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  • かつうらビッグひな祭り会場:オッと、声が出るほどの見事な遠見岬神社の雛段1800体の迫力はすごい。

    投稿日 2023年04月07日

    遠見岬神社 勝浦

    総合評価:5.0

    【かつうらビッグひな祭り会場:オッと、声が出るほどの見事な遠見岬(とみさき)神社の雛段1800体の迫力はすごい】

    3月3日は「桃の節句のひな祭り」である。
    ひな祭りという、春めいてきた日々の最初を飾る祭りは各地でお雛様を飾っている。

    【かつうらビッグひな祭り】は近頃、TVでよく見られ、SNSでもその美しい写真が投稿されるから、よく目にする。写真にあるようにひな祭りは「2月24日から3月3日まで」、都合8日間の開催となっている。

    かつうらビッグひな祭り会場は大きなものが3つある。
    第一に遠見岬(とみさき)神社(ここが3つの中で一番多くて、1800体を数える)、
    第二に覚翁寺(かくおうじ)で600体だが、寺域ということで纏まりがある景観だった。
    もう一つは墨名(とな)交差点の会場で1000体を飾り、勝浦駅から徒歩で来ると最初に目につく場所の為、大いに目立つ。

    覚翁寺(かくおうじ)から遠見岬神社に向かう市街地には古めかしい建物も見える。

    次は遠見岬(とみさき)神社に。
    この光景が見たかった。
    昨日2日は天候が雨、強風予想で、パネルでの展示になっていた。
    それをHPで確認し、一日ずらしたのだ。
    今日は申し分のない上天気で、気分良い見物が出来たのだ。

    地元の方たちの御尽力で、こうして60段の石段に美しく、見事に飾られた1800体のお雛様の姿になった


    【遠見岬(とみさき)神社】
    千葉県勝浦市浜勝浦1 、0470-73-0034

    遠見岬神社(とみさきじんじゃ)は、勝浦市浜勝浦(上総国夷隅郡)にある神社。旧社格は郷社。天富命(あめのとみのみこと)を祀っている。
    天富命(あめのとみのみこと)は、日本神話に登場する神または人物。神武東征において橿原宮を造営し、阿波国に続いて房総の開拓をした。

    期間中は階段から石段の上にある神社に御参りはできない(ようだ)。
    大勢の観光客が立ち並んでいた。多くは朱印状目当ての方のようだった。
    ひな祭りの際の人出の多さを見てみると、普段はどんなものか気になるところだ。

    概要:
    神武天皇の側近として活躍した天富命(あめのとみのみこと)は、阿波の開拓を終えた後、東国により良い土地を求め阿波忌部(いんべ)氏らを率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸した。そして祖神である天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀る社を建て、安房の開拓を進めたがその後当地で没したという。
    天日鷲神(あめのひわしのかみ)の後裔の勝占の忌部須須立命(かつらいんべすすたつのみこと)は、八幡岬突端富貴島の天富命の居跡に社殿を建立、開拓の祖神として祀ったのが当社の起こりとされている。

    慶長6年(1601年)の大津波で岬突端の富貴島にあった社殿は決壊し社宝の多くが流失した。
    このとき決壊した社殿と御神体が高磯の浜に流れ着き、流れ着いた「宮の谷」に社殿を再造営、里見氏・安房正木氏および近郷領主の信仰が篤かったという。
    その後、万治2年(1659年)に、領主の植村土佐守が神占によって現在地の「宮山」に遷祀したといわれ、現在の社殿は嘉永2年(1849年)の改築である。
    江戸時代までは富大明神と称したが、明治6年(1873年)遠見岬神社と改称し郷社に列した。
    元々の社殿のあった富貴島は、津波や元禄16年(1703年)の大地震で海没し、現在は一部が平島として残されているのみである。なお、勝占の忌部が住んだこの地は勝占と呼ばれるようになり、「勝浦」の地名の由来といわれている。(Wiki)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2023年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    2.5
    見ごたえ:
    5.0

  • かつうらビッグひな祭り会場:最初に訪れた覚翁寺は600体だが、寺域ということで纏まりがある景観だった。

    投稿日 2023年04月05日

    覚翁寺 勝浦

    総合評価:5.0

    【かつうらビッグひな祭り:遠見岬(とみさき)神社、覚翁寺(かくおうじ)、墨名(とな)交差点の会場を巡った】

    3月3日は「桃の節句のひな祭り」である。
    ひな祭りという、春めいてきた日々の最初を飾る祭りは各地でお雛様を飾っている。

    【かつうらビッグひな祭り】は近頃、TVでよく見られ、SNSでもその美しい写真が投稿されるから、よく目にする。写真にあるようにひな祭りは「2月24日から3月3日まで」、都合8日間の開催となっている。

    私はぐずぐずと、終わりに近い3月2日に予定していた。
    が、その日はHPで確認すると天候が雨、強風予想で、「パネルでの展示」になっていた。それで3日、一日ずらしたわけだ。

    今日は申し分のない上天気で、気分良い見物が出来たのだ。
    かつうらビッグひな祭り会場は大きなものが3つある。
    第一に遠見岬(とみさき)神社(ここが3つの中で一番多くて、1800体を数える)、
    第二に覚翁寺(かくおうじ)で600体だが、寺域ということで纏まりがある景観だった。
    もう一つは墨名(とな)交差点の会場で1000体を飾り、勝浦駅から徒歩で来ると最初に目につく場所の為、大いに目立つ。

    最初に訪れたのは、人だかりがしていた覚翁寺(かくおうじ)の延命地蔵尊と吊るし雛です。御賽銭をあげて、家内安全、健康長寿を祈ります。

    【覚翁寺(かくおうじ)】
    千葉県勝浦市出水1297  、0470-73-3115

    千葉県勝浦市にある浄土宗の寺院である覚翁寺(かくおうじ)は慶長年間(1596年~1615年)、植村泰忠の開基である。
    本堂には波の伊八(武志伊八郎信由)の欄間彫刻が残されている。

    歴史:
    植村氏は三河・松平時代からの徳川家の旗本である。
    初代の植村泰忠は、三方ヶ原の戦いに鳳来寺山の僧兵を率いて徳川家康に加勢して功があった。家康の関東入りに従い、後に出家し還俗後より上総国夷隅郡勝浦3000石を賜り、関ヶ原の戦い後に2000石を加増された。中世の勝浦城を廃城にし、勝浦の町の整備に尽力したと云う。その際に植村家の菩提寺として寺を創建した。
    泰忠は勝浦朝市を開いたことでも知られている。
    その子・植村泰勝は、関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城攻略、大坂夏の陣にも従軍している。3代の植村忠朝は、1682年(天和2年)、1万1000石の大名、上総勝浦藩主となった。3代泰朝の代に現在地に移転させ、父泰勝の幼名「覚翁丸」にちなみ、「浄林寺」から「覚翁寺」に改称した。

    その後も、植村家の大名昇格もあり寺運興隆したが、1751年(寛延4年)、分家の不祥事を隠蔽した罪により改易され、菩提寺だった当寺も次第に衰微していった。
    1907年(明治40年)に着任した戒誉大忍によって、少しずつ再興していった。

    文化財:
    境内には勝浦市指定有形文化財である植村家歴代の宝篋印塔(ほうきょういんとう:宝筐印塔とも書くが、供養塔である)が建立されている。

    その他:
    創建の時から湧水が多く、寺を「出水山」と号して、一帯の地名の発祥地になったと云う。駐車場の出水市営駐車場の名も此処から来ている。
    湧水は400年有余年の現在も絶えることなく飲料水として使われ、茶の湯に最適という水ということもあって、別名「茶水寺」とも呼ばれている。

    旅行時期
    2023年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 香港:高級北京料理の老舗レストラン 九龍「北京楼」はお気に入りだった。

    投稿日 2023年03月29日

    北京樓 (尖沙咀店) 香港

    総合評価:4.5

    香港駐在中に接待、会食によく訪れた。
    1992.09.01.この夜、九龍の北京楼で、来香港の家内と若手と一緒に
    名物北京ダックを食べた。

    【お気に入り香港・高級北京料理の老舗レストラン 九龍「北京楼」】
    香港九龍尖沙咀星光行3樓
    3/F,Star House, 3 Salisbury Road, Tsim Sha Tsui
    尖沙咀 スターハウス店(九龍半島側))

    香港最大のレストラングループ”マキシムグループ”が経営する高級北京料理店は香港にいながらにして本格的な北京料理が楽しめる名店。
    九龍の北京楼は改装工事を終え、2006年5月1日よりリニューアルオープンした。本場北京よりも美味しいと噂される自慢のメニューは北京ダック料理でした。

    <北京料理>
    北京料理は歴代中国王朝が現在の北京に首都を定めて以後の北京貴族の宮廷料理や、北京市民の家庭料理や屋台で提供される郷土料理を指す。
    中国での一般的な呼称は「京菜 ジンツァイ」。
    北京料理は宮廷料理でもあったので珍しい料理も多い。北京ダック、羊肉のしゃぶしゃぶ、熊の掌(てのひら)、らくだのこぶ、子豚の丸焼き、水餃子などが有名で肉料理が多く味付けも濃い。

    北京ダックの香ばしい香りが漂い、ピカピカテカテカの1羽まるごとの北京ダックはおしりから切り始めるのが決まりだとか。

    以下は北京ダックの食べ方のおさらいを、写真を借りてやってみた。

    北京楼では1羽まるごとテーブルまで運ばれ、そばで丁寧に肉を
    処理する。
    用意完了した北京ダック料理
    テーブル中央に北京ダックが纏めておかれたものから、一切れ取り、
    この皮で包む。
    皮の半分より上部に載せ、甘いタレを付けます。
    さらにセロリとねぎを載せ、その上にもう一切れ北京ダックを載せる。


    お好みでタレをつけたら、皮を半分たたみ、あとは左右をくるむように
    たたんだら、こんな形にできあがり。手で持って食べてもOK。

    やはり名物は美味い。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            (2023.02.26.Wiki・HP参考、編集・追記)

    旅行時期
    1992年09月
    利用形態
    ディナー

  • 新設された長いエスカレーターに乗り、それからタクシーでヴィクトリア・ピーク(太平山)まで登った。

    投稿日 2023年03月25日

    ビクトリアピーク 香港

    総合評価:4.0

    【Victoria Peakヴィクトリア・ピーク(太平山)】

    <第6回香港訪問> 
    1993年10月28日(木)~11月3日(水)、第6回香港訪問ということで家内が来香港した。

    10月31日(日)、
    新しく出来たという*長いエスカレーターの話を聞いて、上環の文武廟、家具工房や骨董市、がらくた市などを見て歩いた後、エスカレーターに乗った。
    その最終地点の干徳道(Conduit Road)まで上がってから、ついでにタクシーを拾って「香港島」の最高峰である Victoria Peakヴィクトリア・ピーク(太平山、海抜554m)まで行った。

    初めてのことだったが、上ってみれば、ちょっとしたVictoria Peak Gardenヴィクトリア・ピーク・ガーデン(=山頂公園)があったぐらいだった。
    一般人の立ち入ることのできる場所としてはこの公園がもっとも山頂に近いそうだが・・・。
    帰りは中環(セントラル)に向かって、山道(記憶は定かでないが、旧山頂道=舊山頂道、Old Peak Road)を降りた。殆ど人の姿を見ない道で、結構運動になった。

    *香港島のビジネス街中環(セントラル)と、山の中腹に高級マンションが建ち並ぶ「半山区」(ミッドレベルズ)と呼ばれる地区は800mのエスカレーター(中環至半山自動扶梯:皇后大道Queen's Roadから、骨董街と英国植民地時代の建築物が立ち並ぶ荷李活道(ハリウッドロード)を横切り、SOHOソーホーを抜けて高台の高級住宅地に至るもので、最終地点の干徳道Conduit Road)まで結ばれている。
    高低差135m、全長800mを合計23基のエスカレーターで約23分かけて乗り継ぐこの長さは、世界一の長さと云われていた。
    ミッドレベルの住民の通勤・通学の便宜を図ってつくられたもので、午前6時から10時までは駅への下り方向へ一方通行で運転され、10時以降は上り運転へと切り替わるという仕組みを取っている。

    ・・・・・

    さて、イギリス人は中国人が*太平山と呼んでいた山の頂上に、ヴィクトリア女王の名にちなんでヴィクトリア・ピークと名付けた。
    *かつては山頂だけでなく山麓も太平山と呼ばれていた。後に山麓部分は分割され中環および上環となり、香港の中心市街地へと発展した。中環・上環より高い中腹は半山区と呼ばれる高級住宅地となった。
    それより高い部分は山頂(ヴィクトリア・ピーク、ザ・ピーク)と呼ばれ、最初は富裕な西洋人と外国政府関係者だけの別荘地に、後には観光地となり現在に至っている。

    香港島にあるヴィクトリア・ピーク(太平山)の山頂は美しい香港の眺め、所謂「百万ドルの夜景」楽しめるとして昔から有名だが、その場所はピークトラムの山頂駅とその一帯のことを指して言っているとか・・・。
    山頂駅は海抜400mにある爐峰峡(Victoria Gapヴィクトリア・ギャップ)という場所にあり、ややこしいことに実際の山頂・ヴィクトリア・ピーク(太平山)より150m下にある。

    つまり、口コミの地図で指し示す場所は正しい太平山の頂上・ヴィクトリア・ピーク(広東語で「山頂」、あるいは「太平山頂」)であるが、
    口コミの大部分が、Victoria Gapヴィクトリア・ギャップという場所の写真や記事を投稿し、地図が指し示すヴィクトリア・ピーク(太平山)の口コミは殆どないという妙な形になっている。

    The Peak Towerザ・ピーク・タワーやVictoria Gapヴィクトリア・ギャップ、獅子亭展望台という場所もあるだけに、ヴィクトリア・ピーク(太平山)と区別した方が良さそうだ。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    (2023.03.25.Wiki・HP参考、編集・追記)

    旅行時期
    1993年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    2.5
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5

  • レパルスベイ(浅水湾)の海岸を散歩し、天后廟(海の守護神)のある突端まで歩いてみた。

    投稿日 2023年03月19日

    天后廟 (淺水湾) 香港

    総合評価:4.0

    私共は12年ぶりに香港5日間の旅(‘07.11/28~12/2)で懐かしい香港を訪れた。近畿日本ツーリストのHolidayツアーを利用し、マイセレクション香港5日間:キャセイー航空の往・午前、復・午後便、ホテルは昔住んだ場所近くの北角海逸酒店(ホテル)ハーバー プラザ ノース ポイントHarbour Plaza Norh Pointを利用したもので、現地は勿論、終日自由行動の旅です。

    2007年11/29(木):
    映画“慕情”で有名なレパルスベイの“The Verandah Restaurantザ・ヴェランダ・レストラン”でのランチを終えて、レストランの目の前にあるレパルスベイ(浅水湾)の海岸を散歩し、天后廟(海の守護神)のある突端まで歩いてみる。

    以前よりは長い桟橋が突き出ており、そこから見る湾の半月形の砂浜は美しく、風水から作られた高層ビルの風穴はとっぴなほどの風景に見えた。

    海水浴場の東端には1970年代中期に鎮海楼公園が建設され、中国の古典的色彩の強い大きな*天后娘娘(媽祖)と観音像が建立された。

    *媽祖は、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神。尊号としては、則天武后と同じ天后が付せられ、もっとも地位の高い神ともされる。その他には天妃、天上聖母、娘媽がある。台湾・福建省・潮州で特に強い信仰を集め、親しみをこめて媽祖婆・阿媽などと呼ぶ場合もある(Wiki)。

    レパルスベイ(292mの長さを誇る浅水湾泳灘レパルスベイビーチ/Repulse Bay Beachのことだが)は、絹のように柔らかい白砂で知られている。
    海水は澄んでいて、穏やかで、海水浴場に適している。実際、レパルスベイの美しいビーチは19世紀以来、香港島の主要な海水浴場となっていた。
    レパルスベイ(淺水灣)は香港の南区(香港島南部)にある海湾の一つで、ハリウッド映画「慕情」の舞台となった。海水浴場として有名であり、多くの観光客が訪れる。深水湾の東南、南湾の北に位置し、海水浴場の他に多くの高級住宅が建てられている。

    1918年、香港大酒店有限公司(英語名はHongkong and Shanghai Hotels・・・香港で一番と称されるホテル ペニンシュラの親会社)はレパルスベイに別荘式のホテルを開業し、その後、海浜リゾートとして発展した。

    ・・・・・

    旅行時期
    2007年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.5

  • 香港独特の臭いは、新しい香港国際空港になっても変わらなかったのはすごい。

    投稿日 2023年03月20日

    香港国際空港 (チェク ラップ コック空港) (HKG) 香港

    総合評価:4.0

    私共は12年ぶりに香港5日間の旅(‘07.11/28~12/2)で懐かしい香港を訪れた。
    近畿日本ツーリストのHolidayツアーを利用し、マイセレクション香港5日間:キャセイー航空の往・午前、復・午後便、ホテルは昔住んだ場所近くの北角海逸酒店(ホテル)ハーバー プラザ ノース ポイントHarbour Plaza Norh Pointを利用したもので、現地は勿論、終日自由行動の旅です。

    12年前に勤務した香港は2月くらいから南国特有の雨期が始まり、湿気がひどくなります。経験的にいって、乾季の時期が最高です。
    この時期は天気は快晴、湿気も無い、さらっとした気候の毎日が続きます。
    ついでに言えば、英国統治下で繁栄した香港ですから、クリスマス時期に入ると、やはりきれいな飾り付けがそこかしこに見られ、良いものです。



    フライト:
    2007/11/28(水)成田LV 9:15香港AR 13:30
    キャセイ・パシフィック航空(成田第二空港)・CX-509

    2007/12/02(土)香港LV 16:25成田AR 21:25
    キャセイ・パシフィック航空(香港国際空港)・CX-508


    かつて使用していた啓徳空港(旧香港国際空港、カイタックKai Tak Airport)に代わり、香港国際空港(香港國際機場、Hong Kong International Airport)は香港の空の玄関として1998年に開業した。
    1995年に帰国して以来、香港を訪れることなく過ぎた12年の間に香港国際空港ができたわけだ。香港新界離島区にある国際空港は、現地ではチェクラップコク国際空港(赤鱲角國際機場、Chek Lap Kok International Airport)とも呼ばれるらしい。

    3000m級の滑走路が一本あっただけという啓徳空港に比較すれば、新しい香港国際空港の規模は大きなもので、香港島や九龍半島に遠くなったとはいえ、中国の統治下に入ったという、象徴的なものになったように思います。

    懐かしい啓徳空港は九龍半島の啓徳にあり、九龍湾に沿って滑走路が突き出ていたこともあって、街中のビルすれすれに飛行機が飛ぶのが普通であった(滑走路の北端に道路を挟んで6階建ての建物があり、滑走路の3方向はビクトリア湾に囲まれていた)から、この頃は建物には高度制限があった。

    閉港から15年後になる2013年6月、啓徳クルーズ・ターミナルとなり、香港の「空の玄関」から「海の玄関」として再出発することとなった。

    香港が英国から中国に返還されてから、もう10年が経ちました。
    一頃(1997年香港返還時に)、心配された治安も良いようで、昔はよく見かけた乞食の姿も少ないように思えました。

    ただ香港の啓徳空港に降り立った際にかいだ、あの香港独特の臭いは、新しい香港国際空港になっても変わらなかったのはすごい。

    香港では自分たちの買い物より孫たちのお土産に目がいき、街中のお店を回るのも楽しいもので、久しぶりによく歩いた旅でした。

    いろいろな思いを残した香港の町、12年ぶりに再訪した香港は楽しく、美味しく、興味深く、この町の良さをあらためて再認識させられ、また再訪したいものだ。


    ・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2007年11月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    施設の充実度:
    4.0

  • ザ・ヴェランダ・レストランでの食事が第一で、スタンレー赤柱はその前の「時間つぶし」に訪ねている。

    投稿日 2023年03月17日

    スタンレープラザ (赤柱廣場) 香港

    総合評価:3.5

    【12年ぶりの香港訪問記】 

    私共は12年ぶりに香港5日間の旅(2007.11/28~12/2)に行ってまいりました。

    2007年11/29(木):
    9時半ホテルのハーバー プラザ ノース ポイントを
    出発し、香港島の中心・金鐘駅までMTRに乗る。

    金鐘駅を出て、バス停にいたフィリピンのアマサン(香港の家庭で女中さんとして働いている出稼ぎの女性)にスタンレー行きのバスの番号No.6を教えてもらって、10時2分発の二階建てバスに乗り込む。
    二階席からの街中や海の眺めを楽しみながら、狭い山道を結構なスピードで走るドライバーの腕の良さに感心しながら、そのスリルを感じつつ、終点のスタンレーまで凡そ40分の道のりである。

    今日は香港島の裏側にあたる面白いStanleyスタンレー(1845年当時の英国の長官名)=赤柱や、美しいRepulse Bayレパルスベイ(しばしば海賊が侵入し、これを当時の英国海軍が撃退Repulseしたことから名がついたとか)=浅水湾などを訪れた。

    香港を訪れると、Repulse Bayレパルスベイのザ・ヴェランダ・レストランでの食事を楽しむのが第一で、それまでの「時間つぶし」にスタンレー赤柱を訪ねている。

    何回も来た、スタンレーマーケットは以前よりはこぎれいになって、品物も高級化したように見える。
    衣類を中心とした様々な香港製品・中国製品が軒を並べて、店員の客引きも激しい。
    特に目的がある分けでもなく、なんとなく何時も何かを購入して帰る。

    まず値段交渉だが、何時ものことながら面白い。
    それほど安くなるわけではないが、おばさんの言い値に腹を立てた振りして店を出ると私どもを呼び止めた上で、店主に電話して値引きの了解をとる。

    今回は私のジーパン2本(それも女物!でしたが、大きさがぴったりで、先日買ったユニクロ製品よりも安い。品も悪くはない。2023年の今も適度にほころびながも利用しているから良い買い物になった)、家内はブラウスなどを購入する。
    結局、4品で香港ドル380(6千円)でした。

    マーケットから離れて、海岸に行く。
    この辺りはあまり人も来ないから、きれいな海岸風景を見ることができる。


    (2023年3月17日)

    旅行時期
    2007年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    お買い得度:
    3.5
    サービス:
    3.0
    品揃え:
    3.0

  • ザ・ピーク・タワーに蝋人形館、レストラン、土産店等があり、昼夜の香港の絶景を楽しめる展望台がある。

    投稿日 2023年03月22日

    ピーク タワー (凌霄閣) 香港

    総合評価:4.5

    【12年ぶりの香港訪問記】 

    2007年11/29(木)、浅水湾=レパルスベイから、ミッドレベルズにあった、懐かしい旧共同社宅だったVilla Monte Rosaビラ・モンテ・ローザ(F棟・20/F)にちょっと立ち寄り、香港島の天辺The Peakザ・ピーク、正しくはThe Peak Towerザ・ピーク・タワーに登り、人気の高かった「マダム・タッソー蝋人形館」を見学する。

    香港島にあるヴィクトリアピーク(太平山)の山頂は美しい香港の眺め、所謂「百万ドルの夜景」楽しめるとして昔から有名だ。
    香港のマダム・タッソー蝋人形館は、船の様な形の建物「The Peak Towerザ・ピーク・タワー(1997年5月オープン」」の中にあり、ピークトラム(ケーブルカー)の駅舎・乗り場も建物内に設けられて、アクセスの良さは抜群!である。

    観光客が訪れる「ザ・ピーク・タワー」にマダム・タッソー蝋人形館、カフェやレストラン、土産店等の店舗があり、更に昼夜の景色を楽しめる展望台(有料:シニア料金は香港ドル20)が屋上にあり、ヴィクトリア湾、香港島、対岸の九龍半島の眺望を楽しむこともできた。

    1)The Peak Towerザ・ピーク・タワー近くのLugard Roadラガード・ロードからの眺め:

    The Peakザ・ピークといっても、今回は海抜554mの頂上までは行かずに、400mのトラム駅にあるThe Peak Towerザ・ピーク・タワーから右手周りのLugard Roadラガード・ロードを歩く。
    20分ほどの散歩道はヴィクトリア湾のすばらしいパノラマの眺めを見ることができるのだ。

    2)ザ・ピーク・タワーにある人気の高かった「マダム・タッソー蝋人形館」を見学:

    12年前はまだ工事中であった船のような独特の建物ザ・ピーク・タワーが出来ていて、新しい観光名所となっていた。

    館内にはロンドンと同じマダム・タッソー蝋人形館が人気を集めていた。ジャッキー・チェン、ブルース・リー、ダイアナ妃、クリントン・ブッシュ米両大統領、吉田茂元総理、千代の富士などの世界の有名人の良く出来た蝋人形が飾られている。

    入館時は特別にシニア料金(半額の香港ドル140)で入れた。
    入館するとすぐに、ジャッキー・チェンの蝋人形と写真を一緒に撮れた?!のは面白い趣向であった。
    その時の写真は館を出る時に香港ドル80の立派な写真になっていたが、これもご愛嬌だ。香港は巧みに人を楽しませ、飽きさせません。

    ・・・・・・・・・・・・・



    旅行時期
    2007年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.5

  • 香港島・北角のホテルはかつて住んだ太古や、香港の中心街中環や金鐘にも近く便利だ。

    投稿日 2023年03月19日

    ハーバー プラザ ノース ポイント 香港

    総合評価:4.0

    【Harbour Plaza North Pointハーバー プラザ ノース ポイント】
    Quarry Bay クオリーベイ=鰂魚涌駅(そくぎょちょうえき)
    MTR・Quarry Bay ST. Exit・ C 
      http://www.harbour-plaza.com/hpnp
    TEL:852-2187-8888 ;15時チェックイン・ RoomNo:1526
    665 Kings Road 、North Point 、Hong Kong 
    665英皇道 、北角 、香港

    私共は12年ぶりに香港5日間の旅(‘07.11/28~12/2)で懐かしい香港を訪れた。
    近畿日本ツーリストのHolidayツアーを利用し、マイセレクション香港5日間:キャセイー航空の往・午前、復・午後便、ホテルは昔住んだ場所近くのHarbour Plaza Norh Pointハーバー プラザ ノース ポイントを利用したもので、現地は勿論、終日自由行動の旅です。
    飛行機・宿泊代込みで二人分142千円でした。因みに食事、土産、交通費などを入れた総額は271千円となった。

    12年前に勤務した香港はこの時期が最高です。
    天気は快晴、香港特有の湿気も無い、さらっとした気候の毎日です。
    ついでに言えば、英国統治下で繁栄した香港ですから、クリスマス時期に入ると、やはりきれいな飾り付けがそこかしこに見られ、良いものです。

    Quarry Bay駅とホテルの途中にあるスーパーで、水などを買って帰る。
    部屋は十分広く、設備も良く整ったものだ。
    唯、シャワーホースが途中水漏れしていて洗いにくい、明日はホテルに修理を頼まねばならないようだ。翌日観光から帰えると、修理されていた。

    香港のホテルは通常12時まで利用OKであるが、部屋でゆっくりもできないので、喫茶室でケーキやお茶を楽しんで迎えのバスを待った。

    ・・・・・・・・・

    旅行時期
    2007年11月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    100,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.0

  • 「マダム・タッソー蝋人形館」では香港を代表するブルース・リーとジャッキー・チェンの蝋人形が無いと、しまらない。

    投稿日 2023年03月16日

    マダム タッソー (香港杜莎夫人蠟像館) 香港

    総合評価:4.0

    【12年ぶりの香港訪問記】 

    2007年11/29(木)、香港島の天辺The Peakザ・ピークに登り、人気の高かった「マダム・タッソー蝋人形館」を見学する。

    <ザ・ピーク タワーにある香港マダム・タッソー蝋人形館について>
    所在地:28 Peak Road, The Peak ,The Peak Tower Shop P101,P1階
    ウェブサイト:www.madametussauds.com/hong-kong
    営業時間:10:00~22:00

    香港島にあるヴィクトリアピーク(太平山)の山頂は美しい香港の眺め、所謂「百万ドルの夜景」楽しめるとして昔から有名だ。
    香港のマダム・タッソー蝋人形館は、船の様な形の建物「The Peak Towerザ・ピーク タワー(1997年5月オープン」」の中にあり、ピークトラム(ケーブルカー)の駅舎・乗り場も建物内に設けられて、アクセスの良さは抜群!である。
    観光客が訪れる「ザ・ピーク タワー」にはピークトラムやマダム・タッソーの他、カフェやレストラン、土産店等の店舗があり、更に昼夜の景色を楽しめる展望台(有料)が屋上にある。

    歴史と内容:
    Madame Tussaudsマダム タッソー蝋人形館は、1835 年にイギリスで初めて誕生した。ビートルズやチャールズ・チャップリンなどイギリス出身の有名人をはじめ、歴史上の人物、各国の政治家、俳優からスポーツ選手などを精巧に再現して展示している。

    今では世界中に数多くの分館(約20館)を設けている。香港分館はアジア初の分館で、2000 年にオープンした。
    最新の建築デザインとも思われる、船の様な形をした「The Peak Towerザ・ピーク タワー」内にある蝋人形館には、3つの階にわたり100 体を超える蝋人形が展示されている。
    入口にはジャッキー・チェンのフィギュアに迎えられた後、香港の映画スター、トップ ミュージシャン、有名スポーツ選手、バラク・オバマ大統領といった政治家たち、各国の国王、女王の姿を楽しく見ることができる。

    「マダム・タッソー蝋人形館」では香港を代表するブルース・リーとジャッキー・チェンの蝋人形が無いと、しまらない。


    (勿論、2007年当時と現在では、蝋人形の人物像も増えているが、世界における日本の地位の低下もあってか、日本人は殆どいないようだ。人物も栄枯盛衰、流行、有名度の増・減少とかで大きく変わっているのだろう)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

         (2023年2月20日Wiki・HP参考、編集・追記)

    旅行時期
    2007年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    施設の快適度:
    3.5

  • “慕情”「 恋はすばらしきもの」の曲が聞こえてきたような気になったザ・ヴェランダの夕べ

    投稿日 2023年03月15日

    ザ ベランダ 香港

    総合評価:5.0

    昨年、12年ぶりに香港5日間の旅(‘07.11/28~12/2)に行ったのですが、改めて香港の良さを再認識したものです。
    “香港が良い”と吹聴したものですから、私共に二人の同行者がついて、今年も同じ時期‘08.11/28~12/2 に再訪した。

    そして初日の28日に、Repulse Bay・レパルス・ベイ(しばしば海賊が侵入し、これを当時の英国海軍が撃退Repulseしたことから名がついたとか)=浅水湾にあったお気に入りのザ・ヴェランダ・レストランを訪れた。
    18時20分過ぎにタクシーは1階の車寄せに停まった。エスカレーターでコロニアル風・中華風の趣むきある屋内に入る。中庭のテラスやクリスマスの装いをしたお店を覗きながら、建物を一周して、表階段に至る。

    昨年はここでは昼食(フレンチ)を食べた。正面に向かって左手の窓辺の席に案内され、南支那海に面した大きな窓はかるく開いて、気持の良い風を招き入れている、このVerandahと称するレストランは別世界の趣むきがあって、屋内の天井も高く、天井にはプロペラ型の4枚羽根の扇風機がゆったりと回り、横に長い、回廊のような長方形をしている。レストラン全体がたいへん好ましい雰囲気がある。       
    香港を代表するペニンシュラホテルの経営だけに、納得する味とサービスを提供していた。

    この日の経験から今夜の夕食も大いに期待するわけだ。
    表階段を上がった所にある噴水でレストランをバックに写真を撮り、レストランへの石段を2階に上がり、レストランの古いドアーを押す。
    “慕情”のメロディー「Love is A Many-Splendid Thing 恋はすばらしきもの」がかすかに耳に聞こえてきたような気になります。  店内に入って、
    『19時の予約時間にはちょっと早いが・・・』と言うと、にこやかにスタッフが、『お待ちしていました。お時間までこちらでアペリティーフでも如何でしょうか?!・・』と、レストラン裏手の洒落たBamboo Barに案内された。
    定番のドライ・シェリー(Tio Pepe)などを飲みながら待つ。(18:40~)

    時間になって、レストランに招かれると、正面に向かって右手の窓辺の席に案内された。左手の部分はこれからパーティーがある由で、見事なテーブル・セッテイングがなされていた。予約時のメールでも、パーティーの為、ちょっとうるさいかもしれませんとのコメントが付いていたが・・。

    今夕のメニューは事前にメールで頂いていた料理のリストから、選んでいたので、ウエイター(ここは殆どが男性)との注文のやり取りも簡単である。
    そのメニューは“The Repulse Bay Classic Menu”と称しています。当レストランのご自慢のメニュー(4品)だと言う。

    ①前菜はご自慢のThe famous Repulse Bay Caesar saladシーザーサラダで、サラダの上にお好みの3種を選んでトッピングしてあるものです。3種とはグリルされた鶏の胸肉やエビ、自家製スモークサーモンでしたが、私共は前者の2種類にしました。
    笑顔を絶やさない、サービス満点のウエイターが目の前の別卓でシーザーサラダを作法通り、作りあげます。私は鶏の胸肉、家内はエビを選び、時々皿を変えて、二つの味を楽しんだ。スタートから量がありましたが、エコノミーの機内食!?の味に比べては失礼なのだが、今日は機内食しか食べていない。それに数段と優る、美味しさに食が進んだ。

    家内はその昔、ドイツの料理教室でこれを作ったそうで・・・。
    (Wikipediaによると、1924年7月4日、アメリカ国境に接するメキシコの町・ティフアナのレストラン「シーザーズ・プレイス」(Caesar's Place)のオーナーであったイタリア人の料理人シーザー(チェザーレ)・カルディーニ(Caesar Cardini)によって考案され、調理されたのが最初である。レタスを主体にしたサラダの一種である。主にロメインレタスなどの生野菜の上にニンニク、塩、コショウ、レモン汁、オリーブオイルで作られるホワイトドレッシングに、削りおろしたパルメザンチーズとクルトンをトッピングして仕上げる。また現在ではボリュームを出すためにグリルした鶏の胸肉、エビ、ステーキ、サケなどをトッピングすることも多い)

    ②スープはこれもまた、好物であるTraditional French onion soupフレンチ・オニオンスープです。上手に焼けたグリエルチーズが良い匂いをさせて、テーブルの上に出てきた。皆さん、嬉しそうな顔をして、味わっている。

    ③メインは肉料理;The Repulse Bay black pepper steak黒コショウと赤ワインソースで味付けしたステーキに季節の野菜添えです。これも先ほどのウエイターが調理台のフライパンで、ブランデーを注いで火をつけながら、黒コショウをかけて、ミディアムに焼く。白い皿に品よく盛られたアスパラなどの野菜、赤いワインソースの中に黒コショウの砕かれた粒々が見られる。程よい大きさのステーキの焼き加減も上々で、何と美味しい事だ。
    皆さんがしっかり食べたのに、この私が四分の一を残す羽目になった。寝不足気味の旅の初日にちょっぴり、お疲れのようだ。

    ④デザート:私はBaked Alaska flambe’ベークドアラスカフランベに苺とラズベリー添え、家内はChoice of hot souffle’ 温かいバナナ・ピスタッチオのスフレにコーヒー。それに小さなチョコレートが口直し?にでた。

    ⑤ワインは Montepulciano(440香港$=5510円)。イタリアのトスカーナのワイン。トスカーナの3大赤ワインとして数えられるのが、キャンティ・クラシコ Chianti Classico、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ Brunello di Montalcino、そしてこのヴィーノ・ノヴィレ・ディ・モンテプルチャーノだそうです。ガーネット色を帯びた赤、豊かなタンニン、フルボディの味わい。本日の料理には良く合うものでした。

    笑顔の良いウエイター氏が『今夜の貴方は女性陣を3人も引き連れ、皇帝みたいだ。』と、冗談を言いながら、全員の写真を撮ってくれました。

    さて、美味しい食事とレストランの素敵な雰囲気に、良い気分で夕食は終了になりました。19時から22時半まで3時間半の夕食代は4150香港$=51974円(4人分ですので、一人13000円)になりました。

    旅の初日に“The Verandah Restaurant”でフレンチと映画“慕情”の古き植民地時代そのままの風情を十二分に楽しむことができたのは嬉しい事です。

    (2023年3月15日Wiki・HP参考、編集・追記)

    旅行時期
    2008年11月
    利用した際の同行者
    友人
    一人当たり予算
    10,000円以上
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    5.0
    雰囲気:
    5.0
    料理・味:
    5.0

  • 加須の【道の駅 童謡のふる里おおとね】には童謡(運転手は君だ 車掌は僕だ)の作曲家下總皖一(しもおさかんいち)の銅像が立つ。

    投稿日 2023年03月10日

    道の駅 童謡のふる里おおとね 行田・羽生・加須

    総合評価:4.0

    ≪埼玉の加須市(かぞし)は読めないが、童謡(運転手は君だ 車掌は僕だ)の作曲家下總皖一(しもおさかんいち)の出身地だ。≫

    昨秋(2022/11/29) 、故郷青梅を訪ねた帰りに、何となく関東道の駅の一覧表から道の駅「童謡のふる里おおとね」を選び、訪ねてみた。

    東北自動車道加須(かぞ)ICから降りて、ナビに教えられたままに国道125号線、346号線、60号線で道の駅「童謡のふる里おおとね(加須市佐波258-1)」に至る。
    凡そICから車で15分の距離になる。
    初めて訪れた加須(かぞと読む)市は埼玉県の北東部に位置し、人口は110,950人と中規模の市である。

    時間も正午近くになっていたから、道の駅にあるレストラン「わらべ」に入った。
    童謡の童(わらべ)を採ったのだろうレストランは人気の店らしく、満席でした。
    10分ほど待って、席が空いて座れた。多くのお客が食べている天ぷらそばを
    注文した。コシのしっかりした美味い蕎麦でした。
    (尚、当地は加須うどんも郷土名物として有名らしい)

    レストラン「わらべ」の隣に農産物直売所も置かれている。
    その裏手はホテイアオイの水田(県内随一の自生地と云う)が広がる。

    短い時間の訪問だったが、かつて歌った童謡・・・「電車ごっこ」
    運転手は君だ 車掌は僕だ
    あとの四人が 電車のお客
    お乗りはお早く
    動きます ちんちん・・・の作者作曲家下總皖一(しもおさ かんいち)氏に出会えた。

    作曲家下總皖一氏が、この加須市で育ち、世に知られた作曲家であったことも知らなかったが、加須市は【道の駅 童謡のふる里おおとね】に作曲家の銅像を建て、立派な市立図書館(分館)に彼のコーナーまで設けていた。
    その市立図書館(分館)は【童謡のふる里おおとね図書館(ノイエ)】と称している。
    道の駅から少し離れた開琴亭公園内にあるが、此処の素晴らしさに驚いた。
    訪問する価値がある。

    大利根地域が童謡で町おこしをしていたこともあり、周囲に屋敷林のある公園内に古民家風の木を主体とした立派な建物が建てられている。
    一般図書室の大規模な木造架構と、伝統的な木造建物である児童図書室の木組みの対比が素晴らしい。
    これほどの立派な図書館は見たことがない。

    (2023.02.12.Wiki・Hp参考、編集・追記)

    旅行時期
    2022年11月
    トイレの快適度:
    3.0
    お土産の品数:
    3.0

  • 香港:ヴェランダ・レストランと映画“慕情”(恋はすばらしきもの)

    投稿日 2015年09月27日

    レパルスベイ (淺水湾) 香港

    総合評価:4.5

    私共は12年ぶりに香港5日間の旅(‘07.11/28?12/2)に行ってまいりました。
    香港が英国から中国に返還されてから、もう10年です。
    一頃(1997年香港返還時に)、心配された治安も良いようで、昔はよく見かけた乞食の姿も少ないように思えました。
    クリスマス時期に入る、この時期は香港の一番良い時期だと思う。

    香港島の中心・金鐘駅までMTRに乗る。
    今日は香港島の裏側にあたるStanleyスタンレー(1845年当時の英国の長官名)=赤柱やRepulse Bayレパルス・ベイ(しばしば海賊が侵入し、これを当時の英国海軍が撃退Repulseしたことから名がついたとか)=浅水湾や香港島の天辺The Peakに登る予定である。
    金鐘駅を出て、バス停にいたフィリピンのアマサン(香港の家庭で女中さんとして働いている出稼ぎの女性)にスタンレー行きのバスの番号No.6を教えてもらって、10時2分発の二階建てバスに乗り込む。二階席からの街中や海の眺めを楽しみながら、狭い山道を結構なスピードで走るドライバーの腕の良さに感心しながら、そのスリルを感じつつ、終点のスタンレーまで凡そ40分の道のりである。

    レパルス・ベイまでバスで戻る。
    香港を訪れるとやはり、ここに来たい。香港の雑踏、喧躁から離れた浅水湾・・・その白い砂浜の海岸に向かって建てられ、ヴィラ風の瀟酒な姿を誇っていた旧レパルス・ベイ・ホテル・・・今は、正面部分のみが昔日と同様のイメージで甦ったヴェランダ・レストランである。

    映画“慕情”(原題は「Love is a many splendored thing 恋はすばらしきもの」・1955年の米映画で映画も主題歌も大ヒットした。)で有名なレパルス・ベイの“The Verandah Restaurantヴェランダ・レストラン”も健在でした。
    ここでは昼食を予定していたので、噴水の傍を通り、石段を上がり、古いドアーを押す。『予約をしていないが昼食をしたい』と言うと、正面に向かって左手の窓辺の席に案内された。

    南支那海に面した大きな窓はかるく開いて、気持の良い風を招き入れている。ヴェランダと称するこのレストランはコロニアル風の趣むきあるレストランで、天井も高く、横長の回廊のような形だ。たいへん好ましい雰囲気がある。

    まず青島ビールで喉を潤して、昼食のセットメニューを見る。
    好物のビーフ・ストロガノフがメインにある。私は前菜をダックの胸肉にサラダ添えに決め、家内は前菜の代わりに葱とジャガイモのスープを。
    メインは二人ともビーフ・ストロガノフをお願いする。
    デザートは二人ともチョコレートケーキにバニラ・アイスクリーム添え。
    コーヒーで締めて、ゆったりとした、楽しい昼食は終了です。

    香港を代表するペニンシュラホテルの経営だけに、納得する味とサービスを提供する。(12?14時:806.4香港ドル・11,585円)

    昼食後は中庭のテラスやお店を散策する。古き植民地時代そのままの風情を楽しみました。

    XXX

    慕情「Love is a many splendored thing 恋はすばらしきもの」

    https://youtu.be/VP6sbDPB8cw?t=16

    旅行時期
    2007年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    アクティビティ:
    4.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    水の透明度:
    4.0

  • 成田にある麻賀多神社(まかたじんじゃ)は台方の大宮と船形にある澳津宮(おきつみや)がある。

    投稿日 2023年02月09日

    麻賀多神社 成田

    総合評価:4.0

    2023年の初詣は混雑も無く、気軽にという基準で調べた結果、成田にある麻賀多神社(まかたじんじゃ:台方の大宮殿(おおみやでん)と船形にある澳津宮(おきつみや)=奥宮(おくのみや)の2社を孫娘と共に初詣に訪れた。

    最初に申しあげると、タイトルにあるように「成田にある麻賀多神社(まかたじんじゃ:台方の大宮殿と船形にある澳津宮)の2社」を訪れた。
    最初に総本社の台方、次に澳津宮である船形の麻賀多神社を初詣した。

    4Traで口コミのスポットを探すと、妙なことに船形の場所が台方としての概要説明などが登録されていた。
    口コミを投稿した方が、間違って登録したようで、その後も誰も訂正をしておらず、十数名が台方訪問の口コミを船形の場所に投稿していた。
    それで、最初の方に訂正を依頼したが、反応も無く、事務局に2社の訂正依頼した。漸く、台方の方が訂正されたが、船形はそのままである。

    止む無く、台方と船形の2神社の口コミを書いた。

    ・・・・・

    2023年1月2日

    【台方・麻賀多神社(だいかた・まかたじんじゃ)】
    千葉県成田市台方1番地
    Tel:0476-28-5736
    https://makata-jinja.com/

    麻賀多神社は、千葉県成田市台方にある神社である。式内社で、旧社格は郷社、「麻賀多十八社」の総本社、ご本家になる。

    全国的に見ても、他所に見られない珍しい名前の神社は、印旛沼の東側から南にかけてにのみ存在する神社である。
    印旛郡市である成田市に台方、船形の2社、佐倉市に11社と多く、富里市に2社、八代市に1社、酒々井町には2社あり、総計18社である。

    この珍しい麻賀多神社については、ほとんど知らなかったのだが、正月早々に実に興味深いお詣りが出来た。印旛国造(いんばのくにのみやつこ)・伊都許利命(いつこりのみこと)と言う名前もこの初詣ですごく身近になったのだ。

    <台方・船形の麻賀多神社の歴史>

    社伝によれば、景行天皇42年(西暦112年)6月晦日、東征中の日本建尊(やまとたけるのみこと)が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け「この鏡を印旛国魂澳津鏡(インバノクニタマオキツカガミ)と崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であると云う。

    応神天皇20年(西暦289年)、神八井耳命(かんやいみみのみこと)の8世の子孫である印旛国造(いんばのくにのみやつこ:当時の大和朝廷の地方長官)・伊都許利命(いつこりのみこと)が現在の成田市船形手黒に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命=稚日女尊(わかひるめのみこと:機織りの神)を祀った。
    また、伊都許利命は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを神体として雅産靈命=和久産巣日神(わかむすびのみこと:穀物の生育を司る神、五穀・養蚕の神)を併せ祀った。
    この2神は「真賀多真(まかたま)=勾玉(まがたま)の大神(おおかみ)」と呼ばれた。
    推古天皇16年(西暦570年頃)、伊都許利命の8世の子孫の広鋤手黒彦命(ひろすきてぐろのみこと)が、神命により現在の成田市台方稷山(あわやま)に雅産靈命(わかむすびのみこと)を遷座し、それまでの船形手黒の社殿を澳津宮(おきつみや)とした。
    尚、台方・麻賀多神社から北方1kmのところに澳津宮(船形・麻賀多神社)があり、伊津許利命の噴墓(後述)が残っている。

    延喜式神名帳に記載の際、「真賀多真(まかたま)」が三種の神器の1つと同名であるとして、1字取って「真賀多神社(まかたじんじゃ)」に改称した。
    後に、一帯が麻の産地であることから麻賀多神社に社名を改めた。
    台方・麻賀多神社の社紋は麻の葉をデザインされており、最近まで赤ちゃんの産衣(うぶぎ)に麻の葉を入れて健やかなる成長を祈願したと云う。
    つまり、永く子供の守り神として信仰されてきた。

    平安時代に編修された延喜式神名帳に2社とも記載されている延喜式内社であり、近郷5村(台方だいかた・大袋おおぶくろ・下方しもかた?・伊篠いじの・飯仲いいなか)の総鎮守として祀られ、明治4年には郷社に列格している。
    この地方住民の崇敬が特に篤く、平安時代からの千葉の豪族・千葉氏を始め江戸期の佐倉藩主等によって数回にわたって御社殿が造営された。

    麻賀多神社の大杉(昭和10年県指定天然記念物)は推古天皇の時代に植樹されたとされ、約1400年近くの樹齢を持つ東日本一の大杉である。
    御神木の大杉は太さ8m、高さ40m余りとされている。

    ・・・

    2023年1月3日

    【船形・麻賀多神社まかたじんじゃ】
    千葉県成田市船形834 

    千葉県成田市ニュータウンにあり、印旛沼の東1kmほどの船形にある神社である。総本社、ご本家である台方・麻賀多神社から北方1kmのところに船形・麻賀多神社(澳津宮(おきつみや)があり、社殿を造営した印旛国造(いんばのくにのみやつこ:当時の大和朝廷の地方長官)・伊都許利命(いつこりのみこと)の噴墓(後述)が神域に残っている。
    伊都許利命の方形の古墳は公津原古墳群(こうづはらこふんぐん:39号墳 分墳)と、現在は号数で称されている。
    成田市の公津(こうづ)は神津(こうづ=神の港)の転語と思われ、船形の地名もその辺から称したと思われる。従って、昔は印旛沼がもっと近かったのだろう。
    成田市ニュータウン内には公津原古墳群のように古墳も多く、住宅開発時に貝塚も出たそうで、当時の人々が住むには適した地域だったのでしょう。

    境内左手奥に、御神木の大杉がある。
    御神木の大杉は樹齢650年(台方の大杉の方がずっと古いが)と、なかなかの雄姿を示している。周囲の太さ6m、高さ約40mで、台方の御神木より周囲は2m細い。台方もそうだったが、周辺の森は明るい。
    船形・麻賀多神社の社紋(神紋)は麻の葉ではなく、巴紋(特に三つ巴)でした。

    境内の参道を戻ると、左手に古墳(伝伊都許利命の墳墓)案内がある。そこには岩屋らしき穴(広さ約5㎡)があり、直刀、金環、鎧片等を納めてあった石棺がある。

    伝伊都許利命墳墓は東西辺約35m、南北辺約36m、高さ約5mの方墳である。
    南辺の中央部に凝灰質軟砂岩製の横穴式石室が開口している。また、2段築成された西辺のテラス状部分に箱式石棺が1基発見され、一部が露出している。石材は絹雲母片岩である。つまり、2基の遺跡があった。
    文久4年(1864年)に大木の根元から発見された鏡と玉は、麻賀多神社に伝えられている。7世紀代に築造された古墳と考えられる。(麻賀多神社)
    この時は墳墓の左手から古墳(周囲120m、高さ7m)方形墳上に登ったが、実際は道路際に表示板や石段があり、そこから参詣する形になっていた。

    ・・・・・・・

    成田で歴史勉強をした2日間、興味深い麻賀多神社や、ニュータウン内でよく見かける公津原古墳群、神社と合体したような謂れのある39号墳(方墳)を孫娘と訪れる事が出来て、今年は良き初詣となった。

    旅行時期
    2023年01月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 佐原公園の一角にある荘厳寺(しょうごんじ)には重要文化財・関東最大最古と云われる十一面観音菩薩像がある。

    投稿日 2023年02月02日

    佐原公園 香取・佐原

    総合評価:5.0

    【 2022/11/22 佐原の荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音とみしるし不動を訪ねた】

    水郷(すいごう)を一望できる佐原・諏訪の高台にあり、寺域は約一町歩を有し、境内の一部は「佐原公園」と称する。

    初春には桜の花が咲き乱れ、お花見の名所でもある。

    この項では荘厳寺の十一面観世音菩薩について書く。

    歴史を遡ると、当該十一面観世音菩薩はなんと野ざらしになっていた。
    仏心ある方により、今は大事にされているのを喜ばしく思う。


    <千葉県香取市佐原の荘厳寺(しょうごんじ)>
    〒287-0003 千葉県香取市佐原イ1110 
    Tel:0478-54-3722
    http://www.syougonji-fudouson.jp/

    荘厳寺は真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺である。
    寛永18年(1641年)創建と伝っているが、境内にはそれよりも古い、室町時代、永禄年間の板碑が残っている。
    本堂裏手にある収蔵庫には欅(けやき)の一木造(いちぼくづくり)の国指定文化財の十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像が安置されている。

    また、荘厳寺は日本三不動の一つ「菅谷不動尊(すがやふどうそん)」を祀っている。昭和26年(1951年)に現在地に遷座(せんざ)し、平成二十七年度には菅谷不動大尊像(みしるし不動尊)を新たに本堂にお迎えした。

    <十一面観世音菩薩>

    十一面観世音菩薩は、元々は香取神宮の別当寺である金剛寳寺(神宮寺)のご本尊様でした。造られたのは平安中期、藤原時代初期とされており、仏師は春日と伝えられているが、こちらははっきりしていない。

    この十一面観音は身丈3m25cm、総丈4mの欅の一木づくりで、豊かなお顔、太く長い腕、指、特に翻波(ほんぱ)式といわれる腰衣の襞(ひだ)の彫りが平安仏の特長をよく現わしており、胴が細く全体に素朴な造りは、関西地方の貞観(じょうがん)時代の造りが関東に及ぼすに至る時間的な流れを感じさせると云われている。

    明治時代初期、神仏分離令が行われ、神社などによる廃仏棄釈(はいぶつきしゃく:仏を廃し、釈を棄てる)の風が盛んとなって、香取神宮などに接していた神宮寺の多くが取り壊され焼かれた。香取神宮に接していた金剛寳寺も同じ運命に遭い、堂塔伽藍は壊され、なかにあった仏像や仏具の全てが外に投げ出され、野晒しにされてしまったと云う。

    この十一面観音も、畑に棄てられ野晒しにされていたものを、町内(まちうち)の篤信家、大和屋・佐藤氏のご先祖・佐藤要助氏が譲り受け、荘厳寺にご寄贈くださったものである。
    この十一面観音に化仏(けぶつ=頭上の十一面)や蓮華が無く、天衣(てんね)の一部が欠落し、瓔珞(ようらく:仏の装身具)が少ないのもそのためである。

    この十一面観音は、昭和三十五年(1960年)に国の重要文化財に指定され、その際、解体修理が行われた。
    さらに平成元年(1989年)には、永年にわたる寺院・壇信徒の国への収蔵庫建設の請願の末、ようやく、国・県・市の援助のもとに現在の収蔵庫が完成した。

    ・・・・・

    旅行時期
    2022年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    見ごたえ:
    5.0

  • イキスと読めなかった、東国三社に数えられる神栖の息栖神社に参詣した。

    投稿日 2023年02月01日

    息栖神社 波崎・神栖

    総合評価:4.5

    【小江戸・佐原から潮来、神栖を巡る。③神栖の息栖(いきす)神社、佐原の荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音とみしるし不動を訪ねた。】

    神栖の息栖(いきす)神社も佐原の荘厳寺(しょうごんじ)も最初は全く読めない字だった。息栖神社で出会った女子大生の2名にこの名は読めないと言ったら、ほんとにそうですねと、同意された。
    土地名や神社仏閣の名前は実に難しい。

    さて、神栖市の神栖(かみす)は神之池(ごうのいけ)の「神」と息栖神社の「栖」から神栖となったそうだ。

    かつては広大な面積をもった池・「神之池(ごうのいけ)」は、約1,400~1,200年前に海面が下降して周辺砂丘の造成や土砂の堆積によって独立して出来たものだと云う。古くは周囲2里余(約8km)、面積292町歩余(約289ha)のおむすび型に近い円形の広大な淡水池があったものだが、日本列島は何処も同じで、鹿島地区の開発のため、現在は一部を残して大部分が埋め立てられてしまった。

    【鹿島・香取とともに東国三社に数えられる息栖(いきす)神社に参詣した】
    〒314-0133 茨城県神栖市息栖2882
    Tel:0299-92-2300

    <祭神>
    主祭神は久那斗神 (くなどのかみ、岐神)
    社伝では、鹿島神・香取神による葦原中国平定において、東国への先導にあたった神という。

    相殿神には
    天乃鳥船神 (あめのとりふねのかみ)
    『古事記』では、建御雷神(たけみかづちのかみ)の副神として葦原中国平定に赴いたと記される。


    息栖神社は鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、香取神宮(千葉県香取市)とともに【東国三社(とうごくさんじゃ)】と呼ばれている。
    息栖神社の事を語る文章に、東国三社のうち他の二社に比べてより穏やかな趣がある神社が息栖神社だと云う。

    つまり、鹿島(建御雷神タケミカヅチ=武甕槌大神)と香取(経津主神フツヌシ)に祭られる二神が、武神(軍神)であり、その神剣であるのに対して、息栖神社(久那斗神クナドノカミと天乃鳥船神アメノトリフネノカミ)は、武神の乗り物であった「天鳥舟(アメノトリフネ)」という神が祭られているからだとか!?

    平安時代に「神宮(じんぐう)」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう:当時の官社の一覧表)』によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけだった。

    鹿島と香取の両神宮が、日本の国でも別格の位置にあった事に比較し、
    息栖神社は古くは「於岐都説神(おきつせのかみ」と記され、1321年の古文書では「おきすのやしろ」と記されたと云う。この「おきつせ・おきす => 沖洲」という古称から、香取海(かとりのうみ:古代の関東平野東部に広がっていた内海で、現在は霞ヶ浦や印旛沼などに名残を留めている)に浮かぶ沖洲(おきす)に祀られた神であると考えられている。

    息栖神社が東国三社(とうごくさんじゃ)の一つと呼ばれている事については、私は今まで全く知らずにいた。もちろん、東国三社の意味も。
    そして「東国三社巡り」の言葉があるが、江戸時代に「お伊勢参りの禊ぎ(みそぎ)の三社参り」と呼ばれ、信仰を集めた旅になっていた。
    とりわけ、関東以北の人は伊勢神宮に参宮(さんぐう)したのち、「下三宮巡り」と称してこの三社を参拝したと云う。

    <息栖の津・渡船場跡>
    「息栖の津」は古い時代からあった。今から約七百年の昔、応安7年(1374年)記の香取神社文書「海夫注文」にその名が見える。当時、この流域の支配権を持つのは香取神社で、下総国側の24、常陸国側の50の津(港)を支配した。
    「息栖の津」も利根川を往来する舟船の船着場とし、また魚労の拠点としての網引・釣魚に大きな役割を果たしていたようだ。
    この時代には海水が入り、この辺りでもサケは勿論のこと、タイ・ヒラメ・ハマグリ等が獲れていたとの記録が残っている。

    江戸時代になると、江戸の文人墨客、庶民の、東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)を巡拝する旅が盛んになった。日本橋小網町を小船で出発し、途中徒歩もあるが、下総国木下河岸(千葉県印西市)より木下茶船に乗り、利根川を下って三社に向かった。
    記録には木下河岸を出る船数は、安永年間(1854年~)には年平均4400~4500隻にも達している。単純計算で1日12隻もの船が出航している。香取神社から鹿島神宮へ向かう途上、息栖神社へ立ち寄る慣例であった。
    利根川の支流の辺に立てられた大きな鳥居があり、その支柱の両側に井戸があって、小さな鳥居が立てられている。「男瓶(おがめ)」と「女瓶(めがめ)」と言う名の井戸の中には魚が泳いでいる。

    この井戸は、汽水(きすい: 海水と淡水の混合による低塩分の水)の中に湧き出す非常に珍しいもので、 「忍潮井(忍塩井)=おしおい」と呼ばれ、伊勢の明星井、伏見の直井とともに日本三霊水に数えられている。
    海水をおしのけて清水が湧出していることからこの名前になったということです。

    初めて訪れた息栖神社はなかなか興味深く、その歴史や地勢、水運といった新しい知識を得た。

    ・・・・・

    旅行時期
    2022年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    見ごたえ:
    4.0

  • ホテル自慢の“鴨料理”を楽しんだ古城ホテル・フュルステンホフ・ツェレ

    投稿日 2014年06月24日

    アルトホフ ホテル フュルステンホフ ツェレ

    総合評価:5.0

    “北ドイツ周遊の旅”           

    期間 : 2005年4月21日(木)?5月5日(木)15日間 ; 1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。

    目的地: 1989年の来日以来、16年ぶりに旧交を温めるべく、ブレーメンの友人夫妻を訪問し、ドイツの誇る世界遺産の町々(ブレーメン、リューベック、ヴィスマール、ヒルデスハイム、更にクウェートリンブルグ、ゴスラー)や、ハンザ諸都市・エリカ街道(塩の道)・ハルツ山地(魔女伝説)・メルヘン街道を巡る、盛りだくさんの旅をしました。 

    4/25 (月)?27(水) (2泊)
    Celle :Hotel Fuerstenhof Celle 古城ホテル・フュルステンホフ・ツェレ
    Hannoverschestr.55/56、D-29221 Celle      
    5星  Euro179 ・ 全73室
    TEL:49(0)?5141?2010、FAX:49(0)?5141?201120
    www.fuerstenhof.de    駐車代 16.5 Euro

    ハノーファー通りに面し、17世紀のバロック様式の宮廷であった、Hotel Fuerstenhof Celle古城ホテル・フュルステンホフにチェックインして、ホッとする。
    駐車場は一杯で、お客も多そうだ。今回の旅では最高級の5星ホテルだけに、駐車している車も、メルセデス、ポルシェなど高級車ばかりだ。
    No.403号室は本館に連結した建物にあり、部屋からは中庭がみえ、モダンな部屋です。
    2泊して、ここからBraunschweigブラウンシュヴァイクやHildesheimヒルデスハイムの町々を見て回りました。

    夕食はRestaurant Endtenfang;レストラン・エンテンファング(鴨の罠、若しくは鴨の捕獲を意味して、Braunschweig?Lueneburg公爵家が鴨を罠で捕らえ、この肉を焼いて、食事を楽しんだと言う何百年もの伝統に、その名は由来する。ミシュランの1星付きフレンチレストラン。)は中世以来の鴨料理を得意としています。

    ホテルのお客はこれを目当てにやってくるそうだ。この旅で、一番の贅沢がこのホテルの宿泊とここ、エンテンファングでの食事です。レストランはプレシーズンの所為か?お客は3組程度です。ベストの席に案内されて、今日は大事にされそう。

    1982年4月9日に、家族旅行で初めて一泊し、このレストランで食事をしましたが、翌朝、同業のM社のK君(大学運動部時代、私の5期後輩になる)ご一家とばったり会って、ビックリした思い出もあります。
    その時の鴨料理が大変、美味しかった思い出があり、今夜も“鴨料理”と決めています。

     “鴨料理”(二人以上のオーダーが必要)はアミューズ(チェリーをパンの小片にのせて)が出て、ドライシェリーで乾杯です。

    前菜には小さくきざまれたマンゴに緑のアスパラソースかけを美味しく頂く。
    若鴨が焼けるまでの繋ぎに、白アスパラの小さなスープもでて、嬉しくなる。

    ワインはライン川右岸、Ruedesheim;リューデスハイム近くのOestrich産辛口白;Peter Jakob Kuehn 2000、 Oestrich Doosberg Spaetlese Trocken :Rheingau Riesling(Qmp 750ml:59Euro)を女性ソムリエのお勧めで、頂くことにする。

    ウエーターが一匹の若鴨を我々の席の前に持ってきて、切り分けます。

    【若鴨は野飼いの生後6週間の鴨で、重さ2000gと決まっているとのことです。鴨の内外にいろいろな香辛料を抽入し、ぬり、それを特製フライパンで、50分(200℃の温度)じっくりと焼くのだとの事。ソースも鴨の皮や肉汁を利用し、香辛料、コニャック、クリーム、バター等を加えて作るそうで、まさに鴨尽くしと言えます。】

    最初は甘酸っぱいソースがかかる鴨を頂く、23年前の記憶通りの絶妙な味に感激する。

    皿が下げられると、少し間をおく為にGuaveというフルーツにメロンのソースをかけたものと、アイスが出てきます。

    そして、第二回目の鴨が出てくる。今度は鴨のレバーソースがかかっていて、ちょっと重さを感じる、大人の味です。

    23年前の39歳の若さには、全く問題ない量でしたが、今日はさすがに家内は食べきれず、私も満腹でした。

    デザートは、三色のアイスにチョコレートムースが5つの容器に入って、シャレタ形で出てきました。

    コーヒーと共に、盆に載った、食後のクッキーが出てきて、さすがに部屋に持って帰りたくなりました。

    ---『チーズは?ブランデーなど如何ですか?!!』『充分です。日本人は小さな胃しか持っていないのでもう満腹ですよ!!』

    -----チップ込みで、196.5Euro=28,000円の請求書にサインし、ウエーター達の丁重な挨拶を受けて、満足!!満足!の晩餐は終わりました。

    旅行時期
    2005年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    15,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    コストに見合う内容。
    サービス:
    5.0
    5星だけのサービスに納得した。
    バスルーム:
    4.5
    十分な広さ、明るさ。
    ロケーション:
    5.0
    木組みの家並みで知られた旧市街にも近い。
    客室:
    4.0
    モダン過ぎたので、残念でしたが・・・。

  • 潮来観光はアヤメの次に源頼朝の創建と伝わる紅葉の長勝寺(ちょうしょうじ)が名高い。

    投稿日 2023年01月11日

    長勝寺 潮来

    総合評価:4.5

    ≪潮来観光はアヤメの次に源頼朝の創建と伝わる紅葉の長勝寺が名高い。≫

    【長勝寺(ちょうしょうじ)】
    〒311-2424 茨城県潮来市潮来428
    臨済宗妙心寺派に属し、海雲山と号する古刹である。

    源頼朝が文治元年(1185年)、鹿島に隣接する、この地に武運長久を祈願して創建したと伝えられている。国・県・市指定の文化財を数多く所有し、潮来市の史跡めぐりには欠かせない寺である。
    長勝寺はあやめ園や潮来駅からだと歩いて数分の距離にある。桜の4月上旬、あやめの6月上旬、紅葉の11月頃は特に多くの参拝者が訪れると云う。
    2017年5月にあやめ園観光に来て、一度長勝寺を訪れた事があるが、その時は緑に満ちた寺の景観でした。

    秋の紅葉も知られていると云う事で、今日の行程の最初にこちらを訪れた。

    楼門(山門)は水戸光圀の命令によって元禄13年(1700年)に長勝寺に移築されたものである。その謂れもあってか、なかなか素晴らしい楼門で、紅柄塗りが美しい。
    (茨城県指定有形文化財)

    紅葉の参道を進むと、長勝寺で知られた菩提樹の大木2本、茅葺きの屋根が珍しい本堂、方丈、書院、庫裡の建物、松尾芭蕉の碑などが紅葉と共に在る。

    潮来八景の海雲山 長勝寺と言う枕詞付きで語られるが、
    <潮来八景>は江戸時代の後半1839年に書かれた『潮来図誌』に記載されていることから来ていると云う。
    国の重要文化財(旧国宝)に指定されている長勝寺の*銅鐘(晩鐘ばんしょう)の銘文中に「客船夜泊常陸蘇城(かくせんやはく ひたちのそじょう)」の語が記されており、中国蘇州を彷彿させる当時の潮来の繁栄と風光明媚な情景をうかがい知るうえで貴重な資料となっている。

    <潮来八景>を知ると、この銅鐘を囲む紅葉はまた格別な景観に見える。

    (2022年11月22日訪問)

    旅行時期
    2022年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    見ごたえ:
    4.5

  • 小江戸・佐原には私共好みの「やま川の鰻料理」がある。

    投稿日 2023年01月05日

    やま川 香取・佐原

    総合評価:5.0

    晩秋の1泊2日の旅で度々訪れた町の中で、一度も訪れていない名所を訪れた。
    埼玉の小江戸・川越と同じように、千葉の「小江戸」と称した潮来市佐原地区は観光地としては小さい町だが、散策しながら歴史に富んだ、小野川ぞいの街を楽しめる。

    食の方も、成田の鰻(うなぎ)料理と同様に佐原の鰻料理が知られているから、この町を訪れる際の一番の楽しみにしている。

    香取市佐原地区は中心部を利根川の支流である小野川が流れ、古くから利根川を使った水運による物資の集散地として栄えた。
    特に江戸時代になると顕著になり、商業集積は、小野川の東側だけでなく西側にも拡大した。小野川の東側を本宿、西側を新宿と呼ぶ。
    当時、「江戸優り(えどまさり)」の言葉が残るほど、栄えていたようだ。

    【佐原のうなぎ店やま川】
    〒287-0003 千葉県香取市佐原イ449
    Tel:0478-52-5061
    営業時間:月,火,木~日 11:00~14:00,16:30~19:00(時間は適宜お客さんに合わせてくれる感じだった)
    定休日:毎週水曜日
    内容:鰻(うなぎ)、魚介・海鮮料理、ふぐ料理、すっぽん料理といった和食店
    席数:21席(テーブル席、カウンター席、座敷席)

    佐原駅北口から徒歩約5分と近い、小野川沿いにある。
    近くには御同業の「山田うなぎ」店がある。

    食の方も鰻(うなぎ)料理が知られているから、この町を訪れる際の一番の楽しみにしている。佐原を良く知る友人が勧める「やま川」はメニューのうな重、うな丼の値段が同一価格と言うのが、分かりやすくて実に良い。
    タレは妙な甘みや、くどさが無くて私共の好みに合っている。

    尚、店の傍は駐車場が無いが、ご近所さんなどのお勧めもあって、邪魔にならない川沿いに駐車させて頂いた。

    夕方5時頃に開店と聞いていたが、早めに店内に招じられた。
    最近は、座敷は体が硬くなった所為で苦手になり、入口傍の右に在ったテーブル席に座った。
    店内には、御亭主が若い頃から熱中したと思わせる佐原の*山車(だし)の写真がたくさん掲げられていた。
    写真を見ている内に、お待ちかねのうな重が出て来た。
    「うなぎの長谷川」、「山田うなぎ」と、佐原の鰻料理はこれで3店目だ。
    さわらグルメマップという冊子にも載っていない(あるいは載せようとしていない)店だが、私共の好みは「やま川」だった。


    さて、店内の佐原山車(だし)24台の勢ぞろいの写真や、山車の「幣台(やだい)彫刻」の写真が目についた。
    博天如(ひろきことてんのごとし)の文字が目立つ、山車の「幣台(やだい)彫刻」は祭礼の際に引く山・鉾・人形・鳥獣・草木などを飾った屋台のことで、神がおり立つ、神の依り来る目標(依代)とされている)彫刻」の写真である。
    菊花・鳳凰の彫刻で飾られ、明治の著名な書家 巖谷修(本名はしゅう、巖谷 一六いわや いちろくと称し、明治の三筆の一人である)の筆で「ひろく大きな、いつくしみの心」を意味したもので「博如天(ひろきことてんのごとし・・・実はこの時は読み下せず、帰宅してから調べたのだ!)」と記されている。

    この時は、つい山車の「幣台(やだい)彫刻」が気になって、ご亭主にこれは何かと聞いてしまったのだが、ご丁寧に写真集をお見せいただき、上の様な説明を受けた。

    また、「やま川」のカウンター席は4mの欅(けやき)製の見事なものだ。この時は御亭主の説明に驚き、写真を撮ることを忘れた。
    店内は私共が座ったテーブル席もそうだが、見事な欅を使用しているのが伺われた。

    また、春の季節に訪れたいものだ。

    ・・・

    *香取市のHP:https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/matsuri/index.html
    によれば、「佐原の大祭」と称する夏祭りと秋祭り(ユネスコ無形文化遺産/国指定 重要無形民俗文化財)は、関東三大山車祭り(秩父・川越・佐原)の一つと称され、約300年の伝統を誇る。
    日本三大囃子「佐原囃子」(神田囃子、京都祇園囃子に加えて)の音を町中に響かせながら、小江戸と呼ばれる町並み(国選定 伝統的建造物群保存地区)の中を家々の軒先をかすめながら進むさまは風情たっぷりで、江戸時代の情景を彷彿とさせる。自慢の山車は、総欅造りの本体に関東彫りの重厚な彫刻が飾り付けられ、上部には江戸・明治期の名人人形師によって制作された高さ4mにも及ぶ大人形などが飾られている。
    八坂神社祇園祭である7月の夏祭りは、小野川をはさんで東側一帯(本宿地区)を10台の山車が曳き廻される。一方、諏訪神社秋祭りである10月の秋祭りは、小野川の西側一帯(新宿地区)を14台の山車が曳き廻される。
    「水郷佐原山車会館」では、夏祭りと秋祭りの山車が1台ずつ交替で2台展示されている。

    ・・・


    (2022.11.21.)

    旅行時期
    2022年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    4,000円未満 
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    5.0
    サービス:
    5.0
    雰囲気:
    5.0
    料理・味:
    5.0
    観光客向け度:
    5.0

  • 小江戸・佐原の観光Mapから選んだのは紅葉の観福寺(かんぷくじ:日本厄除け三大師の名がある)である。

    投稿日 2023年01月04日

    観福寺 香取・佐原

    総合評価:5.0

    晩秋の1泊2日の旅で度々訪れた町の中で、一度も訪れていない名所を訪れた。
    埼玉の小江戸・川越と同じように、千葉の「小江戸」と称した潮来市佐原地区は観光地としては小さい町だが、散策しながら歴史に富んだ、小野川ぞいの街を楽しめる。

    今日、佐原(香取市)の観光Mapから選んだのは、紅葉の観福寺(かんぷくじ:日本厄除け三大師の名がある)であり、翌日に訪れたのは木造十一面観世音菩薩と「みしるし不動尊」で知られた荘厳寺(しょうごんじ)である。

    【佐原の観福寺(かんぷくじ)】
    真言宗 豊山派 (しんごんしゅうぶざんは)(総本山は奈良の長谷寺)
    妙光山 観福寺
    〒287-0033 千葉県香取市牧野1752
    TEL:0478-52-2804
    受付時間9:00~16:30

    開基は890年(寛平2年)尊海上人。中世より名族・千葉氏の祈願所として武士の信仰を集める。近世に入り地方の檀林(僧侶の養成所、学問所)として多くの僧侶を輩出し、やがて地元伊能家の菩提寺として厚い帰依をうけ、伊能家から複数の住職も輩出された。

    観福寺は川崎大師(川崎市)、西新井大師(東京都足立区)とともに関東の三大厄除け弘法大師といわれ、古くから多くの信者を集めている。
    毘沙門堂の近くの墓域に、佐原の名家伊能家代々の墳墓があり、中に日本全国を測量して歩き、わが国最初の日本地図をつくりあげた偉人・伊能忠敬(いのう ただたか)の「参り(まいり)墓(髪と爪を納めた)」もある。

    本尊は平将門の守護仏と伝えられる聖観世音菩薩(木像秘仏:人々の苦しみを救う根本の観世音菩薩)である。国の重要文化財、4躯(釈迦如来、薬師如来、十一面観音、地蔵菩薩、これらは明治時代の神仏分離令にともなう廃仏毀釈により香取神宮より放出されていたものを地元の旦那衆が買い上げ当山に安置した)の銅造仏をはじめ、多くの仏像や、曼荼羅、中世の古文書等がある。

    日蓮宗の関東三大檀林(飯高檀林、小西檀林、中村檀林)については先日書いているが、真言宗では「田舎(いなか)檀林」と称し、各地に檀林(僧の学問所)をつくったという。
    観福寺もその一つだそうだ。

    尚、別派であるが、真言宗智山派には関東十一檀林というのがあり、
    高尾山薬王院、金剛寺、宝生寺 、三宝寺、三学院、錫杖寺、法恩寺、明星院、龍花院、長久寺、一乗院が名を連ねている。
    私も知っているのは、東京都高尾山にある高尾山薬王院と、高幡不動で知られる日野市にある武蔵・金剛寺(こんごうじ)だ。

    春の桜、夏の緑、秋の紅葉に代表される四季の景観の美しさも知られているので、ちょっとしたドライブや小旅行の目的地には最適だ。
    (2022/11/21)

    ・・・・・・・・・

    旅行時期
    2022年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    バリアフリー:
    2.5
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jijidarumaさん

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、ロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、結局2023年もドイツの旅を見送ってきました。2024年はどんな年になるのだろう。
(2023.11.28.変更)

行ってみたい場所

ドイツ

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