旅行のクチコミと比較サイト フォートラベル

jijidarumaさんのトラベラーページ

jijidarumaさんのクチコミ(5ページ)全666件

条件をクリア
エリア
カテゴリ
並び順

  • ホテル
  • ショッピング
  • グルメ・レストラン
  • 交通機関
  • 観光スポット
  • 基本情報
  • ヴァッハウ渓谷ではアッグシュタイン城址よりもヴィレンドルフのヴィーナス像が興味深い。

    投稿日 2024年08月07日

    アックシュタイン城 ヴァッハウ渓谷周辺

    総合評価:5.0

    【ヴァッハウ渓谷ではアッグシュタイン城址よりもヴィレンドルフのヴィーナス像が興味深い。】

    ≪南ドイツとオーストリア周遊≫
    ( 2004年4月21日-5月4日)

    4月27日(火)オーストリア・ヴァッハウ渓谷:ヴィレンドルフのヴィーナス像、古城ホテル デュルンシュタイン

    Melkメルクからドナウ橋を渡るのを地場の方に先導してもらい、ドナウ川の中でも、“銀色に輝く帯”と呼ばれる、ヴァッハウ渓谷の左岸くだりをスタートする。
    ゆったりと、豊かな水の流れ、岸辺に咲く、林檎の白い花、ライラック、タンポポ、菜の花の黄色の絨毯を見ながら、車は進む。

    東山魁夷の本(1971年に発行された高名な日本画家である東山魁夷・・・画家には珍しく、フランスではなく、ドイツに留学した“ドイツ学派”・・・のドイツ・オーストリア紀行文、【馬車よ、ゆっくり走れ】)で知ったWillendorfヴィレンドルフの村の事、思い出して、是非訪れてみたいと思っていた。
    この場所のことは、意外なことに当時の日本の観光案内書には何も書かれていなかった。
    小さな村、Willendorfヴィレンドルフに入る道を行き過ぎてしまい、ユータンして、村内へ。村はずれの、ドナウ川を見下す小高い丘の上に、旧石器時代のVenus von Willendorf ヴィレンドルフのヴィーナス像・・・本物はウィーン自然史博物館の蒐集品になっている・・・が見事な形で立っています。駐在中の夏季休暇で、もう20年前に訪れた時よりも、ちょっときれいに整備された丘があった。
    実際のヴィーナス像は女性の姿をかたどった高さ 11.1cm の小像である。1908年に、ヴィレンドルフ近くの旧石器時代の遺跡で、同国出身の考古学者ヨーゼフ・ソンバティが発見した。
    豊穣と多産を意味した姿にみなさん、ついつい笑みが浮かびます。

    ちょうど、丘から15世の盗賊騎士で知られる“Burg Aggsteinアッグシュタイン城址”が遠望できます。

    ・・・・・

    そして、中世の要塞教会のある、“リースリング”という白ワインの発祥地・Weissenkirchenヴァイセンキルヒェンにいき、村内で食事をしようと、狭い道を車でまわる。村内は休業が多く、適当な所も無いため、船着場前にもどって、カフェ・レストランに入った。

    軽食後、さらにドナウ川沿いをウィーンに向かって走る。ゆっくりと風をうけながら道を走り、ドナウ川に張り出したように立つ、20年ぶりともなる、念願の古城ホテル シュロス・デュルンシュタインの城門を入る。17時に到着。

    XXXXX

    旅行時期
    2004年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • リトアニア・青い湖に赤レンガが映えて絵のように美しいトラカイ城が浮かぶ。

    投稿日 2024年07月28日

    トラカイ城 ビリニュス

    総合評価:5.0

    ≪リトアニア・青い湖に赤レンガが映えて絵のように美しいトラカイ城が浮かぶ。≫

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月20日(火)リトアニア・ヴィリニュスは快晴、マイナス0.3~10℃。>

     “リトアニアの国名の由来”は国の中央を流れるLietauka リェタウカ川(距離11kmと短い川でネリス川の支流)からきたとされている。天気が変わりやすく、雨が多いリトアニアは『雨の降る国』の意味が有るとか!一般には国名は雨(Lietus)に因んだものと言うが、どうも誤りらしい。
    尚、この旅で唯一、この日は快晴で、しかも素晴らしい景観に恵まれたのだ。

    首都ヴィリニュスを9:40に出発し、森と湖からなるリトアニア有数の観光地、トラカイへ向かう。距離約25km 所要約40分だった。
    リトアニアの国土は殆どが平原・森・湖沼だそうで、300mの丘が一番高い山?!だ。
    その地に至ると、青い湖に赤レンガが映えて絵のように美しいトラカイ城が見えた。

    ≪Trakaiトラカイ城観光≫
    (10:15~11:40)

    ヴィリニュスに首都を移る以前に、この国の首都が置かれていた町Trakaiトラカイは赤レンガの古城が水面に映え、絵のような美しい観光地だった。
    黄葉の時期の訪問という事もあったか、自然公園の湖と森に囲まれ、静かな所でした。

    14世紀後半にチュートン騎士団の侵略を防ぐため、ヴィタウタス大公により築城された。
    ドイツ騎士団・・独語で Deutscher Ordenのことだが、英語では Teutonic Knightsと言い、1226年、バルト海南岸のクルムラントを異教徒から防衛する為に、キリスト教徒であったポーランド貴族に要請され、後のプロイセン王国の建国に繋がる東方植民の先駆けとなった騎士団の事だ。
    築城者のヴィタウタス大公の死後、城は荒れ果て、廃墟となったが、1961年から30年以上かけ、15世紀の時代風に復元された。

    10月中旬を過ぎ、霜が降りて真っ白になっている桟橋を小島に向かう。

    トラカイ城に入ると、城壁内の広い中庭、城への跳ね橋、緊急時の避難路、掘割、大広間、城内博物館にはコイン、宝物、歴代城主像、*タンネンベルクの戦い(独語:Schlacht bei Tannenberg)の図などを見る事が出来た。

    景色のよい場所にある古城・・・残念ながら展示された中身は少ない。

    ・・・・・

    さて、*タンネンベルクの戦い又はグルンヴァルトの戦いは、1410年7月15日、ポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団の間で戦われた戦闘である。現在のポーランド領、グルンヴァルト村・ステンバルク(タンネンベルク)村とウォドヴィゴヴォ村の間にある平原で戦われた。 
    ポーランド王兼リトアニア大公の率いる、ポーランド・リトアニア連合軍39,000人、対するドイツ騎士団軍は27,000人の規模であったと云う。戦いはリトアニアの軽騎兵・重騎兵が騎士団の隊列を打ち破り、連合軍の勝利に終わった。

    もう一つのタンネンベルクの戦いは第一次世界大戦が勃発した1914年に、ドイツ帝国が東部戦線に於いて、ロシア帝国を破った戦いである。
    1914年8月17日から9月2日にかけ、ロシアの第1軍と第2軍、ドイツの第8軍によって戦われ、大勝利したのはドイツでした。
    実際の戦闘の場所はタンネンベルクではなかったようですが、勝ったドイツ帝国が、1410年の雪辱を果たしたとして、この戦いもタンネンベルクの戦いと呼んだ。
    この辺りがドイツ人の性格を示して面白いのだが。

    毎年7月になると、この中世の戦いを記念して、ヨーロッパから何千人もの騎士たちが参集して、タンネンベルク(Grunwaldグルンヴァルト)古戦場跡で戦いを再現している。

    ・・・・・

    比較的紅葉した森をバックに怖い顔のヴィタウタス大公の像を撮って、ヴィリニュスに向かい帰途に就く。

    XXX

    (2024年7月28日改定)

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.0

  • 駆け足で巡ったカウナス旧市街:威容ある聖ミカエル大聖堂、美しい旧市庁舎など見所も多い。

    投稿日 2024年07月27日

    ミカエル教会 カウナス

    総合評価:4.0

    ≪駆け足で巡ったカウナス旧市街:威容ある聖ミカエル大聖堂、美しい旧市庁舎など見所も多い≫

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月21日(水)朝の内、日中時々小雨。~5℃。>

    「カウナス旧市街観光」

    8:40にホテル近くの散策に出た。カウナス旧市街の東、小雨がぱらつく、寒い朝でしたが、重々しい聖ミカエル大聖堂傍の樫の木広場を通り、大聖堂から一直線に伸びる菩提樹の並木道をしばし歩いた。黄葉した落ち葉が小雨に濡れて、冬の到来を暗示していた。(~9:10)

    聖ミカエル大聖堂Die Kirche des Heiligen Erzengels Michael:
    元々はロシア正教会の教会で、主にカウナス城に駐屯するロシア兵士の祈りの場として1893年に建設された。それほど古い建物ではないが、菩提樹の並木道の先に堂々たる威容を見せている。
    第一次世界大戦中はドイツ当局によって閉鎖され、大戦中はカトリック教会として使われた。1944年から1990年のソビエト連邦による占領下においては美術館として利用され、リトアニアが再独立を果たすとともにカトリック教会に戻された。

    カウナス城:
    13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐために造られた城で、当時の首都トラカイ城への防御拠点となっていた。この為、リトアニアで唯一の二重の城壁を備え、他の城と違って、幅2m、高さ13mにも及ぶ石造りの城壁を備え、頑強さを誇ったらしい。
    Vilniusから流れ下ったネリス川はこのKaunasでネムナス川に合流するが、合流点あたりに城がある。このネムナス川は当時、騎士団領とリトアニアとの国境でもあり、何度もこの辺りは戦場となったようだ。
    1363年には騎士団に占領され、破壊されたが、15世紀にヴィタウタス大公時代に再建された。現在は美術博物館として利用されている。
    この日は修理中でしたので、外観だけの見学。
    近くにヴィタウタス大公でしょうか、大きな石像が立って、笑っているように見えた。

    聖ペテロ&パウロ大聖堂:
    赤いレンガの美しい教会には見事な祭壇が見られる。それは大理石の柱、壁一面のフレスコ画と彫刻で飾られている。礼拝堂には見事なマリア昇天図もなかなかのものだ。
    現在リトアニアのカトリックの枢機卿がここを本拠にしている。国民の80%をカトリックが占めているが、以前いた司祭は27人から2人になったと云う。

    通称”白鳥”と呼ばれる美しい旧市庁舎:
    広い市庁舎広場に建つ旧市庁舎は美しいバロック様式の建物である。
    尚、庁舎内に観光案内所がある。
    1542年に最初の基石が置かれ、18世紀の半ばに現在の姿に立て直されている。その間、軍需品倉庫、政治犯の牢獄、宮殿、ロシアの劇場などに利用されてきた。
    今は市民の結婚式場や陶磁器博物館になっているようだ。
    外観だけであった聖ミカエル大聖堂、カウナス城、そしてここ旧市庁舎も外観だけの写真になったが、いずれに記憶に残る建物だった。

    聖ベルナルディン修道院:
    フランシスコ ザビエル教会 (イエズス教会)のことである。
    市庁舎広場の一方に建つ、二つの尖塔を持つ、長方形の建物がその修道院である。
    1666年に完成したイエズス会修道院はその後、聖フランシス教会、ロシア正教の所有と変遷し、第一次大戦後のリトアニアでは教会、学校となり、また、ソ連支配下なると修道院は工科大学、教会部分は体育館として使われたと云う。
    現在は漸く元に戻り、イエズス会修道院になったそうだ。塔の高さは48m。

    雷神ベルクーナスの家:
    広場から少し歩くと、15世紀に建てられたゴシック様式の建物が見える。
    赤レンガの建物はハンザ商人の住居のように見えたが、言い伝えでは、ここには、雷神ベルクーナスを祀る神殿があったそうだ。現在は図書館。

    ヴィタウタス大公教会:
    ベルクーナスの家の前の通りから数十メートル先のナムネス川の畔に15世紀前半に建てられたゴシック様式の教会である。
    タタール征伐に出陣したヴィタウタス大公(1352年~1430年)が、戦場で奇跡的に命拾いした感謝の印に建てたと云われる。
    教会横に1946年3月24日、洪水の為、水嵩が2.9mにもなったと云う白い線が見えた。

    ・・・・・・・・・・・・・

    昼食後、13:10、これからリトアニアの象徴・十字架の丘(Kryžių Kalnas)に立寄り、第二の国ラトヴィアの首都リガへ向かう。

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.0

  • リトアニア・かつての首都カウナスでまず行くべき所は杉原記念館であろう。

    投稿日 2024年07月25日

    杉原記念館 カウナス

    総合評価:5.0

    ≪リトアニア・かつての首都カウナスでまず行くべき所は杉原記念館であろう。≫

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月21日(水)朝の内、日中時々小雨。~5℃。>

    Lithuaniaリトアニア・かつての首都Kaunasカウナス:

    中世の面影を残した、リトアニア第二の都市(人口38万人)で、14世紀の記録に登場する古い町です。15世紀半ばにハンザ同盟の代表部が設けられ、商業活動の中心地として繁栄した。ヴィリニュスがポーランドに占領されていた20年間はリトアニアの首都でした。
    1919年、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約でバルト三国の独立が認められた。リトアニアのドイツ軍が撤退した際、新興ポーランドが新たな国境線を主張し、リトアニアの首都ヴィリニュスを含む地域を自領に取り込んだ。小国の悲劇である。
    ポーランドに首都ヴィリニュスを占領されたままの間、首都は国土の中央部にあるカウナスに移転せざるを得なかった。
    1940年、ソ連のバルト三国占領で国境線は回復され、首都ヴィリニュスがリトアニアに戻ったものの、ソ連支配は1990年の真の独立まで続く事になる。

    ≪杉原千畝(ちうね)記念館≫
    最初に訪れたのは、山の手の高級住宅街にある杉原記念館である。
    8年前に開館した、杉原千畝(ちうね)氏ゆかりの旧日本領事館では各種の展示を拝見し、最後に出身地の岐阜県八百津町が制作した20分程のビデオを観た。杉原千畝氏の事績(後述参照:命のビザの発行)を皆さんが知っていたのかは、定かではありません。しかし、館内で上映された20分程のビデオには皆さん涙をぬぐっておられました。

    世界の歴史に名を残した杉原氏を日本人として忘れえぬ人と認識された事でしょう。
    杉原氏が、その時どのように判断し、決断し、実行したのか、その事を想像するに、すごい事です。

    また、顕彰碑(早稲田大学が2001年に建立し、60本の桜を植樹した)が建つ桜の丘もあるそうだが、残念ながら、ヴィリニュスの川畔にある為、訪問していない。
    碑には「早稲田大学の校友として世界に誇るべき氏の功績を称えて碑を建立すると共に、リトアニア共和国と学術交流による友好関係がさらに深まり花開くことを祈念して桜の木を植樹するものである。2001年10月2日 早稲田大学」とあるそうだ。

    更に2011年10月、母校内(早稲田キャンパス14号館脇)に顕彰碑が建立されているそうだが、母校や郷里岐阜県八百津町はありがたいものだ。

    ・・・・・・・・・・

    この機会に以下の事を書いておきたい。

    *Oskar Schindlerオスカー・シンドラーと杉原 千畝について*

    ユダヤ人ホロコーストに関する映画の代表的作品である『シンドラーのリスト』(1993年米映画)の主人公Oskar Schindlerオスカー・シンドラーはナチ政権下のドイツでユダヤ人1200人を救ったとして知られているが、1974年、ドイツのHildesheimヒルデスハイムで亡くなった。
    但し、彼の墓は彼自身の希望により、エルサレムのローマ・カトリックの教会墓地にある。

    日本の外交官・杉原 千畝(すぎはら ちうね:リトアニアのカウナス領事館勤務)は1940年7月から8月にかけて、避難民だったユダヤ人たち6,000人の通過ビザ『命のビザ』を自ら決断して発行した。
    このビザが彼等ユダヤ人たちを救うこととなった。戦後、日本の外務省から<本省訓令の無視>として不当な扱いをされた杉原であったが、彼を命の恩人であるとしてユダヤ人協会により紆余曲折(うよきょくせつ)のすえ、探し出され、ユダヤ人により杉原は1985年「諸国民の中の正義の人」として顕彰された。

    Wikiによれば、全世界で27,362人が顕彰されているが、日本人では杉原、ただ一人である。

    その後、杉原を“日本、或いは東洋のシンドラー”と呼ぶようになっているが、その事績を思えば、ドイツ人シンドラーの名をつけて呼ぶのはおかしいだろう。

    ・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    3.0

  • リトアニアは別名「十字架の国」と称する。そのシンボルがシャウレイの十字架の丘だ。

    投稿日 2024年07月20日

    観光案内所 (シャウレイ) シャウレイ

    総合評価:4.5

    リトアニアは別名「十字架の国」と称する。そのシンボルがシャウレイの十字架の丘だ。

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月21日(水)朝の内、日中時々小雨。~5℃。>

    リトアニアのSiauliaiシャウレイの町は、日本人には馴染み深い、かつてのリトアニアの首都Kaunasカウナスから、ラトヴィアの首都リガに向かう道の丁度中間にある。

    シャウレイの町から北東12kmにこの国のシンボル「十字架の丘」がある。
    A12の高速道路を下り、一般道路No.4033を行くと、「十字架の丘 インフォメーション センター」(Piliakalnio g. 7, Domantų k., Meškuičių sen., Šiaulių r. :The Hill of crosses)があり、その先におよそ300m歩くと、リトアニアの象徴でもある十字架の丘(Kryžių Kalnas)があった。

    尚、この口コミの場所はVilniaus 213, Siauliaiとあるが、住所はシャウレイの町の観光案内所を指していて、本来の住所は上記の「十字架の丘 インフォメーション センター」のアドレスが正しい。

    【Kryžių Kalnas十字架の丘】
    住所:Domantai, LT-81439 Siauliai,
    15:40~16:10 寒く、暗くなってきた。

    十字架の丘は2001年世界無形文化遺産に登録された。
    リトアニアは別名「十字架の国」とも呼ばれている。この国では十字架は人々の生活と密着しているそうだ。
    たまたま、帰国したその晩にNHKでリトアニアの番組を放送していた。結婚式を済ませたカップルが必ずSiauliaiシャウレイの十字架の丘に十字架を納めに来る慣例になったと云う。画面でも嬉しそうな新婚さんが十字架を収めるシーンを映した。新しい家族を守る事、子供の誕生・成長を祈るのは日本の神社のようなものである。

    平原にほんの少し高くなった丘には1m以上の十字架が26万本、小さなのを入れると優に100万本を超えるものが置かれていると云う。
    誰かが数えたとは思えないが、ともかく多い。リトアニアの人口350万人よりも、十字架の数は多いかもしれないと云われる。

    尚、Wiki参考:ここに書かれた十字架の数はその数の推移の様子がよく分からないものの、1800年代に9000本を超えていたとある。
    1900年130本、1922年50本、1938年400本以上、1961年5000本が破壊される、1975年1200本が破壊される、1990年約55000本を数えると書かれていた。さらに2006年には100000本になったと云う。

    信者ではない私には「十字架の丘」は異様にも見える空間であったが、ローマカトリックの信仰熱い人たちにはここの持つ意味は大きいのでしょう。
    しかも、ロシアからの独立を目指した、抑圧された民族の象徴として歴史的な意味も大きいのだ。

    十字架の丘は元々、1831年のロシアに対する蜂起(反乱)の後、処刑された人々を悼んで建てられたとされている。その後も抑圧された民族の象徴として大事にされてきた。
    ソ連支配下では、この丘をブルドーザーで崩したとか、周囲に鉄条網を設置して、立ち入り禁止地域にし、十字架は何度も焼き払われた事もあったといいます。
    リトアニアの人々はその度に夜陰に新しい十字架を備えたと云う。
    手前の少し離れた所にローマ法王パウロ2世が訪れた記念の十字架と碑が立っていた。 

    十字架の東西南北を指す十字や、その間に付けられた矢印の様な木は自然崇拝の・・・太陽を表しているのだと云う。十字架は木製が多く、その十字架を作った手工芸が「無形文化遺産」に登録された。


    ラトヴィアの首都リガへ向かう。約132km、所要約2時間である。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    景観:
    4.5

  • ラトヴィア・スィグルダ:悲恋の伝説“トゥライダのバラ”が残るトゥライダ城

    投稿日 2017年10月29日

    トゥライダ城 スィグルダ

    総合評価:3.5

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月22日(木)ラトヴィアのスィグルダ:トゥライダ城を訪ねる>

    ≪トゥライダ城観光≫
    14:30~15:50

    “ラトヴィアのスイス”と称する、42ヘクタールの広い地域に古城城址があり、博物館になっている。あいにくの小雨模様で、少し霧も出ているようだ。赤レンガが周囲の緑に映える美しい古城(1214~1566年)見学に入口から10分ほど歩きます。
    かつて、Gaujaガウヤ川をはさんだトゥライダ、スィグルダ両地方には、リーブ人が 居住し、Turaidaトゥライダとはリーブ語で“神の庭”、或いは“悲しい庭”の意味だそうだ。

    この城はリガのアルベルト大司教により、1214年に築城された。Siguldaスィグルダにあった、リヴォニア帯剣騎士団の城の安定にも寄与した。1776年に塔を除き、トゥライダ城は火災で消失している。
    35m・5層の塔の上まで、何段あるのか、途中で数え忘れたが、息をぜいぜいして上った。塔の最上階からの素晴らしい黄葉の景色、ガウヤ川Gauja(ラトヴィアで最も長い川。全長452km。)の蛇行の様を楽しんだ。

    1953年から城の復元が行われて、本丸の一部は博物館にしている。ここでは13世紀以降のスィグルダの歴史を見る事が出来たが、あまり充実したものではない。
    又、公園内に18、9世紀の農家を復元したものや、彫像作品を見る事が出来ると説明にあるが、見物は城址のみとなった。

    ここには“トゥライダのバラ”と呼ばれた美しい人の悲しい話(後述)が残る。
    その人の名はMaja (1601–1620)と言います。
    トゥライダ城の公園に墓があり、小さな木の礼拝堂が立っていると云う。
    その墓を詣でる人は多く、しきたり通りに墓の上に結婚の花を捧げると聞きます。


    伝説:ラトヴィア・トゥライダのバラ
    Die Rose von Turaida (auch Rose von Sigulda)
    https://4travel.jp/travelogue/10924747

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    2.5
    コストパフォーマンス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    3.5

  • ラトヴィアの国はかつて先住民リーヴ人の居住地であった証しの大石(顔)

    投稿日 2024年07月16日

    リーヴ広場 リガ

    総合評価:4.0

    【ラトヴィアの国はかつて先住民リーヴ人の居住地であった証しの大石(顔)】

    先住民リーヴ人の居住地であったことから、Livonia リヴォニアとも称したラトヴィアの国は、人口約230万(ラトヴィア人60%、ロシア人28%など。宗教はプロテスタント・ルーテル派)、首都リガが人口約72万と凡そ三分の一がこの都市に住んでいる事になる。それだけ豊かでもあり、リガは大きく、バルト最大の町だ。

    歴史的にはリガは13世紀にハンザ同盟に加盟し、帝政ロシア時代は『ヨーロッパの窓』として、帝政下で繁栄を享受していたペトログラード、モスクワに次ぐ、当時、“バルトのパリ”と呼ばれほどの都市に成長した。
    時代がソ連支配下になると、“零落した貴婦人”とも称され、暗い時代を過ごした。バルト三国の独立後は経済的にも豊かな大都市に変貌している。
    住民はラトヴィア人が凡そ50%で、バルト三国の中でも特に多い比率のロシア人は減少傾向だそうだ。それも国籍の取得条件のハードルを高くしている由だ。

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月22日(木)ラトヴィアの首都リガは朝から小雨、時々止む。4~6℃。>

    旧市街を巡る。

    スウェーデン門:
    リガに唯一残るかつての城門。1698年に城壁を利用した住宅が建てられた際に、この城門が建てられた。当時この地を支配し、駐屯していたスウェーデン兵がよくこの門を出入りした事から、この名前が付けられた。
    当時はスウェーデン兵300名が駐屯していたそうだ。

    『スウェーデン門の悲恋伝説:
    リガの娘たちはスウェーデン兵と会うことを禁じられていたのですが、一人の娘がスウェーデン兵と恋に落ち、この門で密かに会うようになりました。
    ある日、スウェーデン兵を待っていた娘は捕らえられて、罰として門の内側に塗り込められてしまったと云う事です。以来、真夜中にこの門を通ると、娘のすすり泣きが聞こえるようになったと云う。』

    ヤコブの長屋Jakobskasernen:
    スウェーデン門をくぐると城壁外になり、広い石畳の通りになった。旧市街側に再建された城壁やスウェーデン塔が見られ、その城壁の向かいに18世紀の頃、長屋が建てられた。今に残る、この建物はレンガ屋根、長々とした黄色の建物である。

    火薬塔:
    14世紀に建てられ、1650年に再建され、火薬の保管庫に使われた塔。高さ25.5m、外壁の厚さは3mで、頑丈な作り。この横の道を渡ると、猫の家がある。

    猫の家:
    屋根の上に背を丸めた猫が見える。昔、ここの住人が隣の家に住むギルド商人とトラブリ、ワザと猫の尻尾(お尻!)をその家に向けさせた。途中で裁判沙汰になったと云えられている、曰くつきの猫だが、今は顔の方を向けている。

    リーヴ広場とリーヴ人の顔:
    猫の家から直ぐ近くに広いLivu laukumsリーヴ広場がある。リガの旧市街中心部に位置する広場周辺に18世紀の大小のギルドハウスが立つ。
    リーヴ広場に置かれた奇妙な、大きな石が気になった。これは先住民Livuリーヴ人の顔だと云う。ちょっと見には愛嬌もある、素朴な顔している。

    リーヴ人は北シベリアから移住してきたとされるラトヴィアの先住民である。Finno-Ugricフィン・ウゴル民族(ウラル山脈地方)のリーヴ人はバルト民族のラトガレ人、フィンランドのフィン人やエストニア人と同系だと言う。
    13世紀、ドイツ・リヴォニア騎士団が自然崇拝の異教徒リーヴをキリスト教に改宗させる目的で、酷薄な行動をしたので、可哀そうなことにリーヴ人は減少の一途を辿った。

    19世紀末には3000人、第二次大戦前夜には1000人、1959年の国勢調査では約200人という数字が公表されている。この旅の当時、リーヴ語を話す人は20人以下とあるから既に絶えてしまったかもしれない。

    三人兄弟の家:
    右から日本的に言えば、太郎、次郎、三郎と、三兄弟は肩を寄せ合って立っている。
    リガ最古の中世の住宅である。外見は建てられた当時の姿をほぼ保ち、時代の変遷を良く示すものになっている。
    右端の太郎の家は15世紀の住宅で、窓の大きさで税金が決められていたので、窓が小さい。次郎の時代はそうした決まりがなく、窓は広くなり、見た目も美しい。
    三郎の家は貧弱、家幅が狭く、見た目もかなり窮屈なものになっている。しかも、時代と共に土地の値段が高くなって、三郎の建物全体が前に出てきている。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5

  • ラトヴィアの首都リガ:新市街のアルベルト・エリザベート通りは見事なユーゲントシュティール様式の建物が並ぶ。

    投稿日 2024年07月08日

    アルベルタ通り リガ

    総合評価:5.0

    ラトヴィアの首都リガ:ラトヴィアの首都リガ:新市街のAlberta&Elizabetesアルベルト・エリザベート通りはリガの事実上の中心地であり、
    ここには見事なJugendstilユーゲントシュティール様式(Art Nouveauアール・ヌーヴォー)の建物が並ぶ一角があった。

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月22日(木)ラトヴィアの首都リガは朝から小雨、時々止む。4~6℃。>

    『ドイツよりもドイツらしい』と言われる街並みの中でも、ブラックヘッドのギルド会館も目立つが、リガでは更に見事な*Jugendstilユーゲントシュティール様式(Art Nouveauアール・ヌーヴォー)の建物が並ぶ一角が素晴らしい。

    新市街のAlberta&Elizabetesアルベルト・エリザベート通りで金融・官庁街・各国大使館も見られる通りである。リガの事実上の中心地だ。

    19世紀に建てられた、ユーゲントシュティール様式の数階建ての建物が軒を競って、その美しい様式で表現されていた。
    女性がモチーフになって、壁面に表現されたのは、その地位の向上を示すとか!これほどの数がこの町に残っていたとは考えもしないものでした。

    当時、ユーゲントシュティール様式における、ヨーロッパの中心がこのリガであったとか。町の中心の凡そ三分の一がユーゲントシュティール様式の建物であったと言われている事から、その凄さが理解できる。
    この町の素晴らしさは、これが体現しているといえよう。

    *Jugendstilユーゲントシュティール:アール・ヌーヴォー:
    青年派様式若しくは青春様式とも訳している。1897~1910におけるドイツの芸術思潮である。その19世紀末の芸術は一種退廃的とも云われる芸術で、曖昧且つ曲線的表現を駆使している。仏語で言うアール・ヌーヴォーもそれに近い。ウイーンで名高いクリムトの絵画がその代表であり、建築でも独特の色彩とデザインを持った建物がウイーンの町に見られる。

    因みにハンガリー大使館の建物はMichail Eisensteinの設計によるものである。(彼の父は1925年に製作・公開された“戦艦ポチョムキンの反乱”で知られるセルゲイ・アイゼンシュテイン監督だ。)

    赤の横線が壁にひかれた、ひときわ立派なロシア大使館近くの公園には樹齢200年を超える柏の木、楓の大木など、220種の木々、植物が植えられている。
    きれいに黄葉した落ち葉が積み重なって、絨毯のようになっていた。

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • ラトヴィアの首都リガ:『ドイツよりもドイツらしい』と言われる街並みの中でも、まずはハンザ商人のギルド会館を見たい。

    投稿日 2024年07月01日

    ブラックヘッドの会館 リガ

    総合評価:5.0

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月22日(木)ラトヴィアの首都リガは朝から小雨、時々止む。4~6℃。>

    ラトヴィアの国は人口約230万(ラトヴィア人60%、ロシア人28%など。宗教はプロテスタント・ルーテル派)、首都リガが人口約72万と凡そ三分の一がこの都市に住んでいる事になる。それだけ豊かでもあり、リガは大きく、バルト最大の町だ。昨夜は町に入ると、町に明るい光が有った。住民はラトヴィア人が凡そ50%で、バルト三国の中でも特に多い比率のロシア人は減少傾向だそうだ。それも国籍の取得条件のハードルを高くしている由だ。
    バルト3国の中で最も開かれた、ラトヴィアの首都、世界遺産リガ市内観光。

    『ドイツよりもドイツらしい』と言われる街並みは、中世ドイツの商業都市を良く残している。細い複雑に入り組んだ道は当時と変わっていないと云う。

    ・・・・・・・・・・

    【再建されたブラックヘッドのギルド会館】
    14世紀のドイツ騎士団時代、未婚のハンザ商人の組合(ギルド)に依って建てられたもの。
    二つのギルドハウスが並んで立つが、右が主である。左はSchwabhausシュワブハウスという。
    第二次大戦で完全に壊れたが、リガ創設800年を記念して、2000年にオリジナル通りに再建された。オランダのルネッサンスファザード(正面)や、大変魅力的で美しく飾られた壁面を持った建物である。

    大時計の下には4つのハンザ都市の紋章、Rigaリガ、Hamburgハンブルグ、Luebeckリューベック、Bremenブレーメンが浮き彫りになっているのが見える。その下にギリシャ神話の神々の像があり、入口の左右に聖母マリア像、黒人であった聖モーリアス像が立つ。この聖モーリアスに因んで、ブラックヘッドのギルドと呼ばれたらしい。

    彫金細工と彫刻で飾られた大時計は、月、日、時間、月齢を刻み、伝承では、かつてこの時計を作った職人は二度と同じものが造れないように、目をくり抜かれたとか・・。

    ギルド前のマルクト広場には、リガの守護神である聖ローランドの像が立ち、中世には市が立ち、魔女の火あぶりの刑なども行われた中心地だったが、第二次大戦で市庁舎、聖ローランドの像、ブラックヘッドのギルドなど一帯が壊滅している。

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • エストニア・タルトゥ:ホテルの名「Dorpatドルパット」はTartuタルトゥのドイツ語、ポーランド語の呼び名である。

    投稿日 2024年06月27日

    Dorpat Hotel タルトゥ

    総合評価:4.0

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月22日(木) リガは朝から小雨、時々止む。4~6℃。>

    ラトヴィアからエストニアに入る。
    この国は人口約135万人(エストニア人68%、ロシア人26%)、バルト三国の一番北に位置し、一番小さな国(北海道の6割の国土面積)である。

    エストニア・TartuタルトゥのホテルDorpatドルパットには19:30頃に到着した。

    ホテルの名「Dorpatドルパット」はTartuタルトゥのドイツ語、ポーランド語の呼び名である。
    この言葉を使用している事に違和感はないのだろうか?!
    この町はエストニアで2番目に人口の多い(タリンが40万人、タルトゥ10万人)町だが、首都のタリンが政治・商業の中心であるのに対して、エストニア最古の大学があるタルトゥは学問・文化の中心と言える。
    タリンの南180km、南エストニアの中心都市でもある。

    【ホテルDorpatドルパット】    
    Soola 6 51014 Tartu 、Estonia
    部屋番号;307号室(3F)
    エストニアの第二の都市の中心にある最大のホテル。3星・全205室。
    ベッドも寝心地良く、トイレは床暖房。但し、この旅で唯一のシャワーのみの部屋である。
    ホテル前はEmajogiエマユギ川(エストニア語で“母なる川”の意味で、全長101km)沿いにあって、たいへん見栄えの良いホテルだ。


    <2009年10月23日(金) タルトゥは曇り。~9℃。>

    今日の行程はホテルDorpatドルパットを10時にスタートし、タルトゥ市内観光・・・ラエコヤ広場、 悪魔の橋・天使の橋、大聖堂、タルトゥ大学、ヨハネ教会・・・14:05タルトゥを出発し、タリンへ 向かう。途中、Põltsamaa プルツァマーに立ち寄る。=>エストニアの首都タリンに向かう。
    (約190km、所要約4時間)

    途中立ち寄ったのは、いわゆる古都である。
    プルツァマーは、かつての*リヴォニア王国の首都で、王城プルツァマー城はマグヌス王(デンマーク王子のホルシュタイン公)の王宮として使われていたことや、100年前からワインを製造しており、「エストニアのワインの首都」と呼ばれている。

    *リヴォニア王国は16世紀後半に現在のエストニアおよびラトビアにあたる地域を領土として主張した名目上の国家である。リヴォニア戦争(1558年~83年:ロシア帝国<=>リヴォニア騎士団及びポーランド・リトアニア共和国、デンマーク=ノルウェー、スウェーデン王国)中の1570年に、ロシアのツァーリであるイヴァン4世(雷帝)が傀儡国として建国を宣言したが、国家としての実態を持つことはなかったと云う。

    <Põltsamaaプルツァマーの古城でエストニアワインの試飲>
    (15:00~15:45)
    バルト三国は北過ぎて葡萄の生産は出来ないから、通常のワインは輸入品である。
    この掘割に囲まれた古城にはエストニアワインの醸造所は見ていないが、ワインの試飲と販売所などがある。サクランボ、木イチゴ、リンゴやスグリ、黒スグリの果実でワインを作ると言う。サービスされた美味しいチーズを頂き、二、三種類のワインを飲んでみた結果、黒スグリ一本(41Kr=370円)を購入した。

    Põltsamaa プルツァマー城:
    【1272年築城。これはプルツァマー川の水を引き込んだ堀をもった水城である。城壁が両側104.5と109mのほぼ真四角に囲み、壁の高さ11m。14世紀の3階建ての修道院、18世紀に建設されたレンガ造りの修道院の塔を持つ。】

    ・・・・・

    16:00タリンに向かう。Sokos Hotel Viruソコスホテル ヴィルには17:30の到着。予想より早い到着の様だ。

    旅行時期
    2009年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    3.0
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.0

  • エストニア・タルトゥ:タルトゥ大学があるおかげで、この町は “頭”の町と言われているそうである。

    投稿日 2024年06月18日

    タルトゥ大学 タルトゥ

    総合評価:4.5

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月23日(金) タルトゥは曇り。~9℃。>

    エストニア第2の大学都市Tartu・文化都市タルトゥ観光
    タルトゥ大学があるおかげで、この町は “頭”の町と言われているそうである。

    丘を下り、大学通りに入ると、面白いものが目に入った。
    建物の壁全体を使って、3階までの窓を描き、その窓から大学の教授たち・・・多分ご本人が顔を覗かせている図だ。

    1)タルトゥ大学: (11:15~11:50)

    エストニアでもっとも有名なこの大学は1632年にスウェーデン王グスタフ2世Gustavus Ⅱによって創立された。後のリヴォニア戦争などで、約100年閉校する期間もあったが、1802年に再開されている。
    Ulikooli大学通りにある大学本部はギリシャ風の6本の円柱が正面を飾り、美しい。

    本部の中にはMuseum of Classical Art古典美術博物館がある。
    特に大学講堂は18世紀の古典主義様式を顕著に表したもので、円柱が立ち並び、羊の頭の模様などで飾られた、講堂はコンサートホールにも利用されている。
    学生数12,000人との事だが、日本人留学生はただ一人。
    (因みにエストニア全土で日本人在留者は30人。)

    ・・・・・

    20分ほど自由時間。思い思いに旧市街のお店やRueuetli通りを歩く。

    ギムナジウム中学の前で革袋と思しき小さな球を数人の生徒が、蹴り玉をして遊んでいる。日本の蹴鞠を小さくしたようなものか・・・見ていると難しいらしく、なかなか続かない。金曜日の昼時だが、人通りは少ない。
    自宅で昔のように食事する習慣があるのか・・・。


    2)聖ヨハネ教会(Jaani Kirik・St. John's Lutheran Church): (12:20~35)

    Rueuetli通りを行くと左手にこの教会がある。14世紀にバジリカ様式で、リューベックの職人が造った。16世紀に戦争で破壊された。1944年のソ連軍の攻撃でも破壊されている。ヨーロッパでもあまり例を見ない、1000枚ほどの素焼きの塑像装飾で知られていた。
    教会は現在再建中、内部に入ることができるので、解らない説教を聞いてから、パイプオルガンの演奏を聞かせて頂いた。5Krを寄進。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • エストニア・大学都市タルトゥ:ラエコヤ広場には美しい市庁舎、市民に愛される「キスする学生の噴水」が立つ。

    投稿日 2024年06月17日

    ラエコヤ広場 タルトゥ

    総合評価:5.0

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月23日(金) タルトゥは曇り。~9℃。>

    エストニア第2の大学都市Tartu・文化都市タルトゥ観光
    大学があるおかげで、この町は “頭”の町と言われているそうである。

    ホテル前の*Emajogiエマユギ川沿いをちょっぴり散歩した。昨日の雨は上がり、日差しは望めないが、なんとか天気はもちそうだ。

    *Emajogiエマユギ川(エストニア語で“母なる川”の意味で、全長101km)沿いに国民的な作家・劇作家Oskar Lutsの像がある。その作品の内容は不詳。
    ここから少し先に町の中心がある。

    この町は常にエストニア民族独立運動の拠点であったことから、民族の魂の故郷と言われている。何故か?町の名は19世紀末まで、ドイツ名(ポーランド語でもあるがいずれも支配者である)のDorpatドルパットが用いられていた。

    旧市街の市庁舎前広場は市庁舎を正面にして、周囲を18世紀後半から19世紀前半の新古典様式や後期バロック様式の建物に囲まれていて、落ちついた雰囲気がある。

    1)ラエコヤ広場(Raekoja Plats):

    町の中心は所謂、市庁舎広場で、この周辺一帯は1775年の大火後に再建設されている。市庁舎がその代表格。

    2)傾いたバークレイの家(Viltune maja Raekoja plats 18):

    市庁舎広場に面した記念建造物にもなっている、18世紀の建物が面白い事に傾いている。傾く原因は左の壁は新しく基礎を造って建てたが、川に面する右側は昔の壁の上に建てたためだそうだ。
    建物は今も現役で美術博物館に利用されているらしい。


    3)徐々に沈んでいると云う市庁舎Town Hall:

    大火後の1775年に建築された市庁舎はオランダの町の市庁舎を参考に、ドイツの建築家が再建した。
    問題なのは市庁舎も、この町にある多くの建物と同様に、ゆっくりと湿った地面に沈んでいるとか?!ここの塔にはドイツ製の18個の鐘があり、毎日、18時と21時に鳴り出すと言う。

    4)キスする学生の噴水(Suudlevad tudengid):

    1998年に造られた彫刻で、市庁舎広場にある大学町のシンボルは洒落たものだ。
    この像は今や“永遠に愛される像”になっていると云う。


    この広場は歴史を知れば、エストニアの大事な場所だとわかる。

    ・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • エストニア・大学都市Tartuタルトゥ:大学の裏山トーメの丘に天使と悪魔の橋があるという。

    投稿日 2024年06月16日

    天使の橋 悪魔の橋 タルトゥ

    総合評価:4.0

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月23日(金) タルトゥは曇り。~9℃。>

    エストニア第2の大学都市Tartu・文化都市タルトゥ観光
    大学があるおかげで、この町は “頭”の町と言われているそうである。

    Lossiロッスィ通りを登りきると、Toomeトーメの丘(大聖堂の丘の意)である。大学の裏山の様な感じだが、様々な建物、彫像、橋、天文台などが、黄葉した木々の中に散在し、私どもは丘を一巡りする。

    悪魔の橋(The Devil's Bridge):
    ロシアのロマノフ王朝300周年を記念し、1913に造られた橋。皇帝アレクサンダー1世に献呈されたもの。なぜ黒々とした悪魔の橋・・・ロシアだからでしょうか?

    天使の橋(The Angel's Bridge ):
    1813年に造られ、100周年の1913年に架け替えられた。
    ラテン語で「休息は力を甦らせる」と書かれており、こちらはタルトゥ大学の初代学長に捧げる橋だとか・・。

    トーメの丘はイギリス庭園風にデザインされたそうで、English Bridge の響きがエストニア人にはAngel's Bridge天使の橋に聞こえるからだとある。

    そうすると悪魔の橋は単に天使の橋に対した、名前付けかもしれない。

    橋の歴史がエストニアの歴史を語っている。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旧観測所(Tahetorn):世界文化遺産
    エストニア国旗がはためく旧観測所は大学が19世紀から使用していたもの。修理中でした。

    カール エルンスト フォン ベアKarl Ernst Von Baerの彫像(1886年):
    黄葉した林の中で顎に手をやり、考え深げに座る人類学者・自然科学者の像である。
    バルト・ドイツ人の家系に生まれた。タルトゥ大学の卒業生。胎生学(発生学)の創始者として、哺乳動物の卵子を発見したとある。
    親しまれ、尊敬されているのでしょうか!面白い事に、ドイツのハルツ地方にみられる4月30日魔女の夜(Walpurgis Night)、タルトゥ大学の学生連中の儀式として、この先生の頭をシャンパンで洗うのだそうです。

    大聖堂(Toomkirik・ Ruins of Toome Cathedral):  (~11:00)
    13世紀にドイツ騎士団によって建築が始まり、15世紀に完成したバジリカ様式の聖堂。
    リヴォニア戦争で破壊され、1624年の火事で完全に焼け落ちた。ルター派の宗教改革では重視されず、再建されなかった。残った部分は現在、大学の歴史博物館となっている。


    ・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • エストニア・タリン:ソコスホテル ヴィルは旧市街とショッピングセンターが徒歩圏という立地で大変便利でした。

    投稿日 2014年11月29日

    Original Sokos Hotel Viru タリン

    総合評価:4.5

    ≪バルト三国 世界遺産紀行8日間の旅・美しき中世の街並み≫
    2009年10月19日(月)~26日(月)
    ツーリズムのツアー第五日;10月23日(金) タルトゥは曇り。~9℃。
    バスにて、タルトゥ市内観光 => プルッツアマー =>タリン着

    ≪Sokos Hotel Viruソコスホテル ヴィル≫
    部屋番号;1002号室(10F)・2連泊
    4 Viru Square 、 Tallinn 200001 、Estonia

    ホテルチェーンの Sokos Hotels.の一つ。タリンの旧市街の近くにあるホテルの最上階の部屋22Fからは、バルト海を一望することができると言うが、今回は10Fだった。
    とはいえ、広く、大変立派な部屋で、眺望も港に向いていて、悪くはない。

    バスローブ・スリッパ付き、浴室は床暖房、アイロン・アイロン台もあるといったKaunasのホテルと同じであった。更に嬉しい事にお水を毎日2本(合計1L)無料でサービスされたので大変ありがたかった。

    ホテル内には、レストラン2軒、バー2軒、ナイトクラブがあり、規模としては、全客室数
    が 516と最大。4星。

    ホテルは旧市街とショッピングセンターが徒歩圏という立地で大変便利でした。
    又、エストニア人・相撲の把瑠都はこのホテルのカジノ?の用心棒だったとか。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

    (2024年6月7日、更改)

    旅行時期
    2009年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    5.0
    バスルーム:
    5.0
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    5.0

  • エストニア・タリン:タリン<=>ヘルシンキ間を飛ぶFinn.comは珍しいプロペラ機だった。

    投稿日 2024年06月08日

    タリン ウレミステ空港 (TLL) タリン

    総合評価:4.0

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン


    <2009年10月25日(日)タリンは曇り、 ~8℃。>

    タリンLV 14:40 AY3926(Fimm.com・・フィンランド航空の子会社) 
    ヘルシンキAR 15:05 経由 ヘルシンキLV 17:20 AY0073(フィンランド航空)
    成田AR 17:35
    タリン=>ヘルシンキ ;約35分  ヘルシンキ=>成田 ;約9時間40分

    *7時にホテルのいつものレストランで頂く。ゆで卵、ハム、コーヒー、リンゴジュース等の朝食。12月・ドイツのクリスマスの旅まで、美味しい朝食はお預けだ。
    今日から冬時間に変わるとのことで、また時差を一時間戻した。

    <お土産>
    9時からHotelに隣接したショッピングセンターViru Keskusに行って、孫たちのお土産に衣類を購入する。どんどん大きくなるので、家内はサイズ選びに苦労している。なんとか納得の品物を見つけて、一安心(4品1576Kr=14,120円)。地階のスーパーに降りて、更にチョコレートを物色する。当地の様々なチョコレート、ドイツのグミなど(27点872.01Kr=7,812円)、昼食用に菓子パン(3品38Kr=342円)もついでに購入し、部屋に戻った。(9:00~11:00)
    早目の昼食を室内で食べて、最後の帰国準備にかかる。

    11:40チェックアウト。12:40バスでタリン空港に向かう。サッカースタディアムのような紺色の建物が見えてくる。
    短い飛行時間とあって、タリン=>ヘルシンキ間を飛ぶAY3926(Finn.com)はプロペラ機である。ATR72-500 70人ほどの乗客定員と少ない。小さな空港だけに定刻の離陸。
    25分で早目のヘルシンキ着、トランジットは2時間もあり、時間まではDuty-Free でお買い物時間になった。

    Aalborg Jubiloeums Akvavitはオールボー・ジュビリウムス・アクアヴィット 1L瓶を2本購入した。(Euro19.8X2=39.6は5,544円。)

    AY0073(フィンランド航空)はヘルシンキを定刻の17:20に離陸し、成田に。

    <Akvavit アクアヴィットについて>
    狙い目はデンマーク産AALBORG JUBILÆUMS Akvavit 1Lアルコール度数42度のSpirit蒸留酒(火酒)だ。Aalborg Jubiloeums Akvavitはオールボー・ジュビリウムス・アクアヴィットと言い、ジャガイモを原料として蒸留し、Dillディル・Corianderコリアンダーといったハーブで香り付けし、辛口、淡い琥珀色、独特の味わいが好ましい。
    ジュビリウムスは“祝典”の意味で、AALBORG TAFFEL Akvavitオールボー・タッフェル・アクアヴィット(香りの主体はキャラウェイ香、アルコール度数 45%)の発売100年周年を祝って、1946年、新たに発売されたものである。
    デンマークでのアクアヴィットの代表的ブランドとして、世界中に輸出されているが、日本ではあまり見かけない。
    アクアヴィットの語源はラテン語のAquavitaeアクアヴィテ(命の水)であり、元来はスペインで創られたと云われている。その後、フランス、北欧などに伝わったとされ、北欧では15世紀頃から飲まれてきた穀類を主原料とする蒸溜酒である。
    デンマーク語、スウェーデン語でAkvavit、ノルウェー語はAkevitt、ドイツ語ではAquavitと称し、ジャガイモを主原料とした蒸留酒である。デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・ドイツで製造されている。
    AALBORGオールボーはデンマークのダニスコ社生産のアクアヴィットで、1845年に設立された蒸溜所のある地名に由来している。デンマーク産の代表的ブランドであり、王室御用達として、王冠の印が付いている。

    私のやり方は冷蔵庫で冷やしておき、これまた冷やしたグラスにそれを注いで、一気に飲むのが良い。また、ちびちびと香りを楽しみながらもまた楽しい。ビールを飲む前に胃の洗浄とばかりに、アクアヴィットを流し込むのは邪道?!かもしれないが、ドイツ駐在時の若い頃は良くやっていた。今は食欲増進と・・・グラス一杯をちびちびやっている。
    因みにアクアヴィットは、ドイツではSchnapsシュナップスと呼ばれている。基本的には食後の消化を助ける為に飲むとされている。レストランでビールを飲む間、シュナップスを一気飲みして、ビールで冷えたお腹を暖めることもよく見かける。
    あるバーで、アクアヴィットをベースにと言って、カクテルを注文したところ、レッド・バイキング(Red Viking)というカクテルが出てきました。
    (アクアヴィット 30ml 、マラスキーノ、 30ml ライム・ジュース 30ml と・・ものの本にはあります。) 

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    施設の充実度:
    3.5

  • エストニア・タリン:旧市街の中心であるヴィル通りをぶらぶら歩きながらお土産を買う。

    投稿日 2024年06月01日

    ヴィル通り タリン

    総合評価:4.5

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月24日(土)エストニアの首都タリンは曇り、 ~8℃。>

    ヴィル門(Viru vaeravad)とヴィル通り :

    旧市街東側にある1345-1355年にかけて築かれた城壁の門である。
    現在、この門のあるヴィル通りには、お洒落な店やレストランが立ち並び、人通りも多い。門の前で客引きの小父さんも帽子・中世風のマントを着ている。
    家内と一緒に撮ってよいかと、聞いてみるとにこやかにOKしてくれた。

    ≪最後の町での買い物≫
    自由行動の時は落ち着いて、買物ができる。旧市街のメイン通りViruヴィル通りを見て歩く。
    Viru通りに面した Viru-Horveit で家内のリネンの上着Euro37.2=5,225円。一割値引きしたが、とても安い買い物に思えた。・・・良い品は長持ちするから、いまだ現役で先日の傘寿の祝にも家内は着ていった・・・(~14:15)
    ぶらぶら歩いてくると、ラエコヤ広場の旧市庁舎傍に出る。OLDE HANSA傍の店 Mykola Pervakでは絵蝋燭を20個、お土産に購入する。20X45=900Kr値引き50Kr差引850Kr=7615円・・・Tartuの市庁舎傍の店で買い損ねた絵蝋燭をここで見つけた。
    Tartuでは1個50Krでしたので、結果オーライと言えるかな!ロシア的美人のお嬢さんたちが嬉しそうに一つ一つを包装してくれた。 (~15:00)

    レストランPeppersackという英語のPepper胡椒とドイツ語のSack袋を一つにした・・胡椒袋という名前でしょうか。ヴィル通り2番地にある。
    14世紀に倉庫であったという建物がレストランになっている。Olde Hansaと同じように中世のコスチュームを着た人たちが給仕をするという事で有名なようだ。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    3.0

  • エストニア・タリン:ロシアのピョートル大帝が建てたカドリオルク宮殿と公園は秋より春の時期の方が美しいかもしれない。

    投稿日 2024年06月02日

    カドリオルク公園 タリン

    総合評価:3.5

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月24日(土)エストニアの首都タリンは曇り、 ~8℃。>

    午前中の最初の目的地はタリン近郊4kmにある黄葉のカドリオルク公園である。
    徒歩で白鳥の池を見ながら、カドリオルク宮殿の方に歩く。
    途中、エストニア独立の英雄の一人であるJaan Poskaヤーン・ポスカの座像(タリンの各所にその名を残し、カドリオルグ地区にポスカが住んでいた家があり、その通りが「ヤーン・ポスカ通り」となっている。この通りに彼の銅像が建っており、また路面電車の「ヤーン・ポスカ電停」が存在するというから、彼の銅像なのだろう)がたっていた。。

    【カドリオルク宮殿と公園(1723年)】
    A. Weizenbergi 26, 10127 Tallinn Estonia
    (9:15~9:50)

    現在、カドリオルク宮殿は美術館になっているのだが、この日は入館しなかった。

    大北方戦争(1700~21年、ロシアを主にした北方同盟・・デンマーク、ノルウェー、ドイツ諸侯が参戦・・と当時大国であったスウェーデン・・英国、オスマン帝国など連合・・の戦いで、ロシア側が勝利した)後、バルト地域を手に入れた、ロシアのピョートル大帝(1672年~1725年)が妻エカテリーナⅠ世(リヴォニアの農民の娘で、後に大帝の跡を継ぎロシア史上最初の女帝となった)の為に作った離宮である。小さな離宮はロシア支配下の地に建てられたわけだが、離宮は当時の文化先進国フランスのヴェルサイユ宮殿を模したと云われていて、フランスの影響はバルト地域(後のバルト三国)にも及んでいた。
    この事もあってちょっと立ち寄ってみたのだが、宮殿の屋根の緑、ピンク色の壁の配色も美しく、離宮前の花壇があった。花が咲く季節はまた一段と見栄えがあるでしょう。

    (どこそこのヴェルサイユ宮殿という呼び方は欧州には多い。それはドイツでもあり、「北方の小さなヴェルサイユ宮殿」というメクレンブルク地方にあるルートヴィヒスルスト宮殿を訪れた事がある)


    この後、これも直ぐ近くの【歌の原(Lauluvaljak)】・・・エストニア・タリン:バルト三国の歌と踊りの祭典は世界無形遺産だが、エストニアがもっとも古く、“歌う革命”として知られる場所・・・に向かう。

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    景観:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0

  • エストニア・タリン:長い足通りがあれば、短い足通りもある。気に入ったのはシナモン・砂糖つきの焼きクルミ。

    投稿日 2024年05月29日

    ピック ヤルク通り タリン

    総合評価:4.0

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月24日(土)エストニアの首都タリンは曇り、 ~8℃。>

    アレクサンドル・ネフスキー聖堂前に珍しく、数人の年取った女の物乞いが居た。
    それを眺めながら進むと、当地では有名な演劇の先生Voldermar Panso(1920~77)の面白い、彫像が家の壁に飾られていた。
    検索してみると、同国の芸術(演劇。劇作家の)学校の創立者だそうだ。
    この建物は音楽・演劇芸術アカデミーらしい。先生の顕彰を兼ねたもののようだ。
            
    トームペア展望台に向かう道で、珍しいシナモン・砂糖つきの焼きクルミ、100Kr=900円を、中世風のコスチュームを着た販売のお嬢さんが愛想も良かったし、試食もできたのでツイツイ買ってしまう。

    トームペア地区は支配者たちの居住区で、市民の住む下町とは長い足通りと呼ばれる路でつながり、その通りには長靴の形をした樋が飾りとして軒先にあった。
    長い足通り:ピック・ヤルグ通り (Pikk jalg)はその名の通り、トームペアから続く、長い石畳の坂道で、かつてはギルド会館が並び、裕福なハンザ商人の住む界隈だったと云う。

    そして、長い足Pikk jalgがあれば、短い足通り(ルヒケ・ヤルグ通りLuehike jalg)もある。両方ともトームペアの丘から旧市街に降りていく坂道にある。
    短い足通りと長い足通りの境に、城壁の門があり、門を抜けると、短い足通りの両脇には芸術家たちの作品を展示販売している店がある。

    下町に下がった中心に中央広場があり、旧市庁舎が大きな姿をみせる。

    ・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • バルト三国の歌と踊りの祭典は世界無形遺産だが、エストニアがもっとも古く、“歌う革命”として知られる。

    投稿日 2024年05月26日

    歌の原 (歌の広場) タリン

    総合評価:4.0

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月24日(土)エストニアの首都タリンは曇り、 ~8℃。>

    【歌の原(Lauluvaljak)】
    (9:50~10:05)

    歌と踊りの祭典の行われる場所を歌の原と呼んでいる。なだらかなスロープをした会場は大変広い。スロープ底部にお椀を伏せたような形をした祭典の舞台がある。

    Maestro Ausammas Puestitatiの大きな銅像があり、被写体がない場所だけに誰もが銅像と一緒に写真を撮る。  

    バルト三国の歌と踊りの祭典:
    2003年11月、世界無形遺産にリトアニア、ラトヴィア、エストニア三国が同時に登録。

    リトアニア;100年の歴史をもつこの世界リトアニア歌の祭典はヴィリニュスの旧市街で4年に一回開催される。この歌の祭典は2007年7月3日~8日に5000人の合唱団が行った。

    ラトヴィア;1873年6月に1003名の合唱団と30名の演奏家によって始まったラトヴィアの合唱祭は通常5年に一回開催される。現在では2万人を超える人々が歌い1万人以上の人々が民族舞踊を披露します。次回は2013年。

    *エストニア;バルト三国の中でも古い歴史を持つ。
    合唱祭はタリン市郊外の野外ステージ“歌の原”で、民族舞踊は広い競技場で5年ごとに催される。
    ソ連支配下にあった1989年の「歌の祭典」では、1941年のソ連支配以来、初めてエストニア語で歌い、民族独立へ大きな一歩を踏み出した。
    これが“歌う革命”と呼ばれ、その後、ラトヴィア、リトアニアと広がり、 1991年の三国の再独立に繋がっていった。
    25回目となる祭典は2009年7月4日に開催された。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • エストニア・タリン:高々とした聖オレフ教会には巨人が建てたという伝説が残る。

    投稿日 2024年05月22日

    聖オラフ教会 タリン

    総合評価:4.0

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月24日(土)エストニアの首都タリンは曇り、 ~8℃。>

    旧市街を歩く。
    石畳が続く、カタリーナの小道、カタリーナ通り(Katariuena kaeik)を行く。
    カタリーナ通りは中世の雰囲気を保って、1995年に再建された。15世紀~17世紀頃に建てられた建物が続き、ガラスや皮細工、陶器など、伝統工芸職人の工房が集まっている。
    時間が有れば、覗いてみたい地域だ。

    更にPikk通りにでて、太っちょマルガレータの方向に歩く。
    ここにもユーゲントシュティールの建物が二、三見受けられた。

    【Oleviste kirik聖オレフ教会(又はSt Olaf's church聖オラフ教会 )】

    トームペア展望台から、旧市街全体を見渡すことができる。
    緑の尖塔を持つ教会は一際目立つ存在だ。
    かつてヨーロッパで最高の高さを誇った124mの高い塔に登ると旧市街が360度一望できるそうだ。
    1267年にノルウェー王Olav Havaldsson に因んで建てられた教会である。

    ここにはこんな話が残っている。
    『13世紀のある時、見知らぬ巨人がやって来て、航海中の船から、よりよく見えるようにと高い塔を建て始めた。塔を造り上げる前に、自分の名前が分かったら、建築費はタダで良いと言ったそうだ。塔が出来上がる直前に巨人は「おーい、オレフ~!」と名前を呼ばれ、そのまま下に落ちて石になったと云う。
    石になったオレフの亡骸が教会の裏のPikk通り側に祭られている』
    ・・見ていないが!

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0

jijidarumaさん

jijidarumaさん 写真

33国・地域渡航

12都道府県訪問

写真 | QA掲示板 | 行ってきます | 掲示板 クリップ

jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎ82歳になりましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2026.02.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2026年を迎えている。

(2026.02.11.)

行ってみたい場所

ドイツ

現在33の国と地域に訪問しています

拡大ボタンを押すと地図が
動かせます。

現在12都道府県に訪問しています