旅好者さんのクチコミ(306ページ)全6,282件
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- 基本情報
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投稿日 2013年08月19日
総合評価:3.5
エクアドル料理専門店で、炭火焼きのパリジャーダ(Parillada:肉、内臓、ソーセージ等)やエクアドルの伝統的な料理が食べられるお店です。キトでは有名店だそうです。夜にはライブミュージックが毎日、日曜日には舞踏ショーがあるということでした。標高3000m弱の旧市街を歩いて観光した後に寄りましたので食欲がなくなっていたのが残念です。
- 旅行時期
- 2009年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 3.5
- 料理・味:
- 4.0
-
投稿日 2013年08月14日
アルミランテ・マルコ・アンドレス・サル空港 (REL) トレレウ
総合評価:3.5
この空港はチュブ州のメイン空港で、州都のラウソンからは26kmとなっています。バルデス半島観光のベースとしてプエルト・マドリンを選んだ場合もこの空港となります。距離は60kmあり、車で1時間ほど掛かります。なお、プエルト・マドリンにも空港がありますが就航航空会社が少ないです。この空港の面白いところは恐竜のディスプレイがあることです。チュブ州は古生物の宝庫だからです。
- 旅行時期
- 2013年05月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 施設の充実度:
- 3.5
-
投稿日 2013年08月14日
総合評価:3.0
実質的な首都であるラパスの国際空港ですから、航空便予約の空港名は「ラパス」となりますが、現在は行政を分離したエル・アルト市にありますから、正式にはエル・アルト国際空港と云います。この空港の標高は4061mで、滑走路は4000mの長さがあります。(南米ではペルーのフリアカ空港、エクアドルの新キト空港に次いで3番目の長さです)この標高の高い空港では、燃料を満載しての離陸が出来ないので、長距離国際便はすべてサンタクルスなどの標高の低い空港の経由便となります。なお、ターミナルビルは国際線就航空港とは思えないほど小さいので、必要最低限の設備しかありません。(例えばラウンジなどはありません)
- 旅行時期
- 2010年05月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 施設の充実度:
- 2.5
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投稿日 2013年08月14日
総合評価:3.5
この空港は標高が3826mと高いところにあるので、滑走路は南米で1番長く、4、200mもあります。(1番長いのはボリビアのラパス国際空港と思っていたのですが、そちらは4000mです)正式名はインカ・マンコ・カパック国際空港と云いますが、インカ神話によるインカ帝国の初代皇帝のマンコ・カパックに因んでいます。(この空港に近いチチカカ湖の太陽の島が降臨の地となっています)なお、国際空港となっていますが、今現在は国際線の就航はない様です。こぢんまりとしたターミナル・ビルに入り、ターン・テーブルに荷物の出てくるのを待っていると、4人組が歓迎のアンデスの音楽を奏でています。
- 旅行時期
- 2010年04月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 施設の充実度:
- 3.0
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投稿日 2013年08月13日
アレハンドロ ベラスコ アステテ国際空港 (CUZ) クスコ
総合評価:3.5
クスコへの飛行機は何故か有視界飛行になるそうで、高地のため比較的天候の安定している朝の時間帯に、クスコに到着する飛行機が集中しています。空港は旧市街中心からは4kmと至近の場所にありますが、新市街の住宅街の真ん中にあるある感じです。空港の標高は3309mありますから、一気に高山地帯に足を踏み入れたことになります。飛行機から降りて、ターミナル・ビル内を歩いているだけで、何となく空気の薄さを感じます。
なお、新空港を旧市街地の北部郊外に建設計画がありますが、今のところ具体的には動いていない様です。
- 旅行時期
- 2010年04月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 施設の充実度:
- 3.0
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投稿日 2013年08月13日
総合評価:3.0
ガラパゴスの表玄関ですが、吹けば飛びそうに質素なターミナルです。ターミナル内は吹き抜けで、向かう側まで見通せます。一応柵で分けられた「空港検査場」へ進みます。公園入場料100ドルをパスポートに挟んで窓口に出すと、100ドルは抜き取られ、代わりに公園入場券をくれます。その並んでいる間に、ちょっと手荷物を見せることで、(形式的な?)動植物の持ち込み検査も終了します。いよいよガラパゴス諸島への入島です。
- 旅行時期
- 2009年04月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 施設の充実度:
- 2.0
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投稿日 2013年08月13日
総合評価:3.0
通称のアエロパルケの方が良く聞く名前です。なお、ホルヘ・ニューベリーはアルゼンチンの航空の先駆者であるホルヘ・アレハンドロ・ニューベリーに由来しています。パレルモ地区にあり、市街地からは競馬場などのわずかな緩衝地帯を置いたところで、ラ・プラタ川とは道路1本挟んだところに立地しています。滑走路は2、100mの1本のみです。2010年にターミナル・ビルを全面的に建て直しています。
- 旅行時期
- 2013年05月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 施設の充実度:
- 3.0
-
投稿日 2013年08月13日
総合評価:3.0
エセイサ国際空港はブエノス・アイレス市街地から南西方向に約25kmのところにあります。エセイサは空港のある場所の地名で、空港の正式名はミニストロ・ピスタリーニ国際空港と云い、建設時の建設大臣の名前だそうです。しかし、滞在中この正式名を聞いたことはありませんから、エセイサだけが流通していると思われます。
現在、ターミナルビルは、4、5階建ての古い建物のターミナルビルA、Bの2つと、新しい近代的なターミナルビルCからなっています。いずれは古い建物は建て替えられるのでしょう。- 旅行時期
- 2013年05月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 施設の充実度:
- 2.5
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投稿日 2013年08月13日
総合評価:3.0
7月9日通りはレティロ地区から、その南側となるサン・ニコラス地区、モンセラート地区の間を南北に貫いている大通りです。南北4km、最大幅約140m、最大16車線と云う、自称?世界で1番幅の広い道路です。名前は、アルゼンチンの前身リオ・デ・ラ・プラタ連合の独立宣言をした1816年7月9日に由来しています。(アルゼンチンの独立記念日となっています)
この通りは道路の中に大きな街路樹があったり、社会発展省ビルがあったり、また、噴水などいろいろな構造物があり、おまけに中央部では工事をやっていたりと、車線はたくさんありますが、増えたり減ったりがあって、決して車の走りやすい道ではありません- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2013年08月13日
総合評価:3.0
7月9日大通りに、直角にコリエンテス通りが、斜めにディアゴナル・ノルテ通りが集まっている交差点が共和国広場と呼ばれています。その広場の中央にブエノス・アイレスのランドマーク、高さ67.5mのオベリスコが建っています。底辺は7m四方の大きさがあります。ブエノス・アイレス建設400周年を記念して1936年に建てられたものです。400年前の1536年とは、ペドロ・デ・メンドーサ率いるスペイン植民団がこの地に初めて都市建設をした年でした。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2013年08月13日
総合評価:3.0
プエルト マデーロ地区は昔の運河地帯が再開発されているところです。往時は陸側(西側)に赤レンガ倉庫が並んでいて、ラ・プラタ川側は穀物サイロなどがあったそうです。また、往時は荷扱いのクレーンが林立していたそうですが、現在はアクセントの様にいくつかは残されています。ラ・プラタ川側はすべてが一掃されて、近代的なオフィスビルやマンションなどが林立しています。一方、陸側の赤レンガ倉庫はその多くが残されていて、日本の再開発と同じ様に、レストランやファッション系などのお店に再利用されています。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2013年08月13日
総合評価:3.5
8年の歳月を掛け、1906年に完成したグレコ・ローマン様式の建物です。議事堂前の広場にある銅像は、「2つの国会の記念碑」と呼ばれるそうで、奴隷制を廃止した1813年の憲法制定議会と、スペインからの独立を宣言した1816年のトゥクマン国会の2つを記念したものだそうです。
その広場の、もう1つ手前にあるマリノ・モレノ広場には、世界に6つしかないと云われるロダンの彫刻「考える人」のレプリカがあります。この「考える人」と小さな池を挟んだ反対側にある一本石の碑は「ゼロキロメートル地点」で、日本の日本橋の様に、ブエノス・アイレスから始まる国道の基準点だそうです。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
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投稿日 2013年08月13日
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投稿日 2013年08月13日
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投稿日 2013年08月13日
総合評価:3.0
レコレータ墓地の一画にあります。父親である「ドアルテ家の墓」に納められています。決して大きなお墓ではありませんが、黒御影石造りで落ち着いた感じのお墓です。扉の左右の壁にたくさんのプレートが取り付けられていますが、本来のドアルテ家のプレートは2枚?だけで、それ以外はみんなエヴィータです。ほとんどは労働組合関係から贈られた顕彰プレートだそうです。
彼女の遺骸はクーデターに巻き込まれて、永らくアルゼンチンで死亡したイタリア女性マリア・マギーとしてイタリア・ミラノの墓地に埋葬されたり、いろいろな変遷の後、やっとここに安住の地を与えられたのです。
なお、夫のペロンは庶民向けののチャカリタ墓地に眠っています。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2013年08月13日
総合評価:4.0
サン・ニコラス地区の7月9日大通りに面したところにあります。イタリア・ミラノのスカラ座、フランス・パリのオペラ座と合わせて、世界三大劇場の1つと云われているのだそうです。20年の期間を掛け1907年に完成したものです。中央ホールは、周囲には7階建ての観客席を持ち、定員2、450名、立ち見を合わせると約3、000名を収容出来る大劇場です。ヨーロッパがシーズン・オフとなる5~11月に、世界の有名どころが公演を行うそうですから、お好きな方は狙いどころかも知れません。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2013年08月13日
総合評価:4.0
日本でも成功者の立派なお墓を見ることがありますが、アルゼンチンではお墓そのものとともに、墓地のある場所もそのステータスの重要な要素だそうです。最も格式が高く、由緒も申し分のない最高位にあるのがここレコレータ墓地です。
1822年にブエノス・アイレスの最初の公営墓地として建設されたものです。その最初の敷地は現在の入り口を入ったところで、1辺80mくらいの正方形部分ですが、現在は
1辺がおよそ150m、残り3辺がおよそ200mの変形四方形の土地に4、870家のお墓があります。それぞれ石造りで彫像や伝統的な装飾が施された立派なものが、正に隙間なくびっしりと並んでいます。現在、国の歴史芸術モニュメントに指定されているとのことです。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2013年08月13日
メトロポリタン大聖堂 (ブエノスアイレス) ブエノスアイレス
総合評価:3.5
1593年に原型となる聖堂が造られ、その後、何度も建て直しの末、1827年に現在の形として完成したものです。
ここにはサン・マルティンの霊廟が堂内奥の一画にあります。霊廟は兵士2名に入り口を守られています。娘さんが亡くなった後、1880年にアルゼンチン海軍がフランスからアルゼンチンに遺骸を移送しここに安置されましたものです。黒い石棺は、彼が開放した3つの国/アルゼンチン、チリ、ペルーの3人の聖女に前と左右を守られています。
また、建物正面右端に燃えている火は通称「永遠の炎」と呼ばれるものですが、サン・マルティンを顕彰してこの建物が完成以来、燃え続けているとのことです。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.5
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投稿日 2013年08月13日
総合評価:3.0
ここは、1580年にフアン・デ・ガライによってブエノス・アイレスの2度目の建設がされた時、その中心となった場所です。現在の名は独立運動のきっかけとなった、1810年5月25日に起こった「5月革命」に由来しています。また、その時の独立宣言はこの広場で行われたと云うことです。歴史的にも重要な建物に囲まれていますが、政府に対する抗議デモは場所柄、度々ここに集会して行われています。訪れた時は可動型のフェンスがその中心に設置されていて、大規模な集会は出来ない様にしている様でした。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2013年08月13日
総合評価:3.0
ここは、砦の跡地に1862年に政府庁舎が出来て以来、行政の場として役割を果たしてきたところです。建物としては建て直しや隣の中央郵便局のビルを統合したりの後、1938年に行われた大規模改築工事によって現在の建物の姿となったとのことです。
映画や舞台でお馴染みの場面、エヴィータが5月広場に集まった群衆に対して演説したのは2階ベランダです。
館内へは入り口に設置された空港の様な手荷物検査を通ってロビーに入ります。そこから先の館内見学は30分ごとの引率ツアーで廻ります。(時間がなくて参加しませんでしたのでどんなところを廻るのかわかりません)ロビーの手前横に大統領府専用の礼拝堂があります。一時、ペロンとエビータの棺が安置されていたところです。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.0

























