jijidarumaさんのクチコミ(8ページ)全659件
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ヴィッテンベルクの聖マリエン市教会で宗教改革者ルターが説教を行った。その場面を傑作クラナハの祭壇画で見る。
投稿日 2023年09月07日
総合評価:4.5
【かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅】
期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間
【世界遺産“Lutherstadt ルターの町“には大きな銅像が立ち、
宗教改革者ルターの偉大さを示している】
今回の旅は宗教改革者ルターの足跡をたどります。
そして、その足跡の広さに驚く。
“Lutherstadtルターの町“はLutherstadt Eisleben 、Lutherstadt WittenbergとMansfeld-Lutherstadtマンスフェルト・ルターシュタットの三つを言う。
<5月18日(水);快晴、26℃暑い一日、239 km>
【Lutherstadt Wittenbergルターシュタット・ヴィッテンベルクの観光】
11:10~13:30
世界遺産(アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造:1996年)
Marktplatzマルクト広場とRathaus市庁舎、Stadtkirche St.Marien聖マリエン市教会、Lutherhalleルター会館、Schlosskirche城付属聖堂 (Schloss Wittenberg)、Cranachhausクラナハの家(1505~47年)。
ヴィッテンベルクの旧市街に入るとまず、目に入るのはマルクト広場周辺の景観だ。旧市庁舎、聖マリエン市教会であり、ルターと弟子のメランヒトンの銅像である。
私共はカトリックや、プロテスタントには縁遠いのですが、今回の旅は宗教改革者ルターの足跡をたどります。その足跡の広さに驚いていますが、一方で、それによって引き起こされた新旧キリスト教徒の争いでもある「30年戦争(1618年~48年)」の影響が、更に広範囲だったことを巡る町々の歴史で知らされました。
何度もドイツの旅をしていると、自然にテーマを持って回ることになります。
古城めぐりとルターにも拘った旅はこの旧東独では外せないテーマでした。
<Stadtkirche St.Marien聖マリエン市教会 >
マルクト広場の聖マリエン市教会でルターが説教を行ったそうだが、この教会は双頭の塔を持った町最古の建物でクラナハの祭壇画が中央にあった。
クラナハの祭壇画は、キリストの磔の像の前で、ルターが聴衆に向かって宗教改革の意義を説教しているシーンが印象的だった。
・・・・・・・・・・- 旅行時期
- 2011年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
-
ルターシュタット・アイスレーベンにはルターの生家、ルター晩年の家がある。
投稿日 2023年09月06日
総合評価:4.5
【かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅】
期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間
【世界遺産“Lutherstadt ルターの町“には大きな銅像が立ち、
宗教改革者ルターの偉大さを示している】
今回の旅は宗教改革者ルターの足跡をたどります。
そして、その足跡の広さに驚く。
“Lutherstadtルターの町“はLutherstadt Eisleben 、Lutherstadt WittenbergとMansfeld-Lutherstadtマンスフェルト・ルターシュタットの三つを言う。
<5月18日(水);快晴、26℃暑い一日、239 km>
【Lutherstadt Eislebenルターシュタット・アイスレーベンの観光】
16:10~17:00
Luthers Sterbehausルター晩年の家、聖アンドレアス教会、マルクト広場・市庁舎、Martin Luthers Geburtshausルターの生家などがある。
つまり、この町はルターの生誕地であり、彼が最期を迎えた地でもある。
16世紀後半のマルクト広場にも当然ながらルターの大きな銅像が立ち、周囲で子供たちが遊ぶ。
Luthers Sterbehausルター晩年の家に向かって歩いて行くと、靴屋の壁にレリーフがはめ込んであったので読んでみると、Richard Wagnerワーグナーがかつて滞在したとある。歴史ある町は有名人に事欠かないようだ。
<Luthers Sterbehausルター晩年の家>
ルター晩年の家は栄光あるルターにしては小さな家である。この家の前にルターが最後に説教をしたと云う聖アンドレアス教会があり、ルターは説教の最中に倒れた。
びっくりしたのはこの場所で、韓国人グループのツアーに出くわした事です。日本人には会ったことは無かったですが・・・。
ルターは死の1か月近く前に生まれた町であるアイスレーベンに居を定めた。
生まれ故郷の領主達の争いを仲介するためであったとされているが。
1546年2月にその家で没した。ほぼ当時のまま現存する最期を迎えた家は博物館となっている。
<Martin Luthers Geburtshausルターの生家>
ルターは父ハンス・ルターと母マルガレータの次男として、ザクセン地方の小村アイスレーベンで生まれた。
ルター(1483年11月10日~1546年2月18日)は生後9ヶ月目にマンスフェルトに転居したため、生家にいた期間はほとんどなかったと云う。
現存する家は17世紀末に再建されたもの。
Luthers Geburtshausルターの生家は戻り道にあった。
マルクト広場から少し先になる。一度火事で焼失したと云う。
ドイツ語圏最古の博物館と云う生家は小さな庭園・ルターの胸像もある大きめの建物だ。傍に観光局もあり、パンフレットをもらって、帰った。
・・・・・・・・・・・- 旅行時期
- 2011年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
-
ドイツのクリスマス:中世が色濃く残る町の広場や小路で、こぢんまりとクリスマスマーケットが開かれていた(Schwaebisch Hall)。
投稿日 2023年08月16日
マルクト広場 (シュヴェービッシュ ハル) シュヴェービッシュ・ハル
総合評価:4.0
【ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)】
この冬、ドイツのWeihnachtsmarktヴァイナハツマルクト(クリスマスマーケット)のいくつかを、初めて訪れる事が出来た。
この旅のクリスマス市はWuerzburg、Ludwigsburg、Esslingen、Stuttgart、Rothenburg、Nuernberg、 Frankfurtなどが大所ですが、
Waldenburg、Schwaebisch Hall、Kirchberg an der Jagst、Creglingen、Forchheim、Volkach、Ochsenfurt、Iphofen、Wertheim、Miltenbergなど小さな町々も回りました。
ということで今回は南ドイツが中心で、春のフランケンの旅の行程に似ています。
私共にとって、初めて訪れた町も多く、次もまた訪ねてみたい気になりました。
中でも、一番気に入ったのはStuttgartの近郊にあるEsslingenでした。そして今春も訪れたForchheimでは、アドヴェンツカレンダーになった市庁舎がとても良かった。
<12月10日(木);小雨模様の寒い一日、5.5~7.5℃、162km>
【Schwaebisch Hallのクリスマス市】
10:50~12:35
中世が色濃く残る町の広場や小路で、クリスマスマーケットが開かれ、11月30日にはChristkindクリストキントがNuernbergからやってくる。芸術家や職人たちのクリスマスマーケット、チョコレートのクリスマスマーケット、パンのマーケットなど、ちょっと違った面もあって面白そうだ。楽師、大道芸人、人形使いが中世の時代を演出すると云う。
町の教会や劇場でのコンサート、人形劇と・・・Haller Weihnacht 2009は魅力にあふれている。 営業時間 :2009年11月28日~12月20日 ;月~日 11:00 ~20:00
駐車場は“クリスマスの贈り物“として無料だ!駐車していた小母さんも何故無料なのか?知らなかったが、町でもらったパンフレットに贈り物と書いてあった。
この場所はコッヒャー川の中州に面していて、ここから中州を通り、岸辺の素晴らしい景観を楽しみながら、旧市街に入っていく。春の季節は一段と美しいだろう。
上がった先はマルクト広場になる。今回で多分、3度目の訪問だが、何時見てもこの場所は美しい。特に良いのはKirche St.Michael聖ミヒャエル聖堂(15世紀)と周辺の木組み建築や石造りのホテル・家並みである。聖堂の正面の大階段は幅70m、54段を数え、ドイツ最大の規模とされる。夏場や冬のヴェネチア祭りなどではこの階段が野外劇場になる。
16世紀初頭に作られたMarktbrunnenマルクト広場の泉(噴水)が広場の左端にあり、水が壁から流れ出ている。この壁の上は中世時代、罪人の晒し台となったと云う。18世紀の市庁舎は教会に対面して立つ。
クリスマスマーケットはマルクト広場から歩いて数分のGeblinger Gasseゲブリンガー横丁で催されていたが、屋台も26と規模も小さく、時間も開いたばかりで、人も閑散としたものだった。この横町にはClausnitzerhausという実に美しい木組み建築の家があって、これだけでも十分な思いをした。横町を往復してから、マルクト広場に戻った。
聖ミヒャエル聖堂の中を見てから、シュヴェービッシュ・ハルから、B14・19・A6・L? 20kmの古城街道・Kirchberg a.d.Jagstキルヒベルク・アン・デア・ヤークストに13:10に着いた。
ホーエンローエ平野とハラー平野が出会うヤークスト川沿いの高台に位置している城塞都市である。
(2023.08.16.)- 旅行時期
- 2009年12月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
-
テーゲルン湖畔:バイエルン風の5星ホテルにあるグルメレストラン『作家の間』で満足な夕食をとった。
投稿日 2023年08月11日
Park-Hotel Egerner Höfe テーガンゼー
総合評価:5.0
【ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊】
:アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
期間 : 2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅
4.21(月) 曇り 9.5℃ 寒い1日 、 85km
Tegernseeテーゲルン湖はミュンヘンから凡そ南に50kmのバイエルン・アルプス地方に画家や作家、作曲家たち・芸術家を魅了したテーゲルン湖畔の町々がある。
746年、ベネディクト派の僧院が設けられて以来、静かな佇まいだったテーゲルン湖畔でしたが、19世紀の始め、その古き僧院を買取り、新たにバイエルン国王が夏の離宮を建てたことから、この一帯が発展したと云う。テーゲルン湖は海抜726m、Gmundを先端にした長さ6.5km、幅2.5kmの細長い湖で、最深は72m、湖畔はリゾート地で名高い。湖の南岸沿いに広がる町Rottach-Egernロタッハ・エゲルン(海抜725m)もその一つである。
<Park-Hotel Egerner Hoefeパークホテル エゲルナーへーフェ>
Rottach-Egern 、Aribostr.19-25 Tel:08022-6660
全117室・5星
バイエルンの趣むきあるまだ新しい建物の5星ホテル・Park-Hotel Egerner Hoefeは町一番のホテルだ。
オーナーはGraf von Moltkeモルトケ伯・Klaus-Dieter Oechsner氏であるが、ドイツの軍人で有名なモルトケ元帥や1944年7月20日、ヒットラーの暗殺を試みた法律家・Helmuth James Graf von Moltkeの一族なのか?!聞いたわけでもないのでわからない。
大変贅沢な、凝ったつくり、飾りが目につく。スイートも23室もあって、58~135㎡もの広いものだという。
ホテル自慢の、”Dichterstub'n”『作家の間』と称するレストランはミシュラン1星。その他にも様々なレストランが用意されている。
このグルメレストラン『作家の間』で、夕食を食べた。
「Restaurant”Dichterstub'nディヒターシュトウーベン『作家の間』”」
2008年ミシュラン1星・Gault Millau 17点 (全独ランク64位);30席、従業員9名(火・水休み)、4品コースEuro62、7品Euro92、9品Euro140。ワイン450銘柄。
シェフMichael Fell:魚や甲殻類の料理で有名。(宿泊先から200m位の距離)
4品コース料理:シェフMichael Fellは魚や甲殻類の料理を得意としているので、今夜のメニューは決まっているようなもので、“Fisch-Krustentiermenue・魚と甲殻類の料理”(98x2=Euro196、4品ながら、良いお値段だった)をスタッフのお勧め通りにお願いする。
レストランのお客は4人のグループが奥に入り、隣の席に中年のカップルが座り、私どもの席と3組です。皆さん、きっちりと盛装している。
(18:30~21:15 ; 満足したディナーの代金はEuro272=45,569円でした)- 旅行時期
- 2008年04月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 30,000円 未満
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 5.0
- ロケーション:
- 4.0
-
ドレスデンのお土産に≪カフェ クロイツカムのバウムクーヘン≫がある。
投稿日 2014年07月16日
総合評価:4.0
≪Cafe Kreutzkammカフェ クロイツカム≫
かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅
期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間の旅
XXX
2011年5月21日(土)
ドレスデン・ケンピンスキーホテルの横をWilsdruffer Strasse 通りに出て、左折し、Altmarkt-Galerie(ショッピングセンター)に向かい、大きなアーケードの中をうろうろと、ウインドーショッピングをした。
ここで偶然にもバウムクーヘンの有名店Kreutzkammクロイツカムを見つけた。
Cafeで休もうかと思って、目に付いた、この店に来たのですが、地元客でいっぱいでした。
お客の多さ、店員の方の対応の良さは、さすがに知られた店、私共もお土産(Baumkuchenバウムクーヘン 500g schokoチョコレート、Baumkuchen 500g glasiert砂糖衣をまぶした)Euro38.78(4,600円)を買ったのです。
帰国して、長女一家に送ったところ、かつてのドイツの旅で、ミュンヘンの本店で買って帰った事があると言っていました。
<Cafe Kreutzkammカフェ クロイツカム>
Cafe Kreutzkamm am Altmarkt
D-01067 Dresden (Ecke Wilsdruffer Strasse)、Altmarkt 25,
1825年にドレスデンに菓子店を創業する。1945年ドレスデンの空襲による壊滅により、本拠地をミュンヘンに移した。
以来、本店はミュンヘンで、各支店を上記のドレスデンとミュンヘン(2店)、保養地のTegernseeテーゲルンゼーに置いている。
ベストセラー商品はドレスデン名物・クリスマス時期の干し葡萄入りシュトレンRosinenstollen1000g、今回購入したバウムクーヘンBaumkuchen 500g schoko、Baumkuchen 500g glasiert、Baumkuchenspitzen 250gなどがある。
支店の住所:
Cafe Kreutzkamm ;D-80333 Muenchen 、Maffeistrasse 4
Cafe Kreutzkamm, Maxburg ;D-80333 Muenchen 、Pacellistrasse 5
Cafe Kreutzkamm am See ;D-83684 Tegernsee 、Hauptstrasse 45
本店は1945年以来、下記にある。
Conditorei Kreutzkamm GmbH ;
D-81677 Muenchen 、Kastenbauerstrasse 11
http://www.kreutzkamm.de/
さて、バウムクーヘンが生まれた町Salzwedelザルツヴェーデルは今回の旅ではルートから外れていますので、元祖!のバウムクーヘンは残念ながら食べられない。
実はポツダムに3泊したバイエルンハウスはヴィルヘルム4世と王妃エリザベートに因んだホテルなのです。それの関連を調べていたら、下記の話*にあたりました。
大変仲の良かった王と王妃でしたので、ヴィルヘルム4世がバウムクーヘンの残りを王妃に食べさせたいと持ち帰ったというエピソードに納得した次第です。
*ご参考;
先にバウムクーヘンができた伝説を紹介している。
≪バウムクーヘン発祥の地とプロイセン王ヴィルヘルム4世≫
旅行時期 2011/05/13 - 2011/05/27 (2014/02/25投稿)
http://4travel.jp/travelogue/10862303
大変仲の良かったヴィルヘルム4世と王妃エリザベートと5星ホテル・バイエルンハウスについては同様に紹介した。
≪ヴィルヘルム4世の一目ぼれ (Die Liebe auf den ersten Blick)≫
旅行時期 2011/05/13 - 2011/05/27 (2014/02/20投稿)
http://4travel.jp/travelogue/10861035
5星ホテル・バイエルンハウスについては同様に口コミで紹介した。
http://4travel.jp/os_hotel_tips_each-11186003.html#contents_inner
この時期はクリスマス時期の名物Stollenシュトレンを食べるには早いでしょうから、何処かでバウムクーヘンを食べてみたいと思っていたのです。しかしカフェ クロイツカムの店で購入したバウムクーヘンは土産として、持ち帰ったのです。
・・・という事もあり、2014年の春の旅ではザルツヴェーデルを行程に入れ、元祖のバウムクーヘンを作る様子を見て、バウムクーヘンも食べ、土産に買ってくることもできた。
現在、ドイツで有名なバウムクーヘンの町はSalzwedelザルツヴェーデル、Cottbusコットブス、Dresdenドレスデンがある。其々はアラック(蒸留酒)を使う、挽いたアーモンドにラム酒を入れる、挽いたアーモンドやマジパンを入れシンプルに作るやり方である。
この内、発祥の地ザルツヴェーデルの3店にその製法が受け継がれていると云う。
2014年の春の旅・ザルツヴェーデルではこの店が開いていた。
Cafe Kruseカフェ・クルーゼ;
D-29410 Salzwedel 、Holzmarktstrasse 4 - 6
http://www.kruse-baumkuchen.de/
写真は上がクロイツカムの2種類のバウムクーヘン、下はブレーメンで買ったシュトレンに似たお菓子ブレーマー・クラーベン- 旅行時期
- 2011年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.5
- ショッピングセンター内の店
- お買い得度:
- 4.0
- サービス:
- 5.0
- 店員さんは実に愛想もよく、親切でした。
- 品揃え:
- 4.0
-
Vulkan(火山)eifelヴァルカンアイフェルにある古城ホテル クアーフュルストリッヒェス・アムツハウス
投稿日 2017年09月13日
Romantik Schloßhotel Kurfürstliches Amtshaus Dauner Burg その他の都市
総合評価:4.5
Schlosshotel Kurfuerstliches Amtshaus
古城ホテル クアーフュルストリッヒェス・アムツハウス:*
D-54550 Daun / Vulkaneifel 、Burgfriedstrasse 28
http://www.daunerburg.de/cms/website.php
Romantikhotel加盟ホテル4S星・全28室。2006年5月に1泊した。
グルメレストランの"Graf Leopoldレオポルド伯爵"はミシュラン1星、ゴーミョー16点。
2006年5月10日の旅行記;スイートの108号室、 Euro 125
クーアフュルストリッヒェス・アムツハウスの古城ホテルはドイツ西部、ルクセンブルグ・ベルギーとの国境を接するEifelアイフェル地方にある。この辺りは太古の昔は火山帯であった事から、Vulkan(火山)eifelヴァルカンアイフェルとも呼ばれている。
この地方は起伏のある山地と深い森、火山湖、そして鄙びた谷間の町が魅力である。ローマ時代からの古い町Daunダウンもその一つで、坂道の多い、人口8千人、周囲が山に囲まれた小さな町である。町の高台に今日の長たらしい名前の古城ホテルがある。
モーゼル、トリアーにも車で30?60分の距離にあって、山の中の田舎町にも拘らず、このホテルのグルメレストランは2006年版ミシュランの星一つ、ゴー・ミョーで15点である。大都市に集中しない所がヨーロッパの良さなのでしょう。
追記:Graf Leopold Schlosshotel K・Amtshausは2013?4年と1星に復活し、2015年は星なしになったが2016年はミシュラン1星、ゴーミョー13点と再復活した
ホテルの年代史に依れば、城の歴史的変遷は次の通り:
紀元前700年頃、先住民族のケルト人が砦としていた。
その後、紀元前50年にはローマ軍団の前線基地が置かれ、紀元12年にはローマ軍(Augustus帝)の要塞が建てられた。
最初の城の形となる、Dauner Burgが11世紀に築かれ、1712年トリアーの選帝候が行政府兼狩猟用の館に建て直し、1793年にはフランス支配に、1815年、プロイセン、第二次大戦後はラインランド・ファルツ州がここの管理者となるといった風に、変遷した後、1978年個人所有となり、1981年古城ホテル・レストランに大改造され、現在に至る。
・・・・・- 旅行時期
- 2006年05月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 10,000円 未満
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 5.0
- バスルーム:
- 4.5
- ロケーション:
- 4.0
- 客室:
- 5.0
-
ニュルンベルク:カイザーブルク(皇帝城)は旧市街から超然とした姿で岩山の上にそびえている。
投稿日 2023年08月06日
総合評価:4.0
<“北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅>
フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る。
期間:2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅
4月26日(日) 朝方はやや曇り空、その後は快晴。20℃。 87km
ニュルンベルク市博物館の横の道・Burgstrasse城の道をDie Burg Kaiserburgカイザーブルクに向かって上がる。薄紫のライラックが満開の様子を楽しみながら、上り坂を上がると、Burgenstrasse古城街道の標識が出てきた。
確かにKaiserburgカイザーブルク皇帝城はこの古城街道上にある。
≪Die Burg Kaiserburgカイザーブルク皇帝城の見学≫
(15:15~16:30 ; Euro 10 + チップ Euro 1)
ニュルンベルグのシンボルとも言える、カイザーブルク皇帝城は、旧市街(80の塔と長さ5kmの城壁に囲まれている)から超然とした姿で岩山の上にそびえている。
ドイツ人に人気の高いBarbarossa赤髭王(1123~1190)やその後に続いた王達が、帝国でも最も大きく、強固な城を築いたと云う。それは旧市街の何処からも見えるもので、北の端に堂々と君臨している。16世紀までの長い間、多くのドイツの王と皇帝の居城であった。
城門前にこれはまた見事な、大きな濃い紫色したライラックが咲き誇っている。城門を入ると、中庭がある。
時間調整で最初にカイザーブルグ博物館に行く。ここには築城の歴史、武具などの展示がある。裏手にある公園 は深い堀と厚い城壁に囲まれていて、ここにもライラックが咲き、観光客は香り高い花に近づいて、香を嗅いでいる。ユースホステルになって城郭内の建物、町を一望する展望台を回った。眺望の良いSinwellturmジンベル塔があったが、改修中である。登れるらしいが・・・。
本丸にはガイド付きで入る。印象深いのは皇帝の間で、謁見の為の部屋だったと云う。
天井中央には、黄色の地に黒で双頭の鷲が描かれ、その他、王の様々な紋章が天井を隈なく覆い、圧巻である。だが、広い騎士の間は寒々としたもので、この城はあまり見るべきものが残されていないようだ。
1200年頃、Hohenstaufenホーエンシュタウフェン朝に建てられた、ロマネスク様式の二重礼拝堂は身分に応じた礼拝ができるようにしたようで、当然上部は身分の高い者の為だ。二重礼拝堂の構造は其々が異なった形式で、皇帝一家には2階の西側に特別席が設けられていて、他と歴然とした差を示す。2階はきちんと装飾されているが、1階は砂岩の柱に模様が彫刻されているものの、荒削りのままである。
深井戸もガイド付きで、60mの深い井戸は地下水の層まで達していると云う。
XXX- 旅行時期
- 2009年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
-
クルムバッハ:プラッセンブルク要塞の「錫人形博物館」は実に見ごたえがあった。
投稿日 2023年08月02日
総合評価:5.0
“北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅(旅行記)
:フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの
古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る:
2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅:4月22日(水)
4月22日(水) 今日も朝から大快晴。14~17℃。 158km
KulmbachクルムバッハはOberfrankenオーバーフランケン地方の中心にある人口27千人の小都市である。バイロイトの北西凡そ25km、白マイン川沿いに位置し、その町を見下ろす高台にプラッセンブルグ城があって、世界最大の錫人形コレクションを誇る錫人形博物館が名高い。
また世界で最強のビール醸造と炭火焼ソーセージ(子牛肉を多めに混ぜた良質の豚挽肉からできているもの)で知られている。
【Kulmbachクルムバッハ:Plassenburgプラッセンブルク要塞】
駐車場傍に要塞へのシャトルバスが運行されている。8人乗りのバンで、往復二人でEuro 4.4だった、15時に満員のお客と出発する。
旧市街を抜けると直ぐに、要塞への坂道を登り始める。緑の並木道を数分で上がる。眼下には白マイン川が見える。
<この町と要塞の歴史>
西暦900年頃にはこの地に、マイン川渡河に対する防衛の前線拠点があった。最も古い文献であるアルクィンの聖書(1028~1040年頃)に、クルムバッハの名は「Kulma」として登場する。この名はこの地を流れる小川の名前に由来する。(Culmin-aha, Culmna;その後、誤解から Kohlenbachコーレンバッハ炭の川と改名されている)
12世紀の前半、最初のプラッセンブルク城と現在「上の町」と呼ばれている所にマルクトや教会が建設され、その後、古いプラッセンブルク城の代わりに、メラニア公爵が町の高台にある、シュポルン山上に新しい城を建設し、居城とした。現在の要塞である。
1340年にホーエンツォレルン家一門のニュルンベルク城伯のものとなり、17世紀に至る間、城伯の宮廷があり、ホーエンツォレルン家のクルムバッハ侯領の首都であった。
バンベルク、ニュルンベルク、エーガー(現在のチェコ領ヘプ)、ホフ、ライプツィヒを結ぶ古い通商路沿いにある地の利から、この町は交易が盛んになり、織物、フスティアン織り、染色、絹刺繍などの商いが行なわれた。
1430年のフス教徒の乱では、町は手ひどく破壊された。
また、1553年の第二次辺境伯戦争(当初は、ホーエンツォレルン家によるフランケン公領創設を目論むブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯アルブレヒト・アルキビアデスと、これに抵抗するニュルンベルク市との戦闘)ではコンラディターク同盟軍に占領され、略奪を受けた。1554年10月に、城も戦火を受け、破壊されてしまった。
<プラッセンブルク城(要塞)の見学>
現在見られる要塞は4つの塔、強力な城壁をもち、ルネッサンス様式の城郭施設としては、ドイツでも最大級のものの一つである。
この城については1135年に初めて文献に出てくる。1338年~1791年の450年余りの間は、ホーエンツォレルン家の居城であった。名高い“Schoene Hof美しい中庭”には彫刻を施されたルネッサンス風のアーケードがある。
緑のまだ少ない中庭は魅力にいま一つだが、夏にはここに舞台が作られ、野外劇やコンサートが催されるとある。
要塞には州立博物館と錫人形博物館があり、前者にはフリードリヒ大王武器博物館 ・オーバーマイン地方博物館 の二つが含まれる。エプシュトルファーの世界地図のレプリカなど見るものも多いのだが、時間もなく省略して、錫人形博物館だけにした。
<錫人形博物館>
1929年に開館。1~5階にかけて、世界最大コレクションと言われる、30万体余りの錫人形が、各時代に分けて170ものブースに展示されていた。
石器時代の狩猟、ローマ、ゲルマン、中世の騎士、ナポレオンの戦争時代・・などである。やはり興味があるのは、様々な戦争シーン。数えきれない錫人形の騎士・傭兵、将軍・士官、兵が並んだ、戦闘シーンは規模も大きく、忠実に再現されて、実に面白い。
①1757年12月5日Schlacht von Leuthenロイテンの戦い(七年戦争(1756~63年;英仏の植民地戦争)中の会戦。フリードリヒ大王指揮のプロイセン軍がオーストリア軍を撃破した。先のロスバッハの戦いとあわせて軍事史上注目される戦い。双方の動員戦力は3.5万X7万人、死傷者は6千X1万人)
②クルムバッハは第二次辺境伯戦争では戦火を受け、破壊されてしまったが、1553年11月26日をDer Conraditagコンラードの日と称している。(即ち、Bundesstaedische Krieg= 第二次辺境伯戦争) その時の戦いを、19,500体の錫人形で表現している。左手に山上の要塞が見え、城下の町は城壁に囲まれ、守備軍の旗が並ぶ。手前から右手にかけては、攻城軍が(ニュルンベルグ、バンベルグ、ヴュルツブルクの同盟軍など)軍旗をはためかせて、今にも戦闘が開始されようとする緊張感が伝わる。各軍団の色彩も鮮やかで美しい。この長い戦いの1日は“クルムバッハの暗黒の日”として、語り継がれていると云う。
③オーストリア継承戦争(1740~48年;つまり第一次・第二次シュレージェン戦争)に於ける、Schlacht bei Kesselsdorfケッセルスドルフの戦いは1745年12月14~15日に行われた会戦である。プロイセン軍とオーストリア軍とザクセン軍の連合軍が、エルベ川に注ぐ、小さな谷川に沿って戦ったもので、プロイセン軍が勝利した。冬季の小川とそのまわりの湿地は凍りついた状況で、凄まじい戦闘が行われたと云う。厳冬の戦いを錫人形で表現している様子も見応えあるもので、様々な人形が戦いの事細かなシーンを見せていた。
兵員の動員は3万X 3.1万と互角であったが、戦いの後は死傷者5千X 5千 + 捕虜となったものは1万人を数えたと云う。ザクセン軍は兵士の半数を失い、戦闘能力を喪失した為、首都Dresdenをプロイセンのフリードリヒ大王に明け渡した。シュレージェン割譲を承認するドレスデン条約が結ばれ、第二次シュレージェン戦争は終結となった。
その他にも、領主の結婚式、軍隊の行進、チューリンゲンの木組み建築の町の日常風景。番外ながら、ミニチュアの台所と様々な用具、頭や手足、胴が磁器やレザーで出来た人形、Maerklinメルクリンの模型電車も・・・。
(博物館入館料はEuro 14 ・自由見学で一時間)- 旅行時期
- 2009年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
-
ヴュルツブルク:クリスマスの古城ホテル シュロス シュタインブルクは丘からの眺望が素晴らしい。
投稿日 2014年10月23日
総合評価:4.5
≪Schloss Steinburg シュロス シュタインブルク≫
D-97080 Wuerzburg 、Auf dem Steinberg
古城ホテル 全50室・4星 Euro155(3F・16号室 kleines Schlosszimmer)
TEL:49(0)93 1-97020 FAX:?97121
http://www.steinburg.com
古城ホテルはクリスマスの飾りにあふれていて、大変好ましい雰囲気に包まれている。
通された部屋はErkerzimmer(張り出し窓の間)レストランの横にある階段を上がり、廊下の奥にありました。広さはkleines小さめとの事でしたが、十分な広さでしょう。
窓の外には広いテラスが付いています。丁度、レセプションの上あたりに位置しているようでした。ホテルが一番自慢している、眺望の良さは確かで、テラスから見る、この町の夜景や朝の眺望は素晴らしかった。
Wuerzburgの大司教Rheinsteinラインシュタインが13世紀の半ばに、居城マリエンベルグ城塞の対岸・Steinbergシュタインベルクの丘に築城したのが、現在の古城ホテルの始まりである。
但し、市民と仲が悪く、とかく対立した大司教の城はWuerzburgの市民の攻撃で10年しないうちに、城は破壊され、今は何も残っていないと云う。
1897年Wuerzburgの市民Schneiderシュナイダー氏が、この丘からの眺望の良さを気に入り、館を建てた。
1937年にBezoldベツォルド家がこれを手に入れ、ホテル・レストランを開業し、現在に至っている。テラスからのマイン川とブドウ畑の眺望は見事なもので、対岸の丘に建つマリエン大要塞も見える。
旧市街から約2kmの近さで、中央駅からタクシーで約10分、料金は15ユーロ程度でしょう。
この春に来た古城ホテルだが、丘の裏手から車で登る上り口は一応標識もあるが、夜だとなかなか見にくく、見つけるまで3人に聞いたほどだ。
登る道は狭く、対向車がくると大変なものだ。傾斜もあって、雪道で無かったのが、幸いと言えようか!
メイン・レストランのErkerzimmer張り出し窓の間、それから、この春にお茶を楽しんだRittersaal騎士の間があり、それ以外にもTurmzimmer塔の間、Schlossgewoelbe丸天井の間と言ったレストランがある。
XXX- 旅行時期
- 2009年12月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 10,000円 未満
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- サービス:
- 4.0
- バスルーム:
- 4.0
- ロケーション:
- 5.0
- 客室:
- 4.5
-
“ヒキガエルの水溜り”の異名を持つ古城ホテル フーゲンポエト城
投稿日 2014年07月31日
総合評価:4.5
≪ドイツの春:北方二州を巡る旅≫
ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅
期間:2014年05月09日~23日 15日間)
XXX
2014年05月21日(水)
≪Hotel Schloss Hugenpoet 古城ホテル フーゲンポエト城≫
D-45219 Essen-Kettwig 、August-Thyssen-Str.51、
Tel:49(0)2054-12040 、Fax: -50
http://www.hugenpoet.de/
2006年5月7日に1泊した。このホテルはDuesseldorfデュッセルドルフから近いこともあって、夕食やお茶に何度か来たが、泊まった事は一度もなかった。
2006年は“懐かしの地を再訪する旅”であったので、この時に1泊したのだった。
今回で2度目になる。
5星・全31室。Hugenpoetフーゲンポエトとは“ヒキガエルの水溜り”という意味で、この古城ホテルは大変珍しい名前がついている。Ruhrルール川に沿った沼地に建てられた水城でした。
カスターニアンの大きな並木を通り、掘割の上の跳ね橋をくぐり抜けると、古城ホテル フーゲンポエト城に着く。
城館の入口を入ると左手に見事なレリーフが彫り込まれた立派な暖炉があり、右手にはレセプション、メインロビーがある。重々しい黒光りの大理石門がレセプションとの境に設けられている。
ルール工業地帯の産業経済の繁栄を背景に、ドイツを代表するスノビィッシュな高級古城ホテルと称されている。
メインレストラン“ネッセルローデ”はグルメ・レストランとして名高く、近年、レストランはNEROネロと改名され、ミシュランの1星(女性シェフ・エリカ)に上昇したものの、今はこのレストランは何かの事情でやっていない。
但し、“NEROネロ”を模様がえして、“HUGENpoettchen小さなヒキガエルの水溜り”という気軽なレストラン(女性シェフ・エリカ)がこれに代わっている。
残念ながら、“HUGENpoettchen小さなヒキガエルの水溜り”2014年の評価はミシュラン(Bib)、全独635位である。
<Arrangement;Leger auf Hugenpoetフーゲンポエト城での寛ぎ>
Geniessen Sie eine Uebernachtung in einem Doppelzimmer inklusive Hugenpoeter Schlossfruehstueck. DZダブル一室・朝食込み
Wir begruessen Sie mit einem Willkommenscocktail auf dem Zimmer und servieren am Abend ein Drei-Gang-Menue in unserem Restaurant „HUGENpoettchen“. お部屋に歓迎カクテルの御用意、“HUGENpoettchen小さなヒキガエルの水溜り”での3品の夕食
Euro160,00 pro Person im Doppelzimmer 一人Euro160
Unser Arrangement "Leger auf Hugenpoet" ist nur im Doppelzimmer buchbar.
Reservierungen unter:
(Euro160x2=320 )
フーゲンポエト城の歴史:
フーゲンポエト城の歴史は778年にまで遡る。カール大帝の時代に土地の名前が登場する。騎士のブレッヒ・フーゲンポエトが城を建てる。
1478年クレーフェ公国のものになるも、神聖ローマ帝国の攻撃にあって破壊されてしまう。
1509年にネッセルローデのフーゲンポエト家がこの土地の所有者であると宣言し、やがて1696年に城を再建した。その後、城は手放され、何時しか荒廃してしまう。
1831年にはレオポルド・フュルステンベルク男爵が荒廃した城を再興し、オランダ風の破風屋根をもった建物ができた。
1955年にホテル・レストランに改築されて、2005年に50周年の区切りの年を迎え、現在に至る。- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 1人1泊予算
- 20,000円 未満
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- アレンジメントを利用した
- サービス:
- 5.0
- 気持ちの良いサービス
- バスルーム:
- 5.0
- 広く明るい
- ロケーション:
- 4.5
- Duesseldorfデュッセルドルフから近い
- 客室:
- 5.0
- 素晴らしい
-
茨城のアジサイの名所、潮来にある「二本松寺のアジサイの杜」を訪ねた。
投稿日 2023年06月08日
総合評価:4.5
【潮来市:二本松寺(にほんまつじ)のアジサイの杜を巡る】
天台宗羽黒山覚城院・二本松寺
〒311-2433 茨城県潮来市堀之内1230
Tel:0299-64-2263
規模 :40,000㎡の境内に100種10,000株以上のあじさいが見られる。
開催期間: 6月第1土曜日~6月30日(開花状況により変更あり)
開門時間: 午前9時~午後4時(最終受付)
入山料 : 400円
駐車場 :無料(120台)
あじさいの杜|茨城県潮来市二本松寺 (nihonmatsuji.com)
・・・・・
2023年6月7日(水)、
梅雨に入る前の上天気の一日、ドライブ・散策を兼ねて、茨城のアジサイの名所「二本松寺のアジサイの杜」を訪ねた。
二本松寺の境内に登る前に、右手に入口がある。そこで「アジサイの杜」・入場券代400円X2=800円を払って、14時半、坂を下る(Map参照)。順路に従い徒歩で巡る。
15時10分ごろに二本松寺の本殿裏手に至るから、ゆっくり歩いて40分ほどの散策である。田んぼに苗も植えられ、緑の水田がアジサイの杜の順路の右手に良い感じで見える。
アジサイの杜は、二本松寺の寺域に連なる丘の傾斜面に様々な美しい色合いを見せている。
「アジサイの杜」と称するだけに、40,000㎡の境内に、数えたわけでもないが、その数100種、10,000株が植栽されているそうである。まとまって、見ごろを迎えた紫陽花(あじさい)、アジサイは実に見応えがあった。
(昨年、同じ時期に千葉の多古町(たこまち)にある、今が季節の「アジサイ寺」と称されている日本寺(にちほんじ)を訪ねた。日蓮宗の学僧たちが学ぶ大学「中村檀林(なかむらだんりん)」と称された「日本寺」で、境内の杉木立の平場に50種、10,000株が植栽されていた。
【「日本寺(にちほんじ)」】
〒289-2257千葉県香取郡多古町南中1820-1
0479-76-3745)
千葉の多古町の「日本寺(にちほんじ)」と比較すると、二本松寺のほうが、丘の斜面を利用して、アジサイもたいへん見やすく、景観も良いように思えた。
尚、観光バスも見かけたこの日、広い駐車場があるものの、アジサイ祭りはやはり土日を避けたウイークデーの午後に訪ねるのがベストだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
栄町安食の菓子舗・春月堂には、お気に入りの名物「大鷲乃宮最中(おおわしのみやもなか)」がある。
投稿日 2023年07月16日
総合評価:4.0
≪栄町安食(さかえまちあじき)の菓子舗「春月堂」≫
2022年7月19日、印西市や成田市の隣町になる、栄町安食(さかえまちあじき)にお気に入りの菓子舗「春月堂(しゅんげつどう)」があり、名物「大鷲乃宮最中(おおわしのみやもなか)」を求めに出かけた。
美味しい最中は、ご当地の大鷲神社(おおわしじんじゃ)の金色の大鷲を型取って創製したものだ。
<栄町・安食:春月堂>
〒270-1516 千葉県印旛郡栄町安食3599
電話:0476-95-0027
定休日は水曜日。
最寄り駅:安食駅南口から徒歩約8分。
大正9年創業 名物の最中で知られている。
早春は代々受け継いだ桜餅に始まり、4月~5月は栄町産コシヒカリを使った柏餅、初夏にはくず切りとフルーツゼリー、秋には焼き菓子各種、12月の安食の酉の市には名物のあんこ玉を手づくりでこしらえている。
上記のように様々な種類を一家で考えて創作しているようだ。
ともあれ、一度賞味すると、季節季節に何となく訪れてしまう。
・・・・・・・・・・・・・- 旅行時期
- 2022年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- サービス:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 4.0
-
青梅:火打屋本店の店構えはパン屋、私共の印象はいまだに団子や酒まんじゅうである。
投稿日 2023年07月10日
総合評価:5.0
2023年5月30日~6月1日、亀の井ホテル青梅(旧かんぽの宿)に2泊して、故郷の青梅に墓参りをした。
青梅には定評のある「酒まんじゅう」がある。
<火打屋本店 (ひうちや ほんてん)>
住所:〒198-0041 東京都青梅市勝沼1-43
Tel:0428-22-2483
営業時間: 9:00~18:30 (定休日は日曜日・祝日)
火打屋本店:店構えはパン屋、私共の印象はいまだに団子や酒まんじゅうである。
明治10年、火打鍛冶屋として創業。団子や酒まんじゅう屋を経て、戦後からパン屋として生まれ変わった。パン屋としても既に60年以上の歴史がある。
コッペパンや食パンが定評のある商品だそうで、もう団子や酒まんじゅうは店の商品案内にはないのが寂しい。
青梅線東青梅駅北口から徒歩3分にあり、高校生の頃から、団子や酒まんじゅうを買い食いした記憶がある。
予約済みの酒まんじゅうを70個(6,000円)購入した。
昔ながらの美味い酒まんじゅうはお気に入りなのだ。
酒まんじゅうは安い(今時のケーキ類と比べると、腹持ちも良く一個100円は実に安い、健康にも良い)、しかも美味い。
御ババ様が頑張って、名代の酒まんじゅうを作っていると聞いていた。
パン製品が並ぶ中、辛うじて、御ババ様お手製と思われる、安く美味い酒まんじゅうが写真のようにコーナーに並んでいた。
家では、お茶の時間に冷凍した酒まんじゅうを解凍後、トースターで3分ほど焼いて食べている。皮はモチモチで食べ心地が良い上に、熱さを冷ましながら食べる餡が実に好ましい味なのだ。
娘家族も、こちらの酒まんじゅうも気に入っていて、お土産を楽しみにしている。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- サービス:
- 4.5
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 5.0
- 観光客向け度:
- 4.0
-
青梅:道味(どうみ)を訪れて、電話で予約済みの最中を40個(5,700円)購入した。
投稿日 2023年07月09日
総合評価:5.0
2023年5月30日~6月1日、亀の井ホテル青梅(旧かんぽの宿)に2泊して、故郷の青梅に墓参りをした。
青梅を代表する和菓子店には大好きな最中がある。実家の亡くなった両親もひいきにしていたので、青梅に来ると、いつも土産にする。
以前、【青梅の甘味処・昔ながらの銘菓が楽しめる道味】といったものを投稿したが、先代御主人夫妻がたてつづけに亡くなられたので、コロナ禍での家業の将来や、良き味を保てるのか心配していた。
今年の1月に訪れた時は完全に閉まっていたので、休業したのかと心配したが、法事でもあったのだろう。
6月1日、千葉へ出発する前に、道味(どうみ)を訪れて、電話で予約済みの最中を40個(5,700円)購入した。
帰宅して食べてみれば、変わらない味の最中に大いに感心し、今は安心している。
<道味和菓子店(どうみわがしてん)>
住所:東京都青梅市住江町68
電話:0428-22-3201
和菓子専門店:最中、青梅せんべいなど。9―18時営業(月曜定休)。
創業弘化3年(1846年)頃、当初は薬種商を営んでいたが、いつからか菓子を造って売るようになり、現在に至っている。
「道味」と書いて「どうみ」と読ませるが、この店名の由来はご先祖様の俳号だそうだ。
青梅駅のロータリーの先の大通りを左手に行くと、丘の上に祀られた住吉神社がある。徒歩約4分と近いが、その住吉神社前に創業160年以上という青梅でも老舗の道味和菓子店がある。ここには私共のお気に入りの御菓子がある。
道味の名前を入れた皮に、甘さを抑え小豆の旨味を出したつぶし餡を入れた香ばしい最中である。娘や孫たちも大好きな味で、お土産には最適なのだ。
案内によると、最中の賞味期限は7日~10日で、夏季は冷凍しても美味しいとされている。私共にとって、この種の品にしてはよく長持ちがして、味も常温で置いても変わらないのが良い。
夏場になれば、冷凍しても味が落ちないのがすごい。
私共老夫婦にはこの日、同じようにお土産を購入した酒まんじゅうと共に故郷の味で、もったいないからと、長く食べるために、一個を半分にして二人で食べることもある(笑)。
・・・・・- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
- 観光客向け度:
- 4.5
-
潮来市:二本松寺(にほんまつじ)には水戸光圀公の事績が残る。
投稿日 2023年06月12日
総合評価:4.0
地域の情報誌に茨城のアジサイの名所、潮来にある「二本松寺のアジサイの杜」の事が紹介されていた。
2023年6月7日(水)、
梅雨に入る前の上天気の一日、ドライブ・散策を兼ねて、茨城のアジサイの名所「二本松寺のアジサイの杜」を訪ねた。
潮来市の史跡めぐりには欠かせない寺である長勝寺(ちょうしょうじ)のように、二本松寺も歴史も伝統もある名刹だ。
【天台宗羽黒山覚城院・二本松寺】
〒311-2433 茨城県潮来市堀之内1230
Tel:0299-64-2263
6月のアジサイの季節には40,000㎡の境内にアジサイ祭りが催される。
駐車場 :無料(120台)
<その歴史>
天台宗羽黒山覚城院二本松寺と称する。本尊は秘仏薬師如来。
400年間、嶋崎氏の寺で。その滅亡後は大大名の佐竹氏、特に光圀公の徳川水戸藩の尊宗を受け、格別の支援を受けた。末寺は25ヶ寺。
<境内の見所と銘木>
①享保の延命地蔵菩薩半跏
②嶋崎氏一族の供養塔
③板碑
④菩提樹
樹齢約350年、樹高12m。
⑤ふたもとの松
水戸光圀公の歌碑が、ふたもとの松の横に立っている。
『ふたもとの 松のみとりの 色映えて 紅にほふ 軒のむめが香』
⑥天然記念物 二本松寺の槇(まき)
樹高13m。(昭和50年潮来市指定文化財指定)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2023年6月5日Wiki・HP参考、編集・追記)- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
関宿城博物館から見下すと、けやき茶屋は名前の通り、けやきの大木が目印になっている。
投稿日 2023年06月28日
総合評価:3.5
今日(2023年5月30日)、故郷の青梅に墓参りをしようと、行程を考えた。
千葉県民となって50年近くになるが、一度もこの千葉最北端にある関宿(せきじゅく と呼んでしまうが、正しくは「せきやど」である)の地を訪れたことが無かったので、ここ経由で青梅に行く事に決めた。
この日の気温は26度、快晴である。
関宿城博物館の駐車場から見下すと、古びた一軒の茶屋がある。
名前の通り、けやきの大木が目印になっている。いろいろと、料理の種類が短冊のように壁に掲示されている。同年輩の老夫婦がやっている店だ。そう流行っているようには見えないが、此処しかないのだ。
お客は私共だけで、何となく落ち着かず。店内の新聞記事などを見て回る。
家内は最近郊外に出ると、昔ながらのラーメンを食べたがる。なかなか美味いのにあたらないのだが、今日もラーメンにトライした。
私は無難と思った、こちらのおでんの定食を頼んだ。
食事だけでは悪いかなと思い、帰り際にお土産に漬物と揚げもちを購入した。
代金合計3,140円也。
・・・・・
けやき茶屋では思っていた以上の収穫があった。地元紙の*千葉日報の新聞記事である。
これを貼っていた老夫婦の思いをちょっと察した。
1996年1月の新聞記事が店内の壁に貼ってあった。
旧関宿藩の家老や上級武士たちの末裔の親睦団体である関宿藩士会(今も関宿に在住するそうだが)が、関宿城博物館の完成を機に、関宿城主久世氏12代目の殿様!を迎えたという記事であった。
けやき茶屋の老夫婦には聞かなかったが、古い記事を残していたので、ひょっとして、関宿藩士会のメンバーだったかもしれない。
それに幾つかの記事、一つはこの町の偉人である終戦時の首相鈴木貫太郎氏の記事である。鈴木貫太郎氏の記念館があるそうだが、訪れていないものの、調べてみると現在は休館中だと云う。その他2つの記事は「房総の駅百景」、「博物館図鑑(関宿城博物館)」といったもので、当地の事を書いている。
・・・・・
食事を終えて、茶屋の横手から城を見上げた。可愛らしい、小さな城だ。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 3.5
- 観光客向け度:
- 3.5
-
千葉県の最北端にある関宿城(現模擬城)は江戸城防衛もあって、徳川家の譜代大名が代々の関宿藩藩主を務めた。
投稿日 2023年06月04日
総合評価:4.0
野田市:関宿城博物館(せきやどじょう はくぶつかん)
所在地:〒270-0201 千葉県野田市関宿三軒家143-4
Tel:04-7196-1400
http://www2.chiba-muse.or.jp/SEKIYADO/
千葉県立関宿城博物館(写真参照)は千葉県野田市、かつての関宿城址付近にあり、関宿城、旧関宿町、利根川・江戸川という河川(大がかりな利根川東遷事業=河川改修)に関する県立の総合博物館である。
関東の富士見百景に選定されていると云う。
2023年5月30日、故郷の青梅に墓参りをしようと、行程を考えた。
千葉県民となって50年近くになるが、一度もこの千葉最北端にある関宿(せきじゅくと呼んでしまうが、正しくは「せきやど」である)の地を訪れたことが無かった。
この日、渋滞で名高い国道16号を経由し、時間がかかったが国道17号に入り、農村地帯に入ると、草原の果てに白亜の天守を望めた。小さいもののなかなか充実した展示で、興味津々で博物館を見学した。
また四階・最上階の展望室から見る周囲の景観、利根川・江戸川の分岐点が確認できた。
利根川水運の中継地として栄えた関宿の関宿藩は、北の外様大名に対する備えもあり、徳川家康の異父弟・松平康元が藩祖となっている。松平家の後も幕府の要職を務めた譜代大名(小笠原、牧野、板倉、久世(くせ)家)が配置された。
(1階展示室、 2階企画展示室、3階多目的室、4階展望室、敷地面積:11,135m2 延床面積:2,172m2 )
<開館時間・入場料>
開館時間: 午前9時 - 午後4時30分(ただし入館は午後4時まで)
定休日: 月曜日(月曜日が祝日または振替休日にあたる場合は開館し、翌日休館) 年末年始(12月26日 - 1月4日) その他、臨時に休館することがある。
入館料: 一般 200円(団体 160円)
入場料は大人200円とあったが、65歳以上の高齢者は有りがたいことに無料であった。
広い駐車場も無料で、10台ほどが停まり、訪問客もアクセスの悪い場所だが、若い城好き思われる女性群など20数名が訪れていた。
・・・・・- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 2.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.0
-
日本遺産に選定されている伊能忠敬記念館は、伝説の男・忠敬(ただたか)が主人公だ。
投稿日 2023年06月21日
総合評価:4.5
2017年5月30日、香取市佐原の公営駐車場(一日駐車料500円)に車を停め、日本で初めて実測による日本全国地図を作った、江戸期の偉人・伊能忠敬(いのう ただたか)の記念館を訪れた。
2022年の秋、佐原の古刹・観福寺(日本厄除け三大師の名がある)を訪れ、寺域に伊能忠敬(1745年~1818年、享年73歳)の「参り(まいり)墓(髪と爪を納めた)」があったことを知った。
【日本遺産(にほんいさん)】
No.23 2016年4月25日
「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」 - 佐倉・成田・佐原・銚子:百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的町並み群が選定されてる。
<佐原重要伝統的建造物群保存地区、佐原の山車行事、伊能忠敬記念館(伊能忠敬関係資料)、伊能忠敬旧宅、香取神宮、観福寺(銅造十一面観音坐像・地蔵菩薩坐像・薬師如来坐像・釈迦如来坐像・伊能忠敬墓)>
の中にある「伊能忠敬記念館」は伝説の男・伊能忠敬の事績を理解できるように、関係資料が展示されていた。
この日の館内には中学生が課外学習で訪れ、にぎわっていた。
もったいないなと私共が思うほど、教師の指導も無く、記念館の人達の案内や説明も無く、彼等は館内をいたずらに右往左往している様子でした。
・・・・・- 旅行時期
- 2017年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.5
-
佐原の小野川沿いの散策で、ちょっと面白いのは樋橋(とよはし)、異名が「ジャージャー橋」だ。
投稿日 2023年06月19日
総合評価:4.0
最近では小江戸・佐原(香取市)を目的地に走ることが多かった。
今日、2023年5月16日(火)は半年ぶりに小江戸・佐原の小野川沿いの町並みを散策した。
小野川沿いを巡ると、重要伝統的建造物群保存地域内に昔風の格子が目立つ建物が多いのが魅力である。その地域を流れる小野川(最長5.8km)には、上流から下流に(利根川に合流)かけて20ほどの橋が架かっている。その中でも多めに見て、観福寺近くの牧野橋、佐香江橋(さかえばし)、学校橋、樋橋(ジャージャー橋)、忠敬橋(ちゅうけいばし)、共栄橋、中橋、山田鰻店近くの開運橋までの両岸を散策するのが、適度で良い行程だと思う。
公営駐車場に車を停め、伊能忠敬記念館横から小野川沿いに出た。
伊能忠敬旧宅と樋橋(とよはし)の前で、丁度、落水を見る事が出来た。
<佐原の小野川沿い散策:樋橋>
香取市のHPを抜粋すると、
樋橋(とよはし)は小野川にかかる橋の一つで、丁度、伊能忠敬旧宅前に見ることができる。元来は江戸時代前期に作られた佐原村用水を、小野川の東岸から対岸の水田に送るための大樋でした。
大樋を通る水が、小野川にあふれ落ち「ジャージャー」と音を立てる事から、「ジャージャー橋」の異名で呼ばれる。
落水は観光用に30分毎に実施され、「残したい日本の音風景100選」に選ばれている。
・・・・・・・・・・- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
香取市・佐原の小野川沿い散策:並木仲之助商店でお土産を購入。
投稿日 2023年06月18日
総合評価:4.0
最近では小江戸・佐原を目的地に走ることが多かった。
2022年11月21日、【小江戸・佐原から潮来、神栖を巡る。①佐原の観福寺の紅葉、鰻のやま川で夕食を楽しむ。】
2022年11月22日、【小江戸・佐原から潮来、神栖を巡る。③東国三社に数える神栖の息栖(いきす)神社に参詣し、佐原の荘厳寺(しょうごんじ)では国の重要文化財である十一面観音に驚いた。】
今日、2023年5月16日(火)は半年ぶりに小江戸・佐原の小野川沿いの町並みを散策した。
小野川沿いを巡ると、重要伝統的建造物群保存地域内に昔風の格子が目立つ建物が多いのが魅力だが、その一つに「並木仲之助商店」がある。
営業時間:9時~17時
定休日:不定休
所在地:〒287-0003 香取市佐原イ502
TEL:0478-54-2585
店の案内によると、
明治34年(1901年)創業(日用品雑貨荒物卸業)、
平成10年より和紙とお香の商う。
店内に心地よい香りが漂っている。
佐原のお土産に、この店で購入したのは誕生月の絵ろうそく、外山康雄氏の作品「折々の花たち」の葉書です。
愛想のよい女性としばし歓談し、気分良くこの日の小旅行を終えた。- 旅行時期
- 2023年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- 品揃え:
- 4.0









































































































































































