旅好者さんのクチコミ(273ページ)全6,284件
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.5
西雲寺は、西武本川越駅から中央通りを渡った先の、斜めに南下する路地を行くと程なく左手にあります。但し、ここは案内は出ていますが裏道の様な入口で、正門は丸広百貨店の前です。西雲寺は境内はそれほど広い訳ではありませんが、本堂は立派ですし、鐘撞堂はこれまたかなり立派です。クレアモールに接していますが、その喧騒はまったく聞こえず、静かな佇まいでした。江戸時代初期の慶長年間(1596~1614年)に、西雲法師によって開創されとされていますが、元々の場所はもっと南の方で、天和年間(1681~1683年)に現在地に移転したとされています。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:4.0
服部民族資料館は、蔵造りの街並み一番街の「時の鐘」信号から2、3軒手前東側にあります。この建物はいわゆる蔵造りではありません。2階部分はありませんから、ずいぶんと横長の建物の様に感じてしまいます。若干高さのある屋根裏は倉庫として使われたとのことです。明治の大火直後に建てられたそうですから、蔵造りよりも早い商売再開をめざしたのでしょうね。内部は民俗資料館となっていて、薬屋の看板や下駄など、この家がやっていた商売関係を始め、当時の生活民具が展示されています。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.0
-
投稿日 2017年07月15日
総合評価:4.0
大沢家住宅は、蔵造りの街並み一番街の札ノ辻交差点から5、6軒手前東側にあります。南の方にある重たそうな、大きな蔵造りを見てくると、軽いと感じてしまう建物です。でも、この建物だけを見ると、決してそんなことはなく大きくて堂々としています。これが寛政4年(1792年)に建築され、200年以上も経つ川越最古の蔵造りであり、国指定の重要文化財にも指定されているのです。明治26年の大火にも耐え、現在の蔵造りの街並みの原点になったとのことです。平成に入ってから大規模な修復工事をしたとのことですが、内部はがっしりした感じが漂い、200年以上の歴史を考えると、これを建てた人は相当な豪商だったのだろうと思いました。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2017年07月15日
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直会(なおらい)ですから、神に感謝しつつありがたく頂きましょう。
投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
氷川会館は氷川神社の大鳥居前にあります。氷川会館は氷川神社の付属施設で結婚式、結婚披露宴をやっています。もちろん、式そのものは神前となります。氷川会館に入ると、正面には彩豊かな飾り付けがあります。イメージとしては季節柄、アジサイでしょうか。右手のカフェでちょっとお茶をしましたが、テーブルや椅子が仮のものの様に感じます。この場所は、土日は結婚式場のラウンジとなるのだそうです。それ以外の日を有効活用しているという訳です。カフェの日は食事提供もされますが、食材は一旦は「神饌」として神前に供えた後、調理に使われるとのことです。つまり、直会として頂くのだそうです。料理人も神に仕えているのですね。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
氷川神社は、市役所前交差点から東へ300mくらいの郭町交差点を左折して、北上250mくらいで山門前に出ます。創建は欽明2年(541年)だそうですが、この時代だを言われると、言った方が勝ちの雰囲気です。江戸時代には川越の総鎮守として信仰された神社で、今は縁結びがご利益1番みたいです。現在の本殿は天保13年(1842年)の建築とのことです。ここは商売熱心な神社です。(連雀町近くの熊野神社も商売熱心でしたが・・・)風鈴だらけと思ったら、縁むすび風鈴というそうで、鯛がたくさん積まれていると思うと、これは恋占いで、「1年安鯛」とか「あい鯛」とかあるそうです。こういうのを見ると、神社全体にご利益がなさそうに感じます。
余談ですが、氷川神社のある宮下町の山車は、神社の長い歴史に鑑みたのか「日本武尊」です。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:4.0
ヤオコー美術館は、氷川神社の正面左横の路地を北に進み、新河岸川を越えたところにあります。100mくらいです。スーパーマーケットのヤオコーの社長家がコレクションした三栖右嗣(みすゆうじ)を主に展示している美術館で、三栖右嗣記念館とのサブタイトルが付いています。展示室2つにティーラウンジ(兼展示)という小さな美術館です。三栖右嗣はまったく知らなかったのですが、彩のある作品になかなかの魅力を感じました。入館者も少ないこともあり、たいへん静かで、ゆっくりと作品を鑑賞できました。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2017年07月15日
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:1.0
川越市立美術館は、市役所前交差点から東へ500mくらいの昔のお城エリヤの一画にあります。
入口の自動ドアが開くと、大きな声で「いらっしゃいませ!」。そして、何人もざわざわと集まっている感じです。ここはどこ?美術館じゃないの?・・・これがこの美術館の入口の光景です。もう見る前から出ようかと思いました。この日は市民ギャラリーで第6回小江戸川越トリエンナーレの優秀作品の発表・展示会が行われていたのです。せめて、市民ギャラリーとは入口を分けてもらいたいです。共通チケットを買ってしまっていたので入場しましたが、気分が削がれて展示絵画はどうでも良くなってしまいました。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.5
川越城本丸御殿は、市役所前交差点から東へ500mくらい、左手に川越市美術館・博物館がありますが、その反対方向に約100m進むと本丸御殿です。幕末近い弘化3年(1846年)に、二の丸にあった藩主御殿が焼失してしまったため、嘉永元年(1848年)に当時空き地だった本丸に新たに建築したものです。徳川幕府にとって最重要城ですから、内装は質素ですが、急ピッチで再建したものと推測されます。それでも、16棟、1、025坪だったとそうですが、よく財力が残っていたものだと思います。現在まで残っていて公開されているのは、その約1/6だけとのことです。玄関から上がって、最初にガックリするのは廊下の幅ですね。これだけで我が家何軒分と思ってしまうからです。またこの建物は周囲をその幅広の廊下で囲まれている(裏は少し狭いです)のが変っていると思います。客人は待っていても落ち着かなかっただろうなと思います。襖絵はなく、描かれているのは杉戸絵だけですから、色彩がそこそこ残っているのは1ヶ所だけです。1室に籠が置かれています。なかなか立派な造りと思ったのですが。何とこれは城下の行伝寺の僧侶が登城するおりに使っていたものだそうです。当時は僧侶の力が強かったことが偲ばれます。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
わらべ唄発祥の碑は、三芳野神社の境内・拝殿の左手やや後方にあり、「わらべ唄発祥の所」と書かれています。(左隣には川越城七不思議と刻まれた石碑があります)三芳野神社は平安時代に創建と、川越城の築城よりはるか以前からこの地では天神様として信仰を集めていたものです。江戸城が万が一の時は川越城がそれに代わる城と決められたため、江戸時代初期に大規模な増改築工事が行われ、その時に天神様も城内に取り込まれてしまいました。しかし、永年庶民の信仰を集めてきた天神様ですから、庶民の参拝をすべて断ち切ることは出来ず、七五三や大祭の時のみ参拝を許すこととなったのです。この時に間諜が入り込むことも考えられたため、厳重な警備(特に帰路)が敷かれたそうで、それがわらべ唄「とおりゃんせ」に唄われたのです。
天神様にお参りすることで、わらべ唄「とおりゃんせ」を実感できるかなと思ってきました。天神様は修理工事中でまともにはお参りできませんでしたが、行きは横着しないでちゃんと遠くの参道入口から入ってきました。でも、帰りは横着をして本丸御殿へと近道で抜けました。よって、行きはこわい、帰りはよいよいでした。
余談ですが、小田原市国府津にある菅原神社もわらべ唄とおりゃんせの発祥の地としていて、「わらべうた 通りゃんせ発祥の地」の石碑があります。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
わらべ唄「とおりゃんせ」に唄われて有名な三芳野神社は、本丸御殿前の駐車場を通り抜けると、拝殿まですぐです。やはり参道の入口からお参りしたい場合は、本丸御殿前の道を南へ約200m、そこの交差点を東へ100mくらいで、参道入口に出ます。
そこから100m以上はある長い参道が続きます。木陰の続く中を進んでますが、一向に社殿が見えてきません。残念ながら、現在大規模な修理工事中で、シートで覆われていて社殿が見えないのです。参拝は諦めましょう。工事終了は2019年とのことです。創建は平安時代大同2年(807年)と大変古いです。現在の社殿は寛永元年(1624年)に建てられたもので、明暦2年(1656年)には、江戸城二の丸の東照宮本殿を移築して当本殿とする大改造が行われています。祭神はわらべ唄に唄われる天神様・菅原道真公を始め4神です。川越城の鎮守として歴代の川越城主の信仰が厚く、庶民からも「お城の天神さま」として親しまれていたそうです。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.0
富士見櫓跡は、三芳野神社の山門前の細い道を右(西)へ250mくらい進んだところにあります。川越城内の1番高い場所で、天守閣の代わりとなった富士見櫓のあったところです。名前の通り、当時は富士山も見えた様です。頂上にあがってみると、今でも、市街の中ではビルを除けば1番高いと思われますが、大木が何本もあるし、町にはビルも数多く目に付きますからどうなのでしょうか。
櫓の大きさははっきりとは分かっていませんが、土台部で15m×14mあった様です。また、それかと思われる図面では2層の櫓となっていた様です。(櫓再建の話があった様ですが、その後どうなったのでしょうか)現在この頂上部には御嶽(おんたけ)神社と浅間神社、そして、その裏側に富士見稲荷大神が祀られています。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:3.5
浮島稲荷神社は、成田山別院の山門横にある信号付きの横断歩道を渡った先にある、左斜め方向の路地を50mくらい進むとあります。鳥居をくぐるとブランコや滑り台があって木陰も多く、間違って隣の児童公園に入っちゃたか?と思います。しかし、間違いではなく、よく見るとずっと奥の方に小振りな拝殿(この神社は本殿もあります)が見えました。小さな神社だと思っていましたが、(幅はないけど)とても奥行きのある神社だったのです。
浮島稲荷神社の名前の由来ですが、その昔、周辺には「七つ釜」と呼ばれる清水が湧き出る7つの沼地がありました。その沼には葦が生い茂り、遠くからは神社が島の様に浮いて見えたからからだそうです。また、この神社の創建がいつかははっきりしていないそうです。言い伝えでは、太田道灌の河越城築城の時ともなっていますが、少なくとも320年前には存在したことが、書面によって確認が出来るそうです。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2017年07月15日
総合評価:4.0
成田山別院は、中央通りの連雀町交差点から県道15号線を東へ500mくらいのところにあります。江戸時代末期の嘉永六年(1853年)に石川照温師によって開創されたお寺さんです。お参りした時、ちょうど定例の護摩焚きが行われていました。大きな読経の声や太鼓の音、燃え盛る大きな炎と迫力満点です。煩悩の塊?の薪が燃やされて、我が煩悩も少しは減った様な気がしました。なお、護摩焚きは特別な日を除くと、毎日9:00、11:00、14:00に行われています。
- 旅行時期
- 2017年07月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2017年07月14日
総合評価:3.0
本川越駅観光案内所は西武線の改札口を出た右前方にあります。普段、観光で行っても観光案内所に寄ることはありませんが、川越では市内観光なので細かい地図が欲しいと思って寄りました。半自動ドアが開いた瞬間「いらっしゃいませ」といわれて焦ってしまうほどです。普通は勝手にパンフレットなどを見て、より詳しい情報を欲しい時にサポートを求めるイメージでした。まぁ、それだけ暇だったとも言えるかも知れません。少なくとも、係員2人なのに、お客は誰も居ませんからね。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2017年07月14日
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投稿日 2017年07月14日
総合評価:3.0
大正浪漫夢通りは、西武新宿線の本川越駅からは駅前の中央通りを北に300~400mくらい進むと連雀町交差点です。ここで右に少し進み、次の交差点を北へ曲がります。(反対方向はクレアモールですから、東武東上線の川越駅からはここに出てきます)川越熊野神社を左に見て進み、次の交差点から北が大正浪漫夢通りとなります。徒歩10分くらいです。
ここは活気のない通りです。川越駅からクレアモールを進んでくると、そのままこの通りに通じますが、本川越からくるとここは通らない道ですから、観光客の集客にはどうでしょうか。時間帯にもよると思いますが数少ない人影しかありません。以前には銀座通りと呼ばれ、アーケード街だったこともあるとのことです。今の時代、綺麗に整備することも大事だとは思いますが、懐かしく感じられる商店街の方が観光客はやって来ると思います。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2017年07月14日
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投稿日 2017年07月14日
総合評価:4.0
蔵造りの街並み一番街の仲町交差点を東へ行くと、山崎美術館の並びに仲町観光案内所があります。駅前などの案内所に比べて、蔵造りで趣があります。また、仲町観光案内所と染め抜かれた短い暖簾も雰囲気があります。といっても、置いてあるパンフレットなどに変わりがある訳ではありませんが・・・。裏も扉が開いているので風が通ります。旧笠間家住宅だったという建物の和室を見ながら奥に抜けると、こちらも趣のある散歩道になっています。進んで行くと、休憩スポットの鍛冶町広場へ通じていました。
- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0








































