かつうらビッグひな祭り会場:オッと、声が出るほどの見事な遠見岬神社の雛段1800体の迫力はすごい。
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- 旅行時期:2023/03(約3年前)
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by jijidarumaさん(男性)
勝浦 クチコミ:3件
【かつうらビッグひな祭り会場:オッと、声が出るほどの見事な遠見岬(とみさき)神社の雛段1800体の迫力はすごい】
3月3日は「桃の節句のひな祭り」である。
ひな祭りという、春めいてきた日々の最初を飾る祭りは各地でお雛様を飾っている。
【かつうらビッグひな祭り】は近頃、TVでよく見られ、SNSでもその美しい写真が投稿されるから、よく目にする。写真にあるようにひな祭りは「2月24日から3月3日まで」、都合8日間の開催となっている。
かつうらビッグひな祭り会場は大きなものが3つある。
第一に遠見岬(とみさき)神社(ここが3つの中で一番多くて、1800体を数える)、
第二に覚翁寺(かくおうじ)で600体だが、寺域ということで纏まりがある景観だった。
もう一つは墨名(とな)交差点の会場で1000体を飾り、勝浦駅から徒歩で来ると最初に目につく場所の為、大いに目立つ。
覚翁寺(かくおうじ)から遠見岬神社に向かう市街地には古めかしい建物も見える。
次は遠見岬(とみさき)神社に。
この光景が見たかった。
昨日2日は天候が雨、強風予想で、パネルでの展示になっていた。
それをHPで確認し、一日ずらしたのだ。
今日は申し分のない上天気で、気分良い見物が出来たのだ。
地元の方たちの御尽力で、こうして60段の石段に美しく、見事に飾られた1800体のお雛様の姿になった
【遠見岬(とみさき)神社】
千葉県勝浦市浜勝浦1 、0470-73-0034
遠見岬神社(とみさきじんじゃ)は、勝浦市浜勝浦(上総国夷隅郡)にある神社。旧社格は郷社。天富命(あめのとみのみこと)を祀っている。
天富命(あめのとみのみこと)は、日本神話に登場する神または人物。神武東征において橿原宮を造営し、阿波国に続いて房総の開拓をした。
期間中は階段から石段の上にある神社に御参りはできない(ようだ)。
大勢の観光客が立ち並んでいた。多くは朱印状目当ての方のようだった。
ひな祭りの際の人出の多さを見てみると、普段はどんなものか気になるところだ。
概要:
神武天皇の側近として活躍した天富命(あめのとみのみこと)は、阿波の開拓を終えた後、東国により良い土地を求め阿波忌部(いんべ)氏らを率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸した。そして祖神である天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀る社を建て、安房の開拓を進めたがその後当地で没したという。
天日鷲神(あめのひわしのかみ)の後裔の勝占の忌部須須立命(かつらいんべすすたつのみこと)は、八幡岬突端富貴島の天富命の居跡に社殿を建立、開拓の祖神として祀ったのが当社の起こりとされている。
慶長6年(1601年)の大津波で岬突端の富貴島にあった社殿は決壊し社宝の多くが流失した。
このとき決壊した社殿と御神体が高磯の浜に流れ着き、流れ着いた「宮の谷」に社殿を再造営、里見氏・安房正木氏および近郷領主の信仰が篤かったという。
その後、万治2年(1659年)に、領主の植村土佐守が神占によって現在地の「宮山」に遷祀したといわれ、現在の社殿は嘉永2年(1849年)の改築である。
江戸時代までは富大明神と称したが、明治6年(1873年)遠見岬神社と改称し郷社に列した。
元々の社殿のあった富貴島は、津波や元禄16年(1703年)の大地震で海没し、現在は一部が平島として残されているのみである。なお、勝占の忌部が住んだこの地は勝占と呼ばれるようになり、「勝浦」の地名の由来といわれている。(Wiki)
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- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2023/04/07
いいね!:3票
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