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  • ローテンブルク:ミシュラン1星Villa Mittermeier ヴィラ ミッテルマイヤー

    投稿日 2014年06月12日

    ローテンブルク

    総合評価:5.0

    ホテルはGarniで夕食用のレストランが無い所を選んだので、ミシュラン星付きレストランの夕食の機会を得た。

    夕食:Rothenburg :Villa Mittermeierミッテルマイアー  19:00?22:30

    D-91541 Rothenburg 、Vorm Wuerzburger Tor 9

    ミシュラン1星、Gault Millauゴー・ミヨは16点。全独140位(2010年)。
    メニュー;3品Euro39、 5品Euro88、8品Euro97、 
    ワイン;フランケンなど350種 、従業員10名、34席。 
    シェフ;Mathias Apelt   http://www.villamittermeier.de/

    【今夕はモダーンなミシュラン1星のフランス料理のレストラン。勿論、フランケン・ホーエンローエ地方の地元産の食材・香辛料をベースにしている。

    午後7時ではまだ早いようで、レストランには一番乗りとなった。窓際の予約席に座っていると、徐々にお客が入り、8割方、席が埋まったのには驚いた。
    最近特に感じるがドイツ人も味にうるさくなったようだ。今夜も十分に満足した夕食となった。

    料理はメニューから、家内が3品Euro39、私が4品Euro70を選んだ。

    飲み物:辛口のシェリーOloroso Secoと、ワインはFrankenフランケンの赤にトライしました。そしてお水0.75L ; Euro14+60+7=81。
    2005年Randersackerer Sonnenstuhl  Spaetburgunder “s” 
    ・Weingut Schmitt ‘s Kinder。  http://www.schmitts-kinder.de/

    (フランケン地方の町Randersackerは1200年を越えるワイン文化を持つ。その地で10世代凡そ300年、ワイン醸造を行ってきたWeingut Schmitt's Kinderは1712年に町の中心にバロック様式の館を建て、1984年、町の郊外に"Sonnenstuhl太陽の椅子"の葡萄畑にも近い場所に、モダーンな醸造所を作った。そこはマイン川と葡萄畑の美しい光景がある事で知られている。)
    ここでは感心した事に、ソムリエが日本製のラベル剥がしを利用し、ワインのラベルをきれいに処理してくれた。

    シェフのご挨拶:?マンゴのシャーベットと赤くコーティングした角切りのスイカ。
           ?ミディアムに焼いたマグロにビーツのソースの二品が出ました。

    前菜:私は鵞鳥のレバーロースト、2種類のタイ-マンゴ添え。
       家内は赤ニゴイのロースト、ルイユソース(ジャガイモ、にんにく、赤唐辛子、オリーブオイル)と、ヴァニラ・サフランソースで。

    メイン:私の魚料理はナマズでした!レッドチコリ、カボチャ、ビネグレットソース 。
        肉料理は鹿の背肉、香料入りパン、森の茸、パセリ、シナモン、ブラウンソース。
       
        家内はHof Mueritzミューリッツ(メクレンブルク湖水地方の中心部にあり、良品で知られている。)産の子羊のうなじ肉、干しプラム、パースニップ(セリ科) 添え、ブラウンソース。

    デザート:私が白のチョコレート、イチジク、砂糖を被せたオリーブ。木のまな板風に載って出てきた。これは最近の流行らしい。

        家内はヴァニラアイス、ミルク、ライスに葡萄、ピスタチオ入り飲み物。

        最後にもう一つ、チョコレート、アイス、飴状のもの。

    白一色のお皿、それも大きめな皿に料理の色彩も美しく盛られて、気持ちの良いアレンジに感心した。   夕食代合計はEuro195(26千円)となりました。 】 




     

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    10,000円以上
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    5.0
    町の外郭にあるホテルで町一番のレストラン
    コストパフォーマンス:
    4.5
    このクラスとしては一人13,000円は安いかもしれない。
    サービス:
    5.0
    十分納得のサービス
    雰囲気:
    4.5
    レストランはモダン
    料理・味:
    5.0
    モダーンなミシュラン1星のフランス料理のレストラン

  • ニュルンベルクでベストの評価を持つミシュラン2星レストラン エッシィッヒブレートラインは予約が電話かファックスと時代離れ!

    投稿日 2014年06月06日

    Essigbratlein ニュルンベルク

    総合評価:5.0

    2009年12月11日(金)
    Restaurant Essigbraetlein レストラン・エッシィッヒブレートラインにて;

    ミシュラン2星・・2008年より、Gault Millauゴー・ミヨは18点と評価も上昇中。
    全独82位(2010年)。  席数:30、従業員:9人 
      メニュー;?品Euro42、6品Euro79、7品Euro96  ワイン;150種
      シェフ;Andree Koethe 

    *ニュルンベルクでベストの評価を持つレストランは、町でも最も古い1550年からの歴史をもったもので、当時はワイン商人の集会所としての役割を担っていたと云う。Gewuerz(香料・薬味)Kraeuterkueche(薬草料理)、有機農産物を使用していて、ここの料理を食べる為に、この町を訪ねる価値があると言われている。

    二人のシェフ;Andree Koethe、Yves Ollechs Buch は “Die Kunst des Wuerzens香料の芸術” を表現していると云う。スパイスキッチンの巨匠との評価が高い。
    この店の得意料理はRochen mit Pfifferlingenスケート(エイ)あんず茸添えと、 Steinbutt auf Fenchelフェンネルにのったカレイ、 Reh mit Liebstoeckel und Essigkirschen鹿肉にラビッジ(セリ科)とサクランボ酢を利用したものだそうだ。

    【1550年から続いている、レストランEssigbraetleinで夕食を楽しむ。この店の創作料理は近年、世評も高く、店内の席数も限られている為、席を確保できたことは大変運が良いのだと云う。店内はさすがに満席です。

     この日のメニューは6品メニューのみです。量的には多すぎると思い、給仕に聞いてみるとこの中から適宜、選択しうると言う。そこで二人とも4品を選んでみた。
    4品のお値段と言っても、Euro79X2=178と、なかなかのもの・・・。

    飲み物:ハウスアペリティーフ(プラムのSektゼクト・・シャンパン)、お水、そしてワインは2004年Pinot Noir Reserveピノ・ノワール レゼルヴ
    ;醸造所Weingut Holger Kochはバーデンワイン街道の最も優良な産地Kaiserstuhl 皇帝の椅子の中心地にあたるVogtsburg-Bickensohlにある。
    http://www.weingut-holger-koch.de/weingut.php   

    飲み物合計はゼクトEuro27+水6.8+ワイン89 =122.8

    シェフのご挨拶:南瓜のクリーム煮、ライスペーパー巻き、シナモンかけ。
            肉の角切りに赤い甘みの香辛料かけ。
            鰻の甘酢ソースかけ。

    パン・バター:自家製パン、豆色のバター。
    前菜:湖のマスにトマトソースかけ、薄切のカリフラワー添え。

    メイン:(魚料理)カレイにクルミの甘酢ソースかけ、大根の千切り載せ。
        (肉料理)鹿肉にアカデミアンナッツ入り、イチジクのサラダ。
    イタリアンパセリ、ライスペーパー添え。

    デザート:暖かいマンゴ、ミルクチョコレートアイス、カラメルの飾り。
    コーヒー:5種類のチョコレート;ミルクチョコレートにラズベリー載せ、葡萄載せ、オレンジペースト載せ、白チョコレートなど。

    19:00~21:45  
    拘ってなんとか食事のチャンスが持てたが、内容に驚き、かつ、大変満足した料理とサービスでした。その代金はEuro320(43千円)でした。】

    尚、2009年当時、このレストランは珍しい事にメールがなく、予約は電話かファックスなので、ファックスで数度のやり取りをしました。
    12月11、12日の金土はさすがにもう一杯で、Wartelisteウェイティングリストに載せてもらったものの、出発まで決まりません。仕方なく、旅程に沿ったホテル名と電話・ファックス番号を送っておいた。
    結局、最初のホテルSchloss Steinburg(Wuerzburg)に電話があり、幸いこの夜の予約がOKとなった。

    久しぶりに時差を考えずに返事をしてくるので、夜中に起こされることもあり、時代離れと言うのか、手書きの返事でしたので、読むのも一苦労でした。
    ただ、対応は都度きちんと返事が来るのはさすがでしたが・・・。

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    10,000円以上
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    5.0
    Nuernbergニュルンベルクの旧市街にある、聖ゼーバルト教会に近い。
    コストパフォーマンス:
    5.0
    二人とも4品を選んでみた。 4品のお値段と言っても、Euro79X2=178だが満足からすれば、十分に納得する。
    サービス:
    5.0
    大変満足したサービスでした。
    雰囲気:
    5.0
    外観も内装も素晴らしい。
    料理・味:
    5.0
    香料・薬味?Kraeuterkueche(薬草料理)、有機農産物を使用していて、ここの料理を食べる為に、この町を訪ねる価値がある言う。

  • 神崎神社:天下の副将軍・水戸光圀公ゆかりの「なんじゃもんじゃの木」を見る。

    投稿日 2025年01月27日

    神崎神社 香取・佐原

    総合評価:4.5

    2024年6月17日小旅行

    遠目に、「神崎森(こうざきもり)」と称する深い森が小高い丘の上に見えてきた。
    それで、この日は神崎神社のなんじゃもんじゃの木(大クスノキ)を見学に訪れることにした。

    【神崎森(こうざきもり)】

    千葉県教育委員会HPの説明を引用すると、

    *県指定天然記念物
    *指定日:昭和10年(1935年)8月23日

    *所在地(所有者):
    香取郡神崎町神崎本宿1944(神崎神社)

    *概要:
    神崎(こうざき)は、利根川南岸に位置する河岸の物資集積地として発達してきた町であるが、利根川の堤防から神崎の街を眺めると、そこにはうっそうと木々が茂った森がひときわ目立つ。この森が神崎森(こうざきもり)である。
    北総台地から離れて独立した台地にあり、神崎神社の社叢林(鎮守の森)として大切に守られてきた。

    神崎森(こうざきもり)は全体として常緑広葉樹林が優占する。スダジイやアカガシが主体となるスダジイ林が大部分を占めているが、一部タブノキ林の要素も見られる。スダジイ林の林床には、ホソバカナワラビ、リョウメンシダなどが多く、湿ったスダジイ林の特徴がよくあらわれている。

    タブノキ林はやや湿った斜面部で発達しており、高木層にはタブノキが優占し、シロダモが混在する。亜高木層では、スダジイ林にと共通するヒサカキ、スダジイなどが多く、低木層でもヤツデ、アオキとともにスダジイが多くみられる。また、北向き斜面では、巨大なムクノキ、ケヤキといった落葉広葉樹が多く見られ、北総台地の特徴をよくあらわしている。

    なお、「神崎森にある神崎神社社殿右側には国指定天然記念物の「神崎の大クス」が位置している」。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    この森に囲まれた神崎神社は、この地方によく聞く、天下の副将軍・水戸光圀公ゆかりの大クスノキがあるのだ。

    神崎町のシンボルでもある「大クスノキ」があって、<なんじゃもんじゃの木>と云う妙な別称でも知られている。

    「大クスノキ」は1926年(大正15年)10月2日に既に国指定天然記念物に指定されたもので、昔から、世に知られて存在であったようだ。

    私自身は各地にある巨木を好んでみる面があるが、利根川筋の小さな町にこれほどのものがあるとは、全く知らなかった。

    <神崎の大クスと植物学者の牧野富太郎>

    大正時代に植物学者の牧野富太郎によって、この木が植物学的にクスノキであることが確認され、1926年に国の天然記念物として指定された。
    主幹は根回りが約13m、目通幹囲8.5mだが、1907年12月に社殿を焼いた火災により一部焼失しており、現在は高さ7mのところで切断されている。
    一方で、その根元からは数本の支幹が主幹を中心として南北に並んで生育しており、そのうち5本は樹高20mを超えていて、高いものでは25mに達する。
    (参考:Wiki抜粋、編集・追記)

    ・・・・・

    XXXXX

    旅行時期
    2024年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.5

  • イキスと読めなかった、東国三社に数えられる神栖の息栖神社に参詣した。

    投稿日 2023年02月01日

    息栖神社 波崎・神栖

    総合評価:4.5

    【小江戸・佐原から潮来、神栖を巡る。③神栖の息栖(いきす)神社、佐原の荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音とみしるし不動を訪ねた。】

    神栖の息栖(いきす)神社も佐原の荘厳寺(しょうごんじ)も最初は全く読めない字だった。息栖神社で出会った女子大生の2名にこの名は読めないと言ったら、ほんとにそうですねと、同意された。
    土地名や神社仏閣の名前は実に難しい。

    さて、神栖市の神栖(かみす)は神之池(ごうのいけ)の「神」と息栖神社の「栖」から神栖となったそうだ。

    かつては広大な面積をもった池・「神之池(ごうのいけ)」は、約1,400~1,200年前に海面が下降して周辺砂丘の造成や土砂の堆積によって独立して出来たものだと云う。古くは周囲2里余(約8km)、面積292町歩余(約289ha)のおむすび型に近い円形の広大な淡水池があったものだが、日本列島は何処も同じで、鹿島地区の開発のため、現在は一部を残して大部分が埋め立てられてしまった。

    【鹿島・香取とともに東国三社に数えられる息栖(いきす)神社に参詣した】
    〒314-0133 茨城県神栖市息栖2882
    Tel:0299-92-2300

    <祭神>
    主祭神は久那斗神 (くなどのかみ、岐神)
    社伝では、鹿島神・香取神による葦原中国平定において、東国への先導にあたった神という。

    相殿神には
    天乃鳥船神 (あめのとりふねのかみ)
    『古事記』では、建御雷神(たけみかづちのかみ)の副神として葦原中国平定に赴いたと記される。


    息栖神社は鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、香取神宮(千葉県香取市)とともに【東国三社(とうごくさんじゃ)】と呼ばれている。
    息栖神社の事を語る文章に、東国三社のうち他の二社に比べてより穏やかな趣がある神社が息栖神社だと云う。

    つまり、鹿島(建御雷神タケミカヅチ=武甕槌大神)と香取(経津主神フツヌシ)に祭られる二神が、武神(軍神)であり、その神剣であるのに対して、息栖神社(久那斗神クナドノカミと天乃鳥船神アメノトリフネノカミ)は、武神の乗り物であった「天鳥舟(アメノトリフネ)」という神が祭られているからだとか!?

    平安時代に「神宮(じんぐう)」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう:当時の官社の一覧表)』によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけだった。

    鹿島と香取の両神宮が、日本の国でも別格の位置にあった事に比較し、
    息栖神社は古くは「於岐都説神(おきつせのかみ」と記され、1321年の古文書では「おきすのやしろ」と記されたと云う。この「おきつせ・おきす => 沖洲」という古称から、香取海(かとりのうみ:古代の関東平野東部に広がっていた内海で、現在は霞ヶ浦や印旛沼などに名残を留めている)に浮かぶ沖洲(おきす)に祀られた神であると考えられている。

    息栖神社が東国三社(とうごくさんじゃ)の一つと呼ばれている事については、私は今まで全く知らずにいた。もちろん、東国三社の意味も。
    そして「東国三社巡り」の言葉があるが、江戸時代に「お伊勢参りの禊ぎ(みそぎ)の三社参り」と呼ばれ、信仰を集めた旅になっていた。
    とりわけ、関東以北の人は伊勢神宮に参宮(さんぐう)したのち、「下三宮巡り」と称してこの三社を参拝したと云う。

    <息栖の津・渡船場跡>
    「息栖の津」は古い時代からあった。今から約七百年の昔、応安7年(1374年)記の香取神社文書「海夫注文」にその名が見える。当時、この流域の支配権を持つのは香取神社で、下総国側の24、常陸国側の50の津(港)を支配した。
    「息栖の津」も利根川を往来する舟船の船着場とし、また魚労の拠点としての網引・釣魚に大きな役割を果たしていたようだ。
    この時代には海水が入り、この辺りでもサケは勿論のこと、タイ・ヒラメ・ハマグリ等が獲れていたとの記録が残っている。

    江戸時代になると、江戸の文人墨客、庶民の、東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)を巡拝する旅が盛んになった。日本橋小網町を小船で出発し、途中徒歩もあるが、下総国木下河岸(千葉県印西市)より木下茶船に乗り、利根川を下って三社に向かった。
    記録には木下河岸を出る船数は、安永年間(1854年~)には年平均4400~4500隻にも達している。単純計算で1日12隻もの船が出航している。香取神社から鹿島神宮へ向かう途上、息栖神社へ立ち寄る慣例であった。
    利根川の支流の辺に立てられた大きな鳥居があり、その支柱の両側に井戸があって、小さな鳥居が立てられている。「男瓶(おがめ)」と「女瓶(めがめ)」と言う名の井戸の中には魚が泳いでいる。

    この井戸は、汽水(きすい: 海水と淡水の混合による低塩分の水)の中に湧き出す非常に珍しいもので、 「忍潮井(忍塩井)=おしおい」と呼ばれ、伊勢の明星井、伏見の直井とともに日本三霊水に数えられている。
    海水をおしのけて清水が湧出していることからこの名前になったということです。

    初めて訪れた息栖神社はなかなか興味深く、その歴史や地勢、水運といった新しい知識を得た。

    ・・・・・

    旅行時期
    2022年11月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 思い立ったが吉日!とばかりに佐原のウナギ料理を食べに長谷川を訪れた。

    投稿日 2025年01月12日

    長谷川 香取・佐原

    総合評価:4.0

    佐原の鰻を食べる事、荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音に祈願する事、一度も足を向けたことが無い諏訪神社を訪れる事・・・本日の目的は三つである。

    2024年の12月21日(土)、思い立ったが吉日!とばかりに佐原に向かう。
    今日は久しぶりに「うなぎの長谷川」で食べる。
    それから初めての諏訪神社に参詣、
    さらに受験生の孫二人の為に佐原の荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音に御参りだ。

    長谷川は天保2年(1831年)の創業当時から鰻一筋の商いを続けている佐原の味処で、初代から連綿と受け継がれてきた自家製のタレが、店の何よりの自慢だ。
    <さわらグルメマップ>で紹介されるお店・和食のトップに名がある。
    アクセス:佐原駅[南口]徒歩6分

    ここ3年ばかりは長谷川に何時もフラれて、「うなぎ割烹 山田(昭和天皇も訪れたと云う」、その山田からも近い「やま川」に行くことが多かった。
    今日は幸い昼時を少しずれていた所為か、空いていた。
    私共はいつものように座敷は避けて、椅子席に座る。

    佐原は成田と共に鰻料理で知られているが、佐原では長谷川が地元の人に好まれているそうだ。
    だが、いつの間にか、隣にあった千葉銀行の佐原支店が市内の別の場に移転して空き地になっていた。良いお得意さん(固定客)が減ったのではないかと思った。
    うな重、肝吸い付きは4,500円也。毎年値段が上がる!!
    鹿児島産のウナギだと、表示されていた。

    この時間には私共を入れて3組のカップルが来客、私共が食事を終える頃に近所の女性親子が来店し、親し気に年輩のスタッフ(3人とも以前から務めている)と世間話をしながらうな重を楽しんでいた。

    うな重に満足して、長谷川を出る。

    ・・・・・

    旅行時期
    2024年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    一人当たり予算
    5,000円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.0
    料理・味:
    4.0
    観光客向け度:
    3.0

  • ヴィリニュス旧市街(世界遺産)で、リトアニアの歴史を飾る王侯の像や伝説に満ちた聖カジミエルの画、奇跡のマリア像を見てまわった。

    投稿日 2024年11月03日

    リトアニア国立博物館 ビリニュス

    総合評価:4.5

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月20日(火)リトアニア・ヴィリニュスは快晴、マイナス0.3~10℃。>


    「ヴィリニュス旧市街観光(旧市街は1994年に世界遺産に登録)」
    (13:30~15:00)

    深い緑に囲まれた、リトアニアの首都・世界遺産ヴィリニュス旧市街の面積は3.6平方キロメートルと、北欧最大の旧市街には歴史的・文化的事物が多い。
    バルト二国の首都リガやタリンの旧市街と較べて、旧市街を囲む城壁がなく、更に旧市街には他で見られるドイツ騎士団・ハンザ同盟の影響もない。
    旧市街の建築物は約1,500あり、バロック様式・ゴシックやルネッサンス様式と様々なスタイルのものが見られる。特筆すべきは28のカトリック教会(この国はカトリック国ですから、当然ですが・・)に加えて、8のロシア正教会,モスク、シナゴークという宗教施設が多い事であろう。

    旧市街から少し離れた「リトアニアバロックの真珠!」と称されている聖ペテロ・パウロ教会を第一に見て、ゲディミナス城跡の丘とゲティミナス塔、聖アンナ教会を見ると、後はリトアニアの歴史を飾るMindaugasミンダウガス王像やケディミナス大公像であり、ヴィリニュス大聖堂の聖カジミエルの礼拝堂、夜明けの門の“奇跡のマリア”などの宗教施設を訪れる。

    1)リトアニア民族博物館前で、最初で最後のMindaugasミンダウガス王(当時のリトアニアはドイツ騎士団の侵攻に苦しめられていたが、ミンダウカスは諸部族をまとめてリトアニアを統一し、1246年に即位した。)の銅像を拝した。銅像下に書かれた文字は当時の象形文字だそうだ。

    2)“ヴィリニュス創設の伝説”の鉄の鎧を着けた狼を従え、剣を振りかぶったケディミナス大公像と乗馬像は、ヴィリニュス大聖堂の前のカテドゥロス広場に見る事が出来る。

    3)ヴィリニュスのシンボルである主教座教会であるヴィリニュス大聖堂:

    最初の教会は13世紀に騎士団の圧力から逃れるため、キリスト教を受け入れた、ミンダウガス王によって建設された。しかし王が暗殺されると、自然崇拝の聖地に戻ります。1387年にヨガイラ公により、再びキリスト教化され、教会は再建される。現在の建物は18世紀に大改装されて、ギリシャ神殿風の古典主義(クラシック)様式建造物となった。

    内部に入ると身廊があり、堂内は割りと明るく、側廊との間にある柱には12使徒の絵が飾られている。パイプオルガンや様々な礼拝室があり、特に大きく、素晴らしいのはリトアニアの守護聖人・聖カジミエルの礼拝堂だ。
    ここには聖人の石棺も安置され、黒の大理石が印象に残る。礼拝堂には2枚のフレスコ画があり、聖人の奇蹟・伝説を表している。左方の壁画は聖カジミエルの棺が120年経って、開けられたが、遺体が少しも腐敗していなかった。
    右方の壁画は聖人の棺のそばで少女スウラが、死から蘇るというものである。

    礼拝堂の聖カジミエルの聖画は銀を被せてある。その像は右手が二本あるように見える!絵師が絵を描いた時に、描いてもいない二本目が生じて、消しても消えないという、奇蹟!が起こったのだと云う。

    大聖堂の前のカテドゥロス広場には大聖堂の鐘楼が建つ。高さは53mで、基礎の部分は13世紀の城壁の塔が使われているとか。

    4)夜明けの門の“奇跡のマリア”:

    かつて、タタール人の侵攻を防ぐ為の城壁があり、元来9つあった城門の一つだけが残っている。上部のルネッサンス様式の装飾は16世紀のもの。
    リトアニアの紋章である白い騎馬像が描かれている。

    この門の反対側は礼拝堂であり、ここに有名な“奇跡のマリア”のイコンがある。
    写真を見ると、マリアは黒いマリア像で、顔や手は黒く、冠や後光、衣類は金色に塗られている。この門の下を通りながら、上を見上げて祈りを捧げる人が多い。窓が開け放されると、黒いマリア像を見ることが出来るのだが、今は閉まっていて、何も見えない。

    この黒い(健康である象徴)マリアに祈ると、あらゆる願い事が叶うという。病の治った人々がお礼に寄進した、手形、足形、頭部の形などが、像の周辺、像を修める厨子の柱や壁などに、貼られているそうだ。
    顕彰碑によると、1993年ローマ法王ヨハネ・パウロ二世がここを訪れている。


    16:25カウナスに向かう。

    ・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0

  • 「リトアニアバロックの真珠!」と称され、教会美術に興味が無い人も魅了し、じっくりと見たい教会である。

    投稿日 2024年10月29日

    聖ペテロ & パウロ (ペトロ イル ポヴィロ)教会 ビリニュス

    総合評価:5.0

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン 

    <2009年10月20日(火)リトアニア・ヴィリニュスは快晴、マイナス0.3~10℃。>

    「ヴィリニュス旧市街観光(旧市街は1994年に世界遺産に登録)」
    (13:30~15:00)

    深い緑に囲まれた、リトアニアの首都・世界遺産ヴィリニュス旧市街の面積は3.6平方キロメートルと、北欧最大の旧市街には歴史的・文化的事物が多い。
    バルト二国の首都リガやタリンの旧市街と較べて、旧市街を囲む城壁がなく、更に旧市街には他で見られるドイツ騎士団・ハンザ同盟の影響もない。

    旧市街の建築物は約1,500あり、バロック様式・ゴシックやルネッサンス様式と様々なスタイルのものが見られる。特筆すべきは28のカトリック教会(この国はカトリック国ですから、当然ですが・・)に加えて、8のロシア正教会,モスク、シナゴークという宗教施設が多い事であろう。

    9:00、最初に向かったのは町の外れにある聖ペテロ&パウロ教会(1675年創立)である。

    聖ペテロ・パウロ教会は「リトアニアバロックの真珠!」と称されている。
    ロシアからの解放を記念して建てられた教会で、1668年から建設が始まり、外観に7年、内装にはさらに30年あまりの歳月が費やされたと云う。

    ヴィリニュス観光の中心地・旧市街からはちょっと方向違いのアンタカルニス地区にあり、やや離れているものの、教会美術に興味が無い人も魅了し、じっくりと見てまわりたい教会である。

    朝日を背景に二つの塔を持つ、赤い屋根とマッチした、ベージュ色の教会は実に神々しく見える。

    教会内は漆喰の白さで大変明るい印象を受けた。バロック調の華やかな彫刻が壁や天井を覆っており、それら約2000体の漆喰彫刻が素晴らしい。バロックの“氷れる音楽”と称されるのも、もっともだと思えた。

    入口の左右にはドイツ・ラインの守護聖人であるクリストファー聖人の彫刻(生)と、それと対になった大きな鎌を持つ骸骨像(死)がある。

    絵画が飾られていた祭壇、天井の絵画、ちょっと驚いたのは、宙吊りされた帆船(スウェーデンから贈られた、見事なシャンデリアは人を天国に運ぶのだと・・・)、そしてマグダリアのマリア像(ある貴族の奥さんをマリア像にかりて描いたと言われる)。

    ポーランド出身の、先のローマ法王パウロ2世の来訪記念肖像、パイプオルガンと漆喰彫刻、丸天井と、最初の観光名所は印象深いものでした。   

    ・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    展示内容:
    5.0

  • メルヘン街道の目玉:ラプンツェル(髪長姫)の古城ホテル トレンデルブルク城

    投稿日 2020年06月24日

    ホテル ブルク トレンデルブルク カッセル

    総合評価:5.0

    <2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
    期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
    (14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)

    9月28日(土) 72km 、曇りのち晴れ、14℃~16℃

    *起床6:00、朝食7:50~8:20、Hannoversch Muendenハノーフェルシュ・ミュンデンの市内見物8:45~10:35、11:00出発 =>B3・ B80 17 km Veckerhagenフェッカーハーゲン11:15~12:00 =>K52 L3229 12 km Dornroeschenschloss Sababurg古城ホテル いばら姫のザバブルク城12:17~13:00=>K56・L763  13 km  Hotel Burg Trendelburgホテル ブルク トレンデルブルク 13:30~14:05 

    ザバブルク城を13時に出発した。村道を13 km走ると、人口6000人という小さな木組みの家の並ぶ村の中心に、Hotel Burg Trendelburg古城ホテル ブルク トレンデルブルクが見えて来る。  
    トレンデルブルク城もラインハルトの森の中にある。グリム童話の赤頭巾ちゃんの話が生まれたラインハルトの森は実に広大なのだ。
    丘陵地帯に茶色の高い塔が見えてくる。あれが名高い“ラプンツェルの塔”だ。

    <Trendelburgトレンデルブルク>
    13:30~14:05

    ザバブルク城と同じく、1977年5月のPfingstenフィングステン(聖霊降臨祭)の4日間の休みを利用した家族旅行(メルヘン街道)、1982年7月の日曜日に一日で700kmのドライブ旅行(カッセルからハーメルンまでのメルヘン街道)と二度、この古城ホテルを訪れているが、二度ともテラスレストランで、ティータイムを取っただけで、泊まりませんでしたが、漸く2005年の旅で1泊することができた。
    2013年10月16日(水)にも訪れた。2013年の時はヴァルデック城をスタートし、カッセルやハン・ミュンデンを経由し、フュルステンベルクを再訪、カールスハーフェンからトレンデルブルク、サバブルク、カルデンと巡り、ヴァルデック城に戻った。
    今回はフェッカーハーゲン、サバブルク、トレンデルブルクと行程が逆になる。
    今年も又再び訪れたが、ぐるりと回遊するだけだ。

    <Burghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルク城>
    D-34388 Trendelburg 、 Steinweg.1
    TEL:49(0)5675-9090、FAX:-9362
    http://www.burg-hotel-trendelburg.com/de/

    4星・全22室。この城は1303年コンラッド3世伯爵が建てたのが始まりと云われている。大火災や戦乱に巻き込まれ、城は2度も炎上したものの、その都度修復され、その後も幾多の変遷をへて、1948年この城主の末裔によって、6室のみのホテルが開業された。
    今は中世の雰囲気をもつ古城ホテルとして、メルヘン街道の目玉になっていて、世界中からやって来る観光客の人気も高い。

    古城前の駐車場に車をおき、60mぐらい歩くと、ラプンツェルの塔が目に入る。
    細い橋を渡って、狭い城門をくぐり、石畳の城内に入ると、カスターニアン(とちの木)の大木、見張り塔が目に入ってくる。

    高い塔にはラプンツェルの長い髪を模したロープが下がっていた。以前はここまでやっていなかった記憶だが、ディズニー映画の影響もあるのだろう。
    1907年発行のグリム童話では『魔女に閉じ込められたラプンツェルが塔から長い髪を垂れ下げ、王子に助けてもらった』という話が載っていて、トレンデルブルクの塔は其のモデルに使われたそうです。

    テラスから周辺のラインハルトの森を遠望する。以前は見なかった大きな建物が下に見える。宿泊施設や駐車場・広場といったものだが。こうして森も少しずつ少なくなっていくのだろう。
    塔には登る元気は無いので、古城ホテル トレンデルブルク城の内部を見せてもらう。城内に入ると、歴史の重みを感じさせる、武具、アンチーックな家具、調度が見事である。
    近年に改装した様子で、Burgrestaurantブルクレストランもきれいになっていた。
    ホテル内の装飾はいろいろと加えられて、古城の雰囲気も増していた。
    ラインハルトの森、赤いレンガ屋根の家々、緑の畑が一望でき、ロマンチックである。
    秋には鹿、猪、キジ、茸など、ラインハルトの森の恵みを受け、ホテル自慢の料理を提供するそうである。


    私共にとって特別のニュースはホーフガイスマルに向かう道で、ディーメル川の岸辺に立つ「Trendulaトレンドゥラの木像」を発見し、漸くその姿を撮った事だろう。

    Diemelディーメル川(ヴェーザー川の支流:全長110.5km)でいったん止まり、木像の写真を撮ってからトレンデルブルクを14:05に出発した。

    ・・・・・


    旅行時期
    2019年09月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • メルヘン街道の目玉 古城ホテル トレンデルブルク城

    投稿日 2014年08月20日

    ホテル ブルク トレンデルブルク カッセル

    総合評価:4.0

    ≪Burghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルク城≫
    14:25?14:45

    D-34388 Trendelburg 、 Steinweg.1
    TEL:49(0)5675?9090、FAX:?9362
    http://www.burg-hotel-trendelburg.com/de/

    4星・全22室。
    この城は1303年コンラッド3世伯爵が建てたのが始まりと云われている。大火災や戦乱に巻き込まれ、城は2度も炎上したものの、その都度修復され、その後も幾多の変遷をへて、1948年この城主の末裔によって、6ベッドのみのホテルが開業された。
    今は中世の雰囲気をもつ古城ホテルとして、メルヘン街道の目玉になっていて、世界中からやって来る観光客の人気も高い。

    バート・カールスハーフェンでB80(ハン・ミュンデン方面)とB83(トレンデルブルク城・ザバブルク城方面)に分れる。
    ここでどちらにするか迷ったが、木組みの家並みより、B83のメルヘン街道の古城ホテルを選んだ。ラインハルトの森を通る道だが、ここには何度も来ている。

    森を抜けると、急に明るくなり、前方の丘陵地帯に茶色の高い塔が見えてくる。
    グリム童話に名高い“ラプンツェルの塔”だ。フュルステンベルク城から31kmでトレンデルブルク城に到着。
    カスターニアン(とちの木)の大木、見張り塔が目に入ってくる。
    城内に入ると、歴史の重みを感じさせる、武具、アンチーックな家具、調度が見事である。 白の天蓋つきの部屋:No.8(2005年・1泊朝食付きEuro130でした。)もレストランも皆、趣があり、これぞ!!古城ホテルと思う。

    1977年5月のPfingstenフィングステン(聖霊降臨祭)の4日間の休みを利用した家族旅行(メルヘン街道)、1982年7月の日曜日に一日で700kmのドライブ旅行(カッセルからハーメルンまでのメルヘン街道)と二度、この古城ホテルを訪れているが、二度ともテラスレストランで、ティータイムを取っただけで、泊まりませんでしたが、漸く2005年の旅で1泊することができた。

    今日はメルヘン街道を走ると云う事で、こちらを再訪問した。
    古城前の駐車場に車をおき、橋を渡る。左手にラプンツェルの塔が立ち、ラプンツェルの長い髪を模したロープが下がっていた。以前はここまでやっていなかった記憶だが、ディズニー映画の影響もあるのだろう。

    狭い城門をくぐり、中庭に入ると、秋真っ盛りの古城だった。やはり良いもので、しばし散策をする。塔には登る元気は無いので、古城ホテル トレンデルブルク城の内部を見せてもらう。
    近年に改装した様子で、Burgrestaurantブルクレストランもきれいになっていた。秋になると、鹿、猪、キジ、茸など、ラインハルトの森の恵みを受け、ホテル自慢の料理を提供するそうである。
    親切な奥さんが私共の写真をかつての古城の絵や甲冑の前で撮ってくれた。
    また、来てみたいなと、ツィ思ってしまう。

    XXX

    <グリム童話・“Rapunzelラプンツェル” (髪長姫)>

    あるところに夫婦がいた。長年子供がなかった2人だが、ある時やっと子供を授かる。
    妊娠した妻は隣に住むゴーテルという魔女の庭のラプンツェル(妊婦が食べるのによいとされる野菜)を食べたくてたまらなくなる。
    食が細ってやつれた妻に「ラプンツェルが食べられなければ死んでしまう。」と懇願された夫は、妻と生まれる子のために魔女の敷地に忍び込むとラプンツェルを摘み取りにかかるが、魔女に見つかってしまう。

    しかし夫から事情を聞いた魔女は、好きなだけラプンツェルを摘んでもいいが、子供が生まれたら自分に渡せと言う。
    やがて妻が生んだ女の子は、即座に魔女に連れて行かれる。ラプンツェルと名付けられた娘は、森の中に築かれた入り口のない高い塔に閉じ込められる。魔女はラプンツェルの見事な長い金髪をはしご代わりに、窓から出入りしていた。

    そんなある日、森の中を歩いていた王子が美しい歌声に引かれ、塔の中に閉じこめられたラプンツェルを発見し、魔女と同じ方法を使って塔に登る。魔女に隠れて夜ごと王子を部屋に招き入れて愛し合い、ラプンツェルは妊娠する。

    その事実を知って、激怒した魔女はラプンツェルの髪を切り落とし、荒野へと放逐してしまう。 一方、何も知らずラプンツェルを訪ねてきた王子は、待ち受けていた魔女から罵られる中で全ての顛末を知って絶望し、塔から身を投げて失明する。

    7年後、盲目のまま森をさまよっていた王子は、男女の双子と暮らしているラプンツェルとめぐり会う。
    うれし泣きするラプンツェルの涙が王子の目に落ち、王子は視力を回復する。王子はラプンツェルと子供たちを伴って国に帰り、皆で幸せに暮らしたそうだ。(Wik)

    XXX

    旅行時期
    2013年10月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    3.5
    ロケーション:
    3.5
    客室:
    4.0

  • ヴィリニュスのゲディミナス塔傍に最も特筆すべき標が有りました。 いわゆるバルト三国を繋いだ【人間の鎖】です。

    投稿日 2024年10月25日

    アルセナーロ通り ビリニュス

    総合評価:5.0

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月20日(火)リトアニア・ヴィリニュスは快晴、マイナス0.3~10℃。>

    「ヴィリニュス旧市街観光(旧市街は1994年に世界遺産に登録)」
    (13:30~15:00)

    深い緑に囲まれた、リトアニアの首都・世界遺産ヴィリニュス旧市街の面積は3.6平方キロメートルと、北欧最大の旧市街には歴史的・文化的事物が多い。
    バルト二国の首都リガやタリンの旧市街と較べて、旧市街を囲む城壁がなく、更に旧市街には他で見られるドイツ騎士団・ハンザ同盟の影響もない。

    旧市街の建築物は約1,500あり、バロック様式・ゴシックやルネッサンス様式と様々なスタイルのものが見られる。特筆すべきは28のカトリック教会(この国はカトリック国ですから、当然ですが・・)に加えて、8のロシア正教会,モスク、シナゴークという宗教施設が多い事であろう。

    まず、丘の麓を通るアルセナーロ通り(Arsenalo gatvė)からゲディミナス城跡の丘にケーブルカーで登り、ゲディミナス塔より、ヴィリニュス旧市街の素晴らしいパノラマを楽
    しむこととする。

    ≪ゲディミナス城跡の丘とゲティミナス塔(13世紀・内部は小さな歴史博物館)≫

    この城には“ヴィリニュス創設の伝説”が残っている。
    『ある日、トラカイ城から、狩に出かけたゲディミナス大公は二つの川に挟まれた丘の近くに野営を張りました。その夜、大公は不思議な夢を見た。
    それは丘の上に立ち、大きく吠える鉄の鎧を着けた狼の夢でした。祭司のリジェイカがその夢を神の神託と判断しましたので、喜んだ大公はその丘に城を築くことにしたそうです。その丘がゲディミナス城跡の丘なのです。
    その伝説の鉄の鎧を着けた狼を従え、剣を振りかぶったケディミナス大公像と乗馬像は、大聖堂の前のカテドゥロス広場に見る事が出来る。

    ゲディミナス城跡の丘から、そして75段の階段を上がり、ゲディミナス塔より眺めた旧市街や3つの十字架の丘のパノラマは美しいものでした。
    やや陰ってきた秋の空でしたが、黄葉に染まった町の眺めや、ネリス川の先に見える近代建築の高層群は見厭きないものです。

    ・・・・・

    そしてここには最も特筆すべき標【人間の鎖】が有りました。

    いわゆるバルト三国を繋いだ【人間の鎖】です。他の口コミにはザックリ見た限り、書かれていないので、此処で書き残しておこうと思います。

    そのスタート時点はこの塔の下から始まったのです。別名【バルトの道】と称し、1989年8月23日、当時ソビエト連邦支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)の独立運動の一環として行われたデモンストレーションを指します。

    およそ200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600キロ以上の人間の鎖を形成したそうです。人間の鎖にどれだけの人が参加したかは報道によって異なる。
    翌日のロイター通信によれば、エストニア人70万人、ラトヴィア人50万人、リトアニア人100万人が参加したと報じている。(ソ連国家保安委員会KGBが人間の鎖を繋ぐ人々を詳細に撮影した為に、今その記録を見る事が出来るのだという)

    このデモンストレーションは、バルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書締結50周年を期して行われ、三国が共通の歴史的運命を共有していることを、国際社会に訴えるために行われた。
    1990年8月20日、三国はそろって再独立を果たした。

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    5.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • ヴィリニュス:聖アンナ教会は33種類の異なった形のレンガが使われ、当時のヨーロッパでは他に例がないと云う。

    投稿日 2024年10月22日

    聖アンナ (オノス)教会 ビリニュス

    総合評価:3.5

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月20日(火)リトアニア・ヴィリニュスは快晴、マイナス0.3~10℃。>

    大聖堂のあるカテドゥロス広場を横切り、ヴィルナ川が蛇行している半島に建つ聖アンナ教会に向かう。ザンネンな事に教会は修復中で、傍のベルナルディン修道院(聖アンナ教会と同時期に建てられた。美しいフレスコ画がある)を遠くに見て帰る。 

    聖アンナ教会は写真で見ると、16世紀後半に建てられた見事なゴシック様式の教会だ。建設には33種類の異なった形のレンガが使われ、当時のヨーロッパでは他に例がない教会であるそうだ。

    この教会にはこんなエピソードが残る。
    *1812年ロシア攻め (Russlandfeldzug von 1812)のナポレオン皇帝が、この教会を見て『わが手に収めて、フランスに持ち帰りたい』と云ったとか・・・。

    *ロシア帝国が大陸封鎖令を守らないことを理由にフランス帝国のナポレオン1世がロシアに侵攻し、モスクワを占領するも結果的にロシアの冬に敗北し、退却した。ナポレオンのヨーロッパ制覇の野望及び彼の人生に対する決定的な大打撃(転換点)になった。
    尚、皇帝の行軍の道は地図で見ても、当時ロシア帝国の支配下にあったバルト三国だが、これらの国々を経由した様子がない。

    この後、Piliesピリエス通りをぶらぶらする。気にいったCaféを見つけた。

    お茶:Café Saskaitaカフェ サスカイタ  (15:20~55)
    ピリエス通り19のカフェSaskaita (現在はPilies Kepyklėlė)に入った。
    ココア4X2 =8Litasリタス 、アップルクーヘン7X1=7Litas 合計15 Litas=600円。 

    寒い日には暖かいココアが一番だ。
    美味なるリンゴのケーキにアイスがかかったものを二人で食べた。

    ・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.5

  • ヴィリニュス:3つの十字架の丘はゲディミナス塔より遠望するにとどめた。

    投稿日 2024年10月14日

    3つの十字架の丘 ビリニュス

    総合評価:3.0

    ≪ヴィリニュス:3つの十字架の丘はゲディミナス塔より遠望するにとどめた。≫

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月20日(火)リトアニア・ヴィリニュスは快晴、マイナス0.3~10℃。>

    ゲディミナス城跡の丘にケーブルカーで登り、ゲディミナス塔より街のすばらしいパノラマを楽しむ。

    ゲディミナス城跡の丘から、そして75段の階段を上がり、ゲディミナス塔より眺めた旧市街や3つの十字架の丘のパノラマは美しいものでした。

    3つの十字架の丘はゲディミナス城跡の丘の裏手に位置し、Kalnuカルヌ公園の山頂にあるのだが、少々行くには遠い様子だ。遠望するに留めて、その歴史を調べた。

    14世紀、キリスト教の布教にきたフランシスコ修道会7名の僧が、この地の異教徒に切り殺され、残りの人々は十字架に縛られヴィルニア川に流されたと云う(うち4人は川に流され、3人が磔にされたとも云うが・・・)。

    その死を悼む真っ白い追悼碑が、17世紀に3つの十字架としてこの山頂に建てられた。
    旧ソ連時代に破壊されたが、後に復元された。


    ・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0

  • 美しきリトアニア、ネリス川は≪父なる川≫ネムナス川に合流し、バルト海に注ぐ。

    投稿日 2024年10月08日

    ネリス川 ビリニュス

    総合評価:4.0

    ≪美しきリトアニア、ネリス川は≪父なる川≫ネムナス川に合流し、バルト海に注ぐ。≫

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月20日(火)リトアニア・ヴィリニュスは快晴、マイナス0.3~10℃。>

    Holiday Inn ホリデイ イン:
    Seimyniskiu str.1 Vilnius、2600 Lithuania
    この旅最初のホテルはホリデイ イン、部屋は606号室(7F)
    2002年オープンの新しいホテルの1つ。Nerisネリス川の北岸にあり、旧市街からも近い。4星・全134室のCity Hotelである。

    *時差の関係でいつもながら、3時に目覚める。また、寝たが、結局5時に起床した。6時半にホテルの朝食がスタートするとのことで、その時刻に1Fのレストランに。やはり、バルト三国もドイツの様な豊かな朝食で嬉しい。

    朝食後、まだ時間もあったので寒々しい外気にあたって、Raduškevičius Palace(リトアニア大公が1897年に建てた)宮殿前をネリス川の北岸まで歩いてみた。緑の橋(Zaliasis Tiltas)と呼ぶ橋は、通勤時間でもあり、労働者が通勤で忙しそうに歩く、バスや車の数も多く、首都の顔を見せていた。あたり一面の霜景色に朝日が輝いて、川べりの景色は美しい。

    “リトアニアの国名の由来”は国の中央を流れるLietauka リェタウカ川(距離11kmと短い川でネリス川の支流)からきたとされている。天気が変わりやすく、雨が多いリトアニアは『雨の降る国』の意味が有るとか!
    尚、この旅で唯一、この日は快晴で、しかも素晴らしい景観に恵まれたのだ。

    リトアニアの首都・ヴィリニュスは地図で見ると地理的に偏った南東部にある。ちょうどドイツ語でDie Nerisネリス川とDie Vilniaヴィルナ川の合流地点にあり、首都ヴィリニュスという名は、このヴィルナ川に由来すると云われている。
    北のバルト海へは312kmの内陸部で、ベラルーシの国境にも近接するので、不思議な感じがするが、過去数世紀の間に国境の形が変わってしまったことに因るものだ。かつてリトアニア大公国の時代にヴィリニュスは国土の中央にあったのだが・・・。 1994年にヴィリニュス旧市街は世界文化遺産に登録された。

    リトアニア人口は 350万人(リトアニア人84%、ロシア人6%の比率はラトヴィア、エストニアと比して、自国民比率がたいへん高い。)とバルト三国では最大、国土面積も同様。ヴィリニュスの人口は550千人と大都市だ。
    ポーランドとの関係が強かった事もあって、ローマカトリック教徒が多い。

    ホテルからネリス川の北岸まで歩いたこともあって、リトアニアの河川について前述のように書いて見たが、
    更に言えば、「ネリス川」は白ロシア(現ベラルーシ)に源泉をもち、そこから白ロシアとリトアニアの大地を流れ、リトアニアの主たる都市Vilnius、Jonava、Kaunasを経由し、Kaunasで「メーメル川」に注ぐ。長さは510 km。
    ヴィルナ川はリトアニア国内を79 km流れるネリス川の支流。

    ドイツ的には気になる「Die Memelメーメル川」(リトアニア語でNemunas ネムナス)はベラルーシに源を発して、リトアニアとロシア連邦 Kaliningradカリーニングラード(かつてのKönigsbergケーニヒスベルクと称したバルト海の港町)州を流れ、 Ostsee バルト海の一部であるKurisch クルシュ海に注いでいる。長さは937kmとヨーロッパで14番目に長い川である。
    リトアニア人はネムナス川(ドイツ語ではメーメル川)を≪父なる川≫とも呼ぶ。そして、リトアニア人であれば誰もが暗唱すると云う、ヨーナス・マイローニスの詩は次のような詩だ。

    『Scheschup(p)eシェシュペ川が走り、Nemunasネムナス川が流れる。我らが故郷、美しきリトアニア 』
    そして、詩と言えば、以前のドイツ国歌の1番の歌詞で歌われる地名には、上記のメーメル川が出てくる。 
    『Von der Maas bis an die Memel, von der Etsch bis an den Belt.
     マース川からメーメル川まで、エッチュ川からベルト海峡まで。』

    そのドイツ関連の歴史を辿ると、1252年、ドイツ騎士団はクルシュ海の出口近く、Klaipe’daクライペダに城砦を建設し、その拠点の都市をMemelburgメーメルブルク、ネムナス川をメーメル川と称した。

    しかし、領土問題はややこしく、ドイツにいまだ、こうした歌が残る。
    『Memellandメーメルラントの歌詞の一部:
    Deutsch ist das Memelland, Ist ewig, ewig, ewig deutsches Land!!
    メーメルの地はドイツ、未来永劫、永久に、永遠に ドイツの領邦! 』

    尚、ドイツ国歌;現在、ドイツ連邦共和国の正式な国歌は3番のみである。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    5.0

  • 首都ヴィリニュスの旧市街・レストランAulaアウラでリトアニア名物の水餃子を食べた。

    投稿日 2024年10月06日

    Aula ビリニュス

    総合評価:4.0

    ≪首都ヴィリニュスの旧市街・レストランAulaアウラでリトアニア名物の水餃子を食べた≫

    【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
    2009年10月19日(月)~26日(月)

    訪問地;
    Lithuaniaリトアニア
    ・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
    Latviaラトヴィア
    ・首都Rigaリガ
    Estoniaエストニア
    ・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン

    <2009年10月20日(火)快晴、マイナス0.3~10℃。>
    ヴィリニュス旧市街観光とトラカイ観光

    トラカイの比較的紅葉した森をバックに怖い顔のヴィタウタス大公の像を撮って、帰途に就く。ヴィリニュスまでは約25km、所要約40分とバスの旅。そろそろ昼食時間だ。


    【昼食:レストランAulaアウラ】
    12:15~13:15

    レストランは旧市街の中心にある、最も古い通りのPilies(城を意味)ピリエス通り11番地にあった。
    ミックスサラダ、リトアニア風水餃子(当地の名物、koldūnai/コルドゥナイ或いはコルドゥーナ)、木の実のケーキにイチゴジャム載せ。白ワインを飲む。
    メインの水餃子はひき肉やキノコ類、野菜などが具として中に入っている。ディルとサワークリームが添えられて、サワークリームを味付けて食べる。
    リトアニア風水餃子と称しているが、やはりかつて支配下にあったロシアやポーランド料理の影響があるのだろう。

    無愛想なご主人とちょこまか気遣う奥さんの席で、一緒に食事をする事になり、いささか、気疲れした一時間でした。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    3.5
    雰囲気:
    4.0
    料理・味:
    3.5

  • ウィーン:古城ホテル ヴィルヘルミネンベルク城でのキャンドルライト ディナーを楽しむ。

    投稿日 2024年09月27日

    オーストリア トレンド ホテル シュロス ヴィルヘルミネンベルグ ウィーン

    総合評価:5.0

    ≪南ドイツとオーストリア周遊≫
    *ドイツ・バイエルン国王 ルードヴィヒ2世 と 
     オーストリア皇后 エリザベート・・・・愛称 “シシィ”を 巡る旅*
    ( 2004年4月21日-5月4日)

    4月25日(日)晴、夕方より曇り 242km

    *朝食8:00、グラーツ9:15スタート、Eisenstadt 11:00 = 160km 、アイゼンシュタッド観光:Schloss Esterhazy 宮殿12:00-12:50、ハイドン博物館、昼食“Café Esterhazy“13:30-14:30、Wien15:30 = 50km、シェーンブルン宮殿見学:Imperial Tour・庭園 16:00-17:30、古城ホテル ヴィルヘルミネンベルク城に到着18:00、=32km

    2004年4/25(日) &4/26(月):2泊
    Hotel Schloss Wilhelminenberg古城ホテル ヴィルヘルミネンベルク城
    (4星) 119x2 Euro= 238 注:パッケ-ジ料金169―50=Euro 119     
    A-1160 Wien 、Savoyenstrasse 2 、   

    この古城ホテルは昨年の旅で頂いた“ウィーンのホテル案内”で見つけ、インタ-ネットでのやり取りで、予約した。
    歴史的にはこの古城ホテルは伯爵家の城として、1781年に建てられ、その後、何度かの改築があり、今の新帝国スタイルになったのは1904年です。
    現在は50もの会議等に使用される部屋と33の客室、4つのジュニア・スイ-トを持ち、ウィ-ンの西の高台にあって、30エ-カ-の広さの公園、ブドウ畑に囲まれ、ウィ-ン市を眺望できる絶好の位置にあります。

    アレンジメントのパッケ-ジ料金(Schloss Romantikシュロス ロマンティーク)で依頼した3階のジュニア・スイ-トは二つの部屋が一緒になった大きな部屋 でした。
    部屋にSektゼクト(シャンパン;“Goldeck Privat Brut”というウィーンの南、Badenバーデンの近く、Bad Vöslau バート・フェスラウのシャンパン)が一本、冷やされていて、果物籠が置かれ、さらには“びっくり箱”(石鹸や、シャンプ-、香水の類の入った)で歓迎されました。

    【ヴィルヘルミネンベルク城のキャンドルライト ディナー】
    アレンジメントのパッケ-ジの夕食は4品のキャンドルライト ディナーと称したものでした。レストランには我々の席が用意されていました。

    まず、アペリティーフは当ホテルの名が付いたSektゼクト(シャンパン)をグラスで頂き、赤ワインは給仕長に薦められた同じく当ホテル名のものを一本(Euro27.00)いただきました。

    4品料理:
    前菜として粒胡椒をかけた、鮭のスライス、
    スープはフランス風オニオンスープ、
    メインは肉料理か魚料理のどちらかを選択しました。
    写真を見ると、私が肉料理のMastochsen子牛のステーキを選び、魚料理は女性陣がPetersfischマトウダイ(的鯛)のニンニク油のソテーを選んだようです。
    デザートは柔らかく煮たりんごを磨り潰し、ビッターチョコレートのムースをかけたものでした。

    3時間(19~22)があっという間に過ぎ、さすがにウィーンは料理も美味しく、優雅なディナーを楽しめました。

    ワイン代を含め、パッケージの調整分を加え、4人分を合計するとEuro254(35千円)となり、たいへんリーズナブルなものでした。

    XXX

    部屋に戻って、またパッケージに含まれたSektゼクト(シャンパン)で乾杯ということになりました。良く冷えたシャンパンは泡立ちもきれいに上り、実に美味しいものでした。オーストリア、ニーダーエーステライヒ州を巡るワイン探訪コース494kmにでてくるBad Vöslau バート・フェスラウの産です。

    旅行時期
    2004年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    友人
    1人1泊予算
    10,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    5.0
    サービス:
    4.5
    バスルーム:
    5.0
    ロケーション:
    4.0
    客室:
    5.0

  • デュルンシュタインの小さな御土産屋でメルヘンチックな壁飾りを買った。

    投稿日 2024年09月21日

    ハウプト通り (デュルンシュタイン) デュルンシュタイン

    総合評価:4.0

    ≪南ドイツとオーストリア周遊≫
    *ドイツ・バイエルン国王 ルードヴィヒ2世 と 
     オーストリア皇后 エリザベート・・・・愛称 “シシィ”を 巡る旅*
    ( 2004年4月21日-5月4日)

    4/28(水) 快晴 230km

    朝食8:30、買物、古城ホテル デュルンシュタインを10:00スタート

    *王様の如く、眠った翌日は、朝食も進みます。朝食にはもったいないレストランで、多様なハム、果物類、卵、蜂蜜、ジャム、そして、新鮮なジュース等、こたえられない美味しい朝食です。日本ではまず無理な、パン、ハム、ジャム、蜂蜜の味です。

    ホテルをスタートする前、昨日同様に小さな町の中心街を散策する。石畳の通りを歩き、この地域は白ワインで有名と聞いていたので、ワインやジャムのお店を覗く。
    昨日、小さな御土産屋の閉まっていた窓越しにZinn(錫)のメルヘンチックな壁掛け等が見えました。明日は是非、訪ねて、中を見てみたいものと思っていたので、その店に行ってみた。
    気にいっていたZinn(錫)の壁飾り、特に良かったのはメルヘン話に登場する人物がお城ふう建物の各階に形作られたものです。
    値段はEURO136と高いものでしたが、思い切って購入しました。
    白雪姫、靴を履いた猫、ブレーメンの音楽隊、いばら姫、カエルの王様等が見られて、面白いものです。
    Iさんはボートに乗るサンタクロースといったものを見つけて購入していました。この形はその後の旅行中、一度も見たことが無く、お買い得品でした。 

    お店の女主人とも、会話が弾み、“オーストリアのEURO加入後のインフレ、経済の悪化、旅行者の減少といった事や、そして、日本人はどうしてそんなに肌がきれいで、若々しいのか?!私などはもう、40代なのに。えー!貴方達は60代、年金生活者なの?これは驚きだ!!“とか・・・。

    最後は”おまけ“にシシィのチョコレートを頂きました。


    ・・・・・

    旅行時期
    2004年04月
    利用した際の同行者
    友人
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • グムンデンで最初に訪れたのは「グムンデン焼きの陶器」の工房だった。

    投稿日 2024年09月15日

    グムンデン陶器工場 グムンデン

    総合評価:4.0

    ≪南ドイツとオーストリア周遊≫
    *ドイツ・バイエルン国王 ルードヴィヒ2世 と 
     オーストリア皇后 エリザベート・・・・愛称 “シシィ”を 巡る旅*
    ( 2004年4月21日-5月4日)

    4/28(水) 快晴 230km

    朝食8:30、買物、デュルンシュタイン10:00スタート、BST33-Kremsクレムス、ドナウ川右岸:Schloss Schönbühelシェーンビュール城、―(Melkメルク)ATB A1/A7-Linzリンツ 13:00  = 140km 予定、昼食“Wienerwald”13:10-14:00、リンツ市内観光:リンツ城、市庁舎、州庁舎等、15:20スタート、ATB A7/A1―(Steyrermühl)-BST144-Gmunden 16:00、グムンデン陶器工場16:10-16:40、オルト城16:50-17:20、ホテル17:30= 70km 
    合計 210km予定。 

    *16時、Gmundenグムンデンに到着した。
    初めに、【Gmundner Keramik Manufakturグムンデン陶器製作所】を訪ねた。

    <グムンデン陶器工場>(16:10-16:40)
    グムンデンはオーストリアの人々にも愛用されている「グムンデン焼きの陶器」の生産地であり、早速、工場に行ってみる。
    工場見学は時間的に無理であったので、販売所に行き、土産物を探した。
    グムンデン焼きは独特の色合いだが、記念の土産にと“Teewärmerテーバーマー”(紅茶やコーヒーを温めておくもの)を一つ購入し、紙ナプキン数セットもついでに買った。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    以下はオーストリア観光局HPの説明に追記した。

    【Gmundner Keramik Manufakturグムンデン陶器製作所】
    A-4810 Gmunden 、Keramikstraße 24

    Gmundner Keramikグムンデン工房の代表的なデザインであり、熱狂的なファンに支持されているのが、「Grüngeflammtグリーンのゲフラムテ」です。
    この白地を背景に楽しげに渦を巻く太いグリーンの線は、17世紀以来、皿やカップ、花瓶、オーブンのタイルなどを、優雅に飾ってきました。

    このデザインによってグムンデン陶器工房は、オーストリア・ハンガリー帝国の皇室全体の御用達陶器工房としての地位を獲得しました。それ以来、陶器工房は、オーバーエステライヒ州ザルツカンマーグート地方ののどかな湖畔の町、Gmunden amTraunグムンデン・アム・トラウンに確固たる会社として根付いています。

    オーストリアの家庭のほとんどが、グムンデン陶器の製品を持っています。そして、この中央ヨーロッパ最大の陶器製造会社の製品で、未だに最も人気が高いのが、古典的なデザインの「geflammtゲフラムテ」です。
    その次に人気があるのが、花々のデザインの「Streublumenシュトロイブルーメン」(可愛い小花)と、牡鹿の絵柄の「Hirschenヒルシェン」(牡鹿)です。この牡鹿デザインの色彩設計を、緑でも赤でもなく、エレガントなグレーに変えるだけで、皿に繊細に描かれた牡鹿の絵柄に、新たな活き活きとした命が吹き込まれ、その表情に変化を与えます。この色彩の陶器デザインは、モダンな都会生活にマッチします。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2004年04月
    利用した際の同行者
    友人
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.0

  • グムンデン:トラウン湖上のSeeschloss Ortオルト城は大変古い可愛い城で、TV撮影でも人気だと云う。

    投稿日 2015年09月24日

    オルト城 グムンデン

    総合評価:5.0

    ≪南ドイツとオーストリア周遊≫
    *ドイツ・バイエルン国王 ルードヴィヒ2世 と 
     オーストリア皇后 エリザベート・・・・愛称 “シシィ”を 巡る旅*
    ( 2004年4月21日-5月4日)

    4/28(水) 快晴 230km

    朝食8:30、買物、デュルンシュタイン10:00スタート、BST33-Kremsクレムス、ドナウ川右岸:Schloss Schönbühelシェーンビュール城、―(Melkメルク)ATB A1/A7-Linzリンツ 13:00  = 140km 予定、昼食“Wienerwald”13:10-14:00、リンツ市内観光:リンツ城、市庁舎、州庁舎等、15:20スタート、ATB A7/A1―(Steyrermühl)-BST144-Gmunden 16:00、グムンデン陶器工場16:10-16:40、オルト城16:50-17:20、ホテル17:30= 70km 合計 210km予定。 

    *16時、Gmundenに到着した。グムンデンはザルツカンマーグート地域で第二の湖であるTraunseeトラウン湖---南北12km、最深部は200m---の北端にあり、岩塩の交易で栄えたケルト人の町として、古い歴史に登場する。
    今はヨーゼフ皇帝の保養地としての方が有名である。先日、訪問したBad Ischlバート・イシュル は33kmの距離です。
    昔から、芸術家が訪れて、シューベルトは1825年から2年間、ブラームスは1890年から6年もこの地に暮らしたそうです。 


    今日で8日目、もう半分を過ぎてしまった!!!   

    町の南西にトラウン湖に突き出すように立っている“Seeschloss Ort・湖上の城オルト”は909年に史料に出てくるという、大変古い島上の可愛い城です。
    現在は一泊予定の古城ホテル ライトト城の経営となっていて、人気のカフェ・レストランが城内にある。
    又、素晴らしい景観をバック、この地を舞台にして、オーストリアのTV人気番組が撮影されているとのことだ。

    駐車場からの道は、自然保護地域になっていて、木々や芦が育って、鳥類等には、恵まれた場所である。

    橋を渡って、中庭に入る。城内は小さな狭い空間である。時間的に人も少なく、レストランにも人が見えない。

    橋の上から見た対岸には今夜の古城ホテル・フライジット・ライト城らしき建物も見え、周辺の緑の中、湖を囲むようにきれいな建物が並んでいる。

    青い湖には小さなボートや、ヨットが何隻か浮かんで、ゆったり、のんびりした保養地らしい眺めである。  
    この風景を見ると、イギリスやスイスの湖水地方に勝ると言われるのも納得です。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    (更新:2024年9月14日)

    旅行時期
    2004年04月
    利用した際の同行者
    友人
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    3.5

  • グムンデン:トラウン湖の眺望を楽しめる古城ホテル フライジット ロイト

    投稿日 2015年09月24日

    シュロスホテル フレイシッツ ロイス グムンデン

    総合評価:4.5

    ≪南ドイツとオーストリア周遊≫
    *ドイツ・バイエルン国王 ルードヴィヒ2世 と 
     オーストリア皇后 エリザベート・・・・愛称 “シシィ”を 巡る旅*
    ( 2004年4月21日-5月4日)


    4/28(水) 快晴 230km

    *ヴァッハウ渓谷を昨日とは逆に右岸を走り、ドナウ川を遡り、古城の跡を遠望しながら、メルクに至り、更にリンツ観光をして、17時半、Gmundenグムンデンに到着しました。先日、訪問したBad Ischlバート・イシュルは33kmの距離です。
    当地はザルツカンマーグート地域で第二の湖であるトラウン湖の北端に位置して、グムンデン陶器の産地で知られています。
    昔から、芸術家が訪れて、シューベルトは1825年から2年間、ブラームスは1890年から6年もこの地に暮らしたそうです。

    【Schlosshotel Freisitz Roith古城ホテル フライジット ロイト】
    (4星・全23室) Euro124    
    A-4810 Gmunden、Traunsteinerstr. 87             
    TEL:43(0)―7612―64905、FAX:43(0)―7612―64905―17  
    http://www.freisitzroith.at/
     

    古城ホテルは湖の東側の小高い丘の上にありました。
    昔からこの湖とその周辺を領する者の城として建てられ、16世紀の中頃に騎士の城となり、そして何回かの変遷の後、1964年、現在のようなホテルに模様替えし、1996年、現在の経営者によって、テラスレストランをふくむ、古城ホテルに生まれ変わったとのこと。19の部屋と4つのスィートをもつ、プチホテルといえます。
    部屋にも果物と共に歓迎のカードがあって、気遣いは良く感じられました。

    3階の部屋からの、トラウン湖の眺望が素晴らしく、落ち着いた色合いの部屋に大満足です。湖の周辺の高い山々はまだ一部に雪を残し、湖や湖畔の木々の青さとのコントラストは美しく、芸術家達がこの地に足を留めたのも、無理からぬものでしょう。

    丁度、窓から見る真正面に、先程まで見てきたSeeschloss Ort湖上のオルト城 ----町の南西、湖岸から湖に突き出たように立っていて、909年に史料に出てくるという、大変古い島上の城です。城までは橋が掛かっていて、現在はこの古城ホテルの経営となっていて、カフェ-レストランは人気があるようです。又、この地を舞台にオーストリアのTV人気番組が撮影されているとの事です----が見える。
    この風景を見ると、イギリスやスイスの湖水地方に勝ると言われるのも納得です。

    このホテルには“Wintergarten-Terrasseヴィンターガルテン-テラス mit seeblick湖への眺望の良いテラス付の温室の意”と称するメインレストランがあり、ARAL評価で13点。レストランは湖に向かって、ホテルの本館に併設されている。
    現代風のレストランだが、評判は良いようで、水曜日にも拘らず、19時の予約にネクタイ、背広姿で席についてみると、殆ど満席でした。
    町の会合と思われる団体客もあって、大変賑やかです。
    さすがに肌寒く、窓の外のテラス席には一組だけでしたが。              

    さて夕食は
    アペリティーフは女性陣三人がシャンパン、私がシェリーを注文。

    シェフの御挨拶が出て、次の前菜は三人がシュパーゲル(白アスパラ)のスープ、娘さん一人がジャガイモとマッシュルームのテリーヌ、カニのタルタルソース付きを。
    メインは家内はトラウン湖の川魚にベネチアン風野菜とパリ風のジャガイモ添えと、
    私は新鮮なシュパーゲルにオランダ風ソースをかけた、ジャガイモと子牛の肉を添えた料理です。これはIさん親子の二人も魚とシュパーゲルに分かれて注文した。
    デザートはアイスクリームとチーズの盛り合わせ。
    尚、食事に合わせたワイン(ヴァッハウ渓谷地域のものを中心に、メニュー参照)が用意されていて、こちらもまた十分楽しみました。

    私はアスパラずくめでしたが、全て美味しく頂きました。
    2時間半の夕食は皆さんも大変満足していました。

    19:00-21:35 Euro269.10(4人分) 

    XXX
    (更新:20240905)

    旅行時期
    2004年04月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    友人
    1人1泊予算
    15,000円 未満
    コストパフォーマンス:
    4.5
    サービス:
    4.0
    バスルーム:
    5.0
    ロケーション:
    5.0
    客室:
    5.0

  • グラーツ:ハウプト広場にある貴賤結婚したヨハン大公の像、近くの楽しいカラクリ時計は見ものだ。

    投稿日 2024年09月03日

    グラーツ市歴史地区 グラーツ

    総合評価:5.0

    ≪南ドイツとオーストリア周遊≫
    *ドイツ・バイエルン国王 ルードヴィヒ2世 と 
     オーストリア皇后 エリザベート・・・・愛称 “シシィ”を 巡る旅*
    ( 2004年4月21日-5月4日)

    <2004年4月24日(土)朝は小雨、曇り後晴、時々シャワー、246km>
    Graz 13:30、グラーツ午後市内観光:エレベーターで城山へ。時計塔、
    昼食“Aiola”14:40-15:40、武器博物館、州庁舎、市庁舎、ハウプト広場、
    ヨハン大公像、劇場、王宮、Cafe17:20-17:50、グロッケンシュピール
    (仕掛け時計)18:00。 

    *旧市街にある武器博物館、州庁舎を見て、ハウプト広場にあるヨハン大公像や
    すこし離れたグロッケンシュピール広場の仕掛け時計を見る。

    <シュタイアーマルクのプリンス、Erzherzog Johannヨハン大公の像>

    ヨハン大公の像は旧市街の中心Hauptplatzハウプト広場の真ん中に立っている。
    銅像の南側には市庁舎があり、文字通りの中心地である。
    ヨハン大公が1859年に亡くなった後、1878年に銅像と噴水が一体となった形で造られた。ヨハン大公像が四人の女性を配した大きな噴水の中央にたてられている。

    Erzherzog Johann Baptist von Österreichヨハン・バプティスト・フォン・エスターライヒ大公(1782~1859年)は、ハプスブルク家出身のオーストリア帝国の軍人、皇族であり、1848年革命期のReichsverweserドイツ帝国摂政であった。

    ヨハン大公として知られ、山登り好きで、スイスの山岳を愛したことから「アルプス王」と称され、グラーツの様々な改革をしたことで慕われ、民衆からも親しみをもって「Steiermarkシュタイアーマルクのプリンス」とも呼ばれた。
    驚くことに、平民の娘Anna Maria アンナ・プロッフル(1804~1885年:後に「ブラントホーフ男爵夫人」及び「メラン伯爵夫人」の称号を得る)と1829年2月、皇帝からの正式な許可が下り、社会的な身分差と22歳の年齢差を越えて「貴賤結婚」をした。

    尚、有名な「ヨハン大公のヨーデル」に歌われている。
    ヨハン大公のヨーデル(オーストリア民謡) Angela Wiedl - Erzherzog Johann Jodler
    https://youtu.be/YvGATm_CbMU

    <Glockenspielカラクリ時計とGlockenspielplatzグロッケンシュピール広場 >

    Glockenspielhaus: Abraham-a-Santa Clara-Gasse 4

    カラクリ時計を見るのは好きで、この町でもぜひ見たいとやって来た。
    からくり時計はグラーツの旧市街、大聖堂と市庁舎の中間くらいにある。
    このカラクリ時計は、1903年から1905年にかけて、メーカーのGottfried Simon Maurerゴットフリート・サイモン・マウラーから市への贈り物として作られた。すぐに町の人達の人気のアトラクションになり、1908年以来、その場所はグロッケンシュピール広場と呼ばれている。
    からくり時計が動くのは1日3回、午前11時、15時、18時ですが、私共は最後の機会である18時に仕掛け時計を見に来ました。

    定刻に時計のチャイムが鳴り、ドアが開き、民族衣装をつけた男女が24個の鐘の音に合わせて、踊りだす。くるくると回る単純な仕掛けですが、思っていた以上に長い15分間の踊りでした。曲目はシーズンによって変わるそうだが。
    ミュンヘン市庁舎ほどの大きな仕掛けではないものの、100年も前からきちんと動いているから、ビックリです。 

    ・・・・・

    (オーストリア観光局、およびWiki参考)


    旅行時期
    2004年04月
    利用した際の同行者
    友人
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

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