旅好者さんのクチコミ(277ページ)全6,284件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2017年06月21日
総合評価:3.0
深川公園は深川不動堂の西隣です。もともとは富岡八幡宮や別当永代寺の境内地だったところだそうですが、いまは町中の普通の公園といった感じです。でも、お年寄りグループが「ローンボウルズ」をやっていましたが、まったく邪魔にはならないほど、充分な広さはあります。そんな公園の端に異質と感じられる構造物があります。石造の燈明台です。高さは約8mなので結構立派なものです。これは2008年にここに移設されたものですが、元々は日清戦争の勝利を記念して1899年に深川不動堂の境内に造られたものです。なお、元々は天辺に名前の通り、火を灯す八角形の火袋があったのですが、関東大震災時に壊れてしまったとのことです。外壁には奉納者・団体が刻まれた石板が359枚貼られています。歌舞伎役者や当時の世相を窺い知る名前が見つかりますので、時間があったら眺めてみましょう。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2017年06月21日
-
投稿日 2017年06月21日
-
投稿日 2017年06月21日
総合評価:4.0
赤の鮮やかな山門から深川不動堂までの150mくらいの仲見世通りです。訪れた日は縁日(毎月1、15、28日)ではなかったからか、たいへん空いていました。呼び込みもないのでのんびりと店を覗きながら歩けます。創業大正7年(1918年)の佃煮の筑定さん。ここの五輪煮は昆布、あさり、にんじん、しょうが、たけのこ、ごぼう、しいたけの7種類の具です。7種で五輪とは?と思ったら、深川不動尊の密教の教え「地・水・火・風・空」の五体に因んでいるそうです。また、永代寺の前にある柔らかなあんのきんつばが有名な華さん。こちらは明治25年(1892年)の創業ですから125年の重みがあります。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2017年06月21日
総合評価:3.0
今では江戸に三十三間堂があったことすら忘れ去られていますが、そのわずかな痕跡として三十三間堂跡碑が富岡八幡宮の東側、江東区富岡二丁目4−8の〇〇館社員寮というビルの前の歩道に設置されています。
京都にある三十三間堂で通し矢が流行ったので、江戸にもと思い立った人物がいたのです。弓師・備後で、寛永19年(1642年)に幕府から浅草の土地を拝領し、京都のものを模したお堂を建立したのです。これは元禄11年(1698年)に焼失してしまったため、代替地をここ深川にして元禄14年(1701年)に再建されたものです。残念ながら、明治5年(1872年)に廃されてしまいました。
余談ですが、富岡八幡宮の裏に江東区立数矢小学校があります。この辺りの地名は富岡ですから単純に考えると富岡小学校でも良かったのではないかと思います。弓術に関係する「数矢」と付いたのは、この江戸三十三間堂に由来しているのではないかと思います。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2017年06月21日
総合評価:2.0
旧新田橋は八幡橋(旧弾正橋)が架かる八幡堀遊歩道に置かれています。(八幡橋の北、70~80mくらいです)この新田橋は、元々は近くの大横川に架かっていたもので、町の人びとの暮らしに溶け込んでいた人道橋です。現在は草に埋もれていて、ちょっとかわいそうに見えます。
木場で医院を開業していた新田清三郎さんが、不慮の事故で亡くなった夫人の霊を「橋供養」しようと近所の人たちと協力して、昭和7年(1932年)に架けられたものです。新船橋と名付けられていましたが、新田先生が亡くなった後、新田橋と呼ばれる様になったそうです。新田先生はそれだけ地元で親しまれていたのでしょう。- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.0
-
文明開化の香りが残る?京橋楓川に架橋されていたものをここに移設しました。
投稿日 2017年06月21日
総合評価:3.0
八幡橋(旧弾正橋)は富岡八幡宮の東隣にある八幡堀遊歩道の上に架かっています。東参道を出て、ちょっと先の左手から八幡堀遊歩道が始まっています。八幡堀遊歩道は元々あった八幡堀を埋め立て、空堀にして作った遊歩道で長さは200m弱です。八幡橋はそのほぼ中間辺りに架かっています。
明治11年(1878年)に当時の京橋区の楓川に架橋されたもので、近くに島田弾正屋敷があったので弾正橋と呼ばれたそうです。昭和4年(1929年)に八幡堀に移設され、名称も改められましたが、のちに八幡堀は埋められたため現在は陸橋となっています。なお、弾正橋の時は幅員が9.1mありましたが、移設に当たって、2mに減らされています。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2017年06月21日
総合評価:3.0
七渡弁天社は富岡八幡宮の東参道の入口近く右側(北側)にあります。富岡八幡宮の境内には合わせて17の社や末社が鎮座していますが、七渡弁天社(七渡神社)はそのうちの1つで、八幡宮が創建される前から祀られる地主神とのことです。災難から命を守るご利益があるそうです。また、ご祭日(6月17日)にはお使いの白蛇が出てくるという話があり、神社の職員も度々目にしているとのことですが、訪れた日がその前日だったからかまったく目にすることはありませんでした。なお、弁天池にはたくさんの鯉が泳いでいました。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2017年06月21日
総合評価:4.0
横綱力士碑は境内案内図を見て行きましたから辿り着きましたが、富岡八幡宮の境内の外れというか、ちょっと分かりにくい場所で、拝殿と婚儀殿とを結ぶ渡り廊下を潜った先にありました。明治33年(1900年)に、第12代横綱陣幕久五郎が発起人となってこの横綱力士碑が建立されたそうです。初代は明石志賀之助、4代谷風梶之助の名前も見られます。ここで特に注目されるのは、出場35場所、254勝10敗で勝率.962という驚異の成績で、史上最強の力士といわれる雷電が「無類力士 雷電為右衛門」として別格扱いでその名が刻まれていることです。大関力士碑に名が刻まれていても、横綱相当、あるいは横綱以上に強かったことは確かな様で、やはり群を抜いて強かったことが窺えます。また、正面左手に超五十連勝力士碑があります。現在は5力士だけが刻まれていて、63連勝(京都、大坂の本場所も含めると98連勝)の谷風梶之助、58連勝の梅ヶ谷藤太郎、56連勝の太刀山峯右エ門、69連勝の双葉山定次、そして、53連勝の千代の富士貢です。白鵬翔はすでに63連勝の記録を持っています。引退したらここに名が刻まれることとなります。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2017年06月21日
総合評価:3.0
ただ今、富岡八幡宮は全面的な工事中です。富岡八幡宮は古くから深川八幡と呼ばれて、庶民に親しまれてきましたが、1番の盛り上がりを見せるのが、3年に1度(子・卯・午・酉の年)に行われる、江戸三大祭の1つ「深川八幡祭り」の本祭りです。今年がその本祭り(8月12日~15日)の年に当たっていますから、お化粧直しが行われているのでしょうか。街角にはお祭りに向けて奉納掲示が立っています。有名なソムリエの田〇さんのお名前が門前仲町二丁目町会のところに載っていました。奉納掲示の全体としてはまだまだ空いていますから、今は名前が目立ちます。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2017年06月21日
総合評価:4.0
富岡八幡宮大鳥居に近い、参道右手に大関力士碑があります。左右に黒っぽい色の石碑(石は稲井石(仙台石とも呼ぶ))で、明治31年に歌舞伎役者の九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎がそれぞれ寄付したと刻まれています)があり、力士名が彫られていますが、1番新しいのは琴欧州勝紀さんでした。史上最強の力士として有名な雷電為右エ門の名もあります。横綱力士碑も同じ境内にありますが、その設置場所は裏の方ですから、大昔には、横綱は一時的な称号?で、相撲の最高位は大関だったことが偲ばれます。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2017年06月21日
総合評価:4.0
大鳥居に近い、参道左手に大神輿を納める建屋があります。神輿が2つ収まっていますが、左側が日本一といわれる大神輿:御本社一の宮神輿で、右側にはひと回り小さい御本社二の宮神輿です。説明書きによると、関東大震災で焼失する以前は、八幡造り、神明造り、春日造りの3基があったそうですが、その寄贈者はなんと紀伊国屋文左衛門だそうです。お屋敷がこの深川にあったそうですが、こんなところに紀伊国屋文左衛門が登場するとは・・・です。なお、一の宮神輿の寄贈者は佐川急便グループ会長佐川清と掲示されています。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2017年06月21日
-
投稿日 2017年06月20日
総合評価:3.0
智光山公園には6月の初めに訪れましたので、このキャンプ場はまだ開店休業状態でした。キャンプ場は、公園東端の都市緑化植物園の1つ西側にあります。園内にいくつかある有料の施設の1つです。従って、中に入ることが出来ないので、周囲から見るだけになりました。最近は郊外でのキャンプがブームになってきていると思いますが、このキャンプ場を計画したのが昔だったからか、えっ何?というほど狭いエリヤです。まぁ、夜になれば、入園者がいなくなり、自然の中に溶け込むような環境だ!となるのでしょうが、キャンプは夜だけのことではないですからねぇ・・・。料金だけは安いのですがね。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 施設の快適度:
- 3.0
-
投稿日 2017年06月20日
総合評価:3.0
智光山公園の中央部南半分にこども動物園があります。園内にいくつかある有料の施設の1つです。猛獣系はいない代わりに、ヤギ系などと触れ合えることも売りにしているようです。展示動物を見てみると、現地で見たことのある動物たちも多く、大人でもそれなりに楽しめる展示動物たちです。それはともかくとして、平日に訪れましたが、1日に数回設定されている触れ合い時間になっても、母子数組だけでした。また、埼玉県では東武動物公園に匹敵するという?サル山にもお客はだれもいません。折角赤ちゃんも居るのに・・・。こども向けとはいっても、動物園であるからには収支バランスはある程度は必要でしょう。ミニミニ水族館などを見ると、結構苦労しているのだなぁと思います。
ところで、出る時に予想外のことがありました。入口から1つ離れた出口から出ようとすると「ありがとうございました」と声掛けがあります。思わず「お世話様でした」と答えてしまいます。実は、入口の係員が声掛けしたのですね。とても良い気分にさせられます。地元の人間だったら、すぐまた来ようと思うのではないでしょうか。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 施設の快適度:
- 2.5
- 動物・展示物の充実度:
- 2.0
-
園内は散策路が整備されていて、また、園内案内図も頻繁に設置されています。
投稿日 2017年06月20日
総合評価:3.5
西武新宿線狭山市駅西口からでは約3100mです。駅前からは西武バスの智光山公園行きがあり、およそ20分です。また、影隠地蔵からは約1300mで、狭山工業団地の中を通り抜けて行くことになります。影隠地蔵からは緩やかな信濃坂を上りますが、そこを過ぎるとほぼ平らな道が続きます。
智光山公園は、総面積は約54ヘクタールもあります。雑木林が生い茂り武蔵野の自然を多く残しながら、種々の施設もある総合公園です。
西端に、大きな自然石に智光山公園と刻まれたメインの入口があります。右手には公園管理事務所があります。まっすぐに中央園路が伸びていて、着いたところがモニュメント広場です。中央園路の右手一帯はテニスコートがあり、モニュメント広場の左手下には菖蒲田があります。そのほか、園内の各施設へは園内案内図が頻繁にあるので、散策道を間違えることは少なそうです。
なお、園内にある具体的な施設は花菖蒲園、自然生態観察園、ひょうたん池を囲む桜の園、こども動物園、都市緑化植物園、前山の池(ヘラ鮒釣場)、ピクニック広場、わんぱくの森、市民総合体育館、勤労福祉センター、智光山荘、テニスコート、キャンプ場となっています。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2017年06月20日
総合評価:3.0
影隠地蔵は七叉路である奥州道交差点の一画にあります。清水八幡宮から歩くと国道16号線を北に約300m、入間川三丁目交差点を左折して新富士見橋を渡って直進するすること約900mです。西武新宿線狭山市駅西口からでは約1800mです。なお、近くには西武バスの停留所「奥州道」があります。
源義仲の子・清水冠者源義高が人質となっていた鎌倉から脱出、一族の本拠地・武蔵国男衾(おぶすま)郡(現・埼玉県比企郡嵐山町)を目指していた時、このお地蔵さんの陰に身を隠し、一時的にではありますが、追っ手から逃れることが出来たのです。
奥州道交差点を南北に通る道は、古くは鎌倉街道上道と呼ばれた道で、交差点から北は上り坂になりますが、信濃坂と呼ばれていたとのことです。また、現在のお地蔵さんは石造りで道路の東側(柏原側)にありますが、古くは道路の西側(広瀬側)にあり、木造で地蔵堂の中に納められていたそうです。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.0
-
投稿日 2017年06月20日
総合評価:3.0
清水八幡宮は、狭山八幡神社からは国道50号線を入間川方向に500mくらい進み、国道16号線との交差点(入間川三丁目)を左折して300mくらいです。なお、入間川三丁目交差点に近いバス停は七夕橋です。この神社はこの地で非業の死を遂げた清水冠者源義高を祀る神社です。源義高は木曽義仲の子で、11歳の時に頼朝の娘大姫の婿(実質的には源頼朝の人質)として鎌倉に移されます。この時、元服し清水冠者と名乗ります。その翌年、父義仲が失脚し、戦いで戦死すると、身の危険を感じ、一族の本拠地である武蔵国男衾(おぶすま)郡(現・埼玉県比企郡嵐山町)に逃れようとしますが、この地で捕まり殺害された悲運の人物です。時、寿永3年(1184年)のことでした。当時は北条政子の肝いりで立派な神社が建てられましたが、応永9年(1402年)の大洪水で流失し、後年、現在の場所に再建されたものです。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.0
-
投稿日 2017年06月20日
総合評価:4.0
徳林寺の山門の前の通り(元は参道だった?)を真っすぐ4、5分歩き、突き当たった道路(県道50号線)の左方向に狭山八幡神社の鳥居があります。なお、そこには「村社八幡神社」となっていますから、入間川総鎮守の神社だと云うことです。そこから71段の階段を上ると拝殿に出ます。この階段ですが、途中の踊り場で曲がり、上段と下段に分かれ、上段は赤穂浪士47士に因み、下段は中国の故事24孝をとって作られたそうです。なお、この階段が享保12年(1727年)に造られた時は上段と下段が真っすぐだったのですが、近年の道路建設のために現在の様に踊り場で角度を変えたそうです。
ここは源氏の守り神である九州宇佐八幡宮を本社とする八幡宮の1つです。創建は新田義貞が鎌倉へ攻め上る前に戦勝祈願をしたそうなので鎌倉時代と思われます。(室町時代と書かれたものもありますが・・・)境内にはその時に馬を繋いだという「新田義貞駒つなぎの松」があります。但し、根元のみですが・・・。
なお、左手方向にある神楽殿は工事道具?で一杯でした。また、参集殿は東武サロンと併記されていました。一般の集まりにも利用可能の様です。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2017年06月20日
総合評価:3.0
西武新宿線狭山市駅西口を出て、駅前から右手方向に下っていく道路を進み、約5分くらいです。(途中、案内板に従って路地へ左折します)徳林寺は曹洞宗のお寺さんで、正式には福聚(ふくじゅ)山徳林寺といいます。元弘3年(1333年)に新田義貞が鎌倉へ攻め上がる途中、ここに本陣を置き(1週間ほど逗留した記録があるそうです)、守護仏として聖観音(しょうかんのん)を祀ったことが、創建の発端だそうです。なお、曹洞宗となったのは天文元年(1532年)のことだそうで、また、現在のご本尊は聖観音ではなく釈迦如来に変わっているそうです。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0































































