普現寺
寺・神社・教会
3.21
普現寺 クチコミ・アクセス・周辺情報
臼杵・津久見 観光 満足度ランキング 43位
クチコミ・評判
1~4件(全4件中)
-
境内にある吉四六さんのお墓は、奥さんのおへまさんと並んでいました。
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
-
境内に吉四六さんのお墓がありました。
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
吉四六さんのお墓は、普現寺境内のもみじの林の中にありました。北参道といった小道沿いに「廣田吉右衛門之墓所」の標石がある覆い... 続きを読む屋の下に4つの墓碑が並んでいました。2つのひびの入った1番左が初代廣田吉右衛門さんのお墓で、その隣が奥さんのおへまさんのお墓とのことです。横に立つ卒塔婆には實参了義信士三百遠年忌と書かれていました。なお、おへまさんの戒名はが妙林禅定尼でした。
吉右衛門さんが鈍って吉四六さんになったそうですね。吉四六さんは1628年(寛永5年)生まれで、亡くなったのは1715年(正徳5年)とのことですから、88歳の長寿だったのですね。三百遠年忌は2015年(平成27年)に営まれたのでしょう。苗字、帯刀を許された弁指(豊後や日向地方で庄屋を補佐する村役人)の家柄で、屋敷は現在の臼杵市野津庁舎近くにあり、お墓もそこにあったそうですが、菩提寺である普現寺境内に移されたとのことです。(時期は不明です)
余談ですが、某焼酎メーカーの吉四六はここから名前を貰ったそうですね。
閉じる投稿日:2022/12/10
-
象に乗った普賢菩薩坐像がありました。
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
普現寺の参道の坂道を進んで行くと、頭上を覆うもみじの葉の間から木漏れ陽が漏れていました。鎌倉時代中期の創建とされ、現在地に... 続きを読むは1647年(正保4年)に再興されたそうです。境内には、約200本のもみじがあり、紅葉シーズンにはライトアップされ、多くの観光客が訪れるとのことです。訪れた5月はその反動の様に静かな無人の境内となっていました。その境内には高い台座の上に、象に乗った普賢菩薩坐像がありました。このお寺さんの創建の発端は、大友氏第2代当主・大友親秀の五男となる野津五郎頼宗が白象に乗った普賢菩薩の夢を見たからとされています。普現寺の寺号も普賢菩薩の読みからだそうです。 閉じる
投稿日:2022/10/15
-
-
吉四六さんのモデル・初代廣田吉右衛門さんの菩提寺です。
- 5.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
普現寺は、国道10号線(国道502号線)に入口の案内が立っていて、そこから横の丘に上がったところにありました。ここは紅葉の... 続きを読む名所とのことで、参道はもみじの木で埋まっていました。但し、訪れた5月は緑に溢れていましたが・・・。山門前の階段は苔が生えていて厳かな雰囲気が拡がっていました。豊後国主大友氏第2代当主の大友親秀の五男、親直(野津五郎頼宗)が、白象に乗った普賢菩薩の夢を見たことから、1294年(永仁2年)に、野津院筒井村(野津地区の北部?)に妙楽寺を建立したと伝わっているそうです。天正年間(1573年~1593年)の薩摩・島津氏の豊後侵攻によって荒廃しますが、1647年(正保4年)に、現在地(当時は板屋村)に寺号を普現寺と改めて再興されたとのことです。こちらのお寺さんには、豊後の奇人・吉四六さんのモデルである、初代廣田吉右衛門さんの菩提寺として位牌が安置されていて、境内のもみじの林の中にはお墓もありました。なお、山号は峩嵋山(がびさん)で、臨済宗妙心寺派のお寺さんです。
ここには吉四六の里の民話「やられたな 寄付の丸太は杉の箸」が掲示されていました。
閉じる投稿日:2022/09/13
1件目~4件目を表示(全4件中)
基本情報(地図・住所・アクセス)
このスポットに関するQ&A(0件)
普現寺について質問してみよう!
臼杵・津久見に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
リラクマさん
-
旅好者さん