イキスと読めなかった、東国三社に数えられる神栖の息栖神社に参詣した。
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- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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by jijidarumaさん(男性)
波崎・神栖 クチコミ:1件
【小江戸・佐原から潮来、神栖を巡る。③神栖の息栖(いきす)神社、佐原の荘厳寺(しょうごんじ)の十一面観音とみしるし不動を訪ねた。】
神栖の息栖(いきす)神社も佐原の荘厳寺(しょうごんじ)も最初は全く読めない字だった。息栖神社で出会った女子大生の2名にこの名は読めないと言ったら、ほんとにそうですねと、同意された。
土地名や神社仏閣の名前は実に難しい。
さて、神栖市の神栖(かみす)は神之池(ごうのいけ)の「神」と息栖神社の「栖」から神栖となったそうだ。
かつては広大な面積をもった池・「神之池(ごうのいけ)」は、約1,400~1,200年前に海面が下降して周辺砂丘の造成や土砂の堆積によって独立して出来たものだと云う。古くは周囲2里余(約8km)、面積292町歩余(約289ha)のおむすび型に近い円形の広大な淡水池があったものだが、日本列島は何処も同じで、鹿島地区の開発のため、現在は一部を残して大部分が埋め立てられてしまった。
【鹿島・香取とともに東国三社に数えられる息栖(いきす)神社に参詣した】
〒314-0133 茨城県神栖市息栖2882
Tel:0299-92-2300
<祭神>
主祭神は久那斗神 (くなどのかみ、岐神)
社伝では、鹿島神・香取神による葦原中国平定において、東国への先導にあたった神という。
相殿神には
天乃鳥船神 (あめのとりふねのかみ)
『古事記』では、建御雷神(たけみかづちのかみ)の副神として葦原中国平定に赴いたと記される。
息栖神社は鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、香取神宮(千葉県香取市)とともに【東国三社(とうごくさんじゃ)】と呼ばれている。
息栖神社の事を語る文章に、東国三社のうち他の二社に比べてより穏やかな趣がある神社が息栖神社だと云う。
つまり、鹿島(建御雷神タケミカヅチ=武甕槌大神)と香取(経津主神フツヌシ)に祭られる二神が、武神(軍神)であり、その神剣であるのに対して、息栖神社(久那斗神クナドノカミと天乃鳥船神アメノトリフネノカミ)は、武神の乗り物であった「天鳥舟(アメノトリフネ)」という神が祭られているからだとか!?
平安時代に「神宮(じんぐう)」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう:当時の官社の一覧表)』によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけだった。
鹿島と香取の両神宮が、日本の国でも別格の位置にあった事に比較し、
息栖神社は古くは「於岐都説神(おきつせのかみ」と記され、1321年の古文書では「おきすのやしろ」と記されたと云う。この「おきつせ・おきす => 沖洲」という古称から、香取海(かとりのうみ:古代の関東平野東部に広がっていた内海で、現在は霞ヶ浦や印旛沼などに名残を留めている)に浮かぶ沖洲(おきす)に祀られた神であると考えられている。
息栖神社が東国三社(とうごくさんじゃ)の一つと呼ばれている事については、私は今まで全く知らずにいた。もちろん、東国三社の意味も。
そして「東国三社巡り」の言葉があるが、江戸時代に「お伊勢参りの禊ぎ(みそぎ)の三社参り」と呼ばれ、信仰を集めた旅になっていた。
とりわけ、関東以北の人は伊勢神宮に参宮(さんぐう)したのち、「下三宮巡り」と称してこの三社を参拝したと云う。
<息栖の津・渡船場跡>
「息栖の津」は古い時代からあった。今から約七百年の昔、応安7年(1374年)記の香取神社文書「海夫注文」にその名が見える。当時、この流域の支配権を持つのは香取神社で、下総国側の24、常陸国側の50の津(港)を支配した。
「息栖の津」も利根川を往来する舟船の船着場とし、また魚労の拠点としての網引・釣魚に大きな役割を果たしていたようだ。
この時代には海水が入り、この辺りでもサケは勿論のこと、タイ・ヒラメ・ハマグリ等が獲れていたとの記録が残っている。
江戸時代になると、江戸の文人墨客、庶民の、東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)を巡拝する旅が盛んになった。日本橋小網町を小船で出発し、途中徒歩もあるが、下総国木下河岸(千葉県印西市)より木下茶船に乗り、利根川を下って三社に向かった。
記録には木下河岸を出る船数は、安永年間(1854年~)には年平均4400~4500隻にも達している。単純計算で1日12隻もの船が出航している。香取神社から鹿島神宮へ向かう途上、息栖神社へ立ち寄る慣例であった。
利根川の支流の辺に立てられた大きな鳥居があり、その支柱の両側に井戸があって、小さな鳥居が立てられている。「男瓶(おがめ)」と「女瓶(めがめ)」と言う名の井戸の中には魚が泳いでいる。
この井戸は、汽水(きすい: 海水と淡水の混合による低塩分の水)の中に湧き出す非常に珍しいもので、 「忍潮井(忍塩井)=おしおい」と呼ばれ、伊勢の明星井、伏見の直井とともに日本三霊水に数えられている。
海水をおしのけて清水が湧出していることからこの名前になったということです。
初めて訪れた息栖神社はなかなか興味深く、その歴史や地勢、水運といった新しい知識を得た。
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- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2023/02/01
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