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jijidarumaさんのクチコミ(3ページ)全587件

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  • 志賀高原に出かけたら見るべきは総合会館98の志賀高原自然保護センターと長野オリンピック記念館でしょう。

    投稿日 2023年10月28日

    志賀高原総合会館98 湯田中渋温泉郷・志賀高原

    総合評価:4.5

    <2023年8月20日(日)~22日(火)、志賀高原の旅>

    2泊3日の小旅行に我が家の長女、孫娘(次女・高2年)たちと、長野県志賀高原に行ってきました。
    長女宅の孫娘(長女)が、2023年春より大学に入学し、同時に某吹奏楽団のファゴット奏者(高校時代も同じ)で入団しました。
    その吹奏楽団の夏合宿が志賀高原のホテルで行われ、合宿中に催される「志賀高原カレッジコンサート(*志賀高原総合会館98にて)」に出演するから是非聴きに行こうと誘われて、出かけたのです。

    宿泊先:ホテル白樺荘(2泊)
    長野県下高井郡山ノ内町志賀高原蓮池(平穏7148)  
    Tel:0269-34-3311    

    志賀高原総合会館98は宿泊先のホテル白樺荘からは徒歩圏内にある。

    8月22日(火)は旅の最終日。この日は娘達がロープウェイ(ゴンドラ)に乗るというので、高所恐怖症の私は辞退して、その間、蓮池傍の山の駅や大蛇神社、志賀高原総合会館98の様々な施設を見学して待つことにした。


    *志賀高原総合会館98は1998年長野冬季オリンピックの年にオープンした。
    志賀高原総合会館98;長野県下高井郡山ノ内町平穏7148 志賀高原蓮池
    電話:0269-34-3098、自然保護センターなどの各種施設の入口。


    志賀高原総合会館98・・・コンサートホールなど
    志賀高原自然保護センター、
    長野オリンピックパラリンピック記念館、
    志賀高原観光協会、
    志賀高原索道協会、
    志賀高原ガイド組合、
    岳南広域消防本部志賀高原分遣所からなる複合施設です。

    志賀高原総合会館98は世界的音楽指揮者「小澤征爾」氏監修のもと完成された音楽ホールは各種音楽コンサート等に幅広く活用されています。
    1200名収容可能な98ホールは、音楽コンサートやレセプションパーティー会場、ロールバック客席を収納すればスポーツ合宿等にご利用いただけます。
     (上信越高原国立公園 志賀高原の公式サイト引用)

    中でも興味深い展示は志賀高原自然保護センターと長野オリンピックパラリンピック記念館でしょう。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2023年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    見ごたえ:
    4.0

  • オーバープファルツ北部の森に囲まれた、素晴らしい古城ホテル ブルク ヴェルンベルクはグルメレストランを持つ

    投稿日 2017年04月14日

    ホテル ブルク ヴェルンベルク その他の都市

    総合評価:5.0

    ≪北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅≫ 
             
    フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの
    古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る
    期間:2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅

    4月24日(金) 快晴。8.5~17℃。

    <(1泊)⑧Hotel Burg Wernberg古城ホテル ブルク ヴェルンベルク >     
    D-92533 Wernberg-Koeblitz 、Schlossberg 10
    209号室(3階)Landgraf(方伯)のタイプ Euro219 
    全29室・4星S  
    http://www.burg-wernberg.de

    ニュルンベルクの東90km、Oberpfalzオーバープファルツの北、森に囲まれた、静かな場所に、グルメレストランを持つ古城ホテルがある。
    1992年にWernbergの町とConrad電機会社が城を共有し、レストランを併設したホテルを作った。1998年に大改装して、ドイツで最も美しいホテルのトップ100選に選ばれた。
    現在、Conrad家と99年の長期リース契約を結び、ホテル経営を任せているのだそうだ。
    ここは現在、格式が高いホテルが多いRelais&Chateauxルレ・エ・シャトーのメンバーである。

    メインレストランのKastellカステルは歴史を感じさせるロマネスク様式の城の2階にあって、独特の丸天井の下、白を基調としたエレガントな雰囲気だ。
    夕食は19:00~21:50、Special Arrangement利用の5品コースをお願いした。
    夕食代はEuro326(43千円)。
    Kastellカステルはミシュラン1星、Gault Millau 17点、全独ランク52位。
     
    1999年初めて、ミシュラン1星を獲得。2001年にシェフとなったChristian Juergensは2002年に2星を獲得し、これを継続中であった。昨年8月、JuergensがRottach-EgernのSeehotel Ueberfahrtに引き抜かれたので、ここにはBerlinのリッツカールトンで1星を獲得していたKellermann を招聘した。この為、ミシュラン2星から下がったが、1星は確保した。
    (2016年現在は2星)

    この町は人口5800人の小さな町(海抜380~600m)である。古くからニュルンベルクとチェコのプラハを結ぶ街道、レーゲンスブルクとチェコのCheb(ドイツ語ではEger)の通商路が交差する場所にあって、繁栄してきたと云う。その町中から徒歩5分の城はNaabtalナーブ谷に臨む山の背に建ち、北側を谷川で守られている。広い掘割や美しい庭に周囲を囲まれた素晴らしい古城である。

    城の歴史は古く、その昔は“Werdenberg”や“Wernberch“とも呼ばれていたらしい。それは城がWerder直訳では川中島・・・川や湖沼に囲まれた半島の様な地域にあった為と云われている。古い資料は不確かだが、ローマ時代・3世紀の頃、Limes(古代ローマの国境防壁)にあって、監視と国境拠点として、建てられたとされている。1146年Gebhard Ⅰ von Luiginbergが領主となる。1280年Konrad von Paulsdorfの騎士に城を売却。
    1367年皇帝Karl Ⅳにより、ボヘミア領土の備えとされる。1430年に始まる、チェコの有名なフスの宗教改革の騒乱で城はオーバープファルツの他の城同様に大きな被害をうける。30年戦争でも同様に。その間、城の所有者は転々とする。
    1741~45年のオーストリア継承戦争では軍団の拠点となるといった様々な歴史を経て、今は美しい城の姿を見せている。

    XXXXX

    旅行時期
    2009年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    15,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    5.0
    バスルーム:
    5.0
    客室:
    5.0

  • 10年ぶりに、ライン川流域で一番の古城ホテル アウフ・シェーンブルクを再訪した

    投稿日 2017年07月26日

    ホテル シェーンブルク城 ライン川流域周辺

    総合評価:4.5

    2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅
    2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間

    第4日:10月17日(月)・・・185km、曇り時々晴れ、8~15℃

    10月17日(月)~10月18日(火):1泊 ⑥
    Burghotel Auf Schoenburg古城ホテル アウフ・シェーンブルク*
    D-55430 Oberwesel/Rhein 、Auf Schoenburg
    http://www.burghotel-schoenburg.de/

    4星・全22室。コンフォートDZの4階20号室はRheingoldkemenate ラインゴールドの間(22㎡)・Euro230(朝食込み:26,816円)。

    この旅、3つ目の古城ホテル。ライン川側の部屋を予約したので、相変わらず値段も高く、この旅で一番高い室料になる。
    近年、改装を繰り返し、小さなレストランの部屋数が増えた。ライン流域では一番の人気で、来客増に備え、そうとう金をかけた様子が見て取れる。

    スリッパと浴用ガウンあり、リキュール、リンゴ、冷蔵庫の飲み物(水、ジュース類、ビール)は無料なのは嬉しい。
    駐在中も何度か訪れたが、退職後の旅では2006年5月15日~17日、2泊したので、10年ぶりになる。いろいろと思い出も尽きないホテルだ。

    レストランはRitterstube騎士の間、Gobelinstubeゴブラン織りの間、Knappenstubeクナッペン(小姓)の間、テラスレストランがある。

    この部屋にはシェーンブルクの昔を描いた絵が架けられ、歓迎の印のチョコレートが1個ずつ枕上に、大きなベッドが中央に、左手奥の角に書斎机と椅子があり、その卓上に古めかしい電話・書籍・写真集が置かれていた。

    時計がのるシュランク(中にオーディオ装置、冷蔵庫が内蔵されていた)、中央奥に長椅子、その上の壁に絵画(絵の裏にTVが隠れていたが、できるだけ現代を意識させないようにしている)が掛かり、左の窓際にある卓上にはサービスのリキュールの瓶とグラス、リンゴ3個にナイフとフォークが添えられ、部屋の重い鍵があり、古城らしく、昔の書状のような巻物を開いてみると、歓迎の言葉と共に、部屋の番号、城の案内などが、昔の書体(独・英語)で書かれている。それに裏面に近年古城の裏手の斜面に造作を加えた庭園の図があった。

    入口の扉には騎士の漫画風な掛札(邪魔をしないで!&お掃除OK)がかかり、大きな鏡(その裏は洋服かけ、貸金庫など)、浴室には浴用ガウン、スリッパがおかれ、十分な広さのシャワールーム・洗面所・トイレがあった。勿論設備は現代そのもので、快適である。

    窓の格子柄、窓辺の花、部屋全体の絨毯、壁紙、カーテンの色合いも、私共にはとても好ましいものだった。

    その昔は書状のような巻物のような事はして無かったと思う。ホテルのこの拘り方に古城ホテル好きとしても感心する。
    世界中の観光客が、この古城ホテルに泊まりたがるのも分かる気がします。

    XXX

    旅行時期
    2016年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    15,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    4.5

  • シェーンブルク城:33号室は銃眼のある通路の先にある部屋でした。

    投稿日 2014年12月12日

    ホテル シェーンブルク城 ライン川流域周辺

    総合評価:4.5

    2006.5.:“ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅”
    期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間

    05.15(月)  ほぼ晴れ 午後になっても、20℃前後。 151km(通算1611km)

    ≪Burghotel Auf Schoenburg  ブルグホテル・アウフ・シェーンブルク城≫
    D-55430 Oberwesel/Rhein
    TEL:49(0)6744-93930 
    http://www.burghotel-schoenburg.de/

    33号室(Wehrgangkemenate銃眼のある通路の先にある部屋)に2泊した。
    全22室、4星 

    ライン川側の部屋を予約したので、値段も高い。レセプション横の階段を上がり、多分、教会部分の上にある城主の部屋--長い食卓が備えられ、歴代の城主と思われる人物画が壁に幾つも架けられた広間--を通り抜け、城の城壁に銃眼がくぐり抜かれ、内庭から数メートルの高さにある、木の通路を20mほど行く。
    途中のコーナーにはテーブルも置かれて、食事も摂れるようになっている。
    右に折れた奥まった所に、“Wehrgangkemenate銃眼のある通路の先にある部屋”の名札がついた、33号室は在りました。

    この離れの静かな部屋は、窓からライン川、対岸の丘陵地帯が見渡せて、鉛で丸や格子に縁取られた窓の外はマロニエの赤い花が咲いているのが良く見える。

    その内庭にライン川の眺望を楽しむ、テーブルが置かれて、数人の方が、ワインのグラスを片手に談笑している。

    部屋の真中には大きな、どっしりとしたベッドがあり、シェーンブルグの昔を描いた絵が架けられ、果物を盛った皿がテーブルの上に置かれて、大変心地よい空間になっている。面白い事にTVや、オーディオが木の棚の中に隠されていて、できるだけ現代を意識させないようにしている。
    左手には昔からかな?と思わせる突き出た場所にトイレがあり、がっしりしたドアが付いている。右手の奥に、シャワールーム・洗面所が設けてあり、勿論設備は現代そのもので、快適である。

    テーブルの上に、昔の書状のような巻物があり、開いてみると、歓迎の言葉と共に、部屋の番号、城の案内などが、昔の書体(ヒゲ文字:独・英語)で書かれている。

    昔はあまりこんな事はして無かったと思うが、ホテルのこの拘り方にはさすが--と感心する。世界中の観光客が、このホテルに泊まりたがるのが、分かる気がします。

    ブルグホテル・アウフ・シェーンブルク城はライン川畔に立つ古城ホテルの中でも最も人気の高いホテルと言われる。
    シェーンブルク城はロマンティシャーライン;世界遺産の中ほどにあたり、Oberweselオーバーヴェーゼルの町の上にある美しい中世の館である。
    中世の黒ずんだ城壁、新しく改築された赤壁の館はその色合いのコントラストが美しい。城の起源は11世紀頃と云われているが、ローマ時代の痕跡も出ているそうである。
    1689年のプファルツ継承戦争で侵入した仏軍にこの城は焼き払われてしまう。
    20世紀の初め、城が漸く再建され、1957年からホテル・レストランが開業された。

    月曜日はレストランが休みだが、宿泊客の為に特別に予約すると、“月曜日メニュー”で食事が出来る。  レストランはゴー・ミョー、アラルとも13点。】

    <夕食:Gaststubeガストシュツーベ;Gobelinstubeゴブラン織りの間>
    (19~20:30、108Euro)

    今夜のレストランは大変シックな部屋である。ギャラリーの様に、小さな野菜などの静物画が部屋の黒光りした壁に架けられ、天井近い上部の白い壁には一角獣(神話上の幻の動物)のゴブラン織りや、城主と思しき人物画が架けられていて、豪華な、落ち着いた空間を創っている。

    徐々に席に着き始めた客も様々で、日本人の母と20代の娘の二人も窓際のテーブルに座っている。私共は角の席で、30席全体を見渡せる、気にならない席だ。
    今日のメニューは既に決っているので、気楽である。

    Schoenburger 3-Gaenge-Menu am Montagシェーンブルグ・月曜日3品メニュー:

    最初はシェフのご挨拶:
    イタリアパルマ産のハムとメロン。ホウズキが添えてありました。

    スープ:葱のクリームスープに燻製の鮭の切り身入れ。

    メイン:豚の腰肉のローストに香辛料入りのソースかけ、緑のアスパラ、炒めたジャガイモを添え。

    デザート:イチゴを荒引きしたものの中に、自家製ラベンダーアイスを置いたもの。

    嬉しい事に、味、質、量のいずれも良く吟味されたもので、大変美味しい料理でした。

    飲み物は自家製の食前酒(15Euro)、2005年ラインガウのリースリングワイン;白辛口のハーフボトル(26Euro)。 

    XXX

    旅行時期
    2006年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    12,500円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    4.5
    客室:
    5.0

  • セピア色の思い出:1970.08.23.~24.千葉・養老渓谷温泉と弘文洞

    投稿日 2023年09月26日

    弘文洞跡 養老渓谷

    総合評価:4.5

    【セピア色の思い出:1970.08.23.~24.千葉・養老渓谷温泉と弘文洞】

    1970年(昭和45年)8月23日~24日.千葉・養老渓谷に1泊の旅をした。
    長女が生まれて半年ぐらいで、当時小金井市中町の個人住宅(御主人は息子さん家族と一緒に住む予定で、二世帯住宅を建てたが、二階は転勤で空いていた)の二階に間借りしていた頃である。
    子供連れの家族旅行は初めてであった。千葉・養老渓谷温泉(ようろうけいこくおんせん)を何故選んだのか、今ではよく覚えていない。
    後に千葉県民となるとは、当時考えてもいなかった。

    さて、Wikiによれば、養老渓谷温泉は千葉県市原市と夷隅郡大多喜町にかかる温泉郷で、旅館、民宿が養老川沿いに十数軒点在する。付近は千葉県立養老渓谷奥清澄自然公園に指定され、房総の魅力500選に選定されている。
    温泉の源泉温度は20度前後と低めであり、とろみのある焦げ茶色が特徴の黒湯が一般的であると云う。

    多分、何かで読んだ養老渓谷温泉が小さな規模の温泉郷で、温泉が焦げ茶色した黒湯だというのが、興味を持ったのかも知れない。

    千葉県市原市の五井駅から小湊鉄道に乗車し、稲穂の中をゴットンゴットンと揺られ、今でもあまり変わりのない車両に乗って1時間10分、養老渓谷に至りました。
    まだ車の免許も持っていないから、歩き専門でした。
    弘文洞、中瀬遊歩道、粟又の滝など見たが、今のようにデジカメでないから、撮った写真も少ない。
    長女を抱っこしての小旅行はけっこう汗をかき、この旅では折角、新しいミノルタのカメラを購入したのに、川を渡る際にうっかり落として、がっかりした。

    その後、2014年3月28日~29日1泊で養老渓谷”もちの木”に泊まって、ドイツ村を廻って来た事がある。四十年以上たった後の事ゆえ、かつての宿も周辺もさっぱりわからなかった。

    ・・・・・

    弘文洞(こうぶんどう)は、明治初期頃に耕地を開拓するため、養老川水系の支流である夕木川を川廻し(河川曲流短絡工事)して、河川の直線化を行った際に造られた隧道(づいどう:トンネル)である。
    尚、以前は隧道の上部がつながって道が通っていて(古い地形図などで確認できる=>私が1970年8月に撮った写真を参照しても分かる)、景勝地や釣りの名所として紹介されていたが、1979年(昭和54年)5月24日の未明に突如上部が崩落し、現在の姿となった(そのため、弘文洞跡(こうぶんどうあと)と呼ばれるようになった)。
    今も独特の風景を作り出している。

    第39代 天皇 の弘文天皇(こうぶんてんのう:648年~672)と、その后である十市皇女(とおちのひめみこ)にゆかりの深い高塚や*筒森神社(つつもりじんじゃ:千葉県夷隅郡大多喜町筒森446にある神社で十市皇女を祀り、安産の神とされる)の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞(こうぶんどう)」と命名されたとされている。

    史実では、*壬申の乱(じんしんのらん)に敗れた大友皇子(後に追称されて弘文天皇)はその場で討死したとされるが、そこで死んだのは実は影武者で、大友皇子本人は妻子らと東国へ逃れ、千葉県君津市やいすみ市、夷隅郡大多喜町には、大友皇子とその臣下たちにまつわる史跡・口伝が数多く存在し、伝説がある。
    この伝説のうちの一つによると、大友皇子は后の十市皇女とともに上総に逃れたが、君津市俵田で追っ手によって敗れ、残された十市皇女は山を分け入って筒森郷の「限りの山」にたどりついたものの、妊娠中であった十市皇女はその地で難産(流産)の末亡くなったとされ、地元の里人がこれを哀れに思い、大友皇子と十市皇女の霊を手厚く弔い社を建てたのが*筒森神社とされる。

    *壬申の乱とは、天智天皇の太子・大友皇子)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が672年、兵を挙げて勃発した。反乱者である大海人皇子が勝利するという、日本では例を見ない内乱。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・
    (2023年9月25日Wiki参考、編集・追記)

    旅行時期
    1970年08月
    利用した際の同行者
    乳幼児連れ家族旅行
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    見ごたえ:
    4.5

  • パッサウ:3つの川の合流を望むVeste Oberhausオーバーハウス要塞からの景観は見事だ。

    投稿日 2023年09月20日

    オーバーハウスミュージアム パッサウ

    総合評価:5.0

    ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊  
    :アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
    期間:2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅

    4.28(月) 1日中快晴 夜半大雨 21℃、 93km

    Hotel Schloss Neuburg古城ホテル ノイブルク( am Innイン川沿い)は10時、スタート。 -> L? 7km Passau・国境の町観光 (10:15~15:30);->18km Veste Oberhaus 10:40~11:30、お茶を”Burg Café”Veste Oberhaus(10:45~11)。->6km 旧市街・市庁舎(時計台の鐘)、聖シュテファン大聖堂、レジデンス広場、ドナウ川、イン川畔の散策。三つの川の合流点;ドナウ、イン、イルツ川。イン川に面した古城ホテルSchloss Ortを訪ねる(お休み中)。昼食を”Bistro Café La Presso”(13~13:55)で。ガラス博物館(旧市街の市庁舎横にある、Hotel Wilder Mann内にあり、収集作品は3万点。14:25~15:25)。Passauを15:30に出発。 次の宿に向かう

    *Hotel Schloss Neuburg古城ホテル ノイブルク( am Innイン川沿い)を10時、ゆっくりしたスタートとなる。 7kmでPassauパッサウに至る。
     
    【Passauパッサウ・国境の町観光】

    パッサウの町は凡そ一日の観光である。(10:15~15:30)
    ドイツの南東に位置し、オーストリア、チェコの国境にも近い。
    三つの川(Donauドナウ、Innイン、Ilzイルツ川)の合流点に発展したこの町はその美しさで世界に名高い町である。
    この美しさを俯瞰する写真で見ることは容易いが、やはり自分の目で見たいものです。その為には高い所に登ることだ。この地も何度か訪れたが、対岸Veste Oberhausオーバーハウス要塞から見たことが無い。

    レンタカーを走らせたが、Veste Oberhausオーバーハウス要塞への道をうまく見つけることができず、迷った。バス停の小母さんに尋ねると、“いったん川沿いまでさがってみなさい”とのこと。
    下がってみたが、いま一つ地図と一致しない。結局また、小父さんに聞いてみた。嬉しいことに途中まで、一緒に走ってくれると言う。さっきは目につかずに走りすぎた、Veste 要塞への道を指さして、“あれだよ!”と・・・18km もぐるぐると回り道したようだが、オーバーハウス要塞の駐車場に停めて、やれやれの気分だ。
    しかし、眼下の眺望はすこぶる良し。 登った甲斐があった。

    Georgbergゲオルクベルクと称する山の上に建てられたVeste Oberhausオーバーハウス要塞はヨーロッパでも最大級の一つだと云う。
    1219年、パッサウ大司教Ulrichウルリッヒ2世により、内外(パッサウ市民もここに入る!?)の敵に備えて、要塞が建設された。中世の時代には5度攻められて、5度ともこれを撃退し、無敵を誇った要塞だと云う。
    ここの建物は1991年より市立博物館になっている。
    博物館はパスして、トイレタイムを兼ねて、早いお茶にした。
    (10:40~11:30)

    お茶:「Burg Caféブルクカフェ」Veste Oberhaus、Passauにて。 
    オレンジジュース、コーヒーを飲む。 (10:45~11:00 Euro 6)

    次には要塞傍のSchoene Aussichtspunkte絶好の景色が見られるという展望台から、快晴に恵まれた景観を楽しんだ。実に素晴らしい景観である。

    オーストリア側の緑濃い丘陵も良く見え、手前正面のMariahilfbergマリアヒルフベルクの丘の上には巡礼教会Mariahilf僧院(1537年クラナハ作の“聖母子像”の写し絵を1622年、礼拝堂に掲げた所、これが評判を呼び、巡礼者が殺到したと云う)が見えた。
    バロック様式の僧院は城郭に見間違うほどの立派な様子だ。僧院のあるInnstadtインシュタットはイン川にかかるイン橋を渡った、向こう岸の町だが、ここはまだドイツ領だ。イン川が国境線と私は考えていたが、色々と入り組んだ地域があるようだ。オーストリア国境までここからまだ1kmあると云う。

    もう一度、パッサウの旧市街の市庁舎や鐘楼、広場、聖シュテファン大聖堂、ドナウ川の船着き場には数隻の観光船が着岸しているのも見た。
    この日、展望台から望む、歌に言う青きドナウも、イン川の二つの流れもどちらもいやに茶色っぽく見えた。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2008年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0

  • ダルムシュタット近郊にあるメッセル-ピット化石地域はドイツ唯一の自然遺産(1995年登録)である。

    投稿日 2023年09月14日

    メッセル ピットの化石地域 ダルムシュタット

    総合評価:4.0

    ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅           
    :黒い森・バーデンワイン街道・高-上ライン川とボーデン湖・
    シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:

    期間 :2007年4月19日(木)~5月3日(木)15日間の旅

    <05.02(水) 快晴 23℃  、  57km 最終日の走り>

    朝食後、10:30 Darmstadt-Kranichsteinダルムシュタットの古城ホテル・クラニッヒシュタイン(Kranichは鶴の意味)の庭園、周辺を散策 9:00~9:30 ―>L? 10km Messel 10:50着(博物館は午後2時から)L? 5km世界遺産Grube-Messel(メッセル・ピット化石地域・1995年登録:ドイツ唯一の自然遺産である。11:10~12:15 ―>L? 11km Darmstadt市内観光:マチルダの丘・Jugendstilユーゲントシュティール建築群 12:35~13:30 ―>L?2km 旧市庁舎、城博物館 (ガイド1時間 15:00~16:00)  
    昼食:竹園酒楼 14:10~14:50 
    フランクフルトを目指す。―>E5 29km Frankfurt飛行場 17:00着;Hertz地下駐車場にてレンタカー 17:07返却。
    18:00 チェクイン・通関。  LH-9790 20:45 フランクフルト LV

    *Restaurant・Landgraf Ludwig VIIIルードヴィッヒ八世方伯での朝食後、Kranichstein鶴城の庭園、周辺の池を散策する。
    遅くまで賑わっていたJagtschloss狩猟の館Schaenkeのテラスレストランはパラソルもたたまれ、誰も居ない。自動散水機が庭園の花々や芝生にたっぷりと水をあげている。
    狩猟博物館を真正面から眺めてみると、館の赤い屋根が深緑の中にあってとても映えている。その狩猟博物館は午後から開館なので見学は出来ず、残念だった。 
    (9:00~9:30)

    古城ホテル・クラニッヒシュタインを10:30、ゆっくりしたスタートになった。
    今日はこの旅の最短距離となるコースを走る。―>L?10km Messelに10:50到着。村の運動場の駐車場に車を停めて、村内に行ってみる。
    見つけた「化石・郷土博物館」は幼稚園も併設されたもので、午後2時から開館とある。小さいし、中身も期待できそうも無い。
    「メッセル・ピット化石地域」は別の所だと通りかかった小母さんが言う。そしてGrube-Messelグルーべ・メッセルへの道を親切にに教えてくれた小母さんはビックリした事に、この小さな村で“公文の教室”を主宰している教師だという。それもブラジル出身で、ドイツに来る前に学んだと話してくれた。日本の“公文”恐るべしである。
    教えて頂いた道はほんの少し先、村道を5km行った場所でした。

    【世界遺産Grube-Messelメッセル-ピット化石地域】
    (11:10~12:15) 

    メッセル-ピット化石地域はドイツ唯一の自然遺産(1995年登録)である。
    メッセル層と呼ぶ地層から5000万年以上前の化石が多数発掘された。5種類の両生類、8種類の魚類、31種類の爬虫類、50種類以上の鳥類、109種類の植物類の化石が出てきたと云う。

    入口にある管理事務所小屋がちょうど開いたばかりだ。
    入口の左手、採掘場は現在も建設資材用の砂礫を掘っていて、様々の色をした土砂が集められている。

    右手は深い谷間が続き、観光台から見ると、現在もその谷間は発掘中で幾つかの作業小屋が建ち、発掘現場では作業中の人が遠望できた。

    世界遺産の登録を機に、この場(最初に訪れたメッセル村でなく)グルーべ・メッセルに公的な観光センター(博物館?)を建設する予定とある。

    ガイド案内(一時間)は土日、祭日若しくは事前予約が必要だと言う。
    今日は木曜日の為、私共は観光台からの参観と事務所での視聴サービス拝見で我慢した。
    家族・学生・児童の学習も兼ねて発掘中の場所を巡るツアー、60mもの深さの坑道におりて地層を見るツアーなど盛りだくさんだ。

    日本人の訪問客がどれほど来るのか不明だが、嬉しいことに事務所で日本語のパンフレットが頂けた。 

    ・・・・・

    旅行時期
    2007年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    2.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.5

  • ドイツの町々に宗教改革者ルターの実に大きな銅像が立っているが、いささか大きすぎの感がある。

    投稿日 2023年09月09日

    アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルターの記念建造物群 ヴィッテンベルク

    総合評価:4.5

    【かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅】
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    【世界遺産“Lutherstadt ルターの町“には大きな銅像が立ち、
    宗教改革者ルターの偉大さを示している】

    今回の旅は宗教改革者ルターの足跡をたどります。
    そして、その足跡の広さに驚く。
    “Lutherstadtルターの町“はLutherstadt Eislebenアイスレーベン 、Lutherstadt WittenbergとヴィッテンベルクとMansfeld-Lutherstadtマンスフェルト・ルターシュタットの三つを言う。

    宗教改革者ルター、その改革により引き起こされた新旧キリスト教徒の争いは、長く、凄惨な、残虐な戦いであった。ヨーロッパ中、とりわけドイツの戦い「30年戦争(1618年~48年)」の影響が、如何に広範囲だったこと、長く悪い影響を与えたことを、ドイツの町々を巡るとよくわかります。

    ドイツの町々には他の歴史的人物に比べて、実に大きな銅像が立っている。
    宗教改革者ルターの偉大さを示しているのだが、異教徒にとっては、いささか大きすぎの感がある。

    ・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.5

  • ヴィッテンベルクの聖マリエン市教会で宗教改革者ルターが説教を行った。その場面を傑作クラナハの祭壇画で見る。

    投稿日 2023年09月07日

    聖マリエン市教会 ヴィッテンベルク

    総合評価:4.5

    【かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅】
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    【世界遺産“Lutherstadt ルターの町“には大きな銅像が立ち、
    宗教改革者ルターの偉大さを示している】
    今回の旅は宗教改革者ルターの足跡をたどります。
    そして、その足跡の広さに驚く。
    “Lutherstadtルターの町“はLutherstadt Eisleben 、Lutherstadt WittenbergとMansfeld-Lutherstadtマンスフェルト・ルターシュタットの三つを言う。

    <5月18日(水);快晴、26℃暑い一日、239 km>

    【Lutherstadt Wittenbergルターシュタット・ヴィッテンベルクの観光】
    11:10~13:30
    世界遺産(アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造:1996年)
    Marktplatzマルクト広場とRathaus市庁舎、Stadtkirche St.Marien聖マリエン市教会、Lutherhalleルター会館、Schlosskirche城付属聖堂 (Schloss Wittenberg)、Cranachhausクラナハの家(1505~47年)。

    ヴィッテンベルクの旧市街に入るとまず、目に入るのはマルクト広場周辺の景観だ。旧市庁舎、聖マリエン市教会であり、ルターと弟子のメランヒトンの銅像である。

    私共はカトリックや、プロテスタントには縁遠いのですが、今回の旅は宗教改革者ルターの足跡をたどります。その足跡の広さに驚いていますが、一方で、それによって引き起こされた新旧キリスト教徒の争いでもある「30年戦争(1618年~48年)」の影響が、更に広範囲だったことを巡る町々の歴史で知らされました。
    何度もドイツの旅をしていると、自然にテーマを持って回ることになります。
    古城めぐりとルターにも拘った旅はこの旧東独では外せないテーマでした。

    <Stadtkirche St.Marien聖マリエン市教会 >

    マルクト広場の聖マリエン市教会でルターが説教を行ったそうだが、この教会は双頭の塔を持った町最古の建物でクラナハの祭壇画が中央にあった。

    クラナハの祭壇画は、キリストの磔の像の前で、ルターが聴衆に向かって宗教改革の意義を説教しているシーンが印象的だった。

    ・・・・・・・・・・


    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.5

  • ルターシュタット・アイスレーベンにはルターの生家、ルター晩年の家がある。

    投稿日 2023年09月06日

    観光案内所 (アイスレーベン) ヴィッテンベルク

    総合評価:4.5

    【かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅】

    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    【世界遺産“Lutherstadt ルターの町“には大きな銅像が立ち、
    宗教改革者ルターの偉大さを示している】

    今回の旅は宗教改革者ルターの足跡をたどります。
    そして、その足跡の広さに驚く。
    “Lutherstadtルターの町“はLutherstadt Eisleben 、Lutherstadt WittenbergとMansfeld-Lutherstadtマンスフェルト・ルターシュタットの三つを言う。

    <5月18日(水);快晴、26℃暑い一日、239 km>

    【Lutherstadt Eislebenルターシュタット・アイスレーベンの観光】
    16:10~17:00

    Luthers Sterbehausルター晩年の家、聖アンドレアス教会、マルクト広場・市庁舎、Martin Luthers Geburtshausルターの生家などがある。
    つまり、この町はルターの生誕地であり、彼が最期を迎えた地でもある。

    16世紀後半のマルクト広場にも当然ながらルターの大きな銅像が立ち、周囲で子供たちが遊ぶ。

    Luthers Sterbehausルター晩年の家に向かって歩いて行くと、靴屋の壁にレリーフがはめ込んであったので読んでみると、Richard Wagnerワーグナーがかつて滞在したとある。歴史ある町は有名人に事欠かないようだ。


    <Luthers Sterbehausルター晩年の家>
    ルター晩年の家は栄光あるルターにしては小さな家である。この家の前にルターが最後に説教をしたと云う聖アンドレアス教会があり、ルターは説教の最中に倒れた。
    びっくりしたのはこの場所で、韓国人グループのツアーに出くわした事です。日本人には会ったことは無かったですが・・・。

    ルターは死の1か月近く前に生まれた町であるアイスレーベンに居を定めた。
    生まれ故郷の領主達の争いを仲介するためであったとされているが。
    1546年2月にその家で没した。ほぼ当時のまま現存する最期を迎えた家は博物館となっている。

    <Martin Luthers Geburtshausルターの生家>

    ルターは父ハンス・ルターと母マルガレータの次男として、ザクセン地方の小村アイスレーベンで生まれた。
    ルター(1483年11月10日~1546年2月18日)は生後9ヶ月目にマンスフェルトに転居したため、生家にいた期間はほとんどなかったと云う。
    現存する家は17世紀末に再建されたもの。

    Luthers Geburtshausルターの生家は戻り道にあった。
    マルクト広場から少し先になる。一度火事で焼失したと云う。
    ドイツ語圏最古の博物館と云う生家は小さな庭園・ルターの胸像もある大きめの建物だ。傍に観光局もあり、パンフレットをもらって、帰った。

    ・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0

  • ドイツのクリスマス:中世が色濃く残る町の広場や小路で、こぢんまりとクリスマスマーケットが開かれていた(Schwaebisch Hall)。

    投稿日 2023年08月16日

    マルクト広場 (シュヴェービッシュ ハル) シュヴェービッシュ・ハル

    総合評価:4.0

    【ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)】

    この冬、ドイツのWeihnachtsmarktヴァイナハツマルクト(クリスマスマーケット)のいくつかを、初めて訪れる事が出来た。
    この旅のクリスマス市はWuerzburg、Ludwigsburg、Esslingen、Stuttgart、Rothenburg、Nuernberg、 Frankfurtなどが大所ですが、

    Waldenburg、Schwaebisch Hall、Kirchberg an der Jagst、Creglingen、Forchheim、Volkach、Ochsenfurt、Iphofen、Wertheim、Miltenbergなど小さな町々も回りました。
    ということで今回は南ドイツが中心で、春のフランケンの旅の行程に似ています。
    私共にとって、初めて訪れた町も多く、次もまた訪ねてみたい気になりました。
    中でも、一番気に入ったのはStuttgartの近郊にあるEsslingenでした。そして今春も訪れたForchheimでは、アドヴェンツカレンダーになった市庁舎がとても良かった。

    <12月10日(木);小雨模様の寒い一日、5.5~7.5℃、162km> 

    【Schwaebisch Hallのクリスマス市】
    10:50~12:35

    中世が色濃く残る町の広場や小路で、クリスマスマーケットが開かれ、11月30日にはChristkindクリストキントがNuernbergからやってくる。芸術家や職人たちのクリスマスマーケット、チョコレートのクリスマスマーケット、パンのマーケットなど、ちょっと違った面もあって面白そうだ。楽師、大道芸人、人形使いが中世の時代を演出すると云う。
    町の教会や劇場でのコンサート、人形劇と・・・Haller Weihnacht 2009は魅力にあふれている。 営業時間 :2009年11月28日~12月20日 ;月~日 11:00 ~20:00

    駐車場は“クリスマスの贈り物“として無料だ!駐車していた小母さんも何故無料なのか?知らなかったが、町でもらったパンフレットに贈り物と書いてあった。

    この場所はコッヒャー川の中州に面していて、ここから中州を通り、岸辺の素晴らしい景観を楽しみながら、旧市街に入っていく。春の季節は一段と美しいだろう。

    上がった先はマルクト広場になる。今回で多分、3度目の訪問だが、何時見てもこの場所は美しい。特に良いのはKirche St.Michael聖ミヒャエル聖堂(15世紀)と周辺の木組み建築や石造りのホテル・家並みである。聖堂の正面の大階段は幅70m、54段を数え、ドイツ最大の規模とされる。夏場や冬のヴェネチア祭りなどではこの階段が野外劇場になる。

    16世紀初頭に作られたMarktbrunnenマルクト広場の泉(噴水)が広場の左端にあり、水が壁から流れ出ている。この壁の上は中世時代、罪人の晒し台となったと云う。18世紀の市庁舎は教会に対面して立つ。

    クリスマスマーケットはマルクト広場から歩いて数分のGeblinger Gasseゲブリンガー横丁で催されていたが、屋台も26と規模も小さく、時間も開いたばかりで、人も閑散としたものだった。この横町にはClausnitzerhausという実に美しい木組み建築の家があって、これだけでも十分な思いをした。横町を往復してから、マルクト広場に戻った。

    聖ミヒャエル聖堂の中を見てから、シュヴェービッシュ・ハルから、B14・19・A6・L?  20kmの古城街道・Kirchberg a.d.Jagstキルヒベルク・アン・デア・ヤークストに13:10に着いた。
    ホーエンローエ平野とハラー平野が出会うヤークスト川沿いの高台に位置している城塞都市である。

    (2023.08.16.)

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5

  • テーゲルン湖畔:バイエルン風の5星ホテルにあるグルメレストラン『作家の間』で満足な夕食をとった。

    投稿日 2023年08月11日

    Parkhotel Egerner Hofe テーガンゼー

    総合評価:5.0

    【ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊】
                       
    :アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
    期間 : 2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅

    4.21(月) 曇り 9.5℃ 寒い1日 、 85km

    Tegernseeテーゲルン湖はミュンヘンから凡そ南に50kmのバイエルン・アルプス地方に画家や作家、作曲家たち・芸術家を魅了したテーゲルン湖畔の町々がある。
    746年、ベネディクト派の僧院が設けられて以来、静かな佇まいだったテーゲルン湖畔でしたが、19世紀の始め、その古き僧院を買取り、新たにバイエルン国王が夏の離宮を建てたことから、この一帯が発展したと云う。テーゲルン湖は海抜726m、Gmundを先端にした長さ6.5km、幅2.5kmの細長い湖で、最深は72m、湖畔はリゾート地で名高い。湖の南岸沿いに広がる町Rottach-Egernロタッハ・エゲルン(海抜725m)もその一つである。

    <Park-Hotel Egerner Hoefeパークホテル エゲルナーへーフェ>
    Rottach-Egern 、Aribostr.19-25  Tel:08022-6660
    全117室・5星  

    バイエルンの趣むきあるまだ新しい建物の5星ホテル・Park-Hotel Egerner Hoefeは町一番のホテルだ。
    オーナーはGraf von Moltkeモルトケ伯・Klaus-Dieter Oechsner氏であるが、ドイツの軍人で有名なモルトケ元帥や1944年7月20日、ヒットラーの暗殺を試みた法律家・Helmuth James Graf von Moltkeの一族なのか?!聞いたわけでもないのでわからない。
    大変贅沢な、凝ったつくり、飾りが目につく。スイートも23室もあって、58~135㎡もの広いものだという。
    ホテル自慢の、”Dichterstub'n”『作家の間』と称するレストランはミシュラン1星。その他にも様々なレストランが用意されている。

    このグルメレストラン『作家の間』で、夕食を食べた。

    「Restaurant”Dichterstub'nディヒターシュトウーベン『作家の間』”」
    2008年ミシュラン1星・Gault Millau 17点 (全独ランク64位);30席、従業員9名(火・水休み)、4品コースEuro62、7品Euro92、9品Euro140。ワイン450銘柄。
    シェフMichael Fell:魚や甲殻類の料理で有名。(宿泊先から200m位の距離)

    4品コース料理:シェフMichael Fellは魚や甲殻類の料理を得意としているので、今夜のメニューは決まっているようなもので、“Fisch-Krustentiermenue・魚と甲殻類の料理”(98x2=Euro196、4品ながら、良いお値段だった)をスタッフのお勧め通りにお願いする。

    レストランのお客は4人のグループが奥に入り、隣の席に中年のカップルが座り、私どもの席と3組です。皆さん、きっちりと盛装している。

    (18:30~21:15 ; 満足したディナーの代金はEuro272=45,569円でした)

    旅行時期
    2008年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    30,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    5.0
    ロケーション:
    4.0

  • ドレスデンのお土産に≪カフェ クロイツカムのバウムクーヘン≫がある。

    投稿日 2014年07月16日

    カフェ クロイツカム ドレスデン

    総合評価:4.0

    ≪Cafe Kreutzkammカフェ クロイツカム≫

    かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅
     
    期間 : 2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間の旅

    XXX
    2011年5月21日(土)

    ドレスデン・ケンピンスキーホテルの横をWilsdruffer Strasse 通りに出て、左折し、Altmarkt-Galerie(ショッピングセンター)に向かい、大きなアーケードの中をうろうろと、ウインドーショッピングをした。

    ここで偶然にもバウムクーヘンの有名店Kreutzkammクロイツカムを見つけた。
    Cafeで休もうかと思って、目に付いた、この店に来たのですが、地元客でいっぱいでした。
    お客の多さ、店員の方の対応の良さは、さすがに知られた店、私共もお土産(Baumkuchenバウムクーヘン 500g schokoチョコレート、Baumkuchen 500g glasiert砂糖衣をまぶした)Euro38.78(4,600円)を買ったのです。

    帰国して、長女一家に送ったところ、かつてのドイツの旅で、ミュンヘンの本店で買って帰った事があると言っていました。


    <Cafe Kreutzkammカフェ クロイツカム> 
    Cafe Kreutzkamm am Altmarkt
    D-01067 Dresden (Ecke Wilsdruffer Strasse)、Altmarkt 25,

    1825年にドレスデンに菓子店を創業する。1945年ドレスデンの空襲による壊滅により、本拠地をミュンヘンに移した。
    以来、本店はミュンヘンで、各支店を上記のドレスデンとミュンヘン(2店)、保養地のTegernseeテーゲルンゼーに置いている。
    ベストセラー商品はドレスデン名物・クリスマス時期の干し葡萄入りシュトレンRosinenstollen1000g、今回購入したバウムクーヘンBaumkuchen 500g schoko、Baumkuchen 500g glasiert、Baumkuchenspitzen 250gなどがある。

    支店の住所:
    Cafe Kreutzkamm ;D-80333 Muenchen 、Maffeistrasse 4
    Cafe Kreutzkamm, Maxburg ;D-80333 Muenchen 、Pacellistrasse 5
    Cafe Kreutzkamm am See ;D-83684 Tegernsee 、Hauptstrasse 45

    本店は1945年以来、下記にある。
    Conditorei Kreutzkamm GmbH ;
    D-81677 Muenchen 、Kastenbauerstrasse 11
    http://www.kreutzkamm.de/

    さて、バウムクーヘンが生まれた町Salzwedelザルツヴェーデルは今回の旅ではルートから外れていますので、元祖!のバウムクーヘンは残念ながら食べられない。

    実はポツダムに3泊したバイエルンハウスはヴィルヘルム4世と王妃エリザベートに因んだホテルなのです。それの関連を調べていたら、下記の話*にあたりました。
    大変仲の良かった王と王妃でしたので、ヴィルヘルム4世がバウムクーヘンの残りを王妃に食べさせたいと持ち帰ったというエピソードに納得した次第です。

    *ご参考;
    先にバウムクーヘンができた伝説を紹介している。
    ≪バウムクーヘン発祥の地とプロイセン王ヴィルヘルム4世≫
    旅行時期 2011/05/13 - 2011/05/27 (2014/02/25投稿)
    http://4travel.jp/travelogue/10862303

    大変仲の良かったヴィルヘルム4世と王妃エリザベートと5星ホテル・バイエルンハウスについては同様に紹介した。
    ≪ヴィルヘルム4世の一目ぼれ (Die Liebe auf den ersten Blick)≫
    旅行時期 2011/05/13 - 2011/05/27 (2014/02/20投稿)
    http://4travel.jp/travelogue/10861035

    5星ホテル・バイエルンハウスについては同様に口コミで紹介した。
    http://4travel.jp/os_hotel_tips_each-11186003.html#contents_inner

    この時期はクリスマス時期の名物Stollenシュトレンを食べるには早いでしょうから、何処かでバウムクーヘンを食べてみたいと思っていたのです。しかしカフェ クロイツカムの店で購入したバウムクーヘンは土産として、持ち帰ったのです。

    ・・・という事もあり、2014年の春の旅ではザルツヴェーデルを行程に入れ、元祖のバウムクーヘンを作る様子を見て、バウムクーヘンも食べ、土産に買ってくることもできた。

    現在、ドイツで有名なバウムクーヘンの町はSalzwedelザルツヴェーデル、Cottbusコットブス、Dresdenドレスデンがある。其々はアラック(蒸留酒)を使う、挽いたアーモンドにラム酒を入れる、挽いたアーモンドやマジパンを入れシンプルに作るやり方である。
    この内、発祥の地ザルツヴェーデルの3店にその製法が受け継がれていると云う。

    2014年の春の旅・ザルツヴェーデルではこの店が開いていた。

    Cafe Kruseカフェ・クルーゼ; 
    D-29410 Salzwedel 、Holzmarktstrasse 4 - 6
    http://www.kruse-baumkuchen.de/


    写真は上がクロイツカムの2種類のバウムクーヘン、下はブレーメンで買ったシュトレンに似たお菓子ブレーマー・クラーベン

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.5
    ショッピングセンター内の店
    お買い得度:
    4.0
    サービス:
    5.0
    店員さんは実に愛想もよく、親切でした。
    品揃え:
    4.0

  • Vulkan(火山)eifelヴァルカンアイフェルにある古城ホテル クアーフュルストリッヒェス・アムツハウス

    投稿日 2017年09月13日

    Schloßhotel Kurfürstliches Amtshaus Dauner Burg その他の都市

    総合評価:4.5

    Schlosshotel Kurfuerstliches Amtshaus
    古城ホテル クアーフュルストリッヒェス・アムツハウス:*
    D-54550 Daun / Vulkaneifel 、Burgfriedstrasse 28
    http://www.daunerburg.de/cms/website.php

    Romantikhotel加盟ホテル4S星・全28室。2006年5月に1泊した。
    グルメレストランの"Graf Leopoldレオポルド伯爵"はミシュラン1星、ゴーミョー16点。
    2006年5月10日の旅行記;スイートの108号室、 Euro 125

    クーアフュルストリッヒェス・アムツハウスの古城ホテルはドイツ西部、ルクセンブルグ・ベルギーとの国境を接するEifelアイフェル地方にある。この辺りは太古の昔は火山帯であった事から、Vulkan(火山)eifelヴァルカンアイフェルとも呼ばれている。
    この地方は起伏のある山地と深い森、火山湖、そして鄙びた谷間の町が魅力である。ローマ時代からの古い町Daunダウンもその一つで、坂道の多い、人口8千人、周囲が山に囲まれた小さな町である。町の高台に今日の長たらしい名前の古城ホテルがある。

    モーゼル、トリアーにも車で30?60分の距離にあって、山の中の田舎町にも拘らず、このホテルのグルメレストランは2006年版ミシュランの星一つ、ゴー・ミョーで15点である。大都市に集中しない所がヨーロッパの良さなのでしょう。 

    追記:Graf Leopold Schlosshotel K・Amtshausは2013?4年と1星に復活し、2015年は星なしになったが2016年はミシュラン1星、ゴーミョー13点と再復活した


    ホテルの年代史に依れば、城の歴史的変遷は次の通り:

    紀元前700年頃、先住民族のケルト人が砦としていた。
    その後、紀元前50年にはローマ軍団の前線基地が置かれ、紀元12年にはローマ軍(Augustus帝)の要塞が建てられた。
    最初の城の形となる、Dauner Burgが11世紀に築かれ、1712年トリアーの選帝候が行政府兼狩猟用の館に建て直し、1793年にはフランス支配に、1815年、プロイセン、第二次大戦後はラインランド・ファルツ州がここの管理者となるといった風に、変遷した後、1978年個人所有となり、1981年古城ホテル・レストランに大改造され、現在に至る。

    ・・・・・

    旅行時期
    2006年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    5.0
    バスルーム:
    4.5
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    5.0

  • ニュルンベルク:カイザーブルク(皇帝城)は旧市街から超然とした姿で岩山の上にそびえている。

    投稿日 2023年08月06日

    ニュルンベルク城 (カイザーブルク) ニュルンベルク

    総合評価:4.0

    <“北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅>
    フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る。
    期間:2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅

    4月26日(日) 朝方はやや曇り空、その後は快晴。20℃。 87km

    ニュルンベルク市博物館の横の道・Burgstrasse城の道をDie Burg Kaiserburgカイザーブルクに向かって上がる。薄紫のライラックが満開の様子を楽しみながら、上り坂を上がると、Burgenstrasse古城街道の標識が出てきた。
    確かにKaiserburgカイザーブルク皇帝城はこの古城街道上にある。

    ≪Die Burg Kaiserburgカイザーブルク皇帝城の見学≫ 
    (15:15~16:30 ; Euro 10 + チップ Euro 1)

    ニュルンベルグのシンボルとも言える、カイザーブルク皇帝城は、旧市街(80の塔と長さ5kmの城壁に囲まれている)から超然とした姿で岩山の上にそびえている。

    ドイツ人に人気の高いBarbarossa赤髭王(1123~1190)やその後に続いた王達が、帝国でも最も大きく、強固な城を築いたと云う。それは旧市街の何処からも見えるもので、北の端に堂々と君臨している。16世紀までの長い間、多くのドイツの王と皇帝の居城であった。

    城門前にこれはまた見事な、大きな濃い紫色したライラックが咲き誇っている。城門を入ると、中庭がある。
    時間調整で最初にカイザーブルグ博物館に行く。ここには築城の歴史、武具などの展示がある。裏手にある公園 は深い堀と厚い城壁に囲まれていて、ここにもライラックが咲き、観光客は香り高い花に近づいて、香を嗅いでいる。ユースホステルになって城郭内の建物、町を一望する展望台を回った。眺望の良いSinwellturmジンベル塔があったが、改修中である。登れるらしいが・・・。

    本丸にはガイド付きで入る。印象深いのは皇帝の間で、謁見の為の部屋だったと云う。
    天井中央には、黄色の地に黒で双頭の鷲が描かれ、その他、王の様々な紋章が天井を隈なく覆い、圧巻である。だが、広い騎士の間は寒々としたもので、この城はあまり見るべきものが残されていないようだ。
    1200年頃、Hohenstaufenホーエンシュタウフェン朝に建てられた、ロマネスク様式の二重礼拝堂は身分に応じた礼拝ができるようにしたようで、当然上部は身分の高い者の為だ。二重礼拝堂の構造は其々が異なった形式で、皇帝一家には2階の西側に特別席が設けられていて、他と歴然とした差を示す。2階はきちんと装飾されているが、1階は砂岩の柱に模様が彫刻されているものの、荒削りのままである。

    深井戸もガイド付きで、60mの深い井戸は地下水の層まで達していると云う。

    XXX

    旅行時期
    2009年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.5

  • クルムバッハ:プラッセンブルク要塞の「錫人形博物館」は実に見ごたえがあった。

    投稿日 2023年08月02日

    プラッセンブルク城 クルムバッハ

    総合評価:5.0

    “北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅(旅行記)  
    :フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの
    古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る:

    2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅:4月22日(水)

    4月22日(水) 今日も朝から大快晴。14~17℃。 158km

    KulmbachクルムバッハはOberfrankenオーバーフランケン地方の中心にある人口27千人の小都市である。バイロイトの北西凡そ25km、白マイン川沿いに位置し、その町を見下ろす高台にプラッセンブルグ城があって、世界最大の錫人形コレクションを誇る錫人形博物館が名高い。
    また世界で最強のビール醸造と炭火焼ソーセージ(子牛肉を多めに混ぜた良質の豚挽肉からできているもの)で知られている。

    【Kulmbachクルムバッハ:Plassenburgプラッセンブルク要塞】

    駐車場傍に要塞へのシャトルバスが運行されている。8人乗りのバンで、往復二人でEuro 4.4だった、15時に満員のお客と出発する。
    旧市街を抜けると直ぐに、要塞への坂道を登り始める。緑の並木道を数分で上がる。眼下には白マイン川が見える。

    <この町と要塞の歴史>

    西暦900年頃にはこの地に、マイン川渡河に対する防衛の前線拠点があった。最も古い文献であるアルクィンの聖書(1028~1040年頃)に、クルムバッハの名は「Kulma」として登場する。この名はこの地を流れる小川の名前に由来する。(Culmin-aha, Culmna;その後、誤解から Kohlenbachコーレンバッハ炭の川と改名されている)

    12世紀の前半、最初のプラッセンブルク城と現在「上の町」と呼ばれている所にマルクトや教会が建設され、その後、古いプラッセンブルク城の代わりに、メラニア公爵が町の高台にある、シュポルン山上に新しい城を建設し、居城とした。現在の要塞である。

    1340年にホーエンツォレルン家一門のニュルンベルク城伯のものとなり、17世紀に至る間、城伯の宮廷があり、ホーエンツォレルン家のクルムバッハ侯領の首都であった。 
    バンベルク、ニュルンベルク、エーガー(現在のチェコ領ヘプ)、ホフ、ライプツィヒを結ぶ古い通商路沿いにある地の利から、この町は交易が盛んになり、織物、フスティアン織り、染色、絹刺繍などの商いが行なわれた。

    1430年のフス教徒の乱では、町は手ひどく破壊された。
    また、1553年の第二次辺境伯戦争(当初は、ホーエンツォレルン家によるフランケン公領創設を目論むブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯アルブレヒト・アルキビアデスと、これに抵抗するニュルンベルク市との戦闘)ではコンラディターク同盟軍に占領され、略奪を受けた。1554年10月に、城も戦火を受け、破壊されてしまった。


    <プラッセンブルク城(要塞)の見学>

    現在見られる要塞は4つの塔、強力な城壁をもち、ルネッサンス様式の城郭施設としては、ドイツでも最大級のものの一つである。
    この城については1135年に初めて文献に出てくる。1338年~1791年の450年余りの間は、ホーエンツォレルン家の居城であった。名高い“Schoene Hof美しい中庭”には彫刻を施されたルネッサンス風のアーケードがある。
    緑のまだ少ない中庭は魅力にいま一つだが、夏にはここに舞台が作られ、野外劇やコンサートが催されるとある。
    要塞には州立博物館と錫人形博物館があり、前者にはフリードリヒ大王武器博物館 ・オーバーマイン地方博物館 の二つが含まれる。エプシュトルファーの世界地図のレプリカなど見るものも多いのだが、時間もなく省略して、錫人形博物館だけにした。

    <錫人形博物館>

    1929年に開館。1~5階にかけて、世界最大コレクションと言われる、30万体余りの錫人形が、各時代に分けて170ものブースに展示されていた。
    石器時代の狩猟、ローマ、ゲルマン、中世の騎士、ナポレオンの戦争時代・・などである。やはり興味があるのは、様々な戦争シーン。数えきれない錫人形の騎士・傭兵、将軍・士官、兵が並んだ、戦闘シーンは規模も大きく、忠実に再現されて、実に面白い。

    ①1757年12月5日Schlacht von Leuthenロイテンの戦い(七年戦争(1756~63年;英仏の植民地戦争)中の会戦。フリードリヒ大王指揮のプロイセン軍がオーストリア軍を撃破した。先のロスバッハの戦いとあわせて軍事史上注目される戦い。双方の動員戦力は3.5万X7万人、死傷者は6千X1万人)

    ②クルムバッハは第二次辺境伯戦争では戦火を受け、破壊されてしまったが、1553年11月26日をDer Conraditagコンラードの日と称している。(即ち、Bundesstaedische Krieg= 第二次辺境伯戦争) その時の戦いを、19,500体の錫人形で表現している。左手に山上の要塞が見え、城下の町は城壁に囲まれ、守備軍の旗が並ぶ。手前から右手にかけては、攻城軍が(ニュルンベルグ、バンベルグ、ヴュルツブルクの同盟軍など)軍旗をはためかせて、今にも戦闘が開始されようとする緊張感が伝わる。各軍団の色彩も鮮やかで美しい。この長い戦いの1日は“クルムバッハの暗黒の日”として、語り継がれていると云う。

    ③オーストリア継承戦争(1740~48年;つまり第一次・第二次シュレージェン戦争)に於ける、Schlacht bei Kesselsdorfケッセルスドルフの戦いは1745年12月14~15日に行われた会戦である。プロイセン軍とオーストリア軍とザクセン軍の連合軍が、エルベ川に注ぐ、小さな谷川に沿って戦ったもので、プロイセン軍が勝利した。冬季の小川とそのまわりの湿地は凍りついた状況で、凄まじい戦闘が行われたと云う。厳冬の戦いを錫人形で表現している様子も見応えあるもので、様々な人形が戦いの事細かなシーンを見せていた。
    兵員の動員は3万X 3.1万と互角であったが、戦いの後は死傷者5千X 5千 + 捕虜となったものは1万人を数えたと云う。ザクセン軍は兵士の半数を失い、戦闘能力を喪失した為、首都Dresdenをプロイセンのフリードリヒ大王に明け渡した。シュレージェン割譲を承認するドレスデン条約が結ばれ、第二次シュレージェン戦争は終結となった。

    その他にも、領主の結婚式、軍隊の行進、チューリンゲンの木組み建築の町の日常風景。番外ながら、ミニチュアの台所と様々な用具、頭や手足、胴が磁器やレザーで出来た人形、Maerklinメルクリンの模型電車も・・・。

    (博物館入館料はEuro 14 ・自由見学で一時間)

    旅行時期
    2009年04月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5
    コストパフォーマンス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    5.0

  • ヴュルツブルク:クリスマスの古城ホテル シュロス シュタインブルクは丘からの眺望が素晴らしい。

    投稿日 2014年10月23日

    シュロスホテル シュタインブルク ヴュルツブルク

    総合評価:4.5

    ≪Schloss Steinburg シュロス シュタインブルク≫
    D-97080 Wuerzburg  、Auf dem Steinberg
    古城ホテル 全50室・4星  Euro155(3F・16号室 kleines Schlosszimmer)
    TEL:49(0)93 1-97020   FAX:?97121  
    http://www.steinburg.com 

    古城ホテルはクリスマスの飾りにあふれていて、大変好ましい雰囲気に包まれている。
    通された部屋はErkerzimmer(張り出し窓の間)レストランの横にある階段を上がり、廊下の奥にありました。広さはkleines小さめとの事でしたが、十分な広さでしょう。
    窓の外には広いテラスが付いています。丁度、レセプションの上あたりに位置しているようでした。ホテルが一番自慢している、眺望の良さは確かで、テラスから見る、この町の夜景や朝の眺望は素晴らしかった。

    Wuerzburgの大司教Rheinsteinラインシュタインが13世紀の半ばに、居城マリエンベルグ城塞の対岸・Steinbergシュタインベルクの丘に築城したのが、現在の古城ホテルの始まりである。
    但し、市民と仲が悪く、とかく対立した大司教の城はWuerzburgの市民の攻撃で10年しないうちに、城は破壊され、今は何も残っていないと云う。
    1897年Wuerzburgの市民Schneiderシュナイダー氏が、この丘からの眺望の良さを気に入り、館を建てた。
    1937年にBezoldベツォルド家がこれを手に入れ、ホテル・レストランを開業し、現在に至っている。テラスからのマイン川とブドウ畑の眺望は見事なもので、対岸の丘に建つマリエン大要塞も見える。
    旧市街から約2kmの近さで、中央駅からタクシーで約10分、料金は15ユーロ程度でしょう。

    この春に来た古城ホテルだが、丘の裏手から車で登る上り口は一応標識もあるが、夜だとなかなか見にくく、見つけるまで3人に聞いたほどだ。
    登る道は狭く、対向車がくると大変なものだ。傾斜もあって、雪道で無かったのが、幸いと言えようか!
    メイン・レストランのErkerzimmer張り出し窓の間、それから、この春にお茶を楽しんだRittersaal騎士の間があり、それ以外にもTurmzimmer塔の間、Schlossgewoelbe丸天井の間と言ったレストランがある。

    XXX

    旅行時期
    2009年12月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    4.0
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    4.5

  • “ヒキガエルの水溜り”の異名を持つ古城ホテル フーゲンポエト城

    投稿日 2014年07月31日

    シュロスホテル フーゲンポエト エッセン

    総合評価:4.5

    ≪ドイツの春:北方二州を巡る旅≫ 

    ドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅

    期間:2014年05月09日~23日  15日間)

    XXX

    2014年05月21日(水)

    ≪Hotel Schloss Hugenpoet 古城ホテル フーゲンポエト城≫

    D-45219 Essen-Kettwig 、August-Thyssen-Str.51、
    Tel:49(0)2054-12040  、Fax: -50
    http://www.hugenpoet.de/

    2006年5月7日に1泊した。このホテルはDuesseldorfデュッセルドルフから近いこともあって、夕食やお茶に何度か来たが、泊まった事は一度もなかった。
    2006年は“懐かしの地を再訪する旅”であったので、この時に1泊したのだった。
    今回で2度目になる。

    5星・全31室。Hugenpoetフーゲンポエトとは“ヒキガエルの水溜り”という意味で、この古城ホテルは大変珍しい名前がついている。Ruhrルール川に沿った沼地に建てられた水城でした。

    カスターニアンの大きな並木を通り、掘割の上の跳ね橋をくぐり抜けると、古城ホテル フーゲンポエト城に着く。
    城館の入口を入ると左手に見事なレリーフが彫り込まれた立派な暖炉があり、右手にはレセプション、メインロビーがある。重々しい黒光りの大理石門がレセプションとの境に設けられている。
    ルール工業地帯の産業経済の繁栄を背景に、ドイツを代表するスノビィッシュな高級古城ホテルと称されている。

    メインレストラン“ネッセルローデ”はグルメ・レストランとして名高く、近年、レストランはNEROネロと改名され、ミシュランの1星(女性シェフ・エリカ)に上昇したものの、今はこのレストランは何かの事情でやっていない。

    但し、“NEROネロ”を模様がえして、“HUGENpoettchen小さなヒキガエルの水溜り”という気軽なレストラン(女性シェフ・エリカ)がこれに代わっている。
    残念ながら、“HUGENpoettchen小さなヒキガエルの水溜り”2014年の評価はミシュラン(Bib)、全独635位である。

    <Arrangement;Leger auf Hugenpoetフーゲンポエト城での寛ぎ>

    Geniessen Sie eine Uebernachtung in einem Doppelzimmer inklusive Hugenpoeter Schlossfruehstueck. DZダブル一室・朝食込み
    Wir begruessen Sie mit einem Willkommenscocktail auf dem Zimmer und servieren am Abend ein Drei-Gang-Menue in unserem Restaurant „HUGENpoettchen“. お部屋に歓迎カクテルの御用意、“HUGENpoettchen小さなヒキガエルの水溜り”での3品の夕食
    Euro160,00 pro Person im Doppelzimmer 一人Euro160
    Unser Arrangement "Leger auf Hugenpoet" ist nur im Doppelzimmer buchbar.
    Reservierungen unter:
    (Euro160x2=320 )

    フーゲンポエト城の歴史:

    フーゲンポエト城の歴史は778年にまで遡る。カール大帝の時代に土地の名前が登場する。騎士のブレッヒ・フーゲンポエトが城を建てる。
    1478年クレーフェ公国のものになるも、神聖ローマ帝国の攻撃にあって破壊されてしまう。
    1509年にネッセルローデのフーゲンポエト家がこの土地の所有者であると宣言し、やがて1696年に城を再建した。その後、城は手放され、何時しか荒廃してしまう。
    1831年にはレオポルド・フュルステンベルク男爵が荒廃した城を再興し、オランダ風の破風屋根をもった建物ができた。 
    1955年にホテル・レストランに改築されて、2005年に50周年の区切りの年を迎え、現在に至る。 

    旅行時期
    2014年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    20,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    アレンジメントを利用した
    サービス:
    5.0
    気持ちの良いサービス
    バスルーム:
    5.0
    広く明るい
    ロケーション:
    4.5
    Duesseldorfデュッセルドルフから近い
    客室:
    5.0
    素晴らしい

  • 茨城のアジサイの名所、潮来にある「二本松寺のアジサイの杜」を訪ねた。

    投稿日 2023年06月08日

    二本松寺 あじさいの杜 潮来

    総合評価:4.5

    【潮来市:二本松寺(にほんまつじ)のアジサイの杜を巡る】

    天台宗羽黒山覚城院・二本松寺 
    〒311-2433 茨城県潮来市堀之内1230
    Tel:0299-64-2263 

    規模  :40,000㎡の境内に100種10,000株以上のあじさいが見られる。
    開催期間: 6月第1土曜日~6月30日(開花状況により変更あり)
    開門時間: 午前9時~午後4時(最終受付)
    入山料 : 400円
    駐車場 :無料(120台)
    あじさいの杜|茨城県潮来市二本松寺 (nihonmatsuji.com)

    ・・・・・

    2023年6月7日(水)、
    梅雨に入る前の上天気の一日、ドライブ・散策を兼ねて、茨城のアジサイの名所「二本松寺のアジサイの杜」を訪ねた。

    二本松寺の境内に登る前に、右手に入口がある。そこで「アジサイの杜」・入場券代400円X2=800円を払って、14時半、坂を下る(Map参照)。順路に従い徒歩で巡る。
    15時10分ごろに二本松寺の本殿裏手に至るから、ゆっくり歩いて40分ほどの散策である。田んぼに苗も植えられ、緑の水田がアジサイの杜の順路の右手に良い感じで見える。
    アジサイの杜は、二本松寺の寺域に連なる丘の傾斜面に様々な美しい色合いを見せている。
    「アジサイの杜」と称するだけに、40,000㎡の境内に、数えたわけでもないが、その数100種、10,000株が植栽されているそうである。まとまって、見ごろを迎えた紫陽花(あじさい)、アジサイは実に見応えがあった。

    (昨年、同じ時期に千葉の多古町(たこまち)にある、今が季節の「アジサイ寺」と称されている日本寺(にちほんじ)を訪ねた。日蓮宗の学僧たちが学ぶ大学「中村檀林(なかむらだんりん)」と称された「日本寺」で、境内の杉木立の平場に50種、10,000株が植栽されていた。
    【「日本寺(にちほんじ)」】
    〒289-2257千葉県香取郡多古町南中1820-1
    0479-76-3745)

    千葉の多古町の「日本寺(にちほんじ)」と比較すると、二本松寺のほうが、丘の斜面を利用して、アジサイもたいへん見やすく、景観も良いように思えた。

    尚、観光バスも見かけたこの日、広い駐車場があるものの、アジサイ祭りはやはり土日を避けたウイークデーの午後に訪ねるのがベストだ。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2023年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    4.5

  • 栄町安食の菓子舗・春月堂には、お気に入りの名物「大鷲乃宮最中(おおわしのみやもなか)」がある。

    投稿日 2023年07月16日

    春月堂 鎌ヶ谷・印西・八千代

    総合評価:4.0

    ≪栄町安食(さかえまちあじき)の菓子舗「春月堂」≫

    2022年7月19日、印西市や成田市の隣町になる、栄町安食(さかえまちあじき)にお気に入りの菓子舗「春月堂(しゅんげつどう)」があり、名物「大鷲乃宮最中(おおわしのみやもなか)」を求めに出かけた。

    美味しい最中は、ご当地の大鷲神社(おおわしじんじゃ)の金色の大鷲を型取って創製したものだ。

    <栄町・安食:春月堂>
    〒270-1516 千葉県印旛郡栄町安食3599
    電話:0476-95-0027
    定休日は水曜日。
    最寄り駅:安食駅南口から徒歩約8分。
    大正9年創業 名物の最中で知られている。

    早春は代々受け継いだ桜餅に始まり、4月~5月は栄町産コシヒカリを使った柏餅、初夏にはくず切りとフルーツゼリー、秋には焼き菓子各種、12月の安食の酉の市には名物のあんこ玉を手づくりでこしらえている。


    上記のように様々な種類を一家で考えて創作しているようだ。
    ともあれ、一度賞味すると、季節季節に何となく訪れてしまう。

    ・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2022年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    3,000円未満 
    利用形態
    その他
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.0
    料理・味:
    4.0

jijidarumaさん

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33国・地域渡航

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、ロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、結局2023年もドイツの旅を見送ってきました。2024年はどんな年になるのだろう。
(2023.11.28.変更)

行ってみたい場所

ドイツ

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