たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(38ページ)全1,843件
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投稿日 2018年05月04日
総合評価:5.0
石山と南草津駅間にある瀬田駅は、未だ新快速が通過する駅のひとつです。しかし乗車旅客数は滋賀県下で6番目であり、新快速通過駅ではトップとなっています。
瀬田と言っても瀬田川・瀬田唐橋の最寄駅は石山駅であり、観光の拠点駅という訳でもありません。ではなぜ利用客数が多いのか?単純に学校があるからです。
以前は滋賀県立東大津高校だけの文化ゾーンに滋賀県の誘致によって龍谷大学の瀬田学舎が作られたのは平成元(1989)年のことでした。理系学部を中心とした学部が置かれ、地元志向の学生達が志願する学校となり、一躍ブームとなった記憶が残っています。
その人気は未だ衰えず多くの若者が利用するようになったことにより、瀬田駅の利用者はどんどん増えていきました。
通学時間帯にはバスを待つ学生で小さな駅前バスターミナルが埋まってしまい、それはそれで勝手が悪かったのですが、龍大生専用のバス停ができたおかげで、異常なまでの混雑はなくなりました。
学生で混雑する駅を嫌う方も少なくはありませんが、なにもなかった瀬田駅を活性化させてくれたのは他ならぬ学生さん達です。
少子高齢化の時代に今の繁栄がいつまで続くのか?と不安に思うことはありますが、滋賀県内の若者が集う街として続いて行って貰いたいと改めて思います。- 旅行時期
- 2018年05月
- 施設の快適度:
- 5.0
- ホームは狭いところがありますがおおむね良好です。
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベーターがあります。
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投稿日 2018年05月05日
総合評価:5.0
UKB神戸空港、神戸というネームバリューに対してあまり知名度が高くないように思える空港ですが、三宮からポートライナーで接続しており、関西エリアの空港までの所要時間が読める空港の代表格です。
平成18(2006)年に開業した時から国内線オンリーの空港でした。開業当時は現在も使用しているSKY・ANA(ソラシドエアーを含む)の他JALも就航していましたが、会社更生法の適用を受けた際に撤退しています。
そしてLCCが関西空港を拠点としてからは、さほど便数が伸びないまま現在に至っています。
利用客数を反映するかのように小型機運行が中心となっており、B737やA320が忘れた頃に離発着しています(笑)。
あまり需要が高くはない神戸空港ですが、京阪神を除くJR沿線からのアクセスは抜群に良いことはあまり知られていません。我が街大津からだと最も所要時間が短い空港でもあり、安いパッケージを利用する際には必ず神戸発を選びます。
シーズンオフの空いている時だと人が少なく、急がずとも大丈夫な空港は有り難い限りです。
今回は費用の面で選んだのがスカイマークだったので、必然的に神戸空港の利用となりました。久しぶりだったこともありますが、ポートライナーも一本待てば座れることは有り難いことです。
そんなこともあり次回の沖縄行きの帰りをソラシドエアーを利用しての神戸空港着としました。余計なことを考えなくて済む神戸空港のありがたさがわかって来た昨今です。- 旅行時期
- 2018年05月
- アクセス:
- 5.0
- ポートターミナル駅からすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 関西空港と比較すると格段に少なかった。
- 施設の充実度:
- 5.0
- コンパクトではあるが必要なものは揃っています。
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投稿日 2015年12月13日
総合評価:5.0
西陣織工業組合が運営する?西陣織会館?は、文字通り?西陣織?が織りなす?和装の美しさ?に直接擦れることができる場所として、数多くの観光客が訪れている場所のひとつです。会館として?試験?や?会議?等の場所としても利用されることが多いため、そちらの知名度の高さもあります。
入館料無料で入場ができ、1日7回の?着物ショー?のほか、手織の実演、絹織物のできる過程等が紹介されています。団体のみ食事の提供もされているため、以前は修学旅行生でごった返すことが多かった記憶があるのですが、ここでも例に漏れず隣の国のうるさい輩が学生に取って変わったようで、ショーの間?うるさい?はトイレでタバコを吸うはひどいものでした。5月から大型バスの駐車が有料となり、堀川今出川交差点一帯に停まって交通の妨げに一役かっていることも興ざめするひとつの理由です。
上手くstaticとdynamicを組み合わせた資料館として成り立っているのはわかりますが、ただ施設利用が無料というだけで寄りついている人達にまで門戸を広げる必要はないのでは…、そう思えました。- 旅行時期
- 2015年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 堀川今出川バス停徒歩すぐ。地下鉄今出川駅徒歩7分。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 入場無料です。
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- とにかく人は多かった。
- 展示内容:
- 5.0
- 静と動の組み合わせがなんともいい感じを出しています。
- バリアフリー:
- 4.0
- 入口にはスロープがありました。
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投稿日 2018年05月04日
総合評価:5.0
伊丹空港へと向かうリムジンバスの需要が高い都市のひとつである京都駅。八条口から大阪伊丹空港までを55分で結んでいます。
以前はアバンティ前からの出発でしたが、八条口の再開発により西方向に移動しました。G2バス停の隣から出発・到着することは特に問題はありませんが、バスチケットを購入する自販機が少し東側にあるため注意が必要です。
京都市内から名神・中国道を経由して伊丹へと向かうルートが通常取られており、50~55分の所要時間で到着します。GW等の混雑時には迂回ルートは取られますが私は経験したことがありません。また大幅に遅れることもないので、敢えて新大阪迄行って新御堂筋を走行するルートを取る必要もないかと思います。
京都からはある程度乗客が分散するため、乗れないということもありませんが、伊丹発は時間帯によっては乗れないこともあります。平時は20分ごとの運行となっており、乗れなくても次を待てば良いかと思います。
昼間の乗車であればアバンティ1階にあるチケットショップで回数券のばら売りが1,230円で購入することができるので少しお得です。- 旅行時期
- 2018年03月
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 少しお高めです。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 時期と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 3.0
- ハイデッカー車両での運行のため乗降口には階段があります。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 駅チカがほとんどです。
- 車窓:
- 5.0
- 街の景色が続きます。
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投稿日 2015年12月16日
総合評価:5.0
京都市内中心部にど~んとある京都御苑は、環境庁が管理する国民公園です。いささか時期はずれるもの、京都に皇居が置かれていた平安時代末期に作られた土御門東洞院殿が基礎となって作られた京都御所と法王・上皇の住まいとして作られた仙洞御所を含めた約65ヘクタールの広大な敷地を有しています。
拝観許可の必要であった御所とは違い、一般に開放されており桜や紅葉などの時期は勿論のこと、一年間を通して市民や観光客が訪れる場所でもあります。
元々は京都御所の周辺にあった約200軒もの宮家や公家屋敷があった場所であるこの京都御苑、明治時代の東京遷都を受けて御所や公家屋敷も東京へと移動し建物が取り除かれました。その後京都に行幸した明治天皇が、荒れ放題になっていたこの場所のことを憂い、公園として再開発されてできたものが現在の京都御苑となります。
京都御苑の敷地内には京都御所のほか、宮家や公家屋敷の遺構として『閑院宮邸跡』や『九条邸跡』などが公開されています。
戦後国民公園として開放され、多くの人々が憩う場所となってはいますが、やはり京都を舞台に繰り広げられた『禁門の変』での遺構も残っていることも史実として直視しなければならないことに違いありません。- 旅行時期
- 2015年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 地下鉄丸太町・今出川駅から歩いてすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 少なくはありませんが、なんせ広いので気になりません。
- バリアフリー:
- 3.0
- 砂利が敷き詰められています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 建物自体は復元が多いものの、やはり歴史を感じます。
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投稿日 2015年12月13日
総合評価:5.0
江戸時代後期の尊総思想派として活躍した?高山彦九郎?の像です。最初は昭和初期に建てられたようですが、戦中の金属回収令によって供出され、戦後になってまた建立されました。尊皇思想派として名高いがゆえに、思想絡みの事件に巻き込まれたことがありました。ただ像が建立されている?三条京阪?という場所の推移につれて像の場所も変わっています。昔の三条を知る方々には、思想論を抜きにして〝高山彦九郎像〟の場所の移り変わりは、いわば歴史を思い出す…そんなふうに思えます。
- 旅行時期
- 2015年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 三条京阪駅すぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 通行人は多いです。
- バリアフリー:
- 5.0
- 歩道は整備されています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 歴史を感じます。
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投稿日 2018年04月16日
総合評価:5.0
山陰本線浅利駅と都野津駅の間にある江津駅は、大正9(1920)年に浅利~都野津間の延伸によって開業した駅です。当初の駅名は同じような名前の駅との兼ね合いで〝石見江津〟とされていましたが、当該駅舎の廃止により現在の呼称である江津と改められました。
JR西日本の直轄駅のひとつであるものの2面3線のあまりに目長いホームには違和感を感じてしまうところもあります。寝台列車全盛期に東京~浜田間を走っていた特急出雲の停車駅であった名残が、ホームの長さになってその栄光を現在に伝えています。
平成30(2018)年3月31日までは江津~三次間を結ぶ三江線の終着駅として、あらかたの予想を上回る〝乗り鉄客〟が必ず利用した駅のひとつでした。廃止後半月が過ぎあの群衆はどこへいたのやらの閑散とした駅となっている現在ではあるようです。駅前には金融や行政機関、そしてお店や学校もあることから地元の方々の利用は少なからずあるようですが、やはり三江線ラッシュの時と比較すると寂しい限りではあるように見えました。
三江線跡地を島根県と沿線の町が無償譲渡を受けており、代行バスのターミナルを含めた活用が今論議されています。
一観光客として訪れた私には偉そうに言えることはまったくありませんが、やはりなんらかの形で路線跡を保存し、後世に三江線の存在を伝えて行って貰いたい・・・。そんな思いを強くする駅でした。- 旅行時期
- 2018年04月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適でした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 跨線橋があります。
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投稿日 2018年04月16日
総合評価:5.0
久代駅の開業は新しく昭和34(1959)年に山陰本線波子駅と下府駅の間に開業しました。
開業当初から無人駅で駅舎はなく1面1線のホームに直接入るかたちとなっています。
当該区間を走る列車が客車だった頃は、ホームが短過ぎることから、普通列車ですら通過する駅でもありました。平成4(1992)年に当該区間の運行がディーゼルカーに置き換えられてやっとそのようなことはなくなったものの、走る線路の位置が付近の集落よりも高いため一見すると何もないように見えてしまいます。
乗降客数や駅付近に人が集まるような場所もないためなぜここに駅を設けたか?という疑問は湧いてきます。ましてホーム長のために普通列車までもが通過していた時期のことを考えるとなおさらです。高さを生かして旧三江線宇都井駅のように立ち寄り地点になり得るかどうかはわかりませんが、今後の変わりゆく様に期待したいと思います。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適です。
- バリアフリー:
- 3.0
- 考えられてはいません。
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投稿日 2018年04月16日
総合評価:5.0
江津駅と敬川駅間にある都野津駅は、大正9(1920)年に山陰本線の浅利駅から都野津駅間が延伸された際に開業した駅になります。元々は2面3線のホームと跨線橋を持っていましたが、山陰本線高速化工事の際にポイントが置き換えられ、側線が独立した形の2面2線のホームになって現在に至っています。
ポイントが置き換えられたことにより高速通過ができるようになったため、減速することなく通過する特急の姿は、スピードが出せない駅での離合ばかり見ていると、威圧感すら覚えるものでした。
意外にも駅付近に大型のお店や金融機関の江津支店があったりと、ただの田舎のローカル線の駅とは異なります。利用客数も500人近かったこともあったようで、現在でも三桁の乗降客がある駅として無人化されたのは平成17(2005)年と遅い方でした。駅舎内にキオスクがあったこともある駅として、その名残からか自動券売機が備え付けられていることは、少しびっくりしました。
田舎の駅といった感じは否めないものの、乗車する列車を問わず停車することが多いため、交換待ちの一時を下車して散策するには最適の場所でした。- 旅行時期
- 2018年04月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適です。
- バリアフリー:
- 3.0
- 跨線橋があります。
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投稿日 2018年04月15日
総合評価:5.0
山陰本線大田市~五十猛駅間にある静間駅は、大正15(1926)年に山陰本線が五十猛駅まで延伸された時に開業しました。
国鉄末期からJR西日本になった頃より利用客は少ない駅のひとつでしたが、そんな経緯から駅舎を〝静間駅会館〟として地域住民の憩いの場所として利用してきたことで、利用されないことによる建物の劣化を食い止めてきた歴史もあります。
そのような背景もあり近隣の無人駅にはない〝バリアフリーのトイレ〟が設けられている駅舎でもあります。
ホームにはローカル線の宿命である〝線路の撤去されたホーム〟が残るなど衰退した史実は残っているものの、残るホームには桜の木が植えられており、シーズンを迎えた桜の木とそれを取り巻く駅舎を含め最大限の活用がされていることから、今後の駅の展開を見守りたいと思える駅でした。- 旅行時期
- 2018年03月
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投稿日 2018年04月14日
総合評価:5.0
大正2(1913)年に出雲今市から小田駅まで山陰本線が開通した時に最初の終着駅として開業した歴史ある駅のひとつです。その後の出雲市駅近辺の高架工事の際に構内にあった離合施設が撤去され、現在では1面1線のローカル駅舎となっています。
日本海沿いを走る区間として隣の田儀駅までの区間は、列車の撮影ポイントとしても知られており、撮り鉄のメッカとしても知られています。
名前からも想像が付くように、元オフコースの小田和正さんが所縁ある駅としてライブビューイングに利用して大喝采を受けたことでも知られています。平成28(2016)年8月11・12日に出雲ドームにて行われた〝KAZUMASA ODA TOUR 2016 君住む街へ〟の中での〝ご当地紀行〟に於いて、小田さん本人が〝ついにやって来ました~♪〟と満面の笑みて駅舎をバックに映し出された様子は、ビデオでしか知らない私でもその不思議な縁みたいなものを感じるものになっていました。
駅前はバスターミナルになっている以外なにもありませんが、やはり小田和正ファンにとっては聖地なんだろうという思いを感じました。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- トイレと駅舎、そして1面1線のホームがあるだけです。
- バリアフリー:
- 5.0
- ホームへは階段がありました。
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投稿日 2018年04月18日
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投稿日 2018年04月18日
総合評価:5.0
西浜田~折居駅間にある周布駅は、大正10(1921)年に山陰本線が浜田から延伸した際に開業した終着駅だったこともある駅です。浜田市に近いこともあるのか、駅の周りには新しい建物もあったりするため、他の無人駅とは少し異なるようにも思います。
乗車駅証明書発行機が置かれており、それなりの利用がされているようです。また駅舎事務所部分には何かの施設の事務所が入っており、時間が早かったこともあり動きは見えませんでしたがいい傾向だと思います。
使われなくなると廃れる一方になってしまうので、再利用はどんどん進めて行ってもらいたいと願います。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- キレイにされていました。
- バリアフリー:
- 3.0
- 跨線橋があります。
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投稿日 2018年04月18日
総合評価:5.0
山陰本線が浜田から周布まで延伸された大正11(1922)年に開業した西浜田駅は、開業当初は石見長浜駅という駅名でした。国鉄時代には貨物線として浜田港線が分岐しており、旅客貨物ともそれなりの数の利用数があったようです。
JR管轄となってから無人駅となったものの、それなりに立派な駅舎があり、自動券売機が設置されています。登下校時の学生さんの利用が多いようにも思いますが、清掃も行き届いている感じを受ける駅舎をいつまでも大切にして行ってもらいたいように思います。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適です。
- バリアフリー:
- 3.0
- 跨線橋があります。
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投稿日 2018年04月17日
総合評価:5.0
山陰本線浜田駅は大正10(1921)年に都野津から延伸した際に終着駅として開業しました。元来港湾都市であった浜田には、日華事変に出征した乃木希典大将率いる乃木部隊の一部が凱旋帰国した歴史等があり、日本海に面する都市として、それなりの繁栄を極めてきました。
第二次世界大戦終結後に陰陽連絡線のひとつとして計画されていた広浜新線の終着駅となるはずだったものの、国鉄の赤字路線建設中止の対象となり工事は中断し、昭和55(1980)年には出来上がっていた区間も含めて工事は中止され、未成線となり現在に至っています。
もし広浜新線が開通し、浜田広島間が1時間で結ばれていたならば、このエリアの発展がどうなっていたか全くわかりません。しかし交通の要所であることには変わりはなく、路盤の一部を再利用して作られた浜田自動車道、そしてそれを利用する大阪・広島方面への高速バスが出発到着する駅でもありました。
2面3線のホームには東京発の寝台特急出雲の終着駅だったこともあり、今とは比較にならない程賑わっていた様子をうかがい知ることができます。
施設の集約はかなり極端なものとなっており、駅改札口からそのまま隣に移設された浜田医療センターに迎えることにはちょっとびっくりしました。
駅前にはこの辺りで流行る神楽をモチーフとした時計が建てられており、時の知らせて住民はもちろん観光客の目を楽しませています。
石見地区の主要駅であり、また主要都市として今後の発展を見守りたく思った駅でした。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適です。
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベータがあります。
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投稿日 2018年04月18日
総合評価:5.0
三保三隅駅は大正11(1922)年に山陰本線が周布駅から延伸開業した際に終着駅として開業しました。駅舎に直結する1番線と島式ホームの2・3番線により成り立つ2面3線の駅は業務委託駅ではあるものの有人駅となっています。
浜田~益田間の駅の中では市の中心駅である両駅に次いで多く、3桁台の利用客数を維持しています。
この区間を走る特急スーパーおきとスーパーまつかぜの半数が停車する駅ではあるものの、車窓から眺めるだけでは、その利用客がどこから眺めるだけではどこから出てくるものなのかはわかりません。ただ発券業務を委託するだけにしては清掃も行き届いており、快適な駅舎のように見えました。
見た目はローカルな駅でも利用客が快適に過ごせるように今後もあり続けて行ってもらいたいように思います。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適です。
- バリアフリー:
- 3.0
- 跨線橋があります。
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投稿日 2018年04月19日
総合評価:5.0
大正15(1926)年に既に開通していた三保三隅駅と鎌手駅の間に開業した岡見駅は、築堤上に設けられた高架駅となっています。1面2線の島式ホームは端から見ても弧を描いているのがわかります。
最初は一般駅として開業し、他の駅同様貨物扱いを廃止していますが、平成になって貨物駅として復活した異質の経歴を持っています。山口県の美祢と美祢線と山口線経由で結ぶ路線では岡見行きでは炭酸カルシウムを、岡見からは石炭灰(フライアッシュ)を運んでおり、付近の中国電力三隅発電所へは旧線を利用した専用線が敷かれていました。しかし運行経路である美祢線が大雨によって不通となり、当時復旧のめどが立たなかったことにより貨物線は休止となるも1年2ヶ月を経て復旧し一旦は再開にこぎつけます。しかし再び大雨により今度は山口線が不通となってしまいます。トラックによる代走が行われていたものの、その後三隅発電所に於けるトラブルにより貨物輸送そのものが取り止めとなり、結果としてそのまま貨物路線が廃止となり現在に至っています。
意外な展開で貨物輸送を手掛けることになったものの平成26(2014)年には貨物駅が廃止され、元のローカル駅に戻りました。
僅かな利用客の割には乗車証明書の発券機が設置されているのはなんでかな?とも思います。意外にもピーク時の利用客が多いのかも知れませんが定かではありません。駅舎も立派なものが建てられているため、人口の減少に任せて廃れてしまう展開だけは避けて欲しい・・・。そんな風に思いました。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適です。
- バリアフリー:
- 3.0
- 構内踏切があります。
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投稿日 2018年04月19日
総合評価:5.0
三保三隅駅から益田駅(当時は石見益田)まで山陰本線が延伸した大正12(1923)年に開業した鎌手駅は、対面式ホームの2面2線を持つ無人駅です。
道路工事を行った際に駅舎は撤去され、高さの違うホームは地下道で繋がっています。利用客も多くはないものの乗車駅証明書の発行機は設けられていました。
よくあるローカル駅だと思うのですが、今回の旅でまさかのトラブルに遭遇し、足止めをくらいました。雨により駅構内にあるポイント部の路盤流出が起こり、上下線の交換の絡みもあってか浜田~益田間で上下線とも運行が見合わせとなりました。既に益田から折り返し乗車をして西浜田迄来ていたものの、ローカル線の宿命である運行都合。時刻表の誤表記によって益田迄無駄足を運んだことに加えてだったので踏んだり蹴ったりでした。
幸いなことに西浜田での停車は20分程だったことに加えて、浜田駅での三江線列車への乗り継ぎも確保されことなきことを得ましたが、やはり山陰本線上でのトラブルには少し閉口してしまいました。ローカル線故に道路が優先されるのかも知れませんが、できればこのようなことは起こらないようにして欲しいように思います。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適です。
- バリアフリー:
- 3.0
- 構内踏切があります。
-
投稿日 2018年04月19日
総合評価:5.0
鎌手駅と益田駅の間にある石見津田駅は大正12(1923)年に山陰本線が三保三隅から益田迄延伸した際に開業しました。対面式2面2線のホームを持つ駅は離合可能な駅ではあるものの、実際にはあまり活用されていないようです。
益田駅の隣駅にしては利用客も少なく駅を設ける必要があったのかはわかりませんが、乗車証明書の発券機もあり、全くの田舎のローカル駅という感じは受けませんでした。
推測ではあるものの駅舎やホームの清掃は行き届いており、小綺麗な印象を受けることは地域の方々の協力があるように思います。
利用客数はともかく集落の顔として今の状態を続けて貰いたいと改めて思いました。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適です。
- バリアフリー:
- 3.0
- 跨線橋があります。
-
投稿日 2018年04月19日
総合評価:5.0
大正12(1923)年4月に開業した益田(開業当時は石見益田)駅は当初山口線の駅として開業しました。同年12月に山陰本線が三保三隅から延伸したことにより山陰本線の所属駅
となりました。
山陰本線と山口線の分岐駅として島根県最西部の主要駅とはなっていますが、乗降客数は浜田に劣ります。山陰本線の主要駅のひとつとして長距離列車が発着していた頃はそれなりの利用客もありましたが、現在では山口線経由のスーパーおき以外は当駅止まり・当駅発となっており、乗換駅の意味合いが濃いものとなっています。
大阪からの昼行・夜行バス、広島からの昼行バス停が設けられており、鉄道駅というよりもはバスターミナルとしての意味合いも濃くなっています。
駅前はそれなりに開けており、中堅の街といった感じも受けますが、その再開発の際に駅弁屋さんが廃業してしまったのは残念な限りです。
今回特に用があって訪れた訳ではありませんが、やはり用事がなければ観光客には縁のない駅のようには思います。- 旅行時期
- 2018年03月
- 施設の快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適です。
- バリアフリー:
- 3.0
- 跨線橋があります。











































