清水八幡神社
寺・神社・教会
3.28
クチコミ・評判
1~5件(全5件中)
-
木曾義仲の長男、源義高を祀る神社
- 3.5
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
- 4
清水八幡神社は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した木曾義仲の長男、源義高を祀る神社。国道沿いの小さな神社ですが... 続きを読む、「清水冠者源義高終焉の地」と大書した看板が目立っています。
義仲と頼朝は同じ源氏の一族でしたが、頼朝は義仲を危険視。人質として息子の義高が鎌倉に送られ、頼朝の娘、大姫の婿となる。しかし、後白河法皇と対立した義仲は、源範頼、源義経に攻められ討ち死。義高も鎌倉の脱出を計りますが、この辺りで追手に追いつかれ討たれたという物語。悲劇はこの後も次々と続くのですが、源義高の最期も胸に残りました。
もう少しメジャーなスポットになってもいいような気もします。 閉じる投稿日:2023/09/30
-
源義高終焉の地
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
-
元の八幡宮は北条政子が創建。
- 3.0
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
清水八幡宮は、狭山八幡神社からは国道50号線を入間川方向に500mくらい進み、国道16号線との交差点(入間川三丁目)を左折... 続きを読むして300mくらいです。なお、入間川三丁目交差点に近いバス停は七夕橋です。この神社はこの地で非業の死を遂げた清水冠者源義高を祀る神社です。源義高は木曽義仲の子で、11歳の時に頼朝の娘大姫の婿(実質的には源頼朝の人質)として鎌倉に移されます。この時、元服し清水冠者と名乗ります。その翌年、父義仲が失脚し、戦いで戦死すると、身の危険を感じ、一族の本拠地である武蔵国男衾(おぶすま)郡(現・埼玉県比企郡嵐山町)に逃れようとしますが、この地で捕まり殺害された悲運の人物です。時、寿永3年(1184年)のことでした。当時は北条政子の肝いりで立派な神社が建てられましたが、応永9年(1402年)の大洪水で流失し、後年、現在の場所に再建されたものです。 閉じる
投稿日:2017/06/20
-
-
清水冠者源義高終焉の地。
- 3.0
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
- 0
清水八幡宮は入間川に架かる富士見橋(古い方で、現在は一方通行です)の袂近くにあります。狭山八幡神社からは最短で行ければ70... 続きを読む0mくらいですから、10分弱です。狭い境内に小さな社があり、横には高さはありませんが幹の太い銀杏の木があります。ここは清水(志水)冠者源義高を祀っている神社です。
義高は木曽義仲の子ですが、11歳となった寿永2年(1183年)に源頼朝の娘大姫と政略結婚(元服し清水(志水)冠者と名乗る)させられ、鎌倉で暮らします。しかし、翌年には父義仲は完全に失脚し、頼朝軍に討たれてしまいます。義高は鎌倉を脱出し、一族の本拠地・武蔵国男衾(おぶすま)郡(現・埼玉県比企郡嵐山町)を目指しますが、当地入間川八丁の渡し付近で追手に捕まり、藤内光澄によって殺害されてしまいます。齢わずか12歳でした。娘大姫の悲しみを忖度した北条政子は妻の力を遺憾なく発揮して夫頼朝を抑え込み、罪のない義高を殺害した罪で藤内光澄は打首にし、この地には立派な清水八幡宮を造営しました。その八幡宮は大水で流出してしまい、後年、現在の地に地味なお社が再建されたとのことです。なお、鎌倉市の常楽寺には義高の墓と伝わる塚(木曽塚)があり、また、大姫の墓と伝わる祠もあります。
閉じる投稿日:2017/06/15
-
源義高最期の地に建てた
- 5.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
- 0
1件目~5件目を表示(全5件中)
基本情報(地図・住所)
このスポットに関するQ&A(0件)
清水八幡神社について質問してみよう!
狭山・入間に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
たびたびさん
-
JA778Aさん
-
旅好者さん
-
リラクマさん
-
bluejaysさん