉄5000系。一時塗装が変えられたものの元の色に戻されて走っていました。残念ながら老朽化のため引退を余儀なくはされたものの、現在での元の車両がわかる方だと思わず微笑んでしまうような塗装やワンマン化が施され、地元の方々の貴重な足であると同時に〝鉄男・鉄子〟の聖地にもなっている場所でもありました。都営地下鉄6000系、南海電鉄22000系〝ズームカー〟に加えて東京メトロ01系が運行状況に合わせ、バックミラーを装着したワンマン仕様で走っていることに違和感もあるものの懐かしさも感じました。一部の車両には〝くまモンラッピング〟が施され、元々は縁も所縁もないものを合わせるだけであれば〝浮いた感〟があるようにも思っていたのですが、なぜか熊本電鉄にはその感がありません。
都市部では使い勝手が悪くなった車両でも、使い方を変えればまだまだ使えるんだ…。そんなことを言いたげに力走する車両たちにエールを送ります♪- 旅行時期
- 2018年05月
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投稿日 2018年05月07日
総合評価:5.0
熊本交通センターは熊本市を発着するバス路線の拠点として、熊本駅を凌ぐ利用者のある場所です。九州エリアではJRの不便さを補う形で高速バス網が発展しており、九州各地から熊本へ向かうバスの多くは、この熊本バスセンターを拠点としています。
歴史ある建物のひとつではあったものの、利用者の様変わりから閉店した近くの県民百貨店を影響もあるのか、九州のバスターミナルに多い〝建物内のバス停〟から屋外へのバス停を移動させるため、現在工事が進んでいます。
熊本の地震の影響を受けたことも理由なのか、工事がイマイチ進んでいないとも聞いたりします。バスで行ける場所はバス利用を優先する私のような旅行者の〝新ランドマークタワー〟に早く生まれ変わってくれることを願います。- 旅行時期
- 2018年05月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- バス便は安くて便利です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 5.0
- バス乗り場は1階です。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 辛島町電停からすぐです。
- 車窓:
- 5.0
- 熊本の市街が望めます。
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投稿日 2018年05月07日
総合評価:5.0
熊本市の一部と県下の一般路線は産交バス、熊本市の路線バスと観光・高速バスは九州産交バスが運行しています。今回熊本へ行く際に産交バスの4列シートバス〝あそ☆くま号〟を利用しました。この何年か夜行バスの4列シートを利用したことはありませんが、今回は目的があり、この日このバスを選んでいます。
1日おきに近鉄バスと産交バスが交互にオペレーションを行っている路線ですが、産交便の4列車は〝くまモンラッピング〟となっています。そしてこの便にはあの〝くまモン〟が乗っているバスとして知られています。
そんなことを踏まえて決めた出発日。おまけにくまモンの座席は9Cということを事前確認し9B席をアサインします。どうやらそこまでの目的を持って乗車したのは私だけだったのかも知れませんが、上手い具合に人が映り込まないように写真を撮ったりするのに勤しんでいたところ、なんとなく寝られなくなってしまいました(泣)。格安路線として位置づけられる4列シートなので、ゆっくりできるというものではありませんが、九州へと向かう旅路の大きな思い出のひとつになったことは間違いありません♪- 旅行時期
- 2018年05月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 4列シートは格安でした。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期によることが多いようです。
- バリアフリー:
- 5.0
- ハイデッカー車両なので乗降口には階段があります。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 駅チカにバス停があります。
- 車窓:
- 5.0
- 夜なのでカーテンが閉まっています。
-
投稿日 2018年05月07日
総合評価:5.0
正式には西鉄高速バス株式会社が運行しているものとなっています。九州という場所柄一時期に〝Lions Express〟という福岡~大宮間を走る日本最長区間を走る夜行バスを運行していた時代もありました。
しかしバスドライバーの確保の難しさやLCCの台頭により利用客が伸び悩み、結局廃止という結果となりました。
福岡へライブ遠征する際には必ず利用していた時代もあり、福岡~新宿間の〝はかた号〟や福岡~京都間の〝きょうと号〟を利用した記憶が残っています。
今回熊本バスセンターから福岡空港まで〝ひのくに号〟を利用しました。とりあえず本数が多く、1本乗り遅れてもすぐ次が来るため安心して利用することができました。レンタカーを借りる都合上福岡空港まで向かうため各停便を利用しましたが、バス停を経由するために本線からは外れるもののほとんど乗降を取り扱わないため、電車と違って気が楽でした。ローカル線のバスの旅とまではいかないものの、熊本から福岡迄の2時間のバス旅は快適そのものでした♪- 旅行時期
- 2018年05月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- バス移動は安い。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 3.0
- ハイデッカー車両にて運行のため乗降口に階段があります。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 博多・天神バスターミナルとも便利です。
- 車窓:
- 5.0
- 高速道路からの景色が楽しめます。
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投稿日 2018年04月28日
総合評価:5.0
JR西日本傘下の中国ジェイアールバス、ダイヤ改正前迄は出雲エクスプレス京都7号京都駅23:30発の出雲市駅行き夜行バスを運行していました。
京都駅から出雲市駅間を昼行4往復・夜行1往復を京阪・一畑・西日本ジェイアールバスとの共同運行で走らせていましたが、京阪と一畑バスが撤退し、昼行1往復の減便となって西日本ジェイアールバスとの共同運行となりました。夜行の運行は当時双方向共中国ジェイアールバスが担当していましたが、現在では昼行便下り2本と上り1本、そして上り夜行を受け持っており、京都駅発の夜行便は西日本ジェイアールバスの運行に変わりました。
今回利用した出雲エクスプレス京都7号は元広島支店の車両で、東京~広島間のニューブリーズ号に投入されていたいすゞガーラのハイデッカー車両でしたが、本革シート等往時を彷彿させるものは残ってはいるもののなんせ平成20(2008)年式のバスであり、寝る際のシート合わせがなかなか上手くいかず、良く寝られませんでした。
ドライバー確保が難しいご時世に車両を新しくする余裕もないのかも知れませんが、夜行の乗車率は決して悪くない路線ゆえなんとかならないものかと思っていました。23:30出発という仕事後に乗車できる使い勝手の良いものではありましたが、ダイヤ改正で1時間早く出発することとなり、時間時な余裕がなくなりました。
それと同時に夜行便の運行が西日本ジェイアールバスに変わってしまい、乗ることそのものがなくなってしまいましたが、やはり乗車率の良い路線ゆえ、車両の導入も検討して頂きたく思います。- 旅行時期
- 2018年02月
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 区間にもよりますが割安です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期によりけりかと思います。
- バリアフリー:
- 3.0
- ハイデッカー車両なので出入り口にステップがあります。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- JRの駅前発着です。
- 車窓:
- 4.0
- カーテンを閉めているのでわかりません。
-
投稿日 2018年03月10日
総合評価:5.0
三江線石見簗瀬駅は、明塚駅と乙原駅の間にある無人駅です。昭和10(1935)年12月2日に三江線が石見川本駅から延伸された際の終着駅として開業しました。
駅周辺には住居もあり、僅かではあるものの乗降客はありました。元々の終着駅だったこともあり、駅構内には行き違いのための線路がありましたが、現在は撤去され1面1線のホームが残る駅となっています。
昔の名残として撤去された線路を渡るように構内踏切が残っており、駅舎から踏切を渡るようにして乗車するようになっていました。
駅周辺に家屋はあれど、乗車していた列車への乗降客はおらず、ドアの開閉を行ったのみで出発します。
通勤通学の利用がないということから、三江線廃止後にどうなるかはわかりません。ただ80年以上の歴史ある三江線駅舎のひとつとしてその威厳をいつまでも保ってもらいたい。そんな風に感じました。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適です。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段があります。
-
投稿日 2018年03月09日
総合評価:5.0
石見川越駅と川戸駅の間にある田津駅は、戦前に開通した三江線に付け加える形で昭和24(1949)年11月15日に新規開業した駅になります。
駅前には商店もあり、まったく利用が見込めなかった訳ではないでしょうが、かといって多くの利用客が見込めた駅でもありません。1面1線のホームに待合室兼駅舎が設けられており、減りつつある一日利用客数も0にはなってはいません。
現在は江津市桜江町に属していますが、以前は邑智郡桜江町にあったものの川戸駅のように町中心部にあった訳ではなく、やはり多くの利用客は期待出来なかったように思えます。
今回の三江線の旅路に於いて、江津方面への列車に乗車された方はおらず、やはり継続利用者は見込めない駅でもありました。
三江線廃止後の代替えバスの路線がどうなっているかはわかりませんが、やはり道路からは離れており駅前に至るには狭窄路の通過は必要であるため、駅前まで引っ張って来るのは難しいかも知れません。
三江線の多くの駅が廃止後に消え去ってしまう予感はありますが、やはり利用客があった駅のひとつとしてその存在を後世に残して行く・・・そんな駅舎のひとつになれないものかと感じた駅でもありました。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適です。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段があります。
-
投稿日 2018年03月09日
































