nichiさんのクチコミ(41ページ)全2,189件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2020年02月25日
総合評価:4.0
スキーロッカーが車からの道具の出し入れに便利な場所にあり、直接ゲレンデに出れる設計。これは東急のグランデコも同じです。
ホテル内でスキーブーツで歩く人と、浴衣で温泉へ行き来する人が交錯することもありません。
ホテルのゲレンデでスキーを目いっぱい楽しみ、ホテルに戻ってくると、様々なスタッフの気遣いが嬉しいホテルです。
それは清掃スタッフも同じです。
ビュッフェレストランは少しガチャガチャしており騒がしいのであまり好きではありませんが、コース料理レストランは素敵です。
改装したばかりのようで、落ち着いた素敵な雰囲気でした。
勿論、コース料理も美味でした。
温泉もプールもGOODです。- 旅行時期
- 2020年02月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
1月なのに春スキーみたいでしたが、ゲレンデ管理の方々の苦労が偲ばれました。
投稿日 2020年02月25日
総合評価:4.5
暖冬の今シーズン、これだけ滑れれば十分でしょう!
と言うのが素直な感想です。
8時30分に第5クワッドに乗り、12時半まで私達シニア夫婦はガンガンスキーを満喫しました。
全体的に硬いゲレンデのバーンで所々にブッシュも出ていますが、楽しく滑れました。
ゲレンデ整備の方々の努力の賜物ですね。
黒姫山と妙高山を見ながら滑り降りるのがこのスキー場の醍醐味なんですが、雲がかかって顔を出してくれませんでした。
でも山頂から日本海を見ることはできました。
私達の一番のお目当てのゲレンデはジャックダウンヒル。
斑尾ではこのゲレンデが好きなんです。
気持ちいい急斜面です。
この日はいつもよりかなり硬いバーンでしたが、幅もあるので楽しいです。
多少ブッシュが出ている部分もありましたが、避けるスペースは十分でした。- 旅行時期
- 2020年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
バブル期に何度訪れた、ワールドカップが開催される本格的なスキー場です。
投稿日 2020年02月25日
-
ユーミンのコンサートで訪れたのですが、26年ぶりに訪れた苗場プリンスホテルで通算7回目のコンサートでした。
投稿日 2020年02月25日
総合評価:4.0
70年代から80年代に何度訪れたかわからない苗場プリンスホテル。
スキーのワールドカップが開催されるほどの本格的なスキー場と、日本最大級のスキーリゾートホテルがセットです。
80年代半のスキーシーズンでは、ホテル内にボディコンにパンプスを履いた女性が多く歩いていたホテルです。室内温泉プールには、多くのハイレグ水着の女性がプールサイドでゴロゴロしていました。
そのプールは今ではキッズパークになっていました。
増築に次ぐ増築で、スキーウエアにスキーブーツで歩く人と、浴衣にスリッパで温泉に行く人がゴチャゴチャになるのが難点のホテルです。
落ち着かないホテルであるのは昔から。。
ユーミンのコンサートは最高でした。
苗場もコンサートは40周年のようです。
ユーミン自身もココでしかできないコンサートなんですね。- 旅行時期
- 2020年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
明治30年(1897)に建築された建物です。
投稿日 2020年02月09日
-
投稿日 2020年02月10日
総合評価:3.5
素敵な素敵な可愛いガラス製品がたくさん売られています。
硝子のぐい飲みと箸置き、小さな小物入れを購入しました。
建物は明治24(1891)年に建てられた木骨石造2階建の倉庫です。
元々は鰊の倉庫として建てられたもので、建物の中にトロッコの線路の跡がありました。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2020年02月10日
-
投稿日 2020年02月09日
総合評価:3.5
明治28年(1895年)に建築された建物です。
今年で125歳の建物なんですね。
平屋建手の小さな建物です。
屋根の上のとんがり2本が特徴的です。
店内では小さなオルゴールが所狭しと並んでいました。
自分でオリジナルのオルゴールを作ることもできるようです。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
明治から大正にかけて海陸物産、海運業を営んでいた金子元三郎商店です。
投稿日 2020年02月09日
-
投稿日 2020年02月09日
-
投稿日 2020年02月08日
総合評価:4.0
この旧三菱銀行小樽支店、旧北海道拓殖銀行小樽支店、旧第一銀行小樽支店が建っていて、「北のウォール街」と呼ばれていたエリアにあります。
旧三菱銀行小樽支店は、大正11年(1922年)築です。
4階建で、小樽で一番古いエレベーターがあります。
このビルの2階には三菱鉱業、3階には三菱商事が入っていたビルのようです。
2006年からは「小樽運河ターミナル」になっています。
バスターミナルと商業施設のビルですね。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2020年02月08日
-
投稿日 2020年02月08日
総合評価:4.0
この博物館は前から訪れたかった所。
小樽の歴史を知ることができます。
この博物館も明治26年に建てられた「旧小樽倉庫」にあります。
入場料は300円
侮ってはいけません。
見所満載で予定時間を大幅に過ぎて真剣に見入ってしまいました。
「おたる」の地名はアイヌ語の「オタ・オル・ナイ」(砂浜の中の川)に由来するとのこと。
昭和40年代まで「小樽内(オタルナイ)」という集落が存在していたようです。
アイヌの服は、草皮衣(テタラベ)と言う衣類。
イラクサと繊維を使った衣類がありました。
北前船の紹介も。
江戸中期から明治にかけて大阪と北海道を結んだ経済動脈であった北前船。
物を運ぶだけでなく、寄港地で売り買いをする「買積船」でした。
蝦夷地と言われた当時の北海道に生活物資のほとんどを供給し、海産物や毛皮類を小樽より本州に運び出していました。
北前船が寄港地で行った売買記録。
これ、面白くて夫婦で見入ってしまいました。
今じゃエクセルで簡単に作れますが、当時は縦書きの墨で書いていた伝票ですね。
北前船の模型がありました。
全長32m。
意外と小さい。。。
荷物を多く積み込むため、ずんぐりしてます。
800石(約120t)積んでいたようですが、1400石(210t)積むことも可能だったとのこと。
北前船の航海は、春の大阪から始まり、寄港地で商売しながら北上するため、蝦夷(北海道)まで片道50日~60日かかります。
風頼りの帆船であるため、隠岐の島の西郷、羽前の飛島(山形県酒田)、津軽の深浦(青森県西津軽郡)などは、風待ち及び潮待ちに適した寄港地として栄えた港のようです。
北前船の航海で使われた道具が紹介されていました。
航海で使われた望遠鏡や磁石とか、、、
GPSは無いしな~
引札です!
つまり江戸時代の広告チラシ!
これ、面白い!
北前船は物だけでなく、人や文化も運んでいました。
小樽は、上方文化を含めた寄港地の文化の上陸地となりました。
北前船による物資の輸送が盛んになると、小樽の街に倉庫ができ始めました。そのころの紹介も面白かったです。
オコバチ川から手宮にかけての埋め立てが明治20年ごろに終了しました。
江戸時代から明治時代にかけて、河岸や港において廻船などの商船を対象として様々な業務を行った廻船問屋は、小樽で倉庫業を始めました。
その多くは木骨石造と言われる安価な建築費で防火に優れた大型倉庫でした。
この博物館も木骨石造です。
廻船問屋は今で言う、総合商社ですね。
小樽市総合博物館運河館として使用されているこの建物の模型がありました。
明治26年(1983年)に加賀橋立(石川県加賀市)の北前船主であった西出孫左衛門と西谷庄八によって設立された「小樽倉庫組」の木骨石造り建設です。
「口字型」の配置と鯱に特徴があります。
鰊盛業屏風です。
鰊漁から加工までの様子を六曲一双に描いています。
これ、面白くてシニア夫婦2人じっくりと拝見しました。
港に鰊をあげて、鰊つぶしと言う工程を経て、「もっこ」と呼ばれる背負子に鰊を入れて運びます。そして出荷。
江戸時代前期から道南で盛んになっていた鰊漁は、江戸代後半は小樽周辺の漁場に中心が移ってきました。
鰊の豊漁は、巨万の富を生み、小樽経済の基礎を築きました。
鰊は3月下旬から4月上旬にかけて産卵のために日本沿岸にやってきます。
豊漁の時は海が盛り上がるぐらい鰊が押し寄せたとのこと。
この漁と共に春が訪れることから、春告魚とも呼ばれています。
鰊の漁期にはたくさんの季節労働者が全国からやってきました。
漁業経営者は多くの季節労働者を受け入れるための住宅を造りました。
中には鰊御殿と呼ばれるほどの豪華な建物もあり、今でも一部残っています。
私達は見れなかったど、、、、
豊かになった小樽には、国際航路が開かれ、様々な外国の物資や文化が入ってきました。
裕福な方々は、当時高価だったカメラや映画を撮るカメラも。
当時小樽の街の再現エリアがありました。
小樽がもっとも華やかであった大正時代の街並みを復元しています。
しかし、次第に鰊漁の漁獲高は減り、昭和28年(1953年)に終わりを迎えました。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2020年02月08日
総合評価:3.5
建物は、歴史的建造物に指定された旧小樽倉庫を利用した施設です。
歴史的建造物だと言うことが判ります。
瓦屋根には鯱。
小樽出身の著名人の紹介があります。
サカナクションのボーカル&ギターの山口一郎は小樽出身なんですね。
彼のお父さんは、学生運動出身で小樽運河保存運動を行って市議会議員になったことを何かで読んだことがあります。
私たちは山口一郎よりそのお父さん世代ですが、、、、
家内はサカナクションが好きでCDを数枚持っています。
山口一郎と言う名前を聞いても私はピンときませんが、家内はビビットに反応してました。
サカナクションは私でもわかります。
ライブ映像まで流れていました。
サカナクションの
やまぐちいちろう
の幼稚園の時に利用していたバッグ。
手作り感が可愛い。
昭和初期に描かれた鳥瞰図。
江戸後期の錦絵と言われる手法で描かれています。
じっくりと見入ってしまいました。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2020年02月08日
総合評価:4.0
家内が出張時に何度か訪れたことがある「はちきょう」です。
本店と「はちきょう別邸おやじ店」があり、両店とも予約しないと入れないそうです。
お店に入ると
「いらっしゃいませ~」
と誰かが言うと、スタッフ全員で腹の底から「いらっしゃいませ~!」
お通しは、
昆布の形をした北海道 with いくら
お造り 1,980円
ボタン海老が最高!
帆立も美味!
じゃがバター塩辛添え 650円
塩辛が甘かったです。
白子ポン酢 1,150円
お酒が進んじゃいます。
ハラス 930円
最期にいくら
1オイサ470円×4
ご飯にイクラをかけて溢れる直前でオシマイ。
日本酒は北海道の地酒を戴きました。
国士無双
なまら超辛
北の勝 本醸造
国稀
少々高いけど、活気があって美味しい海鮮居酒屋でした。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 利用形態
- ディナー
-
古い映画ですが、木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾歳月」のラストシーンで出てくる場所です。
投稿日 2020年02月07日
総合評価:4.5
「喜びも悲しみも幾歳月」はリアルタイムでは見ていません。(年齢的に生まれてません)
中学生のころ、渋谷の名画座で見ました。
あとは社会人になったころ、ビデオレンタルで見たことがあります。
数年前、日本映画専門チャンネルで「新・喜びも悲しみも幾歳月」も見ました。
同じく木下恵介監督の作品ですが、灯台守の夫婦は、加藤剛と大原麗子でした。
この灯台は、1883年(明治16年)、白色の
1953年(昭和28年)、現在のコンクリート造に改築されています。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2020年02月07日
-
旧安田銀行小樽支店の建物。 なんと1930年(昭和5年)に建てられた建物をリノベーションして素敵な和食レストランになっています。
投稿日 2020年02月04日
総合評価:4.0
旧安田銀行小樽支店は戦後富士銀行に引き継がれ、1970年(昭和45年)日刊北海経済新聞社という、水産系業界新聞の社屋として使われていました。
目の前の通りが拡幅で2001年(平成13年)に建物が後方に曳家され、外観も修復されたようです。
道路拡幅時に取り壊す可能性もあったでしょうが、残して頂けたんですね。
小樽市の計らいか、建物所有者の計らいか、今リノベーションして入居している和食店の計らいか判りませんが、古き良きものを残していこうと言う素敵な考え方ですね。
お店に入ると、2階まで吹き抜けのいかにも古き良き銀行の造りが広がっています。
お寿司を戴きました。
安くておいしかったです。
銀行の金庫の大きな扉が残っています。
金庫の中がトイレなんです。
びっくり~~- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2020年02月04日
-
古くからスキーを楽しんでいた者にとっては価値ある資料館です。
投稿日 2020年01月30日
総合評価:3.5
小樽天狗山ロープウェイの終点駅の建物の上にある資料館です。
小樽とスキーの繋がりは歴史があるようです。
第1回全日本スキー選手権が開催されたのが小樽天狗山。
日本は冬季オリンピックに第2回大会である1928年(昭和3年)のサンモリッツから参加していますが、第4回大会である1936年(昭和11年)にドイツで開催された第4回冬季オリンピックでは、日本参加選手10人のうち小樽出身者は6人もいたとのことです。
間宮林蔵が樺太を2年に渡って探検した際、ストーと言われるスキーの原型になるものを道具として使っていました。
そのストーのレプリカがありました。
初めて見ました。
薄い板にアザラシの毛が張りつめてあります。
登る時には滑らない様に工夫されており、今でもこの原理は距離スキーのスキーシールとして生かされています。
日本に初めてスキー術を伝えたオーストリアのレルヒ少佐に関する資料も。
1911年(明治44年)新潟県高田が最初でした。
彼の紹介は、全国様々なスキー博物館で紹介されていますね。
北海道では旭川でスキーを教えていたようですが、ココ小樽には寄っていないようです。
北大ドイツ語講師 ハンス・コラー(スイス人)の写真が、、、
日本に初めてスキーをもたらした?
これ誰??
1909年(明治42年)北大の学生にせがまれてハンス・コラーは北大構内でスキーを滑って見せたようですが、得意ではなかったようです。
転倒したハンス・コラーの写真がありました。
で、これで何故ここに紹介されているのかな?
問題はその時期。
1909年?
そうです!レルヒ大佐より2年早いんです。
ハンス・コラーが日本に初めてスキーをもたらしたんですね。
びっくり~~~
小樽のスキーは、明治45年2月、新潟県高田に派遣された苫米地英俊がスキー3台を持ち帰り、そしてレルヒ少佐の教えを受けた軍人や民間人が普及し、小樽高商や中学校で広まり、相次いでスキー部が誕生したとのことです。
大正になると一般人の中でスキー熱が高まり、大正10年には小樽スキー倶楽部が発足されています。
大正12年に第1回全日本スキー選手大会が開催され、
昭和2年に天狗山シャンテ(今の小樽天狗山ロープウェイスキー場)、昭和3年に朝里岳ヒュッテを建設されています。
ココ小樽は多くの日本代表選手を生むなど、日本スキーの発展に大きく寄与しており、スキーのメッカと言われるようになったようです。
小樽出身のスキー選手の紹介コーナーがありました。
この中で私達が知ってるのは、
1972年札幌オリンピック ジャンプ 銅メダル 青地清二
1980年レークプラシッドオリンピック ジャンプ 銀メダル 八木弘和
1988年カルガリーオリンピック アルペン 岡部哲也
1998年長野 ジャンプ 金メダル2個 銀メダル1個 船木一喜
1998年長野 アルペン 皆川賢太郎(モーグルの上村愛子の旦那さんですよね?)
見てて楽しい。
随分多くの小樽出身のスキーヤーがオリンピックに出場していますね。- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)





































































































































